金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

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「最も住みたい田舎いすみ市に」

いすみ市長
太田洋 氏

――いすみ市では有機農業に注力されているが、きっかけは…。

 太田 いすみ市が位置する房総半島は古くから米中心の農業地帯だが、米価の下落や後継者不足によって、バブル崩壊以降の日本経済と同じように、ここ20年ほどは農業経営が厳しい状況が続いていたことが背景にあった。市内の米農業をどう再生していくかを考えていたころ、2011年に関東地方の自治体が有志で結成したコウノトリ・トキの舞う関東自治体フォーラムが立ち上がった。これは、コウノトリとトキを指標にした水辺環境の保全・再生と地域振興を目指すもので、主に江戸川や荒川流域の自治体が中心だったが、房総半島の飛び地として設立当時からいすみ市も参加し、当初はコウノトリの飼育を行うことを決めた。ただ、議会にコウノトリを飼うと宣言したときは「すぐに諦めるから大丈夫だよ」と一応賛意を得たものの、その翌日に市民から「コウノトリを飼うよりも明日の農業を考えた方が良い」との指摘を受け、コウノトリの飼育は止めることにした。餌代や人件費が年間数千万円と非常に高額で、財政的に難しいことも原因だった。そこで、いすみ市では代替案として有機農業を展開し、結果として人もコウノトリも住める地域をつくることを目指すことにした。

――有機農業の導入には反対意見も多かったと…。

 太田 戦後日本に根付いた農業は、農薬や化学肥料を使用して、効率良く収穫を上げる方法だ。これに対して、いかに農家の反発なく、かつ議会の反対もなく、有機農法による米作りを進めるかが正念場だった。そこで、議会にコウノトリの飼育は止め、コウノトリが飛来する環境をつくるために有機農業を始めると再宣言したところ、「コウノトリと同じようにすぐに諦めるよ」と賛成してもらったが、2013年に有機農業を開始したときは惨憺(さんたん)たる結果で、雑草は生い茂るうえ収穫もわずかで、挙げ句の果てに農家から損害賠償を請求すると言われてしまったほどだ。市役所の担当の農林課と有機農業を止めようかと考えたが、農林課からもう少し続けてみましょうと提案され、有機農業の先行地域だった兵庫県の豊岡市に助力を求めた。そこで豊岡市からは「わざわざ寒い日本海まで来なくて良い、栃木県に有機農業の第一人者の稲葉光國先生(故人)がいる」と教えてもらい、すぐにNPO法人民間稲作研究所の稲葉先生を訪ねて協力を仰いだ。2014年からは稲葉先生のもと、いすみ市農林課を中心に夷隅農業事業所とJAいすみが連携し、いすみ市の土壌や気象条件に合った有機稲作の技術体系を確立した。そして、2015年には有機米4トンを学校給食へ提供し、2017年には学校給食の全量となる42トンを提供することができ、ブランド米「いすみっこ」を確立した。この間、市民向けのシンポジウムを数回開催し、理解を深めたことが良かったと思う。

――この有機米の学校給食への提供も全国から注目されている…。

 太田 有機米の生産が軌道に乗ったとき、私は、これでいすみ市の農業経営は安泰だと考えたが、農家から「有機米は金もうけのために生産したのではない、こどもたちに提供しよう」と提案され、これを学校給食へ提供することにした。本来は農家の収入向上を目的にしていたため、これに沿った適正な価格でいすみ市が有機米を買い取ることを決めた。それでも本来なら60キログラム当たり3~4万円の価格が付くはずの有機米を、農家のご厚意によって60キログラム当たり2万円で買い取っている。ただ、有機米の販路を行政が確保したことで、農家も安心して有機米を生産できる面もある。こうした取り組みが奏功し、2013年に有機農業に取り組む前は有機農業者がゼロだった状況から、4年間で有機米「いすみっこ」の産地を形成することができた。

――学校給食導入の成果は…。

 太田 こどもたちはおいしいお米を給食でおかわりをするようになったため、残食が減少した。2017年には18.1%だった学校給食のご飯の残菜率が、有機米に100%切り替えた後に年々減少し、2020年には10%となった。いすみ市では、有機農業とともに学校での環境教育も行っており、どうやって有機米を栽培しているのか、なぜ有機米を栽培するのか、なぜ有機米が健康に良いかということを教えているため、こどもたちも農家の苦しみや大変さを学び、大切なお米を残してはいけないという気持ちが育っている。

――いすみ市は住みたい田舎ベストランキングの首都圏エリアでトップとなった…。

 太田 いすみ市は、『田舎暮らしの本』(宝島社)2024年2月号「2024年版 住みたい田舎ベストランキング」にて、「総合部門」「若者世代・単身者部門」「子育て世代部門」「シニア世代部門」のすべての部門で首都圏エリア第1位の評価を受けた。さまざまな観点から評価いただいたと考えているが、いすみ市は海、里山、田園地帯の全てを持つなど、千葉県のなかでも食材に富んでいる市だ。いすみ市は平成の大合併によって夷隅郡夷隅町と大原町、岬町が合併した市だが、大原は海の町、夷隅はブランド米の産出地、岬は果物、野菜の栽培地と、特色ある3地域がうまく併存している。食材の豊富さは他の地域にはない強みで、合併してから23品目の農水産品をブランド化し、いすみ市の知名度向上に取り組んでいる。東京から大原駅までは外房線の特急で70分とアクセスも良好で、海や里山には自然豊かな環境が広がっていて、魅力ある地域だ。行政面では、人口減少、少子化が進むなか、結婚から妊娠、出産、産後ケア、病児保育、保育、小学校、中学校と、一貫して子育て施策の充実を図った。乳幼児医療費助成や保育料の減額、婦人科をもつ病院で妊婦検診を行うほか、産後ケアへの支援も行っており、5年前には子育て支援の最終目標と位置付けていたこども園、保育所の給食や、小学校、中学校の学校給食の無償化も達成した。医療面では、いすみ医療センターと市内10箇所のクリニックで対応している。加えて、高齢化への備えも合併前から進めており、いすみ市内には特別養護老人ホームが5箇所、グループホームが6箇所、ショートステイできる施設が9箇所、デイサービスセンターが15箇所あり、シニア世代の移住にも対応している。このほか、障害者施設も2箇所あり、障害者の働く場所も4箇所用意しているなど、大きな病院はないが、福祉施設も充実している。

――市の財政は…。

 太田 人口3万5000人の小さな市なので、自主財源は小さく財源に限りがあることは事実だ。できるだけ効率の良い行政を心掛けている。子育て施策や福祉、医療などに重点配分し、若い世代と高齢者世代が安心して暮らせることが大切と考えている。子育て支援は人口問題であって、そもそも国策として政府が行うべき内容だが、人口の取りあいがある限り、地方自治がやらなければとの思いで、いすみ市として率先して取り組んでいる面もある。

――今後の抱負は…。

 太田 確実に人口減少や少子化が進んでいるという危機感がある。いすみ市は房総半島の東南部に位置する地域だが、産業は農業や漁業といった一次産業に限られており、厳しい状況にある。一次産業を救うためには有機農業しか道がないと考え、有機農業を推進してブランド化を行った。一方、地域全体として産業形成が行われていないため、なかなか若い人が定着しない面がある。これからの地方自治体には、産業形成や雇用の場を確保するような政策が求められると思う。いすみ市では現在、高規格道路の誘致を行っているところだ。豊かな自然環境を大切にして、環境と経済の両立から新たな産業を生み出して雇用を増やし、国の2050年の想定人口よりも上向きのなだらかな人口減にし、心豊かに健康な生活ができる、小さくても光ナンバーワンのいすみ市を作りたい。[B][N]

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