金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

金融ファクシミリ新聞は、金融・資本市場に携わるプロ向けの専門紙。 財務省・日銀情報から定評のあるファイナンス情報、IPO・PO・M&A情報、債券流通市場、投信、エクイティ、デリバティブ等の金融・資本市場に欠かせない情報を独自取材によりお届けします。

「日鉄、米の二枚舌にやられる」

早稲田大学法学学術院
名誉教授
上村達男 氏

――日本製鉄(5401)によるUSスチールの買収計画が暗礁に乗り上げている…。

 上村 日本製鉄は買収がこれほど難航するとは思っていなかっただろう。買収計画の経済的合理性の高さが成功に結び付くと信じていたのではないか。これには田中亘氏などの今、最も読まれている会社法の教科書の考え方が背景にあり、さらに元をたどれば米国生まれの発想だ。世界で一番カネがある国である米国が、他国の株を持って支配することを正当化する論理になっている。しかし、今回のケースについて「米国の企業なのだから、米国の論理で買収することのどこが悪い」という理屈は通らない。米国は国外向けにはカネの論理を振りかざし、国内では感情と国益の論理を持ち出すという二枚舌を使うが、どの国も多かれ少なかれ似たようなものである。

――米国国内の反発が大きい…。

 上村 企業買収はそれぞれの企業のすべての人間たちにとって切実な問題だから、人間らしい感情のやり取りがあるのは自然なことだ。例えば、2005年に村上ファンドによる阪神電鉄株の買い占めがあったが、抵抗が強く結局とん挫した。甲子園球場が村上球場になるとも言われ、阪神球団の星野仙一監督が大変な怒りをファンドに向けた。バブルさなかの1989年、ソニーがコロンビア映画を買収するに当たっても強い反発を受けた。当時の米国は建国から約200年の国で、自慢できる文化・芸術は非常に少ない。メトロポリタン美術館に行くと、広大な米国美術の展示場には人があまりいないが、印象派のところは人だかりだ。その点、米国発祥であるミュージカルや映画は米国の誇りだ。仮に歌舞伎を知らない外国人が歌舞伎座を買収すると聞いたら日本人は激怒すると思うが、それに近いところがあった。今回のケースもUSスチールが「古き良き米国」の象徴たる企業だったことが反発を食らった大きな要因だ。「US」スチール、「日本」製鉄とどちらも国名を冠していることもあり、結果的に米国市民はプライドを傷つけられたと感じたようだ。最初から下手に出ていたら違ったのではないか。

――日本は感情の論理を軽視している…。

 上村 会社とは定款に書かれた事業目的を実行するための人間の集まりであり、本来は資本効率だけで評価されるべきではない。会社は会社を取り巻く人たちの生を託され、カネに関わることだけでなくさまざまなことに取り組む。人間の行動一切の価値がカネで測られれば、必ず摩擦が起こる。日本の東証が、超高速取引を推奨し、資本効率ばかりを言い続けている姿は、海外ファンドの友軍としか見えない。米国や日本のカネ中心発想は、その根源を言うと、株主を「シェアホルダー」ととらえるところに表れている。シェアホルダーは株を持つ人という意味で、カネさえあれば必ず株主になれる。この発想の延長線上で、会社は株主のもので、「株主価値最大化」が会社の目的とされ、配当だけでなく議決権まで1株1議決権で要はカネ次第となる。米国ではカネを対価に株主を追い出す「キャッシュアウト」も当たり前の世界だ。

――ヨーロッパの感覚は異なる…。

 上村 ヨーロッパでは社会を構成する人間の意思と感情がすべての基本だ。株主に対し、英国では「カンパニー」(仲間)、フランスでは「アソシエ」(結びつく人)というもう一つの呼び名があり、これは株主が個人、市民、人間であることを前提としている。配当は出資額に応じて払われるが、議決権は人間が意思を表明する権利であるから、人格単位で与えられるのが原則である。株主総会での質問も人格の発露であり、その背景には思想信条の自由という人権概念がある。米国・日本の最も弱い部分だ。フランスでは2年間株を持つと議決権が2倍になるというフロランジュ法もある。ヨーロッパでは合併・分割の対価は原則として株式だ。そこには合併とは消滅会社・存続会社の「株主の結合」が基本という発想がある。さらに、ヨーロッパでは労働者の承認がなければ合併などはできない。日本でも、もちろん普通は買収後のことを考えて労働組合の賛成を得ようとするが、法的に労働者が反対したら合併できないとは認識されておらず、株主総会さえ通れば良いと思われている。もし今回のケースで日鉄がヨーロッパ的な感覚を持っていたら、USスチールの労働組合が賛同していない状況を深刻に受け止めて、時間をかけて事を進めようとしたのではないか。

――かつては日本にもヨーロッパ的な考え方があった…。

 上村 日本は明治の法典編さん時代以降、合併についてはヨーロッパの制度を手本としてきたが、戦後のある時期から米国をモデルとしてきて今日に至っている。米国は連邦会社法のない珍しい国で、会社法も州法であり、しかも州の税収確保のための規制緩和競走としてきたため、その競争に勝ち残った小さな州であるデラウエア州会社法が米国法であるとして参照されてきた。今の日本では、たった1日だけ株主だった者や、既に株を売ってしまっているが名義書き換えが済んでいないために株主でなくなっている者すら議決権を行使することができてしまう。日本も1950年の商法改正までは、名義書き換え後6カ月を経ない者は議決権を行使できないという定款規定を置くことができるとされていて、実際にそうした定款規定を置いている会社も多かった。規制緩和は米国を真似て、米国にだけある西部劇並みの厳しい面は真似ないために、日本の制度は驚くほどに劣化している。2019年のフランスの調査団の対議会報告書では日本は「ファンドの遊び場」と呼ばれてしまっている。フランスは日本に比べたら十分な対応力があるが、それでも日本の後はフランスに来るのではないかと心配している。

――日本は買収される側も株主が人間であるかどうかを意識していない…。

 上村 株主平等原則がこれほど幅を利かせている国は滅多にない。ファンドには固有の事業目的がない。商品を製造し、サービス提供するような事業をしていないので、消費者も労働者もいない。そのような人間の「匂い」がしない株主が、日本人の市民株主と同じく株主平等原則の下で、人間・市民株主と同じだけ権利を持ち、日本人が一生懸命に働いた成果を吸い上げている。英米に株主平等原則という概念はないのだから、実に「お人好し」だ。われわれは株主が人間であるかどうかに大いに注目し、人間の代表である従業員や消費者を株主よりも数段上に位置付けるべきだ。株主は気に入らなければ株式を売れば良いだけだが、従業員は会社に生活を依存している存在だ。「もの言う株主」に「もの言う資格」があるかが常に問われなければいけない。意外なことに、日本の経営者にこのような話をするとほとんどの場合「そうだそうだ」という反応が返ってくる。周囲の弁護士やコンサルがカネ中心の頭になり切っていることが、経営者の振る舞いに影響を与えすぎているのではなかろうか。ファンドの応援団にしか見えない経済新聞の責任も非常に重い。

――まず何から変えていけばよいのか…。

 上村 私は研究者なので、法学部やロースクール、弁護士事務所等で最も読まれている教科書や司法試験対策の本などに間違ったことが書かれていることが最大の問題だと思っている。間違いとは、会社は株主のもので、会社の経営目的は株主価値の最大化であるといった記述と、そうした観念を前提にした多くの記述だ。私はこれまでにもそうした発想を散々批判してきたが、反論されたことも議論しようと言われたことも一度もない。出版界や実業界なども今実施している実務を支える発想を変えようとはしないように見える。結果として、日本企業は配当や自社株買いの原資を確保するために、内部留保を貯める、設備投資をしない、賃金を上げないといった行動に出ている。政府は外資ファンドへの還元を野放しにしておいて「賃金を上げろ」と盛んに言う。最優先されるべきは日本の個人や市民が主役の、公正な資本市場と一体の株式会社法制の確立なのだが、肝心なことには関心がないようだ。

――日本の会社法の見直しが必要だ…。

 上村 諸外国にはある企業買収に関するトータルな法制が日本にはない。有名なのは英国の「テイクオーバー・コード」で、各場面に対応したルールがきめ細かく決められている。例えば、買収のうわさが出た段階で「テイクオーバー・パネル」(執行機関)がうわさの企業に「put up or shut up」(やるのかやらないのか)と迫り、「やらない」と言ったら、その後6カ月間は買収を行ってはならない。相当数の株式を買い集めたら残りを全部買え、という全部買付義務等の詳細なルールもある。これらのルールを敵も味方も順守するに決まっているため、英国には敵対的買収という概念がないと言われる。米国でも「反テイクオーバー法」という州会社法が各州に存在しており、いわば買収防衛策が法になっているような状況だ。日本では、企業は買収防衛策を弁護士事務所から買ってきた。しかし昨今は、買収防衛策の導入自体を批判するファンドや、ファンドの友軍であるISSのような議決権行使助言機関の言いなりになって、導入した防衛策を廃棄する企業が増えており、日々怪しいファンドにとってやりやすい環境が整備されつつある。買収法がない日本で、防衛策もなくなれば、日本は強欲なファンドに対して、裸で素手で立ち向かえと言われているに等しい。ルールの水準が低く、しかし小太りで美味しそうな日本は、いつまでも怪しいファンドにとっての「えさ場」であり続けるようだが、その間低賃金、低物価でもおもてなしと誠実さを発揮し続ける日本の庶民の美徳に頼り続けるのが日本の政治なのか。[B][L]

▲TOP