東京大学大学院
農学生命科学研究科 特任教授
鈴木宣宏 氏
――コメ不足をはじめ、農業や食料安全保障に関して気になるニュースが多い…。
鈴木 コメの不足は政策の失敗が原因だ。多くのメディアは去年の猛暑による生産量減少とインバウンド需要の増加が原因だと報道したが、どちらも実はわずかな変化であり、本質的な説明ではない。平時からぎりぎり需要に足りる生産量に追い込んでいることが問題だ。過去数十年、財政負担を減らしたい政府の思惑の下、減反政策が進められてきた。コメの生産コストは約2倍に上昇し、供給過剰となれば安く買いたたかれ、生産をやめるコメ農家は増え続けている。また、同じ問題が酪農でも起きている。脱脂粉乳の在庫が余り価格の下落が続いているため生産調整が必要だとして、4万頭の乳牛を殺すことを目標とする政策が2023年につくられた。輸入飼料が高騰しても政府は赤字を補てんせず、酪農家にしわよせが行く。そのうちバターなどの需給がひっ迫することは目に見えており、案の定バターは足りなくなったが、子牛から牛乳を絞れるようになるまでには3年以上かかるため、緊急輸入をせざるを得なくなった。あまりにも短絡的な政策だ。
――日本の農業の先行きは…。
鈴木 先行きは暗い。3月の「食料自給の確立を求める自治体議員連盟」と農水省との意見交換会での農水省の事務方の説明によると、政府はもはや食料自給率改善に向けた生産増の取り組みにはお金を出さない方針だ。農水省の事務方は「今まで政策は十分やってきた。潰れる方が悪いのだ」という主旨のことを言っている。以前ならそんなことは言わなかったはずで、非常に驚いている。そして、「農業従事者は20年後には激減してしまうが、これはもうどうしようもない。大企業が農業に参入しやすいように規制緩和だけはしておこう。大企業による輸出やスマート農業があれば『バラ色』だ」という議論が前面に出てきた。このままだとまともに生産現場を支えるような政策は出てこない。さらに、6月には、有事の際に花き農家も含めすべての農家に強制的にサツマイモを作らせるという食料供給困難事態対策法が可決された。今苦しんでいる農家を支援せず放置しておきながら、「いざとなれば罰金で脅して無理やりつくらせれば何とかなるだろう」という大変勝手な発想だ。そんなことができるわけも、して良いわけもない。最近の農業政策の動向を見ていると、「非効率」なものを予算を割いて守る必要はないという議論が政府のなかで高まっているのではないかと感じる。
――日本の農業政策の根本的な問題とは…。
鈴木 戦後の日本は、米国から圧力を受け、食料を国内で賄うのではなく輸入に頼る方向へ政策をシフトしてきた歴史がある。米国としては、日本が自給自足できるようになると支配できなくなるため、日本の農業を制限することは占領政策の一つの柱だった。米国は余剰生産物を日本に送り込み、日本政府もそれに従う形で農産物の関税撤廃などを推進した。そして、日本政府は、貿易自由化の下では購買力があれば必要な食料をいつでも十分に輸入できるという考えに立ち、農業への投資を控え工業など輸出産業の成長を優先させてきた。また、食料を輸入に依存する体制の原因は、日本人の食生活が米国の農業政策ありきで変えられてきたことにもある。戦後にGHQが学校給食を作ったことをはじめとして、さまざまな取り組みが行われてきた。厚生省が設立した日本食生活協会による「食生活改善運動」(1956~1961年)は、キッチンカーを全国に走らせて小麦や肉をとる欧コメ型の食生活を広めるキャンペーンを行ったが、やはり米国からの資金援助があった。また、1958年には慶應大学医学部教授による「コメを食べるとバカになる」と主張する本が出版され話題となったが、これも米国から資金援助が行われ執筆されたと言われている。敗戦後の日本では自国の文化を卑下し欧米の文化に憧れる風潮が強かったため、日本人は積極的に食生活の変化を受け入れた。このようにして、日本の食料自給率は約38%(2023年)と世界的に低い水準となってしまった。
――農水予算の削減は新自由主義的な切り捨ての論理だ…。
鈴木 元をたどれば、新自由主義も米国にたたき込まれたものと言える。米国は世界中から留学生を受け入れ、貿易を自由化し世界的な分業を行えば、食料は安くなり世界中が豊かになると教えた。そのような新自由主義的な考え方を米国で学んで帰国した人たちが日本の政財界にどんどん増えていき、予算削減や規制撤廃を進めていった。しかし、そもそもの前提となる、みんなが同じ力関係・同じ条件で競争すればみんながもうかるという「完全競争」の論理は現実にはあり得ない。実際には家族経営の農家や中小企業と、政府のバックにいるようなグローバルな大企業が競争するからだ。そして、大企業にとってはみんなを守っている規制を破壊すれば自分のふところに利益が集中することになる。私は、近代経済学そのものが実は「今だけ・金だけ・自分だけ」の理屈であり、一部の大企業や富裕層がみんなからむしりとってもうけることを正当化してきたのではないかと思う。そのことに気付いていない経済学者も、気付いたうえでグローバル企業と結びついている経済学者も、一部の人だけがもうかる経済社会をつくることに加担してきたということだ。それは、米国のバックにいるグローバル企業の思惑にも合致してきたことになる。
――グローバル企業の影響力は強い…。
鈴木 米国政府はグローバル企業の意向で動いており、日本政府は米国の意向で動いている。一例が種子法廃止・種苗法改定だ。これまでは地方自治体が国の補助の下で安くて良い種苗を作って農家に供給してきたが、2017年の種子法廃止によりこの仕組みがなくなり、2022年の種苗法改定で農家が自分で種取りして増やすこと(自家採取)も制限された。これによって、農家は毎年グローバル種子農薬企業の売る種を買わなければ生産できなくなる可能性が出てきている。近年、種子農薬大手は世界中で関連企業を買収しており、各国の農家、市民は反発してきた。動きにくくなったグローバル企業がラストリゾートとして日本で徹底的にもうけようとするのはよくあることで、種苗法改定の裏でも米国政府を通じた働きかけがあったと考えられる。政府は改定に当たって、米国からの要請があったとは言えないので、シャインマスカットなどのブランド品種が中韓に流出したことを受け大事な種を守るためだと国民に説明した。結局は国民をだまし、グローバル企業に利益をもたらすための条件整備をしていたということだ。また、関連して、種子法廃止と同年に農業競争力強化支援法がつくられたことも知ってほしい。農業競争力強化支援法は、行政の種苗の知見について民間事業者への提供を促進することまで定めている。
――これからの食料安保はどうあるべきか…。
鈴木 世界情勢が悪化するなか、食料を輸入に依存し、購買力を維持することが食料安全保障だというこれまでのあり方は通用しなくなっている。貿易自由化論の大きな欠陥は、他国に貿易を止められたらどのように命を守るのかというコストが一切勘定に入っていないことであり、日本は特に認識が甘い。例えば、中国は有事に備えて14億人が1年半食べられるだけのコメの備蓄を行っている。一方、日本のコメの備蓄は約100万トンで、国民が1.5か月で消費してしまう分量だ。国内の農業が弱っているなか、これだけの備蓄でどれだけの命が守れるというのか。現在、コメは減反により年700万トンの生産にとどまっているが、年1300万トン生産できるポテンシャルはある。旧型の米国製巡航ミサイル「トマホーク」を買う43兆円があるならば、コメの増産を進め備蓄を1年分程度に増やすことこそが、まず安全保障としてやるべきことではないか。この点、今回のコメ価高騰の背景として、備蓄米を米国からの要請で秘密裏にウクライナ支援に回していたために、備蓄米放出による価格調整ができなかったという事実もあることを忘れてはならない。こうした食料安保の議論が十分にできていないのが日本の危うさだ。今、踏みとどまって日本の地域農業を守る政策をとらなければいけない。[B][L]