金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

金融ファクシミリ新聞は、金融・資本市場に携わるプロ向けの専門紙。 財務省・日銀情報から定評のあるファイナンス情報、IPO・PO・M&A情報、債券流通市場、投信、エクイティ、デリバティブ等の金融・資本市場に欠かせない情報を独自取材によりお届けします。

「医工連携で『医者いらず』へ」

東京工業大学
学長
益 一哉 氏

――昨年12月、「東京工業大学つばめ債」(40年サステナビリティボンド、発行額300億円)を発行した…。

  田町キャンパスの借地権を設定し、試算では年45億円の土地活用事業の収入を担保に債券を発行した。使途は主にキャンパスの再開発だ。大学の規模に対して相対的に発行額を大きくできたのは、やはり返せるメドがあるためだろう。東工大は年間約500億円の予算で活動しており、これまではそれ以外の自由にできるお金を持っていなかったが、土地活用事業によって約10パーセントの余裕ができたことによって、長期的な戦略を初めて立てられるようになった。その効果は大きい。

――学部の統廃合については…。

  将来的には、進めていくべきだと考える。長い歴史のなかでは学問の名前も変わるし、講義体系も変わっていく。歴史をさかのぼれば、明治時代の東工大は、窯業など当時の日本の主要産業だった軽工業を支える学問を教えていた。その後、例えば窯業学科なら無機材料分野につながっていった。ただ、それぞれの学科にある基礎的な学問領域をどのように扱うかということは慎重に考えなければいけない。化学をやるなら有機化学と物理化学を勉強しましょう、という点は変わらない。基礎科目と変化していく専門分野とをどのように組み合わせるかというのはとても重要だ。また、現在の技術動向を考えると、少なくとも情報系の教育は強化しないといけない。情報系学科の重要性は理解していても、歴史的な経緯もあって、東工大の情報理工学院はまだかなり小規模だ。そのため情報理工学院の学士課程の定員を現在の90人から130人に増やすよう文科省に申請したところだ。学科再編をしようとした時には、どこの大学も一緒だと思うが、学内の反対意見をどのように変えていくかというのが難しい。また、文科省の定める入学定員と教員数に関するガチガチの規則にもやりにくさを感じている。

――24年度秋をメドに、東京医科歯科大学と統合して「東京科学大学(仮称)」となることを検討している…。

  医学部も色々な学業分野のなかの一つだ。単に医工連携だけをやるために統合するわけではない。自分たちのそれぞれの強みを持ったうえで、人間について色々な分野で考えないといけないという学術的な問題意識に立って統合する。まず、僕ら東工大の側に一つ欠けているのは、人と直接関わるところの知見だ。人を幸せにしたい、人の役に立ちたいとは言いつつも、人と関わりが少ない。例えばヘルスケア機器といってもスマートウオッチや健康診断の機器など色々な機器があるが、僕らが想像だけで作るのではなく実際に医師や現場の人と一緒に作れば、さまざまな齟齬(そご)がなくストレートに進むだろうし、どういうものを作ればいいかというところで工学の知見も生かせるだろう。加えて、医学部との統合によって、新しい産業が生まれる可能性のある場ができると考えている。僕は日本の産業に対して危機意識を持っている。「失われた30年」の間、日本は新しい産業を興してこなかった。工学は製造業とのつながりが深いが、製造業は世界でもあまりGDPが伸びていない。日本は結局製造業しかない。新しい産業を作っていない。そこに強い危機感がある。

――新しい産業とは…。

  医科歯科大は「現場の医療だけで良いのか」という危機感を持っている。目の前の治療を行うことだけが医学というわけではない。例えば、健康長寿を目指そうと思ったら、病気になる前に自分の体のことを知って、未病の段階での対策や、運動や食事も含めたケアをしないといけない。その時、今までの治療だけを行う医師で良いのかということになる。医科歯科大はそれを「明日の医療」と表現していて、僕は「医者いらず」が一つの目標にならないかと考えている。統合議論のなかでは「『コンバージェンスサイエンス』をやります」と説明している。コンバージェンス1.0は第二次世界大戦前後の物理と工学の融合(物理工学)、2.0は21世紀になった時の生物学と工学の融合(生命工学)、3.0は理工学・医歯学・人文社会科学を融合した「総合知」で未知の課題を発見し解決することを指す。僕は、それに合わせて医工連携1.0、2.0、3.0を考えてはどうかと発言している。医工連携1.0はメディカルエレクトロニクス、1.5がオンライン診断やAI診断、2.0が「医者いらず」といったところか。そしていま、「医工連携3.0とは何だろう」を一緒に考えているところだ。

――大学の予算は年々削減されているうえ、当局によりさまざまな規制がある…。

  学術的なことをやるにはある程度の余裕と無駄が必要だ。全部が成功するということはあり得ず、失敗を許容する必要がある。無駄をやろうと思うと予算的にも余裕がないといけない。それをどれだけ僕らが許容できるかだ。許容せずにやろうとすると、「予算は削る、限られた予算のなかでやれ」と規則でがんじがらめにすることになり、それが現状の悪循環を生んでいると見ている。これは受け売りだが、16年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典先生は、「科学技術を文化に」と基礎研究の重要さを表現した。それだけ余裕を持ちなさいということだと理解している。余裕を持つからこそ新しい科学が生まれる。いま、科学技術は人間の幸せや利便性に直結して役に立つこととして人々に受け止められている。科学技術にかかわる人のなかにも役に立つことやそれによって稼ぐことに価値や嬉しさを感じて満足する人がたくさんいるが、根底から考えれば、役に立つということの前に「文化」でないとだめなのだと思う。そのうえで、文化に対してお金をどれだけ投じることができるかという発想になる。時代をさかのぼって考えると、昔の数学者や物理学者は貴族のお抱えだったという。文化として金銭的に支えられていたからこそ天才がたくさん生まれてきたのかもしれない。極論だが、日本は文化・芸術にお金をかけない。それは教育にお金をかけないということにも通じている。本当に新しいものは、余裕のある美しさから出る。物心両面の余裕をなくしたら新しく生まれるものも生まれない。

――一方で、東工大では大学発ベンチャーや企業との提携の取り組みも行っている…。

  もちろん「役に立つ」側面も重要で、新しい産業を作り出すためにも積極的にやらないといけない。東工大はこれまでに150社を超える企業に「東工大発ベンチャー」の称号を授与してきたが、スタートアップ企業はさらに積極的に増やしていきたい。ただ現在の課題は、どうしても情報系の事業に偏っているということだ。それも重要ではあるが、世の中を根本から変えるような、人間そのものの幸せにつながる技術となると、やはりハードウェアがついてくる必要がある。ハードウェアにかかわるスタートアップは時間がかかり、ぱっと思い付いて一時もてはやされてできるというものではない。ベンチャー企業の育て方も変える必要がある。短い時間軸で回収を目指すのではなく、息の長いスタートアップのつくり方、見守り方を、意識して作っていかなければいけない。また、投資家のすぐに利益を回収しようとする傾向も顧みられるべきだ。特に日本の投資家はすぐにリターンを求める傾向があると聞く。米国にもそういう投資家は多いが、なかには本当の富裕層がいてリターン度外視でお金を出す。そのような投資がないと世の中を変えるようなスタートアップは出てこないのではないかとも思う。息の長い投資が必要だ。

――こういう学校にしたいという目標は…。

  変わり続ける大学にしたい。新しい技術や研究は、それまでの技術や研究を超えることが当たり前だ。同様に、教育者のやりがいは、自分より優れた人間を育てることだ。自分のできないことができる人を育てることができれば、教育者冥利に尽きる。常に新しいことのできる、今いる人ではない新しい人を生み出していけるのは、大学など教育機関であり研究機関だ。ただ、自分より優れた人間を育てるということは、劣等感とジェラシーを感じることでもあり、すごく難しいことだ。学生や研究者、教職員も含めて、自分がコントロールできる人間しか育てられない大学は衰退するしかない。[B][L]

▲TOP