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「生かされている自分を楽しむ」

福聚山慈眼寺住職
大阿闍梨
塩沼 亮潤 氏

――「大峯千日回峰行」「四無行」「八千枚大護摩供」と、数々の難行を成し遂げられた。行を志された理由は…。

 塩沼 何故と理由を問われても、その答えは見つからない。小学校5年生の時にテレビで酒井雄哉大阿闍梨の比叡山千日回峰行を偶然見て、何かリンクするものを感じ、「これをやってみたい」と思った。本当に純粋な憧れから入った道だ。そして目の前に起こる現象に一生懸命向き合い、ひたすらそれを積み上げてきて、今がある。ただ、その過程で想いが肉付けされてくる感覚はあり、「僧侶になって世の中の人たちが明るく幸せに過ごせるようなお手伝いが出来ることは良いものだ」と考えるようになった。その世界を実現させるための仕組みづくりを試行錯誤して考え、そこに自分の修行も重ねていった。最初から千日回峰行に挑戦したいとか、大阿闍梨になりたいとか、偉くなりたいとか、そういうものが全く無く、ピュアな憧れから修行したいと思った事が良かったのかもしれない。

――修行すれば誰もが「千日回峰行」を成し遂げられるという訳ではない…。

 塩沼 先ず一生懸命修行するかしないか、次に利己的なのか利他的なのか、そこに意志の強さが加味されて、日々の修行の成果となる。自身の人格を磨いていこうという想いを持たずに「千日回峰行」だけを行っても意味がない。いかに修行して自分を成長させ、磨きをかけるかだ。私はこれまで一度も修行を止めたいと思った事はない。これは自分でも素晴らしいことだと感じており、それがまたゆるぎない自信へと繋がっている。「自分はこれまでひたすら努力して頑張ってきた」という自信と経験が、目の前の壁を乗り越える力をくれる。適当に修行をしていたら、今、私はここに立っていないだろう。眼には見えなくとも私の中から感じ取れるエネルギーは、これまでの修行から生まれているものだ。

――「千日回峰行」を行っている時、一体何を考えているのか…。

 塩沼 基本的には何も考えていない。ただ、人間が生きていく中で思い通りになる現象とならない現象があり、そこで悩みや葛藤が生まれるのは何故なのかという事は常に心に置いている。答えは既にあり、「理想にとらわれている自分があるから」だ。そして、その悩みをなくすには、どの経典にも記してあるように「生かされている今の自分を楽しむ」ことに尽きる。このことを実際に腑に落ちさせるために修行を積んでいる。僧侶は寺院という樽の中で、規律という重しを載せられて、悟りを開いた美味しい漬物になる。一刻も早く師と仰がれ、人々を幸せな人生に導くことの出来る存在になるために、人生をかけて修行する。それは社会のひとつの役割だ。

――「悟り」とは具体的にどのような境地なのか…。

 塩沼 私が小僧の頃は「悟り」という言葉とは程遠く、人生の意味も分からないまま生きていた。そして色々な書物から、成層圏、大気圏、宇宙という境界線を突き抜ければ悟りの世界に入るという図を目にするようになった。そういった図を見ながら、悟りを開けばいわゆる僧侶としての学校を卒業した証明書をもらえるような気になっていた。しかし、今感じているのは、人生は終わりのない階段であり、次から次に自ら高みを目指して上っていくものだということだ。そこに卒業はない。当然、昔の私と今の私は全く違う。そして今は「ありのままを楽しむ」という方向にブラッシュアップできていると感じている。

――布教活動について…。

 塩沼 52歳を過ぎた頃から一般的な布教活動をあまりしなくなり、最近は朝起きてから夜寝るまで、ご縁のあった方と、そのコミュニティの中で話をしたり、お茶を飲んだり、機会があれば一緒に食事をして楽しく過ごすようになった。私が楽しくしていることで周りも楽しくなるのであれば、それで良いと思っている。昔は年間70回程の講演依頼を受け、慈眼寺でも年70回の説法を行い、年2回程自著を出版したり、各種メディア取材を受けるなど、かなり精力的に布教活動に努めていた時期もあったが、徐々にその数を減らし、最近では講演も年3回程度に絞っている。講演料やメディア出演料は、ほぼ全額を塩沼亮潤大阿闍梨基金に直接寄付してくださるようお願いしている。また、仙台でのラジオ番組2本の出演料に関しては、その8割ほどをフードバンクや子ども食堂等に直接寄付してくださるようにお願いしている。50歳を過ぎて在りのままにいながら、敢えて伝える活動をしなくても「伝わる」ようになったのは、これまでの修行があってこそだと思う。

――コロナ禍やウクライナ紛争で世の中が混沌としている中、人々はどのような心の持ち方をすべきなのか…。

 塩沼 ウクライナ紛争に関して私には祈るしかなく、改めて自分の無力さを感じさせられた。日本から遠く離れたウクライナで起きている紛争は日本人の衣食住に影響を及ぼすことはなく、桜が咲いていればお花見をする日本人は沢山いる。コロナ禍にあっても会食をしている人はいる。それを批判するつもりはなく、現実の姿として受け入れているが、私自身は、現在大変な思いをしている人に思いを馳せて、浮かれた行動はせずに粛々と日々を過ごしたいと考えている。阪神淡路大震災と東日本大震災という2度の大災害は、当時、丁度近くに住んでいた私にとって非常に身近に感じるものだったが、その記憶が自然と薄れてきていたという反省もある。今、自分の力ではどうしようもない難題に直面している方々の気持ちに寄り添って、自分の行動に責任をもって律していきたい。

――平和で物質的にも豊かな生活を送っている日本人に足りない「心」とは…。

 塩沼 日本では戦争を知らない世代が多くなってきており、危機に対する意識が低くなってきていることは否めない。生活のことを真剣に考えなくても食べるものには困らず、何となく生きている人も多いのではないか。食と精神面は密接につながっている。毎日大量の食品ロスを出すほどの飽食生活を送っている日本人は、精神面でも緩んできているのかもしれない。最近では「人への気遣いは無用」とか、「人に迷惑をかけないという教えは間違っている」というような書物も多く見かけるようになり、それほど日本人の考え方は変化してきている。人を思い遣り、気遣うという事がなくなってきているのは悲しいことだ。東京よりも煩雑なイメージのあるニューヨークでさえ、例えばドアを次の人のために開けて待っていてくれたり、人とぶつかった時にきちんと謝るようなマナーを持っている。それは、親が子供に対して、そういった礼儀や相手を尊重する心を幼少期にしっかり教えているからだろう。

――「四無行」では、飲まず食わずで9日間過ごすということだが、それで死に至るようなことはないのか…。

 塩沼 「四無行」を行う前に、しっかりと「千日回峰行」を修行していた為、耐えられたのだと思う。その段階を踏まずにいきなり「四無行」を行えば、私でさえ命を落とすだろう。私の師匠の教えは「歴史と伝統のある修行は理にかなったものだ。それで死ぬことはない」というものだった。その言葉だけを道しるべに、理にかなった修行で自分のぎりぎりのところを体感しながら、今もこうして生きている。色々な情報がネット上で飛び交う現代では、水を飲まなければ血液がドロドロになって血管を詰まらせるといった知識がすぐに得られる。そんなことがわかっていれば「四無行」など怖くてできなくて当然だ。何のためにそれをやるのかと問われれば、生死の狭間を体験し、死生観を変えるためだ。

――「死生観が変わる」とは、具体的に…。

 塩沼 私は20代の頃、命は永遠に続くものという感覚で「死」を意識することはなかった。しかし、厳しい修行で自身を極限状態まで追い込み、一瞬、魂と肉体が別物だという感覚を得た時に、ようやく理解することが出来た。本で読むのではなく、話で聞くのではなく、テレビで見るものでもなく、自分の魂が抜けていく感覚を実際に体験して、「死ぬという事はこういう事なのだな」と理解する。「生と死の間を人として存在する」、それが人間であり、その道のりを如何に体験し、どのように豊かなものにしていくかが判ってくる。それが、死生観が変わるという事なのではないか。(了)

※大峯千日回峰行…金峯山寺から大峰山寺まで往復48㎞の山道を1000日間歩き続ける行
※四無行    …9日間、食わず、飲まず、寝ず、横にならずの状態を貫く行
※八千枚大護摩供…100日間五穀と塩を断ち、その後24時間、食わず、飲まず、寝ず、横にならず、8千枚の護摩を焚き続ける行

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