金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

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「マドフ事件に見る投資者保護」

日本投資者保護基金
理事長
大久保 良夫 氏

――論文サイト「金融資本市場展望」にマドフ事件の論考を寄せられた…。

 大久保 マドフ事件そのものはある程度知られていると思うが、事件後の米国での処理まではあまり認知されていないと思い、寄稿させていただいた。周知のように、マドフ事件とは、Nasdaq市場の創設などで活躍した米国金融界の大物、バーナード・L・マドフ氏が、高利の運用を行うといって顧客から取引一任を取り付け、国内外の投資家から資金を集めていたが実態は運用しておらず、新規の顧客からの資金を償還に充てていただけのネズミ講式の詐欺事件であった。リーマン証券破綻などの金融危機に際し償還要請に応じきれず遂に破綻し表面化した。運用総額は約650億ドルと称されていたが、運用の実態はなく、「史上最大の詐欺事件」と話題を集めた。実際に投資された額は約170億ドルと言われている。この事件は「The Wizard of Lies」という映画にもなり、この金融詐欺の実態やマドフ一家の家族の崩壊が描かれている。この事件は刑事事件だが、破産事案でもある。破綻後の処理は、日本の投資者保護基金に当たる米国SIPC(証券投資者保護公社)が担当し、破綻処理は現在も続いているが、既に被害に遭った投資額の約7割が投資家に返還されている。投資家からすると、例えば、投資した100が、600になって帰ってくると思っていたものの、70に減ってしまったことになるので、当初は反発もあったようだが、投資した額から考えれば損失は30に収まっており、回収努力としては相当の成果が上がっていると評価されている。

――日本の証券会社が倒産した場合とは違う…。

 大久保 証券会社が倒産した場合、顧客から預かっている有価証券は証券会社の財産ではないので、日本でも米国でも顧客に返還されることが当然だ。証券会社が倒産した場合に顧客の資産が確実に返還できるように、顧客資産が会社財産とは分別されてきちんと管理されていることを前提としているところも日米共通だ。そうすれば、証券会社が倒産しても顧客の資産はきちんと返還されるからだ。しかし、証券会社の倒産に際し顧客資産の分別管理がなされていない場合、顧客は自分の財産の返還が受けられなくなる可能性が高くなる。また、顧客は倒産会社の債権者としての請求権を持っているが、倒産手続には時間がかかる。その場合に投資者保護基金やSIPCは一定限度までの支払を行い、顧客を保護するのが投資者保護基金制度の基本的機能だ。日本と米国とはいくつかの違いがある。この点は論考に書いたが、まず、米国では、SIPCが管財人の費用を出すことができる仕組みになっている。管財人の報酬は倒産会社の残余財産(回収されたものを含む)から充てるのが原則だが、倒産した会社の状況次第で管財人が必要とする費用が払えるかどうか分からない状態では十分な破綻処理ができない可能性があるので、SIPCがそれをカバーできる仕組みになっている。また、米国の倒産法では管財人の権限が強く、会社が顧客資産を不法に移転した場合にそれを顧客財産に取り戻すための否認権の行使が明確に認められている。米国では司法省が没収金を被害者に返還している部分もあるが、マドフ事件の際に7割が返還されたのは倒産法の作用によるところが大きく、管財人は裁判所の判断のもとに、問題発覚前に償還を受けて利益を得ていた人からそれを不当利益として取り戻し、被害者に配当している。投資者保護という言葉は広い意味を持つが、投資者保護基金制度とは、証券会社の不正行為一般により被害を受けたものを補償する制度ではなく、証券会社が破綻したときに分別管理がなされていないときに顧客資産の返還を支援するもので、倒産処理の一環の制度だ。米国の場合はその点が明確であり、米国の証券投資者保護法は、実質的には倒産法の特例だ。そうした点も含めて、米国の仕組みの概略を「金融資本市場展望」に書かせていただいた。

――日本と米国の経験の違いは…。

 大久保 日本の場合は、分別管理規制への対応やその監査が今まで比較的しっかりしていたため、証券会社の破綻の場合に顧客の資産が返ってこなかったというのは、過去23年ほどの間に2件と非常に少なかった。日本の場合、分別管理ができていない場合には厳しい刑事罰がある。また、マドフが不正を始めたのは損失補填がキッカケではないか、という見方があるが、日本では、損失補填禁止規定もあり、証券会社も、また損失補填を要求する顧客も罰せられる制度もある。今後とも分別管理の遵守状況など、基本を良くチェックして行く必要があるだろう。米国の場合は1930年代に一般の倒産法に証券会社の破綻処理の仕組みが盛り込まれた。1960年代になって投資をする人が急増した一方で、証券会社の処理事務が追いつかず、顧客の資産をしっかり管理できないまま倒産する証券会社がたくさん出てきた(Paper Crisisとよばれる)ため、迅速な倒産処理を可能とするように、1970年にSIPCが設立され証券投資者保護法が規定された。1978年には改正が行われ、倒産処理手続がさらに充実された。SIPCは設立以来、330件の処理をしている。

――日本の今後の課題は…。

 大久保 日本の投資者保護基金の役割について理解をしてもらうことが第一だ。いろいろな金融商品があり、どういった商品が補償の対象になり、何が補償の対象にならないのかについて理解を深めていただく必要がある。基金制度は、顧客の判断で資産の価値が低下した場合に補填するものではないのはもちろん、証券会社の不正一般に対して補償する制度でもない。そのような補償をする制度を作ることに賛成する会員会社はいないであろうし、またそうした制度は却って不正行為を増やしてしまうモラルハザードが生じる恐れもある。投資者保護基金制度は、証券会社が破綻した際、顧客資産分別管理に問題があり顧客資産自体がなくなってしまった場合に補償するものだ。第二に、プレイヤーが多様化し、国際化しているので、外国の制度の研究や関係者との意見交換等もさらに充実しないといけない。近年基金の保護対象ではない金融商品や暗号資産などが登場し、このような顧客資産の保護についても議論がありうるが、基金制度があるのは、株式や公社債、投資信託などが国民生活や経済に大きな影響を与える有価証券の投資家の保護のためであり、個人的には、プロの投資家が中心に扱う商品やゲーム感覚で売買するような商品を基金のような形で補償する必要は無いのではないかと思う。こうした新たな金融商品の扱いについても今後議論が進んでいくだろうが、基金制度は加盟する会員会社の負担で維持されているものであり、結局は投資家の負担で賄われるものだ。顧客資産保護には、基金制度以外の方法を探す道もあり得る。顧客資産を預かる会社の倒産にかかる制度を充実して顧客資産返還を優先する方法や信託、民間保険などの活用もあり得る。現状の日本で特に問題が生じているわけではないと思うが、諸外国の例などを参考に研究をすすめ、必要に応じて制度を見直していくのがよいと思う。(了)

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