金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

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『金融資本主義』は既に終焉

石油資源開発 監査役  元みずほコーポレート銀行  常務執行役員  中島 敬雄 氏

【訂正】第2段落目の「先ず驚いたのは、MMFが“The ReservePrimaryFund”という」を「先ず驚いたのは、“The ReservePrimaryFund”というMMFが」に訂正します。
聞き手 編集局長 島田一

――リーマン・ショックを振り返って思う事は…。

中島 マーケット参加者の間でお互いの“信用”が一気に失墜し、肝心のドルがまわらなくなったことを体験すると、やはり危機になるとvisibility(可視性)の低さが問題になるのだとつくづく感じた。目に見えないということは一番怖いことだ。金融は長年培った「信用」に裏付けられていなければ怖くて扱えない世界だという事を忘れてはならない。現在ブロックチェーン等技術の進歩で参加者の顔がなるべく見えないシステムが構想されているようだが、いざ深刻な危機になると皆狼狽するのではないか。日本の金融危機の際は不良資産の額だけが問題で、それなりにvisibilityは高かった。一方で、リーマン・ショックの際には直後にボラティリティが急騰しVaR(予想最大損失額)の値が大きくなったことで、資本不足が懸念され、流動性リスクからソルベンシーリスクへと問題が転化していった訳だが、そこまでの過程はあまりにも速すぎた。米国政府が直ちに気付いて急遽CPや不良資産を買うという対応をしなければ、普通の金融機関がレバレッジを落として資本を注入するといった時間はなかっただろう。しかし、いつもそのような形で民間の失敗を政府が肩代わりできるわけではない。米国と中国の間での貿易戦争を超えるリスクも出始め、10年前と比べると明らかに世界中で政府・中央銀行の力は落ちてきている。金融自身が相当しっかりしてなければ次の危機は乗り越えられないだろう。地道ながら信用を如何に高めるかが非常に大事と思う。

――当事者としてリーマン・ショックに直面した時、実際にどのような行動をとったのか…。

中島 先ず驚いたのは、“The ReservePrimaryFund”というMMFがリーマン発行の債券を保有していたために1ドル割れ事件を起こしたことだ。6兆円のファンドが9月15日、16日の両日で約44%解約されたという。金融マーケットがAIGや投資銀行の帰趨に目を奪われる中、それは事実上静かなる取り付けだった。慌てた米政府は直ちにMMFに政府保証を入れたが、それでも解約は止まらなかった。MMFはその4割をCPで運用していたために、今度はCP市場が機能不全を起こし10月1日には発行市場は完全にストップとなった。米CPはバックアップラインがついているので、銀行は直ちに代わりの貸出に応ぜざるをえなかった。このような大変な事態の中で人々は益々不安になり、調達不安からデイレバレッジ、即ち、総売りを始めた。それまで金融村だけの騒ぎだったものが、こうしてCP・社債市場を通じてあっと云う間に危機は実物経済に伝播していった。なにせ暗黙のMMFの1ドル保証といえば米金融資本主義の原点だったからだ。そして可視化されないものに対し皆が竦み、怖くて市場にカネを出さなくなった。私自身はその時、デリバティブスのカウンターパーティリスクが心配でならなかった。米金利の低下を見込んでいたので、殆どの相手に対して相殺上“勝って”おり、金利が下がるたびに追加担保を受ける立場にあったからだ。NYの朝一番までに追加担保を入れてもらえるか心配になって電話をかけた所、先方が全く電話に出ず、「もしや!」と思ったこともあった。

――日本での動きは…。

中島 CPの問題が時間を置くことなく日本にも及んだ。日本には明確なバックアップラインが存在しないので、発行出来なくなった会社が大いに慌てた。社債発行市場もストップし、それまで銀行離れしたと思われた優良企業が門前市を成すように殺到し、その額はみずほコーポレート銀行だけでも数兆円に達した。10月以降世界中で一気に実物経済が下降に向かったのは、こうした資金調達のパイプが詰まったのと、欧米製造業の一角が生産調整の急ブレーキを踏んだためと思われる。

――マーケットでは中島さんはリーマン・ショックを上手く乗り切った勝ち組の一人と言われている…。

中島 私の哲学は「先手必勝、後手必敗」だ。先に手を打って状況の変化に即応できたものは余裕が生じ、次から次へと優位に立てる。しかし後手にまわって失敗するとどうしても負けを長く引きずってしまう。そもそも08年9月のリーマン・ショックはその前年に起こったサブプライムショックの論理的帰結で、ここに至るまで相応のプロセスがあった。私は1年前の07年7月に、保有していたABSCDO等証券化商品約4,000億円を全て売却する決断をした。そして、その1カ月後の8月9日にパリバショックが起こり一気に流動性が落ち、更に10月半ばの大量格下げによって “価格”はマーケットから完全に消失して、売ろうにも売れなくなった。サブプライム関連商品を売却して身軽になっていた私は、その後ヘッジファンドに投資した資金を現金化したり、内外の株式投信を売却するなど、レバレッジを落とすと共にリスクも極力減らすように心がけた。手元に潤沢なドル資金を蓄えることもできた。そして米国債の金利低下を狙った。加えて、リーマン破綻の10日前にファニーメイとフレディマックが米政府の管理下に置かれ大問題となったが、私はもともと米国政府完全保証付きのジニーメイしか買わなかったので全く動じなかった。「完全保証」と「保証もどき」商品との間には決定的な差があり、その辺りに関しては昔から非常に用心深かった。お陰様でこの年(2008FY)のみずほコーポレート銀行の市場部門収益は、銀行全体の粗利益の42%・業務純益の実に65%を占めることが出来た。

――そういったことが予測できた背景には…。

中島 実はサブプライムショックの起こる大分前から、CDOといったストラクチャード商品に大きな違和感を覚えていたからだ。金融工学のロケットサイエンティストによって生み出されるこうした商品は実物経済から大きく乖離し、リスクを分散させるどころか、リスクを濃縮した商品になっていた。当時も色々な人にその思いをぶつけたのだが、大体「そんなことはないよ。格付けはトリプルAだし」という答えだった。とはいえ、ゴールドマンのロイド・ブランクファインも指摘していたように、当時世界にトリプルAの会社はたった12社しか存在しなかったのに対し、トリプルAの証券化商品が6万4000件も組成されたのはいかにもおかしい状況だった。皆、目が曇っていたとしか言いようがない。格付けを甘く見すぎていた。騙されたとまでは言わないが、それで泣かされた投資家はたくさんいる。仕組債のリスクマネジメントも怖い。同じような条件の商品が出回ると、皆が一斉にヘッジに入り、“合成の誤謬”が生じ、マーケット全体がガンマ・ショート状態となり思わぬ展開に振り回される。

――こういった危機の再発防止について思うことは…。

中島 OTC(オーバー・ザ・カウンター)デリバティブスが取引所で清算されるようになる等、金融規制は強化されてリスクマネジメントは相当進歩したと思うが、カレンシースワップなどは依然としてOTCで行われている。当時問題だったものを封じ込めても、また違った問題が次々と出てくる。昔、興銀の先輩が「金融というものは、必ず暴れまわるから檻の中に閉じ込めておかないといけない」と言っていたが、これは名言だと思う。ほおっておくと直ぐにレバレッジをかけて一儲けしようという輩が出てきて、それも非常に簡単に儲けられる。これからは自己抑制の効いたvisibility の高いメンバーが中核となって支えないと金融は続かないと思う。最終投資家に高度のリスクを押しつけるモデルは長続きしまい。79年のボルカーショックを画期として始まり、30年続いた“金融資本主義”は、リーマン・ショックによって終焉を迎えたといっても過言ではない。デリバティブスや証券化を駆使してレバレッジの拡大を中心に置いた時代はそこで終わり、すでに第4次産業革命を迎え、この10年は実物経済、実業の時代に確実にバトンタッチされてきている。もちろんデリバティブスや証券化は盛んに行われているが、我欲を抑制できないモデルは徐々にフェードアウトを余儀なくされ、これからは再び「信」に根付いたシステムに戻らざるをえないのではないか。それでも「市場化」の時代はこれからも続く。そして、「勝たなくても良いから負けないこと」。これが私からのアドバイスだ。水に落ちた犬は叩かれる。それが、市場型資本主義の冷徹な本質だからだ。(了)

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