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「スタンフォード大躍進の秘訣」

スタンフォード大学
電気工学科名誉教授
西義雄 氏

――1986年から米国で暮らす…。

 西 シリコンバレーで一貫して研究開発に携わってきた。86年よりヒューレット・パッカード研究所に勤めた後、95年からテキサス・インスツルメンツのR&D(研究開発)担当の副社長を務めた。その後、スタンフォード大学にフルタイムの教授として招へいされた。当大学は1891年に創立し、50年代のシリコンバレーに電子産業を興す動きのなか、ベル研究所やハーバード大学などから優秀な人を引き抜いて発展した。特にこの30年間の躍進は目覚ましく、周辺のスタートアップ企業の創業者は当大学の卒業生が圧倒的に多いうえ、当大学にくる学生の質も向上してきた。米国の人口は3億人弱だが、潜在的に米国で活躍したいという人は少なくともその10倍はいる。莫大な人口のうちの上澄みが米国の多様性の下で独創的なものを生み出しているのだと感じる。当大学の副学長が言っているのは、「優秀な人であれば誰でも受け付ける。世界中のどこから来ようが、その国の政治や思想が何かなどは問題としない」ということだ。今、当大学の学部入試は100人中3.5~4人が受かる程度の倍率で、米国で3本の指に入る難易度だ。学部生が約8000人弱、大学院生は1万人弱と、大学院に重点を置いている。

――ハイレベルな研究者が集まる環境がつくられている…。

 西 夏涼しく冬暖かいほぼ理想的な気候に加え、優れた多様な人材の集まるダイナミックな環境がハイレベルな研究者、技術者を引き寄せる原動力だ。大学としても、物価高のサンフランシスコ・ベイエリアでは、フルタイムの教授の年俸を15万~30万ドル程度として対応している。優秀な人を雇うためにはそれなりの給料が必要だということだろう。1つの教授のポジションには100人以上の応募があるが、応募者数などが基準に満たなければ、募集そのものを取り消すことすらある。世界レベルの研究者が競争して集まらないような科目ならば教えても仕方がないという考えで、「古い」科目が自然淘汰して新しい科目に変わっていく仕組みだ。当大学の財源は多様で、約8000エーカー(約980万坪)の土地から生まれる収入や、高級品を中心に扱う敷地内の大型ショッピングセンターからの収入があるほか、米国国立科学財団、DARPA、米国国立衛生研究所などの政府機関、企業等からの委託研究費などだ。特筆すれば当大学の場合は、有力スタートアップの創業者となった卒業生などから合計2500億円程度の寄付があり、さらに大口の個人からの寄付もありおよそ2兆円規模の年間総支出を支えている。このため大学の学費依存度の割合は10%と日本の国立大学より低く、教授1人当たりの学生数が7人程度の密度の高い教育、研究を可能としている。

――スタンフォード大学の教授の働き方は…。

 西 教授の働き方は、1週2科目程度の講義とそれに伴う2時間程度かかる課題を出し都度採点する教育の部分に加え、学生の研究指導(大学院)、研究費獲得のためのプロポーザル作成、昼食を兼ねた教授会または学科を超えた議論など、大変忙しいことは確かだ。さらに、外部との技術的なコンタクトとして週1回外で働くことが許されているので、企業の社外取締役を務めることや卒業生の起業にアドバイスをすることなどを通じて外部ネットワークを作ることも可能で、それらが自身の研究教育にも大いに役に立つことにもなる。ただし大学の業務との利益相反がないというのが大前提だ。教授の人事評価基準の1つが学生からの評価であることも忙しさに拍車を掛ける。毎クオーターの終わりに受け持つ講義の受講者に、5つほどの項目について5段階でチェックされる。カリキュラムを十分こなせる実力と経験があるか、教授の講義を聞いて何かインスピレーションを受けたか、学生とのコミュニケーションが取れているか…。講義の最中に「どうだったっけ」とつぶやいたりすれば最低の評価がついてしまうだろう。講義を開いた日には学生が質問に来られるように1時間をスケジュールに空けておかなければいけないし、休講はだめ。学生も真剣であれば教授も真剣でなければ成立しないシステムだ。このほか、大学による教授の評価基準には、その教授の研究室からどのような論文が出ているか、どのような人材が出ているかという視点もある。マサチューセッツ工科大学など、当大学と同レベルの大学の似たような経歴の教授との比較になる。

――卒業生との交流も多い…。

 西 卒業生との交流は非常に活発だ。教授と学生の間のバリアは一般的に低く、私の研究室の卒業生も、話がある時に「一緒に食事でもしながら、こういう課題を抱えているのでアドバイスをいただけませんか?」とEメールを送ってきてくれるので、もちろん快諾する。大学教授になった卒業生からは共同研究の誘いもある。私の研究室の博士卒業生36人の5~7割は米国の大企業に入社したが、なかには就職後に博士論文でのアイデアをベースに起業するという人もいた。創業者として大成功している人はまだ出ていないが、起業する人は当大学でビジネスを学んできた別の卒業生と組んだり、在学中にビジネスの講義を取ったりしてマネジメント面を整えるようだ。

――米国では日本より質の高い論文が生まれるといわれるが、その要因とは…。

 西 論文を出すということは、まず論文のネタになる研究をするということだ。米国では異分野、外部の研究機関との共同研究がしやすく、結果として中身の濃い論文ができるので論文審査を通りやすい。これは、日本に比べ他の教授、他学部、あるいは他大学との間のバリアが低く、一緒に論文を出すまでの過程において自由度が高いためだ。私の研究室の学生が医学部の教授の講義を受けた後、自分の研究についてその教授に意見を聞きたいということがあればこれは大いに歓迎する。私の研究室も医学部の研究室と一緒に研究したことがあるが、異なる分野の人と協力することは、用語から異なり、非常に大変だ。だが、それを努力して乗り越えると、考えつかなかったような意見が出てくることがある。海でのアナロジーでいえば、多様な魚が最も獲れるところは親潮と黒潮がぶつかるところであるのと同様に、新しいアイデアは他分野と相互協力で生まれることが極めて多い。

――さまざまな分野に関心を持つことが重要となる…。

 西 当大学の卒業生を採用する企業にとっても、自分の専門と異なる分野にも関心を持って研究してきたような学生は、専門分野しか知らない学生と比べてはるかに魅力的となる。もちろん分野によっては限られた範囲の事象を突き詰める仕事が重要かもしれないが、エンジニアリングの世界ではさまざまな分野を理解していた方が良い。例えば、かつては電気電子で活躍するためには電気工学を勉強していれば良かったが、今は機械工学や生物学の要素も理解しなければならなくなった。そして、変圧器や電動機などを高等専門学校や工業高校では教えてもトップクラスの大学ではほとんど教えなくなった今、「自分は半導体しかやっていないから半導体しか知らないよ」という人も、しばらくは活躍できるかもしれないが、そのうち半導体もトップクラスの大学では教えない「古い」内容になっていくかもしれない。どのような方向へ分野が成長し変化していくかということを考えながら研究をしていくことが重要であり、そのためには異分野との交流は必須だ。

――工学を学ぶ学生にアドバイスを…。

 西 やはり一度興味を持ったことを一生懸命やることだ。朝早くから夜遅くまで夢中になって取り組めば、そういうものがどんなことに使えるのか、実社会にどう貢献するのかということにまで自然と興味が出てくる。それが一番大事で、はじめから役に立つかどうかというのは考えてはいけない。テキサス・インスツルメンツ時代、私はジャック・キルビー氏(ICの発明者、2000年のノーベル物理学賞受賞者)と親しくさせていただいたが、彼は若い人から同様の質問を受けると「自分がやりたいことを夢中になってやっていると、いつの間にか自分がこうありたいと思っていた自分になっていることに気が付く」と言っていた。まさに名言だと思う。

――研究生活のなかで忘れられない出会い出来事は…。

 西 たくさんあるので困ってしまうが、1つはウィリアム・ショックレー博士(トランジスタの発明者、56年のノーベル物理学賞受賞者)との出会いだ。彼が当大学の教授だったころに話す機会があったが、半導体の話だけでなくさまざまな分野に造詣があり、知識の広さ、深さに驚いた。もう1つは、ある理論物理学の教授と学生時代の話をしていた時、シュトルムの『みずうみ』の話題を出したら彼がその最初の段落をすらすらとドイツ語で書き下ろしたことだろうか。ただ、最もショックを受けた出来事といえば、実は小学5年生の算数の授業だ。日本の小学校に通っていたので、そろばんをやらされていた。ある時先生が「そろばんを一生懸命やったらいいことがありますよ」、なぜならそろばん名人と電動計算機を競争して計算させたらそろばん名人の方が早かったのだ、と言った。それを聞いて将来は「計算機」の方を扱おうと決めた。名人にならなければ計算機に追いつかないのなら、いくらそろばんをやっても仕方がない、と思ったわけだ(笑)。[B][L]

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