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Information

――このほど、日証協が中心になって社債市場の活性化を一歩進めた…。

 松尾 社債市場の活性化は色々な難しい点があり、日証協の中で長い間課題だった。新しい切り口として、現在は社債を発行していない低格付の発行体についてもコベナンツ(財務制限条項)を付けることによって発行がしやすくなるようにインフラを整備することで社債市場の活性化が図られるのではないかと考えた。既存のものを大きく変えるのは難しいが、今までになかった分野を切り開いて新しいことを始めるのであれば市場参加者の合意が得られやすいというのもポイントだった。

――ハイイールド社債にコベナンツをつけることで、具体的にどのように変わるのか…。

 松尾 もともと高格付の会社は、問題が起きる蓋然性もそれ程ないが、低格付の会社はギリギリの局面というのがあり得るということを投資家が想定する中で、その際に著しくローンに劣後するなど、十分に権利が保護されないのでは買ってもらえない。問題が起きた際にはきちんと情報が開示され、社債の投資家の権利が保護される必要がある。だが一方で、発行する側の大きな負担になってもいけないし、格付会社、銀行、証券会社という他の関係者もいる。それらの利害を十分に調整し、全員が受け入れ可能な形を探るのがとても難しい。金融市場のインフラのひとつなので投資家の要望だけでなく他の市場参加者の合意を得てマーケットを成り立たせなくてはならない。そこが普通の金融規制と比べて相当特殊だ。私の経験で言っても他の分野では規制を変えると大体の場合、それを狙ってやろうという新しいプレーヤーは入ってくる。ある程度決め打ちでもできるところもあるが、社債市場はプレーヤーがその世界でずっとやってきたプロで、かつ、新しいプレーヤーが入ってもすぐにうまくいくという構図でもない。社債市場の規制と実務は相当複雑に絡んでいて制約が多く、実務がどのように進んでいるのかを参加者に教えてもらいながら見直しを仕上げていった。調達をする事業会社含めて関係者が非常に多いという意味では、金融庁の証券行政で言うと開示制度に近いと感じた。日証協にとって証券会社だけでなく銀行まで含めて制度設計の相手にする仕事というのは相当特殊なもので、いい経験になったのではないかと思う。

――これによってハイイールド社債の市場が前進する…。

 松尾 今回チェンジオブコントロール(CoC条項。発行会社に組織再編、大株主の異動や非上場化などがあった場合に、社債権者に繰上償還の請求権を与える条項)とレポーティングコベナンツ(発行会社に投資判断に重要な事象が生じた場合に社債権者へ報告を行う義務を課した条項)を入れようとしているわけだが、ちょうど7月に日本エスコンがCoC条項をつけた社債を発行した。この銘柄は低格付ではなくA格だったが、そういうところでも、コベナンツをつけることによって信用の補完にもなる。支配の変更などは予定していない発行体でも、これをつけることで少しでも安心感を与え流通にプラスになり投資需要にもつながるのではないか。

――日証協はコベナンツ導入の前に、条件決定方式の見直しもしているし、着実に社債市場の改革を進めているが、今後の課題は…。

 松尾 日本の社債市場はアメリカに比べてまだまだ市場規模も小さいし、今後、経済が金利を含めて動く世界になっていくと、すべてを銀行のファインナンスでということでは銀行にとってもプラスにならないだろう。適正なプライス、適正なリスクで色々なプレーヤーが直接金融市場に参加していくことが、証券・銀行を含めてあるべき姿だと思っている。最近TOBなど、敵対的なものを含めて支配の変更が増加し、投資家としてもCoC条項などを意識する必要が出てきた。プレーヤーが必要とする改革は一歩一歩やっていくが、どこかで良いモデルケースが出てくれば、一気にそれがスタンダードになっていくということもあり得る。まずは今回の改革の細部を詰め、軌道に乗せる。社債市場の活性化というのはリスクの分散という意味でも直接金融市場の進展という意味でも大きな課題で、その思いは金融機関も金融庁も持っている。共通の方向性を得られるよう徹底的に議論して、良いグランドデザインができれば色々な改革が進むのではないか。

――次に視野に入れている具体的な改革は…。

 松尾 具体的な切り口を決めているわけではないが、ここが足りないという部分があればピンポイントで改善していく。まずはコベナンツを定着させ、その考え方を全体に普及させたうえで、更に、その時々に応じて全体のプラスになるものを見つけて積み重ねていきたい。アメリカのようにコベナンツが受け入れられ、ノウハウも貯まって市場慣行となっていけば、それが一番よい。日証協ではそれを後押ししながら、実情を踏まえて、社債管理補助者制度を含めた社債関連の制度が活用しやすくなるように金融庁や法務省に働きかけていくが、地に足をつけてやっていく。飛び道具を出しても効く世界ではないので、関係者の合意をうまく積み上げて、ただし、方向性については強い意志を持ってやっていきたい。また、流通市場の見直しについては、鶏が先か卵が先かみたいな話だが、十分に権利が保護されて発行が増えれば、流通も増えてそちらの改革にもつながっていくのではないか。日証協では、流通市場活性化に向け、社債の取引情報を発表しているが、この制度についても毎年改善にチャレンジしている。投資家保護のインフラを併せながら流通市場も含めてどんどん改革を進めていく。今回、社債改革には金商法の第一人者である神作先生(学習院大学法学部教授)に一貫してご協力をいただき、市場参加者全員の意見を丁寧にまとめていただいた。直接金融としての社債市場に強い思いも持っておられ、多くの教えをいただけたのが大変ありがたかった。日証協のミッションは市場の公正と証券業の発展であり、会員である証券会社が金融機能の担い手として誇りを持って楽しく仕事をしていけるようにすることだと思う。日証協の良いところは会員の実情を理解しながら、インフラの整備や制度の提言ができるところ。最近だとバックオフィスやミドルオフィスの効率化にもチャレンジしている。日本の証券業、直接金融がより良くなるように少しでも役目を果たしていきたい。[B][[HE]

――金融経済教育機構(J―FLEC)理事長を引き受けた経緯は…。

 安藤 77年に東京銀行 (現三菱UFJ銀行)に入行し、07年に退職してオムロン(6645)に入社した。オムロンでは、IR担当役員時代に国内外の投資家との対話に当たり、取締役としては企業経営改革に取り組んだ。その経験を買われ、東証の市場区分見直しに関するフォローアップ会議のメンバーとしてPBR改革を提言したこともある。私自身は金融経済教育にかかわったことはないが、インベストメントチェーン改革を議論する過程においてさまざまな立場の有識者とかかわるなか、基盤となっている資金の出し手は個人であるとの認識は持っていた。従って、国民の金融リテラシーを高めることは、個人の家計管理やライフステージにふさわしい生活設計を構築し、ひいては資産形成を通じて、より良い豊かな人生を送るために極めて重要だと認識している。いま、わが国で「金融経済教育を受けたことがあると認識している人」はわずか7.1%に過ぎない。この事実は、日本銀行が事務局を務める金融広報中央委員会が18才~79才の3万人を対象として行った22年「金融リテラシー調査」の結果だ。一方で、同調査の「金融経済教育を行うべきであると思いますか」という問いには71.8%が「思う」と答えた。つまり、金融経済教育は絶対的に不足している課題としてだけではなく、極めて大きな社会的なニーズがあることが認識できる。ただ、誤解してもらいたくないのは、J―FLECは政府による「貯蓄から投資へ」のシフトを推進する投資教育のために設立されたわけではなく、さまざまなテーマを含む金融経済教育を全国津々浦々に敷き詰めるための官民一体の組織であるという点だ。どのように家計管理と生活設計を行うのか、それらがしっかりできたうえで資産形成をどう進めていくのかということについて、小学生からシニア層に至るまでの幅広い年代に対して積極的に学びの場を提供していくつもりだ。

――これまで金融経済教育に携わってきた団体と異なる強みとは…。

 安藤 以前より金融広報中央委員会、日本証券業協会などの業界団体や個別金融機関がそれぞれ独自に金融経済教育に取り組んできたが、横の連携が十分でないこと、対象が限定されること、活動への社会的な認知が低いことなど多くの課題があった。また、資産運用会社による商品セミナーなどとの混同もあってか、商品セールスに結びつくのではないかという誤解も生まれやすく、特に教育現場との連携はハードルが高かった。一方、J―FLECは金融庁所管の認可法人であり、官民一体となって広く金融経済教育を推進していくうえで、中立公正であることが明らかな強みとなる。もちろんJ―FLECができたからといって業界団体・金融機関などでの取り組みをやめるのではなく、むしろ、これまで金融経済教育に携わってきた関係団体には教育の内容・質を一層高めながら取り組みを継続・強化することを期待している。J―FLECが中立公正な組織としてリーダーシップを発揮し、必要に応じて各団体とも連携してはじめて、教育機会を増やしていくことができると考えている。

――具体的にどのように活動を広げていくのか…。

 安藤 活動の柱は、講師派遣、個別相談、J―FLEC認定アドバイザーの認定・公表、世代別標準教材の提供などになる。講師派遣については、学校は派遣先の1つとなる。既に小中高の教科書では金融経済に関する記載がかなり充実している。ただ、学校の先生は教えるプロとはいえ、金融経済教育を受けたことが少ないので、どのように教えたら学生に興味を持ってもらえるのかなど、戸惑っている人も多い。そこで先生向けの講習会への講師派遣などを行っていく。もう1つの講師派遣の場は企業の職域だ。企業では、人事・福利厚生の責任者への研修や従業員への講習を行っていく。例えば、従業員にとって年金での資産形成は重要なはずだが、就職先を選ぶときに確定給付年金か確定拠出年金かといった福利厚生制度に関心を示す人は少ない。そうした視点の教育も重要となる。

――個人の学びもサポートしていく…。

 安藤 標準講義資料として10種類の年代別テキストを既にJ―FLECホームページにアップロードした。従来の各団体が独自に作成した教材などは情報の濃淡などの課題があった。学校の先生が授業のテーマに合わせて抜粋して使うことや、興味のある人が自分で学ぶことを想定している。このほか、具体的なテーマについて関心のある人がリテラシーを深める手段の1つとして、認定アドバイザーによる無料および有料の個人相談も行う。今でもお金の問題についてプロに相談する人はいるが、一般的ではない。今年の秋以降、3000人に1回ずつ、有料相談時に電子クーポンで80%まで補助する取り組みを行う。プロに相談することに対する関心が高まるのかどうかを見極めながら、来年度以降の対応を検討していきたい。

――認定アドバイザーの人材はどのように確保するのか…。

 安藤 24年3月末時点で、金融広報中央委員会・日証協などに所属するインストラクターが約680人いた。まずはそのインストラクターのうち424人をJ-FLEC認定アドバイザーに認定して活動をスタートする。早期に新規募集も始め、早い段階で1000人体制にしたい。この認定アドバイザーは金融機関に勤めていない人、報酬を金融機関からもらっていない人が対象となる。むしろ過去に金融機関に勤めていて既に退職されているような人には資格を取ってもらい、認定アドバイザーとして活躍してもらいたいと考えている。J-FLECの活動に対する報酬はJ―FLECから支払う。

――投資は「自己責任」原則がありハードルが高いと感じる人も多い…。

 安藤 あくまで資産形成は家計管理と生活設計ができたうえで行うものだ。ライフステージには資産をすべて預貯金に置いておくことがベストな時もある。とはいえ、これからインフレになると預貯金だけでは将来的に資産が実質的に目減りしてしまう可能性が高く、状況によっては投資という選択肢を視野に入れることも必要となる。ただし、金融リテラシーが十分でない人に投資における「自己責任」を求めるのは、ある意味で「無責任」だと考えている。ある程度お金に関する知識や判断力があって初めて、金融商品の選択などについて「自己責任」を問えるだろう。J―FLECの取り組みを通じて、お金について知識と判断力を身につけてもらったうえで「自分ごと」で考えられるようになってほしい。J―FLECの役割は金融リテラシーを向上することに置いており、金融商品の紹介や金融機関の斡旋は一切しない。今、NISAによる投資はある意味で「ファッション」となっており、周囲に流されて何となくやっている人も多いが、すべての人に共通して素晴らしい商品というのは存在しない。年齢、ライフステージ、資産の規模、リスク許容度などによって最適な資産ポートフォリオは異なるため、長期・積立・分散投資の原則、リスクとリターン、いろいろな商品の特徴などを理解したうえで「自分はこれが一番合っている」という選択をしてほしい。まず、子どもならお小遣いをどのように使うのか、社会人なら源泉徴収票の見方、社会保険や年金の種類、生命保険・損害保険が必要かどうかなど、生活していくために必要な項目から学ぶことも現実的だ。

――理事長として目指すことは…。

 安藤 家計管理・生活設計・資産形成について誰かに悩みを相談する文化を作り上げていきたいと考えている。日本人の金融リテラシーの低さは社会的な課題の1つであり、その背景にはお金の話をすることをタブー視する風潮がある。しかし、お金は本当に豊かな人生を送るためには避けて通れないテーマだと皆が気づいている。1人1人が学ぶことを通じて、友達同士、親子、職場、趣味の集まりなどで気軽にお金の話ができるようになってほしい。そうなれば、いま大きな社会問題になっている投資詐欺の防止・抑止になる。また、インベストメントチェーン全体で考えると、やはり個人の行動を変えることは世の中の仕組みを変えることにつながっていくと期待している。J―FLECの役職員は使命感を共有しており、理事長の私は「できることから着実にやっていこう」と話している。実は、J―FLECのような役割を担っている組織は海外にもない。米国のFLECや英国のMaPSは「手取り足取り」の教育活動は行っておらず、その意味でJ―FLECはかなり日本独自の組織であり、社会を変革するうえでは面白い取り組みだと認識している。[B][L]

――国際収支に関する懇談会を開催された…。

 神田 国際収支はマクロ経済の状況が鳥瞰できるとともにミクロにも遡れる宝の山であり、日本経済の構造を映し出す鏡だ。国際収支のレンズを通して日本経済が抱える構造的課題を評価分析し、その処方箋を議論することは、極めて有益であり、今回の懇談会も日本の構造改革を早く行わなければならないという思いから開催した。現在、日本は貿易収支赤字が常態化しており、唯一稼げる自動車もCASEの遅れやスキャンダルなど多くの問題が現れ始めている。また、サービス収支ではデジタル化が進むほど海外に資金が流れるという構造になっている。所得収支も、増えてはいるが、その半分は海外に再投資され日本には戻ってこない状況にある。海外への投資が拡大しているが、これは為替リスク軽減や消費者に近い生産拠点などを求めて企業経営者が合理的に判断した結果だ。日本企業が積極的に海外投資する半面、国内投資を後回しにした事で、日本国内の設備投資が遅れ、生産性や賃金の低迷に繋がっている事も事実だ。さらに言えば、今の海外生産比率は約26%と高く、円安になっても輸出量は増えない。昔は円安になれば現地価格を下げることでシェアを取り、売り上げを増やしていたが、今ではブランドイメージを重視して価格は維持し、為替差益を取るという形になっているので、輸出は増えないわけだ。このような状況にある今の日本でやるべきことは、国内への投資が活発化するよう、魅力的な国になることだ。

――国内投資を魅力的にするためには…。

 神田 今の日本は対内直接投資においてOECDの中で最下位の投資先であり、UNCTADではネパールとバングラデシュに次ぐ下から3番目の位置にある。日本企業としても、日本に魅力がないから海外に再投資しているという状況だ。その処方箋として2つ挙げるならば、1つ目は規制緩和や新陳代謝を促進して成長分野に労働移動する事、2つ目は人的資本の投資と技術開発の促進に努める事だ。先ずは金利が正常化することで、ゼロ金利下でしか生きられないゾンビ企業が淘汰される。そして、生産性が高く賃金も高いところに労働が移動する。さらに政策として、最低賃金を上げ、規制緩和で新しいビジネスの芽が伸び始めれば、若い人たちも将来性、収益性のある企業に移動していくだろう。ここでやってはいけないことは、持続可能性のない企業を政府が無理に守り、そこに低賃金で働く人たちを張り付けることだ。もちろん、そこで社会不安の元となるような人達が出てこない様にセーフティネットはしっかり備える。大体のところ政府に対する陳情は自力では存続できないような企業からのものが多い。そこを必要以上に助ける事で、頑張ってリスクを取り、将来さらに伸びようとしている企業にリソースが行かないのでは元も子もない。政府が余計な事をしないというのは、とても大切な事だと思う。

――規制緩和については…。

 神田 例えば農業規制はずいぶん緩和されたが、社会保障に関してはほとんど変化がない。この辺りはこれからしっかり取り組むべき分野だろう。また、法制度では解雇制度や頭脳労働者の脱時間給制度といった労働基準が柔軟化される必要がある。これらの制度は単に企業責任というだけの話ではなく、制度によって経営者の自由度を束縛している面もある。福利厚生や年金等も同様で、こういった色々な制度が社会を固定化させる方向に働いている。それらに対して政策面でやれる事は沢山あり、それによって羽ばたくことの出来る企業も沢山ある。今、日本の企業が保有する現金は約370兆円。そのお金が少しでも設備投資や賃金等に動けば日本は随分と変わってくる筈だ。

――確かに労働法制はもう少し考えるべきだ。政策としてやるべきことは…。

 神田 今の社会はゾンビ企業を守っていると言われている。正規職員をゆりかごから墓場まで守るために、非正規雇用の人たちや若者を犠牲にしている部分もあり、そういったあらゆる動きは経営側、労働者に関わらず、すべて既得権益の下で行われている。例えば労働組合は、自分たちの雇用を守るために長い間賃金を上げる努力を怠ったし、非正規の人たちを差別化してきた。最近ようやく非正規の人たちに配慮するようになったのは、労働組合の参加者が少なくなってきたからだ。そういった部分をしっかりと是正し、多様な人たちが幸せになるような目を皆が持たなければ雇用は回らなくなる。また、例えば補助金づけで努力せずに生きることが出来てしまうようなシステムを作れば、モラルハザードが生み出される。そして自力で利益を生み出せないような生産性の低いところに資源が浪費され、さらに社会主義国の最大の問題の一つ、レントシーキングが非効率と腐敗を生みかねない。最近では、半導体が良い例だが、経済安全保障の観点からも、他国に負けない様にと各国が補助金競争を行うような傾向が強まっており、これはかつての法人税引き下げ競争のようにならないよう、国際ルール作りを考える必要があろう。

――ゾンビ企業を退出させるために必要な事は…。

 神田 市場の新陳代謝機能、金利の資源分配機能を取り戻し、物価と賃金、賃金と設備投資の好循環にもっていくことだ。繰り返すが、低収益低賃金企業を保護すると資本や労働が生産性の低い分野に固定されて、失われた30年が今後も続いていく。反対に、新陳代謝と労働移動が進めば第一次所得収支が日本に戻ってくる。そうすれば、海外から日本に投資してくれる人も多くなってくる。経常収支黒字の大層は第一次所得収支であり、それが日本に回帰するようにすべきだ。そうすることで日本の設備投資や賃金上昇に資金が費やされる。政府はこれを邪魔しないというのが一番重要な事だ。

――金利を上げると国債を多発している日本は大変な事になる。また、金利を上げることでさらに円高が進むという見方は…。

 神田 金利を上げると言っても今もほぼゼロ金利だ。また、資本主義経済において金利という価格が資源分配をつかさどるところでゼロが続いたため、適切な分配が出来ずにモラルハザードが起き、ゾンビ企業がひしめくようになってしまっている。もし普通に成長したいなら、金利が上がるのは当然の事であり、それに耐えられない企業は退出することになる。日本が少子高齢化による社会保障の負担増や、大地震や津波などの天災への対応、さらに厳しくなる地政学的状況において安全保障に臨機応変できる財政余力を備えるためにも、金利が上がる事を心配するのではなく、金利が上がっても耐えられるような財政構造に一刻も早く立て直さなければならない。持続可能な財政に向けた努力によってマーケットの信頼を得ることが重要だ。

――マーケットで信頼を得る事が出来なければトリプル安の恐れが出てくる…。

 神田 今、日本の格付けはシングルAだが、格付けは一度下がるとものすごい勢いで下がり続け、あっという間に投資適格を失ってしまう。パンデミックが終わり、インフレで困っている今でも大量の補助金を続けている国は殆どなくなっている。もちろん、それ自体は必要だが、防衛費のような恒久的な歳出増に対し、安定的な財源がないという今の日本は、極めて異常な状況にあるという事をきちんと知るべきだ。いつ、かつてのイギリスのような放漫財政が招いた金融危機に陥るかわからない。そういった健全な危機感をきちんと持って早く対応しなくてはいけない。[B]

――日本投資顧問業協会と投資信託協会との統合に向けた取り組みが進められている…。

 岡田 投資信託協会は、証券投資信託の健全な発展を図るために、証券投資信託委託業務を兼営する証券4社で1957年に創設した長い歴史を持つ協会だ。一方で、投資顧問業協会は投資ジャーナル事件という一種の詐欺事件が起きたことをきっかけに、悪質な投資助言業者を取り締まるために作った「投資顧問業法」という法律に基づいて設立された協会で、その歴史は30数年と浅い。出自も毛色も違うこの2つの協会は、これまでにも2度、一緒にしたらどうかという話があった。1度目は1995年、金融・証券関係の規制撤廃が進んだことで、それまで兼業禁止とされていた投資信託委託業と投資一任業の兼営が可能となった時だ。しかし、当時の投資顧問業協会は「投資顧問業法」の中に記された協会であり、同様に投資信託協会も法律の中に名称が記された協会であったため、両協会を統合する為には法律を変える必要があり、そこで立ち消えとなった。2度目の機会は2007年、金融商品取引法が施行されたことで投資顧問業法が撤廃された時だ。これにより当協会は法律の中に記されていた名称の縛りがなくなった。同じく投資信託法改正によって投資信託協会という名称も法律に記されない事になり、その時に投資信託協会の方から両協会の統合を提案された。しかし、投資信託協会が公益社団法人を目指していた一方で、投資顧問業協会の業務内容では公益社団法人の要件を満たせないと内閣府から指摘を受けた。本来、公益法人は直接国民が被益することが必要なのだが、当協会は年金を通じての間接的な被益であり、また、会費の違いから投資助言業と投資運用業で議決権に差を設けている。そういった理由から当協会が公益法人として認められず、再び統合の話は破談となった。

――今度は3度目という事になる…。

 岡田 3度目の正直で、今回の統合話は昨年末、金融庁から両協会の会長に対して「これから日本が資産運用立国を目指すために、この際一緒になったらどうか」という声がかかった事に始まった。それをきっかけに両協会の会長が話し合いを行い、このプロジェクトを本格的に進める事になった。当協会会員の運用資産額は600兆円を超えており、投資信託協会会員の運用資産額と合わせると900兆円を超える。これは直近の銀行・信金貸出平均残高の623兆円を超え、同預金残高1,053兆円に迫りつつある。この資金規模は膨大であり、ある意味「資金運用立国」は、これだけ積みあがったお金をどう循環させ経済に活かしていくのかを、後追い的ながら真剣に考えようとしているとも言える。

――両協会が統合される事で、具体的にどのような相乗効果があると予想されるのか…。

 岡田 投資信託も投資一任契約も、入口が違うだけで背後の運用は同じだ。どのようなエンゲージメントにすればより良い運用になっていくのか、ESGに対してどのように取り組んでいくのか、世界の潮流をどう捉えていくのか等について、一緒になって取り組んだ方が効果的だ。一方で、資産運用業界は調査研究機能が弱いという課題がある。例えば様々な課題に対して資産運用業界として提言しようにも、その前提となる事実を調査・確認できなければどうしようもない。金融グループに属する資産運用会社は、グループ全体の研究所は持っていても、資産運用会社として独自の研究所は持っていない。中小独立系の資産運用会社に関してはそもそも研究所を持つ余裕はない。同様に当協会の職員約30名、投資信託協会職員約50名を併せても80名程度であり、調査研究機能を果たすことは難しい。さらに言えば、国際的な枠組みを持っている訳でもない。約400名の職員規模を持つ証券業協会と比較しても脆弱であり、外部から様々な協力を得るとしても、独自に新たな方策を考えていかなければならない。もちろん、当協会は会員企業の皆様の会費によって運営されているため、統合してやるべきこと、やった方がいい事、やりたい事、全ては会員の皆様がどれだけそれに理解を示してくださるか次第だ。こういった様々な事柄について、現在、理事の方々を含めて皆様との対話を進めている。

――日本を資産運用立国にするという話は以前からあった…。

 岡田 日本政府による「貯蓄から投資へ」という取り組みはずいぶん昔からあったが、それは直接個人投資家と接する販売会社について、例えば証券会社の顧客対応や銀行の窓口販売についての議論が中心だった。一方で、今回日本政府が進めている「資産運用立国」という話は、資産運用業界そのものを捉えた議論になっている。これまで日本は資産運用業界だけに着目して国を挙げて議論してきたことは無く、初めての取り組みだ。単に資産運用業を発達させるためや、国民の資産を増やすためだけではなく、より直接金融中心の世の中にしていくことで、国内のお金の流れを変える事にも繋がっていく。直接金融の流れになった時に企業はどう動くべきか。今、東証がもっと株価や資本コストを意識した経営をするように提言しているのも、資金の流れが銀行中心から市場中心に移っているからであろう。政府は、大きな資金の流れの中で足らざる部分にしっかりとお金を回していけるようなインベストメントチェーンの役割を、国としてしっかりと考えていくために、今回の資産運用立国の議論を行っている。そして、それに応えられるような業界団体・自主規制団体が登場してほしいという思いが金融庁にあるのだと理解している。

――金融庁は資産運用業のガバナンスを唱えている。統合して出来る新しい協会は、そのカウンターパートナーにもなり得るのか…。

 岡田 もともと当協会は政府と資産運用業界の懸け橋となっていた。当協会と金融庁の直接的な意見交換はもちろん、金融庁と資産運用業界が意見交換する場の仲介役となることもある。日本における資産運用会社の歴史は浅く、金融グループに属する子会社が多かったため、資産運用会社の社長が直接金融庁幹部と意見交換することは少なかった。また、日本では業界の個社が直接行政に物申すよりも、協会を通じて業界の意見を伝える方が便利だという考えが強い。これが米国であれば、同一業界の人たちが集まり業務について話し合うと談合予備行為になるおそれがあり、日本流の業界団体が育ちにくい。一方、日本の場合はそれほど法の縛りがきつくない為、業界内で話し合いやすい環境にあるとも言えよう。ただ、両協会が統合してどんなに頑張っても、業界が発展していくためには個々の資産運用会社の意識や行動が変わらなければどうしようもない。協会が新たな変化を遂げるとともに個々の会社も頑張って、この業界がどんどん伸びていってほしい。

――今後の日本は、金融が日本経済の牽引役となっていく…。

 岡田 金融の独り相撲ではなく、企業が変わっていく事が大前提だ。昔の企業は、資金繰りは銀行に頼み、分厚い持ち合い株で株主総会を乗り切っていけたが、これからの時代はそういう訳にはいかない。いわゆる「モノ言う株主」も、昔は短期的な利益を求めるだけと非難されたが、最近では中長期の成長を目指す株主提案もするようになってきた。同じように中長期の持続的成長を求める資産運用会社としても、考えが一致すればそうした株主提案に賛同する流れになってきている。安倍政権で策定されたコーポレートガバナンスコードは、そもそも成長戦略の一環として作られたものであり、株主と建設的な対話を進めながら、持続的な成長をしてくためにはどうするべきかを各企業に考えてもらいたいという政府の意図が背景にある。株式市場や株主総会を中心とした最近の変化を見ていると、それが今、ようやく花開いてきていると言えるのではないか。[B]

――昨年6月に全国信用協同組合連合会(全信組連)理事長に就任した…。

 北村 23年は3カ年の「経営の中期的戦略」(中計)の最後の年で、着任から半年間、新たな中計(24~26年度)の作成にあたった。当初は、信用組合(信組)業界の全体像のイメージがつかめず、信組のニーズも分からない状態だった。そのため、年3回行う地区別懇談会の秋の回で、あらかじめ信組から募った意見について対話することを試みたところ、約450件と非常に多くの意見が集まった。いただいた意見を基に、前回の中計を振り返りながら、次の3年間で何をやっていかなければいけないのかということを考えた。前回の中計の基本的コンセプトは「全国信用組合中央協会(全信中協)との一体的運営のさらなる緊密化」だった。このコンセプトについて振り返ると、経営資源の効率的な運用が可能になったことなどメリットもあったが、中央組織の改革に注力する一方で信組の意見を十分に吸い上げられていないという課題があることも分かった。それを踏まえてまとめた新しい中計では、原点に返り、目指すべき姿を「すべての信用組合に万全なサポートを提供できる中央組織」と示した。施策としては、「信用組合へのサポート強化」「DX推進・ITガバナンス強化」「全信組連の収益力強化」の三本柱を進めていく。加えて、それを実現するための組織のあり方として、「強じんな組織づくりと職員一人ひとりの成長」を促していくことにした。

――「信用組合へのサポート強化」の具体的な取り組みは…。

 北村 まず、有価証券運用のサポートを強化する。信組の預貸率は6割程度で、残りの4割は預け金か運用資金だ。これまでは運用の相談先が証券会社に限られ、本当に信組にとって妥当な助言が得られるか分からないという課題があった。そこで、全信組連が第三者機関として、リスクとリターンが見合っているか、流動性が確保されているかなどを確かめ、信組にとってより良い選択をアドバイスしていく取り組みを強化することにした。実は、有価証券運用のサポートは以前よりアドホックに実施していたが、サポートの存在を知らず利用しない信組が多数あった。このため、窓口として昨年12月に信用組合部内に「信用組合サポート本部事務局」を作り、専務理事を責任者に置くことで実効性を高めた。さらに、この7月には同組織を部相当に格上げし、預金貸出や企業の伴走支援などの本業へのサポートも併せて行っていくこととした。全信組連自身は預金貸出や伴走支援に長けてはいないので、業界のなかで知見や情報を流通させる仕組みを作っていきたい。本業で成功している信組はたくさんあるが、規模が大きい信組や、先進的な取り組みに熱心な理事長がいる信組に限られる傾向にあり、成功例を共有できれば後続の取り組みにつながるだろう。ゆくゆくはデータベースを整備し、信組の役職員が直接見ることができる形を目指したい。

――「DX推進・ITガバナンス強化」とは…。

 北村 私の前職は全国信用金庫協会の専務理事だった。信金業界と信組業界を比べると、信組は規模が小さくDXが遅れている。信組の約98%は、システム共同センターである信組情報サービスのシステムを利用している。共同センターでどういうシステムを構築・開発するかが信組業界のITのあり方を決めるということだ。これはある意味でやりやすい面もあるが、信組の規模・態様によってシステムに求める水準が異なるため、コンセンサスを得ることが難しいという課題がある。規模の大きい信組ほど高度なシステムを求める一方で、小さい信組は費用負担の少ない必要最低限のシステムで良いという希望を出す。また、信組業界では地域以外の職域・業域によってシステムに求めることが異なることもある。しかし、信組業界がDXの流れに追い付いていくためには、数百万円の費用負担が難しいような規模の小さい信組も含めて引っ張っていかなければいけない。新しい中計では、システムインフラ構築・運営に要する費用の一部を全信組連が負担することでDXを後押しする方針を盛り込んだ。そして、「システム業務部」を「IT・DX推進部」に再編したほか、総合企画部には組織内のデジタル化のニーズをまとめ、IT・DX推進部と議論するグループを新設した。また、全信組連、全信中協、信組情報サービスで構成する「IT・DX戦略委員会」を作り、そこで業界としての方針を策定することにした。それぞれの意見の最大公約数を探すことは非常に大変だが、われわれも各信組も、早くDXにキャッチアップしなければならないという意識は強い。

――「全信組連の収益力強化」にも取り組む…。

 北村 3カ年の目標として、最終年度である26年度の単年度利益100億円という水準を設定し、金利上昇に耐えられるポートフォリオづくりを進めている。全信組連の22年度単年度利益は約75億円だったが、23年度単年度利益は約15億円まで減少している。米利上げや日銀の金融政策正常化にともなう金利上昇が予想されたことから、昨年度後半よりポートフォリオの見直しに着手し、超低金利の時代に買った超長期国債は損失を計上してでも売却した方が得策と判断した。足元では、投資信託等の非金利商品の含み益がポートフォリオの下支えとなっている。J―REITは安定して3~4%の利回りが得られるが、いまは金利上昇局面で軟調な展開が予想されることから、一部を売却し国内株ETFに乗り換えた。われわれは外貨では運用しない方針だが、株式から非金利収入を得ていくことについては考えていかなければいけないと思う。今後の運用について言えば、金利リスクを考えると直ちに長期国債を買うことは躊躇する。しばらくは5年以下の事業債などで運用していき、金利の先行きが見えれば長期債にだんだんと乗り換えていく方針だ。

――理事長として抱負は…。

 北村 先ほど申し上げたように、私は縁あって信金業界から信組業界に移ってきた身だが、信金・信組とも協同組織金融の担い手としては同じ方向を向いているはずであり、業態を超えて学んだり、同じ地域で連携したりする際の架け橋になれればと思う。また、就任してからは「中央組織が意見を聞いてくれない」という批判をよく耳にしてきた。できるだけ信組との距離を縮めようと思い、全国行脚と称して個別信組訪問を重ねている。この1年間では約50信組を回ることができた。実感しているのは、やはり信組業界のビジネスモデルの幅広さだ。例えば、全信組連の山本会長が理事長を務める広島市信用組合は本業の預貸業務に特化している一方、長野県信用組合は事業性融資に加え有価証券運用に長けており、ともに高水準の利益を上げている。他方、大阪の複数の信用組合は旺盛な需要を背景に不動産融資に積極的に取り組むことで業容を拡大させているが、バブル崩壊時に苦労された銀行出身者が在籍する信組もあり、リスク管理にも大変気を遣っている。地方に行けば、地方創生を強く意識して、自治体と連携して事業を行っている信組もある。まさに「狭域高密度」で、とにかくそれぞれの地域などに密着した、非常に幅の広いビジネスモデルがある。地方の信組の理事長さんと話すと、地域と「運命共同体」であるという認識が骨の髄までしみ込んでいるのだと感じる。地元の中小企業、小規模事業者にどのような支援ができるか、一生懸命に考えている姿を見ていると、全信組連の理事長としてできる限りこれを支えていきたいと感じる。その一環で、幅広くわれわれの活動を評価するためのKPIとして、今回の中計の3年間は、毎年「満足度調査」を実施する。昨年の秋から現在までのように、信組の皆さんから意見を集め、それを踏まえて対話し、われわれの役割を再考するという1年間のサイクルを繰り返すつもりだ。信組の皆さんに満足してもらえるように頑張っていきたい。[B][L]

――この度、御社の格付けが引き上げられた…。

 荻野 今回、当社がR&Iから格上げされた理由は、当社が長年かけて取り組んできたウェルスマネジメント部門における資産管理型ビジネスモデルが着実に進展してきたことと、運用資産残高を着実に積みあげ、安定収益を拡大させてきたアセットマネジメントビジネスが評価されたものと認識している。また、グローバル・マーケッツはマーケットによって収益ボラティリティが高まるが、当社では上手くリスクをコントロールしながら、より経営の安定化を進めてきた。これも大きな格上げ要因になったと考えている。

――女性の活躍という面でも、長い間一貫した取り組みを進めている…。

 荻野 2004年に社長に就任した鈴木茂晴現名誉顧問から、当時人事課長だった私は「女性が辞めない会社にしてもらいたい」という相談を受けた。そこで女性活躍推進チームを立ち上げ、色々な制度を導入しながら、女性が働きやすい職場環境を作り上げていった。それから20年間、一貫して働きやすい環境づくりを追求し、その流れが今ではダイバーシティ&インクルージョンの推進へと繋がっている。当社のダイバーシティ&インクルージョンの取組みについては、学生の間にも浸透しており、就職人気ランキングではありがたいことに毎年上位企業となっている。

――ウェルスマネジメント部門が着実に伸びている。その背景には…。

 荻野 ウェルスマネジメント部門では地道な積み上げが重要だ。かつての証券会社は商品を売買する際の「手数料」が収益の主体だったが、現在では、しっかりと残高を積み上げ、その残高に対する「フィー」を頂くビジネスが主流となっている。マーケットが大きく動いた時にも、慌てず常にお客様に寄り添い、実直に資産管理型営業を続けてきたことが、今の当社のウェルスマネジメント部門の強みになっている。実際に、2007年に販売を開始したファンドラップの残高は、足元では業界トップクラスに成長している。しかし、ウェルスマネジメント部門においては、まだまだ効率化できることが沢山ある。特にコンサルティングを行う上で、お客様の多様なニーズに対応するとなると、足りないパーツも多くなってくる。その辺りを自前、或いは提携や買収するなどして補強していきたいと考えている。

――多様化も着実に進めている…。

 荻野 中田誠司現会長は「クオリティNo.1」と「ハイブリッド戦略」を基本方針として経営を進めてきた。当時の私は企画担当としてハイブリッド戦略の遂行・実務を担当していた。証券会社は、マーケットが下がればどんなに頑張っても利益を出すことは難しく、業績のボラティリティが高い。当社はリーマンショックも経験してきた中で、マーケットに左右されない強靭な経営体制を構築するためには、証券業務で得られる収益のさらなる拡大と収益源の多様化が欠かせないという考えのもと、ハイブリッド戦略として、証券業務による利益との連動性と相関関係が低い業種で、且つ証券業務が強みとなって活かせる不動産アセットマネジメント事業や再生可能エネルギー事業を手掛けてきた。不動産相場は株価と比べると値動きは安定しており、安定的なキャッシュフローを裏付けとして証券化し、投資家に販売することもできる。再生可能エネルギーも同様に、多少景気が悪くなってもエネルギー消費量が突然半分になるということは無く、証券化して販売することもできる。すでに再生可能エネルギー事業では、一部を私募ファンド化して投資家に販売した実績もあり、こういった伝統的な証券業務以外で得られる収益の比率を大きくすることで経営の安定性を高めている。他にも、子会社の大和フード&アグリが農園経営を行っており、パプリカやトマトの生産・販売を行っている。こちらはまだ「種」の段階ではあるが、今後証券化していくことを検討している。

――グローバル・マーケッツ&インベストメント・バンキング部門(以下、GM&IB部門)の具体的な目標について…。

 荻野 今回の新中期経営計画では、2026年までにウェルスマネジメント部門で840億円、アセットマネジメント部門で910億円、GM&IB部門で605億円、これにインオーガニック戦略を加えて、総額2400億円以上の経常利益を目指している。GM&IB部門については使用する資本が大きい一方で業績のボラティリティが高い。実際にここ3年間平均の使用資本比率は52%に対してROEは5%にも満たないため、全体に対する使用資本構成比率を減らしつつリターンを拡大させたい。資本対比のパフォーマンスを上げるために、ウェルスマネジメン部門とアセットマネジメント部門の使用資本を大きくして、相対的にGM&IB部門の使用資本の構成比が減少してくるという形で、利益水準は車の両輪のような形できちんと確保していきたいと考えている。日経平均株価が34年ぶりにバブル期の高値を超え、いよいよ日本もデッドガバナンスからエクイティガバナンスへとシフトしてきている今、企業経営者には資本効率を重視したチャレンジングな経営が求められてくる。アクティビストの声に応えて自社株買いを行うといった保守的な運営だけでは縮小均衡になってしまう。そうならないように、リスクマネーをしっかりと成長分野に投入し、日本経済を発展させていくことが大切だ。もちろん自社株買いも一つの戦略として資本効率を高める手立てではあるが、日本が30年余り過去の株価高値を超えられなかった間に、米国等の一部海外は着実に成長を遂げて、当時の株価から10倍にも15倍にもなっているという事実を忘れてはならない。日本経済の成長のために資本を効率的に活用することを考えると、GM&IB部門ではM&AやPO、MBOなど色々なコーポレートアクションが想定され、我々が提案出来る材料も格段に増えている。これらの機会を取りこぼすことなく、しっかりと掴んでいきたい。

――あおぞら銀行との資本提携については…。

 荻野 あおぞら銀行とは、同行が債券を発行する際に当社が主幹事を務めたり、過去には、大和あおぞらファイナンスという合弁会社を作っていたこともあり、長年懇意にさせていただいている。我々はグループ内に100%子会社の大和ネクスト銀行を有しているが、大和証券のお客様の利便性を高めるための銀行で、ローン機能がなかったため、ローン機能を持つあおぞら銀行との提携は機能強化につながる。提携発表当初はウェルスマネジメント部門、不動産関連ビジネス、M&A関連業務、スタートアップ支援の4項目での協力体制を考えていたが、その後、現場から様々なアイデアが出ており、この他にも何か新しいビジネスが出来ないかを検討している。ただ、当社が保有するあおぞら銀行の株式は現在23.95%で、基本的にはお互いの独立性を尊重しながら、一緒に出来る部分で協力していこうというスタンスにある。

――最後に、新社長としての抱負を…。

 荻野 お客様から最も信頼してもらえる会社にしたい。一言で言えば、「大和が好きだ」と思ってもらえるお客様や株主の方を一人でも多く増やしていきたい。今まで中田現会長が進めてきたビジネスは極めて正しいものだと考えており、私はそれをさらに加速させて邁進していきたい。社長就任時の社内放送では、社員に向けて、スピードを意識する事、現場のリーダーシップを大事にする事、そして適正なリスクを取る事の3つの重要性を伝えた。かつての証券会社は狩猟民族だと言われて貪欲なイメージがあったが、この30年間、マーケットが停滞する中で、ある意味上品な感じになってきた。我々のビジネスは、お客様にリスクを取っていただいて初めて成り立つもの。だからこそ、自らも適正なリスクを取らなくてはならない。「リスク」と言うとすぐに財務的な話をイメージする人が多いが、オペレーションのやり方を少し変えるだけでも、それはリスクと言える。何かを変えて、不都合が起こるかもしれないが、メリットもある。何かを変える事が「リスクを取る」事であると考えている。その一歩として、私は先ず社長就任とともに、あおぞら銀行やかんぽ生命との提携、新TVCM作成、オフィスカジュアル導入等を、スピード感をもって進めてきた。これからも出来る範囲でステークホルダーの皆さまに喜んでいただけるような事をやっていきたい。[B]

――「森は海の恋人」とはどういう意味を込めているのか…。

 畠山 私は宮城県の気仙沼で牡蠣やホタテなどの養殖業を営んでいる。海には魚や貝をはじめあらゆる生き物がいるが、そのすべての源は植物プランクトンであり良質な植物プランクトンが存在すれば、黙っていても品質の良い海産物が育まれる。私は36年前から気仙沼の海に流れ込む大川の上流、岩手県の山々で落葉広葉樹の植樹を行っているが、これはその腐葉土に含まれる成分が植物プランクトンの活動を活発にして海を豊かにするためだ。漁場の近くの森林、「魚つき林」が失われると魚がいなくなってしまうことは遠い昔から知られており、明治時代までは守られてきたが戦争のための資材として森が切られてしまった。戦後には住宅用建材の確保のために針葉樹が植えられてきたが、これでは海を育めない。気仙沼は漁業だけでなく歌も盛んな地域で、代表的な歌人の熊谷武雄が「手長野に 木々はあれども たらちねの柞(ははそ=クヌギやナラの古語)のかげは 拠るにしたしき」と詠んでいる。木々の中でも特に、クヌギやナラは母のそばにいるようで心が安らぐという意味なのだが、海を育むためにはこの母なる柞の森を再生する必要がある。こういった森と海との関係性から「森は海の恋人」というスローガンを掲げて活動を行っている。

――広葉樹の腐葉土がどのように海を豊かにするのか…。

 畠山 人間をはじめとした動物にとって鉄分が重要なことは広く知られているが、植物にとっても鉄は重要だ。光合成を行う葉緑素が作られる際には鉄が必要となるためだ。昔から盆栽の松には釘を刺せと言うがこれだ。海中の植物プランクトンにとっても鉄分が必須であり、海に鉄を撒くと葉緑素が沸き立ち牧草の青い匂いがする。それぐらい鉄はものすごいものだが、海中では数日で酸化して海底に沈んでしまうため岩石などから川に染み出した鉄がそのままの状態で海中に流れ込んでも効果が限定的だ。この、鉄分が海中に長くとどまらないという問題を解決するのがクヌギやナラの腐葉土に含まれているフルボ酸という物質だ。鉄分が溶けている水にフルボ酸が混ざると鉄と化合し、水中で酸化せず沈まない好条件の物質、フルボ酸鉄ができる。このフルボ酸鉄が豊富に流れ込むことで植物プランクトンが活性化し海が豊かになる。このような関係性を北海道大学の松永勝彦先生が30年前に明らかにした。

――CO2の問題とも関係してくる…。

 畠山 光合成によるCO2の固定化は陸上の森林によるものがイメージされるが、海中の植物プランクトンによっても行われる。つまり海にも大森林があるということだ。南極大陸の周囲には広大な海があり、植物に必要な三大栄養素である窒素・リン酸・カリウムが豊富に存在しているが植物プランクトンは少ない、ハイニュートリエント・ロークロロフィル(高栄養低葉緑素)な状態にある。これは南極の海に鉄が不足していることに起因しており、40年前にこの事実を突き止めたアメリカの分析科学者ジョン・マーティンは「私に30万トンの鉄の粉を与えてくれれば、地球を寒冷化して見せる」と言ってネイチャーの表紙を飾った。

――鉄を地球上にばらまけば光合成が進むため、地球が寒冷化すると…。

 畠山 地球は寒冷期と温暖期を繰り返している。南極のボストーク基地では氷床のボーリング調査が行われているが寒冷期の氷の層では黄砂のような鉄の粉が観察されており、鉄分の供給量と寒冷化の関連性が示唆されている。近年、気仙沼でカツオが豊漁であるが、黄砂が飛来するようになった時期と重なるため、これも関連があるのではないかと考えている。前述のとおり鉄は海中で酸素と結合して錆びて海底に沈んでしまうので、その効果は数日ほどしか続かない。しかし、フルボ酸鉄であれば非常に効果がある。フルボ酸鉄をタンカーに積み込み南極の海に撒くことができれば、光合成により大量のCO2を固定化できる見込みがあり、温暖化問題の解決に繋げられる可能性があると考えている。その必要量など様々な課題はあるが、フルボ酸の量産化の研究も進んでいる。現在の化石燃料の使用を前提としたシステムでは効率化を図っていったとしても問題の解決は難しく、光合成に頼っていくほかない。製鉄業においては特にCO2を大量に排出するが、鉄がないと光合成ができないという、鉄とCO2の面白い関係性に救いもある。

――この好条件の物質が腐葉土からできる…。

 畠山 日本には約3万5千の川があり落葉広葉樹の森からフルボ酸鉄が海に流れこむことで海産物がよく育っているが、流域に多くのダムが存在することでフルボ酸鉄が海まで届かず、ダム湖の底に沈んでしまう問題がある。日本の高度な土木技術によって、フルボ酸鉄をうまく取り出して無駄にせずにすむ方策を講じることができないか、また、人口の減少に伴い従来ほどダムが必要でなくなっているため、ダムを壊して数を減らすなど、この国のグランドデザインをそこまで視野に入れて考えなくてはならない。その点、全国で植樹が行われているが、重要なのはその場所が緑化されるというだけのことではなく、フルボ酸を供給する源になっていることだ。ゆえに植樹のコンセプトは「森は海の恋人」であってほしい。徐々に柞(ははそ)の森に変えていくことで海産物の育成とCO2の削減につなげていくことができればこの国は大丈夫だ。長年の植樹活動を通じて皇族と交流する機会にも恵まれ、森と海の関係性について何度も上皇ご夫妻にお話をする機会を頂くことができた。また、そのようなご縁があり「森は海の恋人」の活動が英語の教科書に載ることになった際には、このスローガンの英訳を美智子さまにお願いしたところ、「long for」という熟語を使ってはどうかと素晴らしいご提案をいただいた。「The sea is longing for the forest」すなわち海はフルボ酸鉄を届けてくれる森をお慕い申し上げておりますということだ。[B][HE]

――ITセキュリティーへの関心が一段と高まっている…。

 滝澤 当社ブロードバンドセキュリティ(4398)はセキュリティー監査/コンサルティング、脆弱性診断、情報漏えいIT対策の3つの分野からなる企業向けITセキュリティーサービスを提供している。2000年に第一種電気通信事業者として設立されたが、大手通信キャリアと競合する厳しい環境のなか、顧客の「セキュリティーをサポートしてほしい」という需要に応えて、06年からセキュリティー事業を柱としてきた。当初は、大手SIer(システムインテグレーター)社員など皆に「セキュリティーは事業として成立し得ない。絶対にあの会社はつぶれる」と言われていた(笑)。15年ごろまでは世間から斜に見られていたが、7~8年前から世界観が変わり、4~5年前からさらにその変化が加速してきた。

――なぜ見直されたのか…。

 滝澤 システムへの不正アクセス、ランサムウエアによる個人情報漏えいや重要インフラのシステム停止など、サイバー攻撃による被害が急増してきたためだ。22年のトヨタ自動車(7203)のサプライチェーン停止のように被害が甚大な場合も多いうえ、以前より攻撃への対応が難しくなっている。例えば、近年問題になっているランサムウエアはほとんどが国外で作成されており、社員による漏えいなどと異なって警察も打つ手がない。そのため予防策が重要だが、ファイアウオール、IDS/IPS、アンチウイルスソフトなどだけでは被害を防ぎきれなくなっている。端末1台ごとの挙動を確認し、怪しいサーバーと通信があったらそれを検知して止めるという対応を、リアルタイムで24時間365日行わなければいけない状況だ。当社は以前からそのような本格的なセキュリティーサービスを行っているが、7~8年前までは顧客は超大手企業だけで、その他の企業はリスク管理でいう「受容」にとどまっていた。しかし、今は準大手、中堅まで顧客のすそ野が広がってきた。各業界で安全対策を強化する気運が高まり、「最低でもこれくらいはやらなきゃいけない」という感覚が浸透してきている。

――次の展望は…。

 滝澤 AI(人工知能)技術に対するセキュリティー対策だ。AIは相当な勢いで進化し、世の中の仕事が取り込まれるくらい発展すると見込んでいる。今は、ちょうどインターネットが日常に登場し始めた95年ごろと同じだ。2000年代に入ると名刺にメールアドレスを載せるようになり、06年には当社がセキュリティーサービスを始めているが、95年当時はインターネットがこれほど大きく世の中を変え、セキュリティー対策が必要になるとは誰も思っていなかった。メールのセキュリティーについて言えば、個人間だけでやり取りしていた初期にはウイルスやスパム、詐欺は想定されていなかったが、一般に広まるにつれてそれらの迷惑メールが増えた。まず「未承諾広告※」を件名冒頭に入れる義務が作られたが、いたちごっことなり、その後、送信元の信頼性を確かめる仕組みなどの対策が取られた。AIは同じような発展の道筋をたどる可能性が非常に高い。

――AIセキュリティーとは何をするのか…。

 滝澤 AIがトライアルではなく、本当に技術要素として業務や事業に組み込まれてビジネスが成り立った時には、AIが作った偽の文章・画像・動画を見分ける技術、AIで生成した情報が正しいかどうかを見極める技術が必要になる。そして、AIによるAI判定は、現状は機械学習によるパターン認識だが、AIが進化すればやはりいたちごっことなり、違う仕組みが必要になる。おそらく生成システム自体の信頼性の高さを判定するサービスなどが生まれるだろう。それらのサービスはAIが普及すれば絶対に使われるが、そうなった時に始めても間に合わない。逆に言えば、それらのセキュリティー技術を確立しなければ、AIは本当の意味で価値を持った情報にはなり得ない。AIセキュリティー事業の規模感はまだ分からないが、今から少しずつでも取り組んでいくことが当社の使命であり、先行投資をしていく必要があると思っている。今はAIをどのように使うかという議論が盛んだが、われわれはそれを裏から支えるセキュリティー技術によって、産業構造の変化を支えていきたいと思う。

――動画データの活用にも目を向けている…。

 滝澤 4月に当社はティ・エム・エフ・アース(東京都渋谷区、TMF)と資本・業務提携を結んだ。TMFには、動画を最大10分の1のサイズに圧縮する独自開発の超圧縮技術がある。動画データはストレージコストが高くサーバーの料金が莫大になるため、これまで活用の仕方が限られ、セキュリティー対策も進んでこなかった。TMFとの提携を通じて、改ざんされていないことの真正保証や、動画データへのアクセス監視などの事業を開発するつもりだ。例えば、工場にある監視カメラについて、映像に異常があったら検知する仕組み、保存する動画データの信頼性を保証する仕組みなどが考えられる。動画データの活用はセキュリティー技術を組み合わせることでもっと世の中に広がっていくと思う。また、これはAIの発展にも関係するテーマだ。AIの進歩に比べ、最大のインプット情報である動画にセキュリティーのデファクト・スタンダードは未だ存在しない。当社はそれを取りに行く。今回の資本・業務提携はそのための布石だ。

――株主に向けた抱負は…。

 滝澤 セキュリティーを専業とする上場企業の数が今の10社程度から100社、200社になって、「情報・通信」業界ではなく「情報・通信・セキュリティー」業界と呼ばれる時、そのなかのトップでいられるようなポジションを目指したい。私は89年にCSK系列の共同VAN(現SCSK(9719))に新卒で入社した。CSKは業界で最初に上場した会社だが、当時はコンピューター関係の上場企業は10社もなかった。大川功社長(当時)がよく言っていたのが、「市場に情報サービスというカテゴリーができるぐらいたくさんの会社が上場しないとダメだ。そのなかでトップを張るんだ」ということだ。私はそれが鮮明に記憶に残っている。当社は「便利で安全なネットワーク社会を創造する」というビジョンを06年から掲げている。ITやDXを裏で支える会社として、市場とともに大きく成長していくポジションにある会社だと思う。ぜひ将来を楽しみにしていただきたい。

――東証への意見は…。

 滝澤 セキュリティー業界にいて思うのは、「なぜコーポレートガバナンス・コードではセキュリティー対策について一行も触れていないのだろう」ということだ。例えば、21年にニップン(2001)がサイバー攻撃を受け、22年3月期第1四半期の決算報告書の提出を約3カ月延期したことがあった。財務の問題であれば同じことは認められないはずだが、なぜセキュリティーの問題では許されるのか。どこまでやるかは企業によって違うにしても、各社がCISO(Chief Information Security Officer)、またはCSO(Chief Security Officer)といったセキュリティーの責任者、担当役員を置くべきだろう。上場企業にセキュリティー対策が不可欠な時代になっているなか、企業統治上でセキュリティー対策を問題にしないことには首をかしげる。[B][L]

――SMBC日興証券として初の理系出身の社長だ…。

 吉岡 88年に慶應義塾大学理工学部から旧日興證券に入社した。私が卒業する3年前、85年卒のころから、数字に強みを持つ理系の学生が金融機関や商社、コンサルティングファームに就職する流れが徐々にでき始めていた。かつ、当時は理系で学んだというだけの20歳過ぎの人間だったが、経済に貢献する仕事がしたいという漠然とした思いがあった。そのうえで、とりわけ証券会社のダイナミズムを感じたいと考えていたことが入社の動機だった。今では理系の学生が金融資本市場で就職することも珍しくなくなった。

――収益の動向は…。

 吉岡 ホールセールビジネスの話をさせていただくと、われわれには一定の競争力があると思っている。21年に発覚した不祥事案ではお客さまにご迷惑をおかけし、22年度は法人関係でお取り引きが減少し、収益がかなり落ち込んだ。市況の影響もあるが、その反動で23年度はホールセール部門の収益が増加した。お客さまに戻ってきていただいたこともあり、ニーズに応えられることが増えてきたと実感している。特に、非公開化なども含めM&A案件でサポートすることができた。今、国内においてM&Aは過去最高水準のニーズがあり、件数が伸びている。昨年から日本の株式市場が世界的に注目を浴び、企業業績が良くなっていることに加え、企業が事業ポートフォリオや還元策の見直しを積極的に行っているためと見受けられる。同年にSMBCグループは米ジェフリーズと資本業務提携を強化し、23年度の米ジェフリーズと連携してのグループ全体の協働案件数は約100件まで増加した。グローバルビジネスの拡大に向けて、今後も海外の案件へのアクセスがカギとなるだろう。

――SMBCグループとの連携の成果と課題は…。

 吉岡 09年秋にSMBCグループの一員となり、今年で15年目となる。限られたリソースのなかでお客さまに最大限のサービスをするためには、グループ内の連携体制が大変重要だ。近年はグループの戦略として「銀信証連携」を進めており、会計上で連結するということを超えて、グループ全体で当社がどのように証券のファンクションを担っていくかに軸足を置いている。例えば現在、当社から88人の営業社員が三井住友銀行の証券営業部に出向している。相続やローンだけでなくさまざまなな悩みを抱えていらっしゃる銀行のお客さまに対して、資産運用面に強みを持つ担当者がサポートを行うことが理想的だという考えだ。グループ内での役割のすみ分けなどすり合わせが高度化し、連携がうまく回り始めていることが、成果にもつながっていると思う。とはいえ、まだまだやるべきことはたくさんあり、グループの成長に中核証券会社としてどれだけ貢献できるか挑戦していきたい。まずは営業部門においてグループ全体での協働を推し進めたい。国内だけでなく、海外での成長のペースを速めていくためにもグループ連携は不可欠だ。

――リテール分野で新たな取り組みを行っている…。

 吉岡 とりわけ注力したいと考えているのはリテールだ。リテールでは「資産管理型」営業への移行という大きな流れがある。世界的なインフレなどにより将来への不透明感が増すなか、資産運用で最も重要なのはやはり投資時期とアセットの分散だ。移行の一環として一昨年から収益予算を取り払ったほか、社員評価やお客さま対応などの手法を見直している。そして、試行錯誤のなかで、信頼性の高いツールをもってお客さまと向き合う必要があると考え、6月10日にリリースしたのが「Nikko PRM Prime」だ。当社は17年から一定の預かり資産のある富裕層のお客さま向けにリスク分析エンジン「Aladdin」を活用したツール「Nikko Portfolio Risk Management(Nikko PRM)」を提供してきた。これまでのツールはプロ向けという感が強く、ある程度の知識や経験が前提となっていたが、新たなツールでは幅広いお客さまがより体感的にポートフォリオ管理を行うことができるようになった。シナリオの設定やベンチマークの比較、リスクの算出などがこれまでより容易にできる。8月上旬までに営業社員はツール活用についての対面研修を完了する予定だ。「資産管理型」営業に移行したばかりということもあり、営業部門の収益が伸び悩む局面もあるが、お客さまの含み益はかなり増えている状況にあるなど成果も出てきている。

――AI技術をどのように取り込んでいくか…。

 吉岡 AIを含むデジタル技術の活用は既に当たり前のこととなっているので、とにかく導入できるところにAIを導入するということが重要だろう。経営としてウエイトを置きたいのは、究極的には同じフロアにビジネスを考える社員とITを取り仕切る社員が肩を並べ、互いの方法論を理解し、どういう設計が可能かということを日常的に話し合える体制をつくることだ。仮に、「Nikko PRM Prime」を「Nikko PRM 2.0」と呼ぶとして、今後数年の展望として、「今日Nikko PRM 2.15になりました」「明日2.17になります」というように、同ツールが環境の変化やお客さまのフィードバックを常に吸収して更新されていく体制をつくりたいと思っている。これは社内の体制を整えなければ実現できないことだ。私はトレーディングシステムの内製化に関する経験もあるので、強いリーダーシップを持って体制づくりを進めていきたい。一方で、お客さまが重要な決断をするときに当社に求めているのは、運用や相続などについてのさまざまな疑問などをキャッチボールできる能力だと認識しており、社員一人一人の対応には大きな付加価値があり続けると思う。

――新NISAの影響は…。

 吉岡 新NISAは投資家のすそ野を広げたという点で話題になっているが、当社のお客さまの中心となっている富裕層に関して言えば、成長投資枠がかなり活用されている。特に日本の個別株を買われる傾向があり、日本株の強い潮目の一因になっていると思われる。そういう意味では日本市場にとっても、富裕層のお客さまにとっても、当社にとっても、新NISAが追い風の要素の1つになっている。一方、この10年の間は、やはり米国株において世界の成長のアルファを取っていく銘柄が多かったため、それに基づいてお客さまにご提案することが多かった。

――社長として抱負は…。

 吉岡 一番の抱負は、近藤雄一郎前社長がつけた再建への道筋の完遂だ。この2、3年間、いろいろな仕組みを総点検し、業務改善のためたくさんの施策を打ってきた。しかし、21年に発覚した不祥事案の件にとどまらず、大小の問題が起きてきた真因を本当に解消しようと思うと、取り組みを継続することが重要だ。世の中の変化に対して自律的に対応するような経営を目指すうえで、最後に大切なのは企業文化だ。企業文化は一朝一夕に改革できるものではないため、どのようにつくりあげていくか懸命に考えてきた。まず行ったのは、ロールモデルとなる行動事例「Good Action」のリストを経営理念に基づいて作成することだ。次に、「Good Action」を体現できる社員を増やすためには評価や登用の指標が大事になってくる。評価に関して言えば、昨年、社員の賞与算定基準を利益連動だけでなく中長期的なKPIをより重視するよう変更し、初の支給がこの6月だ。これにより、社員が経営を自分ごととして実感できるようになり、意識が変わるのではないかと期待している。これからは、皆が縦・横・斜めのコミュニケーションで常に「Good Action」を取ることができるような関係性をつくっていかなければいけない。SMBC日興の社員一人一人に対し、世間の人が「信頼できる人ですよね」と思ってくださったり、社員の家族が「この会社で働いていてよかったね」と思ってくださるようにするのが、このタイミングで社長を引き継いだ私の責務だと思う。そのためには、まず私自身が一番のロールモデルにならなければならない。今は、自分が入社して以来で最も資本市場に注目が集まっている時だ。追い風の今こそ、「サステナブルな成長」を目指し、地に足をつけた取り組みを続けていきたい。[B][L]

――今の中国の状況は…。

 露口 現在の中国経済は成長減速中だ。最大の懸念は不動産価格の問題であり、中国政府は上昇し続ける不動産価格を懸念し、2020年8月に不動産開発会社に対して3つのレッドライン規制を敷いた。さらに中国政府は2020年末に銀行に対して不動産向け貸し出しの比率を制限する規制をかけた。それでも不動産価格は2021年9月頃まで上昇を続けたが、その後一気に下落した。この一連の動きは日本のバブル期と似ている。ただし金融政策は異なっている。日本では1986年頃から始まったバブル経済の中、日銀が1989年5月に金利を上げて引き締め体制に入ったが、中国では2018年から今に至るまで金融緩和を続けている。それは2021年に中国の不動産価格が急降下したという背景もある。

――恒大集団など中国の不動産開発企業はほぼ破綻状態になっているが…。

 露口 中国ではマンションを購入する際、その不動産価格の総額を前金として支払い、完成後に物件を引き渡すというやり方が一般的である。そのため、今の中国では予定通りに物件を引き渡されない住人が住宅ローンを返さないという事態も生じている。そうなると中国の銀行は大変なことになる筈だ。しかし実際には、国家金融監督管理総局によれば過去5年間で既に14.5兆元もの不良債権の処理を進めているという。毎年約3兆元、合計すると日本円にして約300兆円もの額だ。日本はバブル後に不良債権98兆円を処理するのに17年間もかかった。しかも当時の銀行の業務損益は、バブル崩壊後の不良債権償却負担を吸収できず1993年からの10年間は赤字だった。一方で、中国の銀行は毎年約3兆元(約60兆円)を償却しつつも純利益が2兆元もあるという。不良債権の処理が無ければ毎年5兆元もの利益を生み出すほど、過去5年間の銀行経営は好調だったという事だ。今後もこの様な状態で不良債権の処理が充分進んでいくだろう。

――日本のバブル崩壊時と中国の不動産バブル崩壊時では、何故この様な違いが出ているのか…。

 露口 中国政府は1990年代の日本を研究し尽くしている。日本はバブル崩壊後に銀行経営が揺らぎ、貸し渋りや貸し剥がしを行い、貸出拡大能力を失った。それが日本がゼロ成長に陥った一つの大きな要因であり、そのために長い間不良債権処理が充分進まなかったという事を中国は学んでいる。特に1980年代は世界的にサッチャリズムやレーガノミクス、日本では中曽根行政改革など市場原理に基づく新自由主義が脚光を浴び、政府の規制は撤廃し、市場に任せようという風潮が強かった。預金金利の自由化も進められていた時代で、そういう時期にバブルが崩壊した日本はある意味、不幸だったのかもしれないが、中国は前もってそういった日本の失敗のケースを勉強していたため、現在の状況に比較的うまく対応できているのだと思う。

――中国政府は銀行をどのように規制しているのか…。

 露口 現在の中国の預金金利や貸出金利は自由化されていると思っている人も多いようだが、それは違う。銀行の金利は人民銀行が決定しているが、銀行間市場で短期の資金供給手段となる7日物リバースレポが中国の政策金利となっており、次に中期の1年物MLF(ミッドタームレンディングファシリティ)、さらに貸出金利についてはMLF1年物を基準に決定される1年物LPR(ローンプライムレート)、5年以上物LPRがあり、7日から5年以上までにわたるイールドカーブを中央銀行がコントロールしている。そして総量規制を行いながらも2019年頃からずっとイールドカーブを低下させてきている。他方で、預金金利についても2022年4月からLPRを基準に決めるようになっており、引き下げられている。貸出金利の低下の方が大きいため、銀行の利鞘は2019年には2.2%あったが、2023年には1.69%まで下がってきている。それでも銀行のバランスシート全体が拡大しているため、依然として3兆元の不良債権を処理してもなお2兆元の利益が出る状況だ。貸出金利は現在も下げ続けているので、利鞘が狭まっているが、貸出量を増やしている為、収益や不良債権処理額の絶対値はあまり変わららない。少なくとも日本のように銀行の貸し渋りのような事態は起きないだろう。

――預金金利が規制されて下がっている事は、中国経済にとって良い事なのか…。

 露口 中国では預金金利は放っておけば銀行間の競争によって自然と上がっていくと思われている為、規制して下げている。預金金利の上昇を無理やり下げる事で、広く薄くコストを預金者に負担させ、銀行と企業を救っているということとなるが、これが果たして良い事なのかという問題はある。それが理由で消費が伸びず、GDPも伸びないという見方もあるだろう。また、イールドカーブをコントロールして本来市場で決まるべき金利を人為的に決めれば、社会全体として非効率が生じる。しかし、中国では多少の非効率による成長率の低下を甘受しても、安定した成長を実現する方が結果的にはプラスの方が大きいと判断したのだろう。「市場原理に任せた方が長い目で見ると一番成長する」という米国の考え方とは違い、中国は「政府がコントロールして安定的に成長する」ということを目指している。重要なのは「成長を続ける」ということだ。成長していればモノの値段や不動産価格が上がり、不良債権も自然と消化されていく。

――中国では資産管理会社が担保不動産に付加価値をつけて売却し、不良債権を消化させるような事も行われている…。

 露口 中国のAMC(資産管理会社)は1999年に設立され、2003年に大規模な不良債権処理をする際にも利用された。当時100%政府所有だったAMCは上場もしておらず、細かい財務諸表などを公表する必要もなかったため、銀行からAMCに不良債権を移した時は大規模な債務超過だったと思うが存続した。しかしその後、中国は年10%以上の高度成長を続け、AMCは資産を順調に処理し、あっという間に黒字転換した。この成功体験があるため、例えば地方融資平台(地方政府の資金調達機関)による債務の問題にしても、ある程度の資金繰りをつければ、そのうち自然と解消されるだろうという考えが根強い。現在、中国の地方融資平台は約40兆元(約800兆円)の銀行借り入れがあると言われている。2003年以降の10%成長時のスピードに比べると不良債権の処理に多少の時間はかかるかもしれないが、明らかに日本のバブル崩壊後のゼロ成長とは状況が異なっている。中国は国家的手法として、いわゆる「飛ばし」に類似したことを行っている訳だが、それは必ずしも間違いではなく、経済が成長している限り、うまく不良債権を解消する方法と言えるのかもしれない。

――現在、中国当局が進めている国内不動産対策は…。

 露口 今の中国には不動産の在庫がたくさん残っており、それらを地方政府管理下の国有企業が買い取り、格安住宅として売却している。その買い取り資金については、銀行の融資資金が提供される仕組みになっている。中国の銀行は大部分が国有の様なもので、政府から政策に協力するように指示が出れば逆らえない。その代わりに、中国政府は銀行の利益を確保して、潰すようなこともしない。中国は社会主義市場経済と言っているが、基本的にはマルクス経済学に戻っているような気がする。市場の価格発見機能は可能な限り利用するが、そこにすべてを委ねる訳ではなく、政府のコントロールが重要であると考えている。中国共産党でトップにいる人達はとても頭が良く、考え抜いて政策を行っているが、例えば、政府主導でEVやAIに資金を集中して本当に成功するのか、その判断が果たして正しいのかは分からない。米国のように自由な市場の中で投資資金がどこに向かうかが調整されるような体制であれば、政府が気が付かない所で大当たりが出てくる可能性もある。成長すべき産業を政府が指定しているような今の体制で良いのか悪いのか、歴史が決める事になる。

――人間が考える事には限界があり、絶対に間違わないという保証はない…。

 露口 今の中国は政策に透明性がなくなり、わかりづらくなっている。李克強が国務院総理として政府を率いていた昨年の春までは国務院常務会議の様子が中国政府ホームページ内に特別コーナーとして設けられ、見やすくなっていた。重要な政策決定はそこで行われ公表されており、ある程度透明性があった。そして、中国人民銀行は政府の一部として李克強総理の指揮下で国務院常務会議での決定事項を忠実に実行していた。為替レートもコントロールされて一定の期間方向性をもって動いていた。例えば、政府が「海外の物価高を国内に波及させない様にしなければならない」という決定であれば為替レートが上昇し、「貿易企業を助けて輸出を増やさなければならない」というと下がり始めるといった具合だ。それが、李克強が辞めて李強に変わった途端に政策決定権限が共産党に吸い上げられるようになってしまった。政府ホームページへの国務院常務会議の扱いも単なるニュースの中に埋没してしまい、過去の会議を探すのが不便になっている。さらにその内容は薄く、金融政策に関しては党で決定されているため、なぜそのような金融政策になったのかが周りから見てよくわからなくなってしまっている。それが良くも悪くも今の中国のやり方であり、中国共産党内部で決定される政策の良し悪しが今後の経済を動かす鍵を握っていると言えるだろう。[B]

――今年度の政府税制調査会(政府税調)のポイントは…。

 森信 2つある。近年の大きな課題はギグ・ワーカーに対する課税制度だ。ギグ・ワーカーとは、ウーバーイーツ、クラウドワークスなどインターネット上のプラットフォーム経由で単発の仕事を請け負う労働者のことで、この10年間に増加を続けている。いまでは国内に少なくとも300万人のギグ・ワーカーがいるとの推計もあり、ギグ・エコノミーを形成している。問題は、ギグ・ワーカーなどの新しい働き方をしている人々の税制がうまくマッチしていないということだ。まず、会社員など給与所得者とギグ・ワーカーの取り扱いや負担が不公平だという問題がある。給与所得の場合、源泉徴収、給与所得控除(概算控除)、年末調整がセットになっており、ほぼすべての会社員は税務署への申告が不要だ。一方、自営業者に区分されるギグ・ワーカーは概算控除、年末調整などがない。所得を稼ぐうえで必要な経費は実額控除となり、自分で申告をしなければならないので、「税務署に行くのっておっくうだ」という話になる。ギグワーカーは所得がそれほど多いわけではないため、自営業者の所得の捕捉率についてよく言う「トーゴーサン」と呼ばれるような状況には当てはまらない。ギグ・ワーカーに申告の習慣がないことから申告をしない人は増加しており、放置しておけば税制の公平性が損なわれてしまう。

――ギグ・ワーカーに対応した税制が求められる…。

 森信 政府税調では働き方に中立な税制に向けての検討が言及されている。会社員と同じような働き方で年収300万円以下のギグ・ワーカーに、会社員の給与所得控除と同程度の概算控除を与えてはどうかと提言している。また、ギグ・ワーカーの元締めであるプラットフォーマーにもっと負担を引き受けさせることがより重要だと考える。プラットフォームを介して働いている人について情報提供の義務を課すことや、プラットフォーマーに源泉徴収を行わせることなどだ。源泉徴収を導入すればギグ・ワーカーにとっても税務署に厳しく調査されることや申告時に納税資金が不足するということがなくなり利益になる。大規模プラットフォーマーはサービスの受注者・発注者をマッチングするだけであれだけ利益を得ているわけで、ギグ・ワーカーの社会保障制度の問題とともに、世界的にもどのようにプラットフォーマーに義務を課すかという議論が進んでいる。

――政府税調のもう1つのポイントは…。

 森信 政府税調というより政府全体で論じられているのは、金融所得・金融資産を反映した社会保険料の算定だ。社会保障制度では子ども・子育て政策のため28年度までに3.1兆円超の財源が必要とされている。「支援金制度」で約1兆円、他の予算の流用で約1兆円、社会保障費の歳出改革で約1.1兆円集めるとしているが、歳出改革の1つとして挙げられているのが社会保険料の算定方法の見直しだ。現在は所得だけをメルクマール(指標)として算定されている。既に働いておらず所得が年金だけという高齢者は、たどってきたキャリアや資産の多寡にかかわらず負担が低下する。介護や医療の給付は伸び続けるので、所得・資産を持つ人にもう少し負担を求めても良いのではないかという議論がこの10年の間なされてきた。金融所得を反映して算定する方は実現の可能性が高い。金融所得として勘案される対象は株のキャピタルゲインと配当だ。もっとも株式は保有し続けていればキャピタルゲインが発生しないので負担増にはならない。一方で、金融資産を反映して算定する場合、これは預金口座への付番につながり、かなり大変な「力仕事」になる。対象となるのは「金融」資産で現物資産は含まれていないが、80年ごろのグリーンカード(少額貯蓄等利用者カード)の時と同様に金融資産の現物資産へのシフトの問題なども議題に上がるだろう。

――富裕層への課税も議論されている…。

 森信 子ども・子育て政策の財源の話とはずれるが、「1億円の壁」の議論は続いていると考えるべきだ。「1億円の壁」とは、所得税は超過累進税率のため所得が上がるほど負担増になるにもかかわらず、実際は一定の所得額を超えたところから減少し税負担率が下がる問題のことだ。数年前、「1億円を境に負担率が減少するのはおかしい。少なくとも横ばいぐらいにするべきだ」という議論の下、投資環境の整備などを手当てして市場への影響を抑える措置とセットで、課税のあり方が見直されようとしていた。ところが、いろいろな経緯はあるが、岸田首相が就任直後に「1億円の壁」問題への対応に向けて金融所得課税の見直しに言及したところ、同年10月に株価が急落し「岸田ショック」と呼ばれる事態となった。岸田首相はおびえてしまったのか、頑張っていた議論をそこでやめ、立ち消えとなってしまった。そのような流れのなか、23年度の税制改正法案で30億円以上の所得のある超富裕層に最低22.5%の税を課すといういわゆるミニマムタックスの制度ができた。総所得の税負担が22.5%を下回る場合に差額の所得税を課すという仕組みで、25年から適用が始まる。

――市場から反発が予想されるのでは…。

 森信 23年度税制改正法案では、ミニマムタックスの導入と同時にNISAの拡充が組み込まれた。非課税枠を1800万円まで拡大したことでNISAは劇的にヒットし、投資をやる人が増加した。そのように市場への影響という点でもきちんと手当てをしたわけなので、一定額以上株で稼いでいる人には負担を上げても良いと考える。「1億円の壁」を放置してNISA拡充だけを進めたことは格差是正という観点からは問題で、もう少ししっかり議論するべきだと思う。30億円以上の所得のある人は200~300人程度と極めて少ない。すぐには難しいだろうが、課税対象のすそ野を広げていくべきだ。納税者のうち上位0.1%(所得階級5000万円超の約7万人)に拡大し、ミニマム税率を30%にすれば、数億円単位の税収が入ってくるという機械的な試算もある。若年層の間で格差は確実に拡大しており、不公平感が強まっている。それぐらいはやらなければ少子化は免れない。

――そのほかに課題は…。

 森信 法人税についてだ。自民党から聞こえてくるのが「法人税をあれだけ減税してきたのに企業のビヘイビアが変わっていない」という声だ。つまり、内部留保をためて、個人の給与に還元せず、投資もそれほどしない企業行動をどう考えるかが議論になっており、米国のIRA(米国インフレ抑制法)が引き合いに出されている。IRAには自社株買いの買付金額の1%の課税が盛り込まれており、この自社株課税が米政権で評判が高く、バイデン米大統領は税率を4%に引き上げる意向を公表している。米国では企業が借金をして自社株買いをする例があり、1株当たりの利益が上がると言っても本末転倒の感があるため、制度が導入されたという経緯がある。私は法人税を引き上げるべきだとは考えていないが、減税されてきた「恩に報いる」という意味からも、企業は減税の社会的な意義を認識してビヘイビアを変えるべきだと思う。今年は春闘の平均賃上げ率が5%を超えたが、来年以降もこの傾向を続けることが必要だ。[B][L]

――東京短資は創業115周年。これまでに一番大変だったことは…。

  東京短資はもともと「柳田ビル・ブローカー」というマネーブローカー業務から始まった。戦後に、他社との合併および、ブローカー業務を兼務していた証券会社から営業譲受し、1949年に東京短資と商号変更して新たなスタートを切った。長い歴史の中では困難な局面も少なくなかったが、近年で一番大変だったのはゼロ金利の時だ。当時はイールドカーブがフラット化し、短資会社の収益機会は極めて限定的なものとなった。その後マイナス金利政策の時代を迎えたが、この場合であれば、マイナス0.1%を起点にして、多少イールドカーブの傾きが出てくる。また、日本銀行の当座預金は3層の階層構造になり各金融機関のポジションによって裁定取引が行われるため、仲介をビジネスとする短資会社はマイナス金利下でも一定の収益を獲得することができた。

――今後、利上げの動きとなれば、ビジネスチャンスも広がっていくのではないか…。

  現時点は「普通の」金融政策に向けての途中段階であり、これを山登りに例えると1合目か2合目といった処だ。我々の本業であるコール市場をみると、マイナス金利の時の残高は大体20兆円前後だったが、むしろ今はその半分程度の残高に減ってしまった。3層構造がなくなったために裁定取引がほぼ皆無となり、出し手(貸し手)と取り手(借り手)が固定されてしまった事が主な理由だ。日銀の当座預金を保有する金融機関は基本的に0.1%で運用できるためコール市場に資金を放出する必要がなく、コール取引の中心を占めるオーバーナイト物の出し手は、日銀の当座預金を持っていないアセットマネジメント等に限られる。金利も、マイナス金利解除後は、オーバーナイト金利はほぼ固定化してしまっている。コール市場のサイズが3月の日銀会合以降は縮小した分、代わりに日銀の当座預金が増えている。尚且つ、日銀による国債の買い入れは従来と同じ月6兆円のペースを維持する事になっており、YCC(イールドカーブ・コントロール)は解除されたものの、QE(量的緩和)はまだ続いている。長期金利も一時期に比べれば動いているが、変動幅はさほどではない。我々のような短資会社からすると、それぞれのマーケットで自由な金利形成が出来て裁定が働いていくようになれば、もっとビジネスの量も増えてくる。

――日銀は緩やかに金利を上げていく構えだが、その間のビジネスは…。

  現在、我々が取り扱っている一番大きなマーケットは、債券レポ市場で、このマーケットの規模はマイナス金利の時も今もあまり変わらない。このほかオープン市場ではCP(コマーシャルペーパー)が、金利が上がっている為、一定のスプレッドを確保出来る機会は相応にある。このように、今はコール市場の収益機会が落ち込んでいる分をオープン市場でカバーしている形になっている。また、仲介ビジネス以外の分野では、当社のグループ会社であるジェイ・ボンド東短証券は債券の電子基盤取引を提供するPTS運営会社で、いわばプラットフォーム提供のビジネスである。プラットフォームのビジネスは競争が激しいが、お客様の使い勝手が良いように色々な機能を追加しながら続けていくつもりだ。当社は英TPICAPという英国のブローカーと資本提携をしており、密接に意見交換をしているが、海外のブローカーの収益構造は、仲介ビジネスに加え、プラットフォームとデータサービスも大きな柱だ。このうちデータサービスは市場参加者にとって非常に有益なサービスの提供となるものなのだが、日本では情報にお金を使うという文化があまりないため利益につなげるのはまだまだ難しい。しかし、そういった部分にも今後力を入れていきたいと考えている。

――SB市場や国債レポ以外の債券取引への参加意向や、新しい金融商品への参入予定は…。

  我々が取り扱うのは基本的には短期のプロダクツだ。社債はCP以外扱っておらず、長い年限の債券で扱っているのは国債くらいだ。レポ取引に関しても、マッチングの取引がほとんどでリスクを限定するようにしている。短期の金融商品を取り扱うのが短資会社の基本であり長期の商品は難しいというのが実情だ。新しい金融商品としては暗号資産なども一つの考えとしてあるが、実際にはどのような形でアクセスするか等、考える点も多い。そもそも、我々が取扱うBtoBの市場としての規模やイメージが明確にみえてきているものではない。当社は既にデジタルガレージ(4819)と一緒にブロックチェーンを活用した金融サービスビジネスを手がけているが、これも市場が大きくなってから取り組むのでは手遅れになるという問題意識から先手先手に展開しているという段階だ。また、日銀は中央銀行デジタル通貨(CBDC)に関する取り組みを進めている。注視はしているが、金融機関間の最終的な資金取引においては、資金の過不足は必ず発生し、そこには仲介業者の存在が必要であることには変わりはない。CBDCがどのような構造のものになるかという論点はあるにしても、民間の短期資金仲介業の存在意義が大きく変化するようなことは無いのではないか。

――現在の短資市場の問題点や課題は…。

  マーケットの金利形成をもう少し柔軟に出来るようになれば良い。主要国でマイナス金利を解除した国の中でもスイスのように階層構造を残して裁定取引を働かせる仕組みを作った国もある。日本で階層構造の復活はすぐには難しいかもしれないが、コール市場での裁定取引を促すような工夫はしてもらいたい。また、次の利上げで例えば25ベーシスポイント上げるとして、超過準備のすべてに付利する現行の方式では、日銀当座預金が560兆円にも上るだけに相当な利払いが発生する。銀行側としては無リスクで0.25%の運用ができるということなので、貸出しよりも日銀に預けたままの方が良いという心理が働き、当預残高はなかなか減少しないのではないか。日銀収益への影響をみればその時は国債金利も上がり、日銀の利息収入も増加するので、付利金利を引き上げても良いと言えば良いのだろうが、利息支払いの片道だけを見ると巨額なものになりいかがなものか。超過準備への付利の仕方は今後もっと工夫を考える余地があると思う。いずれにせよコール市場で裁定が働くようなやり方が出来れば、市場機能も向上していくのではないか。別の観点を付け加えると、マイナス金利解除後、金利がほとんど動いていない為、リスクフリーの指標金利であるTONA(無担保コール翌日物金利)の機能の役割も果たせていない。そういう意味でも、一定程度金利を動かせる形にした方が良いと思う。また、今後課題となる日銀当座預金の圧縮については、そもそも付利すれば銀行は日銀に預けた方が得になるため当座預金の圧縮には足かせとなりうる。国債買い入れ額を減額、そうはいっても日本は政府債務の国債発行残高が大く急激に金利を上げる事も出来ないので、実際には少しずつでも減らしながらということではないか。また国債ほどではないが、37兆円にまで膨らんだETFも圧縮して、日銀のバランスシートを整えていく必要があろう。

――今後期待している部分、そして、抱負は…。

  東短グループの中で、政策変更を受けいち早く収益機会が訪れているのは金利スワップなどのデリバティブ商品を扱っている東短ICAPだろう。ここは金融政策の更なる変更への思惑が交錯していることなどに伴って取引も引き続き活発である。また、東短自体もコール取引の仲介は前述のように失速気味であるが、オープン商品の取扱いでこれを挽回するほか、色々な事業展開をしていく。基本的には仲介業者として金融商品とそのマーケットが出来るところで仲介ビジネスを単体で展開していくのだが、必要であればジョイントもして、そこに進出していくつもりだ。前述の暗号資産にしても、デジタルガレージとの合弁会社を設立しており、これなどもその一つの例である。新たな市場が大きくなってから取り組みをスタートさせたのでは遅れを取る。そうならないように、しっかりと前広に行動を起こすとともに、既存のマーケット商品でも工夫を凝らして収益機会を探っていきたい。[B]

――日本の半導体戦略について疑問を持たれている…。

 長内 私はこのほど『半導体逆転戦略―日本復活に必要な経営を問う』(24年4月、日本経済新聞出版)を出版した。同書で一番伝えたかったのは、日本の半導体産業の課題とは、技術が高ければそれだけで利益が上がると信じられて意思決定が行われ、企業戦略というものが顧みられてこなかったことだということだ。北海道に工場を建設中のラピダス(トヨタ、NTTなどが出資)、2月に熊本県で第一工場が開所した台湾TSMC子会社のJASM(ソニー子会社、デンソーなどが出資)など、日本に新たな半導体工場を作る動きがニュースとなっているが、同書ではラピダスよりJASMの方が成果を上げ、日本の半導体産業の転機となると予想した。2社の方針を一言で言えば、JASMは「ローリスク・ローリターン」、ラピダスは「ハイリスク・ハイリターン」だ。

――JASMの可能性とは…。

 長内 JASMは技術の新しさにこだわらず、確実に需要に応えることを目指している。JASMが熊本第一工場で生産する半導体のプロセスルール(ICチップ上の回路線幅)は、22~28ナノメートル(ナノは10億分の1)と、十数年前のレベルの技術だ。一方、TSMCがアリゾナ州に建設中の工場では、現状では最先端のレベルである3~5ナノメートルプロセスの半導体を生産しようとしている。このことを受けて一部では「技術が新しくなければ意味がない」とJASMへの否定的な見方もあったが、実は22~28ナノは自動車やソニーのイメージセンサーなどに欠かせない半導体で、汎用性が高く旺盛な需要がある。日本企業や経済産業省がこのように意思決定できたことには、これまでの日本的な技術ありきの意思決定と比べて、ものの見方が柔軟になり、ビジネスのセンスが良くなったと感じる。

――ラピダスの抱える問題点とは…。

 長内 ラピダスは技術を偏重しており、日本がこれまで失敗してきたやり方を繰り返すリスクがある。同社が北海道工場で生産を予定している2ナノメートルプロセスの半導体は未だ世界で実現していないレベルであり、いくつものハードルがある。ハードルを越えるためには本来さまざまなビジネスの知恵が必要だが、ラピダスの問題解決への説明は技術論・精神論にとどまり、見通しに2つの不安がある。1つは、「どのように作るのか」という問題だ。2ナノの生産において、技術に関してはIBMと連携し、製造装置に関してはベルギーの研究所と連携するとしているが、実際に工場を動かすに当たり、どのように工場を管理したらトラブルなく生産できるのかというノウハウの裏付けが全くない。このことは多くのメディアが追及しているが、「技術的に頑張ります」という話しか聞こえてこない。もう1つは、「誰に売るのか」という問題だ。ラピダスは中規模ファウンドリーとして「数を追わない」ことを表明しているが、装置産業である以上、大量に生産・販売しなければ経営が難しくなるだろう。

――ラピダスは「2ナノは最先端だから需要がある」と説明している…。

 長内 先述のJASMのように、半導体は最先端のものだけが必要とされるわけではない。また、ラピダスの北海道工場が製造を開始するのは27年の見込みだが、25年には韓国のサムスン電子、台湾のTSMCが2ナノの量産を開始すると公表しており、ラピダスにコスト競争力があるかというと怪しい。ラピダスは製造プロセスにおいて、バッチ式(多数の中間生産品をまとめて処理する方式。必要な処理枚数を貯めてから次の工程に進む必要がある)の装置を用いない「全枚葉式」(すべての工程において中間生産品を1枚ずつ処理する方式)を導入することによって製造効率が向上し競争力が高まると主張している。しかし、「全枚葉式」はラピダスより経験のある世界中の会社が挑戦して見切りを付けたやり方だ。「本当にうまくいくのか」という疑問に対して、ラピダスは「日本にたくさんいる50~60代の半導体エンジニアを採用します。彼らは昭和の時代に24時間働く気概でやっていた優秀な人たちなので頑張っていきます」というような説明にとどまっている。

――ラピダスが成功する方策とは…。

 長内 2つの道が考えられる。1つ目に、ラピダスが持つ製造設備をパイロットラインと位置付けて研究成果を米国・台湾に供給するような、数を作ることを諦めて研究開発に特化するあり方だ。2つ目に、やはり大規模ファウンドリーを目指し、奇をてらわずに量産体制にシフトするあり方だ。どちらにせよ、米経営学者のマイケル・ポーター氏の「スタック・イン・ザ・ミドル」の論の通り、中途半端な差別化をしないことが有効だと考えるが、私は2つ目の道にかじを切るべきだと思っている。半導体は豊富な水、安い電力さえあれば立地を問わない。ラピダスが大量生産を目指さない理由はないと思う。

――日本が半導体産業で世界を制するには「製造」に注力する必要がある…。

 長内 日本が「半導体を制する」ことを目指す時、何によって「制する」のかをしっかり考えなければいけない。かつてと状況が異なるのは、90年代に台湾企業がファウンドリーを専業で行うビジネスを始めて以降、半導体の開発と製造が別々の企業で行われる、ファブレス&ファウンドリーシステムと呼ばれる分業体制ができたことだ。現在、米国では開発に特化したファブレス企業が、台湾では委託生産に特化したファウンドリー企業が発展しており、2国は半導体産業で強い力を持っている。このような状況下で、日本はやはり製造に特化した方が良いと考える。歴史的に、日本は半導体の製造で強かったが、開発ではそれほど強いわけではなかった。加えて、AIなどの分野は米国が先行しており、今からキャッチアップしてもあまり意味がない。米国と競争するのではなく、米国ができないことをして隙間を埋めていく戦略をとった方が良い。その点、米巨大テック5社「GAFAM」はソフトウエアの技術は持っていてもハードを作れず、AIスピーカーやVRゴーグルなどはすべて中国で製造している。一方で、欧米では中国製の通信機器などの安全性を懸念して排除する風潮がある。日本にとっては有利な状況で、この機を逃さずに半導体に限らずあらゆる機器を日本で生産する流れをつくることができれば一番良い。日本は製造業がまだ強いが、徐々に部品・素材が中国に流れており、今食い止めなければ日本で大量に作りたくても作れなくなる時代が遅かれ早かれ来てしまう。日本の国内でものを作る体制を再考しないといけない。

――将来的にどのような半導体の生産が重要になるか…。

 長内 「光電融合」技術を組み込んだ半導体だ。2019年から、NTTは第6世代通信規格の基盤となる「IOWN」構想の実現を進めている。「IOWN」の3つの主要分野の1つが電気信号を光信号に置き換える「オールフォトニクス・ネットワーク」だ。実現すれば、電力効率が高まって消費電力が削減でき、処理スピードも速くなる。第一段階としてコンピューター間の通信ケーブルを光ファイバーに置き換え、2030年にはコンピューターのなかの回路も光で置き換えることが検討されている。そのうえで、光と電気を融合させる半導体が重要になる。もちろんラピダスの2ナノ半導体と同様に技術的な難しさはあるが、ラピダスの技術・ノウハウを生かしながら、日本の技術力の高さで差別化できないか。また、「IOWN」構想を推進するのは総務省だが、半導体は経産省なので、両省が連携を取れるかどうかは1つのカギかもしれない。

――改めて日本の半導体産業の指針について提言は…。

 長内 2つある。1つはやはり、技術の知恵だけですべての問題を解決しようとしないことだ。技術力を過信せず、ビジネスの知恵を着実につけていくことが日本の製造業全体の課題だ。もう1つは諦めないことだ。政府が中長期的に資金をつぎ込むこと、もう少し民間から出資を促すことが重要だ。設備投資してすぐに諦めるのは日本の悪い癖で、諦めた結果、税金でつくった設備を売却して米国企業がもうかるという構図がよくある。一番良くないのは中途半端で終わってしまうことだろう。最後までやり通す覚悟が必要だ。[B][L]

――いすみ市では有機農業に注力されているが、きっかけは…。

 太田 いすみ市が位置する房総半島は古くから米中心の農業地帯だが、米価の下落や後継者不足によって、バブル崩壊以降の日本経済と同じように、ここ20年ほどは農業経営が厳しい状況が続いていたことが背景にあった。市内の米農業をどう再生していくかを考えていたころ、2011年に関東地方の自治体が有志で結成したコウノトリ・トキの舞う関東自治体フォーラムが立ち上がった。これは、コウノトリとトキを指標にした水辺環境の保全・再生と地域振興を目指すもので、主に江戸川や荒川流域の自治体が中心だったが、房総半島の飛び地として設立当時からいすみ市も参加し、当初はコウノトリの飼育を行うことを決めた。ただ、議会にコウノトリを飼うと宣言したときは「すぐに諦めるから大丈夫だよ」と一応賛意を得たものの、その翌日に市民から「コウノトリを飼うよりも明日の農業を考えた方が良い」との指摘を受け、コウノトリの飼育は止めることにした。餌代や人件費が年間数千万円と非常に高額で、財政的に難しいことも原因だった。そこで、いすみ市では代替案として有機農業を展開し、結果として人もコウノトリも住める地域をつくることを目指すことにした。

――有機農業の導入には反対意見も多かったと…。

 太田 戦後日本に根付いた農業は、農薬や化学肥料を使用して、効率良く収穫を上げる方法だ。これに対して、いかに農家の反発なく、かつ議会の反対もなく、有機農法による米作りを進めるかが正念場だった。そこで、議会にコウノトリの飼育は止め、コウノトリが飛来する環境をつくるために有機農業を始めると再宣言したところ、「コウノトリと同じようにすぐに諦めるよ」と賛成してもらったが、2013年に有機農業を開始したときは惨憺(さんたん)たる結果で、雑草は生い茂るうえ収穫もわずかで、挙げ句の果てに農家から損害賠償を請求すると言われてしまったほどだ。市役所の担当の農林課と有機農業を止めようかと考えたが、農林課からもう少し続けてみましょうと提案され、有機農業の先行地域だった兵庫県の豊岡市に助力を求めた。そこで豊岡市からは「わざわざ寒い日本海まで来なくて良い、栃木県に有機農業の第一人者の稲葉光國先生(故人)がいる」と教えてもらい、すぐにNPO法人民間稲作研究所の稲葉先生を訪ねて協力を仰いだ。2014年からは稲葉先生のもと、いすみ市農林課を中心に夷隅農業事業所とJAいすみが連携し、いすみ市の土壌や気象条件に合った有機稲作の技術体系を確立した。そして、2015年には有機米4トンを学校給食へ提供し、2017年には学校給食の全量となる42トンを提供することができ、ブランド米「いすみっこ」を確立した。この間、市民向けのシンポジウムを数回開催し、理解を深めたことが良かったと思う。

――この有機米の学校給食への提供も全国から注目されている…。

 太田 有機米の生産が軌道に乗ったとき、私は、これでいすみ市の農業経営は安泰だと考えたが、農家から「有機米は金もうけのために生産したのではない、こどもたちに提供しよう」と提案され、これを学校給食へ提供することにした。本来は農家の収入向上を目的にしていたため、これに沿った適正な価格でいすみ市が有機米を買い取ることを決めた。それでも本来なら60キログラム当たり3~4万円の価格が付くはずの有機米を、農家のご厚意によって60キログラム当たり2万円で買い取っている。ただ、有機米の販路を行政が確保したことで、農家も安心して有機米を生産できる面もある。こうした取り組みが奏功し、2013年に有機農業に取り組む前は有機農業者がゼロだった状況から、4年間で有機米「いすみっこ」の産地を形成することができた。

――学校給食導入の成果は…。

 太田 こどもたちはおいしいお米を給食でおかわりをするようになったため、残食が減少した。2017年には18.1%だった学校給食のご飯の残菜率が、有機米に100%切り替えた後に年々減少し、2020年には10%となった。いすみ市では、有機農業とともに学校での環境教育も行っており、どうやって有機米を栽培しているのか、なぜ有機米を栽培するのか、なぜ有機米が健康に良いかということを教えているため、こどもたちも農家の苦しみや大変さを学び、大切なお米を残してはいけないという気持ちが育っている。

――いすみ市は住みたい田舎ベストランキングの首都圏エリアでトップとなった…。

 太田 いすみ市は、『田舎暮らしの本』(宝島社)2024年2月号「2024年版 住みたい田舎ベストランキング」にて、「総合部門」「若者世代・単身者部門」「子育て世代部門」「シニア世代部門」のすべての部門で首都圏エリア第1位の評価を受けた。さまざまな観点から評価いただいたと考えているが、いすみ市は海、里山、田園地帯の全てを持つなど、千葉県のなかでも食材に富んでいる市だ。いすみ市は平成の大合併によって夷隅郡夷隅町と大原町、岬町が合併した市だが、大原は海の町、夷隅はブランド米の産出地、岬は果物、野菜の栽培地と、特色ある3地域がうまく併存している。食材の豊富さは他の地域にはない強みで、合併してから23品目の農水産品をブランド化し、いすみ市の知名度向上に取り組んでいる。東京から大原駅までは外房線の特急で70分とアクセスも良好で、海や里山には自然豊かな環境が広がっていて、魅力ある地域だ。行政面では、人口減少、少子化が進むなか、結婚から妊娠、出産、産後ケア、病児保育、保育、小学校、中学校と、一貫して子育て施策の充実を図った。乳幼児医療費助成や保育料の減額、婦人科をもつ病院で妊婦検診を行うほか、産後ケアへの支援も行っており、5年前には子育て支援の最終目標と位置付けていたこども園、保育所の給食や、小学校、中学校の学校給食の無償化も達成した。医療面では、いすみ医療センターと市内10箇所のクリニックで対応している。加えて、高齢化への備えも合併前から進めており、いすみ市内には特別養護老人ホームが5箇所、グループホームが6箇所、ショートステイできる施設が9箇所、デイサービスセンターが15箇所あり、シニア世代の移住にも対応している。このほか、障害者施設も2箇所あり、障害者の働く場所も4箇所用意しているなど、大きな病院はないが、福祉施設も充実している。

――市の財政は…。

 太田 人口3万5000人の小さな市なので、自主財源は小さく財源に限りがあることは事実だ。できるだけ効率の良い行政を心掛けている。子育て施策や福祉、医療などに重点配分し、若い世代と高齢者世代が安心して暮らせることが大切と考えている。子育て支援は人口問題であって、そもそも国策として政府が行うべき内容だが、人口の取りあいがある限り、地方自治がやらなければとの思いで、いすみ市として率先して取り組んでいる面もある。

――今後の抱負は…。

 太田 確実に人口減少や少子化が進んでいるという危機感がある。いすみ市は房総半島の東南部に位置する地域だが、産業は農業や漁業といった一次産業に限られており、厳しい状況にある。一次産業を救うためには有機農業しか道がないと考え、有機農業を推進してブランド化を行った。一方、地域全体として産業形成が行われていないため、なかなか若い人が定着しない面がある。これからの地方自治体には、産業形成や雇用の場を確保するような政策が求められると思う。いすみ市では現在、高規格道路の誘致を行っているところだ。豊かな自然環境を大切にして、環境と経済の両立から新たな産業を生み出して雇用を増やし、国の2050年の想定人口よりも上向きのなだらかな人口減にし、心豊かに健康な生活ができる、小さくても光ナンバーワンのいすみ市を作りたい。[B][N]

――地球には人類が使う1万年分の水素資源が埋まっている…。

 丸山 2024年、科学誌「サイエンス」の母体であるAAAS(アメリカ科学振興協会)の石油学会の学術講演会で水素埋蔵量についての講演があり、米国を中心に巨大な水素リザバーの発掘調査が活発になるとともに、水素燃料の活用への期待が高まっている。その学術講演では、地中に埋蔵されている水素量は約5兆トンに達し、現在の全世界における1年あたりの水素消費量1億トンが5倍になったとしても、次の1万年に亘って水素供給は安泰だと述べている。もともと、水素ガスは地球の「コア」と呼ばれる地下約3000キロ以深の深層部分からマントル全域にも大量に存在していると考えられており、その他にも石灰岩や岩塩など大陸地殻の岩の中にも含まれている事がわかっている。それらは現在の技術発展の下、弾性波探査の技術によって何処にどれだけの量の水素が存在しているのかもすぐに分かるようになってきている。例えば、埋蔵石油や天然ガスはメキシコ湾の地下の地殻内部にも存在しているのだが、米国は海底から5㎞深部までの化石燃料採掘技術を独占して持っている。この技術を応用すれば水素埋蔵場所まで掘削できる。そのことが米国のアドバンテージとなっている。

――地球の深層部分に大量にある水素資源を取り出すには、高度の技術が必要になる…。

 丸山 水素が地表で噴出する場所は樹木が生息しづらい場所にある。実際にブラジルやアフリカに点在するそういった場所で掘削調査を行うと、本当に水素が発生している。日本にも長野県白馬地域などで水素が発生しているが、その発生量は少なく、それくらいの量では価格もわずかにしかならない。一方で、地球の深層部分のマントルには巨大水素リザバーがあると考えられている。マントルは橄欖(かんらん)岩で出来ている。さらに、橄欖岩の60%は橄欖石で出来ているのだが、実はその橄欖石という鉱物が水と接触することによって水素を発生させることが出来る。しかも、橄欖岩はマントルだけでなく、大陸地殻にもたくさん含まれ一部は地上にも露出している。水素生成方法としては、普通に橄欖石に水を加えるだけでは生成に長い時間がかかったり、酸素や二酸化炭素が豊富に含まれる水では難しいため特殊な水に限られるといった制約はあるのだが、そういった問題をクリアして、この度、私は共同研究者と一緒に水素生成装置の試作機一号を完成させた。現在、特許申請中だ。

――水素生成装置が普及すれば、世界のエネルギー事情は大きく変貌する…。

 丸山 橄欖石から水素を作り出す装置についての詳細は企業秘密だが、基本的に我々が発明した水素生産装置に使われている橄欖石は半永久的に利用可能であり、私はこの装置が将来的に「1家に1台」という状態になることを望んでいる。この水素生産装置が家庭に1台あれば、家庭で使用される電気と熱はほぼすべて賄うことが出来るだろう。また、水素と大気中にある窒素や酸素が結合して出来るアンモニアを使えば、地球上のあらゆる化学製品に加えて、食糧も自給出来るようになる。そうなると、すべてが地産地消で済み、電気のインフラも不要で、輸送のパイプラインも必要なくなるだろう。太平洋やインド洋、大西洋を越えて物資を移送する必要が無くなる。また、燃料や化学工業の原料として利用されるメタン、エタン、プロパン、ブタンにもすべて水素(H)が使われており、例えば重油に水素を足せばガソリンになる。化石燃料の寿命を延ばせる。自動車も水素を利用すれば、電気自動車(EV)を新たに買い替える必要もなく、暫くは今の自動車を乗り続けることが出来る。そもそもEVはエネルギー効率が非常に悪く、EVを製造するためには大量の化石燃料が必要だ。そのようなEVを政府は補助金という国民の税金を使って富裕層に買わせようとしている。これでは税金が国民に平等に行き渡っているとは言えない。政府は既存のハードをそのまま使えるようなエネルギーの利用をもっときちんと考えるべきだ。自動車にしても今の車をそのまま使うことが出来るような燃料でなければ、貧富の差は時間とともにもっともっと酷くなっていくだろう。

――水素を利用することで、地球の経済や技術が一変すると…。

 丸山 例えば、ロケットを発射させるためには爆発的なエネルギーを発する水素が使われているが、将来的には、ロケット同様に新幹線や飛行機の燃料も全て水素エンジンに変われば良いと思うし、そうなるべきだ。新幹線のパンタグラフもリニアモーターの超電導も水素エンジンに変えれば必要なくなる。そして、水素を利用することによって、今は東京一点集中の日本も、ドイツのように各都市がそれぞれに自立して特色のある国になるだろう。水素は地方創生にうってつけだ。世界中の国も同様に、地産地消となり、規模を小さくして数を多くしたほうが、戦争もなくなっていくのではないか。今の世界は人口の増加(毎年1億人が増加、現在80億人だが2050年には百億人を突破)とともに食糧不足が懸念され、それが人間の遺伝子に組み込まれた弱肉強食という生存競争によって土地や食糧の奪い合いが起きている。人類史7百万年以来、最大の悪夢のような時代の入り口に入ってきている。しかし、先に述べたように水素があれば、食料もそれぞれの土地で作りだすことが可能になり、必要なもの(衣食住)はその地域で賄えるようになる。そうすれば、巨大資源を求めて土地を奪い合う事もなくなり、各地で絶え間なく続いている紛争もなくなっていく筈だ。

――世界中の人口増加にも対応できる力が、水素にあると…。

 丸山 科学技術の発達によって人間は増加し、今や地球上の生物圏の90%以上を人間圏が支配している。そういった在り方に一部の環境保護団体は反対し、「生物多様性がなくなり、結果人類も滅亡する」と訴えている。しかし、事態は逆である。人間が人工的に作った生物の品種は200万種を超えている。過去200年に渡って、生物学者が記載してきた種の数が約200万種なのである。それらの品種は人間の手に留ることなく自然と交配しながら、さらに新しい種を生み出している。人間が生物多様性を消滅させるどころか、色々な生物や植物の品種の激増は、人間が人工的に作ったことがきっかけとなって、更に急増中である。養殖事業、ペットの品種改良、観賞植物など対象は際限なく広がっている。そういった全てを客観的に見ながら、今後の世界をどうしていきたいのか、どうしていくべきか、みんなで考えていくべきだと思う。議論が進めば、現在人口爆発が起こっている国や地域も、自然と落ち着く流れになっていくだろう。良質な教育の普及が鍵である。

――水素生成に欠かせない橄欖石は日本にも存在するのか…。

 丸山 橄欖石は日本にもたくさんある。強大な岩体だけでも、岩手県の早池峰、北海道日高山脈の幌満、四国別子地域、高知県円行寺、徳島県神山、京都府舞鶴、和歌山紀の川下流域、三重県伊勢、静岡県三河など、北から南まで豊富に存在している。私は、現在取り組んでいる水素生成装置について、耐熱性や安全性などしっかりと実験を重ねながら最速で実現化を目指していきたいと思う一方で、将来的には、橄欖岩の粉末がコンビニなどで売られるようになり、その粉末を水に溶かして水素を製造して、電気と熱を利用する生活が出来るようになれば良いと考えている。そして、世界の貧困地域にも水素の供給拠点を作り、巨大資本がすべてを支配するような世界にくさびを打つためのきっかけになれば良いと願っている。[B]

――本紙がインタビューを行った5年前と比べてチベットの現況は…。

 ペマ 昨年、中国はチベットに関する白書の英語版の地名をこれまでの「チベット」から「シーザン(西蔵)」の表記に変更した。他国のチベットに関する干渉をけん制する狙いがある。チベット人からすれば「中華」はバーチャルであって存在していないのだが、中国政府からすると、チベット人は56民族からなる「中華民族」の1つの「チベット民族」であり、その認識を広めたいということだ。このように、習近平体制が続くなか、5年前と比べて同化政策は急速に進んでいる。ほかにも、5歳以上の子どもが事実上強制的に寄宿学校に入れられ、中国語や漢民族の文化を教え込まれる状況が続いているほか、チベット仏教の寺院などが観光スポットとしてのみ維持されている、ダライ・ラマ14世の写真や肖像画を所持していると逮捕されるなど、チベットの言語・文化が徹底的に排除される状況だ。一方で、チベット経済は政府のインフラ整備をテコに発展しているように見えるかもしれない。中国側の統計では観光客が年間2000万人台まで増加しているという。しかし、中国政府がチベット観光を奨励しているのは、50元札の裏にポタラ宮(歴代のダライ・ラマの居城、チベット仏教の総本山)が描かれているのと同様、チベットを中国の一部とする既成事実をつくる動きだ。チベット人が政治的・宗教的な活動をしなければ多少の商売はできるというのは事実だが、観光産業は漢民族系の資本で占められており、チベット人自身はあまり潤っていない。また、鉄道・飛行場の建設は、ビルマ・インド・ネパールなどの隣国に対する軍事的警戒の目的もあり、チベット人のための開発ではない。このほか、インドのブラマプトラ川、東南アジアのメコン川などの国際河川はチベットに上流があることから、中国政府が他国の合意なしに強硬的にダム・水力発電所建設などの開発を進めている問題も顕在化している。

――チベットからの難民がさらに増えているのでは…。

 ペマ チベット人は国外に出ることも難しくなっている。まず、インドとの国境に中国が軍を配備するようになっている。また、2022年、ネパール大統領にネパール共産党「毛沢東主義派」ダハル首相が就任し、同国が難民を中国に送り返すようになった。ただ、最近はそれ以上に、中国経済が傾くなか、中国が自国民に国内にとどまるように圧力を強めている状況がある。例えば、中国国内から外国に、親から海外留学中の子どもに対してであっても、簡単に送金できなくなった。また、海外に渡航する中国人は、旅券(パスポート)を作るときに調達金を預けなければならない。もっとも、これらの制度から分かる政府の狙いと反対に、国民が国外に移住したり財産を持ち出したりする動きは活発になっている。

――これまでチベットと中国政府との対話は行われてきたのか…。

 ペマ 1979年から2012年までは中国政府との対話が成立していた。私の兄のロディ・ギャルツェン・ギャーリ・リンポチェはチベットの政治家で、2010年代前半にはチベット自治区の主席代表を務めていた。兄と私は子どものころにチベットから国外に移住しているが、1980年に3カ月間、中国政府に招待され、私と交渉代表の兄を含めて5人で現地の実態調査に行ったことがある。1966~1976年の文化大革命の後で中国国内の混乱が続いていたため、鄧小平元最高指導者は外交的なポーズとしてチベット問題に取り組んでいた。私たちチベット亡命政府側は、本来のチベットはチベット自治区に加えて青海省・四川省・甘粛省・雲南省のチベット自治州までの範囲を含むものだと考えており、当時は中国政府もそれを認めていた。また、「チベットの人口の8割に当たる経済的に裕福でない農業従事者の生活を向上させる」「学校でチベット語を教えてよい」「寺院を維持してよい」という条件での話し合いがなされていた。その後も、2008年の北京オリンピック開催に向けて、基本的に中国政府はチベット問題について対話の姿勢を取っていた。チベット政府が「高度な自治さえ認められれば独立は求めない」という譲歩案も出し、解決へ前進するかと思われたが、2012年により具体的な話をしようとしたところ、手のひらを返された。習近平体制になってからというもの、チベット政府と中国の対話は全くない。昨今、残念ながら世界的に情勢が悪化している関係で、各国メディアでチベットのニュースはあまり取り上げられていないが、状況が改善しているわけではない。問題を伝え広め、政府に抗議する手段として、1989年ごろまではデモが行われていたが、その後、5人以上の人間が集まる許可のない集会に対する取り締まりが行われるようになった。抗議の手段がなくなったチベット人の一部は自身に油をかけて「焼身抗議」をしてきた。私はこれまでに少なくとも160人が自死を選んだと把握している。ここ数年は自死をほう助した人や自死者の親族も罰せられるようになり、そのようなニュースもあまり聞こえてこなくなった。

――習近平氏の目標とは…。

 ペマ 習近平氏は建国100周年を迎える2049年までに世界のリーダーになると宣言している。これは中国共産党が当初から持つ目標で、本来他国に知らしめるようなものではないが、毛沢東氏による「建国」、鄧小平氏による「経済発展」と「香港返還」に並ぶ功績を習近平氏は残そうとしているようだ。習近平氏の計画通りに中国共産党の影響力が強まることは、民主主義国家にとって、人権や自由、民主主義といった価値観を維持するうえで見逃せない。その点、台湾問題については、中国による武力行使、短期間の戦争は起こり得るため、警戒が必要だ。長期的な戦争は、ロシアのウクライナ侵攻の経過のように、日本も含め世界各国を相手取る形になり勝ち筋がない。いま中国が台湾の問題について息をひそめているのも、ロシアの劣勢を見ているからだろう。開戦後の経済の悪化も予想でき、習近平氏が自身の立場を守るうえでも、少なくとも2025年までは行動に移さないだろう。私から見ると、いまの中国は「運」が向いていない。習近平氏はあの手この手を使っているが、ほとんどすべて成功していない。

――中国のあり方が変わる可能性は…。

 ペマ 日本人、特に経済人は、中国は爆発寸前の火薬庫だと知るべきだ。遅かれ早かれ国民の不満が吹き上がり、クーデターが起きるのではないかと見ている。中国の弱点は国内の留学経験者だ。中国には海外で民主主義社会での暮らしを知った、いわば「自由の空気を吸った」人たちが相当数いる。これは、鄧小平氏の「改革開放」の下で留学政策が推進されたことが理由だ。当時は党内に「資本主義社会に染まってしまう」と懸念する意見もあったが、「口減らし」や外貨獲得の狙いもあり、「人口が多いのだから、千人に一人が帰ってくればよい」という主旨で始まった。結果的に、中国に帰国したのは留学生の60%以上だ。彼ら彼女らは今は沈黙しているものの、現状をよしとしているわけではない。このほか、共産党政権樹立に貢献したにもかかわらず海軍・空軍と比べて軽視されている中国陸軍、習近平体制下で蔑ろにされている共産党青年団もわだかまりを抱えている。中国を変えられるのは中国だと思う。ただ、今のところ彼ら彼女らの不満が爆発していないのは、「点と点をつなぐ線がない」、つまりリーダーがいないためだ。習近平氏は共産党の主要メンバーを地方役人時代の部下で固めている。「裸の王様」の習近平氏に対して不満を持つ人は国内外にたくさんいるが、誰かが火をつけたら大きな火事になると言っても、火をつけるだけの勇気を持つ人がいない。中国がダライ・ラマ法王を敵視するのは、法王が平和の象徴として慕われ、中国の統一を乱す存在となり得るためでもある。中国共産党は存命のダライ・ラマ14世の後継者選出時に介入しようと画策しており、米国では2020年に、介入した場合に中国に制裁を科すことを可能とする法律が作られている。

――日本政府の対応については…。

 ペマ 将来の展望を踏まえて、新しい中国の指導者となり得る人物とのつながりを作る必要がある。香港の民主化の指導者たちは、雨傘運動などの民主化運動の後、当初は日本に逃げてきており、私も親交があった。しかし、日本は彼らを難民として適切に扱わなかった。今、彼らは主に米国、英国、フランス、ドイツ、カナダなど日本以外のG7、一部はその他ヨーロッパ諸国やオーストラリアなどに散らばっており、日本はほぼ通り道になっている。日本がそのような場合に出す特別許可の下では働くことができないことになっているが、欧米各国では職に就くまで援助する仕組みがある。日本が欧米と同じことをできないのはスパイを選別する情報機関が弱いためだろうが、改善する必要がある。また、米国が対中国の文脈でインドとの関係を強化してきた点に注目している。日本の外交においても、安倍元首相とインドのモディ首相が手を握り合い、安倍氏が「自由で開かれたインド太平洋」を唱えたことには中国の覇権をけん制するという点で意義があったと考える。その点、岸田首相が安倍路線の外交を継承し、中国との領有問題などを抱えるフィリピン、ベトナムとの関係づくりに取り組んでいることは、もう少し評価されても良いのではないか。[L]

――「シン・鎖国論(方丈社出版)」を著された…。

 山岡 私は現在の岸田政権を第4の敗戦状態だと思っている。これまで日本は、1945年の第2次世界大戦での第1の敗戦、1951年のサンフランシスコ講和条約調印時に日米安保条約に調印したことで米国からの占領状態継続を認め、完全に独立できなかったという第2の敗戦、そして1990年代初頭のバブル崩壊後、半導体など日本経済をけん引してきた産業を米国から潰され経済が弱体化するという第3の敗戦を経験してきた。2度目の敗戦以降、日本は米国に追随し国連中心主義を唱え、諸外国との協調性を重んじながら経済成長を進めるという吉田ドクトリンを貫いていたのだが、次第に日本は米国を凌駕するほどの経済発展を遂げた。その結果、米国は冷戦終結とともに日本を潜在的敵性国家とみなすようになり、日本経済を徹底的に抑えつけ、バブル崩壊後の経済回復も叶わないほど日本経済を破壊した。そして安倍晋三元総理の暗殺後、自民党議員たちは米国の内政干渉に抗う事が出来なくなってしまっている。例えば、LGBT理解増進法の強引な可決や、米国自身が出来ないウクライナへの経済的支援を日本に強いるなど、もはや日本は完全に米国の属国扱いだ。それが誰の目にも明確になった今が第4の敗戦と認識している。先ずはそういった事を多くの日本人に覚醒してもらう為に「シン・鎖国論(方丈社)」を著した。

――この70年間、多くの日本人が平和で豊かな生活の中で「米国の属国でも良いのではないか」と思い込んでしまい、将来に対する問題意識や危機感が大きく後退している…。

 山岡 日本では戦後、GHQ(連合国軍総司令部)のもと、思想及び言論上での強い統制を受け、いわゆる洗脳教育をされてきた。実際にウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(日本人に罪悪感を受け付けるプログラム)が存在していたことも明らかになり、日本人の中にも少しずつ、今の価値観は米国に植え付けられたものとの認識が増えてきている。しかし、根本的な問題は、吉田茂をはじめとする当時の指導者たちが米国の占領政策をもろ手をあげて受け入れ、自ら軍門に下り、いわゆる吉田ドクトリンという属国平和・繁栄主義の中で自分の身の安寧や利益を享受してきたという事実だ。吉田ドクトリン下の経済発展は属国の域を超えてはならないという現実を日本人は認識していなかった。そして、今の岸田政権はそれと非常によく似た構造にある。そこに日本人は気が付かなくてはならない。もちろん、これまでにも日本人の中に対米自立派はいたが、一朝一夕で日本が自立できる訳ではなく、むやみに反米的な態度をとっても力の大きさが違いすぎるため非生産的であるという判断が大勢を占めていた。

――安倍元総理はトランプ前米大統領やプーチン露大統領とも良好な関係を築いていたが…。

 山岡 安倍元総理は米国の属国とは思えないほど自立した外交活動を展開し、その意味では傑出した政治家だったが、結局、日本の自立度の向上は出来なかった。憲法改正も叶わず、出来たのは集団的自衛権の限定的行使の容認くらいだ。これも実は米軍がすでに展開していることを前提とした集団的自衛権の行使だった。トランプ前大統領に「シンゾー、日本は侍の国なのだから、自分の国は自分で守ったらどうだ」と水を向けられても、安倍元総理はその議論に応じなかったという。しかし、今や米国の社会崩壊が加速度的に進んでおり、それと反比例して日本の自立度を相対的に上げていく必要がある。日本がしっかりと地に足のついた独立国であることを望む米国を始めとする世界中の人たちと連携を取り合い、個人レベルで理解者を増やし、日本の自立度を徐々に高めて最終的に完全な独立を果たすという形にしていく戦略をとるべきだ。そのためには、明治時代に岩倉使節団に同行し、その外交能力を生かして、日本についてポジティブに外国の世論に語り掛け続けていた金子堅太郎のように、海外で仲間を増やす能力をもった日本人の存在が欠かせない。

――米国が東西冷戦の終結後に日本に対して取ったと同様の厳しい姿勢を中国に対して取り、これを反映して株式市場も中国株売り日本株買いという流れになっている。日本の自立も実現しやすい状況にあるのではないか…。

 山岡 残念ながら、日本の株価が上がっても個人消費の増大には繋がっておらず、日本の景気が良くなっている印象は持てない。また、外資による日本株の買い増しが続く中、日本の大企業も株主資本主義の理論に則って株主還元ばかりに気を使い、設備投資も基礎研究も従業員の賃上げも後回しになって自らがやせ細ってしまうのであれば、日本の株が買われていても日本経済が自立していく展開にはなりにくい。外資に吸い取られているだけだ。また、今の米国の民主党政権は、中国を敵に回すポーズをとりながらも、日本を完全に属国扱いし、それに歯向かおうものなら徹底的に叩き潰すような手法を取る政党だ。そして岸田政権は、それに唯々諾々と従っているように私には見える。確かに今は日本の自立度を高めるチャンスではあるが、相手が民主党政権では非常に困難な道のりだと思う。一方で、共和党政権はあくまで米国ファーストであり、日本に対してはある意味突き放すような傾向にあるため、そこにチャンスが生まれると私は考えている。そのチャンスをきちんと捉えて、これまでの様々なしがらみを解消し、日米地位協定や日米合同委員会の存在について解消の提案をしていく。そういったことを、しっかりとした気概をもって挑むべきだ。それこそが本来の「もしトラ」の意味でなくてはならない。

――日本が真の独立国となるために、具体的にどのような政治行動が必要なのか…。

 山岡 例えば、明治維新は日本人だけで成し遂げられたものではなく、その背後には英国の思惑があり、ロスチャイルドやジャーディン・マセソンといった商人の資金も動いていた。米国の南北戦争で余った兵器が売りさばかれて日本の内戦に使われるなど、外国に踊らされたという部分もある。もし、日本人だけの知恵で明治維新を成し遂げようと考えていたならば、あのような悲惨な戊辰戦争にはならなかったかもしれない。そういった過去を踏まえて、現在の日本の局面では、外国に踊らされることなく、日本人が自分たちの手で第二の維新を起こさなくてはならない。ただ、新しい政治勢力となる党を作るにしても小党乱立はあまり望ましい事ではない。自民党を二分するのも一つの考えだが、自民党内に本当に愛国者とよべる議員が何人いるのかは疑問であり、そこは大きな問題だ。特に安倍元首相の死後は自民党保守派の影響力がなくなるどころか手のひらを返した議員たちが沢山いた。そんな中で再統合再編成しようとしても困難なところがある。そこで私は、支持政党の垣根を超えて行動してくれる人たちを探して、その勢力を増やしていくべく、本を書いたり日本中を回って講演したりして、活動の場を広げながら努力をしているところだ。しかし、具体的な解決策として決め手に欠けているのも事実だ。日本が米国の属国から脱却するために私自身も模索している最中ではあるが、そのフレームワークを常に示しながら、今後も賛同者を増やす活動を続けていきたい。[B]

――3月に外国人の技能実習制度を育成就労制度へ変更する法案が閣議決定された…。

 鈴木 技能実習制度を「実態に即して発展的に解消」するとして、育成就労制度という新しい制度が創設されることになった。両者の違いは、制度の目的である。技能実習制度の目的は、少なくとも建前としては、途上国のための「人材育成」であったが、新たな制度の目的は、日本のための「人材確保と人材育成」である。技能実習制度が人材確保の目的で活用されてきた実態を踏まえた変更は、一定の評価ができる。これに対して、日本のための人材育成というのは、未熟練労働者として受け入れた外国人を、深刻な労働力不足への対応として2019年に創設された「特定技能」の技能水準まで育成するということである。ただし、人材育成という目的を残していることが、問題の根本的解決を妨げている。技能実習制度の問題点の1つは、たとえ残業代未払いや長時間労働、パワハラや行動の制限など、労働者として、生活者としての権利侵害があったとしても、実習実施計画に基づいて技能等を修得しなければいけないという建前上、原則、転籍(転職)ができないことである。育成就労制度では、制度上、自己都合の転籍が認められることになったが、人材育成という目的を達成するために、転籍制限が維持されている。

――育成就労制度では転籍制限が1~2年に緩和されたはずだが…。

 鈴木 改定法案は、有識者会議での議論を経たものであるが、有識者会議の中間報告、最終報告、それを踏まえた政府の対応、そして改定法案に至るまで、とりわけ転籍要件に関して変化している。当初は、「1年」だった転籍制限期間が、「当分の間、分野により1年~2年」に変わり、法案では「当分の間」の記述が消え、永続的に「分野により1年~2年」となっている。自己都合で転籍するためには、日本語と技能の試験に合格したうえで、適切な転籍先を探すというハードルがある。そのうえ、例えば、ある分野で2年経たなければ転籍できないとなると、育成就労期間3年のうち転籍先での就労は最長でも1年である。さらに、新しい受け入れ機関は、転籍前の受け入れ機関が支出した初期費用の一部を負担しなければならないので、受け入れ機関としては、3年間働いてくれる外国人を受け入れた方がメリットは大きいだろう。転籍制限の緩和と言われているが、結局、自己都合による転籍は難しく、依然として労働者としての権利が十分に保障されない状況だ。

――外形的な制度の見直しは行われたが、根本的な問題は解決されていないと…。

 鈴木 この背景には、政府が、外国人の権利を保障することよりも、受け入れ側の意向を優先していることがある。これまで技能実習生を受け入れていた企業等からすれば、自由な転籍を認めてしまえば、賃金など条件のよい企業等に移ってしまい、人材確保ができないという懸念がある。自治体としても地域から技能実習生がいなくなるのは困るので、これらの要望に応える形で転籍の自由度が下げられてしまった。そもそもこうした要望の背景には、制度で縛らなければ、労働者が移動してしまう実態がある。転籍を自由にすれば労働者を確保できないと主張することは、労働条件が悪いことを自ら認めているようなものだ。また、技能実習生は20代の若者が中心なので、生活環境が魅力的な地域を好む者が多く、そういう点でも流出が危惧されている。ただ、従来の技能実習制度でも、やむを得ない場合の転籍は認められており、新制度では、やむを得ない事由の要件を明確化し、その範囲を広げたことは、かろうじて半歩前進と評価できる。

――関係諸機関の抜本的適正化が求められる…。

 鈴木 育成就労制度の創設に伴って、これまでの監理団体が「監理支援機関」に名称を変え、外部監査人の設置が許可要件となり、受け入れ機関と密接な関係を持つ役職員を受け入れ機関に対する業務に関わらせてはならないなどの「適正化」が行われた。ただ、これまでの技能実習制度でもこういった見直しは行われていたものの、ほとんど是正されなかったことを考えると、その実効性に疑問が残る。このほか新制度では、外国人技能実習機構に代わる「外国人育成就労機構」が設立されるが、外国人技能実習機構が技能実習生に対して十分に支援できていないことに照らせば、あまり期待できないだろう。結局のところ、送り出し機関も含めて、技能実習制度の関係諸機関がそのまま温存されてしまっていることは大きな問題だ。

――一方で、川口市では不法滞在するクルド人が問題になっている…。

 鈴木 技能実習・育成就労制度と川口市のクルド人は異なる問題だと捉えているが、人権に配慮した受け入れ環境整備が求められる点は共通している。6月に施行される改定入管法によって3回目以降の難民申請者は送還可能になるが、これまでは「難民の送還停止効」によって、難民申請者を強制送還することができなかった。他国なら難民認定されるような人でも、難民認定のハードルが非常に高い日本では不許可になり、非正規滞在を強いられる。母国に帰れば迫害を受ける恐れがあるため、不認定になっても帰国できず、申請を繰り返す。仕事もできず、保険にも入れないため、民族コミュニティの相互扶助に頼らざるを得ず、川口市にクルド人が集住することになった。そのなかには、10年以上日本で暮らすクルド人も多い。日本生まれの子どもや若者もいる。難民認定審査を国際人権基準に照らしたものにするとともに、難民申請者や難民認定者に対する受け入れ環境を整備することも重要だ。日本語や日本のルールを学ぶ機会がなければ、日本人と交流をもつことができず、閉ざされたコミュニティ内で生きることになり、地域社会に分断が生まれるであろう。

――今後、外国人労働者は一層増えると予測されている…。

 鈴木 24年度から5年間の特定技能の受け入れ上限数が82万人と閣議決定された。既に200万人超いる外国人労働者と、特定技能以外の経路からの外国人労働者を合わせれば、5年後にはゆうに300万人を超えるだろう。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によれば、50年後には日本の人口の1割が外国人になると言われている。外国人の受け入れ政策には、「どう受け入れるか」と「受け入れた人にどう対応するか」の2つの側面があるが、これまでの日本は両方とも不十分だった。技能実習制度では労働力不足のために受け入れながら国際貢献と称しており、クルド人に関しては難民として保護すべき人を難民として認定してこなかった。さらに、受け入れた人たちに対して、日本人と同じように活躍できる環境を整えることもしていなかった。第二世代の教育もいまだ課題が多い。一方、日本の人口問題に目を転じれば、外国人受け入れによる社会増は問題解決の1つである。高齢化に伴う介護サービス需要や2024年問題など、あらゆる産業分野で労働力不足が深刻化し、近い将来、24時間営業や翌日配送など、私たちが享受している便利で快適な生活が望めなくなるかもしれない。こうした社会的状況を踏まえれば、試算以上に外国人が増える可能性も高いだろう。ただし、外国人が日本に来てくれればの話だが…。

――今後見直すべき点は…。

 鈴木 今回の法改定は、技能実習制度の問題点を解決しようとしつつも、これまで技能実習生に「依存」してきた産業や地域に配慮したものとなっている。もちろん、技能実習制度廃止による急激な変化の影響を緩和するため、一定の経過措置が必要であることは理解できる。だが、長期的には、国際的な人材獲得競争が激化しているなか、制度で転籍できないように縛り付けなければ労働者を受け入れられない企業等や産業は選ばれなくなるだろう。したがって、受け入れ機関や産業だけでなく、自治体の努力が求められる。首長を先頭に意識改革し、地域の持続可能な発展のためには外国人が不可欠であること、そのためには選んでもらえるような地域を作っていかなければならないことを自覚したうえで、環境整備や意識を変えていく必要がある。ただし、こうした改善努力も一定規模の予算や人員があればできるが、転籍できない技能実習生に頼ってきた自治体は、総じて、財政基盤や人員が脆弱な自治体である。もちろん、自治体としての努力は必要であるが、国全体としても国土のなかに衰退していく地域を作ることは好ましくはないはずだ。環境整備を自治体の自助努力のみに委ねるのではなく、予算措置も含めて、政府としての取り組みの本気度が試されている。[B][N]

――近年、アフリカ諸国、またアフリカを含む「グローバルサウス」に光が当たっている…。

 白戸 アフリカとの関係強化が重要視されるようになった背景として、2点指摘できる。1つめに、アフリカ市場の可能性の大きさだ。日本が初めてアフリカとの結びつきの重要性を認識したのは冷戦の終結後の1990年ごろだが、国連での票田としての期待が主たる動機で、あくまでも外交的なレベルにとどまった。2度目のアフリカブームは2010~2015年ごろで、この時に日本の最先端のビジネス界、経団連や経済同友会でアフリカビジネスの重要性が非常に強く認識された。丸の内・大手町に本社を置くような大手企業の社長・会長方が、安倍晋三元首相とともにケニアのナイロビを大挙して訪問したのが2016年だ。アフリカでは人口増加が世界一のスピードで進んでおり、2050年には25億人に達し、世界人口の4分の1を占めるという予測もある。少子高齢化に伴い日本市場が縮小する一方であることを考えた時、新しい市場としてアフリカは無視できないと経済界のトップの方々は気づいたようだ。以降、さまざまな分野で投資が進み、大手企業では業種を問わずアフリカ市場についてまったく考えていない会社はない。

――経済的な将来性が高い…。

 白戸 グローバルサウスをとらえ直そうという気運は、経済とは違う文脈で高まっている。2つめには、国際秩序の維持が挙げられる。欧米や日本が培ってきた自由主義的国際秩序には、権威主義国家である中国やロシアの台頭によって動揺が走っている。政治体制の問題としては、アフリカなどの新興国において中ロの影響力が強まっている状況は見過ごせない。これらの理由から世界的にアフリカに注目が集まるなか、経済面では日本だけが出遅れている状況だ。実は、中国がアフリカでプレゼンスを発揮するようになったのはこの20年ほどのことだ。かつて宗主国だった英国・フランスや、超大国である米国の方が進出は早い。「失われた30年」にあった日本は経済自体に元気がなく、第2次安倍政権が対アフリカ外交に取り組み、経団連企業に対してアフリカ進出を奨励したこともあったが、企業が付いてこなかった。日本企業がアフリカ進出しやすいような仕組みはとっくに全部できあがっているが、日本のエリートのなかでもアフリカへの認識のレベルが二極化しており、投資という形に具現化しないという状況が続いてきた。

――政府が推進したにもかかわらず、日本企業のアフリカ進出は進まなかった…。

 白戸 日本企業の進出の遅れの理由について研究がなされている。まず、日本企業が提供する製品やサービスが今のアフリカでのニーズにマッチしていなかったという問題があった。例えば、安倍政権は質の高いインフラの輸出に取り組んだが、質が高いということは価格も高く、アフリカの各国政府からすれば、中国やトルコの安いプロジェクトの方が少し質が劣るとしてもありがたい。インフラに限らず、日本企業が持っていく製品は現地の人から見ると日常生活で使うにはオーバースペックだ。ウォッシュレット付きトイレより先に衛生的なトイレが必要とされる土地で競争力のある日本の製品やサービスとは何かという問題がある。また、対アフリカビジネスに限った話ではないが、日本の経営者は良く言えば慎重、悪ければ臆病で「石橋をたたいて渡らない」。内部留保をため込み、投資も最低限しかしない姿勢だ。トラブルに巻き込まれることを過剰に恐れる日本人の国民性もある。アフリカ投資を真剣にやっている企業が少ない背景には、文化的に変え難い点も含めていろいろな理由があった。各社が投資を検討しても、なかなか実現しなかったというところだろう。アフリカ進出への遅れについて考えていると、アフリカという鏡に日本の姿が映し出されていると感じる。

――日本企業が保守的でアフリカ進出に踏み出さないことへの対策は…。

 白戸 1つは、アフリカに既にあるネットワークを活用することだ。効率の面で言えば、日本人をアフリカに送り込むより、現地企業をM&Aで買収し、資金投下だけして意思決定を任せる方がスムーズだ。日本人は「オールジャパン」という言葉が好きだが、「オールジャパン」でやった方が良いこととやらない方が良いことがあるということだ。もう1つは、アフリカでのスタートアップを支援することだ。最近、アフリカで起業する日本人の若者が増えている。今の大企業がかつてスタートアップとして生まれ上の世代を凌駕してきたように、世代交代の時なのかもしれない。個社の判断もあるので、既存の企業を無理に引っ張り出すよりは、新しい企業を育成する方が良いという考え方もあるだろう。JICAや経済同友会によるスタートアップ支援の仕組みもある。それから、アフリカについて正しい認識を持つビジネスパーソンの裾野を広げていくことだ。アフリカに深くかかわり、アフリカの状況について分かりやすく話ができる日本人はそれなりの数がいるので、子どもたちに学校で話をしたり、SNSを活用して情報を広めたりしていくようなインフルエンサーが増えると良いと思う。できるだけ私も裾野を広げる役目を果たせるように努力したい。

――日本企業がアフリカ進出の足掛かりとするのに適した地域はどこか…。

 白戸 アフリカは、日本の約80倍の広さの土地に54の国があり、5地域に分けられる。そのうち、多くの日本企業が拠点を置く場所は2地域に絞られる。1つが南アフリカ共和国で、アフリカ大陸全体に居住する日本人約8000人のうち、1000~1500人が住んでいる。私もかつて毎日新聞社の特派員として駐在したが、拠点としてインフラの点でも言語の点でも進出先の定石だ。もう1つは東アフリカだ。なかでもケニアのナイロビが発展しており、小説『沈まぬ太陽』(山崎豊子著)の時代は企業の左遷の地だったが、今は各社が優秀な人材を送り込みビジネスを開拓する窓口になっている。周辺のウガンダ、タンザニア、エチオピアも爆発的な経済発展を遂げており、タンザニアの交通渋滞やエチオピアの高層ビル群には目を見張るものがある。

――アフリカで特に市場の拡大が見込まれる業種は何か…。

 白戸 難しい質問だが、人口構成に注目することはできると思う。アフリカ大陸全体では人口の70%が35歳以下、60%が25歳以下と、昭和23~27年ごろの日本の人口構成と似ている。単に市場が大きいということで言えば自動車などももちろん売れるが、特に若者が消費するような加工食品や衣料品は間違いなく需要があるだろう。例を挙げると、味の素はナイジェリアを中心に長年アフリカビジネスを続けており、ふりかけて使ううま味調味料が売れてきた。また、カネカの女性用ウイッグの販売も成功している。高度経済成長期の日本で求められていたものを思い浮かべながら、時代に合わせて健康や環境にも配慮して、現地の人々が買えるものや欲しいものをどう作るか、現地の人々の生活を豊かにすることにどう力になれるかを考えていくと、お互いに幸せなのではないか。

――新興国の場合、事務所設立などあらゆる認可の場面で賄賂が要求されるといった問題もある…。

 白戸 国によって状況は異なるが、汚職や政治腐敗はアフリカで全大陸的に深刻な問題で、各社が苦労している。対策の1つは進出する地域を選ぶことで、南アフリカなどでは比較的賄賂を払わずに済む。裏金を積まないと事が進まない地域もあるが、残念ながらそのような地域は発展から取り残される傾向にあり、あえてそこに進出する必要はないと考える。もう1つは、直で政府とやり取りすると政治家が介入するが、現地の民間企業と組むことで問題が軽減できる。加えて、欧米諸国やインドの企業との連携も重要だ。汚職をどのように回避するかということに悩んできたのは日本だけではない。JETROの提唱してきた「第三国連携」はこの文脈で、他国のネットワークと知恵を使って汚職をできるだけ回避していこうとしている。一方、中国企業などは日本企業と比べると賄賂を払っているという話は聞く。

――政府に期待する今後の取り組みは…。

 白戸 日本での留学・研修経験のあるアフリカの方々とのつながりを維持することだ。第2次安倍政権の時、「ABEイニシアティブ」という制度の下、アフリカから延べ1600人の優秀な若者を日本の大学院や企業に招いて勉強・研修してもらった。素晴らしい取り組みだったと思うが、彼ら彼女らの帰国後、そのまま関係が途切れてしまっているケースもある。日本のことを愛してくれる人たちは日本にとって財産だ。日本とベトナム、インドネシアの例のように、日本の大使館や日本企業で働いてもらったり、日本企業進出の際の水先案内人になってもらったりするような仕組み、きめ細かいフォローアップが必要だ。そのような取り組みを通じて、アフリカが人口増加に伴って経済成長をしていくその勢いを、何とかして人口減で衰えていく日本を再建する力に活用できたら良いと思う。また、繰り返しになるが、自由な社会に住みたい、世界のなかに自由主義的な価値観を理解してくれる仲間を増やしたいということを考えた時にも、アフリカとの付き合いは中長期的にわれわれ自身の利益になる。目先の経済的な利益だけでなく、自由な社会の維持という観点からも一生懸命に関係を続けていくことが重要だと考える。[B][L]

――海洋基本法改正案を作られた。その狙いは…。

 黄川田 昨年、第4期海洋基本計画が策定された。今は、それに基づいて省庁横断で海洋開発重点戦略を作ろうとしている。それは具体的に、①管轄海域の保全のための国境離島の状況把握、②特定離島である南鳥島とその周辺海域の開発の推進、③海洋状況把握及び情報の利活用の推進、④AUV(深海用自律型潜水調査機器)の開発及び利用の推進、⑤洋上風力発電のEEZ(排他的経済水域)展開に向けた制度整備の推進、⑥北極政策における国際連携の推進等といった事だ。これらをしっかりと法的に位置づける事が、今回の海洋基本計画改正案の目的だ。早ければ、今国会での改正を目指している。ただ、政治状況が難しい局面にある中で思うようには進んでいないというのが事実だ。遅くとも、今年中には何とかしたいと考えている。

――海洋開発重点戦略の6つについて、具体的にはどのようなことを行うのか…。

 黄川田 海洋開発重点戦略については、今年度に前述の6つのミッションを取り上げた。今後、ミッションについては、海洋政策や科学技術の進展により更に追加することもあるし、或いはミッションが終われば戦略終了となるものもある。今の段階では、例えば国境離島の状況把握については、離島振興法でも取り組みを進めているため、そこで足りないものを補うためにおさらいをしていくといった感覚だ。また、洋上風力発電については今国会で我が国EEZ内での浮体式洋上風力発電の形成が可能となる見通しであり、それに則って必要な制度整備を推進していく。浮体式の洋上風力発電は設置場所を決めるのにも、台風の問題や送電の問題などをひとつひとつクリアにしていかなくてはならない。いずれにしてもまだメニュー出しの段階で、それぞれの重点戦略の内容については2024年度に行うことになっている。今回の海洋開発が、日本が歴史的、文化的に強みとしてきた漁業に影響せず、環境問題にも十分配慮した上で共存させていくために、関係各所としっかり協力体制を敷きながら慎重に進めていく。

――中国の活発な海洋進出を考えると、一刻も早くミッションの実現が必要だ…。

 黄川田 確かにそうだ。よって省庁横断的な海洋開発重点戦略をつくって、それぞれのミッションを力強く前に進めようとしている。しかし不測の事態も起こってしまった。新型コロナウイルスのパンデミックにより、技術者や研究者が国内外を自由に往来できなかったり、ロシアによるウクライナ侵攻により海外に発注していた部品や機材の生産が遅れ、調達が思うようにいかなかったりしたこともあった。そのような困難を乗り越えて、内閣府のSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)で進めているレアアース泥の開発については、来年の2025年には、海底6,000m下からの揚泥試験をすることができる見込みだ。いよいよ日本が世界で初めて海底レアアース泥を連続的に揚泥する技術を開発することになる。今から楽しみだ。この日本産レアアースの連続生産に成功した後に、産業化に向けてやらなければならないことがまだまだ沢山ある。それを海洋開発重点戦略のミッション「特定離島である南鳥島とその周辺海域の開発の推進」で行うことになる。例えば南鳥島沖で採り上げたレアアースを全て本土に輸送するには距離がある。南鳥島にレアアースの精製濃縮プラントをつくって、その製品になったレアアースを空輸することも検討する必要もあるかもしれない。また、環境問題にも十分配慮して開発を進めていかなくてはならない。そういった部分で、省庁横断での対応が欠かせない重要なプロジェクトだ。現在、南鳥島に一般人の往来はなく、住人は気象庁と国土交通省と自衛隊の併せて70名程度しかいない。滑走路は約1,400メートルしかなく、大型のジェット機の離発着は難しい。私は自衛隊のプロペラ機で南鳥島に行った。採掘したレアアースをどのように運び出すのか等、具体的なことはこれからの課題だ。一方で、南鳥島は完全に日本管轄のEEZ内である。よって南鳥島周辺のEEZの海洋開発に際して中国からクレームを受ける心配はない。しかし、技術開発に関する中国への情報漏洩がないよう情報管理については非常に注意をしている。

――メタンハイドレードの実用化については…。

 黄川田 今回の海洋開発重点戦略のミッションには、メタンハイドレードに関連するものは含まれていない。メタンハイドレードについては既に資源エネルギー庁主導で取り組みが行われている。こちらも当初の予定より遅れているので、色々な国会議員の先生方から苦言やお叱りの声をいただいている。私も資源エネルギー庁から話を聞くたびに計画が変更されているので心配をしている。志摩半島沖合で2013年と2017年に産出試験をした時は、ガスを吸い上げる際に泥や砂で装置が目詰まりを起こす現象等が発生して、連続生産を予定の期間行うことができなかった。現在、JOGMECがアラスカで砂層型メタンハイドレートの長期陸上産出試験を行っている。アラスカやシベリア等の凍土にもメタンハイドレードが存在しているので、コストや技術面も考えて場所を海底から陸上に移した。この陸上産出試験の知見をもって、近い将来、日本の太平洋沖で再び海底産出試験を行う予定だ。しかし様々な課題がまだ残っている。自然を相手にしているので、予想と現実が違う事は多々ある。

――海洋開発重点戦略を法制化する理由は…。

 黄川田 内閣総理大臣を本部長、海洋政策担当大臣を副本部長とする総合海洋政策本部に海洋開発重点戦略の作成を義務付け、本部機能を強化することで、海洋政策を強力に推進する仕組みを新たに設ける。海洋基本法は2007年に議員立法によって作られた経緯から、今回の改正も議員立法で行う。2007年制定以来、初めての改正となる。総合海洋政策本部を補佐する立場にある内閣府総合海洋政策推進事務局(以下、海洋事務局)の機能も強化する必要がある。具体的には、内閣府設置法を改正し、海洋事務局の所掌事務の範囲を広げる。海洋事務局に独自の予算をもてるようにする。今まで海洋事務局は総合調整しかできなかった。言い換えると、海洋事務局は関係省庁にお願いベースでしか仕事を頼むことしかできなかった。内閣府設置法を改正して、海洋事務局の所掌事務に「海洋開発等重点施策に関すること」等の分担事務を追加することができれば、各省庁に予算をもってして仕事を振り分けることが可能になり、海洋開発の推進力を強めることが出来るようになる。今通常国会で法改正を実現し、25年度の予算計上を目途に、手続きを進めているところだ。

――海洋政策を推進する難しさとは…。

 黄川田 海と比較されるのは宇宙だ。宇宙はそれほど省庁に跨って物事を進める必要はなく、今はJAXA(宇宙航空研究開発機構)がその宇宙開発の実行部隊を担い、政府はJAXAに何をやらせるかを決めて指示すればよい。一方で、海については、海洋研究分野を担うJAMSTEC(海洋研究開発機構)や開発分野を担うJOGMEC(エネルギー・金属鉱物資源機構)があるが、その他、水産業に関連する農水省、海上保安庁をもつ国土交通省、経済産業省のエネルギー資源庁など、多岐に亘る組織が関わっている。そのため一箇所に仕事を任せれば事足りるということにならない。そこで内閣府の海洋事務局が重要な役割を果たすことになる。前述の内閣府設置法を改正し、海洋事務局の機能を充実させることが重要だ。それが上手くいけば、もっと色々な事がやれる筈だ。

――日本の海洋開発において注目すべき点は…。

 黄川田 日本の海洋開発には様々な可能性を見出すことができる。その中でも日本のEEZ内に多く存在するレアアース泥の開発を加速化したい。これにより日本の資源安全保障に大きく貢献できる。レアアースは環境技術や先端技術に欠かせない資源だ。ネオジムは永久磁石に欠かせない元素であり、ハイブリッド車のモーターに使われている。日本の基幹産業である自動車産業等に必須の金属だ。南鳥島EEZ内に分布している豊富な高品質のレアアース泥を活用できるように環境を整えていく。また、南鳥島の我が国EEZ内にある第5拓洋海山には、電池材料として不可欠な資源を含むコバルトリッチクラストが豊富に存在していることが分かっている。この第5拓洋海山は、テーブル状の巨大海山だ。そのテーブルの面積は東京都ほどの面積を有し、海底から5,500mもの高さがあり、巨大さに驚く。そして、富士山と同じ玄武岩でできている。この玄武岩がとてもよく二酸化炭素を吸収することがポイントだ。今後SIPでCO2の海上輸送方法や大規模なCCS(二酸化炭素回収・貯留)に使えないか調査・研究する。すでにアイスランドで実証実験も進んでおり、第5拓洋海山でCCSが出来るようになれば、日本の進めている2050年カーボンニュートラルに向けて大きく前進する。日本の海洋は多くの可能性を秘めている。日本の海を守り、開発し、利用することによって、日本国民をより豊かにすることができると信じている。[B]

――昨年末にステージ4のすい臓がんであることを公表してから、精力的にメディア業界のタブーについて発信されている…。

 森永 私はメディア業界で仕事を四半世紀以上も続けているが、この業界で絶対に言ってはならないタブーが3つあった。それはジャニーズ問題、「ザイム真理教」、日本航空123便の墜落事故で、このことを口にすると即刻業界から干されることになる。私も子どもを育てている間は家庭があるため本気でこの3大タブーと戦うことができなかった。しかし、ジャニーズ問題を英国のBBCが報じたことで、日本のメディアの報道姿勢が変わりつつあることを目撃したとき、世の中は大きく変わるのだなと強く感じた。これまでは、ジャニーズの悪口を言ったら即刻干されるし、ジャニーズ事務所の所属タレントが事務所を退所すれば当分はテレビに出られない状況だったが、今では退所して翌日にテレビに出られるほど正常化している。残るタブーは「ザイム真理教」と日本航空123便の問題で、ここ数年は2つの問題を世に問うために活動していると言っても良い。このうち、「ザイム真理教」について記した『ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルト』(発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)は、経済書にもかかわらず異例の18刷まで増刷している。残る日本航空123便については、昨年の12月までに9割方書けていたが、がんの告知を受けて抗がん剤を打ったところ全く動けなくなってしまったため作業が全く進まなかった。ただ、新薬を投与したおかげで思考能力が回復してきたため、ICレコーダーに吹き込んだものをIT企業に勤める次男に頼んで原稿に起こしてもらった。普通の人はがんになったら残りの人生を楽しんで終わろうと考えるようだが、私の場合は戦いながら死のうと考えた。がん宣告されたときに余命半年も無いと医師から伝えられたため、今回、文字通り命を賭けて『書いてはいけない――日本経済墜落の真相』(発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)を書きあげた。日本経済が大転落してしまった背景には、財務省の緊縮財政に加え、日本航空123便を契機とした対米全面服従路線に走ってしまったことがあると、世に残したい。

――日本経済が財務省の財政均衡主義で悪くなっていると…。

 森永 1980年代半ばまで日本のGDPは世界の18%を占めていたが、今はたった4%と、4分の1以下に大転落してしまった。消費税が導入される前の1988年と現状のサラリーマンの手取り収入を消費税の影響込みで計算すると、1988年よりも今の方が低い。日本以外にそんな国はどこにもないし、これからも増税・増負担が繰り返されようとしている。今はまだどう考えてもデフレだが、そのなかで日銀は3月~4月に金融引き締めに向かい、財務省は異次元少子化対策増税や防衛増税などの負担増を行い、さらに手取りを減らそうとしている。この背景には、財務省が熱心に「布教」する、「ザイム真理教」がある。ザイム真理教の教義は「財政均衡主義」だが、経済学では景気が悪化したときに財政出動を行って需要を喚起するのは当たり前で、短期的な財政均衡主義は誤っていることは自明だ。さらに、長期的にも財政均衡主義は誤っていることも説明できる。財政の穴埋めのために発行した国債の元本は借り換えによって日銀が永続的に保有することで政府の返済の必要がなくなり、利払いについても政府が日銀に支払った利息はほぼ全額国庫納付金として戻ってくるため、実質的に利子負担はない。一方、このやり方を続けるとハイパーインフレが訪れることになるが、日本の場合、このやり方での財政資金調達の天井が相当高いことをアベノミクスが証明している。この点、経済学的にも説明が可能なこの理論がなぜ世の中に浸透しないかというと、財務省が政治家と国民を洗脳し、大手新聞社をも強力なサポーターとする宗教的メカニズムが働いているためだ。実質賃金が低迷するなか物価は上がり続け、国民生活は厳しくなる一方だが、これを打開するには財政均衡主義から脱し、大幅な減税と財政出動を行わなければならない。

――確かに、実質賃金が減少している一方で、税収が大幅に増加していることへのマスメディアの批判は見当たらない…。

 森永 ジャニーズについては、既に多くの国民が知るところになったが、最高裁でジャニー喜多川被告の刑罰が確定したものの、マスメディアはほとんどが報道せず、その後相当の年月を経てBBCが報道して大騒ぎになった。「ザイム真理教」についても、35年以上前よりも手取の賃金が低く、その間GDPも全く成長していないことについての批判がマスメディアでは見当たらない。ゆえに、多くの国民が経済で何が起きているのか、全く理解できていないのが現状だ。

――日本航空123便の墜落事故については…。

 森永 新刊で最も世に訴えたかったことが、この日本航空123便の墜落事故の真相についてだ。当時は、中曽根内閣が打ち出した防衛力増強に対して野党や国民がかみついていた時代だった。今と時代が全く異なっていて、社会党は自衛隊が憲法違反だと訴えていたし、大多数の国民は防衛費を増やすなんてとんでもないと考えていた。日本航空123便の墜落事故についての公式発表では、1985年8月12日の午後5時12分に羽田空港から伊丹空港に向けて飛び立った日本航空123便は、伊豆半島に差し掛かった時に米ボーイング社の修理ミスで圧力隔壁が破断し、そこから噴き出した空気が油圧系統を破壊して、コントロール不能に陥ったとされている。ただ、当時からおかしな点が何点もあると考えていた。まず、123便はエベレストの頂上に近い高度を飛行していたので、圧力隔壁に穴が空いたなら急減圧が起こり、搭乗者は目や耳を痛めてしまうはずだが、生存者の目や耳にそんな外傷はなく、ボイスレコーダーを聞くと操縦士や副操縦士、航空機関士が酸素マスクをしていないことが明らかになっているが、急減圧が起きた場合そんなことはありえない。さらに、墜落現場についての情報が二転三転し、翌日の朝まで分からなかったことも不可解だ。レーダーは墜落直前まで123便を追尾していたはずだし、目撃証言によると、123便を自衛隊のファントム機・二機が墜落直前まで追いかけていたという。自衛隊機が目の前で墜落する瞬間を見ているはずなので、政府がそれを把握できないということはあり得ない。加えて、今回調べて分かったことだが、メディアも当日に墜落現場を把握していたことが明らかになっている。最初に墜落現場を発見したのはラジオ局の文化放送の報道記者だった。たまたま休暇を取って近くに滞在していて、本社からの情報提供を受けて事故現場に近い長野県北相木村に行ったが、彼が書いた回顧録を読むと、「現場に着いたが、実際は山の向こうの御巣鷹方向に赤い炎が上がり、空が真っ赤になっていて、心が痛んだ」と書いてある。文化放送にお願いして社内報を見せてもらったが、彼は実際にそのことを書いていた。メディアも当日の夕方にはおおよその場所を把握していたにもかかわらず、翌日朝まで事故現場の報道をしなかったということだ。さらに、ニュースステーションが1995年に報道しているのだが、米軍はC130という輸送機で墜落現場を墜落直後に発見して、当日のうちに横須賀基地から救援用のヘリコプターを飛ばしていた。ロープをおろして救援に入ろうとした時点で、日本政府からの帰還要請を受けて、米軍は被害者を救援できたにもかかわらず帰らざるを得なかった。この告発をニュースステーションがしたが、その後にテレビや新聞が取り上げることはなく、一切無視されている。

――墜落事故現場で何が起こっていたのか…。

 森永 現場では実に恐ろしいことが起こっていた。公表された飛行ルートでは何らかの形で事故が発生した123便は羽田空港に戻ることを目指し、山梨県大月市の上空を一周したとされたが、それを見た私は最初、日航123便は迷走状態に入ったと考えた。ところが、高度も含めて正確にルートをたどると、米軍の横田基地に着陸するための正確な高度を下げるルートを辿っていて、もう少しで横田基地への着陸態勢に入り、米軍も横田基地に着陸許可を出していたという証拠がある。そこで、機長のボイスレコーダーの記録では、「このままでお願いします」との記録が残され、つまり、このまま横田基地に着陸させてくれという依頼だと思うが、その後123便は北に向かう。123便の機長のボイスレコーダーの情報はその部分が消され、北に向かった原因は全く分かっていないが、日本政府からの指令なのか、日本航空からの指令なのか、追尾していた自衛隊機からの指令なのか、目指す方向を横田基地から北に変更したが、高濱機長は「これはだめかもしれないね」と弱気のコメントを残している。それでも123便はあきらめなかったことが明らかになっており、公表されている飛行ルートには入っていないが、地上からの目撃情報で長野県の川上村のレタス畑に不時着しようとしたことが明らかになっている。そこでもなぜか不時着が許可されず、山間を縫って御巣鷹山の尾根に向かい、第4エンジンが粉々になった姿で見つかる。公式見解では、墜落するときに立木に当たってエンジンが木っ端みじんになったとされているが、ジャンボ機のエンジンは7トンあり、バードアタックなど強い衝撃を普段から受けることが想定されているため、木に当たったくらいで粉々になることはない。自衛隊がミサイルを撃ち込んで撃墜させた以外の原因が見当たらない。

――なぜ自衛隊は日航123便を墜落させたのか…。

 森永 それには2つの説がある。1つ目は相模湾で新たに引き渡しを受け、訓練を行っていた護衛艦に爆薬を積んでいないミサイルを搭載していて、何らかのミスでそれが上空に飛び、それが123便に当たってしまったという説だ。2つ目は、無人標的機を狙ってミサイルを撃ち込むという訓練をしていたが、何らかの事故で無人標的機が行き先を失い、123便に当たってしまったという説だ。私は軍事の専門家ではないので、どちらが正しいかどうかはわからないが、いずれにせよ自衛隊のミスで123便を撃墜してしまったと考えている。

――自衛隊への反対論が強い当時の世論では、政府は自衛隊機が民間機を撃墜したなんて言えなかった…。

 森永 そこで当時の政府は、圧力隔壁の修理ミスが原因で墜落したことにして、米ボーイング社に泥をかぶってもらったのだ。しかし、そのツケは大きかった。墜落からわずか40日後の1985年9月にニューヨークで結ばれたプラザ合意によってドル円は約2倍の円高になり、日本のすべての輸出商品に100%の関税を掛けるのと同じ効果を示す。それにより戦後絶好調だった日本経済は大転換を迎えることとなった。また、1986年に日米半導体協定が結ばれ、それまで5割だった日本の半導体シェアは1割まで縮小した。1989年の日米構造協議に始まる、日米包括経済協議、年次改革要望書、米経済調和対話といった日米の貿易不均衡を是正する名目で行われてきた会議では、日本はすべて米国の言いなりになっていたし、年次改革要望書では表向き日本も米国の構造改革を要求できることになっているが、日本の要求で米国が動いたことは一度もない。米国は要望を出すだけでどうにでも日本を動かすことができる状態に陥り、日本は米国の完全な植民地と化している。この原点は、日本航空123便の墜落事故だ。

――ここまでの話が本当ならば、とんでもないことだ…。

 森永 私は、今からでも遅くないと思う。日本政府は日本航空123便の墜落事故の真相を明らかにし、すべて認めるべきだと考えている。幸か不幸か、ボイスレコーダーとフライトレコーダーは日本航空本社が所持しており、そのデータを公表してしまえばすべてが明らかになる。遺族側も戦っていて、墜落事故の遺族の吉備素子氏が日本航空に開示請求を求める裁判を起こしており、現在は最高裁に上告されている。この事件の真相を開示することが、日本が独立国として主権を取り戻す第1歩になるだろう。今の日本が本当に情けないのは、さまざまな政策に表れている。防衛費倍増では、米国から購入したトマホーク400発のうち、200発は新品だが、もう200発は型落ちの在庫処分品を押し付けられたなど、米軍のための自衛隊を作ろうとしている。また、熊本にTSMCという台湾の半導体企業を誘致したが、米国の工場では回路幅が3ナノという最先端の半導体を製造するが、熊本の工場では回路幅が十数ナノという相当遅れた汎用品を作ろうとしている。何で日本は型落ちの生産を行わなければならないのか。最後に、米国が郵政民営化を要求してきたとき、郵便事業の民営化ではなくゆうちょの民営化を要求し、200兆円の預金をゆうちょから吐き出せと言ってきた。これについて証拠はないものの、岸田総理の貯蓄から投資への移行や新NISA制度は、世界中で起こっている株価バブルの最後のババを日本人に引かせようということだと思う。新NISAのタイミングは最悪だというのは、金融資本市場の人間なら分かるが、素人はそんなことわからない。米国のS&P500やオールカントリーを買えば、ほったらかしで金が増えていくという神話を信じてしまっている。日本が主権を取り戻し、自分の国のことは自分で決められる国にならなければ、転落は継続する一方だ。[B][N]

――日本では株価が急騰しており、バブルの懸念も出てきたが…。

 宅森 株価は皆が動く方向へ動きやすい。中国株から日本株へのシフトや、新NISA、円安等、様々な条件が重なって今の日本株高の状況があり、それは基本的には悪くないことだ。相場格言に「辰巳天井」という言葉があり、1950年以降のデータでみて、十二支の中で辰年は日経平均・前年比が平均28%上昇と一番高い。十二支は、もともと草木の成長を表すもので、辰は「草木が成長し形が整う」時期に当たる。今年はそのジンクスが守られ、株価上昇に繋がったようだ。また、今年のマグロの初セリが1憶1424万円で落札されたことも、株価を見るうえでの安心感に繋がる。マグロの初セリが1憶円を超えた年は過去3度とも全て日経平均株価が2桁上昇している。新年のご祝儀相場となる初セリでこの値段を付けるには、業者にそれだけの余裕がなければできず、そこで全体の景気環境を見ることが出来るという訳だ。実際に、最近の日本ではGDP成長率はさほど伸びていなくても、企業収益自体はかなり良い状態であり、円安が進んだこともあり輸出企業が好調だ。商品の値上げも国民から許容される雰囲気にある。価格転嫁できれば企業収益に繋がるため、あとは企業が賃上げをきちんと実施してくれるかどうかだ。春闘では、昨年の賃上げ率3.6%を超えられるとの見方が強まっている。環境的には悪くないと思う。

――今年の注目イベントは…。

 宅森 米大統領選挙が注目される。米国の政権と経済の関係性を見ると、大統領選挙の年には、民主党出身の大統領の方が共和党出身の大統領より株価は上がりやすいというデータがある。1961年以降、民主党の時はNYダウが平均10.6%上昇、共和党出身の大統領の時は2.7%の上昇となっている。民主党の方が景気拡張的な政策を取りやすい傾向にあることが背景のようだ。また、今年はオリンピックイヤーだ。過去、海外で開催されたオリンピックで日本が金メダルを10個以上獲得した年は、大会期間中の株価が上昇するというデータもある。景気の悪い年の今年の漢字は暗いものが多いが、年末恒例の今年の漢字も夏のオリンピック開催年は、オリンピックで日本勢が活躍して金メダルを獲得することで明るい「金」が選ばれることが多い。2021年東京オリンピックの今年の漢字も「金」だった。日本は10個以上の金メダルを獲得し、若干だが大会期間中に株価が上昇した。

――景気の後退リスクとなるものは…。

 宅森 民間のエコノミスト40人弱を対象に毎月行われている「ESPフォーキャスト調査」で、3カ月に一度、景気後退リスクに関する特別調査が行われている。直近の1月調査では、景気後退リスクとして最も多く挙げられた項目は米国景気の悪化、2番目が中国景気の悪化、3番目が賃上げ不足だった。米国景気に関しては、3月7日時点のアトランタ連銀のGDPナウが1~3月期2.5%程度の成長を予測していることに代表されるように、目先安定した成長軌道を辿りそうだ。また、最近の2月雇用統計にはインフレ圧力を引き起こす賃金上昇加速などを示す証拠はなく、米国景気は11月の大統領選挙までは景気腰折れ要因にはならないだろう。

――今後の景気を見る際のポイントは…。

 宅森 企業がきちんと従業員に対して賃上げを行うのか、設備投資を実施していくのかが、今後の景気を見るうえで重要なポイントとなろう。実質GDPは10~12月期第1次速報値時点で、個人消費と設備投資が3期連続マイナスだった。実質GDPが前期比年率▲0.4%と2期連続マイナスになったことで、形式上のリセッションを懸念する向きもあった。しかし、10~12月期の法人企業統計は強く、それが基礎統計に使われた第2次速報値で設備投資がプラスに転じ、個人消費は減少率がやや拡大したが、実質GDPは前期比年率0.4%増とプラス成長に転じた。また、人手不足と資材の高騰化のため建物系の設備投資が弱い。一方で、機械受注に関しては一昨年の11月から続いていた低迷状態からようやく抜け出し、昨年12月の数値は2.7%増、そして今年1~3月の見通しは4.6%増とプラスが見込まれている。目先は、1月の鉱工業生産が一時的に大幅減少した影響も懸念されるが、人手不足対応のデジタル投資などが出てくる可能性が大きい。

――個人消費が3期連続でマイナスとなった背景などにあるものは…。

 宅森 個人消費に関しては、やはり物価が上がっている事が大きく影響している。消費者物価指数の上昇が賃金の伸びを上回っている。また、暖冬という事も冬物需要に影響しているようだ。内閣府「消費者マインドアンケート調査」によれば、2年前のロシアのウクライナ侵攻後、物価見通しは「上昇する」が「やや上昇する」を常に上回り、物価急騰を懸念する向きが多かったが、直近の2月調査では「やや上昇する」の割合が最も多くなり、物価上昇見通しも幾分落ち着いてきた。しっかり賃上げが行われ、消費者物価指数の前年比が2%程度で落ち着けば、やがて実質賃金は前年比プラスに転じていこう。消費者態度指数は昨年夏場にはもたついていたが、10月から上昇傾向に変わり、直近では21年頃の数字に戻ってきていることも、個人消費にプラスに働こう。

――物価の見通しは…。

 宅森 食料では一時期よりも物価上昇率が落ち着いているものがある。例えば、鶏卵だ。卵は色々な材料に利用されるため、鶏卵価格が落ち着くと、財の消費者物価を安定化させる一要因になるだろう。しかし、テクニカルな物価上昇要因があり、23年2月分から適用された電気・ガス価格激変緩和対策の効果が一巡したため、2月の物価指数・前年同月比が上昇することになる。国内企業物価指数では1月の+0.2%から2月+0.6%上昇へと14カ月ぶりに伸び率が高まった。ウエイトが1000分の58.4ある電力・都市ガス・水道の下落率が1月の▲27.7%から2月は▲21.9%へと5.8ポイント改善したことが主因だ。消費者物価指数・前年同月比も2月に同様な理由で上昇することが予測される。さらに、今春で対策が終了する時点でエネルギー価格の低下要因が剥落し、前年同月比の上昇に寄与することが見込まれる。原油価格はWTIでみると1バレル=70ドル台後半程度で推移している。ウクライナ侵攻直後の100ドル超になった時期に比べれば随分落ち着いている。入着原油価格の前年同月比は前年の水準に影響されるので、最高で4月頃に10%台前半をつけるにとどまりそうだ。1月の全国消費者物価指数で財の前年同月比は2.1%上昇、サービスの前年同月比は2.2%上昇で、サービス価格も2%程度のしっかりした伸び率になっている。サービス価格はいったん上がるとなかなか下がらない。ただ、この部分は賃金上昇につながるため、足元では望ましい上昇と言える。今年は消費者物価指数・前年同月比は年末にかけ緩やかに鈍化しようが2%台は維持しそうだ。日銀の政策変更をしやすい環境になっているのではないか。

――中国の動きについて思う事は…。

 宅森 不動産不況が懸念される中国。ESPフォーキャスト調査の中国製造業PMI見通しでは、昨年11月時点までは先行きは上昇を予想する回答が多かったが、今年2月の調査では横ばいという意見が多くなっており、これまでの楽観的な見方が変わってきているようだ。今後、中国が国債を大量に発行して目先の景気を下支えするなどの動きもあるが、中国を見ている日本人エコノミストの考えが少し変化している事は確かだ。

――1月の景気動向指数の判断は「足踏み」に転じたが…。

 宅森 1月の景気動向指数を使った景気の基調判断が「改善」から「足踏み」に転じたのは、不正のため稼働停止となった一部の自動車工業などの影響だ。一時的な要因によるもので、「改善」に戻るとみられる。但し、「足踏み」から下方修正されると、「改善」に戻るのには早くても3カ月ほどかかる。そうすると「足踏み」というイメージから、景況感に、もたつき感が出てきてしまう懸念がある。また、実質GDPは1~3月期に再びマイナス成長に転じそうだ。こうした経済指標の悪化は一時的な足踏みで、景気の基調は底堅い。速報性のある2月の景気ウォッチャー調査などの一連の数字を見る限り、全体的にみて今の景気は悪くはない。経済指標の表面的な動きに惑わされずに、企業が政府の後押しがある今のうちに設備投資をしておけば、日本経済低迷の理由の一つとされている生産性の悪さも改善されていく筈だ。[B]

――信託博物館の意義とは…。

 永田 当館は2015年、若林辰雄三菱UFJ信託銀行社長(当時、現顧問)の時に、三菱UFJ信託銀行(以下MUTB)の設立10周年を記念して日本工業倶楽部会館1階に開業した。「信託」の歴史や事物の紹介でその理念を伝えることが目的だ。展示は3つのセクションに分かれている。メインは、信託の起源と発展・成長について歴史を概観するパネルや資料の展示だ。順に、古代エジプト、ローマなど紀元前から世界各地に存在していた信託と似た仕組み、英国での現代の信託に直接通じる信託の誕生・確立、米国での商事信託の発展、明治後期以降の日本での信託のあり様を解説している。このほか、信託に関する映像上映のコーナーや、作者ポターのナショナルトラストへの貢献からMUTBイメージキャラクターに選ばれているピーターラビットに関するコーナーなどを設けている。解説の正確さも重要だが、テキストを全部じっくり読む時間のある人は少ない。来館者に関心を持っていただき、理解してもらうために、ビジュアル、展示物のバラエティにも気を配っている。「博物館」とはいうものの、一般の博物館のように価値の高い所蔵品や目を引くものを用意することはなかなか難しく、見て読んでもらうものが中心だが、信託をテーマにした博物館としてはおそらく世界で唯一だと自負している。

――館長になったいきさつは…。

 永田 2018年に引き継ぐまでは、若林さんがMUTB社長・会長と当館の館長を兼務していた。私がある銀行にいる時、若林さんから「やってくれないか」とお話があった。「信託好き人間」なのですぐ引き受けると決めた。信託に興味を持ったきっかけは二つある。一つは、1995年に投資信託法の改正に携わったことだ。知らないわけではなかったが、そこで議論するうちに「なるほど、信託はなかなかいい制度だ」と実感した。もう一つは、退官後、信託協会の副会長や専務理事に就いた経験だ。信託協会は業界団体だが、信託の精神・観念を普及させるミッションを負っている。PRのため当時のことなので本にすることを選び、自分で反すうしながら理解してもらえるように『信託のすすめ』(1999年4月第一版、文芸春秋社)を書いた。面白く読んでもらわないといけないので、簡単な話題や歴史を使ってストーリー仕立てで語るように心がけた。信託の仕組みを「信頼の三角形」で表現したのも私がやった。ある時、若林さんが信託協会会長に就任しあいさつに来られて、私の書いた本を取り出し話していかれた。その後信託博物館を作ったと知らされ伺うと、「良いところに目を付けてくれた」と拙著の説明の流れと親和性を感じた。その延長線上で館長となり今に至っている。

――信託の仕組みの三角形とは…。

 永田 信託は受託者(財産を託される人)・委託者(財産を託す人)・受益者(託された財産から利益を受ける人)の「信頼の三角形」で説明できる。専門性のある受託者が、委託者と受益者のために一つの事業を行うという構図だ。委託者は目的を持って託すうえで自律した人でないといけないし、受託者も誠実に委託者の目的に応えないといけないので、三者の間には「信頼の三角形」が生まれる。この点、信託博物館の館内では英国の「ユース」(中世英国にあった信託の原型の仕組み)、「トラスト」(信託)の歴史を説明しているが、議会制民主主義が英国で生まれた理由の一つはユース・トラストが根付いていたためだという。信託を通じて財産の分散が進み、専制に対抗する力が広がり強まり参政権が拡大した。議会制民主主義は、委託者である国民が代表者である議員を選び、信頼して権力の行使を託すもので、仕組みとしても信託に通じるものがある。信託とは、一般に「金融」だと思われていると思うが、本質は何か事業を行う時の選択肢の一つだ。信託でものを考える社会は、「信頼の三角形」が広がる、民主的で「衡平な」社会だと思う。

――日本ではどのように信託が発展してきたのか…。

 永田 歴史的に、9世紀空海が家屋敷や田畑の提供を受け、庶民への大学教育を託された綜芸種智院をはじめ、日本でも信託の萌芽や信託に通じる例が多く指摘されている。ただ、近代日本の信託は米国から「輸入」されたものだ。概念の学問的理解は明治時代初期にはあったが、信託会社が登場するのは明治後半だ。実態としてヤミ金のような会社から本物まで玉石混交の状態を整除するために信託法・信託業法の制定努力が続き、1922年には同法が成立、関東大震災発生の年である翌年に施行された。預金と競合し高い実績配当の出せる金銭信託から始まり、その後商品の多様化も進んだが、太平洋戦争の戦時体制下で経済金融全体が沈滞するなか勢いを失う。戦後は、終戦直後の金融制度を再設計する時期は苦労するが、高度成長期にかけて貸付信託法ができた。運用は旺盛な企業の資金需要に応えるので利回りも高く、元本保証が付き、人々が受け入れやすい形の貸付信託は大いに伸び、その後の年金商品などの発展につながった。そして、近年の信託の多様化に大きく寄与したのは、2006年の信託法改正だ。私はこの改正によって信託が「先祖返り」したとよく言っている。1922年制定の信託法・信託業法は規制的な色彩が強いものだった。信託可能財産も不動産など数種類に限定されていた。もちろん2006年の改正までにも、信託法と別に特別法を作ってしのぐようなことが繰り返されていたが、金融の自由化・国際化が進むなかで、もはや時代にあったものではないということが表面化した。業界同士の垣根の問題も「そんなことを言っていられない」という話になってきた。2006年の改正で、本来の信託の理念に沿った、何でも信託にできる、誰でも信託をやれるという状況に「先祖返り」できた。

――2006年を境にいろいろな信託が生まれている…。

 永田 信託法の改正から20年近く経ち、徐々に日本の信託が多様化してきた。信託銀行・信託会社は、「信託メインでやっていかないといけない」と目標が明確になるといろいろなことを考えるものだ。最初はそれまでの慣性もあって「頭は動くが手が動かない」ように見えたが、今は信託業務が多様化していることを実感している。信託はどういう商品を作るかが自由に設計可能だ。信託の法律にあるようにさまざまな金融商品・サービスをまとめたりばらしたりできるので、複合商品や不良債権の処理などにも適し、負の財産も入れられるため会社で事業を行うのと同じようなことができる。同時に、受託者の責任・義務が非常に重く、利用者保護がしっかりしている。安全安心の信頼の器だ。繰り返しになるが、信託の本質は、お金のやりとりだけではなく、よろず「信じて託す」ことだ。「信じて託す」という観念が人々に広まるのは大事なことだ。信託の観念が広まり、一人一人が社会を信じて託し託される心構えを持てば、いまと少し違う社会になると思う。そういう意味で、これからは信託の時代が来てほしいし、来るだろう。

――信託が社会を変える…。

 永田 信託という観念は世界平和に通じるのではないかと思う。国際連盟が国際連合になった時に、それまでの委任統治に代わって信託統治制度が作られている。前者は統治国の勝手になりやすいのに対し、後者は信託だから、その地域が自治を行うまで「信じて託す」というスタンス、目的や、受託者の財産ではなく独立財産だということが明確だ。信託統治領は米国が統治していたパラオが1994年に独立して実在しなくなり、信託統治理事会も活動を停止したが、組織としては存続している。例えば紛争地や係争地を例えば国連機関が信託を受け信託統治し、国連の監督の下、どう土地を分けるか、どう周辺の仕組みを作るかなど議論を進め、平和裡に事態を収束させることは可能だ。信頼し合う社会の形成と世界平和を実現するために、信託の観念をもっと広め、活用していきたいものだ。[B][L]

――株価の暴落について警鐘されている…。

 澤上 株価が史上最高値を更新するなど、足元ではバブルの様相を呈しているが、近い将来に株価だけではなく日本や世界の金融マーケット全般が暴落を迎えると予想する。今後、世界的なインフレ圧力と金利上昇がカネ膨れした張りぼての経済に刃(やいば)として突き刺さるため、企業収益は大幅に悪化し、マーケット価格の暴落につながるだろう。今の株価は実体経済を反映しておらず、異常なる資金供給に踊らされている面が大きい。今回のバブルの要因は日本のかつてのバブルと同様に「過剰流動性」だ。歴史的に遡ると、金とドルの兌換性を廃止し変動相場制に移行した1971年のニクソンショックや1973年から始まる石油ショックを受けて世界中で資金の大量バラマキが開始された。以降、西暦2000年問題、2001年の同時多発テロ、2008年のリーマンショックによる世界同時不況懸念、足元では新型コロナなどを経て、世界経済はバラマキが当たり前に感じるようになってしまった。以前は、過剰流動性がインフレを引き起こすから危険だと言われていたが、もはや今では誰も言及していない。また、年金マネーの急増も影響している。1980年に入ってから各国の年金が世界最大の運用マネーに成長し、次々と株式市場に流入してきた。さらには、米国のサブプライム問題とリーマンショックを発端とするゼロ金利と空前の資金供給が実行されたが、その根幹にはミルトン・フリードマンらのマネタリズムの考えが背景にある。金利を低位に抑えて金をばらまけば経済は成長すると信じてしまった結果、金融マーケットが異常なまでに成長して富は集中した。その一方、貧困層は増える二極化の様相を強めている。

――これに対し、さわかみファンドの運用方針は…。

 澤上 さわかみファンドは実体経済をベースに投資運用しているので、バブルが崩壊したとしても、その影響は大してない。足元では日経平均株価に大きな影響を及ぼす銘柄は上がっているが、それ以外の銘柄はそれほど上がっていない。ファンドを通しての企業の売買が中心となっているソフトバンクグループ(9984)などは買わないし、米株ではGAFA(Google、Amazon、Facebook[現在はMeta]、Apple)なども買っていない。ITなどマーケットで大騒ぎしている業種からは距離を置いている。われわれが行っているのは投資運用(インベストメント・マネジメント)だが、世界の大半の機関投資家が行っているのは資金運用(マネー・マネジメント)に過ぎず、短期の値幅取りだ。

――機関投資家は日経平均の上昇を無視できない状態になっている…。

 澤上 足元の株高で一番問題なのは、機関投資家の買いが株価をしぶとく上昇させている点だ。機関投資家は独自の売り判断で上昇相場を離れることができない。下手に売って、運用しているポートフォリオがインデックスからカイ離してしまったら、そのマネージャーは首になってしまうので、マーケットから離れられない。もし機関投資家がまともな投資判断をしていれば、一部は売りに転じるだろうし、それが広がっていけば株価上昇は落ち着く。つまり、日本のバブルの時と同じように、「赤信号、皆で渡れば怖くない」状態になっていて、マーケットから離れることがリスクとなってしまっている。その点、新NISA制度はタイミングが悪過ぎる。新NISAを利用する個人投資家の9割以上はS&P500やオールカントリーに投資しているが、いずれ株価は暴落するだろう。新NISAは良い制度だと思うが、投資初心者が今の環境で高値掴みをさせられることになるため、国の政策としては大失敗の懸念がある。新NISAでは税控除枠が拡大されたが、儲からないと意味がない。また、日経平均が34年ぶりの高値と言っても、これは34年間株価が低迷していたことの裏返しでしかない。流行のオールカントリーにしても、長期間株価が低迷することになった場合、個人投資家が果して耐えられるかどうか。

――株価が暴落する材料は…。

 澤上 下落要因は何でも良く、些細なきっかけで下落に転じる可能性がある。最もわかりやすく納得感があるのは、世界中で債務の借り換えが失敗するケースだ。国際金融協会(IIF)が集計している23年の世界の総債務はGDP対比で約330%に上っている。10年前と比べ、およそ世界経済一個分の債務が増えた。増加分の債務はゼロ金利をベースに契約されているのだ。欧米ではこれだけ金利上昇しており、借り換え時には必ず問題が生じる。これはリーマンショック以上のインパクトがある。大量資金供給によってリーマンショックは止められたが、先進各国は巨額の財政赤字を抱え込んでいて、厳格な財政政策を行うドイツでさえも財政赤字に陥っている、その上に、金利は上がってきていて簡単に国債を発行できない。中央銀行の財政規模は通常その国のGDPに対し10%程度だが、米FRBは40%弱、日銀は130%と異常に膨れ上がっている。つまり、どの国も中央銀行も手の打ちようがない状況なのだ。そんな現状を勘案すると極端かもしれないが、大恐慌並みの不況に陥る可能性もある。もちろん、なにが起ころうと実体経済はなくなりっこない。実体経済をベースにした株式市場は存在し続けるし、新興企業も成長していくだろう。われわれはそこに投資をしている。現に、大恐慌のなかで、ゼネラルモーターズは大成長を遂げた。

――日銀の金融政策については…。

 澤上 日銀は事実上の財政ファイナンスを行ってしまっている。国債を600兆円近く買い入れ、民間銀行に当座預金として日銀に積ませている。これがマイナス金利だから良いものの、金利が1%になれば6兆円の利払い負担が生じる。日銀の純資産は5兆円程度なので、1%となった瞬間に日銀は債務超過に陥る。また、日銀関係者で問題なのは、金融政策についてはプロかもしれないが、数字の動きしか見ておらず、実体経済についての常識がなく、金利ゼロで経済が動くはずもないといったことが分からないことだ。

――東証のROE向上など資本効率化については…。

 澤上 ROEの向上などは東証が口を出すテーマではない。企業の経営陣としても、「先行投資をしているためROEは落ち込んでいるが、利益回収期に入ればROEは上がっていく」と主張すれば良いのに、何故かそれができない。日本では長らく低金利が続いたことで、まともな企業もだらしなくなり、マイナス金利しかしらない若い経営者はそれに頼りきっている。投資家としては、ROEが下がっている企業でも、先行投資の内容を精査して、今後の業績改善や株価上昇を見込んで買うのが株式投資だ。本来ならばROEが高い企業は売らなければならない。実は、ROE8%を掲げた経済産業省の伊藤レポートに自分も委員として参加したが、唯一ROEがすべて主義に反対の立場を取っていた。学者や機関投資家などは座長の伊藤先生や経済産業省と同じ方向を向いていたが、企業経営者の一部は自分の意見にうなずいていた。

――暴落後の対応については…。

 澤上 バブル崩壊時に日本は銀行や企業救済に巨額の資金を使ったが、今回もそれを繰り返すであろう。銀行や企業の破たん後の処理は自己責任が基本で、資産などを売り払った後は経営責任を取り、最終的には株主責任になるのが常識だ。銀行についても、旧勘定は部長以上に責任を持たせて、業務は課長以下に新勘定で運営させれば、決済や資金繰りなどの銀行業務はストップしない。潰れるものは潰すべきだ。日本はバブル崩壊後の30年間に景気対策で投入した600兆円と、金利を下げて家計から奪った利子所得600兆円の合計1200兆円を投入して、ようやくデフレを終わらせた。だが、潰れる企業や銀行は潰して前向きに資金を使えば、現在の状況は変わっていたはずだ。日本のこれまでの経済政策の一番反省すべき点はここにある。民間ビジネスでは、経営責任や株主責任が問われるのが当たり前だが、金融緩和によって延命したことで、ゾンビ企業が大量に生まれてしまった。600兆円のお金を前向きに使えば景色は変わっていたはずだ。[B][N]

※澤上氏は、1月31日、『暴落ドミノ 今すぐ資産はこう守れ!』(明日香出版社)を上梓されました。

――MMT(現代貨幣理論)を掲げて、デフレ脱却のために国債をもっと大量に発行すべきという意見があるが…。

 小幡 MMTは日本以外では誰も相手にしていない。ただし、MMTのいう財政による実需が物価を動かすという考え方自体は、ノーベル経済学賞を受賞したクリストファー・シムズ氏も一部認めており、日本でも元IMFの伊藤隆俊氏や元日銀の早川英男氏も「それほど滅茶苦茶な理論ではない」と言っている。もともとは少数派の米経済学者から始まったマイナーな理論で、まともな学者は誰も取り合わなかったが、日本では長期のデフレで金融緩和が続いている事から、また、コロナ禍において世界中で低インフレと低金利が広がる状況になった事で、正統派の主張に対する懐疑論としてネットメディアを中心にMMTが脚光を浴びるようになった。「MMTは物価が上がるまで財政出動を続けるというもので、物価に影響を与えるのは金融ではなく財政出動だ」という主張自体は事実であり、量的緩和も、国債の金利を抑えることで、財政支出を増やしやすくすることにより、財政出動による需要増大効果が現実に経済に影響を与えた。

――今の日本で行われている財政出動や金融緩和は、国民がお金を使うような仕組みになっていない…。

 小幡 世界中どこでも金融政策というものは、中央銀行が市中銀行から国債を買い、その市中銀行の当座預金口座に中央銀行からお金が振り込まれて、その当座預金を使って市中銀行が個人や事業者に融資することで、初めてお金が世の中に出回る。つまり、どんなに金利を低くしても、中央銀行がどんなに金融緩和をしても、市中銀行から民間経済主体にお金が流れず、中央銀行の当座預金口座の中にあるままでは、需要が増えることがなく、結果として物価も変わらない。MMTの問題点は、現実的でない、という点に尽きる。現実に実行されたら、経済は必ず大破綻する。なぜなら、MMTの主張は、デフレの間は、財政を拡大し続け、それにより経済が過熱してインフレになったら、そのとき財政を減らして物価が下がるまで支出を減らし、増税をすればよい、ということだ。しかし、現実には、実際に景気が過熱し、インフレで庶民の暮らしが苦しくなった時に、支出を大幅削減し、いきなり大増税をすることが出来るのだろうか。政治的に難しいし、そもそも経済は必ず破綻する。社会が壊れてしまうので、絶対にやるべきでないし、実際にやろうとするまともな政治家はいないはずだ。

――実際に、日本でバブルを潰す時には大増税を行った…。

 小幡 景気を調整するのに、金融政策が中心となるのは、財政政策よりも政治的なプロセスから独立しているために、素早く妥当な政策調整が、政治的状況にかかわらず、中立的に行えるからだ。金融政策は政治から独立しているため、日銀の判断で金利を上下することが出来る。

――実際にアベノミクスでは大規模な金融・財政政策を行ったが、現在でもGDPは伸びず、実質賃金は下がり続けている…。

 小幡 金融政策において、金利がネックとなり消費や投資が抑制されている場合には金融緩和が効く。しかし、日本の場合は既に限界まで金融緩和しているうえに、銀行が普通の人や企業に対してお金を貸し渋ることはほぼ無い。つまり、これ以上の金融緩和は、何の景気浮揚効果も持たないのだ。このような状況で、無理に過度の金融緩和を長期に続ければ、それは実体経済ではなく、金融市場にしかカネは流れない。不動産、株式投資にカネが回るだけで、景気もよくならないし、投機が膨らみ、バブルという悪影響だけが残ることになる。だから、アベノミクスは、そもそもの狙いが最初から資産バブルと円安を起こすため以外に合理的な理由はない。もちろん安倍元総理はあまり理解せずに周囲から言われるままにやったのだと思うが、やらせた方はそういう意図があり、資産バブルを起こして儲ければよいと考えていた。だからこそ、金融関係者も止めなかった。

――政治家が物事をよく理解しないまま専門家の意見を取り入れている…。

 小幡 学者になると、政治に自分の政策を売り込みたくなるものだ。ただ、選挙受けしない政策は政治家にあまり受け入れられないため、「ポピュリズム」と「一挙解決願望」を満たすような政策提言をするようになる。例えば、リフレ派が言う「デフレを解消するにはインフレを起こせばよい」という様なものだ。政治家も悪気がある訳ではないと思うが、「難しいことはわからないけれども自分がやりたい」という思いが強すぎて、自分が理解できる範囲の簡単なものに飛びついてしまう。しかし、経済はそんなに簡単なものではない。また、世論としても簡単な答えを求める風潮が日本にはある。例えば、普段バラマキに反対していた人たちでも、一律10万円を配るという政策が決まれば、一刻も早く配れと言う。日本人が「エリート」を嫌い、政治家がポピュリズムに走った結果が「国民の言いなり政権」だ。しかも政策の実施方法も安直で「一律10万円を配る」などとするから、結局収拾がつかなくなり、誰にも感謝されないという状況になる。そもそも国民全員が満足する政策などないし、実施方法はもっと緻密な作業が必要な筈だ。官僚も頑張っているのだが、なかなか政治家はいう事を聞かない。だから、政治主導よりも、政官学で分業が必要だと思う。

――デフレ脱却のために、物価や賃金を無理に上げようとしている今の状況について…。

 小幡 物価は絶対に上がらない方が良い。というのも、今、日本は高齢者社会となっているため、勤労所得を得ずにお金を消費している人が全人口の5割いる。賃金と物価が等しく上がれば、働いている人は良いかもしれないが、そうでない人は困ってしまう。一般的に、世界各国では物価が上がると賃金も上がらなければ生活していけないため、労働者がストを起こすことで賃金が上がっている。また、欧州では物価水準に連動するような賃金体系になるよう経営者と労働組合で協定を結んでいたり、米国の労働者は給料アップを目指して転職しようとするため、優秀な労働者に逃げられたくない経営者は給料をアップして引き留めるしかない。そういう労働者の交渉力で賃金が上がるマーケットになっているのだが、日本では政治主導で、或いは世間体につられて賃上げしている。交渉力のない労働組合のもと、正社員で居続けるために給料アップを諦めるといった日本の構造では、賃金の上がりようがない。そもそも世界の経済を見渡しても、実質賃金がプラスになるのは、物価が抑えられた時だ。物価が高くなると労働者が反発し、そこでインフレを抑え込むと実質賃金がプラスになる。そして賃金はその後も下がらない。その繰り返しだ。物価を抑えることによってしか実質賃金はプラスにならない。さらにいえば、経済の活力がない状態で無理に賃金を上げたところで、物価が適正価格以上に上げられる筈がない。[B]

――米大統領選ではトランプ氏が当選の勢いだが、米国の脱炭素政策への影響は…。

 杉山 トランプ氏は既にパリ協定を離脱すると明言しており、バイデン大統領が取り組んでいるグリーンディールやESG投資を終わりにすると述べている。ただ、これはトランプ氏だけではなく、共和党候補指名争いから撤退したロン・デサンティス氏も同様の政策提言を行っており、共和党の候補者は同じ姿勢を示していた。共和党はエネルギードミナンスと呼ばれるエネルギーの安定的な供給を重視しており、共和党が勝利した場合、連邦レベルの環境政策は180度変わることになる。

――パリ協定をトランプ新大統領が離脱した場合は…。

 杉山 バイデン政権がパリ協定に復帰した際は議会を通しておらず、離脱するのは簡単なので、トランプ氏は大統領就任初日に離脱を宣言するのではないか。パリ協定は現在行き詰まっていて、先進国だけが2050年にカーボンニュートラルを達成する目標を掲げているが、途上国は協力しない姿勢を取っており、さらに米国も離脱するならば、日本も離脱せざるを得ないのではないか。そうなれば京都議定書が潰れたのと同じ構図になる。京都議定書よりもパリ協定の方が極端な数値目標を掲げているだけ経済への害が大きい。また、現在のパリ協定では、気候危機による自然災害は先進国がかつて排出したCO2が原因とされ、途上国で起きた自然災害は先進国が保障することになっているが、その保障金額年間5兆ドルは現実的な金額ではない。途上国側はこれが温暖化対策を行う前提条件と言っていて、おかしなイデオロギーに染まってしまっている。このため私は、日米とグローバルサウスの友好国がパリ協定に代わる新しい枠組みを作ればよいと考えている。グローバルサウスからすれば化石燃料を使って経済を発展させたいうえ、日米から投融資を受けたい国は多くあるため、エネルギーの安全保障と安定供給を主眼に、気候変動についてはその範囲内で実現可能な政策を採れば良いのではないか。

――欧州でも反脱炭素の動きが進展している…。

 杉山 ドイツでは、コロナの予算を流用してドイツのエネルギー転換を進めようとした際に最高裁にストップを掛けられ、予算が確保できなくなった影響が大きい。それが財源になるはずだったEVや水素への補助金がなくなった。このため、ドイツは財政均衡のプレッシャーが強い国のため、EVも水素も復活は難しいだろう。また、現連立政権の支持率は低く、来年の総選挙までは存続するだろうが、新たな予算措置はできずに、総選挙になれば現政権は崩壊することになるだろう。世界的にもウクライナ、中東、台湾近辺の3カ所で戦争状態に陥っており、どの国も安全保障の優先順位がトップとなり、同時に世界的なインフレや金利上昇による財政難が広がるなか、経済性が重視され、脱炭素は主要なテーマから外れる局面が来ている。

――中国で大量にCO2を排出して製造したEVが欧州を走っていると笑い話になっている…。

 杉山 ボルボの試算では、中国製のEVはガソリン車よりも走行時のCO2排出が少ないものの、製作段階でCO2を多く排出するため、CO2排出の元を取るには10万キロ走らなければガソリン車と同等にならないとされている。また、中国製のEVが欧州市場を席巻してきたため、最終的にはドイツはクリーン・ディーゼルに回帰すると思う。もともとドイツはディーゼルを推進したかったものの、排出ガスの不正問題によって袋叩きに遭い、そこで苦し紛れに出てきたのがEVだ。しかし、中国勢の躍進もあり、かつEV補助の財源も消滅してしまったので、二進も三進も(にっちもさっちも)行かない状況だ。現政権のうちは難しいかもしれないが、2035年にディーゼルを廃止するといった目標は、来年の総選挙で連邦議会が入れ替わることになれば取り消されるだろう。

――トランプ政権の環境政策は…。

 杉山 石油やガス、石炭の採掘や輸出にバイデン政権はブレーキを掛けていたが、それが再開されることになる。重要鉱物の採掘や原子力の推進などもトランプ政権の方が進むだろう。米国は連邦レベルでの炭素税などはなく、これは変わらない。インフレ抑制法(IRA)というタイトルと内容が一致しない法律があるが、この法律で再生可能エネルギーや半導体の工場立地への補助金が定められており、これについては予算規模の縮小が考えられる。今後、トランプ政権がどこまで予算を付けるかは見解が分かれているが、補助金を受ける工場立地のほとんどが共和党が大統領選で勝てる州となっているため、トランプ氏も補助金は減らさないとの見方もある。

――わが国は20兆円のGX移行国債を発行しようとしているが、市場では徐々にプレミアムが縮小するとの観測もされている。わが国の150兆円の投融資の行方は…。

 杉山 政府が掲げている10年間で150兆円の脱炭素への投融資は、単純計算で1年当たり15兆円となるが、これはGDPの約3%に上る。この規模の金額をグリーン目的の投資のみに費やすとしたら、経済の破滅以外の何物でもない。20兆円の国債だけでも、10年で回収するなら年間2兆円のコストになる。足元で政治が混乱してしまっているので何も言えないが、途中でストップをかけることが大切だ。政府の推進する太陽光発電や風力発電などを主なエネルギー源とすれば、エネルギーコストは増える一方なので、日本から工場はいなくなり、家計は苦しくなり、消費は冷え込むことになる。GX関連法案が通ってしまったので、今は「役人天国状態」だろうが、この問題は国益に真っ向から反するということだ。

――わが国の脱炭素技術の輸出を目指すという名目がある…。

 杉山 世界へ輸出するということは、十分に安くなければ成り立たない。日本の原子力や火力発電、ハイブリッド自動車、エアコンなどは、安くて優れた技術なので売れるだろう。新しい小型原発などは、日本の重電メーカーが米国でビジネスを試みており、こうした取り組みを支援していくべきだ。一方、今の日本政府が推進する水素やアンモニア、合成メタンの技術は非常に高価で、いくら売ろうとしても、売り先が見当たらない。このため、150兆円の投融資コストと、脱炭素技術の輸出メリットを秤にかけると、どうなるかは一目瞭然だ。脱炭素という流行ではなく現実の経済を考える時に来ている。

――わが国のエネルギー政策の展望は…。

 杉山 結局のところエネルギーコストが重要で、太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギーはコストがかさむ。太陽光発電は太陽が出ている時間のみ、風力発電は風が吹いている時間のみ発電が可能で、発電できないときのための火力発電などが必要になるため、二重投資になってしまう。これは太陽光発電や風力発電の本質的な問題点で、解決策はない。今後もICT化が進むなか、安くて安定的な電力供給は不可欠で、これができない国は脱落していくことになる。国際的にはこれまで化石燃料の輸出や投融資を止めようという流れになっていたが、米国でトランプ氏が大統領となれば米国は化石燃料を使いたがるだろうし、日本もそれに倣って化石燃料の利用を再開すべきだ。日本はアジアの化石燃料事業から撤退してしまっているが、化石燃料は途上国の経済開発のために必要なことであるので、これも米国と一緒になって復活させればよい。また、現在、米国からのガス輸入は日本のガス輸入全体の1割近くに拡大している。これは良い傾向だと思っていて、より拡大して長期的に米国から調達できるようになれば、日本のエネルギー安全保障に資すると思う。[B][N]

――御庫は昨年12月に100周年を迎えられたが、次の100年は…。

  当金庫は根拠法の「農林中央金庫法」で定められた、「第一次産業の発展に資する」、「協同組織として運営する」、「金融機関」という3つの要素からは離れることができない。この3つがわれわれを規定しているアンカーとなり、これを基本に運営方針を考えることになる。当金庫の設立は1923年12月、関東大震災の年にスタートした。設立当初は、まさに日本の農家が農業を営むための資金提供が中心であったが、農業の発展や高度経済成長、JA貯金の増加により、当金庫はJAや信農連からお預かりした資金を他産業に貸し出したり、運用したりして利益を還元する役割が大きくなった。グローバルな投資運用が本格化した約20年前は、「あぜ道からウォールストリートへ」という言葉もあった。次の100年でもこうした役割がなくなることはないが、一方で、ウクライナ情勢などを受けた、わが国の食料安全保障を見据えると、当金庫を設立した100年前と同じように、わが国の第一次産業やそれに従事する人を改めて支援する必要が出てきている。さらに、わが国の人口減少が避けられないなか、国内だけではなく、例えばアジア全体も意識しながら食料生産を考えなければならないと思う。

――JA離れが進んでいるが、御庫の立ち位置は…。

  指摘されているJA離れがどれだけ正確なものかは定かではないが、JAの組合員が高齢化によって農業を離れるなか、農業の集団化や法人化を担う方がコアなプレーヤーになってきており、生産体制の変化が生じてきているのが現状だと思う。当金庫は法律上、農林水産業者の協同組織をサポートすることで最終的には農林水産業を支える仕組みを取っているが、日本の農業全体の発展を考えると、JA経由のサポートはもちろんのこと、場合によっては農業法人を直接サポートしていくことも必要だと考えている。

――一方で、資金の運用面では、長く日本の低金利が続いた…。

  当金庫は投資家・銀行の両面がある。投資家としては、低金利局面においては保有している債券を中心に資産価格が上がるため追い風となるが、金利上昇局面においては、一旦金利が上がり切ってしまえば銀行としては追い風の局面が訪れるものの、金利が急激に上がる足元の局面をどう乗り切るかが一番難しい。長らく、国内では金利が低く投資機会がなかったため、外国債券など多様な資産に国際分散投資を進めているため、足元の金利上昇局面においては運用が難しくなっている部分はある。一方、当金庫だけの課題ではないが、国内外の銀行規制が相当厳しくなっているため、自らのバランスシートを使う運用には拡大余地が少なくなっている。近年は会員から預金を受け入れて投資で運用するだけでなく、資産運用会社などを含めた預り資産としての受け入れ・運用も重要になってきている。このため、投資信託やファンドで受け入れた資産をいかに運用していくかが課題となっている。

――組織のガバナンスは…。

  メンバーシップ型の組織は閉鎖的になりがちな面がある。いかに外部の意見を入れるかが、ガバナンスでは大切だ。このため、経営管理委員会の構成は可能な限り外の意見も入るように、かつ出資者の意見も反映されるようにしている。上場企業の株主は流動性があるため新しい風が入るが、当金庫の出資者は固定されており、いかに世の中の潮流を取り入れていくかが非常に難しい所だと思う。

――SDGsに向けた取り組みは…。

  当金庫におけるコアな価値は農林水産業だが、昨今の異常気象を見れば明らかなように、気候変動対策に取り組まないと農林水産業自体が成り立たなくなってしまう。一方、現状では環境に負荷を与える農法もあるため、当金庫が環境負荷の少ない農業を推進していくなど、自らの課題として気候変動対策に取り組む必要がある。具体的なプロジェクトとして、例えば農業における温室効果ガスの排出量の見える化などを進めている。その一方で、これまでも日本の農林水産業が持っている環境的価値をどう捉えていくかは課題だったが、今はそれが本格的に必要になってきていると感じる。森林を例に挙げれば、材価が安く林業は産業として厳しい状況にあるが、山を手入れすることによって治水の価値が生まれる。こうした経済価値だけでは表せない価値をいかに守っていくかを考える時期が来ている。

――今後の抱負を…。

  当金庫が100周年を迎えられたのは、会員はもちろんのこと、ステークホルダーの皆様のご理解やご支援の賜物であり、改めて御礼申し上げたい。この100年を振り返ると、当金庫は常に変革に挑戦しており、組織の進化の歴史だと感じている。その伝統を守って飽くなき変革への挑戦を続けるということだ。役職員一人一人が自分たちの大切にしたいものを描き、それに対して新たに挑戦していくことが求められている。組織の文化を作っているのは一人一人の役職員で、それぞれがやりがいを持って働いていけるようにすることは永遠の課題だと思う。第一次産業は国の「基(もとい)」だ。当金庫は第一次産業に携わっている人を支える、非常にエッセンシャルで意義ある存在だ。一人一人の役職員には誇り高く仕事をしてほしいし、自分自身もそうありたい。[B][N]

――中華民国(台湾)総統選は民主進歩党の頼清徳氏が当選した。今後の中国と台湾は…。

 松原 次期総統当選者となった頼清徳氏は、蔡英文現総統のもとで副総統を務めていた人物であり、総統就任後もその路線を継承するとしている。しかし、後ろ盾となるべき米国が「台湾の独立を認めない」と言い切っている中で、頼氏は政治家としてこれまでの発言を否定することはないとしても、実際には現実的対応を考えていかざるを得ないだろう。米国の支援を台湾の人々の意向と沿う形にすべく、物事を慎重に進めていく必要がある。他方で、中国の香港に対する人権弾圧は台湾の中でも知れ渡っており、且つ台湾に対しても今回の総統選では中国側から凄まじい妨害や圧力が行われる中で、それでも頼氏が当選したのは、「金ではなく自由が欲しい」という台湾国民の強い願いがあったからだ。中国も台湾との統一を本気で考えているのであれば、香港に対して無理やり中国の支配下に置くのではなく、これまでの一国二制度を遵守し続けるべきだった。そうすれば、台湾も安心して中国との良い関係を築きあげることができたであろう。

――今の中国は「戦狼外交」という攻撃的な外交姿勢を継続している…。

 松原 中国の「戦狼外交」には、習近平国家主席のパーソナリティや思考が反映されている。習首席は秦の始皇帝や毛沢東を理想として見習いたいという気持ちが強いと見受けられる。中国経済をどのようにしていくかということよりも、政治を第一とし、1944年の整風運動をも繰り返したいと考えているのではないか。胡錦涛政権時代も経済より政治を優先させていた観はあったが、それでも発言の自由はあった。しかし、その自由は、今はほぼ無いに等しく、政治批判をしようものなら刑事罰を受け、さらし者にされてしまう。「習近平現国家主席がいなくなれば、中国は再び胡錦涛時代の自由を取り戻すだろう」と考えている人もいるようだが、私はそうはならないと思う。今の中国は高度なテクノロジー社会となり、あらゆる場所に監視カメラが設置されている。誰も見ていないような田舎の八百屋でさえ、万引きなどしようものならその瞬間に顔写真が撮られ、キャッシュカードもパスポートも使用禁止になってしまう。それほど徹底した監視体制を敷き、あらゆる情報を手中にしている中国の権力者たちが、習近平現国家主席一人がいなくなったとして、元の世界に戻ろうなどと考える筈がない。

――中国では外国人に対しても容赦ない監視で取り締まりを強化している。反スパイ法が今後の中国に与える影響について…。

 松原 反スパイ法では、もはや何が中国に対して反旗の意思とみなされるのかさえ分からない。米国企業にまで捜索が入っているような状況だ。このような体制は、仮に習近平国家主席がいなくなったところで変わらないだろう。例えばヒトラーがいなくなってもゲシュタポが残り、その権力の上に胡坐をかいている者がいたように、一度確立された共産党政権の独裁体制は反革命が起こらない限り元に戻らない。しかし、こうした自由のない社会では経済も発展しないだろう。中国は毛沢東時代、文化大革命で多数の粛清者を出し、時代に逆行するようなことを行った。そのために経済的な大国に成りえず、代わりに日本が経済大国になった。そして、今再び、習近平氏が毛沢東時代の歴史を繰り返そうとしているのならば、今後の中国経済界は、再び中国共産党の締め付けによって発展もしなくなるだろう。それが日本にとってはメリットとなり、再び日本が米国に次ぐGDP2位の地位を取り戻せるかもしれない。そう思える程、今の中国経済は失速している。それは習近平中国国家主席がそのような路線に向かって走っているからだ。それが今の日本の株高にも繋がっているとも考えられる。