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Information

――世界の金融情勢は、今は比較的安定している…。

 三村 比較的世界中、金融政策一つとっても局面の転換期だ。アメリカやヨーロッパは既に利下げ局面に入った状況だが、どのようなタイミングとスピードで追加利下げをしていくのか、まさにその都度ごとに経済分析をしながら決めていくということで、そこは必ずしもわからない状況だ。日本はその逆で利上げ、つまり金融政策の正常化の局面だが、これまたどのタイミング、どの程度のペースでどこまで利上げが行われるのかは今後の状況次第だ。このため、日本と欧米の金融政策の相対関係で金利のマーケット、株のマーケット、為替相場が動くわけだが、比較的見にくい状態にはなっている。10月にワシントンで行われたG20の会議でも大きく言えばソフトランディングが見通されるようになってきたが、日本と欧米の金融政策は両方が反対方向に動く関係、つまりクレー射撃と同じで常に正確にその距離感を測ることができるわけではないため、足元で日々のボラティリティは高い。

――去年の春に金融不安のような雰囲気があった…。

 三村 去年の出来事自体は少し例外的な、特異な事案であったように思う。クレディ・スイスの場合には、そのかなり前からコンプライアンス上の話も含めていろいろな問題があったし、シリコンバレーバンクについて言うと調達サイドで非常に少数の預金者が巨額の預金をしていたという背景に加え、運用サイドでかなりの程度、債券もので投資をしていたことなど特性に例外的なところがあったので、他の多くの金融機関でも同じような問題があるわけではないというのが一般的な受け止めだと思う。とは言え教訓もいくつかあり、デジタル化における預金の取り付け騒ぎというのはかつてとは比較にならないスピード感と規模で起きるのを、現に我々は目の当たりにした。この昨年春のケースについては、既にFSBやバーゼル委員会などで教訓を振り返る、あるいは引き出すレポートなどが出始めている。リスクがどこにあるのか、金融システムの潜在的な脆弱性の所在を常に把握しておくことは金融当局者の一番の仕事だ。また、欧米ではちょうど利下げ局面に入り始めたということで、一番金融の引き締めが効いてきている状態をようやく緩め始めているというのが今の欧米の状態だが、そうなると金融的にはまだ意外に引き締まった状態かもしれず、手放しで金融にストレスが生じ易い局面が終わったと判断するのは時期尚早だ。中国の不動産やアメリカの商業不動産だとか、様々なリスクが金融周りでも言われているが、市場が次はここが心配と言っているものは当局も気にかけて見ている。しかし、おそらく去年の3月までシリコンバレーバンクのことを話題にしている人が誰もいなかったように、大体において金融の危機なりストレスの発信点は誰も予想していないところにあり、意外な危機の種が隠れているというのが残念ながら過去の教訓上は多い。そういう点では、常に警戒を怠ることはできない。

――台湾海峡で何かあれば、同様に日本の物価上昇の要因になる…。

 三村 物価に対する影響もそうだし、より広い物の流れに対する影響もあり、サプライチェーンの多様化が今、改めてキーワードになっている。ジャストインタイムからジャストインケース(不測の事態に備える戦略)へという話を国際会議の現場ではよく耳にするが、そうなるとかつてのような最も効率良く単線的なサプライチェーンよりも構造的にコストが高くなる。この変化によって潜在的な物価上昇率が今までより高くなっているのかどうか、それを考えたら名目の物価上昇率、平均的な物価上昇率を乗せたときの名目としての中立金利がいくらくらいなのかという点が世界各国で議論になっている。日本でも植田総裁がその分析はこれからだといった趣旨の発言をしており、パウエル議長もまだはっきりとわからないと言っているが、地政学的リスクは物価の実際の状況にも関わってくるし、それを見極めて中銀の金融政策が最終的にどのあたりの着地点を目指していくのかにも非常に影響してくる。逆に言えば、ロシア・ウクライナのような問題は、単に地政学的な問題だと言うだけではなくて、文字通り経済とか市場に大きな影響を与えるという意味で財務相、中銀総裁がG7やG20で当然語って然るべきことだ。そういう意見ではない国も残念ながらいるわけだが、我々からすると経済と金融の問題そのものであると感じる。

――経済安保はかなりのコストを注ぎ込んでいかなければならない状況に来ている…。

 三村 財務省は全国の税関のネットワークを通じて日々、どこの国との間でどんな物が、いつ、どれだけ流れているかという国境を越えての物の流れに関する情報を絶えず収集しており、また、お金の流れも外為法で100以上のいろいろな取引を届け出や報告で得ているので、そこには非常に豊富な一次情報がある。業務インフラと人員を整えてこれをしっかり分析できる体制を整えれば、役立つ情報が得られるはずなのだが残念ながら、今までは宝の持ち腐れにしていた。多少、時間がかかる話だが、そういうことをしっかりやっていくのが大事だ。また、経済制裁はアメリカ1カ国でやるより、考え方を同じくする国々との連携、役割分担の下でやる方が効果的であり、そういう体制をみんなで組んでいくのも、国際局の仕事として大きくなっている。更に、10月のG7でまとまったロシアの凍結資産の話もそうだが、ウクライナを支援するにしてもコスト負担や制度作りの上で各国間での調整が不可避になっている。

――各国で役割分担が必要ということだが、日本の役割は…。

 三村 場面にもよるが、例えばロシアとの関係において言えばユーロとドルだけ押さえても仕方なく、日本が一緒に円も含めて制裁をすることによって格段に制裁の強度が高まった。サプライチェーンでは、例えばEVのバッテリーやソーラーパネルなどクリーンエネルギー系の部材について、一番上流のクリティカルミネラルと呼ばれる鉱物資源自体はアフリカや南米、アジアなどいろいろな国で産出しているが、バッテリーやソーラーパネルを作る中流以下はほぼ中国一色になっているような状態だ。これはサプライチェーンの多様化の真逆で、クリーンエネルギーを追求すればするほど特定の国に依存度が高まってしまうため、クリティカルミネラルを産出している国々が自前で中流・下流までできるようにすれば、我々の経済安全保障にも資するし当該国にとってはより付加価値ができ経済成長や雇用の創出にもつながる。日本は昨年こういったアイデアを出したが、これについてもやらなくてはならないことが沢山あり、工場の建設、港や道路など物理的、伝統的なインフラの整備も必要だし、生産品の買い取り手を探す必要もある。基本は民間の事業活動だからそれを裏付けるためのファイナンシングとして一番いいのは商業的なお金だが、インフラまで含めて考えれば公的なお金、世銀やアフリカ開銀に委ねるところもあれば、各国政府ごとにやるところもあるかも知れない。ファイナンシングにしてもインフラづくりにしても、ドナー側と当事国が集まって議論し、エコシステムを整えていく必要があり、一種の工程表的なものを作っていくところで「では日本はここをやるので、これはアメリカよろしく、これは当事国に、これは世銀にお願いしよう」という役割分担が個別の局面でも常にあり、より大きな政策立案においても日本はあれをやりましょう、これをやりましょうという場面があるのだと思う。

――令和元年に改正された外為法について、そろそろ新たな改正をする目処の時期が来ているが…。

 三村 施行後、5年が経過したところで状況を見て見直しをすることが定められており厳密には来年春に満5年を迎えるので、法改正の検討については年明け以降本格的にやっていくことになるが、それ以外の法改正を要しない若干のファインチューニングについては、政省令以下で対応でき且つ、対応すべき政策的な緊急性が認められるものがあれば5年後見直しを待たずにやればよいと思う。前回改正時より経済安保に関する考え方もかなり進化してきているが、当時もそうであったが究極的に外為法の目的は「対外取引自由」を大原則としながら必要最小限度の管理調整を加えるというものであるから、そのバランスが非常に難しい。その法律の大目的に照らして本質的に外為法の制度は、マーケットの観点から健全な投資やお金の流れはむしろ推奨こそすれ、決して止めない邪魔をしない。一方で安全保障、公の秩序、公衆の安全といった観点から本当に必要な場面では管理・調整をかけるということなので、要は国際金融センター的な観点と経済安全保障的な観点と両方折り合いをつけなければいけないのが外為法で難しいところだ。意図せざる結果が出てしまった部分や、思ったほどの効果がなかったといった部分が当然あるはずなので、そのあたりを勉強しながら何を次の法改正の中でやっていくかということだが、いずれにしても大事なのはバランスをどう取るかというところだと思う。[B][HE]

――今回の衆議院選挙でれいわ新選組の議席は3倍に増えた。勝因は…。

 山本 「れいわ新選組」を旗揚げして5年。我々の政策が一定の方々に浸透してきているという事だとみている。マスコミでは景気が良くなっているという報道もしているようだが、足元では全くそういった事はなく、景気は悪すぎる。帝国データバンクの調査でも、中小企業の倒産の8割が不況型倒産であり、貧困も拡大している。一方で資本を保有している人達は右肩上がりだ。この超絶格差の拡大は、決して自己責任とされるものではなく、構造上の問題だ。つまり、政治の失敗によって国民の首が絞められている。そういう我々の話に国民の皆さまが共鳴して下さったことが、議席増に繋がったのだと思う。ただ、本当はもっと議席を伸ばしたかった。一番の理想は今回の国民民主党の様な躍進だ。彼らは今、キャスティングボートを握る位置にいる。そのような位置にいれば、消費税5%減税に乗れるのは与野党どちらかというスタンスで大きな議論が出来るようになるだろう。しかし、そうはいっても候補者1人当たりのエントリー費用が約600万円だとして、今回38名の候補者を立てるだけで2億円超が必要になった。さらに選挙活動にかかる費用を考えると、それ以上の候補者は出せない。例えば、選挙時の供託金の金額を下げるような議論もあって良いと思うのだが、そういった根本的な話はすべて無視され、「新規参入お断り」といった状態を維持しているのが今の日本の政治の実態だ。

――マスメディアの「れいわ新選組」に対する取り上げ方にも違和感がある…。

 山本 実際にお会いした人からは「テレビで見た印象と違う」と言われることが多い。我々は政党主体で減税デモを行っており、そういった一場面を切り取られてテレビで使われたりすると、真意が伝わらず「何をやっているのかわからない政党」という感想を抱かれる方もいらっしゃるのだろう。大体のテレビや新聞はスポンサー企業の意向に左右されるため、彼らにとって利益にならないことはあまり歓迎されないのだろうが、基本的に我々が唱える減税は、国民皆にとって景気が良くなるような政策であり、国民に余裕が出てくれば、企業も安定的に利益を得る事が出来る。スポンサー企業に不利益と思われる理由もない筈だ。また、我々が行っているデモは、政治に対するハードルを出来るだけ下げて、自由に発言できる空気を醸成するために行っているものだが、そこを変に報道されてしまっている。

――経済政策については…。

 山本 現在の物価高の中身は完全に輸入品の高騰によるもので、それを吸収するのが国民や企業になると日本は潰れてしまう。そういう悪い物価高が収まるまでの間は、例えば季節毎に10万円程度の給付金を出して国民生活を支え、需要を喚起していくべきというのが我々の主張だ。また、この30年続く経済不況の中で国外へ移ってしまった生産基盤を再び国内に戻し、モノづくり大国日本のサイクルを再興させるために、政府調達をもっと利用するという政策も掲げている。モノやサービスを国が買うという政府調達の利用額は、現在日本では10兆円程度で、その約2割は外国品に費やされている。一方で米国では、製造業を復活させた際にこの政府調達が利用され、その利用額は年間約80兆円。ヘリコプターブレードからオフィス家具に至るまで、あらゆるものを政府調達で購入した結果、製造業が息を吹き返し、雇用も安定して賃金も上がっていった。これこそ、まさに30年の経済を失った今の日本に必要な政策だ。

――肌感覚で経済政策を打ち出していくことが、今の日本政治には欠けている…。

 山本 例えば、消費税増税でどれだけの個人消費が失われたかの調査では、100年に一度と言われたリーマンショック時に個人消費マイナス4.1兆円だったのに対し、1997年の消費税5%増税時にはマイナス7.5兆円、消費税8%に増税した時がマイナス10.6兆円、そして消費税10%導入時がマイナス18.4兆円と、全ての段階においてリーマンショック時を上回って個人消費が落ち込んでいる。個人消費はGDPの5割を超えているため、この部分をどうにかしなければ国の景気は良くならず、世界的に見ても不況時には消費税は上げないというのが鉄則だ。それなのに日本では消費税を5%に上げて以降、ずっと不況であるにもかかわらず、8%そして10%と消費税を上げ続けている。これは、はっきり言って自殺行為だ。

――れいわ新選組では消費税減税を強く主張している…。

 山本 先日の選挙前のテレビ討論会で、私が海外の例を説明しながら「すぐに減税すべきだ」と唱えると、立憲民主党の野田佳彦さんが「日本は税に関するルールが他国とは違う為、税制改正が必要となり、短期間に減税は出来ない」という発言をされた。しかし、ドイツでは2週間で税制改正を行い、その2週間後に減税が始まったという例もある。選挙前の国会で私が「消費税減税をするために、どの程度の時間が必要なのか試算したのか」と問うても、試算さえしていないと政府答弁する。全くやる気が無いという事だ。さらに言えば、消費税が上がるたびに法人税は下げてきた。これはある意味、組織票と企業献金とのバーター取引だ。国を元気にするためには屋台骨を、中小企業を元気にする必要がある。消費税をゼロにすれば、かなり景気は良くなる。

――タレントから政治家に転身したきっかけは…。

 山本 私が芸能界に入ってから20年目に原発事故が起こった。当時は民主党政権だったが、当時の政治家の発言やマスコミの報道に歯切れの悪さを感じて色々と調べたところ、決して表には出ない裏の事情が分かってきた。一方で、タレントの一番の収入源はテレビコマーシャルだ。年間契約で数千万円の報酬になるケースもあるため、タレントは政治情勢には関わらないというのが通常なのだが、原発事故の実態を知って我慢できなくなった私は、原発反対と発言してしまった。すると、決定していたドラマの役を降板させられるなど、次々と仕事がなくなっていった。表現の自由を象徴するような仕事をしているのに、しかも、きちんと税金も納めているのに、自分の意見が自由に言えなくなる事に相当の怒りを感じた。ただ一方で、仕事が外されていく毎に、自分の意志が固くなっていくのを感じ、当時所属していた事務所も辞めて、原発反対を声高に唱えていった。すると、全国の原発を考える会や、労働環境を考える支援者や当事者の方々から、「芸能界の仕事がなくなったのだったら、その話をしに来てほしい」というお声をかけていただいた。私は16歳で芸能界に入ったため、それまでの20年間、凄く狭い世界で物事を見てきていた。社会がどうなっているのかも知らず、貧困がこの国にもあるということすら知らない状況だったのだが、そうやって1年半くらい全国各地を回ってお話を聞いていくと、その実態に「この世界は地獄だ」と驚いてしまった。同時に、それまで政府や東電に対して向けていた怒りが、「この地獄を広めたのは自分自身でもあったのだ」「誰か困っている人や、何か助けを求める声が聞こえきても、自分は指一本動かさなかった」と思うようになり、そこで、それまで聞いた話を直接国会に伝えに行こうと考えたのが始まりだ。

――政治の道を選び、自分の党を立ち上げようと考えたのは…。

 山本 最初、政治に対する不信感や怒りを目覚めさせてくれたのは当時の民主党だったが、当時の国会における与野党のやり取りを見ながら、大きな党に所属するのではなく、無所属で議員立候補しようと思った。最初は衆院選で杉並区から立候補して落選したが、翌年2013年の参院選で初当選を果たし、その数年後、小沢一郎氏が代表を務める生活の党と合流して「生活の党と山本太郎と仲間たち」を発足するに至った。そこで共同代表として沢山の事を学んだのだが、議員として6年目を迎える頃、「この世の中、与党も野党もなく、茶番でしかない。やはり自分の旗を立ち上げよう」と決心した。そういった背景もあって、どの党からも一番嫌われているようだ(笑)。今回の選挙で我が党は9名に議席を増やしたのだが、野党で行われる国会対策委員会にも誰も呼ばれなかった。我が党から立候補してくれた38名は純粋に理念に共感して力を貸してくれる人もいれば、「ここだったらワンチャンスあるかもしれない」と思って来ている人もいるかもしれない。その心中は図れるものではないが、しかし、大手でも中小でもない、町の小さな工場である我々の党に手を上げてくれる人は、それだけで勇気のある人だと思う。

――今後の抱負は…。

 山本 これまで多くの人に話を聞いて分かったことは、この国の将来のみならず、自分の将来さえ不安しか感じないという人が圧倒的に多いという事だ。不安しか感じない国民を大勢抱える国は、軍備を万全にしたところで守ることはできない。重要な事は人間の尊厳を守れるような国にすることであり、そのためには経済の安定が必要だ。一人一人の購買力を上げて、久々の外食で一番安いメニューを選ぶのではなく、高くても自分が働いたお金で食べたいものを選ぶことの出来る、昔のような日本を取り戻したい。経済力の弱い人たちに対して支援することが温情的に捉えられたり、欲を否定するような風潮は大間違いだ。お金を溜めずに右から左に流すような人たちは、社会にお金が波及していくという意味で、一番この国の経済に寄与していると言えよう。もちろん色々なフェーズの人たちへの支援は必要だが、世代横断的に貧困が広がっている今の日本においては、大胆にお金を出していく事が必要だ。我々の政策を見て、大企業や資本家を敵視していると捉える方もいらっしゃるが、それは全く逆だ。我々の徹底した需要喚起策を進めていけば、国が豊かになり、企業も潤う。製造業の国内回帰も実現し、国内でのイノベーションも期待できるだろう。政治家にとって一番重要な事は「経済政策を誤らない」事だ。我々は完全な存在ではないが、ここまでゼロからつくられた党は日本には無い。是非、この国に生きる皆様に「れいわ新選組」を育てていただき、国民の皆様の手足として使ってもらいたいと思う。[B]

――ミャンマーの現状について…。

 寺井 私は1982年頃からコロナ前まで30回程ミャンマーを訪れているが、本当のミャンマーの姿は、実際にミャンマーに住んでいる人たちでさえわかっていないと思う。それは、国の力の中心がどこにあるのかがはっきりしていないからだ。政治を動かしている人やそれに反対している人達がいるのは他の国でもあたりまえにある事だが、ミャンマーにはそういった人達をしっかりと抑え込んでいる中心人物がいない。1962年のネ・ウィン氏による軍事クーデターから1988年の大規模民主化運動鎮圧を経て、ミャンマーは軍事政権が益々力を持つようになり、その後のタン・シュエ議長やキン・ニュン首相のもとでは軍部独裁だと批判されながらもしっかりとした政治運営を行っていた。しかし今は、その頃のようなセンターがいない。

――ミャンマーが民主化したのはどのタイミングなのか…。

 寺井 ミャンマーは2010年の総選挙をきっかけに2011年から民主政権になった。新政権のテイン・セイン大統領は民主化に力を尽くした人で、その頃から経済活動の自由や労働組合の結成、そして、言論や政治活動の自由が認められるようになった。その後を継いだアウンサン・スー・チー政権でも経済はそれなりに発展していくのだが、2021年、再び軍のクーデターで軍事政権が復活し、現在に至る。とはいえ、今の軍総司令官ミン・アウン・フライン大統領代行には、かつてのネ・ウィン氏やタン・シュエ氏のようなカリスマ性が無い。そういった人物が政治を動かそうとすると、色々な問題が噴出してきて、経済的にも上手くいかなくなる。その大きな理由は、ミャンマーはかつて英国植民地だったという歴史があり、その政策によって民族間対立の根が深くなっているからだ。

――ミャンマーは多民族国家であるため、統制するのが難しい…。

 寺井 ミャンマーでは基本的に原理原則論を唱える人が好まれるのだが、それは現実とは乖離している。アウンサン・スー・チー氏も民主主義の総論では真っ当と見えるのだが、経済政策において現実が見えていない。1988年民主化クーデター鎮圧の時にはまだ軍部に対する信頼があり、英国植民地時代には戻らないという共通認識の下、一定のまとまりがあったのだが、ミャンマー135民族のうち20近くもの武装組織が現在も武装闘争をしているし、いわゆる反政府民主派も戦っている状況だ。それは、センターがしっかりしていない事と、2011年に民主主義政権が実現した際に、他の国と比較して自国がどれほど遅れているのかを知ったからだ。特に、隣国タイとの差を目の当たりにして多くの国民は驚愕する。バングラデシュでさえ経済力が増しているのに対し、自国は一向に発展しないという現実に若者たちは失望し、そこで自分たちの手でどうにかミャンマーを立て直そうと考えるのではなく、海外に出て行くという選択をしてしまった。

――ミャンマーの若者たちが海外に出た後は…。

  中国では海外で活躍していた華僑が、鄧小平の改革開放に一旗あげようという人たちが国に戻って協力した。ベトナムでも海外で様々な事を学んできた人たちや越僑が母国の経済発展に寄与している。日本も戦後の貧しかった時代に海外にいた人たちが戻ってきて頑張ったからこそ高度経済発展を遂げることが出来て、今がある。ところがミャンマーでは海外に出て経済的に成功している人たちはあまり多くなく、国のアイデンティティーを強く主張する人たちも少ない。母国をよくしようという気風もない。例えば2010年の民主化総選挙後、ティワラ経済特別地区へ日本企業が進出する際にタイにいるミャンマー人に母国で経済開発に協力するよう呼びかけたが、拒否されたそうだ。せっかくミャンマーが民主化してタイで楽しく働けるようになったのだから、ミャンマーには年に数回、沢山のお土産を持って帰る程度が良いと考えるミャンマー人が殆どだったという。何故、娯楽も何もないミャンマーに戻り、国のために働かなくてはならないのかと考える人たちが多いということは、非常に大きな問題だと思う。

――ミャンマー国内ではクーデターが頻発し、多数の死傷者が出ている…。

 寺井 クーデターが怖いからミャンマーには戻りたくないという人たちも沢山いる。今回のクーデターで多数の死者が出ているのは、取り締まり能力が欠けているからだ。1962年や1988年のクーデターの時は、軍情報局が中心となって暴動を取り締まることが出来たのだが、その情報局は2004年にトップのキン・ニュン氏が失脚し、解体することになった。そのため、今は統治ノウハウや情報収集能力を持たない軍政が、規律もお構いなしに銃を乱射しており、そのために犠牲者が増えてしまった。ネット社会の今の世の中で、事前にきちんと情報を把握し、事前に対応を策していれば、あれほど多くの犠牲者は出なかったはずだ。例えば中国では天安門事件の経験から取り締まりのノウハウを蓄積した。だからこそ香港などでも、そこまで多くの死者を出すことなく”騒動”を治める事が出来た訳だ。かつて、ミャンマーの軍に従事するのはエリートの務めだったが、今は募集をしても行きたがる人はおらず、大学入学資格試験を受ける人たちも少なくなっているという。皆、軍も大学も信用していないため、エリートと呼ばれる人たちはあらゆる手を使って海外に出ようとしている。

――日本が懸念すべき事は、ミャンマーに対する中国の影響だ…。

 寺井 ミャンマーの人たちが皆親日であるというイメージは、なくした方が良い。日本で教育を受けたミャンマーの人たちが活躍し、日本からのODAが効果的に使われていた時代は終わり、今では中国が取って代わっている。ミャンマーの人たちは決して親中ではないが、背に腹は代えられないという事で、制約がなく利害関係だけで進められる経済開発のために、政権側も反政権側も中国と手を結んでいるというのが現状だ。既にミャンマー北部では中国の影響が非常に強くなっている。南部では何とか日本がそれを阻止しようして、ヤンゴン近くにティワラ経済特区を作り、また、インド太平洋構想でもミャンマーはキーパーソンとなりうると考えられていたのだが、もはや何が起こるかわからないミャンマーに進出して経済発展させようと考える日本人はいなくなっている状況にある。

――中国とミャンマーは国境を接している。両国の現在の関係は…。

 寺井 ミャンマーと雲南省には同じ民族が住んでいたりするので、ミャンマーと中国の2つの国籍を持っている人たちもいて、彼らの親せきは両国を行き来しているという。また、ヤンゴンなどに住むいわゆる広東人や福建人は、中国にルーツがあるという事で三代目までミャンマーの選挙権はなく、それでも税金はしっかり取られるそうだ。さらに学校の医学部には入れないといった制約もあるという話を中国系の人から聞いた。他にも、ミャンマーの北部では中国人の不法滞在者がいたり、密輸入に携わっているような人たちも多く住んでいて、死亡した人の戸籍を中国人に売るような事も起きていると聞く。目的は、ミャンマーや中国で商いをする際にその死亡した人の戸籍を利用して、何かあった時にはその戸籍を捨てていつでも中国に戻れるようにしておくためだ。そういった勝手なふるまいをする中国人に対して怒りをあらわにするミャンマー人は少なくなく、東南アジアでも権力を持つような中国系の人たちに対する排除感情は強い。他のアジアの国のように、中国系の人が現地に溶け込んで実力を発揮できるような国でもないとも言える。[B]

――9月に企業会計基準委員会(ASBJ)がリース取引に関する新しい会計基準を公表した…。

 岡本 今回のリース会計基準見直しは、借り手が原則すべてのリースについて貸借対照表(B/S)に資産計上することが柱だ。これまでの基準では、リース取引はファイナンス・リースとオペレーティング・リースに分類され、オペレーティング・リースについてはオンバランスが要求されず、支払ったリース料のみを損益計算書(P/L)に計上すれば良かった。新基準では、借りている資産の価値を見積り計算してB/Sに計上し、リース期間などを耐用年数として減価償却する必要がある。また、支払いリース料は利息の支払いとリース負債の返済に区分して計上する必要がある。そして、この減価償却のロジックで出てくる額と支払リース料の額はリンクしない。実務に配慮して、300万円以下の少額リースや12カ月以内の短期間のリースに関しては今まで通りの処理が認められてはいる。新基準は27年4月1日以降開始する事業年度から強制適用となる。

――処理が複雑になり、実務負担が増えそうだ…。

 岡本 今ファイナンスリースと呼ばれている、中途解約できず実質的にお金を借りて固定資産を購入しているのに近いリースについて言えば、負債・資産を認識することは会計処理としてやっても良いと思う。しかしながら、リースには別の側面もあり、一概に金融取引で固定資産を買っていると決めつけるのは短絡的なのではないか。企業がリースを使う理由の一つに、支払いが高くなっても常に最新の機械や設備を使い続ける方が良いというニーズがある。利用者の立場からすればモノではなくサービスを買っているわけで、この場合、従来の計上方法の方が経済実態に合っている。リース会社としても、モノを貸すリースにおいては、最新の機種をスピーディーに普及させることや、リース期間が終わったものを回収して中古品市場に流すことができるというメリットがある。

――今回の改正の意図とは…。

 岡本 私は今回の見直しの内容に賛同しないが、もしきちんとした理屈があるのならば改正して良いと考える。ところが、ASBJの原文を読むと、「なぜ」に当たる部分が「IFRS(国際財務報告基準)ではこうなっているから」とある。IFRSを一種のスタンダードとして無条件に受け入れているように見え、合理的な理由がよく分からない。週刊誌『経営財務』の記事などでも同様の説明だ。「リース取引はすべてオンバランスにすべきだ」という考え方自体は会計学の世界に昔からあるが、もしそのような理屈なのであれば、それを前面に出すのが筋だ。もちろん良い会計基準であればどこの国の基準であろうがそれを使うべきだし、会計基準を世界で単一の高品質なものに変えていこうというプロジェクトが進行しているとすれば良い話だが、現実はそうなっていない。日本は独自の会計基準を採用しているのだから、ASBJは「あるべき論」をちゃんと議論し、むしろ「日本はこうやっていますが、IFRSではやっていないんですか?」というスタンスでも良いのではないか。ASBJとIASB(国際会計基準審議会)は07年に会計基準のコンバージェンスの加速化に関する「東京合意」を取り交わしたが、私はその時からずっと、ASBJのコンバージェンスの方針に対してそのような疑問を抱いている。

――IFRSにも問題点がある…。

 岡本 もちろん日本の会計基準も完璧なものではなく、矛盾も多々あるが、IFRSにおいてそれが解消しているかというとそのようなことは全くない。IFRSの一番大きな問題点がIFRS第9号「金融商品」だ。金融機関のなかでIFRSを会計基準として採用している会社は、ホールディングなどで間接的に影響を受けている企業を除き、銀行単体としてはゼロ社だ。これは、IFRSは日本基準と比べて金融商品会計が遥かに複雑だからだ。例えば、有価証券の会計について、日本基準では保有目的で分けたうえで「純資産直入」という処理をする。これは有価証券の時価変動による差額をP/Lに計上しないものだ。しかし、IFRSでは、まず金融商品の種類によって入り口を分け、それぞれ時価評価、原価評価をして処理しなければならない。

――なぜそれほど複雑なのか…。

 岡本 この基準が生まれた1つの原因はリーマン・ショックだ。当時、「時価評価をしたら損が出て倒産する企業が増える。時価会計を止めよう」という議論が出た。しかし、時価会計を止めるのはやはり問題だということで、「時価会計は止めずに差額の部分の扱いを変えよう。時価会計を止めるか続けるかを選べるようにしよう」という動きがあった。金融危機への不安を拡大させたくない当時の金融規制当局なりのオペレーションだったのだとは思うが、まさに「合法的粉飾」だ。私は、このようにIFRSでは恣意的かつ政治的な基準変更が頻発しているのではないかという疑念を持っている。ちなみに、08年10月のIFRSの基準変更を受け、同年12月に日本基準において、売買目的有価証券の区分で買った債券を時価会計しなくて良い満期保有債券に途中で振り替えることができるというルールが突然導入されるといったこともあった。

――ほかにも政治的な理由で分かりにくくなっている箇所がある…。

 岡本 IFRSだけでなく米国基準にも共通する問題点だが、「包括利益」が難解だ。当期純利益に含まれない時価変動と当期純利益を合計してとらえる概念で、日本基準もIFRSを受けて導入しているが、多くの人にとってなじみがないだろう。どうして包括利益という概念ができたのかと言えば、やはりIFRSの政治的妥協の産物だ。時価変動が激しい有価証券は原価でなく時価で把握した方が良いという考え方は昔からあったが、わが国ではこの時価会計の考え方を取り入れた金融商品会計が99年に制定された。しかし、有価証券の時価変動による差額を当期利益に入れると、有価証券で大幅な利益や損失が出た時に通常の売上をかき消し、財務諸表の作成者も利用者も困ることになる。そこで、当期利益の合計と純資産の部の変動を一致させるために、当期利益の外に包括利益という概念を作り、包括利益計算書を作ることになったという流れがあった。しかし、現実問題として普通の財務諸表利用者は包括利益など見ていない。IFRSを策定する国際会計基準審議会(IASB)は常々「財務諸表利用者のために」という言葉を使うが、基準を作る人のための基準になっているように見え、首をかしげることがある。話は変わるが、この点、日本の監査業界にも内輪でしか通じない価値観があるように感じている。例えば、日本の監査業界で本来マーケットの全員が理解できる用語を作らなければいけないところが必ずしもそうなっていないのは、そうした恣意的な価値観の表れではないかと思う。

――複雑とはいえ、IFRSを採用する企業は増えてきている…。

 岡本 商社や医薬品メーカーなど巨額の研究開発費が必要になる業態ではIFRSを採用する企業が多い。なぜIFRSを採用する企業が日本でこれほど増えたのかと言えば、企業活動の国際化や会計基準の透明性向上などいろいろな説明がなされるが、企業の本音はのれんを償却しなくて良いためというところだろう。のれんとは、M&Aの際に買収する企業が買収される企業に、ブランド力や技術力などの企業価値を踏まえて純資産を超える金額を支払う時の差額を指す。のれんは、日本基準では20年以内に償却することになっている一方、IFRSや米国基準では非償却となっている。

――日本基準がのれん償却を義務付けている理由は…。

 岡本 旧商法の時代の名残だ。当時は債権者保護が重んじられて保守的に基準が作成されていた。債権者にとって企業に貸した金を回収する手段はその企業の財産しかないため、そのころの基準はできるだけ財産が社外流出しないように作られており、ブランド力などの企業価値は実態のない得体のしれないものとしてとらえられた。当時はのれんがあると配当に制限がかかるというルールも存在し、経営者としてものれんはできるだけ早く償却してしまいたいというインセンティブがあった。その考え方が今でも根付いているのだと思われる。また、のれんは測定が難しい資産のため、償却して早めに消した方が良いという保守的な考え方の人は今もいる。私自身も、企業価値は絶えず変わるので、一時点で計上したのれんをいつまでも置いておくのはリスクがあるのではないかとも感じる。会計というのは理論よりも決定したルールをどう実行するかという側面があり、ここは「決めの問題」だ。もしASBJが日本基準でものれんの非償却を選べるようにすれば、IFRSを採用する企業は激減するのではないか。[B][L]

――預金保険機構について…。

 三井 現在、預金保険機構では400人強の職員が働いている。メインの業務は破綻処理だが、その他の業務として、振り込め詐欺の犯罪利用の疑いがあると認める預金口座の失権手続き、休眠預金の移管の手続き、反社情報の照会仲介なども行っている。さらに、マイナンバーと預貯金口座の紐付けなどに利用するネットワークシステムの構築も当機構が手掛けている。具体的には、例えば亡くなられた方の口座情報をその相続人からの求めに応じ全ての金融機関に照会したうえで当該相続人に通知する作業や、災害発生時に被災者に預貯金の払戻しを迅速に行うために、被災者からの求めに応じ、その口座情報を被災者が指定した金融機関に照会したうえで当該被災者に通知する作業などを、来年あたりに実現できるよう取組みを進めているところだ。金融機関の破綻がないのが一番よいことは言うまでもないが、仮に破綻があった時に、迅速で的確な対応を行う事が当機構には求められている。しかしながら、金融機関の破綻が相次いで発生するような金融危機が起きた時に対応する観点からは、今の当機構のマンパワーは不足している。400人強という当機構の職員数を多いと感じられる方もおられるが、海外と比較しても、例えば日本よりもはるかに小さい金融システムの韓国における預金保険機構(KDIC)でさえ、職員数は800人と、当機構の倍の職員が働いている。また、米国の連邦預金保険公社(FDIC)は職員数が5000~6000人程度だ。日本も本当に危機になった時には何千人もの人員が必要となろう。

――ここ最近、金融機関の破綻はあまり耳にしない…。

 三井 幸いにして、この10年間で金融機関の破綻は生じていない。日本でバブルが崩壊したいわゆる平成金融危機の頃、私は大蔵省(現財務省)に在籍していたが、2001年7月に金融庁へ異動した。配属になったのは金融危機対応室で、資産超過ながら脆弱な状況に陥っている金融機関に対し、資本増強を行って金融システムを安定させるという任務に忙殺されていた。最終的に、りそな銀行と足利銀行への金融危機対応措置(預金保険法102条の1号措置と3号措置)が発動された時期辺りから日本の金融システムは安定した。その後はリーマンショック後に日本振興銀行が破綻しただけで、それ以降、金融機関の破綻事例はない。平成金融危機の時代に公的資金を注入した銀行の中で、今も残額が残っている銀行は1行のみだ。そして、現在行われている公的資金の注入に関する措置は、金融機能強化法に基づいた地域金融機関が対象で、リーマンショック前後に行われた公的資本注入や、東日本大震災で大きな被害を受けた金融機関への措置となっている。

――金融機能強化法で、金融機関はより盤石になったのか…。

 三井 極めて深刻な金融危機があると、その後遺症で、危機が収束して金融システムが安定しても、なかなか金融の円滑化が進まない事態が起こり得る。こうした金融危機の後遺症から早く金融機能を回復し、経済の活性化に貢献できるようにするために金融機能強化法がつくられた。それは金融機関の貸出余力を増やすための資本注入であり、破綻しそうだからという訳ではない。そうして暫くは、金融機関は政府保証の下で盤石だというイメージがついてきたのだが、昨年春、米国シリコンバレー銀行が破綻したことで、金融機関の本質的脆弱性が再認識された面がある。すなわち、預金は要求があればいつでも払戻しに応じなくてはならない一方で、貸出には返済期限があり、銀行の資産と負債の間には期間のミスマッチ、満期のミスマッチが本質的に存在する。信用リスクのミスマッチも加え、3つのミスマッチと呼ばれることがあるが、預金保険制度はこのような3つのミスマッチが作る銀行システムの構造的な脆弱性に対応し、預金の取り付けを阻止し、金融システムの安定を確保するための仕組みとなっている。海外では一連の騒動を受けて、預金保険・破綻処理制度とその運用をめぐって活発な議論が行われているが、日本では90年代の危機とそれに対する対応の積み重ねもあり、今は世界的にみても非常に良いバランスになっていると思う。

――現在、機構にはどれ程の準備金が在るのか。また、その資金運用方法は…。

 三井 当機構では、90年代初めには1兆円弱の責任準備金の積立があったが、バブル崩壊後のいわゆる平成金融危機時に、その資金はあっという間に枯渇し、4兆円の債務超過となった。その後、預金保険料が積み立てられ、現在の準備金残高は5兆円を超える状況となっている。言うまでもなくこれらの資金は安全な形で保有する必要があるのだが、我々が保有しているお金は銀行が破綻した際の預金をカバーするためのものなので、預金に置くことは本質的な矛盾となる。また、市場での運用は、最も資金が必要な金融危機時には市場の暴落により大打撃を受ける事になるため、一般的に中央銀行預金と国債で資金を保有する必要がある。国債に関しては、マイナス金利政策が解除となったところで超短期国債での保有を若干再開したところではあるが、基本的に運用については、「預金保険機構が資金を必要とする時は金融危機時である」ということを踏まえた慎重な対応が必要だと考えている。

――預金保険機構が直面する課題は…。

 三井 10年間、金融機関の破綻が無いという事は非常に良いことなのだが、半面、そういった危機に直面した時に実際に対応するための人材確保や、職員の危機対応時のための訓練(人材育成)といったところに課題があると感じている。危機対応には、マンパワーの逐次投入ではなく、危機時に即応できる人材をいかに準備しておくか、ということが極めて重要になる。平成金融危機の当時、当機構では傘下の整理回収機構や外部契約者を含めると2500人程度が働いていたが、同規模の危機が発生した場合には、当時投入された人員と同規模以上の人員を投入できるようになっていることが不可欠だ。かつて働いていた人達はリタイアし、現在当機構にはバブル崩壊後の金融機関の破綻処理に携わった経験を持つ人材はそう多く残っていない。いたとしても、金融ビジネスを取り巻く環境が大きく変化していることを踏まえると、当時のノウハウそのものも陳腐化しているという側面は否めない。日本以外の国では現在でも破綻している金融機関があるため、アップデートされた状況対応を実務として訓練出来ているが、日本ではここ10年間、実際に破綻した金融機関が無いため、最近の処理ノウハウがなく、来るべき危機への即応人材の確保は大きな課題だと考えている。

――政府や当局への要望は…。

 三井 金融面に限らず我が国では平和な状況が続いているが、これからの時代は危機時への備えを金融界も政府も一緒になって取り組んでいく必要があろう。繰り返しになるが、金融機関のビジネスは大きく変容しており、コンピューター産業化している側面もある。また、海外では昨今の様々な経験を踏まえた制度や運用の改善改革が急ピッチで進められている。そうした内外の変化の進展に的確に対応できるような破綻処理の枠組みになっているかどうか、法制度面も含めて点検をしてみることの必要性を感じている。また、当機構は海外の預金保険当局とは異なり、金融機関の業務全体への監督権限や検査権限がないため、リアルタイムでの情報が不足している点もあるため、金融機関との関係をさらに密なものとし、日頃から意思の疎通を図り、当局や金融機関と一緒になって議論ができるような時間を多く持ちたいと考えている。こうしたことを通じて、日々進化する金融システムの状況に遅れを取ることなく、将来の金融危機に備えていきたい。[B]

――日本の金融業界の課題について重要な提言をされている…。

 田中 私が座長を務める「金融問題研究会」は、22年2月に木原誠二衆院議員と私的勉強会として立ち上げた。金融に携わるプロ約15人に声をかけ、月1回の頻度で集まっている。木原氏も緊急の海外出張のあった一度を除いて毎回出席している。木原氏は高校の後輩で、彼の父が私の東京銀行(現三菱UFJ銀行)時代の先輩ということもあり、以前から親しくしているが、研究会を立ち上げたのは木原氏と日本の金融業界への危機感を共有し、意気投合したことがきっかけだ。研究会の根底にある問題意識は、「失われた30年」の日本経済の低迷の原因が、日本の金融機関が十分に役割を果たし切れていなかったことにあるのではないかということだ。日本経済の復活のためには、グローバル化に遅れた金融業界の改革が必要だとわれわれは考えている。23年5月には14回の議論を整理し、「本邦金融機関経営に関する5つの提言」を取りまとめ木原会長に提出した。

――5つの提言とは…。

 田中 1つ目は「人的資本改革」で、適材適所で人材を活用するため、人材の流動性向上に関する施策や給与体系、人材育成などについて提言した。2つ目は最近の研究会での議論ともつながる「金融資本市場整備および資産運用機能充実」で、3つ目はシステム化の遅れなどの解消を訴える「テクノロジー改革」。そして、4つ目が「金融機関ガバナンス強化」で、「内なるガバナンス」の欠如を取り上げている。資産運用業の独立性の問題と関連するが、金融機関グループの利益を上げることを最重要視した構造になっている現状がある。その結果、商品開発や人材開発、外部からの人材の流入などが妨げられ、グループ内で完結しようとするカルチャーを問題視している。対して、5つ目は「金融機関の使命の再認識」、つまり「外へのガバナンス」だ。もはやメインバンクが企業のガバナンスに対してもものを言うシステムは機能しなくなり、不祥事も多発している。金融機関は取引先の経営課題についても日本の代表的な産業、企業として矜持を示すような仕組みを作らなければいけない。この5つの提言がわれわれの考え方の原点だ。この提言は、金融庁をはじめ各所でそれなりに評価をいただき、メディアでも取り上げられた。特に「NISA拡大」、「資産運用立国」への挑戦と、タイミングよく新聞の連載につながった。最近の研究会のテーマは資産運用業務の具体的な強化に的を絞り、創設時と少しメンバーを変更し、金融庁とも連携を取りながら活動を進めている。

――米国の金融業界の現状は…。

 田中 私は10年間シティグループ・ジャパン・ホールディングスの会長を務め、2年前から現職に就いている。米国の金融業界はこの十数年で大きく変わってきた。かつて米国内に1万行近くあった銀行は合併、統廃合を繰り返し大幅に減ってきている。多くの銀行は地域的なビジネスに転換し、グローバルなビジネスを行っているのはJPモルガン・チェース、バンク・オブ・アメリカ、シティグループ、ウェルズ・ファーゴなどに限られてきた。また、シリコンバレーバンク等の破たんに見られるように、さまざまなリスクが表面化してきた。ゴールドマンサックスはバンキング、モルガン・スタンレーはアセットマネジメント、米国の金融機関は各社独自の戦略、ビジネスモデルを追及しながら業務拡大を図っている。

――アセットマネジメントの重要性が増している…。

 田中 米国では、投資会社やアセットマネジメント会社というのはまさに金融市場そのものだ。今、企業の調達ニーズは企業再編、インフラの更改、エネルギー、気候変動対策など多様な形で広がっているということだ。さまざまな調達ニーズに合わせて商品開発を行い、いろいろな形で調達者のニーズ、投資家、資金運用者のニーズに応えるのがアセットマネジメント業務の真髄だ。特にESGがらみは各社が対応しなければならないため、大きな資金ニーズがあると思うが、日本の金融機関のなかにはまだうまく応えられていないところもあるのではないか。加えて、日本ではプライベート(私募)よりパブリック(公募)の方が安心だと思われているが、米国ではパブリックとプライベートの垣根は低くなっている。ローン市場の資金調達では圧倒的にプライベートクレジットのマーケットが拡大している。このような米国での大きな潮流をどのように日本の金融市場改革につなげていくかというのが金融問題研究会の課題だ。

――日本の金融業界は海外から学んでいない…。

 田中 この十数年間、日本の金融業界は大きなイノベーションが起きていない。承知の通り金融庁は改革へ前向きで、これは規制の問題では必ずしもない。一つは米国の金融業界がこれだけ変わってきているということをまず理解すること。もちろん日本独自の良いところもあり、米国はすべて良くて日本はだめだ、と言うつもりはない。先進的なあり方をどのように取り込むか、どうしたら一緒に参画できるかという意識を持つことだ。昨今は「アジアの時代だ」と言ってアジア強化を進める金融機関が多い。私はアジアの金融機関への出資・提携をたくさん扱った時期があり、それ自体に異論はないが、米国の強化は不可避の命題だろう。外国人の登用も大切ではあるものの、米国で金融のプロたちのインナーサークルに入っている日本人は何人かいるが、もっとその層を厚くしていく必要もある。

――自前主義から脱却する必要がある…。

 田中 人を送り込んで良い意味でも悪い意味でも米国に学び、良いものは持って帰り、日本に合った新しい金融市場を作るということこそが「資産運用立国」の実現につながる。そのうえで、企業のカルチャー改革、プロの人材育成、商品開発の3つが具体的なポイントになる。1つ目は、「自分たちだけでイノベーションは起こせない」と理解し、広く業務を開放・分担して「できるところと組んでやる」姿勢だ。その分リスクの許容度も上げなければいけない。2つ目はプロの人材の育成だ。アセットマネージャー、アセットオーナー、スポンサーなど幅広く運用のプロ人材が必要だ。8月に金融庁がアセットオーナー・プリンシプルを策定したが、金融庁の問題意識もいろいろなところに金融のプロが必要だというところにあるだろう。3つ目が商品開発だ。低金利の下で国内ではなかなかパフォーマンスが上がらないので海外での運用が多いことは理解できるが、そうすると日本経済の成長にはつながらない。オリジナルの商品開発、例えば企業の優良アセット、キャッシュフローを切り出したファイナンススキームの組成。多少流動性は抑えられるが運用利回りは上がるというような金融商品の開発など、日本独自の運用商品の多様化を進め、アジアの資金を日本に取り込むという発想も必要だ。日本の金融業界は今まさに転換期を迎えている。[B][L]

――京都や奈良には沢山の寺院があるが、中でも仁和寺は特別な歴史を持つ…。

 瀬川 真言宗御室派総本山の仁和寺は886年に光孝天皇の勅願で建て始められ、888年にその遺志を継いだ宇多天皇によって落成された。その後、出家した宇多法皇が仁和寺第1世となり、以降、30世までの約1000年間、仁和寺の門跡(住職)は皇子皇孫が務めている。そういった歴史から、仁和寺は平安時代に創建された門跡寺院として最高の格式を持つとされ、同時に芸術文化が花開く場所となった。京焼の最高峰とされる仁清も、もともとは仁和寺の門前に窯を開いて茶碗などを作っており、「仁清」という名前は仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」から送られている。また、仁清の跡を継いだ尾形乾山は、のちに兄の尾形光琳とともに『芸術』をつくり上げたが、その尾形光琳・乾山兄弟が住んでいたとされるお屋敷は、現在、仁和寺に移築され、茶室として使用されている。それが重要文化財に指定されている「遼廓亭」だ。このようにして、仁和寺には次第と芸術家が集まるようになり、今なお芸術家たちの拠り所となっている。

――総本山仁和寺の門跡となられて、想う事は…。

 瀬川 私は愛媛県西条市の王至森寺で生まれ育ち、高野山で修業をして仁和寺に入った。仁和寺では宗務総長を2期8年務めた。その8年目が終わる時に、丁度修復していた観音堂が完成期を迎え、その落慶のタイミングで第51世の門跡に就任した。門跡では、今年で6年目となり、仁和寺の1000年の歴史と、それを後世まで伝えていくという責任の重さを日々感じている。また、日本の伝統を守る職人たちを後世に継ぎ、新鋭の芸術家たちを育てていくことも、世界遺産にも登録されている仁和寺の大きな役割だと考えている。そういった思いから、仁和寺では芸術家達のサポートを行うための活動も行っている。

――仁和寺の教えの特徴は…。

 瀬川 仁和寺の教えは弘法大師空海の真言密教であり、その教えは、「我々は大日如来の子であり、菩提心を持って生まれている」というものだ。仏から尊い命をいただいて生き、そのまま仏となる、という即身成仏が基本となっている。今の時代においては、普通の人が日常生活を送る中でそういった事を考える事は少ないかもしれない。しかし、経済が発達し、お金や資源を巡って争いが起こり、それが世界戦争を巻き起こしかねないというような世界情勢の中で、どこかに心の拠り所を探し求めている人も多いのではないだろうか。このような世界において、弘法大師空海の教えを広めていく事は大変に重要な役割だと考えている。

――世界では宗教の違いによる争いが後を絶たないが、仏教は世界平和を求めている…。

 瀬川 仏教は和を尊ぶものだ。宇多天皇も、出家されて法皇となり、仁和寺の中に最初に建立されたお堂は人々の幸せと世の平和を願う八角円堂であり、願文の最後の部分には「我、仏子となり、善を修し、利他を行ず」と記されているように、宇多法皇が開山して最も重んじられたのは、「人々の幸せ」と「世界が平和である事」だった。さらに先の帝の供養と国家安泰、人々の幸せを祈るために仁和寺は建立されたのであり、それは今でも脈々と受け継がれている。仁和寺を訪れて境内を歩く人々が、なんとなく落ち着くなぁ、なんとなく優しいなぁ、と感じてくださる事があれば、それは平安時代から約1000年続くこの環境が生み出す雰囲気が、自然と伝わっているのだと思う。同時に、この環境を次の世代へしっかりと繋いでいくために、私はこれからも「利他」の心を大切していきたい。

――今、かなり多くの日本人が、そういった本来の人間のあるべき姿を追い求めているのではないか…。

 瀬川 コロナ禍において、人々は未曽有の体験をした。そこで学んだ事は、普通の日々の有難さだったと思う。人と会ってとりとめのない話をする事。電話や画面越しではなく、実際に人と触れ合う事。そういった何気ない日常が、コロナ禍で断絶されたことによって改めて大切な事だと気づかされたのではないだろうか。そして、生きるという事はどういうことなのかという意識が芽生えてきたのでないか。すべては御縁の中で生かされている。その御縁に感謝し、そうして生きてきた結果として、現在の自分があり、その先に成仏の世界がある。それが本来の人間のあるべき姿だと思う。

――奈良時代、平安時代、鎌倉時代では政治と宗教はかなり密接な関係にあったと聞く。現代の日本における政治と宗教の関係は…。

 瀬川 現代においては、政治と仏教の関係性はなくなっていると思う。基本的には利他を願うのが仏教であり、祈りの世界である。過去の時代では、近づきすぎて問題が起きたという事は在るかもしれない。しかし、今ではそういったこともなく、只々、私たちは心を豊かにするために説教を施している。

――今後の抱負は…。

 瀬川 「朝靄に、利他の御心仰ぎつつ、仁和の祈り永遠に伝えんと」。これは私が作った歌だ。毎日、朝もやの中で読経をしながら、他人の事を最優先させるという仏様の教えを心に刻み人々の幸せを祈り、世界の平和を願うために建立された仁和寺の想いを脈々と繋いでいけるように、後世にしっかりと伝えようと誓っている。今の日本は天変地異による災害が相次いでおり、そういった中で不安な日々を送られている方が大勢いらっしゃる。そういった不安を取り除けるように、手を合わせて皆の安全と安心をお祈りしたい。そして、心豊かに日々を過ごすことが出来るよう、弘法大師空海の教えを一人でも多くの方に語り掛けていきたい。人間の根幹とも言えるこの教えは、出来れば家庭教育でも取り入れて、もう少し各々に掘り下げてもらいたい。例えば、今の世の中では古いものは直ぐに捨てるが、古いものを大切にする心「温故知新」について、小さな頃から考えて、家族皆で実践していく。そうして、折に触れて古を振り返り、「昔の人だったらどうしただろう」と考えてみる。そういったところに、世界が平和になるヒントが隠されているように思う。お互いが仲良くいたわりあい生きていくところに原点があるのではないでしょうか。[B]

――8月8日に国会・内閣に提出された今年の人事院勧告・報告で特に力を入れた部分は…。

 川本 国家公務員制度で一番大きな課題は、持続可能な組織づくりのための人材の確保だ。打てる手はすべて打っていく構えで、処遇、採用手法、勤務環境の整備、キャリア開発などの施策を包括的にパッケージ化した。特に今年の給与勧告では、民間企業での賃上げの動きを反映して一般職国家公務員の月給を平均2.76%引き上げた。これは約30年ぶりの引き上げ幅だ。初任給についても民間などの競合を意識し大幅に引き上げた。また、働き方の改善についても対応を進めている。令和6年の通常国会会期中の答弁作成終了時刻は平均で午前1時前となっている。人事院は担当部署を作って各省庁の勤務時間を調査・指導したり、仕事が終わってから次の出勤までにインターバルの時間がとれているかなどを調査したりし、それを元に対策を進めている。昨年6月には衆議院の議院運営委員会で、速やかな質問通告に努めること、オンラインツールを利用した質問通告の推進に努めることなどの申し合わせが行われた。

――少子化が進むなか、人材確保対策は…。

 川本 新卒中心の採用だけでなく、経験者採用(中途採用)も増やしている。通年で採用している省庁もあり、統計上、再雇用者を除いた新規採用者の約3割が経験者採用だ。日本の労働市場を考えれば優秀な新卒を採用するということは引き続き核となるが、多様な経験のある人材を確保し、また退職者が出ても職場が疲弊しないように、採用チャネルを整備して公務外から優れた人に来てもらうようにする必要がある。官民の人材の行き来をもう少し増やし、新卒で入省した職員以外にも色々な経験をした職員が集まることで、視野が広がり、よりオープンな環境がつくられていくだろう。もちろん、国家公務員制度は政策の継続性を担保する装置でもあり、経験を積んだ職員たちが働き続けることはとても重要だ。そのうえで、職員が他省庁、海外留学、国際機関、民間企業などで経験を積む機会も必要だ。

――経験者採用が増えれば、年次に基づく昇進の仕組みも変わっていく…。

 川本 転職によるキャリアアップが普通のことになり、労働市場が様変わりしている今、制度もそれに合わせて変えていかないと人材が確保できない。民間企業や地方自治体からの経験者採用、一度国家公務員を辞めた人が再び公務に戻ってくるいわゆるアルムナイ採用も、中から上がってきた人と公平に昇進できる仕組みにする必要がある。給与表の上位の「級」に上がるために必要な期間である「在級年数」の仕組みは残っており、今年の勧告では在級年数の廃止に向けた検討を行うことを明言した。経験者採用・アルムナイ採用については、退職前の年数や民間経験も適切に評価されることになっており、入省時も含め能力の評価がますます重要になる。

――公務員志望者や若手職員に国家公務員のやりがいが伝わっていないという課題もある…。

 川本 国家公務員の仕事はオンリーワンで、国家の屋台骨を支える非常に大事な仕事だが、うまく周知できていないように思う。長い間、公務には自然と優秀な人たちが来てくれるという状況が続いていたため、そこに対して努力をしなければいけないという認識が遅れてしまった。特に、政策を作るというのは非常にやりがいのある面白いことなので、管理職層はどうしてもそのことに夢中になってしまう。もう少し組織マネジメントにもエネルギーを振り向けることが望ましいと感じる。また、世代間のギャップもある。若い人は、能力やスキルなど自分に身に付くものがないと感じるとすぐに職場を去ってしまう傾向がある。一つひとつの仕事がどういうことにつながっているのか、国民にとってどういう意味があるのかを管理職層が丁寧に説明していくことが大事だと思う。関連して、若い人は研修を重んじている。OJTだけで育ってきた管理職層は「研修にはいかないのがかっこいい」というような感覚がいまだ残っている場合もあるようだが、座学で理論などを学ぶことも大切だ。

――公務員志望者に向けて、公務員として働くメリットとは…。

 川本 国を支える大きな仕事をすることの意義の大きさをまず伝えたい。生活面でも、男性も含めた育休や介護休暇など、仕事と家庭の両立支援に関する制度は非常に整っている。国家公務員はルールを順守する意識が強く、ルールができると皆が守る傾向にもある。例えば、今年4月から11時間程度の勤務間のインターバルを努力義務にした。速報値であり時期によって違いもあるため今後もさらに調査をしていくが、5月の人事院の調査では既に国家公務員全体で9割、霞が関で8割が取得できていた。また、来年4月からはフレックスタイム制が改正され、所定期間の総労働時間を維持したうえで同制度を活用して週4日勤務もできるようになる。それらの制度を組み合わせれば、男性でも女性でも、家族に対する責任を果たすことや、大学院に通うなど自分を磨くための時間を持つこと、趣味を楽しむことができるだろう。霞が関の働き方は、一部で不合理な働き方が残っているとはいえ、実態以上に「ブラック」だと思われている。公務員バッシングの時代が長く、優遇されているというイメージになってしまうことがリスクだったためか、真実が伝わっていない。例えば、残業については、残業代がきちんと支払われていることに加えて、上限時間は基本的に民間と同様だ。災害対応などの特例業務に従事する場合は上限を超えることができるものの、その場合には各省庁の長が説明しなければいけないと定められている。公務員は優遇されているわけではないが、少なくとも民間と同じ程度の制度は整っており、職員がそれを守っているということはもっと伝わってほしい。

――今後、さらにどのように改革を進めていくか…。

 川本 昨年秋から開催している「人事行政諮問会議」では「従来の延長線上にある考え方では、公務員人事管理の課題に対する解を見いだすことはできない」という指摘を受けている。今、同会議では色々な政策が議論されているが、出てきた議論をできるだけ早く運用可能な制度に落とし込んでいくことが人事院のミッションだ。具体的には、責任と処遇が合っているポジションばかりではないという問題がある。特に職員によっては管理職に昇進すると残業代がつかなくなり給与が下がってしまうという問題がある。若手から見ても、管理職層の給与が今のままでは将来の処遇に期待が持てないということになる。加えて、国家公務員の行動規範の策定についても議論されている。私はこれが大変重要だと考えている。

――なぜ行動規範が大切なのか…。

 川本 国家公務員のなかでも世代により価値観や経験は全く違う。行動規範は組織の多様性が高まるほど重要になる。「国家公務員たるものどうあるべきか」ということを「暗黙の了解」としていてはいけないのだと思う。国民を第一に考えること、公正中立、インテグリティ、専門性などについてまとめ、さまざまな場面において判断の助けとしてもらう方針だ。まずは人事院が緩い枠組みを作る。各省庁で既にミッション、ビジョン、バリュー(MVV)を作っているところもあるが、それらがない省庁には作成を働きかけていく。MVVを既に作っている省庁にも時代に合っているかなど点検してもらいたい。行動規範は先の「やりがい」の課題とかかわる大切なテーマだ。現在の国家公務員法では「何々をしてはいけない」という禁止事項が中心で、国家公務員、特に若手は「自分は何のために働いているのか」という意識のなかで道に迷うこともあるようだ。自分のミッションが分かっていれば働くうえでやりがいを感じやすいのではないだろうか。そして仕事上で問題にぶつかった時、公正とは、中立とは、客観的であるとはどういうことか、を噛み締めると、客観的なデータに基づいて「これは間違っている。国民のためにならない」などと考える自由ができると思う。私は毎年、勧告の後に各省庁の次官・長官と意見交換を行っているが、人材不足への危機感はますます強まっており、その危機感をバネに色々な対策が打たれていて心強い。しかし、まだまだ課題は尽きない。[B][L]

――政府はマイナンバーカードの普及を推進しているが、取得することを躊躇ったり、拒否する人も多い…。

 稲葉 そもそもマイナンバーカード(以下、マイナカード)に法的な義務はなく、取得するかしないかは個人の判断によるものだ。マイナカードの申請をしなければ処罰がある訳でもなく、返納するのも自由だ。つまり、欲しい人が申請すればよいだけなので、何かを不安に感じている人は無理して保有する必要はない。マイナカードの取得が義務化されていない事が国民に周知されていないのであれば、それは政府の説明が足りないという事だ。また、銀行口座を作る際の本人確認にもマイナカードの提示を求められる事があるが、それも「従来の方法に加えてマイナカードも利用できる」という程度のものであり、提示を義務化させようとするのであれば、「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(略称:マイナンバー法)」など、法律の中身を根本的に変えなくてはならない。それにもかかわらず、マイナカードを保有しない事で国民が何かしらの不便を感じるような仕組みになっているのであれば、それは行政の方向性が法律から離れているからだ。

――マイナカードの取得が法的な義務ではないのに、保有しなければ不便な世の中になっていく…。

 稲葉 マイナカードを取得しないことで今一番問題になっているのは健康保険証だろう。従来の保険証はまだ暫く使用可能だが、新規の発行は今年12月2日に終了予定となっている。そして現行の健康保険証がなくなった後には「資格確認書」という保険証に代わる仕組みがつくられる予定になっているが、マイナカードによる健康保険証の利用登録をしていない人たちが、今年12月から来年1月頃に利用登録をするようになって人数が増えると、また色々な問題が噴出してくるのではないか。このように、無理にマイナカードの取得を進めて、その流れでいずれ義務化させようとするのは、主権者のための政府という本来の民主主義国家の在り方から外れている。

――大事なことは、国民一人一人が本当にマイナカードを保有した方が良いと考えているのかどうかだ…。

 稲葉 マイナカードを保有することで個人情報が流出するかもしれないといった不安を抱える人は多い。そういった意思を無視して政府主導で勝手にマイナカードの取得が進められているというところに、多くの人たちは疑問を持ち、不満を感じているのではないか。そもそも一枚のカードに色々な機能をまとめるという政策は世界でも珍しい。医療保険や運転免許証など色々な情報を詰め込む中においては、個人的に触れられたくない分野もあろう。そういった部分をどのように扱っていくのかといったルール作りについても、しっかり議論していく必要がある。その議論が無ければ後から困ったことになりかねない。

――そもそも、日本における政府のセキュリティ対策の信用性は相当薄い。例えば、マイナカードで個人情報が流出した際の法的手当てがきちんと出来ているのか…。

 稲葉 当然、悪事を働いた人を見つけて罰するという法的な仕組みはあるが、そういった犯罪に類する行為はいたちごっこだ。法的手当て以前に、必ずどこかでそういった事を行う人が出てくるという前提で考えなければならない事が沢山ある。例えば、マイナカード一枚で何でも出来てしまうという「利便性」は、この悪用と裏表ではないか。このような社会を国民は本当に望んでいるのだろうか。むしろ、身近な窓口で顔見知りの職員と本人確認をしながら手続きを進めていくプロセスを望んでいる人もいるのではないか。従来の文化を守りながら日本の社会を作っていくべきだと思う。特に今の世の中は、普通の若者が自分の知らない所で犯罪の手先として悪事に加担してしまうような事も多い時代だ。全ての情報が詰まったマイナカードの保有を義務化させることが、良からぬ心をもった人達を増加させるきっかけとなり、結果的に社会が分断されるような状況になってはならない。先ずは、その状況を生み出さないような議論を重ね、その次に、違反した場合の罰則や補償手当が考えられるべきだ。

――マイナカードの普及は、地方の行政や自治体にどのように影響していくのか…。

 稲葉 マイナカードは一つのカードで多数の機能を保有している為、色々な手続きの窓口が一つで済むようになる。手続きがオンライン上で行われるようになれば、役所の規模も小さくて済み、それはいずれ、役所の統廃合にもつながるだろう。ただ、繰り返しになるが、現段階でマイナカードの取得は義務ではなく本人の意思に任されている為、自治体も、先ずは住民がどのような意思表示をしているのかという事に注目する必要がある。異論もあるかもしれないが、国民の多くがマイナカードを取得した理由はマイナポイントをもらえたからであり、そこに健康保健証の機能を紐づけている人の割合は、今春ようやく50%を超えた程度だ。つまり、ポイントの為にマイナカードを取得しても、そこに色々な機能を組み込む事に対しては、多くの国民が慎重に考えている。国民の中から出てきたこのような動きが、今、進めようとしている流れとは違うものであったとして、政府はそういった声にきちんと耳を傾け、国民が本当に望む方向性をしっかりと読み取り、民主的な社会にしていかなければならない。それが重要な事だと思う。

――日本の行政の進め方として、もっと議論を大事にすべきだと…。

 稲葉 日本には審議会や委員会など専門家を招いて行う会議の場は在り過ぎというほど存在する。ただ、行政の中でどれだけ多くの会議を開こうとも、そこに存在する少数の見解に耳を傾けなければ意味がない。今の日本には異論を大事にするような体制が必要だ。そうしなければ、他の意見を聞くことなく、一つの答えだけに向かって突き進んでしまうからだ。実際にマイナカードの問題にしても、今はハッカーや詐欺が出てきた時の事は議論せずに、先ずは普及させる事だけを目標にまっしぐらに進んでいる。被害が出てきたら、その時に対処法を考えればよいという考えだ。国がそのようにマイナカードの普及を進めている一方で、自治体の対応は様々だ。中央政府の意向に沿って動く自治体もあれば、冷静に距離を置こうとする自治体もある。自治体の議会にも、マイナカードを健康保険証の代わりとするべきではないという趣旨での議決の動きがあり、約1割にあたる180程度にまで議会の数が増えていると聞く。反対の理由は、例えば高齢者施設においてマイナカードの管理は難しいという現場からの声があがっている等、地方によって様々だ。住民の声に応じて議決を行った地方議会のように、自治体の動きを国はきちんと把握して、しっかりと政策に反映していく事が重要だ。そうしなければ、国民のマイナカード普及に対する反発や政治に対する不信感は、ますます強くなっていくだろう。[B][HE]

――政権交代で資産運用立国は継続できるのか…。

 井藤 石破総理は、「資産運用立国」の政策を着実に引き継ぎ、更に発展させるとともに、これに加え、地方への投資を含め、内外からの投資を引き出す「投資大国の実現」を経済政策の大きな柱の1つとすることを述べられた。また、貯蓄から投資へという流れがさらに確実なものになるように努力をしてまいりたいという方針も示された。加藤金融担当大臣も、「資産運用立国」や「投資大国」の実現に向けて、家計、企業をはじめインベストメントチェーンを構成する各主体をターゲットとした取組をさらに強化していくことを述べられている。こうした方針の下で、引き続き、しっかりと取り組んでまいりたい。

――資産運用立国における最大のテーマは…。

 井藤 一番というものはない。すべてをやろうと思ってこれまでやってきた。新NISAの導入は目立つ政策ではあるものの、その過程では、より金融経済教育を推進するための教育機構の設立や、より顧客本位の業務運営を定着させるための横断的な義務の新設を行うなど、よりよい水準を目指すために業界の取り組みを一歩も二歩も進めるために取り組んできた。直近では資産運用立国を目指すうえでの新たな課題としてインベストメントチェーンの要となるアセットマネジメント、アセットオーナーの課題のほか、ベンチャー育成に向けた担保に依存しない融資の世界の確立に向けた事業成長担保権の導入、そして地域経済の課題など様々なことに取り組んでいる。そうした一つ一つの取り組みのどれが欠けてもいけないという思いを込めてやってきた。ここ2年間はできることでやるべきだと判断したものはなんでもやってきたし、今後もその方針に変わりはない。

――積み残しは…。

 井藤 あえて言えば制度論においてより未来に向けて骨太に考えたほうがいいと思う分野はある。その点で言えば例えば、横断的な金融サービス法体系のような世界を実現したい。もちろん喫緊の課題ではない。金商法の体系が複雑化している。実際に条文を数えれば1千条もあるほどだ。新しい事象も生まれてきているなか、同じサービスには同じ規制なり、同じようなユーザー保護、あるいはシステムの安定につながるような仕掛けを横断的に同じような水準感で規制される必要がある。あくまでも理想であり、また現時点で制度自体がほころびを持っているわけでもない。一方で限られた人員で、デジタライゼーション、サイバー、安全保障、市場変動への対応など金融庁が体制強化しなければならない分野が増えている。そうしたものをフォローしていかなければならないため、より優先課題を見つけて仕事のやり方も徹底して効率化していかなければならないと考えている。今、庁内でも言っているが、よりよい行政を行うためには我々自身、金融庁で働くこと自体が充実しなければならないと考えている。一方で、リソースを最大限活用して今以上の成果を生み出していきたいとも考えている。つまり、今、10の力で10の成果を出しているとすれば、10の成果を6~7の力で出すことが理想で、浮いた時間をプライベートや勉強に費やしてもらう、9程度の力で12くらいの成果を上げていきたい。

――横断的金融サービス法体系は長年の課題だ…。

 井藤 今回の金融審で決済周りの議論を始めているように、現状、様々な事象に的確に対応できているかという問題はある。ただ、今、回っているものをすべて直そうとすれば、法改正作業だけでも専門チームを何年か専従させなければならないなど大変な負担となり得る。他方、先々の中期的な変化を展望し、翻って今手掛けなければならないものは何かという発想は大事だ。体系の美しさ、合理性はあるものの、横断的金融サービス法体系にリソースを投入する優先度はそこまで高いとは言えない。ほかにもやりたいことはある。すべての制度は作った瞬間から劣化していく。社会に定着しているものを変えることは影響が大きく、慎重な判断が求められる。

――組織改革を重視されている…。

 井藤 今年大事だと考えているのがモニタリング部門と監督部門の一体運営だ。これまでも一体運営を念頭に置き、組織改革を行っていたが、よりそれがうまく回るように監督部局にはお願いをしている。また、新しい課題について官房部門に負担がかかり過ぎないよう、企画や監督部門と連携させる仕組みをさらに進めていきたい。おかげさまで優秀な職員が揃っており、そういう方々に手腕を発揮してもらうことが大事だと考えている。

――最近の不祥事を見るに銀証ファイアーウォール規制はむしろ厳格化が必要だと思うが…。

 井藤 銀証ファイアーウォール規制は何を守るためにあるのか。それは顧客の情報であり、優越的地位の濫用など不当な圧力を受けることを回避すること、利益相反の管理といったところにある。一方で金融サービスはより効率的に提供されるべきであることも事実だ。情報管理を形式的な管理から実質的にどのように管理してもらうかが大事で、形式なものではなく実質的に管理してできるのであれば緩和というのも十分検討に値するとの考えの下、緩和の議論を進めてきたが、点検するといろいろな問題が出てきて、実質的にできていないではないかという話になっている。金融審の議論においても厳しい声が顧客側からあがっている。経済界や消費者に加え、従前は緩和意向にあった学者からも実質的な管理を求める声があがっている。ファイアーウォールの緩和は、自由ではなく、より責任が重くなるということを念頭に置いてもらいたい。

――社債市場改革が少しずつ進んできた…。

 井藤 金利が出てくる状況になり、社債の魅力は今後も高まっていくことが考えられる。そうしたなか、個人が格付けだけを参考に投資するのは背負わされているリスクに比して合理的かというとそうではなく、ある程度の見極めをもって自己判断で投資できる環境を整備していく必要がある。その点、コベナンツの問題など一歩一歩必要な対応を進めていきたい。日本は従来、安価なデットが供給される間接金融が強い。しかし、社債が十分合理性を持つ金融商品であれば、直接金融をどんどん伸ばしていただければと思っている。

――抱負を…。

 井藤 「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という論語が示すように、仕事はとにかく楽しくということを心掛けている。中央官庁の仕事というと、世の中にこれほど知的な仕事はないという楽しさがある。ただ、ルーティンなものがなく新しい課題ばかりでどうしたらいいのかと思うことも多く、また必ずしも前向きな仕事ばかりではない。しかし、そうした課題に答えを見出せたときの喜びは大きい。また前向きに仕事に取り組んでいきたいとも考えている。金融機関においては人口減のなかで厳しい局面もある。しかし、座して何もしなければひどいことになる。前向きにより良い未来に向けて取り組んでいく。明日は今日よりもよくなることを皆で目指すことによって、それに向けた投資なり、活動なりが出てきて、自己実現に結びついてもらいたいと考えている。前向きに希望を持てるような対応を進めていければと考えている。[B][X]

――1986年から米国で暮らす…。

 西 シリコンバレーで一貫して研究開発に携わってきた。86年よりヒューレット・パッカード研究所に勤めた後、95年からテキサス・インスツルメンツのR&D(研究開発)担当の副社長を務めた。その後、スタンフォード大学にフルタイムの教授として招へいされた。当大学は1891年に創立し、50年代のシリコンバレーに電子産業を興す動きのなか、ベル研究所やハーバード大学などから優秀な人を引き抜いて発展した。特にこの30年間の躍進は目覚ましく、周辺のスタートアップ企業の創業者は当大学の卒業生が圧倒的に多いうえ、当大学にくる学生の質も向上してきた。米国の人口は3億人弱だが、潜在的に米国で活躍したいという人は少なくともその10倍はいる。莫大な人口のうちの上澄みが米国の多様性の下で独創的なものを生み出しているのだと感じる。当大学の副学長が言っているのは、「優秀な人であれば誰でも受け付ける。世界中のどこから来ようが、その国の政治や思想が何かなどは問題としない」ということだ。今、当大学の学部入試は100人中3.5~4人が受かる程度の倍率で、米国で3本の指に入る難易度だ。学部生が約8000人弱、大学院生は1万人弱と、大学院に重点を置いている。

――ハイレベルな研究者が集まる環境がつくられている…。

 西 夏涼しく冬暖かいほぼ理想的な気候に加え、優れた多様な人材の集まるダイナミックな環境がハイレベルな研究者、技術者を引き寄せる原動力だ。大学としても、物価高のサンフランシスコ・ベイエリアでは、フルタイムの教授の年俸を15万~30万ドル程度として対応している。優秀な人を雇うためにはそれなりの給料が必要だということだろう。1つの教授のポジションには100人以上の応募があるが、応募者数などが基準に満たなければ、募集そのものを取り消すことすらある。世界レベルの研究者が競争して集まらないような科目ならば教えても仕方がないという考えで、「古い」科目が自然淘汰して新しい科目に変わっていく仕組みだ。当大学の財源は多様で、約8000エーカー(約980万坪)の土地から生まれる収入や、高級品を中心に扱う敷地内の大型ショッピングセンターからの収入があるほか、米国国立科学財団、DARPA、米国国立衛生研究所などの政府機関、企業等からの委託研究費などだ。特筆すれば当大学の場合は、有力スタートアップの創業者となった卒業生などから合計2500億円程度の寄付があり、さらに大口の個人からの寄付もありおよそ2兆円規模の年間総支出を支えている。このため大学の学費依存度の割合は10%と日本の国立大学より低く、教授1人当たりの学生数が7人程度の密度の高い教育、研究を可能としている。

――スタンフォード大学の教授の働き方は…。

 西 教授の働き方は、1週2科目程度の講義とそれに伴う2時間程度かかる課題を出し都度採点する教育の部分に加え、学生の研究指導(大学院)、研究費獲得のためのプロポーザル作成、昼食を兼ねた教授会または学科を超えた議論など、大変忙しいことは確かだ。さらに、外部との技術的なコンタクトとして週1回外で働くことが許されているので、企業の社外取締役を務めることや卒業生の起業にアドバイスをすることなどを通じて外部ネットワークを作ることも可能で、それらが自身の研究教育にも大いに役に立つことにもなる。ただし大学の業務との利益相反がないというのが大前提だ。教授の人事評価基準の1つが学生からの評価であることも忙しさに拍車を掛ける。毎クオーターの終わりに受け持つ講義の受講者に、5つほどの項目について5段階でチェックされる。カリキュラムを十分こなせる実力と経験があるか、教授の講義を聞いて何かインスピレーションを受けたか、学生とのコミュニケーションが取れているか…。講義の最中に「どうだったっけ」とつぶやいたりすれば最低の評価がついてしまうだろう。講義を開いた日には学生が質問に来られるように1時間をスケジュールに空けておかなければいけないし、休講はだめ。学生も真剣であれば教授も真剣でなければ成立しないシステムだ。このほか、大学による教授の評価基準には、その教授の研究室からどのような論文が出ているか、どのような人材が出ているかという視点もある。マサチューセッツ工科大学など、当大学と同レベルの大学の似たような経歴の教授との比較になる。

――卒業生との交流も多い…。

 西 卒業生との交流は非常に活発だ。教授と学生の間のバリアは一般的に低く、私の研究室の卒業生も、話がある時に「一緒に食事でもしながら、こういう課題を抱えているのでアドバイスをいただけませんか?」とEメールを送ってきてくれるので、もちろん快諾する。大学教授になった卒業生からは共同研究の誘いもある。私の研究室の博士卒業生36人の5~7割は米国の大企業に入社したが、なかには就職後に博士論文でのアイデアをベースに起業するという人もいた。創業者として大成功している人はまだ出ていないが、起業する人は当大学でビジネスを学んできた別の卒業生と組んだり、在学中にビジネスの講義を取ったりしてマネジメント面を整えるようだ。

――米国では日本より質の高い論文が生まれるといわれるが、その要因とは…。

 西 論文を出すということは、まず論文のネタになる研究をするということだ。米国では異分野、外部の研究機関との共同研究がしやすく、結果として中身の濃い論文ができるので論文審査を通りやすい。これは、日本に比べ他の教授、他学部、あるいは他大学との間のバリアが低く、一緒に論文を出すまでの過程において自由度が高いためだ。私の研究室の学生が医学部の教授の講義を受けた後、自分の研究についてその教授に意見を聞きたいということがあればこれは大いに歓迎する。私の研究室も医学部の研究室と一緒に研究したことがあるが、異なる分野の人と協力することは、用語から異なり、非常に大変だ。だが、それを努力して乗り越えると、考えつかなかったような意見が出てくることがある。海でのアナロジーでいえば、多様な魚が最も獲れるところは親潮と黒潮がぶつかるところであるのと同様に、新しいアイデアは他分野と相互協力で生まれることが極めて多い。

――さまざまな分野に関心を持つことが重要となる…。

 西 当大学の卒業生を採用する企業にとっても、自分の専門と異なる分野にも関心を持って研究してきたような学生は、専門分野しか知らない学生と比べてはるかに魅力的となる。もちろん分野によっては限られた範囲の事象を突き詰める仕事が重要かもしれないが、エンジニアリングの世界ではさまざまな分野を理解していた方が良い。例えば、かつては電気電子で活躍するためには電気工学を勉強していれば良かったが、今は機械工学や生物学の要素も理解しなければならなくなった。そして、変圧器や電動機などを高等専門学校や工業高校では教えてもトップクラスの大学ではほとんど教えなくなった今、「自分は半導体しかやっていないから半導体しか知らないよ」という人も、しばらくは活躍できるかもしれないが、そのうち半導体もトップクラスの大学では教えない「古い」内容になっていくかもしれない。どのような方向へ分野が成長し変化していくかということを考えながら研究をしていくことが重要であり、そのためには異分野との交流は必須だ。

――工学を学ぶ学生にアドバイスを…。

 西 やはり一度興味を持ったことを一生懸命やることだ。朝早くから夜遅くまで夢中になって取り組めば、そういうものがどんなことに使えるのか、実社会にどう貢献するのかということにまで自然と興味が出てくる。それが一番大事で、はじめから役に立つかどうかというのは考えてはいけない。テキサス・インスツルメンツ時代、私はジャック・キルビー氏(ICの発明者、2000年のノーベル物理学賞受賞者)と親しくさせていただいたが、彼は若い人から同様の質問を受けると「自分がやりたいことを夢中になってやっていると、いつの間にか自分がこうありたいと思っていた自分になっていることに気が付く」と言っていた。まさに名言だと思う。

――研究生活のなかで忘れられない出会い出来事は…。

 西 たくさんあるので困ってしまうが、1つはウィリアム・ショックレー博士(トランジスタの発明者、56年のノーベル物理学賞受賞者)との出会いだ。彼が当大学の教授だったころに話す機会があったが、半導体の話だけでなくさまざまな分野に造詣があり、知識の広さ、深さに驚いた。もう1つは、ある理論物理学の教授と学生時代の話をしていた時、シュトルムの『みずうみ』の話題を出したら彼がその最初の段落をすらすらとドイツ語で書き下ろしたことだろうか。ただ、最もショックを受けた出来事といえば、実は小学5年生の算数の授業だ。日本の小学校に通っていたので、そろばんをやらされていた。ある時先生が「そろばんを一生懸命やったらいいことがありますよ」、なぜならそろばん名人と電動計算機を競争して計算させたらそろばん名人の方が早かったのだ、と言った。それを聞いて将来は「計算機」の方を扱おうと決めた。名人にならなければ計算機に追いつかないのなら、いくらそろばんをやっても仕方がない、と思ったわけだ(笑)。[B][L]

――プライベート・エクイティ(PE)市場が本格化し始めた…。

 飯沼 PEは20年強前に日本で誕生し、企業再編の主役となるべく、政府が後押しし株式交換に関する法律が制定されて、持ち株会社ができるなど、M&Aをしやすい環境が整備された。しかし、しばらくの間は事業承継目的の小さな案件ばかりで市場発展のスピードは遅かったが、ここ数年でマーケットは完全に変わった。現在、おそらく日本が世界で一番活況なマーケットと言ってもいいくらい注目されている。マクロ的にもミクロ的にもすべてにおいて一番いい環境が揃っているためだ。世界的に見て日本の金利はまだまだ低く、レバレッジドローンを使いやすい。また地政学的リスクを背景に多くのファンドが中国投資から撤退した。さらに現在の円安で安く企業を買える。こうしたマクロ環境から「日本以外にどこに行く」という風潮となっている。一方、日本国内においても日本取引所グループによるPBR改善策や市場区分の見直しなどを通じて、上場企業は事業ポートフォリオの見直しを意識し始めた。またアクティビストの存在も大きく、上場の意義を再考する企業が増えている。PBR1倍割れ、つまり本来の価値よりも低い価値とされている企業数は、中国に次いで世界で2番目に多いのが日本だと言われている。

――内外環境が大きく変わった…。

 飯沼 そうした環境変化により、取り扱い案件がものすごく増えている。例えば、昨年は企業価値500億円以上の案件が10件以上となった。これは10年前と比べて5倍以上の規模だ。米国のM&Aに占めるPEの割合は16~18%程度だが、日本も同様の水準となってきており、つまり「PEを外してM&Aを考えられない」といった流れが形成されつつある。時間はかかったものの、いよいよPEがM&Aにおけるメインプレイヤーと呼ばれるようになってきたと言える。我々においても従来はほとんどが事業承継目的の案件がメインで、非公開化の案件の相談は年に1~2件程度しかなかったが、現在は週2件程度非公開化の案件の相談を受け、パイプラインの7割が非公開化案件となるまでに変貌した。今まさにパラダイムシフトが起きている。我々は単に非公開化をお手伝いするだけではない。非公開化した後にどうやって企業価値を高めていくのかをともに考えることが重要となる。例えば、リアルビジネスを継続しつつ、DXを取り入れてプラットフォーム・Webビジネスを新たに展開する。リアルビジネスよりもプラットフォーム・Webビジネスのほうが評価されやすいため、プラットフォーム・Webビジネスを伸ばすことで企業価値を高めることができる。こうした改革を大胆に展開していくためには非公開化が一つの手段となる。またそれを一緒にやっていくことがPEファンドの役目だ。PEファンドは金融業に括られることが多いが、まったくそうとは思っていない。つまり、伴走者、アドバイザーの側面が強い。企業価値(EBITDA)をどこまで高められるかがファンドの腕前で、商社系、コンサル系、金融系の出自が多く、それぞれのファンドのカラーが出ている。

――一方で制度改正など当局への要望は…。

 飯沼 やはりのれんの償却だ。M&Aの最大の阻害要素となっており、会計ルールを変えなければならない。IFRSを採用していない企業はのれんの償却の負担が大きく、積極的なM&Aを展開しづらい。M&Aの需要が拡大し、日本的な会計を続ける状況が大きく変化していることから会計基準見直しの議論を再開させる必要がある。会計ルールが変われば、M&Aはより一層活性化する可能性が高い。経産省が中小企業のロールアップ(小規模事業者が多い業界で、連続的に同じ業界の企業を買収する戦略)を促進するための優遇措置を打ち出している。M&Aを実施した場合に取得価額の70%を損金算入できるというものだ。経産省はM&Aによる業界再編を進め、成長によってリターン(税収)を生み出す方針にある。しかし、のれんが障害となり、こうした支援策を活用できない。のれんの問題は企業の問題だけではなく、銀行側もレバレッジローンに消極的になるなどの問題がある。

――そのほかに課題は…。

 飯沼 日本のファンドにより多くの資金を入れる必要があるという点だ。現在、1000億円以上の大型案件はすべて外資系ファンドに流れてしまっている。これは日本の投資家だけでは大型ファンドを作れないためだ。M&Aは活況となっているものの、日本企業をして海外を儲けさせる仕組みとなっている。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、産業革新投資機構(JIC)においても、グローバルファンドと対抗する上で国内ファンドの規模拡大のための出資を行ったり、共同投資家として資金を提供いただければ1000億円のディールができるようになる。そして日本企業をして日本企業がリターンを得ることになる。これぞ資産運用立国の姿だと考えている。

――業界自身の課題は…。

 飯沼 今後注力していかなければならないのが地方の小型案件で、地銀が活躍する場面だと考えている。地銀は事業承継ファンドを次々と作っているが、これが機能するか否かが国の活性化の観点から重要となる。PE業界の活性化によってメガバンクや準メガバンクのレバレッジドローンが活性化し、超低金利時代では重要な稼ぎ頭となってきた。これを見てきた地銀も一斉にレバレッジドローンを開始し、ローンの提供だけではなく、足元ではファンドを設立し始めている。ただ、地銀のノウハウやリソースでは事業価値を高めて出口戦略まで行きつくには経験が豊富だとは言い切れず、ここに人を送り込む仕組みを作る必要がある。この点、産業革新投資機構(JIC)の役割の一つとして進めていくことがいいだろう。JICがPEファンドと共同で投資をしていく過程で育てた人材を地銀に送り込むといった仕組みを構築し、一気呵成にPE業界のプレイヤーを増やすことがきるのではないか。[B][X]

――米(コメ)の先物市場など大阪にも金融資本市場が活性化する種が出てきている…。

  米の先物市場は大歓迎だ。万人が見ている公共の場で商品の値段が決まるのは重要な事だ。大阪はご承知の通り世界で初めて先物取引が開設されたと言われている地でもあるし、古くから日本の一大商業地でもあり、また今でも大阪証券取引所があり、日本銀行大阪支店、造幣局、近畿財務局など商業のインフラ設備が整っている。そうした意味では、大阪で金融資本市場を活性化していく素地はある。また、24年前にはソフトバンクの孫正義氏がここ大阪に日本版ナスダックを創設したこともある。あの構想がしっかりと実を結んでいれば、いまのナスダックの隆盛と果実を日本経済にも取り入れられた。たらればの話をしても仕方がないが、いわばそうした可能性のある地であることは衆目一致するところだろう。

――今進め始めている大阪国際金融市場構想については…。

  実は事務局絡みの仕事の依頼は大阪の証券業協会に方にきているが、構想を練る今の段階では話が来ておらず評価そのものが出来る状況ではない。大阪市民が金融市場を通じて大阪をどういう町にしていきたいと思うのかが大事だ。どうも大阪万博などと同様に、オール大阪と言うよりは政治絡みで進められているようであり、推進主体と推進の目的がつかみにくい。このため、成功することに期待はしたいが、今の段階では見通し難い。

――東京でも国際金融市場構想が10年以上前から進められているが、一向に実現しない。これはひとえに海外の市場と比べた税金の高さだ…。

  金融の場合、税金の問題は大きい。確かに海外の国際金融市場の所得税や法人税に比べ、日本の場合は概ね倍の税率だ。余程日本の市場の使い勝手が良い場合や儲かる市場にならないと、外国人プレーヤーは日本市場にやって来ないし、そうなると上場する海外企業にも限界がある。さらに、それになにより、日本人の金持ちが海外へ出て行くケースがある。また、今は日本人の投資家が外国市場に投資するケースが目立っていて、日本人が日本に投資をしていないという現実もある。国際化も良いが、先ずその辺の捻れも是正する必要があろう。

――多くの日本人には投資という文化や考え方が育っておらず、安全指向が強い…。

  その通りだろう。その原因は幾つかあると思うが、ひとつは金融不安の際の銀行預金の全面救済処置が良くなかった。金融不安を広げたくないという当局の考えはわかるが、預金を全面救済する事で己責任原則が培われないどころか、日本人のお金に対する安全指向がさらに強まってしまい、株式などリスク投資へのマインドが一層後退した。日本人の投資資金が安全なところにしか行かなければ、当然のことながら経済も高成長は出来ず、低成長を余儀なくされる。同様に金融庁などの行政機関が低リスク低リターンの安全運転の行政方針を取り続けており、証券より銀行重視の姿勢を変えていないことも証券市場が大きくならない要因と言える。

――いつまでも銀行性善説、証券性悪説では金融不安は起きないが、経済成長は期待薄だ…。

  過去30年余り、日本の証券市場はこれから大きくなると期待される度に金融界が不祥事を起こしてきた。金融不安とリーマンショックの時の激しい貸し渋り、手数料稼ぎの回転売買と仕組債販売、そして足元ではメガバンクによるインサイダー問題やファイアーウォール違反だ。そしてその度に証券市場や取引ルールが規制されて、活気のある証券市場がどんどんと縮小している感がある。その点、直間比率を見直すために導入された銀行の子会社による証券参入も直接金融市場の拡大には全く寄与しておらず、むしろ弊害が目立っている。

――同感だ。日本の場合、銀行が融資先企業に人を送っ安全経営を要請するため、経済成長出来ない大きな要因になっている…。

  証券行政について言えば、大手証券やネット系証券目線で考えている風がある。我々中堅中小の証券会社目線で行政を考えてくれとは言うつもりはないが、目線が向いていないことで中堅中小の自由度が削がれると言った指導や監督もあることを理解してほしい。例えば、顧客本位の営業方針などは個人投資家が主な顧客である中堅中小証券は当たり前のことであり、個人顧客と密接に関わっている我々がこれをしていなければとうの昔に潰れている。一方で、かつての四社時代の様に、大手証券が監督当局と証券市場を話し合うケースが極端に見られなくなっていることも問題であろう。そうした市場の発展に関するコミュケーションが当局と証券会社の間で無くなっているなかで、行政当局が証券市場を監督指導していることが市場の発展を遅らせている原因の一つではないか。

――株式のデリバティブ取引も外国人が主体だ…。

  大阪証券取引所が株式のデリバティブ取引を一手に行なっているが、日本人の参加はごく少数だ。外国人がほとんど取引の主体となっている現状で、これが果たして国際化と言えるのか甚だ疑問だ。本来ならば、日本人が主体でその何割かに外国人が参加しているという状況が国際化と言えるものであろう。つまり、日本人のリスク投資に対する考え方が育っておらず、日本人投資家層のレベルが海外に比べまだ極めて未熟だと言うことを株式のデリバティブ取引の現状が物語っている。同様に株式のデリバティブ・オプション取引も今参加しているのは証券会社では当社だけであり、デリバティブが活発な世界の市場から取り残されているという現状を日本人全体が認識した上で投資立国を推進すべきではないか。その点で、株式のデリバティブ取引に関する税制を見直すことも重要だと考えている。

――金融リテラシーの向上を目的に今年度から金融経済教育推進機構(J―FLEC)がスタートする…。

  大変に良いことだと思う。金融は実体経済を支えるものであり、資本主義経済の発展のためのコアな機能だ。「貯蓄から投資へ」といわれて久しい。投資には正しい金融知識を持つことが必要で、これまで証券界も証券教育に力を入れてきた。今回のJ―FLECは日本証券業協会も発起人となっている国の機関であり国の予算で運営される。官が行う教育であるから国民もよけいな投資勧誘を気にせず正しい金融の勉強ができるのではないか。我が国の個人金融資産のうち現預金は未だに50%以上を占めている。額でいうと1千兆円以上だ。国民が正しい金融の知識を身につけることが「資産運用立国」の土台となると思う。

――他方、御社自身の方針や社長としての抱負は…。

  当社は証券界のドンキホーテであることを自負していきたい(笑)。つまり、他者と全く違うことを恐れずに、自ら信じた道をひたすら邁進していきたいと思っている。すなわち自己売買であり、株式のデリバティブ・オプション取引であり、富裕層営業であり、システム開発だ。株式のデリバティブ・オプション取引は当初こそ数社が取引を行なっていたが、システム対応が容易でないことやコストに見合わないなどの理由で1社減り2社減りといった具合に今では当社しか取引をしておらず、世界の市場から見るとまるで日本市場はガラパゴスだ。また、取引システムは当社自らが開発したシステムを使っており、中堅証券会社としては他社に類を見ない。このシステムが他の大手のシステム会社との競合商品として検討して頂いており、既に数社が導入して頂いている。こうした他社に真似の出来ない商品やサービスを深掘りして日本では唯一無二の証券会社として、存続し続けたいと考えている。[B]

――このほど、日証協が中心になって社債市場の活性化を一歩進めた…。

 松尾 社債市場の活性化は色々な難しい点があり、日証協の中で長い間課題だった。新しい切り口として、現在は社債を発行していない低格付の発行体についてもコベナンツ(財務制限条項)を付けることによって発行がしやすくなるようにインフラを整備することで社債市場の活性化が図られるのではないかと考えた。既存のものを大きく変えるのは難しいが、今までになかった分野を切り開いて新しいことを始めるのであれば市場参加者の合意が得られやすいというのもポイントだった。

――ハイイールド社債にコベナンツをつけることで、具体的にどのように変わるのか…。

 松尾 もともと高格付の会社は、問題が起きる蓋然性もそれ程ないが、低格付の会社はギリギリの局面というのがあり得るということを投資家が想定する中で、その際に著しくローンに劣後するなど、十分に権利が保護されないのでは買ってもらえない。問題が起きた際にはきちんと情報が開示され、社債の投資家の権利が保護される必要がある。だが一方で、発行する側の大きな負担になってもいけないし、格付会社、銀行、証券会社という他の関係者もいる。それらの利害を十分に調整し、全員が受け入れ可能な形を探るのがとても難しい。金融市場のインフラのひとつなので投資家の要望だけでなく他の市場参加者の合意を得てマーケットを成り立たせなくてはならない。そこが普通の金融規制と比べて相当特殊だ。私の経験で言っても他の分野では規制を変えると大体の場合、それを狙ってやろうという新しいプレーヤーは入ってくる。ある程度決め打ちでもできるところもあるが、社債市場はプレーヤーがその世界でずっとやってきたプロで、かつ、新しいプレーヤーが入ってもすぐにうまくいくという構図でもない。社債市場の規制と実務は相当複雑に絡んでいて制約が多く、実務がどのように進んでいるのかを参加者に教えてもらいながら見直しを仕上げていった。調達をする事業会社含めて関係者が非常に多いという意味では、金融庁の証券行政で言うと開示制度に近いと感じた。日証協にとって証券会社だけでなく銀行まで含めて制度設計の相手にする仕事というのは相当特殊なもので、いい経験になったのではないかと思う。

――これによってハイイールド社債の市場が前進する…。

 松尾 今回チェンジオブコントロール(CoC条項。発行会社に組織再編、大株主の異動や非上場化などがあった場合に、社債権者に繰上償還の請求権を与える条項)とレポーティングコベナンツ(発行会社に投資判断に重要な事象が生じた場合に社債権者へ報告を行う義務を課した条項)を入れようとしているわけだが、ちょうど7月に日本エスコンがCoC条項をつけた社債を発行した。この銘柄は低格付ではなくA格だったが、そういうところでも、コベナンツをつけることによって信用の補完にもなる。支配の変更などは予定していない発行体でも、これをつけることで少しでも安心感を与え流通にプラスになり投資需要にもつながるのではないか。

――日証協はコベナンツ導入の前に、条件決定方式の見直しもしているし、着実に社債市場の改革を進めているが、今後の課題は…。

 松尾 日本の社債市場はアメリカに比べてまだまだ市場規模も小さいし、今後、経済が金利を含めて動く世界になっていくと、すべてを銀行のファインナンスでということでは銀行にとってもプラスにならないだろう。適正なプライス、適正なリスクで色々なプレーヤーが直接金融市場に参加していくことが、証券・銀行を含めてあるべき姿だと思っている。最近TOBなど、敵対的なものを含めて支配の変更が増加し、投資家としてもCoC条項などを意識する必要が出てきた。プレーヤーが必要とする改革は一歩一歩やっていくが、どこかで良いモデルケースが出てくれば、一気にそれがスタンダードになっていくということもあり得る。まずは今回の改革の細部を詰め、軌道に乗せる。社債市場の活性化というのはリスクの分散という意味でも直接金融市場の進展という意味でも大きな課題で、その思いは金融機関も金融庁も持っている。共通の方向性を得られるよう徹底的に議論して、良いグランドデザインができれば色々な改革が進むのではないか。

――次に視野に入れている具体的な改革は…。

 松尾 具体的な切り口を決めているわけではないが、ここが足りないという部分があればピンポイントで改善していく。まずはコベナンツを定着させ、その考え方を全体に普及させたうえで、更に、その時々に応じて全体のプラスになるものを見つけて積み重ねていきたい。アメリカのようにコベナンツが受け入れられ、ノウハウも貯まって市場慣行となっていけば、それが一番よい。日証協ではそれを後押ししながら、実情を踏まえて、社債管理補助者制度を含めた社債関連の制度が活用しやすくなるように金融庁や法務省に働きかけていくが、地に足をつけてやっていく。飛び道具を出しても効く世界ではないので、関係者の合意をうまく積み上げて、ただし、方向性については強い意志を持ってやっていきたい。また、流通市場の見直しについては、鶏が先か卵が先かみたいな話だが、十分に権利が保護されて発行が増えれば、流通も増えてそちらの改革にもつながっていくのではないか。日証協では、流通市場活性化に向け、社債の取引情報を発表しているが、この制度についても毎年改善にチャレンジしている。投資家保護のインフラを併せながら流通市場も含めてどんどん改革を進めていく。今回、社債改革には金商法の第一人者である神作先生(学習院大学法学部教授)に一貫してご協力をいただき、市場参加者全員の意見を丁寧にまとめていただいた。直接金融としての社債市場に強い思いも持っておられ、多くの教えをいただけたのが大変ありがたかった。日証協のミッションは市場の公正と証券業の発展であり、会員である証券会社が金融機能の担い手として誇りを持って楽しく仕事をしていけるようにすることだと思う。日証協の良いところは会員の実情を理解しながら、インフラの整備や制度の提言ができるところ。最近だとバックオフィスやミドルオフィスの効率化にもチャレンジしている。日本の証券業、直接金融がより良くなるように少しでも役目を果たしていきたい。[B][[HE]

――金融経済教育機構(J―FLEC)理事長を引き受けた経緯は…。

 安藤 77年に東京銀行 (現三菱UFJ銀行)に入行し、07年に退職してオムロン(6645)に入社した。オムロンでは、IR担当役員時代に国内外の投資家との対話に当たり、取締役としては企業経営改革に取り組んだ。その経験を買われ、東証の市場区分見直しに関するフォローアップ会議のメンバーとしてPBR改革を提言したこともある。私自身は金融経済教育にかかわったことはないが、インベストメントチェーン改革を議論する過程においてさまざまな立場の有識者とかかわるなか、基盤となっている資金の出し手は個人であるとの認識は持っていた。従って、国民の金融リテラシーを高めることは、個人の家計管理やライフステージにふさわしい生活設計を構築し、ひいては資産形成を通じて、より良い豊かな人生を送るために極めて重要だと認識している。いま、わが国で「金融経済教育を受けたことがあると認識している人」はわずか7.1%に過ぎない。この事実は、日本銀行が事務局を務める金融広報中央委員会が18才~79才の3万人を対象として行った22年「金融リテラシー調査」の結果だ。一方で、同調査の「金融経済教育を行うべきであると思いますか」という問いには71.8%が「思う」と答えた。つまり、金融経済教育は絶対的に不足している課題としてだけではなく、極めて大きな社会的なニーズがあることが認識できる。ただ、誤解してもらいたくないのは、J―FLECは政府による「貯蓄から投資へ」のシフトを推進する投資教育のために設立されたわけではなく、さまざまなテーマを含む金融経済教育を全国津々浦々に敷き詰めるための官民一体の組織であるという点だ。どのように家計管理と生活設計を行うのか、それらがしっかりできたうえで資産形成をどう進めていくのかということについて、小学生からシニア層に至るまでの幅広い年代に対して積極的に学びの場を提供していくつもりだ。

――これまで金融経済教育に携わってきた団体と異なる強みとは…。

 安藤 以前より金融広報中央委員会、日本証券業協会などの業界団体や個別金融機関がそれぞれ独自に金融経済教育に取り組んできたが、横の連携が十分でないこと、対象が限定されること、活動への社会的な認知が低いことなど多くの課題があった。また、資産運用会社による商品セミナーなどとの混同もあってか、商品セールスに結びつくのではないかという誤解も生まれやすく、特に教育現場との連携はハードルが高かった。一方、J―FLECは金融庁所管の認可法人であり、官民一体となって広く金融経済教育を推進していくうえで、中立公正であることが明らかな強みとなる。もちろんJ―FLECができたからといって業界団体・金融機関などでの取り組みをやめるのではなく、むしろ、これまで金融経済教育に携わってきた関係団体には教育の内容・質を一層高めながら取り組みを継続・強化することを期待している。J―FLECが中立公正な組織としてリーダーシップを発揮し、必要に応じて各団体とも連携してはじめて、教育機会を増やしていくことができると考えている。

――具体的にどのように活動を広げていくのか…。

 安藤 活動の柱は、講師派遣、個別相談、J―FLEC認定アドバイザーの認定・公表、世代別標準教材の提供などになる。講師派遣については、学校は派遣先の1つとなる。既に小中高の教科書では金融経済に関する記載がかなり充実している。ただ、学校の先生は教えるプロとはいえ、金融経済教育を受けたことが少ないので、どのように教えたら学生に興味を持ってもらえるのかなど、戸惑っている人も多い。そこで先生向けの講習会への講師派遣などを行っていく。もう1つの講師派遣の場は企業の職域だ。企業では、人事・福利厚生の責任者への研修や従業員への講習を行っていく。例えば、従業員にとって年金での資産形成は重要なはずだが、就職先を選ぶときに確定給付年金か確定拠出年金かといった福利厚生制度に関心を示す人は少ない。そうした視点の教育も重要となる。

――個人の学びもサポートしていく…。

 安藤 標準講義資料として10種類の年代別テキストを既にJ―FLECホームページにアップロードした。従来の各団体が独自に作成した教材などは情報の濃淡などの課題があった。学校の先生が授業のテーマに合わせて抜粋して使うことや、興味のある人が自分で学ぶことを想定している。このほか、具体的なテーマについて関心のある人がリテラシーを深める手段の1つとして、認定アドバイザーによる無料および有料の個人相談も行う。今でもお金の問題についてプロに相談する人はいるが、一般的ではない。今年の秋以降、3000人に1回ずつ、有料相談時に電子クーポンで80%まで補助する取り組みを行う。プロに相談することに対する関心が高まるのかどうかを見極めながら、来年度以降の対応を検討していきたい。

――認定アドバイザーの人材はどのように確保するのか…。

 安藤 24年3月末時点で、金融広報中央委員会・日証協などに所属するインストラクターが約680人いた。まずはそのインストラクターのうち424人をJ-FLEC認定アドバイザーに認定して活動をスタートする。早期に新規募集も始め、早い段階で1000人体制にしたい。この認定アドバイザーは金融機関に勤めていない人、報酬を金融機関からもらっていない人が対象となる。むしろ過去に金融機関に勤めていて既に退職されているような人には資格を取ってもらい、認定アドバイザーとして活躍してもらいたいと考えている。J-FLECの活動に対する報酬はJ―FLECから支払う。

――投資は「自己責任」原則がありハードルが高いと感じる人も多い…。

 安藤 あくまで資産形成は家計管理と生活設計ができたうえで行うものだ。ライフステージには資産をすべて預貯金に置いておくことがベストな時もある。とはいえ、これからインフレになると預貯金だけでは将来的に資産が実質的に目減りしてしまう可能性が高く、状況によっては投資という選択肢を視野に入れることも必要となる。ただし、金融リテラシーが十分でない人に投資における「自己責任」を求めるのは、ある意味で「無責任」だと考えている。ある程度お金に関する知識や判断力があって初めて、金融商品の選択などについて「自己責任」を問えるだろう。J―FLECの取り組みを通じて、お金について知識と判断力を身につけてもらったうえで「自分ごと」で考えられるようになってほしい。J―FLECの役割は金融リテラシーを向上することに置いており、金融商品の紹介や金融機関の斡旋は一切しない。今、NISAによる投資はある意味で「ファッション」となっており、周囲に流されて何となくやっている人も多いが、すべての人に共通して素晴らしい商品というのは存在しない。年齢、ライフステージ、資産の規模、リスク許容度などによって最適な資産ポートフォリオは異なるため、長期・積立・分散投資の原則、リスクとリターン、いろいろな商品の特徴などを理解したうえで「自分はこれが一番合っている」という選択をしてほしい。まず、子どもならお小遣いをどのように使うのか、社会人なら源泉徴収票の見方、社会保険や年金の種類、生命保険・損害保険が必要かどうかなど、生活していくために必要な項目から学ぶことも現実的だ。

――理事長として目指すことは…。

 安藤 家計管理・生活設計・資産形成について誰かに悩みを相談する文化を作り上げていきたいと考えている。日本人の金融リテラシーの低さは社会的な課題の1つであり、その背景にはお金の話をすることをタブー視する風潮がある。しかし、お金は本当に豊かな人生を送るためには避けて通れないテーマだと皆が気づいている。1人1人が学ぶことを通じて、友達同士、親子、職場、趣味の集まりなどで気軽にお金の話ができるようになってほしい。そうなれば、いま大きな社会問題になっている投資詐欺の防止・抑止になる。また、インベストメントチェーン全体で考えると、やはり個人の行動を変えることは世の中の仕組みを変えることにつながっていくと期待している。J―FLECの役職員は使命感を共有しており、理事長の私は「できることから着実にやっていこう」と話している。実は、J―FLECのような役割を担っている組織は海外にもない。米国のFLECや英国のMaPSは「手取り足取り」の教育活動は行っておらず、その意味でJ―FLECはかなり日本独自の組織であり、社会を変革するうえでは面白い取り組みだと認識している。[B][L]

――国際収支に関する懇談会を開催された…。

 神田 国際収支はマクロ経済の状況が鳥瞰できるとともにミクロにも遡れる宝の山であり、日本経済の構造を映し出す鏡だ。国際収支のレンズを通して日本経済が抱える構造的課題を評価分析し、その処方箋を議論することは、極めて有益であり、今回の懇談会も日本の構造改革を早く行わなければならないという思いから開催した。現在、日本は貿易収支赤字が常態化しており、唯一稼げる自動車もCASEの遅れやスキャンダルなど多くの問題が現れ始めている。また、サービス収支ではデジタル化が進むほど海外に資金が流れるという構造になっている。所得収支も、増えてはいるが、その半分は海外に再投資され日本には戻ってこない状況にある。海外への投資が拡大しているが、これは為替リスク軽減や消費者に近い生産拠点などを求めて企業経営者が合理的に判断した結果だ。日本企業が積極的に海外投資する半面、国内投資を後回しにした事で、日本国内の設備投資が遅れ、生産性や賃金の低迷に繋がっている事も事実だ。さらに言えば、今の海外生産比率は約26%と高く、円安になっても輸出量は増えない。昔は円安になれば現地価格を下げることでシェアを取り、売り上げを増やしていたが、今ではブランドイメージを重視して価格は維持し、為替差益を取るという形になっているので、輸出は増えないわけだ。このような状況にある今の日本でやるべきことは、国内への投資が活発化するよう、魅力的な国になることだ。

――国内投資を魅力的にするためには…。

 神田 今の日本は対内直接投資においてOECDの中で最下位の投資先であり、UNCTADではネパールとバングラデシュに次ぐ下から3番目の位置にある。日本企業としても、日本に魅力がないから海外に再投資しているという状況だ。その処方箋として2つ挙げるならば、1つ目は規制緩和や新陳代謝を促進して成長分野に労働移動する事、2つ目は人的資本の投資と技術開発の促進に努める事だ。先ずは金利が正常化することで、ゼロ金利下でしか生きられないゾンビ企業が淘汰される。そして、生産性が高く賃金も高いところに労働が移動する。さらに政策として、最低賃金を上げ、規制緩和で新しいビジネスの芽が伸び始めれば、若い人たちも将来性、収益性のある企業に移動していくだろう。ここでやってはいけないことは、持続可能性のない企業を政府が無理に守り、そこに低賃金で働く人たちを張り付けることだ。もちろん、そこで社会不安の元となるような人達が出てこない様にセーフティネットはしっかり備える。大体のところ政府に対する陳情は自力では存続できないような企業からのものが多い。そこを必要以上に助ける事で、頑張ってリスクを取り、将来さらに伸びようとしている企業にリソースが行かないのでは元も子もない。政府が余計な事をしないというのは、とても大切な事だと思う。

――規制緩和については…。

 神田 例えば農業規制はずいぶん緩和されたが、社会保障に関してはほとんど変化がない。この辺りはこれからしっかり取り組むべき分野だろう。また、法制度では解雇制度や頭脳労働者の脱時間給制度といった労働基準が柔軟化される必要がある。これらの制度は単に企業責任というだけの話ではなく、制度によって経営者の自由度を束縛している面もある。福利厚生や年金等も同様で、こういった色々な制度が社会を固定化させる方向に働いている。それらに対して政策面でやれる事は沢山あり、それによって羽ばたくことの出来る企業も沢山ある。今、日本の企業が保有する現金は約370兆円。そのお金が少しでも設備投資や賃金等に動けば日本は随分と変わってくる筈だ。

――確かに労働法制はもう少し考えるべきだ。政策としてやるべきことは…。

 神田 今の社会はゾンビ企業を守っていると言われている。正規職員をゆりかごから墓場まで守るために、非正規雇用の人たちや若者を犠牲にしている部分もあり、そういったあらゆる動きは経営側、労働者に関わらず、すべて既得権益の下で行われている。例えば労働組合は、自分たちの雇用を守るために長い間賃金を上げる努力を怠ったし、非正規の人たちを差別化してきた。最近ようやく非正規の人たちに配慮するようになったのは、労働組合の参加者が少なくなってきたからだ。そういった部分をしっかりと是正し、多様な人たちが幸せになるような目を皆が持たなければ雇用は回らなくなる。また、例えば補助金づけで努力せずに生きることが出来てしまうようなシステムを作れば、モラルハザードが生み出される。そして自力で利益を生み出せないような生産性の低いところに資源が浪費され、さらに社会主義国の最大の問題の一つ、レントシーキングが非効率と腐敗を生みかねない。最近では、半導体が良い例だが、経済安全保障の観点からも、他国に負けない様にと各国が補助金競争を行うような傾向が強まっており、これはかつての法人税引き下げ競争のようにならないよう、国際ルール作りを考える必要があろう。

――ゾンビ企業を退出させるために必要な事は…。

 神田 市場の新陳代謝機能、金利の資源分配機能を取り戻し、物価と賃金、賃金と設備投資の好循環にもっていくことだ。繰り返すが、低収益低賃金企業を保護すると資本や労働が生産性の低い分野に固定されて、失われた30年が今後も続いていく。反対に、新陳代謝と労働移動が進めば第一次所得収支が日本に戻ってくる。そうすれば、海外から日本に投資してくれる人も多くなってくる。経常収支黒字の大層は第一次所得収支であり、それが日本に回帰するようにすべきだ。そうすることで日本の設備投資や賃金上昇に資金が費やされる。政府はこれを邪魔しないというのが一番重要な事だ。

――金利を上げると国債を多発している日本は大変な事になる。また、金利を上げることでさらに円高が進むという見方は…。

 神田 金利を上げると言っても今もほぼゼロ金利だ。また、資本主義経済において金利という価格が資源分配をつかさどるところでゼロが続いたため、適切な分配が出来ずにモラルハザードが起き、ゾンビ企業がひしめくようになってしまっている。もし普通に成長したいなら、金利が上がるのは当然の事であり、それに耐えられない企業は退出することになる。日本が少子高齢化による社会保障の負担増や、大地震や津波などの天災への対応、さらに厳しくなる地政学的状況において安全保障に臨機応変できる財政余力を備えるためにも、金利が上がる事を心配するのではなく、金利が上がっても耐えられるような財政構造に一刻も早く立て直さなければならない。持続可能な財政に向けた努力によってマーケットの信頼を得ることが重要だ。

――マーケットで信頼を得る事が出来なければトリプル安の恐れが出てくる…。

 神田 今、日本の格付けはシングルAだが、格付けは一度下がるとものすごい勢いで下がり続け、あっという間に投資適格を失ってしまう。パンデミックが終わり、インフレで困っている今でも大量の補助金を続けている国は殆どなくなっている。もちろん、それ自体は必要だが、防衛費のような恒久的な歳出増に対し、安定的な財源がないという今の日本は、極めて異常な状況にあるという事をきちんと知るべきだ。いつ、かつてのイギリスのような放漫財政が招いた金融危機に陥るかわからない。そういった健全な危機感をきちんと持って早く対応しなくてはいけない。[B]

――日本投資顧問業協会と投資信託協会との統合に向けた取り組みが進められている…。

 岡田 投資信託協会は、証券投資信託の健全な発展を図るために、証券投資信託委託業務を兼営する証券4社で1957年に創設した長い歴史を持つ協会だ。一方で、投資顧問業協会は投資ジャーナル事件という一種の詐欺事件が起きたことをきっかけに、悪質な投資助言業者を取り締まるために作った「投資顧問業法」という法律に基づいて設立された協会で、その歴史は30数年と浅い。出自も毛色も違うこの2つの協会は、これまでにも2度、一緒にしたらどうかという話があった。1度目は1995年、金融・証券関係の規制撤廃が進んだことで、それまで兼業禁止とされていた投資信託委託業と投資一任業の兼営が可能となった時だ。しかし、当時の投資顧問業協会は「投資顧問業法」の中に記された協会であり、同様に投資信託協会も法律の中に名称が記された協会であったため、両協会を統合する為には法律を変える必要があり、そこで立ち消えとなった。2度目の機会は2007年、金融商品取引法が施行されたことで投資顧問業法が撤廃された時だ。これにより当協会は法律の中に記されていた名称の縛りがなくなった。同じく投資信託法改正によって投資信託協会という名称も法律に記されない事になり、その時に投資信託協会の方から両協会の統合を提案された。しかし、投資信託協会が公益社団法人を目指していた一方で、投資顧問業協会の業務内容では公益社団法人の要件を満たせないと内閣府から指摘を受けた。本来、公益法人は直接国民が被益することが必要なのだが、当協会は年金を通じての間接的な被益であり、また、会費の違いから投資助言業と投資運用業で議決権に差を設けている。そういった理由から当協会が公益法人として認められず、再び統合の話は破談となった。

――今度は3度目という事になる…。

 岡田 3度目の正直で、今回の統合話は昨年末、金融庁から両協会の会長に対して「これから日本が資産運用立国を目指すために、この際一緒になったらどうか」という声がかかった事に始まった。それをきっかけに両協会の会長が話し合いを行い、このプロジェクトを本格的に進める事になった。当協会会員の運用資産額は600兆円を超えており、投資信託協会会員の運用資産額と合わせると900兆円を超える。これは直近の銀行・信金貸出平均残高の623兆円を超え、同預金残高1,053兆円に迫りつつある。この資金規模は膨大であり、ある意味「資金運用立国」は、これだけ積みあがったお金をどう循環させ経済に活かしていくのかを、後追い的ながら真剣に考えようとしているとも言える。

――両協会が統合される事で、具体的にどのような相乗効果があると予想されるのか…。

 岡田 投資信託も投資一任契約も、入口が違うだけで背後の運用は同じだ。どのようなエンゲージメントにすればより良い運用になっていくのか、ESGに対してどのように取り組んでいくのか、世界の潮流をどう捉えていくのか等について、一緒になって取り組んだ方が効果的だ。一方で、資産運用業界は調査研究機能が弱いという課題がある。例えば様々な課題に対して資産運用業界として提言しようにも、その前提となる事実を調査・確認できなければどうしようもない。金融グループに属する資産運用会社は、グループ全体の研究所は持っていても、資産運用会社として独自の研究所は持っていない。中小独立系の資産運用会社に関してはそもそも研究所を持つ余裕はない。同様に当協会の職員約30名、投資信託協会職員約50名を併せても80名程度であり、調査研究機能を果たすことは難しい。さらに言えば、国際的な枠組みを持っている訳でもない。約400名の職員規模を持つ証券業協会と比較しても脆弱であり、外部から様々な協力を得るとしても、独自に新たな方策を考えていかなければならない。もちろん、当協会は会員企業の皆様の会費によって運営されているため、統合してやるべきこと、やった方がいい事、やりたい事、全ては会員の皆様がどれだけそれに理解を示してくださるか次第だ。こういった様々な事柄について、現在、理事の方々を含めて皆様との対話を進めている。

――日本を資産運用立国にするという話は以前からあった…。

 岡田 日本政府による「貯蓄から投資へ」という取り組みはずいぶん昔からあったが、それは直接個人投資家と接する販売会社について、例えば証券会社の顧客対応や銀行の窓口販売についての議論が中心だった。一方で、今回日本政府が進めている「資産運用立国」という話は、資産運用業界そのものを捉えた議論になっている。これまで日本は資産運用業界だけに着目して国を挙げて議論してきたことは無く、初めての取り組みだ。単に資産運用業を発達させるためや、国民の資産を増やすためだけではなく、より直接金融中心の世の中にしていくことで、国内のお金の流れを変える事にも繋がっていく。直接金融の流れになった時に企業はどう動くべきか。今、東証がもっと株価や資本コストを意識した経営をするように提言しているのも、資金の流れが銀行中心から市場中心に移っているからであろう。政府は、大きな資金の流れの中で足らざる部分にしっかりとお金を回していけるようなインベストメントチェーンの役割を、国としてしっかりと考えていくために、今回の資産運用立国の議論を行っている。そして、それに応えられるような業界団体・自主規制団体が登場してほしいという思いが金融庁にあるのだと理解している。

――金融庁は資産運用業のガバナンスを唱えている。統合して出来る新しい協会は、そのカウンターパートナーにもなり得るのか…。

 岡田 もともと当協会は政府と資産運用業界の懸け橋となっていた。当協会と金融庁の直接的な意見交換はもちろん、金融庁と資産運用業界が意見交換する場の仲介役となることもある。日本における資産運用会社の歴史は浅く、金融グループに属する子会社が多かったため、資産運用会社の社長が直接金融庁幹部と意見交換することは少なかった。また、日本では業界の個社が直接行政に物申すよりも、協会を通じて業界の意見を伝える方が便利だという考えが強い。これが米国であれば、同一業界の人たちが集まり業務について話し合うと談合予備行為になるおそれがあり、日本流の業界団体が育ちにくい。一方、日本の場合はそれほど法の縛りがきつくない為、業界内で話し合いやすい環境にあるとも言えよう。ただ、両協会が統合してどんなに頑張っても、業界が発展していくためには個々の資産運用会社の意識や行動が変わらなければどうしようもない。協会が新たな変化を遂げるとともに個々の会社も頑張って、この業界がどんどん伸びていってほしい。

――今後の日本は、金融が日本経済の牽引役となっていく…。

 岡田 金融の独り相撲ではなく、企業が変わっていく事が大前提だ。昔の企業は、資金繰りは銀行に頼み、分厚い持ち合い株で株主総会を乗り切っていけたが、これからの時代はそういう訳にはいかない。いわゆる「モノ言う株主」も、昔は短期的な利益を求めるだけと非難されたが、最近では中長期の成長を目指す株主提案もするようになってきた。同じように中長期の持続的成長を求める資産運用会社としても、考えが一致すればそうした株主提案に賛同する流れになってきている。安倍政権で策定されたコーポレートガバナンスコードは、そもそも成長戦略の一環として作られたものであり、株主と建設的な対話を進めながら、持続的な成長をしてくためにはどうするべきかを各企業に考えてもらいたいという政府の意図が背景にある。株式市場や株主総会を中心とした最近の変化を見ていると、それが今、ようやく花開いてきていると言えるのではないか。[B]

――昨年6月に全国信用協同組合連合会(全信組連)理事長に就任した…。

 北村 23年は3カ年の「経営の中期的戦略」(中計)の最後の年で、着任から半年間、新たな中計(24~26年度)の作成にあたった。当初は、信用組合(信組)業界の全体像のイメージがつかめず、信組のニーズも分からない状態だった。そのため、年3回行う地区別懇談会の秋の回で、あらかじめ信組から募った意見について対話することを試みたところ、約450件と非常に多くの意見が集まった。いただいた意見を基に、前回の中計を振り返りながら、次の3年間で何をやっていかなければいけないのかということを考えた。前回の中計の基本的コンセプトは「全国信用組合中央協会(全信中協)との一体的運営のさらなる緊密化」だった。このコンセプトについて振り返ると、経営資源の効率的な運用が可能になったことなどメリットもあったが、中央組織の改革に注力する一方で信組の意見を十分に吸い上げられていないという課題があることも分かった。それを踏まえてまとめた新しい中計では、原点に返り、目指すべき姿を「すべての信用組合に万全なサポートを提供できる中央組織」と示した。施策としては、「信用組合へのサポート強化」「DX推進・ITガバナンス強化」「全信組連の収益力強化」の三本柱を進めていく。加えて、それを実現するための組織のあり方として、「強じんな組織づくりと職員一人ひとりの成長」を促していくことにした。

――「信用組合へのサポート強化」の具体的な取り組みは…。

 北村 まず、有価証券運用のサポートを強化する。信組の預貸率は6割程度で、残りの4割は預け金か運用資金だ。これまでは運用の相談先が証券会社に限られ、本当に信組にとって妥当な助言が得られるか分からないという課題があった。そこで、全信組連が第三者機関として、リスクとリターンが見合っているか、流動性が確保されているかなどを確かめ、信組にとってより良い選択をアドバイスしていく取り組みを強化することにした。実は、有価証券運用のサポートは以前よりアドホックに実施していたが、サポートの存在を知らず利用しない信組が多数あった。このため、窓口として昨年12月に信用組合部内に「信用組合サポート本部事務局」を作り、専務理事を責任者に置くことで実効性を高めた。さらに、この7月には同組織を部相当に格上げし、預金貸出や企業の伴走支援などの本業へのサポートも併せて行っていくこととした。全信組連自身は預金貸出や伴走支援に長けてはいないので、業界のなかで知見や情報を流通させる仕組みを作っていきたい。本業で成功している信組はたくさんあるが、規模が大きい信組や、先進的な取り組みに熱心な理事長がいる信組に限られる傾向にあり、成功例を共有できれば後続の取り組みにつながるだろう。ゆくゆくはデータベースを整備し、信組の役職員が直接見ることができる形を目指したい。

――「DX推進・ITガバナンス強化」とは…。

 北村 私の前職は全国信用金庫協会の専務理事だった。信金業界と信組業界を比べると、信組は規模が小さくDXが遅れている。信組の約98%は、システム共同センターである信組情報サービスのシステムを利用している。共同センターでどういうシステムを構築・開発するかが信組業界のITのあり方を決めるということだ。これはある意味でやりやすい面もあるが、信組の規模・態様によってシステムに求める水準が異なるため、コンセンサスを得ることが難しいという課題がある。規模の大きい信組ほど高度なシステムを求める一方で、小さい信組は費用負担の少ない必要最低限のシステムで良いという希望を出す。また、信組業界では地域以外の職域・業域によってシステムに求めることが異なることもある。しかし、信組業界がDXの流れに追い付いていくためには、数百万円の費用負担が難しいような規模の小さい信組も含めて引っ張っていかなければいけない。新しい中計では、システムインフラ構築・運営に要する費用の一部を全信組連が負担することでDXを後押しする方針を盛り込んだ。そして、「システム業務部」を「IT・DX推進部」に再編したほか、総合企画部には組織内のデジタル化のニーズをまとめ、IT・DX推進部と議論するグループを新設した。また、全信組連、全信中協、信組情報サービスで構成する「IT・DX戦略委員会」を作り、そこで業界としての方針を策定することにした。それぞれの意見の最大公約数を探すことは非常に大変だが、われわれも各信組も、早くDXにキャッチアップしなければならないという意識は強い。

――「全信組連の収益力強化」にも取り組む…。

 北村 3カ年の目標として、最終年度である26年度の単年度利益100億円という水準を設定し、金利上昇に耐えられるポートフォリオづくりを進めている。全信組連の22年度単年度利益は約75億円だったが、23年度単年度利益は約15億円まで減少している。米利上げや日銀の金融政策正常化にともなう金利上昇が予想されたことから、昨年度後半よりポートフォリオの見直しに着手し、超低金利の時代に買った超長期国債は損失を計上してでも売却した方が得策と判断した。足元では、投資信託等の非金利商品の含み益がポートフォリオの下支えとなっている。J―REITは安定して3~4%の利回りが得られるが、いまは金利上昇局面で軟調な展開が予想されることから、一部を売却し国内株ETFに乗り換えた。われわれは外貨では運用しない方針だが、株式から非金利収入を得ていくことについては考えていかなければいけないと思う。今後の運用について言えば、金利リスクを考えると直ちに長期国債を買うことは躊躇する。しばらくは5年以下の事業債などで運用していき、金利の先行きが見えれば長期債にだんだんと乗り換えていく方針だ。

――理事長として抱負は…。

 北村 先ほど申し上げたように、私は縁あって信金業界から信組業界に移ってきた身だが、信金・信組とも協同組織金融の担い手としては同じ方向を向いているはずであり、業態を超えて学んだり、同じ地域で連携したりする際の架け橋になれればと思う。また、就任してからは「中央組織が意見を聞いてくれない」という批判をよく耳にしてきた。できるだけ信組との距離を縮めようと思い、全国行脚と称して個別信組訪問を重ねている。この1年間では約50信組を回ることができた。実感しているのは、やはり信組業界のビジネスモデルの幅広さだ。例えば、全信組連の山本会長が理事長を務める広島市信用組合は本業の預貸業務に特化している一方、長野県信用組合は事業性融資に加え有価証券運用に長けており、ともに高水準の利益を上げている。他方、大阪の複数の信用組合は旺盛な需要を背景に不動産融資に積極的に取り組むことで業容を拡大させているが、バブル崩壊時に苦労された銀行出身者が在籍する信組もあり、リスク管理にも大変気を遣っている。地方に行けば、地方創生を強く意識して、自治体と連携して事業を行っている信組もある。まさに「狭域高密度」で、とにかくそれぞれの地域などに密着した、非常に幅の広いビジネスモデルがある。地方の信組の理事長さんと話すと、地域と「運命共同体」であるという認識が骨の髄までしみ込んでいるのだと感じる。地元の中小企業、小規模事業者にどのような支援ができるか、一生懸命に考えている姿を見ていると、全信組連の理事長としてできる限りこれを支えていきたいと感じる。その一環で、幅広くわれわれの活動を評価するためのKPIとして、今回の中計の3年間は、毎年「満足度調査」を実施する。昨年の秋から現在までのように、信組の皆さんから意見を集め、それを踏まえて対話し、われわれの役割を再考するという1年間のサイクルを繰り返すつもりだ。信組の皆さんに満足してもらえるように頑張っていきたい。[B][L]

――この度、御社の格付けが引き上げられた…。

 荻野 今回、当社がR&Iから格上げされた理由は、当社が長年かけて取り組んできたウェルスマネジメント部門における資産管理型ビジネスモデルが着実に進展してきたことと、運用資産残高を着実に積みあげ、安定収益を拡大させてきたアセットマネジメントビジネスが評価されたものと認識している。また、グローバル・マーケッツはマーケットによって収益ボラティリティが高まるが、当社では上手くリスクをコントロールしながら、より経営の安定化を進めてきた。これも大きな格上げ要因になったと考えている。

――女性の活躍という面でも、長い間一貫した取り組みを進めている…。

 荻野 2004年に社長に就任した鈴木茂晴現名誉顧問から、当時人事課長だった私は「女性が辞めない会社にしてもらいたい」という相談を受けた。そこで女性活躍推進チームを立ち上げ、色々な制度を導入しながら、女性が働きやすい職場環境を作り上げていった。それから20年間、一貫して働きやすい環境づくりを追求し、その流れが今ではダイバーシティ&インクルージョンの推進へと繋がっている。当社のダイバーシティ&インクルージョンの取組みについては、学生の間にも浸透しており、就職人気ランキングではありがたいことに毎年上位企業となっている。

――ウェルスマネジメント部門が着実に伸びている。その背景には…。

 荻野 ウェルスマネジメント部門では地道な積み上げが重要だ。かつての証券会社は商品を売買する際の「手数料」が収益の主体だったが、現在では、しっかりと残高を積み上げ、その残高に対する「フィー」を頂くビジネスが主流となっている。マーケットが大きく動いた時にも、慌てず常にお客様に寄り添い、実直に資産管理型営業を続けてきたことが、今の当社のウェルスマネジメント部門の強みになっている。実際に、2007年に販売を開始したファンドラップの残高は、足元では業界トップクラスに成長している。しかし、ウェルスマネジメント部門においては、まだまだ効率化できることが沢山ある。特にコンサルティングを行う上で、お客様の多様なニーズに対応するとなると、足りないパーツも多くなってくる。その辺りを自前、或いは提携や買収するなどして補強していきたいと考えている。

――多様化も着実に進めている…。

 荻野 中田誠司現会長は「クオリティNo.1」と「ハイブリッド戦略」を基本方針として経営を進めてきた。当時の私は企画担当としてハイブリッド戦略の遂行・実務を担当していた。証券会社は、マーケットが下がればどんなに頑張っても利益を出すことは難しく、業績のボラティリティが高い。当社はリーマンショックも経験してきた中で、マーケットに左右されない強靭な経営体制を構築するためには、証券業務で得られる収益のさらなる拡大と収益源の多様化が欠かせないという考えのもと、ハイブリッド戦略として、証券業務による利益との連動性と相関関係が低い業種で、且つ証券業務が強みとなって活かせる不動産アセットマネジメント事業や再生可能エネルギー事業を手掛けてきた。不動産相場は株価と比べると値動きは安定しており、安定的なキャッシュフローを裏付けとして証券化し、投資家に販売することもできる。再生可能エネルギーも同様に、多少景気が悪くなってもエネルギー消費量が突然半分になるということは無く、証券化して販売することもできる。すでに再生可能エネルギー事業では、一部を私募ファンド化して投資家に販売した実績もあり、こういった伝統的な証券業務以外で得られる収益の比率を大きくすることで経営の安定性を高めている。他にも、子会社の大和フード&アグリが農園経営を行っており、パプリカやトマトの生産・販売を行っている。こちらはまだ「種」の段階ではあるが、今後証券化していくことを検討している。

――グローバル・マーケッツ&インベストメント・バンキング部門(以下、GM&IB部門)の具体的な目標について…。

 荻野 今回の新中期経営計画では、2026年までにウェルスマネジメント部門で840億円、アセットマネジメント部門で910億円、GM&IB部門で605億円、これにインオーガニック戦略を加えて、総額2400億円以上の経常利益を目指している。GM&IB部門については使用する資本が大きい一方で業績のボラティリティが高い。実際にここ3年間平均の使用資本比率は52%に対してROEは5%にも満たないため、全体に対する使用資本構成比率を減らしつつリターンを拡大させたい。資本対比のパフォーマンスを上げるために、ウェルスマネジメン部門とアセットマネジメント部門の使用資本を大きくして、相対的にGM&IB部門の使用資本の構成比が減少してくるという形で、利益水準は車の両輪のような形できちんと確保していきたいと考えている。日経平均株価が34年ぶりにバブル期の高値を超え、いよいよ日本もデッドガバナンスからエクイティガバナンスへとシフトしてきている今、企業経営者には資本効率を重視したチャレンジングな経営が求められてくる。アクティビストの声に応えて自社株買いを行うといった保守的な運営だけでは縮小均衡になってしまう。そうならないように、リスクマネーをしっかりと成長分野に投入し、日本経済を発展させていくことが大切だ。もちろん自社株買いも一つの戦略として資本効率を高める手立てではあるが、日本が30年余り過去の株価高値を超えられなかった間に、米国等の一部海外は着実に成長を遂げて、当時の株価から10倍にも15倍にもなっているという事実を忘れてはならない。日本経済の成長のために資本を効率的に活用することを考えると、GM&IB部門ではM&AやPO、MBOなど色々なコーポレートアクションが想定され、我々が提案出来る材料も格段に増えている。これらの機会を取りこぼすことなく、しっかりと掴んでいきたい。

――あおぞら銀行との資本提携については…。

 荻野 あおぞら銀行とは、同行が債券を発行する際に当社が主幹事を務めたり、過去には、大和あおぞらファイナンスという合弁会社を作っていたこともあり、長年懇意にさせていただいている。我々はグループ内に100%子会社の大和ネクスト銀行を有しているが、大和証券のお客様の利便性を高めるための銀行で、ローン機能がなかったため、ローン機能を持つあおぞら銀行との提携は機能強化につながる。提携発表当初はウェルスマネジメント部門、不動産関連ビジネス、M&A関連業務、スタートアップ支援の4項目での協力体制を考えていたが、その後、現場から様々なアイデアが出ており、この他にも何か新しいビジネスが出来ないかを検討している。ただ、当社が保有するあおぞら銀行の株式は現在23.95%で、基本的にはお互いの独立性を尊重しながら、一緒に出来る部分で協力していこうというスタンスにある。

――最後に、新社長としての抱負を…。

 荻野 お客様から最も信頼してもらえる会社にしたい。一言で言えば、「大和が好きだ」と思ってもらえるお客様や株主の方を一人でも多く増やしていきたい。今まで中田現会長が進めてきたビジネスは極めて正しいものだと考えており、私はそれをさらに加速させて邁進していきたい。社長就任時の社内放送では、社員に向けて、スピードを意識する事、現場のリーダーシップを大事にする事、そして適正なリスクを取る事の3つの重要性を伝えた。かつての証券会社は狩猟民族だと言われて貪欲なイメージがあったが、この30年間、マーケットが停滞する中で、ある意味上品な感じになってきた。我々のビジネスは、お客様にリスクを取っていただいて初めて成り立つもの。だからこそ、自らも適正なリスクを取らなくてはならない。「リスク」と言うとすぐに財務的な話をイメージする人が多いが、オペレーションのやり方を少し変えるだけでも、それはリスクと言える。何かを変えて、不都合が起こるかもしれないが、メリットもある。何かを変える事が「リスクを取る」事であると考えている。その一歩として、私は先ず社長就任とともに、あおぞら銀行やかんぽ生命との提携、新TVCM作成、オフィスカジュアル導入等を、スピード感をもって進めてきた。これからも出来る範囲でステークホルダーの皆さまに喜んでいただけるような事をやっていきたい。[B]

――「森は海の恋人」とはどういう意味を込めているのか…。

 畠山 私は宮城県の気仙沼で牡蠣やホタテなどの養殖業を営んでいる。海には魚や貝をはじめあらゆる生き物がいるが、そのすべての源は植物プランクトンであり良質な植物プランクトンが存在すれば、黙っていても品質の良い海産物が育まれる。私は36年前から気仙沼の海に流れ込む大川の上流、岩手県の山々で落葉広葉樹の植樹を行っているが、これはその腐葉土に含まれる成分が植物プランクトンの活動を活発にして海を豊かにするためだ。漁場の近くの森林、「魚つき林」が失われると魚がいなくなってしまうことは遠い昔から知られており、明治時代までは守られてきたが戦争のための資材として森が切られてしまった。戦後には住宅用建材の確保のために針葉樹が植えられてきたが、これでは海を育めない。気仙沼は漁業だけでなく歌も盛んな地域で、代表的な歌人の熊谷武雄が「手長野に 木々はあれども たらちねの柞(ははそ=クヌギやナラの古語)のかげは 拠るにしたしき」と詠んでいる。木々の中でも特に、クヌギやナラは母のそばにいるようで心が安らぐという意味なのだが、海を育むためにはこの母なる柞の森を再生する必要がある。こういった森と海との関係性から「森は海の恋人」というスローガンを掲げて活動を行っている。

――広葉樹の腐葉土がどのように海を豊かにするのか…。

 畠山 人間をはじめとした動物にとって鉄分が重要なことは広く知られているが、植物にとっても鉄は重要だ。光合成を行う葉緑素が作られる際には鉄が必要となるためだ。昔から盆栽の松には釘を刺せと言うがこれだ。海中の植物プランクトンにとっても鉄分が必須であり、海に鉄を撒くと葉緑素が沸き立ち牧草の青い匂いがする。それぐらい鉄はものすごいものだが、海中では数日で酸化して海底に沈んでしまうため岩石などから川に染み出した鉄がそのままの状態で海中に流れ込んでも効果が限定的だ。この、鉄分が海中に長くとどまらないという問題を解決するのがクヌギやナラの腐葉土に含まれているフルボ酸という物質だ。鉄分が溶けている水にフルボ酸が混ざると鉄と化合し、水中で酸化せず沈まない好条件の物質、フルボ酸鉄ができる。このフルボ酸鉄が豊富に流れ込むことで植物プランクトンが活性化し海が豊かになる。このような関係性を北海道大学の松永勝彦先生が30年前に明らかにした。

――CO2の問題とも関係してくる…。

 畠山 光合成によるCO2の固定化は陸上の森林によるものがイメージされるが、海中の植物プランクトンによっても行われる。つまり海にも大森林があるということだ。南極大陸の周囲には広大な海があり、植物に必要な三大栄養素である窒素・リン酸・カリウムが豊富に存在しているが植物プランクトンは少ない、ハイニュートリエント・ロークロロフィル(高栄養低葉緑素)な状態にある。これは南極の海に鉄が不足していることに起因しており、40年前にこの事実を突き止めたアメリカの分析科学者ジョン・マーティンは「私に30万トンの鉄の粉を与えてくれれば、地球を寒冷化して見せる」と言ってネイチャーの表紙を飾った。

――鉄を地球上にばらまけば光合成が進むため、地球が寒冷化すると…。

 畠山 地球は寒冷期と温暖期を繰り返している。南極のボストーク基地では氷床のボーリング調査が行われているが寒冷期の氷の層では黄砂のような鉄の粉が観察されており、鉄分の供給量と寒冷化の関連性が示唆されている。近年、気仙沼でカツオが豊漁であるが、黄砂が飛来するようになった時期と重なるため、これも関連があるのではないかと考えている。前述のとおり鉄は海中で酸素と結合して錆びて海底に沈んでしまうので、その効果は数日ほどしか続かない。しかし、フルボ酸鉄であれば非常に効果がある。フルボ酸鉄をタンカーに積み込み南極の海に撒くことができれば、光合成により大量のCO2を固定化できる見込みがあり、温暖化問題の解決に繋げられる可能性があると考えている。その必要量など様々な課題はあるが、フルボ酸の量産化の研究も進んでいる。現在の化石燃料の使用を前提としたシステムでは効率化を図っていったとしても問題の解決は難しく、光合成に頼っていくほかない。製鉄業においては特にCO2を大量に排出するが、鉄がないと光合成ができないという、鉄とCO2の面白い関係性に救いもある。

――この好条件の物質が腐葉土からできる…。

 畠山 日本には約3万5千の川があり落葉広葉樹の森からフルボ酸鉄が海に流れこむことで海産物がよく育っているが、流域に多くのダムが存在することでフルボ酸鉄が海まで届かず、ダム湖の底に沈んでしまう問題がある。日本の高度な土木技術によって、フルボ酸鉄をうまく取り出して無駄にせずにすむ方策を講じることができないか、また、人口の減少に伴い従来ほどダムが必要でなくなっているため、ダムを壊して数を減らすなど、この国のグランドデザインをそこまで視野に入れて考えなくてはならない。その点、全国で植樹が行われているが、重要なのはその場所が緑化されるというだけのことではなく、フルボ酸を供給する源になっていることだ。ゆえに植樹のコンセプトは「森は海の恋人」であってほしい。徐々に柞(ははそ)の森に変えていくことで海産物の育成とCO2の削減につなげていくことができればこの国は大丈夫だ。長年の植樹活動を通じて皇族と交流する機会にも恵まれ、森と海の関係性について何度も上皇ご夫妻にお話をする機会を頂くことができた。また、そのようなご縁があり「森は海の恋人」の活動が英語の教科書に載ることになった際には、このスローガンの英訳を美智子さまにお願いしたところ、「long for」という熟語を使ってはどうかと素晴らしいご提案をいただいた。「The sea is longing for the forest」すなわち海はフルボ酸鉄を届けてくれる森をお慕い申し上げておりますということだ。[B][HE]

――ITセキュリティーへの関心が一段と高まっている…。

 滝澤 当社ブロードバンドセキュリティ(4398)はセキュリティー監査/コンサルティング、脆弱性診断、情報漏えいIT対策の3つの分野からなる企業向けITセキュリティーサービスを提供している。2000年に第一種電気通信事業者として設立されたが、大手通信キャリアと競合する厳しい環境のなか、顧客の「セキュリティーをサポートしてほしい」という需要に応えて、06年からセキュリティー事業を柱としてきた。当初は、大手SIer(システムインテグレーター)社員など皆に「セキュリティーは事業として成立し得ない。絶対にあの会社はつぶれる」と言われていた(笑)。15年ごろまでは世間から斜に見られていたが、7~8年前から世界観が変わり、4~5年前からさらにその変化が加速してきた。

――なぜ見直されたのか…。

 滝澤 システムへの不正アクセス、ランサムウエアによる個人情報漏えいや重要インフラのシステム停止など、サイバー攻撃による被害が急増してきたためだ。22年のトヨタ自動車(7203)のサプライチェーン停止のように被害が甚大な場合も多いうえ、以前より攻撃への対応が難しくなっている。例えば、近年問題になっているランサムウエアはほとんどが国外で作成されており、社員による漏えいなどと異なって警察も打つ手がない。そのため予防策が重要だが、ファイアウオール、IDS/IPS、アンチウイルスソフトなどだけでは被害を防ぎきれなくなっている。端末1台ごとの挙動を確認し、怪しいサーバーと通信があったらそれを検知して止めるという対応を、リアルタイムで24時間365日行わなければいけない状況だ。当社は以前からそのような本格的なセキュリティーサービスを行っているが、7~8年前までは顧客は超大手企業だけで、その他の企業はリスク管理でいう「受容」にとどまっていた。しかし、今は準大手、中堅まで顧客のすそ野が広がってきた。各業界で安全対策を強化する気運が高まり、「最低でもこれくらいはやらなきゃいけない」という感覚が浸透してきている。

――次の展望は…。

 滝澤 AI(人工知能)技術に対するセキュリティー対策だ。AIは相当な勢いで進化し、世の中の仕事が取り込まれるくらい発展すると見込んでいる。今は、ちょうどインターネットが日常に登場し始めた95年ごろと同じだ。2000年代に入ると名刺にメールアドレスを載せるようになり、06年には当社がセキュリティーサービスを始めているが、95年当時はインターネットがこれほど大きく世の中を変え、セキュリティー対策が必要になるとは誰も思っていなかった。メールのセキュリティーについて言えば、個人間だけでやり取りしていた初期にはウイルスやスパム、詐欺は想定されていなかったが、一般に広まるにつれてそれらの迷惑メールが増えた。まず「未承諾広告※」を件名冒頭に入れる義務が作られたが、いたちごっことなり、その後、送信元の信頼性を確かめる仕組みなどの対策が取られた。AIは同じような発展の道筋をたどる可能性が非常に高い。

――AIセキュリティーとは何をするのか…。

 滝澤 AIがトライアルではなく、本当に技術要素として業務や事業に組み込まれてビジネスが成り立った時には、AIが作った偽の文章・画像・動画を見分ける技術、AIで生成した情報が正しいかどうかを見極める技術が必要になる。そして、AIによるAI判定は、現状は機械学習によるパターン認識だが、AIが進化すればやはりいたちごっことなり、違う仕組みが必要になる。おそらく生成システム自体の信頼性の高さを判定するサービスなどが生まれるだろう。それらのサービスはAIが普及すれば絶対に使われるが、そうなった時に始めても間に合わない。逆に言えば、それらのセキュリティー技術を確立しなければ、AIは本当の意味で価値を持った情報にはなり得ない。AIセキュリティー事業の規模感はまだ分からないが、今から少しずつでも取り組んでいくことが当社の使命であり、先行投資をしていく必要があると思っている。今はAIをどのように使うかという議論が盛んだが、われわれはそれを裏から支えるセキュリティー技術によって、産業構造の変化を支えていきたいと思う。

――動画データの活用にも目を向けている…。

 滝澤 4月に当社はティ・エム・エフ・アース(東京都渋谷区、TMF)と資本・業務提携を結んだ。TMFには、動画を最大10分の1のサイズに圧縮する独自開発の超圧縮技術がある。動画データはストレージコストが高くサーバーの料金が莫大になるため、これまで活用の仕方が限られ、セキュリティー対策も進んでこなかった。TMFとの提携を通じて、改ざんされていないことの真正保証や、動画データへのアクセス監視などの事業を開発するつもりだ。例えば、工場にある監視カメラについて、映像に異常があったら検知する仕組み、保存する動画データの信頼性を保証する仕組みなどが考えられる。動画データの活用はセキュリティー技術を組み合わせることでもっと世の中に広がっていくと思う。また、これはAIの発展にも関係するテーマだ。AIの進歩に比べ、最大のインプット情報である動画にセキュリティーのデファクト・スタンダードは未だ存在しない。当社はそれを取りに行く。今回の資本・業務提携はそのための布石だ。

――株主に向けた抱負は…。

 滝澤 セキュリティーを専業とする上場企業の数が今の10社程度から100社、200社になって、「情報・通信」業界ではなく「情報・通信・セキュリティー」業界と呼ばれる時、そのなかのトップでいられるようなポジションを目指したい。私は89年にCSK系列の共同VAN(現SCSK(9719))に新卒で入社した。CSKは業界で最初に上場した会社だが、当時はコンピューター関係の上場企業は10社もなかった。大川功社長(当時)がよく言っていたのが、「市場に情報サービスというカテゴリーができるぐらいたくさんの会社が上場しないとダメだ。そのなかでトップを張るんだ」ということだ。私はそれが鮮明に記憶に残っている。当社は「便利で安全なネットワーク社会を創造する」というビジョンを06年から掲げている。ITやDXを裏で支える会社として、市場とともに大きく成長していくポジションにある会社だと思う。ぜひ将来を楽しみにしていただきたい。

――東証への意見は…。

 滝澤 セキュリティー業界にいて思うのは、「なぜコーポレートガバナンス・コードではセキュリティー対策について一行も触れていないのだろう」ということだ。例えば、21年にニップン(2001)がサイバー攻撃を受け、22年3月期第1四半期の決算報告書の提出を約3カ月延期したことがあった。財務の問題であれば同じことは認められないはずだが、なぜセキュリティーの問題では許されるのか。どこまでやるかは企業によって違うにしても、各社がCISO(Chief Information Security Officer)、またはCSO(Chief Security Officer)といったセキュリティーの責任者、担当役員を置くべきだろう。上場企業にセキュリティー対策が不可欠な時代になっているなか、企業統治上でセキュリティー対策を問題にしないことには首をかしげる。[B][L]

――SMBC日興証券として初の理系出身の社長だ…。

 吉岡 88年に慶應義塾大学理工学部から旧日興證券に入社した。私が卒業する3年前、85年卒のころから、数字に強みを持つ理系の学生が金融機関や商社、コンサルティングファームに就職する流れが徐々にでき始めていた。かつ、当時は理系で学んだというだけの20歳過ぎの人間だったが、経済に貢献する仕事がしたいという漠然とした思いがあった。そのうえで、とりわけ証券会社のダイナミズムを感じたいと考えていたことが入社の動機だった。今では理系の学生が金融資本市場で就職することも珍しくなくなった。

――収益の動向は…。

 吉岡 ホールセールビジネスの話をさせていただくと、われわれには一定の競争力があると思っている。21年に発覚した不祥事案ではお客さまにご迷惑をおかけし、22年度は法人関係でお取り引きが減少し、収益がかなり落ち込んだ。市況の影響もあるが、その反動で23年度はホールセール部門の収益が増加した。お客さまに戻ってきていただいたこともあり、ニーズに応えられることが増えてきたと実感している。特に、非公開化なども含めM&A案件でサポートすることができた。今、国内においてM&Aは過去最高水準のニーズがあり、件数が伸びている。昨年から日本の株式市場が世界的に注目を浴び、企業業績が良くなっていることに加え、企業が事業ポートフォリオや還元策の見直しを積極的に行っているためと見受けられる。同年にSMBCグループは米ジェフリーズと資本業務提携を強化し、23年度の米ジェフリーズと連携してのグループ全体の協働案件数は約100件まで増加した。グローバルビジネスの拡大に向けて、今後も海外の案件へのアクセスがカギとなるだろう。

――SMBCグループとの連携の成果と課題は…。

 吉岡 09年秋にSMBCグループの一員となり、今年で15年目となる。限られたリソースのなかでお客さまに最大限のサービスをするためには、グループ内の連携体制が大変重要だ。近年はグループの戦略として「銀信証連携」を進めており、会計上で連結するということを超えて、グループ全体で当社がどのように証券のファンクションを担っていくかに軸足を置いている。例えば現在、当社から88人の営業社員が三井住友銀行の証券営業部に出向している。相続やローンだけでなくさまざまなな悩みを抱えていらっしゃる銀行のお客さまに対して、資産運用面に強みを持つ担当者がサポートを行うことが理想的だという考えだ。グループ内での役割のすみ分けなどすり合わせが高度化し、連携がうまく回り始めていることが、成果にもつながっていると思う。とはいえ、まだまだやるべきことはたくさんあり、グループの成長に中核証券会社としてどれだけ貢献できるか挑戦していきたい。まずは営業部門においてグループ全体での協働を推し進めたい。国内だけでなく、海外での成長のペースを速めていくためにもグループ連携は不可欠だ。

――リテール分野で新たな取り組みを行っている…。

 吉岡 とりわけ注力したいと考えているのはリテールだ。リテールでは「資産管理型」営業への移行という大きな流れがある。世界的なインフレなどにより将来への不透明感が増すなか、資産運用で最も重要なのはやはり投資時期とアセットの分散だ。移行の一環として一昨年から収益予算を取り払ったほか、社員評価やお客さま対応などの手法を見直している。そして、試行錯誤のなかで、信頼性の高いツールをもってお客さまと向き合う必要があると考え、6月10日にリリースしたのが「Nikko PRM Prime」だ。当社は17年から一定の預かり資産のある富裕層のお客さま向けにリスク分析エンジン「Aladdin」を活用したツール「Nikko Portfolio Risk Management(Nikko PRM)」を提供してきた。これまでのツールはプロ向けという感が強く、ある程度の知識や経験が前提となっていたが、新たなツールでは幅広いお客さまがより体感的にポートフォリオ管理を行うことができるようになった。シナリオの設定やベンチマークの比較、リスクの算出などがこれまでより容易にできる。8月上旬までに営業社員はツール活用についての対面研修を完了する予定だ。「資産管理型」営業に移行したばかりということもあり、営業部門の収益が伸び悩む局面もあるが、お客さまの含み益はかなり増えている状況にあるなど成果も出てきている。

――AI技術をどのように取り込んでいくか…。

 吉岡 AIを含むデジタル技術の活用は既に当たり前のこととなっているので、とにかく導入できるところにAIを導入するということが重要だろう。経営としてウエイトを置きたいのは、究極的には同じフロアにビジネスを考える社員とITを取り仕切る社員が肩を並べ、互いの方法論を理解し、どういう設計が可能かということを日常的に話し合える体制をつくることだ。仮に、「Nikko PRM Prime」を「Nikko PRM 2.0」と呼ぶとして、今後数年の展望として、「今日Nikko PRM 2.15になりました」「明日2.17になります」というように、同ツールが環境の変化やお客さまのフィードバックを常に吸収して更新されていく体制をつくりたいと思っている。これは社内の体制を整えなければ実現できないことだ。私はトレーディングシステムの内製化に関する経験もあるので、強いリーダーシップを持って体制づくりを進めていきたい。一方で、お客さまが重要な決断をするときに当社に求めているのは、運用や相続などについてのさまざまな疑問などをキャッチボールできる能力だと認識しており、社員一人一人の対応には大きな付加価値があり続けると思う。

――新NISAの影響は…。

 吉岡 新NISAは投資家のすそ野を広げたという点で話題になっているが、当社のお客さまの中心となっている富裕層に関して言えば、成長投資枠がかなり活用されている。特に日本の個別株を買われる傾向があり、日本株の強い潮目の一因になっていると思われる。そういう意味では日本市場にとっても、富裕層のお客さまにとっても、当社にとっても、新NISAが追い風の要素の1つになっている。一方、この10年の間は、やはり米国株において世界の成長のアルファを取っていく銘柄が多かったため、それに基づいてお客さまにご提案することが多かった。

――社長として抱負は…。

 吉岡 一番の抱負は、近藤雄一郎前社長がつけた再建への道筋の完遂だ。この2、3年間、いろいろな仕組みを総点検し、業務改善のためたくさんの施策を打ってきた。しかし、21年に発覚した不祥事案の件にとどまらず、大小の問題が起きてきた真因を本当に解消しようと思うと、取り組みを継続することが重要だ。世の中の変化に対して自律的に対応するような経営を目指すうえで、最後に大切なのは企業文化だ。企業文化は一朝一夕に改革できるものではないため、どのようにつくりあげていくか懸命に考えてきた。まず行ったのは、ロールモデルとなる行動事例「Good Action」のリストを経営理念に基づいて作成することだ。次に、「Good Action」を体現できる社員を増やすためには評価や登用の指標が大事になってくる。評価に関して言えば、昨年、社員の賞与算定基準を利益連動だけでなく中長期的なKPIをより重視するよう変更し、初の支給がこの6月だ。これにより、社員が経営を自分ごととして実感できるようになり、意識が変わるのではないかと期待している。これからは、皆が縦・横・斜めのコミュニケーションで常に「Good Action」を取ることができるような関係性をつくっていかなければいけない。SMBC日興の社員一人一人に対し、世間の人が「信頼できる人ですよね」と思ってくださったり、社員の家族が「この会社で働いていてよかったね」と思ってくださるようにするのが、このタイミングで社長を引き継いだ私の責務だと思う。そのためには、まず私自身が一番のロールモデルにならなければならない。今は、自分が入社して以来で最も資本市場に注目が集まっている時だ。追い風の今こそ、「サステナブルな成長」を目指し、地に足をつけた取り組みを続けていきたい。[B][L]

――今の中国の状況は…。

 露口 現在の中国経済は成長減速中だ。最大の懸念は不動産価格の問題であり、中国政府は上昇し続ける不動産価格を懸念し、2020年8月に不動産開発会社に対して3つのレッドライン規制を敷いた。さらに中国政府は2020年末に銀行に対して不動産向け貸し出しの比率を制限する規制をかけた。それでも不動産価格は2021年9月頃まで上昇を続けたが、その後一気に下落した。この一連の動きは日本のバブル期と似ている。ただし金融政策は異なっている。日本では1986年頃から始まったバブル経済の中、日銀が1989年5月に金利を上げて引き締め体制に入ったが、中国では2018年から今に至るまで金融緩和を続けている。それは2021年に中国の不動産価格が急降下したという背景もある。

――恒大集団など中国の不動産開発企業はほぼ破綻状態になっているが…。

 露口 中国ではマンションを購入する際、その不動産価格の総額を前金として支払い、完成後に物件を引き渡すというやり方が一般的である。そのため、今の中国では予定通りに物件を引き渡されない住人が住宅ローンを返さないという事態も生じている。そうなると中国の銀行は大変なことになる筈だ。しかし実際には、国家金融監督管理総局によれば過去5年間で既に14.5兆元もの不良債権の処理を進めているという。毎年約3兆元、合計すると日本円にして約300兆円もの額だ。日本はバブル後に不良債権98兆円を処理するのに17年間もかかった。しかも当時の銀行の業務損益は、バブル崩壊後の不良債権償却負担を吸収できず1993年からの10年間は赤字だった。一方で、中国の銀行は毎年約3兆元(約60兆円)を償却しつつも純利益が2兆元もあるという。不良債権の処理が無ければ毎年5兆元もの利益を生み出すほど、過去5年間の銀行経営は好調だったという事だ。今後もこの様な状態で不良債権の処理が充分進んでいくだろう。

――日本のバブル崩壊時と中国の不動産バブル崩壊時では、何故この様な違いが出ているのか…。

 露口 中国政府は1990年代の日本を研究し尽くしている。日本はバブル崩壊後に銀行経営が揺らぎ、貸し渋りや貸し剥がしを行い、貸出拡大能力を失った。それが日本がゼロ成長に陥った一つの大きな要因であり、そのために長い間不良債権処理が充分進まなかったという事を中国は学んでいる。特に1980年代は世界的にサッチャリズムやレーガノミクス、日本では中曽根行政改革など市場原理に基づく新自由主義が脚光を浴び、政府の規制は撤廃し、市場に任せようという風潮が強かった。預金金利の自由化も進められていた時代で、そういう時期にバブルが崩壊した日本はある意味、不幸だったのかもしれないが、中国は前もってそういった日本の失敗のケースを勉強していたため、現在の状況に比較的うまく対応できているのだと思う。

――中国政府は銀行をどのように規制しているのか…。

 露口 現在の中国の預金金利や貸出金利は自由化されていると思っている人も多いようだが、それは違う。銀行の金利は人民銀行が決定しているが、銀行間市場で短期の資金供給手段となる7日物リバースレポが中国の政策金利となっており、次に中期の1年物MLF(ミッドタームレンディングファシリティ)、さらに貸出金利についてはMLF1年物を基準に決定される1年物LPR(ローンプライムレート)、5年以上物LPRがあり、7日から5年以上までにわたるイールドカーブを中央銀行がコントロールしている。そして総量規制を行いながらも2019年頃からずっとイールドカーブを低下させてきている。他方で、預金金利についても2022年4月からLPRを基準に決めるようになっており、引き下げられている。貸出金利の低下の方が大きいため、銀行の利鞘は2019年には2.2%あったが、2023年には1.69%まで下がってきている。それでも銀行のバランスシート全体が拡大しているため、依然として3兆元の不良債権を処理してもなお2兆元の利益が出る状況だ。貸出金利は現在も下げ続けているので、利鞘が狭まっているが、貸出量を増やしている為、収益や不良債権処理額の絶対値はあまり変わららない。少なくとも日本のように銀行の貸し渋りのような事態は起きないだろう。

――預金金利が規制されて下がっている事は、中国経済にとって良い事なのか…。

 露口 中国では預金金利は放っておけば銀行間の競争によって自然と上がっていくと思われている為、規制して下げている。預金金利の上昇を無理やり下げる事で、広く薄くコストを預金者に負担させ、銀行と企業を救っているということとなるが、これが果たして良い事なのかという問題はある。それが理由で消費が伸びず、GDPも伸びないという見方もあるだろう。また、イールドカーブをコントロールして本来市場で決まるべき金利を人為的に決めれば、社会全体として非効率が生じる。しかし、中国では多少の非効率による成長率の低下を甘受しても、安定した成長を実現する方が結果的にはプラスの方が大きいと判断したのだろう。「市場原理に任せた方が長い目で見ると一番成長する」という米国の考え方とは違い、中国は「政府がコントロールして安定的に成長する」ということを目指している。重要なのは「成長を続ける」ということだ。成長していればモノの値段や不動産価格が上がり、不良債権も自然と消化されていく。

――中国では資産管理会社が担保不動産に付加価値をつけて売却し、不良債権を消化させるような事も行われている…。

 露口 中国のAMC(資産管理会社)は1999年に設立され、2003年に大規模な不良債権処理をする際にも利用された。当時100%政府所有だったAMCは上場もしておらず、細かい財務諸表などを公表する必要もなかったため、銀行からAMCに不良債権を移した時は大規模な債務超過だったと思うが存続した。しかしその後、中国は年10%以上の高度成長を続け、AMCは資産を順調に処理し、あっという間に黒字転換した。この成功体験があるため、例えば地方融資平台(地方政府の資金調達機関)による債務の問題にしても、ある程度の資金繰りをつければ、そのうち自然と解消されるだろうという考えが根強い。現在、中国の地方融資平台は約40兆元(約800兆円)の銀行借り入れがあると言われている。2003年以降の10%成長時のスピードに比べると不良債権の処理に多少の時間はかかるかもしれないが、明らかに日本のバブル崩壊後のゼロ成長とは状況が異なっている。中国は国家的手法として、いわゆる「飛ばし」に類似したことを行っている訳だが、それは必ずしも間違いではなく、経済が成長している限り、うまく不良債権を解消する方法と言えるのかもしれない。

――現在、中国当局が進めている国内不動産対策は…。

 露口 今の中国には不動産の在庫がたくさん残っており、それらを地方政府管理下の国有企業が買い取り、格安住宅として売却している。その買い取り資金については、銀行の融資資金が提供される仕組みになっている。中国の銀行は大部分が国有の様なもので、政府から政策に協力するように指示が出れば逆らえない。その代わりに、中国政府は銀行の利益を確保して、潰すようなこともしない。中国は社会主義市場経済と言っているが、基本的にはマルクス経済学に戻っているような気がする。市場の価格発見機能は可能な限り利用するが、そこにすべてを委ねる訳ではなく、政府のコントロールが重要であると考えている。中国共産党でトップにいる人達はとても頭が良く、考え抜いて政策を行っているが、例えば、政府主導でEVやAIに資金を集中して本当に成功するのか、その判断が果たして正しいのかは分からない。米国のように自由な市場の中で投資資金がどこに向かうかが調整されるような体制であれば、政府が気が付かない所で大当たりが出てくる可能性もある。成長すべき産業を政府が指定しているような今の体制で良いのか悪いのか、歴史が決める事になる。

――人間が考える事には限界があり、絶対に間違わないという保証はない…。

 露口 今の中国は政策に透明性がなくなり、わかりづらくなっている。李克強が国務院総理として政府を率いていた昨年の春までは国務院常務会議の様子が中国政府ホームページ内に特別コーナーとして設けられ、見やすくなっていた。重要な政策決定はそこで行われ公表されており、ある程度透明性があった。そして、中国人民銀行は政府の一部として李克強総理の指揮下で国務院常務会議での決定事項を忠実に実行していた。為替レートもコントロールされて一定の期間方向性をもって動いていた。例えば、政府が「海外の物価高を国内に波及させない様にしなければならない」という決定であれば為替レートが上昇し、「貿易企業を助けて輸出を増やさなければならない」というと下がり始めるといった具合だ。それが、李克強が辞めて李強に変わった途端に政策決定権限が共産党に吸い上げられるようになってしまった。政府ホームページへの国務院常務会議の扱いも単なるニュースの中に埋没してしまい、過去の会議を探すのが不便になっている。さらにその内容は薄く、金融政策に関しては党で決定されているため、なぜそのような金融政策になったのかが周りから見てよくわからなくなってしまっている。それが良くも悪くも今の中国のやり方であり、中国共産党内部で決定される政策の良し悪しが今後の経済を動かす鍵を握っていると言えるだろう。[B]

――今年度の政府税制調査会(政府税調)のポイントは…。

 森信 2つある。近年の大きな課題はギグ・ワーカーに対する課税制度だ。ギグ・ワーカーとは、ウーバーイーツ、クラウドワークスなどインターネット上のプラットフォーム経由で単発の仕事を請け負う労働者のことで、この10年間に増加を続けている。いまでは国内に少なくとも300万人のギグ・ワーカーがいるとの推計もあり、ギグ・エコノミーを形成している。問題は、ギグ・ワーカーなどの新しい働き方をしている人々の税制がうまくマッチしていないということだ。まず、会社員など給与所得者とギグ・ワーカーの取り扱いや負担が不公平だという問題がある。給与所得の場合、源泉徴収、給与所得控除(概算控除)、年末調整がセットになっており、ほぼすべての会社員は税務署への申告が不要だ。一方、自営業者に区分されるギグ・ワーカーは概算控除、年末調整などがない。所得を稼ぐうえで必要な経費は実額控除となり、自分で申告をしなければならないので、「税務署に行くのっておっくうだ」という話になる。ギグワーカーは所得がそれほど多いわけではないため、自営業者の所得の捕捉率についてよく言う「トーゴーサン」と呼ばれるような状況には当てはまらない。ギグ・ワーカーに申告の習慣がないことから申告をしない人は増加しており、放置しておけば税制の公平性が損なわれてしまう。

――ギグ・ワーカーに対応した税制が求められる…。

 森信 政府税調では働き方に中立な税制に向けての検討が言及されている。会社員と同じような働き方で年収300万円以下のギグ・ワーカーに、会社員の給与所得控除と同程度の概算控除を与えてはどうかと提言している。また、ギグ・ワーカーの元締めであるプラットフォーマーにもっと負担を引き受けさせることがより重要だと考える。プラットフォームを介して働いている人について情報提供の義務を課すことや、プラットフォーマーに源泉徴収を行わせることなどだ。源泉徴収を導入すればギグ・ワーカーにとっても税務署に厳しく調査されることや申告時に納税資金が不足するということがなくなり利益になる。大規模プラットフォーマーはサービスの受注者・発注者をマッチングするだけであれだけ利益を得ているわけで、ギグ・ワーカーの社会保障制度の問題とともに、世界的にもどのようにプラットフォーマーに義務を課すかという議論が進んでいる。

――政府税調のもう1つのポイントは…。

 森信 政府税調というより政府全体で論じられているのは、金融所得・金融資産を反映した社会保険料の算定だ。社会保障制度では子ども・子育て政策のため28年度までに3.1兆円超の財源が必要とされている。「支援金制度」で約1兆円、他の予算の流用で約1兆円、社会保障費の歳出改革で約1.1兆円集めるとしているが、歳出改革の1つとして挙げられているのが社会保険料の算定方法の見直しだ。現在は所得だけをメルクマール(指標)として算定されている。既に働いておらず所得が年金だけという高齢者は、たどってきたキャリアや資産の多寡にかかわらず負担が低下する。介護や医療の給付は伸び続けるので、所得・資産を持つ人にもう少し負担を求めても良いのではないかという議論がこの10年の間なされてきた。金融所得を反映して算定する方は実現の可能性が高い。金融所得として勘案される対象は株のキャピタルゲインと配当だ。もっとも株式は保有し続けていればキャピタルゲインが発生しないので負担増にはならない。一方で、金融資産を反映して算定する場合、これは預金口座への付番につながり、かなり大変な「力仕事」になる。対象となるのは「金融」資産で現物資産は含まれていないが、80年ごろのグリーンカード(少額貯蓄等利用者カード)の時と同様に金融資産の現物資産へのシフトの問題なども議題に上がるだろう。

――富裕層への課税も議論されている…。

 森信 子ども・子育て政策の財源の話とはずれるが、「1億円の壁」の議論は続いていると考えるべきだ。「1億円の壁」とは、所得税は超過累進税率のため所得が上がるほど負担増になるにもかかわらず、実際は一定の所得額を超えたところから減少し税負担率が下がる問題のことだ。数年前、「1億円を境に負担率が減少するのはおかしい。少なくとも横ばいぐらいにするべきだ」という議論の下、投資環境の整備などを手当てして市場への影響を抑える措置とセットで、課税のあり方が見直されようとしていた。ところが、いろいろな経緯はあるが、岸田首相が就任直後に「1億円の壁」問題への対応に向けて金融所得課税の見直しに言及したところ、同年10月に株価が急落し「岸田ショック」と呼ばれる事態となった。岸田首相はおびえてしまったのか、頑張っていた議論をそこでやめ、立ち消えとなってしまった。そのような流れのなか、23年度の税制改正法案で30億円以上の所得のある超富裕層に最低22.5%の税を課すといういわゆるミニマムタックスの制度ができた。総所得の税負担が22.5%を下回る場合に差額の所得税を課すという仕組みで、25年から適用が始まる。

――市場から反発が予想されるのでは…。

 森信 23年度税制改正法案では、ミニマムタックスの導入と同時にNISAの拡充が組み込まれた。非課税枠を1800万円まで拡大したことでNISAは劇的にヒットし、投資をやる人が増加した。そのように市場への影響という点でもきちんと手当てをしたわけなので、一定額以上株で稼いでいる人には負担を上げても良いと考える。「1億円の壁」を放置してNISA拡充だけを進めたことは格差是正という観点からは問題で、もう少ししっかり議論するべきだと思う。30億円以上の所得のある人は200~300人程度と極めて少ない。すぐには難しいだろうが、課税対象のすそ野を広げていくべきだ。納税者のうち上位0.1%(所得階級5000万円超の約7万人)に拡大し、ミニマム税率を30%にすれば、数億円単位の税収が入ってくるという機械的な試算もある。若年層の間で格差は確実に拡大しており、不公平感が強まっている。それぐらいはやらなければ少子化は免れない。

――そのほかに課題は…。

 森信 法人税についてだ。自民党から聞こえてくるのが「法人税をあれだけ減税してきたのに企業のビヘイビアが変わっていない」という声だ。つまり、内部留保をためて、個人の給与に還元せず、投資もそれほどしない企業行動をどう考えるかが議論になっており、米国のIRA(米国インフレ抑制法)が引き合いに出されている。IRAには自社株買いの買付金額の1%の課税が盛り込まれており、この自社株課税が米政権で評判が高く、バイデン米大統領は税率を4%に引き上げる意向を公表している。米国では企業が借金をして自社株買いをする例があり、1株当たりの利益が上がると言っても本末転倒の感があるため、制度が導入されたという経緯がある。私は法人税を引き上げるべきだとは考えていないが、減税されてきた「恩に報いる」という意味からも、企業は減税の社会的な意義を認識してビヘイビアを変えるべきだと思う。今年は春闘の平均賃上げ率が5%を超えたが、来年以降もこの傾向を続けることが必要だ。[B][L]

――東京短資は創業115周年。これまでに一番大変だったことは…。

  東京短資はもともと「柳田ビル・ブローカー」というマネーブローカー業務から始まった。戦後に、他社との合併および、ブローカー業務を兼務していた証券会社から営業譲受し、1949年に東京短資と商号変更して新たなスタートを切った。長い歴史の中では困難な局面も少なくなかったが、近年で一番大変だったのはゼロ金利の時だ。当時はイールドカーブがフラット化し、短資会社の収益機会は極めて限定的なものとなった。その後マイナス金利政策の時代を迎えたが、この場合であれば、マイナス0.1%を起点にして、多少イールドカーブの傾きが出てくる。また、日本銀行の当座預金は3層の階層構造になり各金融機関のポジションによって裁定取引が行われるため、仲介をビジネスとする短資会社はマイナス金利下でも一定の収益を獲得することができた。

――今後、利上げの動きとなれば、ビジネスチャンスも広がっていくのではないか…。

  現時点は「普通の」金融政策に向けての途中段階であり、これを山登りに例えると1合目か2合目といった処だ。我々の本業であるコール市場をみると、マイナス金利の時の残高は大体20兆円前後だったが、むしろ今はその半分程度の残高に減ってしまった。3層構造がなくなったために裁定取引がほぼ皆無となり、出し手(貸し手)と取り手(借り手)が固定されてしまった事が主な理由だ。日銀の当座預金を保有する金融機関は基本的に0.1%で運用できるためコール市場に資金を放出する必要がなく、コール取引の中心を占めるオーバーナイト物の出し手は、日銀の当座預金を持っていないアセットマネジメント等に限られる。金利も、マイナス金利解除後は、オーバーナイト金利はほぼ固定化してしまっている。コール市場のサイズが3月の日銀会合以降は縮小した分、代わりに日銀の当座預金が増えている。尚且つ、日銀による国債の買い入れは従来と同じ月6兆円のペースを維持する事になっており、YCC(イールドカーブ・コントロール)は解除されたものの、QE(量的緩和)はまだ続いている。長期金利も一時期に比べれば動いているが、変動幅はさほどではない。我々のような短資会社からすると、それぞれのマーケットで自由な金利形成が出来て裁定が働いていくようになれば、もっとビジネスの量も増えてくる。

――日銀は緩やかに金利を上げていく構えだが、その間のビジネスは…。

  現在、我々が取り扱っている一番大きなマーケットは、債券レポ市場で、このマーケットの規模はマイナス金利の時も今もあまり変わらない。このほかオープン市場ではCP(コマーシャルペーパー)が、金利が上がっている為、一定のスプレッドを確保出来る機会は相応にある。このように、今はコール市場の収益機会が落ち込んでいる分をオープン市場でカバーしている形になっている。また、仲介ビジネス以外の分野では、当社のグループ会社であるジェイ・ボンド東短証券は債券の電子基盤取引を提供するPTS運営会社で、いわばプラットフォーム提供のビジネスである。プラットフォームのビジネスは競争が激しいが、お客様の使い勝手が良いように色々な機能を追加しながら続けていくつもりだ。当社は英TPICAPという英国のブローカーと資本提携をしており、密接に意見交換をしているが、海外のブローカーの収益構造は、仲介ビジネスに加え、プラットフォームとデータサービスも大きな柱だ。このうちデータサービスは市場参加者にとって非常に有益なサービスの提供となるものなのだが、日本では情報にお金を使うという文化があまりないため利益につなげるのはまだまだ難しい。しかし、そういった部分にも今後力を入れていきたいと考えている。