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「中国の影響受け世界が独裁化」

国際政治学者
北海道大学名誉教授
早稲田大学名誉教授
伊東 孝之 氏

――香港やミャンマー、ロシアなど、力で民主化を抑えるような事件が相次ぎ、世界的に民主化の危機が始まっているようだ…。

 伊東 米国の政治学者サミュエル・P・ハンティントンによれば、19世紀初頭から現在に至るまで、三つの民主化の波が起きた。第三の波といわれる最新の民主化の動きは1974年頃に始まり、2000年代まで続いた。民主化の波が終わると、通常民主化の揺れ戻しの波、つまり独裁化の波が起こる。実際にアフリカ、ラテンアメリカ、アジアなどを中心に2000年代に入ってから独裁化の兆候が目立つようになった。また旧ソ連諸国ではバルト諸国、ウクライナなどを除き独裁政治体制が支配的となっている。EUに加盟しているポーランドやハンガリーでさえ独裁化の傾向が目立っている。

――どういったことがきっかけで、その波は起こるのか…。

 伊東 それについてはいろいろな説があるが、分かりやすいのは政治体制の波はその時代に一番強大である国をモデルとして起きるというものだ。第二次世界大戦後に起こった民主化の波のモデルは米国だったが、その傍らにはソ連のモデルも存在した。東西冷戦中の約40年間にはソ連的な政治体制を目指す国もあったが、米国をモデルとする民主化の波の方が徐々に優勢となった。そして1991年のソ連崩壊後、世界は米国一強になったと思われ、実際に多くの国々が民主化した。しかし、実のところ米国が世界で占めるGDPの割合は第二次世界大戦直後に50%ほどに達したのをピークとして縮小し続け、現在では10%くらいに過ぎなくなっている。もはや米国一強という時代ではなく、米国は軍事的に強力な国であっても、経済的には必ずしも魅力的な国とは言えなくなっている。

――今後、米国の政治体制モデルにとって代わる国は…。

 伊東 米国に代わる国として台頭してきているのはEUだが、EUは27カ国もの集まりであるため、必ずしも政治的にまとまっているわけではなく、軍事的にも米国に頼っているところがある。他方で、中国は経済的にも米国に迫る勢いでGDPは米国を追い抜こうとしている。軍事的にはすでに大国といえよう。何よりも中国自体が他の国にとって政治体制のモデルとなることを目指しており、実際にアフリカ諸国や近隣アジア諸国など、中国モデルに追随する国々が出てきている。

――中国は、独裁国家だが比較的安定しており、且つ経済成長も遂げている。この中国モデルの波が大きくなれば、今後は西側諸国の民主主義と中国モデルが拮抗していくことになるのか…。

 伊東 基本的に独裁モデルは軍事独裁、政党独裁、個人独裁の三つに分類され、中国は今までのところ政党独裁といえる。政党独裁は政党を作ったり、大衆組織を作ったりするなど民主主義に学んでいる側面もあり、三つのモデルの中では一番長持ちすると言われている。実際に、初めて政党独裁を導入したソ連の独裁政治は72年間続いた。ソ連の場合、第二次世界大戦に勝利し、領土を拡大したという側面が大きいが、中国の場合も第二次世界大戦で日本を破り、国土を統一して大いに国民の支持を集めた。出発時点での経済水準が低く、色々な問題があったものの、中国の政党独裁体制は今年で71年目に突入している。特に鄧小平以降の中国のGDP成長率は年平均10%超が30年以上も続くなど、世界史に例を見ない長期の高度成長を遂げた。それに乗じて指導者の習近平は近年、国家主席、党総書記、党中央軍事委員会主席など国家の枢要な地位を独占し、かつその任期を撤廃するなどして政党独裁を超えて個人独裁の傾向を示し始めている。この政治体制がどれくらい続くか判断が難しいところだが、取りあえずあと10年から20年程度は保つのではないか。その間、西側モデルに対抗できるかどうかは分からないが、一部のアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国にとっては魅力ある選択肢を示すと思われる。

――一方で、トランプ元大統領による連邦議会襲撃の扇動問題などで、民主主義国家の代表格である米国は揺らいでいるように見えるが…。

 伊東 確かにトランプ大統領末期の混乱によってアメリカの民主主義は動揺したが、民主党のバイデン候補が大統領選挙において幾多の困難にもかかわらず快勝したことによって再び安定を取り戻すだろうと思われる。おそらく暫くはトランプ主義の後遺症が続くだろうが。中国においては力を持ち始めた中産階級が習近平政権に批判的になってくることが考えられる。中国でも急速な経済成長によって中産階級が財産を蓄え、教育水準を高め、海外でも見聞を広めて、自信を深めつつある。彼らが個人独裁を長く許すとは思えない。なんらかのきっかけで政治体制が動揺しはじめるかも知れない。それは経済危機かも知れないし、地方の反乱かも知れないし、外交政策の失敗かも知れない。一番ありそうなのは政権内部で分裂が起きることだろう。ソ連も政権末期にはほぼ無政府状態に陥った。

――14億人という国民をもつ中国の将来の安定を考えると、それぞれの民族に分かれて連邦制度にするやり方が良いのではないかという意見もあるが…。

 伊東 連邦制は封建制となじみが深い国家体制だが、中国は古代の周王朝を除いて封建制を採ったことがない。中国史は中央集権的な国家になるか、或いは分裂して多くの地方政権に分かれて相互に争うかだった。そのため、今後も中国が連邦制を取るだろうと予測するのは難しい。ソ連の連邦制は民族共和国を単位としたもので、連邦制としては珍しいあり方だった。それは異民族が人口の半分を占めるという特殊事情に基づいたもので、民族問題解決の一つの方策だった。しかし、中国では異民族は人口の8%程度を占めるだけで、しかも辺境に位置している。同じ共産党国家として中国もソ連に倣って民族連邦制を採ろうとしたことがあるが、結局は単一制を採用した。統一国家を維持するという意味ではこれは正しい選択だったかも知れない。ソ連では民族政策がかなり成功して、ソ連が解体しかかったとき中央アジアの民族共和国は連邦中央を支持し、国家の統一維持を主張したほどだった。しかし、結局は民族共和国の境界線に沿って分裂してしまった。中国はソ連が崩壊したのを見て、ますます諸民族の自立的傾向を抑え、高度中央集権国家への道を歩もうとしているかのように見える。それはウィグル人やチベット人に対する抑圧的な政策によく現れている。

――中国は敢えて民族的自立を抑圧していると…。

 伊東 国家の分裂か、中央集権国家かという中国史における宿命的な揺れが、現在、後者の方に強く傾いているとすれば、それは日本のような周辺国家にとっても無関心ではいられない。中国はこれまで内陸において領土拡張を行ってきたが、現在では内陸方面ではロシア、カザフスタン、キルギス、インド、ミャンマー、ベトナムなどの既成国家に阻まれて領有権を拡張することができなくなっている。これに対して、海洋方面ではまだその余地があるかのように考えている感じがする。例えば、南シナ海では、これまでベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、インドネシアなどが領有権を主張していた西沙諸島、南沙諸島(スプラトリー諸島)、ミスチーフ礁などに対して自らの領有権を主張し、軍事基地を建設しはじめている。しばらく前からわが尖閣諸島に対しても領有権を主張しはじめた。領土紛争はゼロサムゲームであるため妥協が困難だ。隣国との間でそのような紛争が起きないように、なるべく早めに解決を求めた方がよい。日本は既にロシア、韓国との間に領土紛争を抱えている。幸い、尖閣諸島は無人島であるので、解決のチャンスがあるかも知れないと思ったが、中国は尖閣諸島の次には沖縄に対しても領有権を主張する気配を見せている。したがって、ここは譲ることができないだろう。米国、アジア、太平洋、インド洋諸国と連携して、中国の領土拡張傾向を抑え込むように努力すべきだ。/p>
――今後、民主化後退の波が大きくなれば、アセアン諸国や一帯一路に関わる国々は中国の政治体制の影響をうけ、独裁政治へと舵を切っていくのか…。

 伊東 すでにその動きはある。ベトナム、ラオス、カンボジアはもともと共産党の影響が濃い独裁国家だった。フィリピン、タイは過去に民主化した経験があるが、しばらく前から独裁化の傾向を顕著に見せている。最近のミャンマーの動きも、ある意味ではそうした独裁化の流れに沿ったものと考えてよいだろう。今後、独裁化の傾向は他のアセアン諸国にも及ぶ可能性がある。しかし、アセアンはEUと違い民主主義が加盟の要件とはなっておらず、政治体制とは関係なしに東南アジア諸国すべてを経済的に統合することを狙った地域組織だ。日本も政治体制を問わない外交を行っているので、その点ではあまり大きな問題にぶつからないだろう。ただ、ミャンマーの軍事クーデターについてはわが国では誤解されている側面がある。一般的に中国が背後にいるのではないかと言われているが、必ずしもそうではない。中国はアウン・サン・スーチー国家顧問と良好な関係を保っていた。むしろ軍部との間で距離があったようだ。ミャンマーの軍人は国家の安全保障の観点から中国に対して警戒心をもっているといわれる。中国は古くから雲南省とインド洋の間に通商路を開くことに関心をもっていた。石油パイプラインを開設したが、さらにハイウェイも施設したいと考えている。これに対してミャンマー軍部は首を縦に振らなかったと言われる。確かにここは第二次大戦以来戦略上の要衝だ。ミャンマー軍部はインドと中国に挟まれて選択に苦慮しているのかも知れない。いずれにせよ、軍事独裁は独裁制のタイプとして今日の世界で次第に稀少となる傾向を示している。それは経済発展を阻む恐れがあるし、内部分裂の危険も孕んでいる。すでに外国資本が撤退し始めたと伝えられている。中国からも西側からも支援が得られなければ、軍事政権は孤立してしまうだろう。他方で、アウン・サン・スーチー国家顧問もロヒンギャなど少数民族問題で西側諸国と衝突し、かつての民主化の旗手としての評価には翳りが見えている。そろそろ新しい政治家世代が登場して、民主化の事業を引き継ぐことを期待するべきではないか。(了)

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