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「地政学で読む『中国の夢』」

国際地政学研究所
理事
林 吉永 氏

――地政学的リスクというとやはり、アメリカが世界の警官役をやめたため、中国とアメリカの対立を受け、太平洋はどうなるのかというのが日本人の関心事だ…。

  「地政学的リスク」という言葉は、テロや紛争によって資源価格に変動が生じ経済に影響を与えるなど、世界のどこかで発生する特定の事件が多くの地域、分野を揺るがす現象に発展する場合に特化され使われている。しかし、そもそも「地政学」は、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』(1833年)を発端に、チャールズ・ダーウィンが『進化論』において「弱肉強食・適者生存」をうたい、ヨーロッパにおいて覇権に関心が高まった「戦争の世紀」の理論だ。この時代の地理学者、ドイツのフリードリヒ・ラッツェルと、スウェーデンのルドルフ・チェーレンが、地理学と政治学の融合である地政学の概念を生み出した。ラッツェルは、著書『人類地理学』(1891年)において政治地理学の重要性を説き、「国家有機体論」を講演したのが1899年だ。そしてチェーレンに至りGeopolitik(ゲオポリティーク)の言葉が誕生する。

――地政学には長い歴史があると…。

  そしてその後、いわゆる、地政学的論考を世に出したのが、イギリスの地理学者であり、国会議員であり、オックスフォード大学の初代地理学院総裁であったハルフォード・マッキンダーだ。マッキンダーは、イギリス政府に対して、軍事強国のドイツやロシアがユーラシア大陸外縁へ進出して来ると説き、「英国人の頭の中には地球儀という植民地地図があり、ドイツ人の頭の中には戦争地図が描かれている。ドイツの中・高校地理学教育は帝国主義を助長している。ドイツは、生存圏に執着しその拡大を図ろうとするであろう」と例を挙げ警鐘を鳴らした(『民主主義の理想と現実』1919年)。これが地政学的思考だ。マッキンダーは、約100年前に地政学的リスクを説いた。しかしイギリスは、この警告を採り上げなかった。ドイツやロシアは、既に日露戦争や第1次世界大戦時にマッキンダーが説くように、ユーラシア大陸の中心部から外洋に向けて勢力を延伸していた。日英同盟締結の頃(1902年)、イギリスは南アフリカでズール戦争(1879年)とボーア戦争(1880年)を戦い、勝ったものの国力の疲弊を招き、国威である7つの海の支配にかげりを見せることになった。

――英国は地政学的リスクを軽視して国も傾いたと…。

  この弱り目のイギリスを見ていたのがアメリカの海洋戦略家アルフレッド・セイヤー・マハンだ。1890年、アメリカでは国勢調査が行われ、北米大陸を席捲した節目に当たる年、マハンは、イギリス海軍が海洋の覇者となった歴史を克明に追究し、『海上権力史論』を著した。当時、アメリカ海軍次官、後のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、この著作を書評で絶賛した。マハンは、今まで北米大陸のインディアンを排除するために戦って来たが、これからアメリカは海に出ていくべきだとルーズベルトに提言した。ルーズベルトとそのブレインは、マハンに戦略思考をさせ、アメリカの太平洋展開政策を実行に移した。1898年、アメリカは米西戦争に勝利、メキシコ湾やカリブ海を制海し、スペインの植民地フィリピンを奪い、さらにハワイを併合した。その結果、アメリカが太平洋の覇者となるための障害は日本だけになる。当時日本は、日露戦争に勝って強国と見なされていた。日露戦争は、ルーズベルトが間に入ってポーツマス条約を結び、日本の勝利で終戦した。ところがマハンは、日本の勝利は「まぐれ」と酷評した。マハンは、ロシアのバルチック艦隊が日本海に入るまで、日英同盟によりイギリス支配下の港への寄港を断られ、満足な給養・補給ができず乗組員が疲れ果てていたことなどが日本に僥倖をもたらし、ロシアの敗戦は日本が強かったからではないとした。マハンは、イギリスの海洋覇権の衰退、そしてアメリカへの覇権禅譲のシナリオを前提にアメリカ海軍の世界最強化を考え、中国を味方につけ、パナマ運河の権利を獲得、覇権の足掛かりを確かにする戦略を献策した。ワシントンの南に位置するノーフォークにアメリカ海軍本拠地がある。海軍は、南下してパナマ運河を通り太平洋に出られるようになった。マハンの提言から約50年、アメリカには、日本を排除する正当な理由がなかった。しかし、日本の真珠湾奇襲は、アメリカに日本をたたく正当性を与えた。アメリカは日米戦争に勝利し、太平洋の覇権を不動にした。それが太平洋の地政学であり、地政学を覇権のための戦略論とするゆえんでもある。

――地政学を背景に米国は太平洋の覇権に成功した…。

  さらに大規模な覇権戦略は、全ての地政学理論を昇華したアドルフ・ヒトラーの第2次世界大戦だ。ヒトラーはミュンヘンで第1次世界大戦後のドイツ凋落を招いたベルリン政府に対して一揆を起こしたが仲間に裏切られて失敗、刑務所に入れられる。再起を図るヒトラーは、オペラ歌手に指導を受けて演説を磨き、その弁舌で刑務所の役人を味方につけてしまう。その頃ミュンヘン大学にルドルフ・へスが在学していた。へスの師がカール・ハウスホーファーというドイツの地政学者であった。ヘスはハウスホーファーをヒトラーに紹介し、刑務所を度々訪れた。ハウスホーファーの地政学理論の中にパン・アジアという大東亜共栄圏のもとになった概念がある。ハウスホーファーは世界を6つのブロックに分けた。これをパン・リージョンと言う。汎パシフィック、汎アメリカ、汎アジア、汎ロシア、汎ヨーロッパ、汎アフリカにそれぞれ覇者を作る。この頂点にヒトラーが居るという考えだ。ハウスホーファーは、少佐の頃在日ドイツ大使館勤務だったので、明治天皇、後には近衛文麿、松岡洋右、大島浩らと出会い親密な関係を築いている。ハウスホーファーは、この立場を利用して、後に松岡をヒトラーに引き合わせ、日独枢軸同盟を持ちかける。ハウスホーファーは、在日中作成した論文において、日本が大東亜共栄圏の覇者になるよう論じている。これが日本の大東亜地政学の原点だ。日本では、第2次世界大戦敗戦後、覇権を握る理論である地政学が禁止されることになった。

――日本では地政学が禁止されたと…。

  第2次世界大戦まで、単純化した戦争の目的は、勝って国土を拡張し莫大な国益を得ることだった。他方で敗戦の損失は計り知れない。第1次世界大戦敗戦国ドイツが勝利国に賠償した例は、1,600トン以上の船舶全て、純金4.7万トン超相当賠償金、対フランスだけでも馬3万頭超、牛9万頭超、石炭700万トンを10年間などだ。ヒトラーは、この賠償に無策のベルリン政府に腹を立てる。さらにドイツの困窮に世界恐慌が拍車をかけた。ヒトラーの怒りはミュンヘンの刑務所入所中に、後の親衛隊大佐エミール・モーリスやヘスに口述筆記させた『わが闘争』(1926年)に反映された。ヒトラーの地政学的思考に満ちた「東方政策」にとっては、十字軍派遣時代、東方へ進出するドイツ騎士団が建設した純血のゲルマン人植民都市、旧東プロイセンのケーニヒスブルグこそ前進拠点に相応しかった。この東方政策には、先住民族に対して学問を禁止し、医療を制限するなど、徹底してゲルマン、アーリアの純血保護がうたわれている。現在、ケーニヒスブルグはカリーニングラードと名を変えたロシアの飛び地領だ。そしてヒトラーの東方政策を真似たのはスターリンだ。ウクライナの優れた軍事組織であったコサックは、ソ連邦前縁の国境警備に就けられ、コサックが出たあとにロシア人が入植した。その結果、東ウクライナではロシア語人口が80%に及んでいる。スターリンの植民政策成功はプーチンが継承し、その成果を東ウクライナ及びクリミア併合に結びつけた。そして中国もじわじわ同様の地政戦略を進めている。

――中国は太平洋をアメリカと半分ずつ分け合うという長期戦略を推進している…。

  現在、ロシアが中国に持ちかけているのは、北極海航路の開拓でロシアが中国に協力するというものだ。北極海航路のメリットは、北東アジアからヨーロッパへの航海日数の短縮だ。所要時間の短縮は燃料節減に寄与する。そうなると日本海が中国船の往来で混雑する。当然、地域の安全保障に変化が生ずるから日本の「地政学的リスク対応政策」への反映は必至だ。中国の「一帯一路」の上位にある戦略は「中国の夢(チャイニーズドリーム)」だ。習近平主席は、アメリカでD・トランプ前大統領との会談時「中国の夢」を語った。この「夢」は、陸と海に中国古代の栄華を再興する新たなシルクロードに加えて北極海に氷のシルクロードを構築して、中国が「交易路」の支配を実現する構想だ。太平洋にはまだ道が無い。日本列島を東西に置く逆さ地図で見ると、カムチャッカから日本列島、台湾を連ねシンガポールに至るまで、大陸国家は、列島線によって太平洋への進出路を封鎖されている。太平洋に進出する中国の宮古水道通峡は公海だから問題ないが、有事想定では不自由が増大する。長期の航海には寄港地を確保して安全・補給・給養・整備の便宜を万全にしなければならない。中国は、イギリスの海洋覇権全盛時代に「真珠の首飾り」と呼ぶ寄港地が鎖状に存在した例に倣い、小国港湾の整備を金銭・技術・労務面で支援し、返済できなければ港湾の権利をわが物にしているようだ。そのプロジェクトは南太平洋まで延伸している。加えて、中国が黄海、東シナ海、南シナ海から太平洋、北極海へ出て行くには無害航行・安全が保障されなければならない。宮古水道の自由航行が認められても、沖縄に米軍が駐留しているから脅威だ。このため、尖閣が中国のものになれば風穴が空くため、尖閣を実効支配した暁には、強力な軍事基地が建設されるだろう。そして北極海、太平洋ともに無害航行ができるようになれば、中国の「夢」実現に大きく弾みがつく。これがチャイニーズドリームの地政学的戦略だ。(了)

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