哲学者 内山節 氏
デザインコンサルタント 岸本吉生 氏

目的を持ってキャリアを選ぶ若者たち…。
島田 岸本さんは、本紙連載「ホモデウスと日本」の執筆を通してこれからの日本人の生き方を模索してきた。この度、連載を電子書籍としてまとめた。
岸本 経済産業省を定年退職し、限界集落のある市町村で貢献する人たちのために働くことを決心した。輪島塗・播州織など地場産業、限界集落の中高生向けの「人生の目的を見いだすキャリア教育」、地域のために起業する人のビジネスデザインの3つに取り組んでいる。全国各地の農山漁村で、今そこにある組織や慣行を乗り越えて、地域のために夢や理想を実現しようとする多くの人に出会う。私自身そのおかげで自分の残された人生の目的を意識するようになった。中高生のあいだに人生の目的を見いだす人はこれから増えていくだろうか。
内山 私は1970年ごろから東京と群馬県・上野村で二重生活をしている。上野村の人口約1200人のうち4分の1程度が移住者だ。都会から上野村に移住すると収入は半減で済めば良い方だが、移住者は増加し続けている。しかも皆、「遊びたい」ではなく、「自然や地域の役に立つ仕事をしたい」と希望してやってくる。また、私は年1回程度、北海道大学農学部で講演をするが、北大では将来畜産に携わりたい学生が全国から集まり、学生時代からインターンに参加したり地域でネットワークを組んだりしている。私が若いころは「こんな社会じゃダメだ」と思っている人たちは都市部で吠えていたが、今の若者はなんとかなりそうな可能性のある場所に移動しており、行動力がすごい。最近は世の中を良くしているのか悪くしているのか分からないような仕事が多いから、本当に誰かの役に立つ仕事を探しているのではないか。
岸本 今の若い人たちは、組織のなかの地位に甘んじることなく、自らの毎日が何を引き起こすかをしっかりと見ているという印象がある。スポーツや文化で活躍する方のインタビューを見ると、自分が引き起こしたことから逃げないシリアスさを感じる。SNSを通じて何をやっているかを日々分かり合う経験が共感性と自主性を培うのだろうか。
内山 私は東京出身で、小学校低学年の時に男の子同士で将来の夢の話をすると、人気があったのは電車の運転手や警察官、学校の先生だった。ところが、高学年になって同じ話をすると、「大企業の部長になりたい」と言う子どもが少なからずいた。私が小学校に入学した年が高度成長期の始まりで、6年生になると高度成長がかなり展開していたので、そういう時代の影響があった。一方で、今の若者には違う景色が見えていると思う。
「見えない」前近代、「見える」と信じられてきた現代日本…。
岸本 自給自足でないかぎり、他人の世話にならないと生きていけない。昔は村人にも町人にもそのための文化と道徳があった。一方、お金さえあれば誰かに面倒を見てもらえると期待するのが今の社会で、この仕組みの脆さと冷たさに不安を感じるのは当然だ。この不安の引き金を引いたのは、就職氷河期とデフレだろう。大学を出ても正社員になれない人が100万人以上発生した。ベースアップがなく、10年20年たっても地位も年収もさして上がらないことが珍しくなくなった。
島田 先行きが不透明な世の中で、今の人々が「お金を稼いで何の意味があるんだ」と感じるのも道理にかなう。
内山 日本人が、自分の人生の行く先が「見える」と思うようになったのは近代になってからだ。前近代の人々は、乳幼児死亡率が高いうえ、天然痘や肺結核など感染症で若くして亡くなることもあり、何が起こるか分からない世界のなかで生きていた。さらに、高度成長期に入って、われわれは例えば名だたる電機メーカーに勤めていれば安泰だと考えるようになった。ところが、気が付いたら日本の電機メーカーはほとんど全滅に近く、今の大企業も20年後にはどうなるか分からないという時代になってきた。今、われわれは再び「見えない」世界に突き当たっているが、近代のなかでもこの60~70年間の「見える」世界に生きている感覚の方が特殊だったということだ。
岸本 内山さんは日本人の宗教的意識、集落に住む人々が神仏をどう信じてどう暮らしてきたかを過去にさかのぼって研究されている。日本人は今でも初詣に行くし墓参りに行くが、何に手を合わせているのか。
島田 今は新興宗教も、「見える」世界に生きる人たち向けに「あなたの背後霊が災いしている」「このツボを買えば幸せになれる」と語りかける。今の日本人は、「見えない」ものを「見えない」まま受け取れなくなっている。
内山 日本人の宗教観の根っこにあるのは自然信仰だ。自然信仰がいつごろ発生したのかは調べようもないが、時代によって少しずつ内容を変えてきた。特に3~7世紀、多くの渡来人が日本にやってきた時代に、朝鮮・中国から仏教、道教、儒教、その3つのいずれにも属さない土着的な信仰などが伝わってくるなかで、解釈が変わってきたと見られている。7世紀には、自然自体というより、変わっていく自然を作り出している「見えない」世界が信仰され始めた。そこでは、例えば太陽が出て大地があって鳥が木の実を食べて……という自然同士の関係を「自然(じねん)」と解釈するようになった。「じねん」とは、「自ずから然らしむ」、作為的なものが何もないあるがままの状態のことだ。この見方はやはり大陸から入ってきた仏教の影響が大きい。民衆仏教は鎌倉時代に興ったというのが教科書的な見方だが、古くから民衆の間では自然信仰と仏教が融合したものが信仰されて国家仏教と対立していたと言える。
岸本 聖書やコーランは文字で説き、「善いことをすれば天国に行く。悪いことをすると地獄に行く」というような論理的命題を信じる集団を育てる。一方、日本の信仰は、自然に抱かれているという感覚を持つ集団を育ててきた。私の提唱する「他己社会」、他人と自分の価値の等しさを認め世の中のために生きることに価値を置く社会につながる信仰だと感じる。
内山 民衆的な仏教の世界が広がりとして象徴的なのは、7世紀の修験道の発生だ。修験道は自然信仰と初期密教などが融合したようなもので、修験者は山で修業しながら雨ごい・雨止めや薬草や気功による病気治癒を行った。この背景には、律令制ができて土地も人も国家のものとされ、税を納めなくてはならなくなったことがある。御上に不満を持って山に向かった修験者は、雨ごいや病気治癒などを通して人々から「あの人は立派な人だ」と認められ、民間のお坊さんの役目を果たしていた。
お金による可視化とお金からの独立…。
島田 当時政府に不満を持った人々も、なんとかなりそうな可能性のある場所に移動していたのか。近代以前は自然が人間社会よりもはるかに強大で、その自然を作る「見えない」関係を信じていたから、将来が「見えない」状況を普通に受け入れることができたということではないか。これに対し、現代の日本人は戦後に経済が豊かになったこともあり「見える」ものだけに寄りかかっている。
内山 現代において「見える」世界を絶対化するのはお金だ。例えば岸本さんと私が 2人で同じバイトをして、岸本さんが1万円、私が9999円の日当をもらうとする。どう見ても同じようなものだが、「なぜ同じことをやって岸本の方が1円多いんだ」と、この1円の違いが大いに気になるわけだ。それほどはっきり「見え」てしまう。また、私は上野村で裏山を持っていて、裏山の木を切って風呂の薪にしているが、この作業は結構時間を食う。「この時間で仕事して原稿料などで薪を買ってくる方が合理的ではないか」と思うこともあるが、そこにはやはりお金には換算できない価値がある。近年は、すべてのものをお金で可視化してしまう社会のつまらなさに皆が気付いてきた。この世界で生きている以上、お金をある程度持って使わざるを得ないことは確かだが、お金に従属したくないという人がたくさん出てきているのではないか。
島田 お金は社会分業を実現する手段だ。海幸彦・山幸彦の話のように、それぞれが得意分野に特化できるためにあったが、それが進化し大規模化・複雑化する過程で社会を支配する手段にもなってきた。そうした支配の仕組みの下では幸福が得られないと感じている若者が増えてきているということだろう。私が若いころは、それは「革命」と言う言葉に結び付いた。
維持できなくなってきた軍隊型の組織構造…。
内山 確かに今の若者はそういった社会の仕組みをよく見ている。大きな組織のなかに入らないとどうしてもできない仕事もあるだろうが、大きな組織に入ると特有の問題が必ず発生して人間を蝕む。そういう嫌な空気が世界を覆っている実感を持っていると思う。
岸本 大きな組織では、指導する立場と指導される立場が生じざるを得ない。軍隊のようなタテ型組織だ。お金をもらってもそういう組織では働きたくないと言える世の中になった。インターネットのおかげで働き方が多様化したからだ。働く時間の大半を決まった人の下で命令されて過ごすのは居心地が良くない。気心の通じた仲間とフラットに働く方法があることが知られるようになり、現に増えている。
内山 近代の色々な組織の構造は軍隊を模倣して作られてきた。常に目下の人間が目上の人間に従うという軍隊型の組織構造は、産業革命のころに工場に入り込み、たくさんの人が命令通り動くという仕事の形ができ上がった。教育にしても、文科省、教育委員会、校長、教師……というピラミッドがあって、その下で生徒が学ばされてきた。そのような近代の仕組みのすべてが通用しなくなってきている。
岸本 人海戦術で全員が同じ作業する「工場」という装置は、自動化のおかげで大半がなくなった。オフィスの仕事もコンピュータのおかげで多様化した。決められたことを素早くする時代から、何をすべきか考えてやってみる時代に転換した。
内山 もちろん言われた仕事だけをこなすという働き方がまったくなくなったわけではないだろう。例えば、大型飲食チェーンではどこの店舗でも同じレシピで提供することになっているだろう。一方で、ある中華料理チェーンは、餃子のレシピは共通だが、各店舗の店長が独自メニューを開発することが認められており、そこに客が付いてきている。ミクロではそのような現象も見られ、ある意味で二極化してきているが、まだこれまでと異なる組織のあり方を組み込んだ資本主義はできていない。特に日本の場合、明確な階級社会である欧米と異なる社会風土の下で、どのように仕組みを作るのかという課題もある。その意味では、今が端境期なのだと思う。
「大文字の革命」から「小文字の革命」へ…。
島田 新しい組織や社会のあり方が求められているようだ。
岸本 日本の人口ピラミッドがつぼ型に変化したことは悪いことではない。上司の言うことを辛抱強く聞かなければ昇進できないということもなく、やりたいように生きやすい世の中になった。常識を疑いなんとかしてやっていく醍醐味を味わいやすい時代だと思う。高齢者数のピークを迎える45年以降の日本の将来は、本当に楽しみだ。私が「ホモデウスと日本」の連載において「これからの日本人はどう生きていくのか」というテーマを書く根底にあるのはこの認識だ。
内山 今新しい考え方を組み込んで自分たちの仕事の場を作るというと、比較的小さい組織になってくる。規模としては従業員300人ぐらいまでが皆で協力して取り組みやすいだろう。300人を超えると管理部門が必要になり、管理する人と管理される人がどうしても分離し、皆で取り組むという形から離れる。年賀状をもらっても、300人ぐらいが個人を識別できる限界ではないか。ただ、大きい組織でやりようがないとは思っていない。どうしたら大きい組織のなかで何かを分散させ、小さな事業体の連合体みたいなものを作っていけるかということがこれからの課題になると思う。
岸本 確かに、製造業などの中小企業は従業員数300人以下が原則だ。内山さんはかつて上野村で「新たな多数派の形成をめざすシンポジウム」を行われた。世間常識と違う価値を大切にして生きている「少数派」が集まり、都市でお金を稼いで働くことが当然の社会を問い直すイベントだった。社会はその後その方向に変化しているだろうか。
島田 お金とは別の分業の手段として、SNSや暗号資産が発達してきた。SNSはお金をやりとりする価値を決める情報を、国や大規模な組織の意図から離れて得ることができる。また、暗号資産も、国の後ろ盾がなくお金とほぼ同様の機能を持つ手段として発達してきた。ともにこれまで作られてきた支配の仕組みから抜け出せる手段であり、かつ小規模な組織でも展開が可能だ。
内山 社会に問題意識を持つ時、かつては「大文字の革命」で社会をすべて変えようとする考え方が普通だった。社会主義思想がその代表だ。それがこの半世紀の間に「小文字の革命」に変わってきた。新しいコミュニティーを作ったり、本当の意味での「ベンチャー企業」を興したり、自然とともに生きるために田舎に引っ越したり、社会全体から見ると目立たないが、それぞれがそれぞれの場所で違うものを作るという動きが少しずつ加速している。今、実はそれが相当のうねりになってきているのではないか。「小文字の革命」が連鎖して大きく社会を変えていくという新しい時代がもう始まっていると感じる。[B][L]
★連載「ホモデウスと日本」が書籍化されました
『生命の輝き ホモデウスの生還』
著者:岸本吉生
発行:金融ファクシミリ新聞社
定価:990円(税込)