大和総研
専務理事
池田唯一 氏

――元金融庁総務企画局長として今の金融行政に思うことは…。
池田 今や金融行政の外にいる人間であり、今の金融行政について逐一論じる能力はない。ただ、自身が現役の時代に手掛けた施策の現状と行く末には関心がある。今も規律として残っているものが少なくないが、なかには当初の想定とは違う方向に進んでいるように見えるものもある。その一つがコーポレートガバナンスだ。コーポレートガバナンス・コードは、東証が定めるものだが、東証と金融庁が共同で主催した有識者会議での検討を踏まえて策定されている。コーポレートガバナンス・コードの策定について、様々な意見はあるだろうが、多くの企業にとって必要な改革を進めるための一つの重要な契機にはなったのではないかと思っている。また、金融資本市場にもプラスの影響を与えたと言えるだろう。しかし、時が経過するにつれ、実態は当初掲げていたプリンシプル・ベース(原則主義)、コンプライ・オア・エクスプレイン(原則を実施しない場合はその説明をする)という考え方からかなりかい離しているように見える。改訂を重ねる度に内容が詳細化し、マイクロマネージ(細かく管理すること)の傾向が強まってしまっているのではないか。日本市場においてはTOPIXなどで運用するパッシブ投資家が支配的な状況にあり、機関投資家は非常に多くの投資先企業を抱えることになるため、機関投資家によるチェックはどうしても形式的になりがちだ。企業からすると、説明をしたところで投資家の形式チェックに引っかかるだけなので、たとえ形だけだとしても、とにかく原則はコンプライ(実施)せざるを得ない状況となってしまう。プリンシプル・ベース、コンプライ・オア・エクスプレインと言いつつ、事実上義務化してしまっている。当初は、100社あれば100通りのガバナンスの姿があるだろうと考えの下、企業の置かれた状況を踏まえ、柔軟な対応が可能な枠組みとして構築されたはずだった。
――自由な企業行動の妨げになりがちだ…。
池田 おそらく今の当局もそれをある程度認識していて、コーポレートガバナンスの「実質化」を掲げ、いわゆる「資本コストや株価を意識した経営」を強調している。それに沿ってPBRの改善も謳っているわけだが、PBRの改善には、企業が成長の実績を一つ一つ積み上げていくことで投資家の信認を確保し、成長期待を高めていくというある程度時間をかけたプロセスが必要だと思う。数字のみが先行し、PBR1倍割れに対して性急な対応を求める形となって、株価上昇狙いの自社株買いや増配を誘発するだけに終わってしまうと持続的な成長にはマイナスとなりかねない。実質化は正しい方向だと思うが、丁寧なやり方が必要だろう。
――昔とは異なり議決権行使など積極的に行われるようになってきた…。
池田 コーポレートガバナンス改革の動きは、コードが示している考え方や当局の考え方を飛び越え、かなり自律的な動きを始めているように見える。最近では機関投資家の議決権行使が積極化し、議決権行使助言会社の影響力も拡大している。こうした自律的な動き自体はコーポレートガバナンス本来の在り方でもあり、望ましい姿だとも言える。しかし、少し気になるのが、形式的・画一的基準に基づく議決権行使や助言が行われる傾向が強まっていることだ。例えば、「社外取締役を何割、女性を何割、社内取締役の増員は認めない」など取締役会の構成について非常に形式的な数値基準のようなものが存在する。政策保有株式についても、コードでは保有してはいけないとは定めておらず、資本コストに見合ったものかを検証すべきとしているにすぎないが、実際の議決権行使や助言においては形式的な数値基準が存在し、それが企業を規律している。そうした形式基準は時が経つにつれてどんどん厳格化している。当局が実質化を目指すとしている一方で、現場では形式化が強まるという逆の動きが見られている。当局には、単純にこれまでの延長線で施策を考えるのではなく、コーポレートガバナンス改革が市場や企業経営にどのような効果・影響を及ぼしているのか、ひとつひとつ検証しながら歩みを進めていってもらいたい。
――顧客本位の業務運営に関する原則にも取り組まれた…。
池田 私が当時、原則を策定した際には、金融事業者が当局ではなく顧客のほうを向いて顧客本位の業務運営を行うことにより、顧客本位の業務運営に係るベストプラクティスを構築していく、ということを展望していた。ちなみに金融庁は当時、フィデューシャリーデューティーということを随分と強調していたが、金融事業者からは「横文字でよくわからない」、「辞書をみてもでてない」とのお叱りの声があった。顧客本位の業務運営に関する原則を策定した背景には、こうした声にも応えて考え方を明確化したということがある。ここで、フィデューシャリーデューティーも同じことで、誰に対するフィデューシャリーかと言えばそれは顧客に対してだ。フィデューシャリーデューティーも顧客本位の業務運営も当局との関係においてあるものではなく、顧客との関係においてあるものだ。しかし、その後の進展を見ると、当局がエンフォースメント(実効性の確保)を強化している影響もあるだろうが、実際には事業者がかえって当局の目ばかりを気にした業務運営を強めているように感じる。そうしたことではマーケットは進歩しない。原則は、できるだけ金融事業者が顧客を向いて業務運営していくようにということを考えて策定されたものだ。行政指導のツールのようなものになってはよくない。何が顧客本位であるかは当局が考えるのではなく、金融事業者が顧客の方を向いて自分の頭で考える。そういう世界を作りたかったが、実際は逆になってしまっているというのが私の懸念だ。
――フィンテックも推進された…。
池田 私が局長時代の2016年に資金決済法、2017年に銀行法を改正し、フィンテックの旗振りをした。10年経過した今、当時の想定と比べると現実は緩やかに推移しているというのが私の印象だ。欧米や中国などのビッグテックの動きについても当時の想定と比べると緩やかだったので、結果としては平仄が採れているという形ではある。ただ、この間に金融機関のいわゆる「自前主義」が後退し、金融機関とその他の事業者が連携する、いわゆるオープンイノベーションの意識がかなり高まってきている。キャッシュレス決済、組み込み型金融、オンラインでの本人確認、会計サービスや契約サービスなどの金融の周辺サービスの高度化が進んだ。最近では法人間の決済においてステーブルコインを利用する動きも見られている。将来に向けた変化の兆しがいろいろと表れてきており、今後大きな成果につながっていくことを期待している。そうしたなか、当局においては金融規制の在り方が問題となる。総論的に言えば、利用者保護とイノベーションの両立が大きな課題となるだろう。利用者保護は重要だが、初めから規制のハードルを高くしすぎるとイノベーションの芽がつぶれてしまう。よいバランスをとっていってほしい。
――暗号資産を金商法に位置付ける進展が見られてきた…。
池田 暗号資産のマーケットの動きを見ると、証券市場で学んできた者からするとびっくりするような動きもあるが、現実に資産運用の場として存在していることから、当局の立場としてこれをどうしていくのか考えていかなければならない。私が局長時代、暗号資産については金融庁があまり近づくべきものではないという考え方も一部であったと思うが、資金決済法を改正して暗号資産(当時は仮想通貨)を規定し、日本の金融法制に位置付け、規制をかけた。その後に登場してきたICO(新規暗号資産公開)やステーブルコインも法律上にきちんと位置付けられた。米国ではまだ法律の位置付けが非常に曖昧で、SECの行動に対して予測可能性がないとの批判もあった。トランプ政権下になって新しい動きが出てくることが想定されるが、日本では幸いにして法的位置付けがはっきりしており、また業界団体における自主規制もあり、当局と業界が一緒になって規律付けしていく枠組みができている。その枠組みを活用して利用者保護とともにイノベーションの実現を図っていくことが重要となる。日本のように法的枠組みがはっきりしていることには多くのメリットがあると思うが、同時に、そうした法的枠組みは絶えず進化させていかなければイノベーションの足かせともなり得る。
――金融庁は常に考えなければならない…。
池田 民間セクターに身を置くようになってからよくわかるようになったことだが、当局は問題を把握して行政対応をとる際に、相手方当事者がどう反応するか、そして最終的にどういう結果が生じるかを考えたうえで行政対応を選択しなければならない。そうしないと、とりわけ真面目な事業者に過剰反応を生んで、オーバーコンプライアンス(過剰な規制対応)を招きかねない。金融事業者からすると金融庁はやはり怖い存在だ。当局は過剰反応が起きることも想定し、それを織り込んで、うまいところに落ち着くよう行政対応を取らなければならない。また、平成バブル崩壊以降、金融システムの安定化に長く関わってきたが、その経験から言えることは、金融システムの安定には金融当局の信認が極めて重要であること、そして、そうした信認を高めるには時間が掛かる一方で、失うときは一瞬で失うということだ。そうした経験を踏まえれば、当局の行動がとかく慎重になりがちとなることはよく理解できる。しかし、金融システムを考えるうえでは、安定とともに金融機能の適切な発揮も求められる。金融システムに深刻な影響を及ぼすようなリスクについては確実に対処していかなければならないが、そうでないものについては当局もある程度柔軟に考えていかないと過剰対応を生じさせる。コーポレートガバナンス・コードの策定に際しては、適切なリスクテイクとそれによる収益の獲得、稼ぐ力の向上ということが言われていたが、そのように言うならば当局もある程度リスクテイクをしなければというところはある。
――仕組債がいい例だ…。
池田 仕組債については確かにかなりリスクの高い商品が存在し、それを投資判断能力の低い人に販売していたなど問題があったのだろう。それに対して当局は、顧客本位ではない、仕組債が悪い、という形で問題視した。しかし、本当は、販売の仕方、すなわち、適合性の原則が守られていない、説明義務が果たされていないという形で問題視すべきではなかったか。結果として、仕組債はすべて悪いものだと受け止められるようになってしまっている。しかし、仕組債は仕組み方でとても大きなリスクがある商品にもできるが、そうではないマイルドなミドルリスクな商品も作れるという極めて重要な金融技術だ。金融庁は東京国際金融市場の発展を標榜していると理解しているが、そうした金融技術がタブー視されるようになっては東京国際金融市場などとても実現するとは思えない。金融ビッグバン以降、商品性を規制するのではなく、説明の仕方や適合性を規制するというのが規制の流れだったと思うが、今回の進め方はそれとは異なるように見えることが気になる。[B][X]