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「時代を超えて生き続ける『書』」

書愛好家
前セルビア特命全権大使
丸山 純一 氏

――日本における「書」の歴史は…。

 丸山 「書」は大きく分けると漢字の書と仮名の書に分けられるが、漢字は中国から伝来した。それがいつ頃なのか正確には不明だが、現存する日本最古の漢字の肉筆書は615年に聖徳太子(574年~622年)が書写したとされる「法華義疏」だと考えられている。また、7~8世紀頃には写経が残されており、その頃すでに漢字が普及していたことがわかるが、平仮名の使用が広まったのは9~10世紀頃のようだ。当時は、例えば「安」や「悪」や「阿」などの漢字を崩したものすべてを「あ」と発音し、「以」や「意」や「伊」の漢字を崩したものをすべて「い」と発音するなど、ひとつの音に対して複数の異なる平仮名の字形があった。また、カタカナについても、例えば「阿」のこざとへんの一部分を取り「ア」としたり、「伊」のにんべんを取って「イ」とするなど、平仮名もカタカナも元は漢字から出来ている。平仮名は平安時代の貴族や教養のある女性が手紙を書いたりするのに用いられ、カタカナについては僧侶が読経する際などに、漢字の脇に読み方を小さく記すために用いられていたようだ。

――歴史上の能筆家とは…。

 丸山 日本人で一番有名なのは空海(774年~835年)だが、平安時代初期の人物なので平仮名の書がない。平安中期になると小野道風(894年~966年)や藤原行成(972年~1027年)などが出てくるが、この二人とも平仮名の書は残っていない。特に行成の平仮名が残されていないのは非常に残念だ。ただ、漢字と仮名の両方を用いて書かれた詩文集「和漢朗詠集」の作品の中に、その漢字が藤原行成のものと非常に似ているものがあるので、そこに書かれた平仮名も藤原行成の平仮名に極めて近いと考える研究者もいる。また、11世紀中頃には平仮名の手本とされる「高野切(こうやぎれ)」が流行した。これは古今和歌集の現存する最古の写本であり、仮名書道の最高峰として書を学ぶ人たちのテキストとなっている。その筆跡は3種に分かれており、第1種と第3種の筆者は諸説あり定かではないが、第2種は源兼行という人の書と推測されている。3種それぞれの筆体に特徴があり、当時の人々は自分の好みのスタイルを習っていたようで、それぞれのグループに追従者がいる。

――鎌倉時代は…。

 丸山 現代アートがクラッシックの美を打ち壊しながら新しいものを生み出してきたように、書の世界でも、どこから見ても整っており一般的に美しいと考えられていた書を打ち破り、一見、何が書かれているのか理解に時間を要するような書が出てくる。それが、鎌倉時代に中国の禅僧が持ち込んだ「墨蹟」だ。茶掛けには、古典的な和歌が掛けられていることもあれば、一筆書きの円相や難解な文字、つまり「墨蹟」の掛け軸もある。室町時代の墨蹟と言えば一休宗純(1394年~1481年)だ。説話のモデルとして有名な一休宗純は色々な書を残しており、その書体は非常に個性的で面白い。

――安土桃山時代は…。

 丸山 安土桃山時代には様々な和歌集から古人の筆跡を集めて切り貼りし、アルバム形式に仕立てる「手鑑」が流行した。一つの作品集をバラバラに切り取って新たなアルバム形式の作品にすることは、完成した美術品を破壊するようなもので残念な行為とも思われるが、意外なことに、これは重要な書物を一カ所に集中保存しその場所が火事になった時に全て消滅してしまうという事態を防ぐのに大いに役立った。「手鑑」が作られたおかげで私たちは今、たくさんの昔の名筆を目にすることが出来るわけだ。ちなみに「手鑑」にはそれぞれの作品についてプロの鑑定家がその筆者を見極めた「極札」が貼られており、これが「極め付き」の語源となっている。その他、巻子本や冊子本にも多くの名筆が残されている。冊子本は両面加工されていることが多く、表裏それぞれに書くことが出来たが、その冊子本を軸にしたければ、一枚の紙を剥がして二本の軸のすることも可能だった。

――江戸時代や明治時代に形成された書流は…。

 丸山 江戸時代は御家流という幕府で公文書に用いられた和様書や、寺子屋などで教える際に用いられた唐様書が流行った。その頃有名だった書家には巻菱湖(1777年~1843年)などがいる。その後、明治時代には楊守敬という中国人の手によって清から大量の文献が運び込まれ、日下部鳴鶴(1838年~1922年)や副島蒼海(1828年~1905年)といった当時の能書家たちを大いに喜ばせた。また、楊守敬ら中国清から来日した書家や学者たちは、文献とともに色々な知識も伝えてくれた。中国からもたらされた拓本などの貴重な文物は東京国立博物館や台東区立書道博物館、三井記念美術館などに沢山残されている。とりわけ三井記念美術館に保存されている虞世南の拓本は、原拓(元となる石碑)がすでに消失しており、天下の孤本と言われる貴重なものだ。

――個人的に一番好きな書家は…。

 丸山 欧陽詢、虞世南とともに中国三大家の一人とされる褚遂良(596年~658年)の字は大変好きだ。彼は唐初期の時代に活躍した人物で、その書風には隷書の雰囲気も混ざっており、少しモダンな書体となっている。日本では藤原行成の書が美しいと感じる。筆者不明だが「高野切」の第1種に書かれている平仮名も素晴らしい。さらに明治時代の人物で「高野切」第3種を徹底的に習いこんだ尾上柴舟(1876年~1957年)についても一言触れたい。書家であるとともに歌人であり、国文学者でもあるという多彩な才能を持ち合わせた彼の書体は、今の人から見れば、少しまとまりすぎて面白みがないという評価もあるが、当時の目で見れば素晴らしいものだったと思う。能書家といわれる人のすべての作品に共通するのは、昔の人が見ても今の人が見ても、美しいと感じられている事だ。書は芸術であり、規範とされる美しさは時代を超えて生き続けるものなのだろう。現代の書展では奇をてらったような書体を目にすることも多いが、古典をしっかりと学んだ書家の文字はどんなに型を崩していても、基礎を叩き込んだ味がどこかに出ているものだ。それは、絵画や音楽の世界と同じだと思う。

――IT化が進む中で、日常で文字を書く機会は減ってきている。書の将来は…。

 丸山 カメラが発明されて写真が世の中に普及しても絵を描く人がいたように、自分で美しい文字を生み出すことに喜びを感じ、造形したいと考える人や、そうやって書かれた文字を鑑賞したいと思う人はいると思う。そういった人たちが書を次の世代に伝えていってくれれば良いのではないか。東京国立博物館の歴史コーナーには平安時代から鎌倉時代の名筆が展示されている。また、東京の有楽町にある出光美術館や上野毛の五島美術館にも素晴らしい書が所蔵されており、時々は展覧会も開催されている。是非、そういったところに足を運んで実際に書に接してみてほしい。一つの芸術として、また自分自身の趣味として、いにしえに思いを馳せながら「書」を楽しんでもらいたい。きっと、新たな発見があるはずだ。[B]

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