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「日本の危機管理意識に大問題」

東京大学
公共政策大学院教授
鈴木 一人 氏

――この度、「福島原発事故10年検証委員会」の座長として、原発事故10年後の検証と教訓を綴った最終報告書をまとめられた…。

 鈴木 「福島原発事故10年検証委員会」は、「原発事故独立検証委員会(民間事故調)」の後継組織として2019年夏に発足した。今回の報告書は、当時の関係者等約40名にインタビューを行い、事故後10年を迎える今、その教訓が生かされているかどうかを検証することが主な目的だった。この検証を終えて私が一番感じたことは「日本は10年経っても危機に対する根本的な考え方が変わっていない」という事だ。私は今、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」の委員も務めているが、丁度そこでも「国家的な危機が起きている中で、日本のガバナンスはどうあるべきか」という議論を行っている。原発事故から10年経ち、再びコロナという未知なる脅威に遭遇し、日本社会がこういった危機にどのように対処するかを実際に考えていく中で、日本の危機管理意識には大きな問題があると感じている。

――原発災害とコロナ禍という2つの国家的危機を同時に比較検証して分かったことは…。

 鈴木 日本人は危機意識が足りないという人もいるが、私はそれよりも、「平時の意識」が強すぎるため、危機的状況になっても危機モードへの切り替えをせずに、平時の状態のまま物事を進めようとすることが問題だと感じている。法律も権限も、国家的危機だからといって何かを変えようとするのではなく、普段の状況からある程度危機に対応した仕組みを作り、その状態で固めているために、本当の危機に瀕した時に押すべき危機モードスイッチをなかなか押そうとしない。そして、ぎりぎりの状態になって漸くスイッチを押すと、すでに手遅れとなっており、至る所でしわ寄せが出てくる。それがまさに原発事故被害が拡大した要因だ。

――危機に対する準備が出来ていないという以前に、危機を予測する力が弱い…。

 鈴木 10年前の原発事故を検証すると、そもそも「原発事故が起こるかもしれない」という前提で備えをするとなれば、「原発が絶対に安全とはいえない」という意味だと取られるかもしれないという変な圧力があり、備えをしたくてもできないという状況があった。つまり、日本では、起こりうる危機のために準備をしないことが平時の安心につながっているということだ。私は報告書の中に「小さな安心のために大きな安全を犠牲にするな」と記したが、日本人は平時に危機のことなど考えたくないため、起こりうる危機から目をそらし、永遠に不幸なことなど起こらないと考えて、その準備をすることすら縁起が悪いとして忌み嫌う風潮がある。これでは、日々の安心は得られても危機時の安全は得られない。

――日本では危機的な状況への準備をすることによるハレーションを危惧して、やるべきことを見過ごしている。それが現在のコロナ禍対応にも当てはまる…。

 鈴木 原発でも人為的なミスは起き得ないとして「もしかしたら」を考えないまま、結局事故が起きた。今回のコロナ騒動もそうだ。これまでにもSARSやMERSといった感染症が世界的に流行したことはあったが、日本は島国ということもあり国内に持ち込まれることはなかったため、水際で止めることが出来ればよいという認識だけで、それ以上の対策を考えることをしなかった。そのため、今回のコロナ禍でPCR検査の不足が起きたり、保健所の能力が限られ、加えて平時と同じような人員と作業量で対応を続けているため、一部の感染症対応の医師だけに過剰な負担がかかっている。例えば、通常PCR検査やワクチン接種を行うためには医師免許が必要だが、危機時で人手が足りないような場合には、きちんと訓練した人が代行出来るというようなシステムに切り替えるといった柔軟性が必要だ。

――危機時の対応モードに素早く切り替えることができない理由は…。

 鈴木 そもそも、日本では権力や政府の役割の位置づけが「悪」のように捉えられている感がある。満州事件以降、軍部が危機を煽ることで勢力を伸ばし、権力を掌握したという過去があり、そのため権力はセーブされるべきものという考えが強い。しかも、それを一言一句法律の中に閉じ込めようとする、非常に強力な法治主義が存在している。原発事故を例にとると、原子力発電所で事故が発生した場合「原子力災害対策特別措置法第15条」のもと危機時の運用に変わると定められている。しかし、その先のガバナンスを具体的にどのようにしていくかは記されていないため、それから先に進むのに非常に時間がかかった。さらに、危機時に政府に権力を集約させると乱用するのではないかという大きな抵抗勢力があり、それも平時から危機時へのスムーズな切り替えの妨げとなっていた。

――過去に縛られ、未知の危機に備えることが出来ない…。

 鈴木 英語のことわざに「将軍は過去の戦争を戦う」とあるが、70年前の戦争経験をもとに現代の世の中で戦おうとしても太刀打ちできないことは明らかだ。これは戦争に限らず、災害や感染症にもつながる。日本では洪水や地震といった災害は比較的頻繁に起こるため、そういった経験をもとに作り上げた対処法はそれなりにしっかりとアップデートされているが、原発事故や今回の感染症のように、一生のうちに起こるか起こらないかという不確実な危機に対しては、先述したように予測する力が弱い。それは、日本人が「確実ではないものに手を出さない」というような気質もあるからかもしれない。しかし、危機というものは大体不確実なところからやってくる。そして、それを想定しない限り、備えは出来ない。

――そういった日本人が、どのようにすれば危機を想定出来るようになるのか…。

 鈴木 なかなか難しい質問だが、先ず一つ、政治的なリーダーシップは不可欠であり、そのリーダーとなる人物が、やっておかなくてはならないことをきちんと認識していることは重要だと思う。私の専門は宇宙政策なのだが、宇宙空間のガバナンス問題を考えるにあたっては、米中対立の狭間で日本に起こりうる事態を考えられるだけ予測して、その備えとして机上練習や、海外との調整の枠組み作りを進めている。色々な可能性やシナリオを想定するのは専門家の責任だ。そして、その声をもとに備えを実現させるためには、政治家や官僚の力が必要となる。物事の決断を下すポジションにある人には、「備えをすること」が「実際にその危機が起こる」と考えるのではなく、「オプションが一つ増える」ことだと考えてほしい。無駄を省くことを第一に考え「備えをしても実際に危機が来なかったらそれが無駄になってしまう」というような超合理的な決断をしていては、危機に対する備えはできない。

――危機に対する備えが無駄だと考える人がトップにいては、備えは出来ない…。

 鈴木 日本社会は極力無駄を排するような傾向がある。例えば、自分が豊かな人生を送りたいと思った時に一番良い方法は、良い会社に入ることであり、そのために良い学校に入る。というように、一直線の人生を歩んでいく。すべてのチェックポイントを通過することで、大きな目的に達するという考えのもと、それ以外の事をすべて無駄だと考える環境の中で育っていく傾向にある。特に、一直線に進み成功し続けて今の地位を得た優秀な官僚のトップに「必要な無駄もある」と言っても、その考え方を理解するのは難しいかもしれない。さらに言えば、「もしかしたら失敗するかもしれない、失敗したらどうするのか」といったセカンドキャリアやフォールバック、或いはセーフティネットという概念も乏しい。しかし、地震や台風被害のように頻繁に起こりうる危機だけでなく、原発事故や感染症や戦争のように極めて不確実な危機に対しても、しっかりと予測し、色々なオプションを作ってリスクヘッジをしていかなければ、いつまでたってもいざという時の危機に迅速な対応が出来ない日本のままだ。トップが「危機に対する備えは決して無駄ではない」という考え方をしっかり持ち、同時に国民皆でこのような考え方を共有していくことが一番大事なことだと思う。(了)

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