拓殖大学
国際日本文化研究所教授
ペマ・ギャルポ 氏
――本紙がインタビューを行った5年前と比べてチベットの現況は…。
ペマ 昨年、中国はチベットに関する白書の英語版の地名をこれまでの「チベット」から「シーザン(西蔵)」の表記に変更した。他国のチベットに関する干渉をけん制する狙いがある。チベット人からすれば「中華」はバーチャルであって存在していないのだが、中国政府からすると、チベット人は56民族からなる「中華民族」の1つの「チベット民族」であり、その認識を広めたいということだ。このように、習近平体制が続くなか、5年前と比べて同化政策は急速に進んでいる。ほかにも、5歳以上の子どもが事実上強制的に寄宿学校に入れられ、中国語や漢民族の文化を教え込まれる状況が続いているほか、チベット仏教の寺院などが観光スポットとしてのみ維持されている、ダライ・ラマ14世の写真や肖像画を所持していると逮捕されるなど、チベットの言語・文化が徹底的に排除される状況だ。一方で、チベット経済は政府のインフラ整備をテコに発展しているように見えるかもしれない。中国側の統計では観光客が年間2000万人台まで増加しているという。しかし、中国政府がチベット観光を奨励しているのは、50元札の裏にポタラ宮(歴代のダライ・ラマの居城、チベット仏教の総本山)が描かれているのと同様、チベットを中国の一部とする既成事実をつくる動きだ。チベット人が政治的・宗教的な活動をしなければ多少の商売はできるというのは事実だが、観光産業は漢民族系の資本で占められており、チベット人自身はあまり潤っていない。また、鉄道・飛行場の建設は、ビルマ・インド・ネパールなどの隣国に対する軍事的警戒の目的もあり、チベット人のための開発ではない。このほか、インドのブラマプトラ川、東南アジアのメコン川などの国際河川はチベットに上流があることから、中国政府が他国の合意なしに強硬的にダム・水力発電所建設などの開発を進めている問題も顕在化している。
――チベットからの難民がさらに増えているのでは…。
ペマ チベット人は国外に出ることも難しくなっている。まず、インドとの国境に中国が軍を配備するようになっている。また、2022年、ネパール大統領にネパール共産党「毛沢東主義派」ダハル首相が就任し、同国が難民を中国に送り返すようになった。ただ、最近はそれ以上に、中国経済が傾くなか、中国が自国民に国内にとどまるように圧力を強めている状況がある。例えば、中国国内から外国に、親から海外留学中の子どもに対してであっても、簡単に送金できなくなった。また、海外に渡航する中国人は、旅券(パスポート)を作るときに調達金を預けなければならない。もっとも、これらの制度から分かる政府の狙いと反対に、国民が国外に移住したり財産を持ち出したりする動きは活発になっている。
――これまでチベットと中国政府との対話は行われてきたのか…。
ペマ 1979年から2012年までは中国政府との対話が成立していた。私の兄のロディ・ギャルツェン・ギャーリ・リンポチェはチベットの政治家で、2010年代前半にはチベット自治区の主席代表を務めていた。兄と私は子どものころにチベットから国外に移住しているが、1980年に3カ月間、中国政府に招待され、私と交渉代表の兄を含めて5人で現地の実態調査に行ったことがある。1966~1976年の文化大革命の後で中国国内の混乱が続いていたため、鄧小平元最高指導者は外交的なポーズとしてチベット問題に取り組んでいた。私たちチベット亡命政府側は、本来のチベットはチベット自治区に加えて青海省・四川省・甘粛省・雲南省のチベット自治州までの範囲を含むものだと考えており、当時は中国政府もそれを認めていた。また、「チベットの人口の8割に当たる経済的に裕福でない農業従事者の生活を向上させる」「学校でチベット語を教えてよい」「寺院を維持してよい」という条件での話し合いがなされていた。その後も、2008年の北京オリンピック開催に向けて、基本的に中国政府はチベット問題について対話の姿勢を取っていた。チベット政府が「高度な自治さえ認められれば独立は求めない」という譲歩案も出し、解決へ前進するかと思われたが、2012年により具体的な話をしようとしたところ、手のひらを返された。習近平体制になってからというもの、チベット政府と中国の対話は全くない。昨今、残念ながら世界的に情勢が悪化している関係で、各国メディアでチベットのニュースはあまり取り上げられていないが、状況が改善しているわけではない。問題を伝え広め、政府に抗議する手段として、1989年ごろまではデモが行われていたが、その後、5人以上の人間が集まる許可のない集会に対する取り締まりが行われるようになった。抗議の手段がなくなったチベット人の一部は自身に油をかけて「焼身抗議」をしてきた。私はこれまでに少なくとも160人が自死を選んだと把握している。ここ数年は自死をほう助した人や自死者の親族も罰せられるようになり、そのようなニュースもあまり聞こえてこなくなった。
――習近平氏の目標とは…。
ペマ 習近平氏は建国100周年を迎える2049年までに世界のリーダーになると宣言している。これは中国共産党が当初から持つ目標で、本来他国に知らしめるようなものではないが、毛沢東氏による「建国」、鄧小平氏による「経済発展」と「香港返還」に並ぶ功績を習近平氏は残そうとしているようだ。習近平氏の計画通りに中国共産党の影響力が強まることは、民主主義国家にとって、人権や自由、民主主義といった価値観を維持するうえで見逃せない。その点、台湾問題については、中国による武力行使、短期間の戦争は起こり得るため、警戒が必要だ。長期的な戦争は、ロシアのウクライナ侵攻の経過のように、日本も含め世界各国を相手取る形になり勝ち筋がない。いま中国が台湾の問題について息をひそめているのも、ロシアの劣勢を見ているからだろう。開戦後の経済の悪化も予想でき、習近平氏が自身の立場を守るうえでも、少なくとも2025年までは行動に移さないだろう。私から見ると、いまの中国は「運」が向いていない。習近平氏はあの手この手を使っているが、ほとんどすべて成功していない。
――中国のあり方が変わる可能性は…。
ペマ 日本人、特に経済人は、中国は爆発寸前の火薬庫だと知るべきだ。遅かれ早かれ国民の不満が吹き上がり、クーデターが起きるのではないかと見ている。中国の弱点は国内の留学経験者だ。中国には海外で民主主義社会での暮らしを知った、いわば「自由の空気を吸った」人たちが相当数いる。これは、鄧小平氏の「改革開放」の下で留学政策が推進されたことが理由だ。当時は党内に「資本主義社会に染まってしまう」と懸念する意見もあったが、「口減らし」や外貨獲得の狙いもあり、「人口が多いのだから、千人に一人が帰ってくればよい」という主旨で始まった。結果的に、中国に帰国したのは留学生の60%以上だ。彼ら彼女らは今は沈黙しているものの、現状をよしとしているわけではない。このほか、共産党政権樹立に貢献したにもかかわらず海軍・空軍と比べて軽視されている中国陸軍、習近平体制下で蔑ろにされている共産党青年団もわだかまりを抱えている。中国を変えられるのは中国だと思う。ただ、今のところ彼ら彼女らの不満が爆発していないのは、「点と点をつなぐ線がない」、つまりリーダーがいないためだ。習近平氏は共産党の主要メンバーを地方役人時代の部下で固めている。「裸の王様」の習近平氏に対して不満を持つ人は国内外にたくさんいるが、誰かが火をつけたら大きな火事になると言っても、火をつけるだけの勇気を持つ人がいない。中国がダライ・ラマ法王を敵視するのは、法王が平和の象徴として慕われ、中国の統一を乱す存在となり得るためでもある。中国共産党は存命のダライ・ラマ14世の後継者選出時に介入しようと画策しており、米国では2020年に、介入した場合に中国に制裁を科すことを可能とする法律が作られている。
――日本政府の対応については…。
ペマ 将来の展望を踏まえて、新しい中国の指導者となり得る人物とのつながりを作る必要がある。香港の民主化の指導者たちは、雨傘運動などの民主化運動の後、当初は日本に逃げてきており、私も親交があった。しかし、日本は彼らを難民として適切に扱わなかった。今、彼らは主に米国、英国、フランス、ドイツ、カナダなど日本以外のG7、一部はその他ヨーロッパ諸国やオーストラリアなどに散らばっており、日本はほぼ通り道になっている。日本がそのような場合に出す特別許可の下では働くことができないことになっているが、欧米各国では職に就くまで援助する仕組みがある。日本が欧米と同じことをできないのはスパイを選別する情報機関が弱いためだろうが、改善する必要がある。また、米国が対中国の文脈でインドとの関係を強化してきた点に注目している。日本の外交においても、安倍元首相とインドのモディ首相が手を握り合い、安倍氏が「自由で開かれたインド太平洋」を唱えたことには中国の覇権をけん制するという点で意義があったと考える。その点、岸田首相が安倍路線の外交を継承し、中国との領有問題などを抱えるフィリピン、ベトナムとの関係づくりに取り組んでいることは、もう少し評価されても良いのではないか。[L]