NPO法人森は海の恋人
理事長
畠山篤 氏
――「森は海の恋人」とはどういう意味を込めているのか…。
畠山 私は宮城県の気仙沼で牡蠣やホタテなどの養殖業を営んでいる。海には魚や貝をはじめあらゆる生き物がいるが、そのすべての源は植物プランクトンであり良質な植物プランクトンが存在すれば、黙っていても品質の良い海産物が育まれる。私は36年前から気仙沼の海に流れ込む大川の上流、岩手県の山々で落葉広葉樹の植樹を行っているが、これはその腐葉土に含まれる成分が植物プランクトンの活動を活発にして海を豊かにするためだ。漁場の近くの森林、「魚つき林」が失われると魚がいなくなってしまうことは遠い昔から知られており、明治時代までは守られてきたが戦争のための資材として森が切られてしまった。戦後には住宅用建材の確保のために針葉樹が植えられてきたが、これでは海を育めない。気仙沼は漁業だけでなく歌も盛んな地域で、代表的な歌人の熊谷武雄が「手長野に 木々はあれども たらちねの柞(ははそ=クヌギやナラの古語)のかげは 拠るにしたしき」と詠んでいる。木々の中でも特に、クヌギやナラは母のそばにいるようで心が安らぐという意味なのだが、海を育むためにはこの母なる柞の森を再生する必要がある。こういった森と海との関係性から「森は海の恋人」というスローガンを掲げて活動を行っている。
――広葉樹の腐葉土がどのように海を豊かにするのか…。
畠山 人間をはじめとした動物にとって鉄分が重要なことは広く知られているが、植物にとっても鉄は重要だ。光合成を行う葉緑素が作られる際には鉄が必要となるためだ。昔から盆栽の松には釘を刺せと言うがこれだ。海中の植物プランクトンにとっても鉄分が必須であり、海に鉄を撒くと葉緑素が沸き立ち牧草の青い匂いがする。それぐらい鉄はものすごいものだが、海中では数日で酸化して海底に沈んでしまうため岩石などから川に染み出した鉄がそのままの状態で海中に流れ込んでも効果が限定的だ。この、鉄分が海中に長くとどまらないという問題を解決するのがクヌギやナラの腐葉土に含まれているフルボ酸という物質だ。鉄分が溶けている水にフルボ酸が混ざると鉄と化合し、水中で酸化せず沈まない好条件の物質、フルボ酸鉄ができる。このフルボ酸鉄が豊富に流れ込むことで植物プランクトンが活性化し海が豊かになる。このような関係性を北海道大学の松永勝彦先生が30年前に明らかにした。
――CO2の問題とも関係してくる…。
畠山 光合成によるCO2の固定化は陸上の森林によるものがイメージされるが、海中の植物プランクトンによっても行われる。つまり海にも大森林があるということだ。南極大陸の周囲には広大な海があり、植物に必要な三大栄養素である窒素・リン酸・カリウムが豊富に存在しているが植物プランクトンは少ない、ハイニュートリエント・ロークロロフィル(高栄養低葉緑素)な状態にある。これは南極の海に鉄が不足していることに起因しており、40年前にこの事実を突き止めたアメリカの分析科学者ジョン・マーティンは「私に30万トンの鉄の粉を与えてくれれば、地球を寒冷化して見せる」と言ってネイチャーの表紙を飾った。
――鉄を地球上にばらまけば光合成が進むため、地球が寒冷化すると…。
畠山 地球は寒冷期と温暖期を繰り返している。南極のボストーク基地では氷床のボーリング調査が行われているが寒冷期の氷の層では黄砂のような鉄の粉が観察されており、鉄分の供給量と寒冷化の関連性が示唆されている。近年、気仙沼でカツオが豊漁であるが、黄砂が飛来するようになった時期と重なるため、これも関連があるのではないかと考えている。前述のとおり鉄は海中で酸素と結合して錆びて海底に沈んでしまうので、その効果は数日ほどしか続かない。しかし、フルボ酸鉄であれば非常に効果がある。フルボ酸鉄をタンカーに積み込み南極の海に撒くことができれば、光合成により大量のCO2を固定化できる見込みがあり、温暖化問題の解決に繋げられる可能性があると考えている。その必要量など様々な課題はあるが、フルボ酸の量産化の研究も進んでいる。現在の化石燃料の使用を前提としたシステムでは効率化を図っていったとしても問題の解決は難しく、光合成に頼っていくほかない。製鉄業においては特にCO2を大量に排出するが、鉄がないと光合成ができないという、鉄とCO2の面白い関係性に救いもある。
――この好条件の物質が腐葉土からできる…。
畠山 日本には約3万5千の川があり落葉広葉樹の森からフルボ酸鉄が海に流れこむことで海産物がよく育っているが、流域に多くのダムが存在することでフルボ酸鉄が海まで届かず、ダム湖の底に沈んでしまう問題がある。日本の高度な土木技術によって、フルボ酸鉄をうまく取り出して無駄にせずにすむ方策を講じることができないか、また、人口の減少に伴い従来ほどダムが必要でなくなっているため、ダムを壊して数を減らすなど、この国のグランドデザインをそこまで視野に入れて考えなくてはならない。その点、全国で植樹が行われているが、重要なのはその場所が緑化されるというだけのことではなく、フルボ酸を供給する源になっていることだ。ゆえに植樹のコンセプトは「森は海の恋人」であってほしい。徐々に柞(ははそ)の森に変えていくことで海産物の育成とCO2の削減につなげていくことができればこの国は大丈夫だ。長年の植樹活動を通じて皇族と交流する機会にも恵まれ、森と海の関係性について何度も上皇ご夫妻にお話をする機会を頂くことができた。また、そのようなご縁があり「森は海の恋人」の活動が英語の教科書に載ることになった際には、このスローガンの英訳を美智子さまにお願いしたところ、「long for」という熟語を使ってはどうかと素晴らしいご提案をいただいた。「The sea is longing for the forest」すなわち海はフルボ酸鉄を届けてくれる森をお慕い申し上げておりますということだ。[B][HE]