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「『差別』への補助金に検証必要」

衆議院議員
杉田 水脈 氏

――人権侵犯についてのマスメディアの報道では、実際に何が起こっているのかよく分からない…。

 杉田 概略すると、7年前に書いたブログを人権侵犯だと法務局に申立てがあり、人権侵犯の認定が出た。しかし、そのブログは既に削除しているもので、議員当選後の政務官時代に政府の方向性と一部異なる部分があったうえ、差別のつもりはないが傷ついた人がいると聞き、謝罪をしていた。ただ、私が今使っているアメーバブログに掲載している部分は削除できたのだが、それ以前に使っていたLivedoorブログというプラットフォームに掲載していた分はパスワードも忘れていたので記事が消えずに残ってしまい、その記事を探し出して札幌法務局と大阪法務局に申し立てが行われ、各法務局から人権侵犯の認定を受けた。

――人権侵犯の認定を受けた結果どうなるのか…。

 杉田 各法務局が申し立てを受理すると、人権の委員会のような場で審査をして、人権侵犯を認定するかしないかを決める。人権侵犯の認定は、行政処分ではなく行政措置というものなのか、何の法的効力も持たないし私に指導があるわけでもない。人権侵犯という手続き自体がよくわからないもので、私に対するヒアリングすら行われていない。しかも、この手続きはすべて非公開で行われ、判断した人物や判断基準、結果も非公開だ。法務省に問い合わせても、「そういう認定がされたかされていないかも含めて非公開なので、何もお答えできません」という答えしか返ってこない。このため、本来ならば外部に漏れるはずはないのだが、申し立てした人は結果の通知をもらうので、そこからマスコミに流れたのだと思う。マスコミは私が何か罪を犯したかのように人権侵犯の認定について書き立てているが、これは行政処分でも裁判所の判断でもない非公開で行われた手続きなので、私は申し立てについて反論することも名誉棄損で訴えることもできない。

――やはり今の司法にはさまざま問題がある。アイヌ施策への批判については…。

 杉田 政府は来年度のアイヌ施策として、66億円を予算要求している。しかし、わが国ではアイヌの定義すら決まっておらず、予算はアイヌ側の言い分通りで何の検証も行われていない。予算を付けること自体は仕方がないことで、2008年に国会がアイヌは先住民族だと衆参両院の全会一致で決議しており、日本は世界中に対してアイヌは先住民族だと宣言した。日本は国連と人種差別撤廃条約を結んでいて、この条約のなかで先住民族政策について定められており、条約に基づいて観光施設ウポポイを作り、アイヌ民族に対して優遇措置を実施したり、言語を残すために教科書に盛り込んだりしている。本来であれば予算を付ける以上さまざまな角度から検証を行うべきだが、こうした利権や補助金などに対して疑念を申し立てること自体が差別であると言われてしまうので、行政はおろか政治家もこの問題にメスを入れることができていない。

――これでは、「公金チュー」は言い得て妙の表現ではないか…。

 杉田 私はむしろ、補助金をもらっているにもかかわらず、その団体が反日活動をやっているのがおかしいと考えている。貧困女性を救うといって東京都から補助金を受け取っていたColabo(コラボ)という団体が実際にやっていたのも、訪れた女の子を韓国に連れて行って慰安婦デモに加担することや、沖縄の基地に連れて行って座り込みに参加させることなどで、そういった反日活動に私たちの税金がつぎ込まれている実態を正しく認識すべきだ。この点、私はいつも国の体質を表す例として、国勢調査を挙げている。私は市の職員だったとき国勢調査を担当していたが、市で委託する調査員が各家庭を個別訪問すると拒否される場合も多く、拒否された場合の対応について市役所に相談が寄せられた。そこで国に対して「拒否された場合どうしたらよいでしょうか」と質問すると、国からは「日本国に拒否は存在しません」と返ってくる。なぜなら、国勢調査は統計法に基づいて施行されていて、統計法には、拒否すれば罰金か禁固という罰則があるが、日本全国どこを探しても国勢調査を拒否して罰金を科された例はない。そんなことをしていたら警察がいくつあっても足りないので、国はそのことに蓋をして拒否自体を無いことにするのだ。つまり、国も都も不都合なことは見て見ぬふりをしている。

――LGBTの問題を含め少数の人の権利を尊重しすぎるあまり、社会が混乱し社会的損失が大きくなっている…。

 杉田 スタンダードを作ることが差別といわれていることが問題だ。スタンダードがあるうえで例外があって、その例外を差別しないようにすることは理解できるが、スタンダードを作ること自体が差別だと言われると何もできなくなる。LGBT理解増進法のようなおかしな法律が出来上がってしまったのは、言葉を選んで話さなければならず、本質の議論ができないことが根本的な要因だ。本質の議論をすることができないので、政策が変な方向にいってしまい、変な社会が出来上がりつつある。また、第三者が客観的に判断できないような事例が増えてきていることも大きい。例えばセクハラで、同じことをAさんとBさんが言っても、本人の受け止め次第によってAさんはOKでBさんはセクハラに該当するようなケースがある。第三者がそういうのを判断することはできない。DVでも、身体的なDVなら傷害の有無で判別ができるが、心理的なDVは第三者から見て判断ができない。パワハラも同じで、今晩あなたは残業をしなさいと命じただけでパワハラと訴えられる可能性があるが、もし裁判を起こされたらと思ったら、会社は社員に対して何も指導ができなくなってしまう。これら全てに共通していることが、第三者が客観的に見て判断ができないことについて、ある一部の人達の権利を広げようとしていて、言ったもん勝ちの社会になってしまっている。

――外国人労働者の問題を含め、少数の利益を過度に尊重するあまり大勢の利益がないがしろにならないよう、日本国を導いていかなければならない…。

 杉田 国家について考えるときにわが国が他国と違う点は、国家は必要ないと訴えるリベラルな人達や愛国心が危ないと思っている人達が存在することだ。むろん多くの国でリベラル勢力はいると思うが、大半は最低限の愛国心を持っていて自国を守ろうと思っており、ちょっと立ち止まって考えることができる。今の日本のままで、まずは日本人の人権を守っていこうと立ち止まって考えることができるか疑問だ。また、マスコミや学校教育が変わっていないので、一層難しい面がある。こうした私の話もテレビや新聞では連日叩かれているが、インターネット上では好意的な見方も広がっている。しかし、未だにNHKのニュースを見て朝日新聞を読んでいる人が国民の多数派だ。テレビは視聴率1%でも100万人が見ているが、例えば政治を扱うYouTubeチャンネルでは1万回再生されれば良い方で、テレビで報道されていることをインターネットで打ち消していくには相当の労力がいる。本来ならば放送法は、1つの事象に対して色々な角度から見て、賛成意見も反対意見も両方採り上げなくてはならないと定めているが、放送法には罰則がなく、守らなくても何も起きない。さらに、日本は意見が一方向に傾きやすい。例えば同性婚を考えると、「私は違うけど困っている人がいるのなら同性同士で愛し合って結婚できるようにしたらいいんじゃないの」と、ふわっとした考えの人が多いだろう。そういう人は同性婚に賛成か反対かで言えば賛成で、したがって賛成が多数派になり、法律が可決される。同性婚なら問題はないかもしれないが、すべてにおいて一部の少数派の権利を守るあまり社会が混乱することにつながりかねず、悪用する人が現れるだろう。今まで蓋をしてきた問題が噴出しているが、何がわが国のためになるのかを正しく見極めていく必要がある。[B][N]

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