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「医療と金融の改革は道半ば」

一橋大学
国際・公共政策大学院 特任教授
野々口 秀樹 氏

――医療と金融は戦後レジームから脱却していない…。

 野々口 私は、日本の国益に資する政策体系に変えていくことが重要と考えて、パブリックセクターで長年政策立案に携わってきた。例えば、「戦後レジームからの新たな船出」という言葉は、2006年に私が安倍元総理の最初の自民党総裁選公約の案として書いたものだ。塩崎元官房長官というよき理解者を得て、具体的な成果として国家安全保障会議など当時の小池総理補佐官の力を借りて実現したのは本当に良かった。「戦後レジームからの新たな船出」は単に憲法や防衛力の問題だけはない。国民の生命・財産を守るのが国家の役割だ。その意味で生命・財産を守る手段である医療と金融こそが国の実質的な防衛力の柱だが、戦後、吉田ドクトリンのもとで庇護されてきた医療と金融という日本の根幹のエスタブリッシュメント(高学歴かつ高所得)層の戦後レジームからの脱却はまだ道半ばと考えている。

――医療と金融の改革は道半ばだと…。

 野々口 1990年代後半、バブル崩壊で日本の金融システムが世界経済の危機の原因となりかねないと危惧された。私は自民党のトータルプラン特命委員会でデューデリジェンスという手法を導入して、100億円の簿価で担保評価した不動産でも将来キャッシュフローで3億円の価値しかなければ、銀行は資本不足として国有化させるしかないと提案した。いまでは当たり前の考え方だが、当時の日本の金融界はデューデリジェンスという言葉の真の意味すら知らなかった。結局、銀行処理に時間をかけすぎて大きな国民負担を払っただけでなく、地方を含めた金融システム改革の不徹底が、現在に至る30年余りの期待成長を下げる遠因となっている。

――医療もコロナ禍で問題が露呈した…。

 野々口 このように危機の時には、平時のときに先延ばししてきた問題や矛盾が噴出する。コロナ禍における医療崩壊についても全く当てはまる。すでに言い尽くされているが、人口当たり病床数が欧米よりはるかに多い世界一のベッド大国である日本の医療がなぜ逼迫するのか。中小規模の民間病院に医療資源が分散し、慢性期ベッドや稼働できない急性期ベッドが過剰にあって、社会的入院や過剰検査・投薬が許容されるもとで経営が維持されてきたからだ。そうした多くの民間の医療サービス主体はコロナ治療に参画せずむしろ経営は悪化している。14~18世紀に繰り返されたペスト、19世紀のコレラ、20世紀のスペイン風邪とグローバルな感染症危機は100年単位で発生しているが、100年に一度のテールイベントに対するマクロ・ミクロのストレステストを経ぬままに日本の医療は平時の体制を無理やり維持してきた。そして兵站不足で餓死者を出した旧日本軍と同じ図式でPCR検査難民という事象が繰り返された。医療人材も、医師が診療科を自由に標榜できる特異なシステムのもとで、100年の一度の危機にもかかわらず、コロナ禍が2年続いてもワクチン接種以外に本格的な動員体制が整備できなかった。これは、1990年代までの金融界と同じく平和ボケを起こしているためだ。中国やロシアをめぐるグローバルな安全保障環境が大きく変化するもとで、役割が増す日本の有事における医療の出動体制はどうするのか、という喫緊の課題でもある。

――有事に対応できる医療体制になっていない…。

 野々口 私が厚労大臣秘書官のときに、渋谷健司さんや宮田裕章さんにお願いして「2035」という医療の中長期ビジョンを考える大臣の私的諮問機関を作ってもらった。橋本行革以降の社会の急速な変化の中で、質量ともに人的リソースが不足してきた厚労省は気の毒な役所だと考えているが、世論に叩かれないことが組織の最優先課題になり、若手が将来のビジョンを考える余裕をなくしていた。官民から選りすぐった若手のチームが考えたあるべき将来像は、医療の供給体制をインプット重視からアウトカム重視に転換していくことだった。すなわち、これまでは、ベッド代、検査代、投薬代など医療サービスとして何をインプットしたかで、医療費が決められてきた。また、単価は国民皆保険の下で社会主義的な公定価格(診療報酬)が維持されてきた。すなわち、いかに過剰で無駄な医療費かということはさておいて、掛かった費用は仕方がないということを財政当局も消極的に容認するシステムであった。その結果として、急速な高齢化の下で国民医療費が46兆円を超え明らかに財政を圧迫する状況になっている。「2035」の結論としては、望ましい将来像は、インプットではなく医療サービスを施した結果として、病気やケガが回復し健康になったというアウトカムを価格評価して医療費として支払っていくという発想の転換が必要ということだ。健康になったという結果に金を払う。これで医療への投資効率が見えてくる。医療サービス自体の効率化や効果的な治療法の発見にも当然資することになる。例えば、救急搬送された心臓外科の死亡率は都道府県毎に相当異なるが、倒れた場所でアウトカムが異なる現状は是正されるべきだ。また、46兆円かかる国民の健康確保というアウトカムを半分程度の25兆円以下で実現できれば素晴らしいことだ。こうした理想像を見据えた抜本的な政策転換抜きには日本の医療の将来はない。

――治療の結果を評価し医療費に払う仕組みに変えるべきだと…。

 野々口 コロナ禍中の現段階では、今回の教訓を踏まえて何を見直すべきかという議論はまだまだ熟さないだろう。だが、そうした議論は必ず起こる。そのときには、2類か5類か、という表層的な議論で済ませてはならない。船橋洋一さんのコロナ民間臨調が2020年10月に第1波対応の検証を公表したが、掘り下げるべき点はまだまだ多い。100年に一度の危機からの教訓は、次の100年に耐えるものでなければならない。当然のことだが、1990年代の金融界と同じく、当事者である医師会内部からはおそらく漸進的な案しか出てこないかもしれない。現在の医療サービス体系は、小売業で言えば大昔の百貨店と商店街とコメの配給所しかない戦後レジームの状態だ。銀行で言えば護送船団方式に守られていた時代の姿そのままに見える。1990年代後半の金融危機を経て金融界の再編がスタートしたように、コロナ危機の後には大規模から小規模に至る全ての病院機能の再編が本格化するだろうし、しなくてはならない。

――コロナ禍後は病院の再編が起こると…。

 野々口 これまで、厚労省はかかりつけ医という第一次と、第二次、第三次の高度医療に概念整理しようとしてきた。その先にある医療費支払いのアウトカム重視への転換まで見据えたうえで、質量ともに十分な専門医人材の育成と処遇、自由アクセスの見直しとデジタル診療、薬局を含む個人のカルテデータのポータビリティ、感染症ムラやナショナルセンター、大学病院などの組織・予算・人事のガバナンス、さらにゲノム医療の本格展開、グローバルな免許資格の在り方といった根本的な課題を含んだ考察の上で医療提供体制の将来像を描くことが必要だ。かかりつけ医のイメージは、むしろ現在のコンビニやアマゾンのように高度にデジタル化された流通チェーンのような存在になることを想定したほうがよい。しかもコンビニは住民票発行など公的な役割まで果たしており、今後、保健所機能を民間が担っていくことは当然の成り行きだ。また、国が民間病院の再編を命じることはできないとよく言うが、病院経営の方向性はビジネスの原理で動く。過剰投与による金儲けができなくなれば、酒屋はコンビニに転換することが合理的と考えるだろう。そうした業種としての政策誘導を含めたグランドデザインを考えておく必要がある。金融界の歴史をみればわかるが、時間をかければかけるほど(forbearance policy)社会的なコストは大きくなることも理解しておく必要があるだろう。(了)

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