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サブプライムは作為的な商品

農林中央金庫  特別顧問  河野 良雄 氏

――リーマン・ショックから10年。当時、農中では増資を成功させ窮地を凌いだと聞くが…。

河野 リーマン・ショックの時、日本の金融機関への影響は比較的小さかったと言われているが、日本の金融界の中で一番影響を受けたのは我々農林中央金庫だったと言っても間違いないだろう。当時、他の金融機関はそれほど海外投資には注力していなかったからだ。もともと我々は国内のマネーマーケットで約10兆円を短期運用していたが、日銀がゼロ金利を導入するにあたり、それでは利ザヤがゼロになってしまうため、海外で運用しようという方針となった。2000年頃から本格的に海外投資のことを勉強し始めて、まずは外国債で投資を行い、さらにそういったフィックスド・インカム(確定利付き投資)に加えて、金利リスクに対応するためにクレジット資産への分散投資も始めた。クレジット資産は、格付け機関の評価でトリプルAの商品を中心にポートフォリオを組んでいた。しかし、リーマン・ショックで格付け神話がすべて崩れてしまい、低格付債のみならずトリプルAの商品でさえ投げ売りが始まり、我々が保有しているクレジット資産の価格もつられて一気に下がってしまった。結局、その時は2兆円ほどの評価損になっていた。その含み損を抱えたままで決算期末を迎えるとバーゼル基準に抵触する懸念があったことから、我々は、含み損とほぼ同額の1.9兆円規模の増資を行うことを決めた。結果、そのおかげで、クレジット資産を底値で売ることなく保有し続けることが出来て、2年後くらいには当時の損失分もほぼ完全に戻ってきた。

――トリプルAの商品の投げ売りの嵐の中で、保有商品を持ち続けることを決断した背景には…。

河野 サブプライムローンというのは本当に一部の業者で行われていたもので、間違いなく作為的なものだ。返済能力の全くない人に銀行がお金を貸し、銀行はその名を冠してそれを全て証券化し、いわゆる金融工学により高度に分散化した商品を組成し、格付会社によりトリプルAといった高く評価されたものを外部に転売する。我々は、もちろん、投資している中身はすべて把握し、精査して良質なものを選んでいた。中には住宅ローンやダブルB程度の社債、不動産などが組み込まれていたものもあったが、それもすべてディスクローズされているものをチェックしたうえで、なおかつトリプルAの高格付けのものばかりを選んでいたため、当時起こっていることが狼狽売りだということはわかっていた。今考えると、売りに出たものを買っておけば逆に儲けていたかもしれないと思うが、さすがに当時そこまでは出来なかった(笑)。2008年9月15日の株式市場での、本当に「つるべ落とし」という言葉がぴったりの株価チャートを今でも覚えている。さらに10月頃は本当に最悪で、それが3カ月ほど続き、翌年3月の決算時直前にはクレジット資産の価格が100円のものが70円程度になっていた。そこで系統組織の会員に増資をお願いした訳だが、一歩間違えれば共倒れになりかねない状況の中で理解を示し、助けてくれたのは、長年の信頼関係からだと思う。付き合いの浅い取引先や融資先の一般企業だったら、こうはいかなかっただろう。

――昔からのつき合いによる信頼があったからこそ、リーマン・ショックを乗り切れた…。

河野 増資をお願いに行った時は、私は副理事長で、その後、理事長に就任した。そして、それまで県連止まりだった関係を農協まで伸ばすように職員に伝えた。というのも、リーマン・ショックで大変だった時に増資をしてくれた大元は農協の方々だったからだ。我々は県連に増資をお願いして、県連の方々が農協に状況を一生懸命説明してくれた。きちんと増資を引き受けていただいた恩を返せなければ、真ん中に入った県連の人たちが農協の人に嘘つき呼ばわりされることになり、連動して農林中金が大批判を受けることになる。しかし、こういった時に少しでも農協の方々とコンタクトを取っていてお互いの事を知っていれば、さらに連帯感や信頼感が強まると思ったからだ。とにかく利益を出して、リターンとして還元するために、理事長就任一年目は歯を食いしばって頑張った。そして、当時の含み損は決算に反映されることなくクレジット資産を保ち続け、その後、含み損は解消されていった。慌てて売らずに正解だった。そして、当時、我々を信じて増資に応じてくれた系統に本当に感謝している。さらに、こういった経験のおかげで、我々のリスク管理の手法は相当高度化した。すべての中身をチェックするという事は物凄い労力とコストが必要なのだが、それを全部やることで、今では、例えば1%金利が上がった時、10%株が下がった時、リーマン・ショック並みの事が起こったとした時に、現在のポートフォリオではどのくらいの影響が出るのかが瞬時に分かるようになっている。嵐を経験しなければ、こうはならなかっただろう。

――リーマン・ショックから回復するまでの過程は…。

河野 もちろんすぐに回復することはなく、1年目は守りの姿勢を続け、翌年もまだ時価が下がり続けていた時期だったので慎重に動いていた。それが2010年の夏場頃には底をつき、10月には戻りの兆しが見え始めた。ようやく2010年度の3月の決算時に「後ろ向きはやめて前向きになれる」と心の中で思い始めることが出来、職員たちにもそれを伝えようと思っていた。実際に2011年3月11日の午前中に決算見込みを聞き、いよいよ復配が出来るようになるということを確認していたのだが、その日の午後に東日本大震災が起こった。東日本大震災の影響はあったものの財務基盤は回復し、我々の復配は滞りなく行われたのでリーマン・ショックの影響はそこですべて元に戻せたと言えるだろう。そしてその後、我々は東北地方の復興のために総額300億円の復興支援プログラムを創設し、役職員一丸となり被災地支援に取組んだ。さらに2009年には民主党政権への交代も経験した。振り返れば、本当に波乱の10年だったと思う。そして、これからの10年も、また大変な事が起こり続けるのであろう。(了)

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