金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

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「輸入物価高が賃金や利潤抑制」

みずほリサーチ&テクノロジーズ理事長
前アジア開発銀行総裁
中尾 武彦 氏

――世界が目まぐるしく変動している…。

 中尾 長く俯瞰すれば、1978年の中国における改革開放の開始、1980年代の日本の直接投資にも支えられた東アジアにおけるサプライチェーンの発展、1991年のソ連崩壊と東側諸国の市場経済への移行、そして、2001年には中国がWTOに加盟するなど、グローバル化、市場経済化という波が世界を覆ってきた。さらに、デジタルテクノロジーを始めとする目覚ましい技術革新のもと、新興国の発展も加速度を増した。しかし、一方で、近年は各国における所得格差の拡大、中国と西側諸国の摩擦、経済安全保障の考え方、人権や地球環境への配慮などから、国境があたかも存在しないとするようなグローバル化に対する修正の動きは出てきていた。コロナパンデミックとロシアのウクライナ侵攻問題が加わったことで、世界が逆流し始めたように感じている。それは、自由主義や市場経済の下で世界全体が良くなっていくという見方に対して、確信が持てなくなってきたということだ。ドイツをはじめとする欧州各国がエネルギーをロシアに依存するなど、世界的な経済の結びつきは以前より強くなっているが、地政学的には、最近の世界の各地域での動きは、冷戦以前の帝国主義の時代に戻っているように思えるぐらいだ。

――国境がなくなっていくグローバル社会は幻想なのか…。

 中尾 私は基本的に国境がない世界は成り立たないと考えている。社会保障、医療、教育や研究など国が果たす役割が増えていく中で、負担と便益は国単位で行われる。民主主義の立場からも、国民、すなわち選挙民と納税者の意向は大事だ。通貨や金融政策が一つになったユーロでさえ、社会保障や税金はそれぞれの国で異なっている。どんなに投資や貿易などで世界経済が統合される方向に動いたとしても、「国境のない世界」にはならない。だからこそ国民国家、主権国家の枠組みを基礎としつつ、各国がお互いの文化や歴史を尊重してナショナリズムを抑制し、競争しながらも紛争を避け、貿易や投資の結びつきを大事にし、気候変動や各種規制など他国に波及する国際的な問題について協力していく必要がある。

――ロシアのウクライナ侵攻がきっかけとなり、デカップリングが進んでいくのか…。

 中尾 今や世界経済と結びついていない国はない。ロシアにしても石油や天然ガスの輸出で国の経済が成り立っている。中国もこれまでの発展の糧となってきたのは貿易と投資を通じた世界との結びつきだ。しかし、世界第2位の経済規模を持ち、世界最大の貿易国である中国の今後の動きにもよるが、デカップリングは、当面進んでいくと考えざるをえない。日本は貿易、なかでもエネルギーの依存度が高いため大きな影響を受けるだろう。ただ、今回のウクライナ危機で一番影響を受けるのは欧州だ。ドイツを代表とする欧州は脱炭素化の流れの中で石炭から再生可能エネルギーに加え天然ガスへのシフトを進めていたが、ロシアがウクライナに侵攻したことで、ノルドストリーム2の稼働は延期となった。しかし、ノルドストリーム1は今なお稼働しており、その支払いの為にロシア最大の銀行ズベルバンクはスイフトの制裁の対象外とされている。ロシアの行動は許されることではなく、日本もロシアに利するようなことは行わないという基本が大事だ。同時に、戦争の今後の展開にもよるが、よく状況を分析し、一定の現実主義、したたかさを持って対応していくことが必要だろう。中国と米国の間をみても、対立が深まる部分がある一方、お互いの貿易額は過去最高となっているし、米国の投資銀行は今でも対外開放が進む中国の金融セクターへの投資を増やしている。

――日本で円安が進んでいることについては…。

 中尾 日本製品を輸出する際に高く売れた方がよいし、外国のものを買うときに購買力が強いほうがよい。極端な円高も困るが、通貨がある程度高い水準にあることは決して悪いことではない。米国もドル安政策を志向したことはない。為替が安ければ海外の企業に日本企業は簡単に買収されてしまう。現在のようにエネルギー価格や資材価格が上昇している時に円安になれば輸入物価はさらに高くなり、いずれCPIに跳ね返ってくる。日銀が目指しているデフレ脱却モデルは、自国の生産の価格が高くなっていく、つまりGDPデフレーターが上がってCPIも上がっていくことを期待している。今は輸入物価が上がる過程でそれが転嫁できずに実質賃金や利潤を抑えるという流れになっており、その結果GDPデフレーターはマイナスの方向に動く。CPIは上がるが、実質的な経済活動には下押しの圧力が加わるので、金融政策のかじ取りは難しい。

――日本の財政の持続可能性は…。

 中尾 日本は財政の不均衡が非常に大きく、GDPに対する国債残高の比率は増え続けている。コロナやウクライナ危機もさらに不均衡を拡大させるだろう。いつの頃からか民間需要を補うという理由で借金が当たり前のようになり、赤字国債は増え続けてきた。将来への投資ならともかく、少子高齢化の中で社会保障などの経常的な支出を赤字国債で賄う不正常な状態が続いている。国民は国債を資産として考えているが、その裏には膨大な国の借金がある。リカルド効果と呼ばれるように、国民の将来への不安を生んで、かえって民間の消費や投資を抑制している可能性がある。また、日本という国への信認に関わってくる問題だ。信認が揺らげば国債が売られ、株が売られ、円も売られてしまう。デフレ下なので国債を日銀が買い支え続ければ問題がないという議論もあるが、円はそうはいかない。どんなに外貨準備高が大きくても限界があり、急速な円売り、ドル買いを止めることはできず、円が急落すれば、輸入物価の高騰を通じて結局インフレにならざるを得ない。これまで大丈夫だったから、今後も大丈夫ということではない。

――今、政府がやるべきことは…。

 中尾 政府が行うべきことは、民間のやる気を引き出す政策を考えることだ。経常的な支出に対応する税収をきちんと確保して財政への信認を高めるとともに、高齢者への社会保障費や医療費を可能なかぎり抑制し、将来への投資となる研究開発や教育に資金を回していくべきだ。日本では米国でトランプ氏が大統領に選ばれた時のような過激で、排外主義的なポピュリズムはあまり見られないが、財政面での放漫をもたらすポピュリズムは強い。「国がどうにかしてくれるだろう」というような国頼みの意識が強すぎる。しかし、それが結局民間の活力をそぎ、成長力を弱めてしまっている。米国にもドイツにも英国にも見られるような、財政保守主義に立つ勢力もほとんどいない。金融政策についても、危機時において流動性を供給することは、今では当然の事になっているが、それがあまり長く続くと金利の市場機能がなくなってしまう。財政規律が緩む一つの原因ともなりかねない。福澤諭吉は『学問のすすめ』の中で、人民が「国の食客」のようになることを戒め、国の発展は西欧の例を見ても民間すなわち「私立の人民」によるとして、「人民の独立の気力」を求めている。もちろん、明治初年とは違い、現代社会では国の役割は大きく、国が責任を果たさないわけにはいかないが、今一度諭吉先生の言葉をかみしめてみる必要があるのではないか。(了)

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