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「中国、まるで帝国主義時代の国」

元駐カナダ大使、元外務省中国課長
田島 高志 氏

――尖閣諸島を巡り日本と中国がそれぞれの見解を表明している…。

 田島 尖閣諸島は、日本が1895年に閣議決定をして、国際法上の無主物先占の法理により、日本の領土となった。その具体的な経緯は、1885年に古賀辰四郎という民間人が明治政府に借地願いを提出したため、明治政府が尖閣諸島に関する詳細な調査を行ない、この島が無人島であり、かつ、国際法上の領有権保有国もいないことを確かめた上で、国際法上の日本の領有権を確保したというものだ。以来、尖閣諸島は日本の領土として現在まで継続しているというのが日本の論理だ。その後76年間は、それに異論を唱える国はどこにもいなかった。しかし、1971年になって、先ず台湾が、続いて中国が尖閣諸島を自国の領土だと主張し始めた。台湾や中国が急にそのような主張をし始めた理由は、1968年に国連極東経済委員会が東シナ海の海底資源調査を行い、尖閣諸島周辺の海底に大量の石油が埋蔵されている可能性が高いということを発表したからだという見方が一般的だ。

――国際法上、尖閣諸島が日本の無主物先占と決定されたのであれば、中国や台湾からは文句をつけられる筋合いは無いと思うが…。

 田島 おっしゃるとおり、文句をつけられる理由は全く無い。中国側の主張は「古来、尖閣は中国のもので、明の時代には外敵を防御するための地域となっていた」とか、「1894年~95年の日清戦争で日本が勝利した際の日清講和条約で、台湾割譲のどさくさに紛れて日本が尖閣諸島を盗み取った」とか、「第二次世界大戦後のサンフランシスコ平和条約で、日本が台湾を放棄した際に尖閣諸島も含まれていた」など、国際法上は根拠にならない理屈を造り挙げている。「昔の地図に載っている」というのであれば、世界中でいろいろな古い国が類似の要求をしたら、大混乱が起きるであろう。日清講和条約でもサンフランシスコ平和条約でも、尖閣諸島の「せ」の字も議論された経緯はない。また、中国は、1943年に米英露中の4カ国が集まり、日本に対して「第一次世界大戦後中国から奪った島や地域は中国に返さねばならない」と求めたカイロ宣言を挙げるが、第2次世界大戦後の日本の領土は、1951年に46カ国が参加して調印したサンフランシスコ平和条約で決定されたのだ。

――サンフランシスコ平和条約では尖閣諸島は日本の領土として認められているのか…。

 田島 1952年のサンフランシスコ平和条約では、琉球諸島を含む南西諸島が米国の施政権の下におかれることが決められ、尖閣諸島は琉球諸島の一部として米国の施政権の下におかれた。1972年に沖縄返還協定が締結され、南西諸島の施政権が日本に返還されたが、米国の施政権の下にあった期間も南西諸島の領有権はずっと日本にあった。例えば、1964年の東京オリンピックのときには、聖火ランナーは沖縄からスタートして九州、四国、本州、北海道と日本全土をまわった。その際ケネデイ米大統領は、「沖縄はもともと日本の領土であり、施政権が早く日本に戻るように期待している」と発言し、沖縄の領有権が日本にあることを認めている。日本側が尖閣諸島の領土問題は存在しないといい続けているのはそういった背景と、歴史の事実があるからだ。さらに、中国は、現在、尖閣諸島が台湾の一部であると主張しているが、1971年以前には、中国も台湾も尖閣諸島は琉球諸島の一部であると公式文書、新聞の解説記事、世界地図などで認めていた事例がたくさんある。

――1972年に日本と中国は国交正常化交渉を行ったが、その過程は…。

 田島 中国側は、1972年の日中国交正常化交渉のとき、また、1978年の日中平和友好条約交渉のときに、尖閣諸島を巡る問題について日中両国間に棚上げの合意があったと主張している。尖閣諸島を中国の領土だと主張し始めたのは、1971年頃の米国在住の華僑達だった。当時、私はNY総領事館に勤務しており、尖閣諸島を巡る討論会にたまたま傍聴に出席した際に、手を上げて反論した経緯がある。1972年の日中国交正常化交渉では、公式記録によれば、田中角栄総理が周恩来総理に対して「尖閣諸島についてどう思うか」と聞いたところ、周恩来総理は「今は話したくない」との返事をしたため、とりたてて棚上げの合意がなされた訳でもなく、そのままで日中共同声明が発表された。1978年の日中平和友好条約交渉の際には、私は外務省の中国課長を務めていたため、直接の責任者の一人として、その交渉についてはよく記憶している。中ソ対立が激しかった当時の中国は、日中平和友好条約を早期に締結したいと考えており、日本にも、長年の懸案事項であった日中平和友好条約を早期に締結すべきであるとの国内世論の高まりがあった。そして交渉が始まろうとしていたときに、100隻を超える中国の漁船が尖閣諸島周辺に進入し領海を侵犯するという事件が発生した。中国側はこの事件を「中央政府が関知しない偶発的な事件である」と釈明したので、事件を収束させ、条約交渉を始めたが、日本国内の慎重派は、尖閣諸島が日本の領土であるとの確約をとれと主張し、それを条約締結の条件とした。

――条約の最終交渉の現場にも参加されたそうだが…。

 田島 最終交渉は7月21日から始まったが、大体の条約内容が固まった8月8日に園田外務大臣が訪中し、外相会談が行われて最終的に交渉が妥結した。続いて鄧小平副総理と園田外務大臣との会談が行われた。鄧小平副総理は「日本と中国との間には2000年の交流がある。色々なこともあったが、それも2000年の交流から見ればほんのわずかな時期であり、歴史的な問題は、今はもう水に流した。現実には尖閣問題や大陸棚の問題などいくつかの問題があるが、今は知恵が無いため、そういったことは脇に置こう」と発言した。そこで園田外務大臣は尖閣問題についてきちんと決着をつけるために、「日本の立場は閣下の御承知の通りである。今後は先のような事件を起さないで欲しい。」と釘を刺した。すると鄧小平副総理は「この問題は、数年、数十年、百年でも脇においておけばよい。次ぎの世代、あるいはその次の世代の知恵に任せる。中国政府としては問題を起こす事は無い。」と明言した。

――園田外務大臣と鄧小平副総理のその時の会談は録音されていないのか…。

 田島 録音は日本側にはない。中国側のことは知らない。園田外務大臣は鄧小平副総理のその言葉を持って日本に帰国し、その報告を受けた福田内閣は、日中平和友好条約への国会の承認を得て批准された。そして、その後の批准書交換式に鄧小平副総理が来日した時も、鄧小平副総理は福田総理に「尖閣の問題は後の世代に任せればよい」と言っていた。さらに、鄧小平副総理が中国の首脳としては初めての記者会見を行った時にも、記者から尖閣問題について問われ、「国交正常化の際も、今回の日中平和友好条約交渉の際も、その問題には触れないことで一致した。一時棚上げしても構わない。」などと答えた。そのような経緯がある中で、昨年、東京都が尖閣諸島を買うと言い出し、船だまり造成などを示唆したので、これには日本政府も驚いた。というのも、それ以前の2008年には中国の公船が日本の領海に侵入し、2010年には中国漁船の海上保安庁の巡視船への衝突事件が起きていたため、ここで再び尖閣諸島問題が前面に出てきて中国との関係が悪化するようなことは政府としては避けたかった。そこで、政府が尖閣諸島を購入し、従来どおり平穏に尖閣諸島を管理することにして、問題を大きくしないようにと考えた訳だ。

――しかし、中国側はそれに対して猛烈な反対抗議を行った…。

 田島 中国は、日本が尖閣諸島の有効支配をさらに強化しようとしていると解釈し、日本政府の尖閣諸島購入に反対した。ここで、尖閣の「国有化」という言葉がプレスで使われたことも問題だった。政府は「購入」という言葉を使っていたが、「国有化」という言葉はいかにも他国所有のものを没収するような印象を与えたと思う。そして、野田首相が中国の胡錦濤主席と会った直後に購入決定の発表をしたことで、中国は反日暴動を起した。中国は、尖閣諸島が中国のものだと世界中に宣伝している。中国人が夫婦喧嘩をする時は、家の外に出て大声でやるのだが、それと同じ方式で、世界中に日本の悪口を言って回っている訳だ。ただ、いわゆる「棚上げ」に合意があったか否かについて見れば、中国側は「尖閣諸島は放って置いてよい。政府として問題を起こすつもりはない」と言った。それは、日本側にとり困る話しではなく、現に日本側が有効支配をしているのであるから、棚上げに合意する筋合いの話ではなく、合意はなかったと言える。

――日本と中国は隣国であり、GDPも世界2位、3位の大国同士だ。このまま仲たがいした状態が続くことは、お互いにとって好ましいはずが無い…。

 田島 私は、「棚上げ」の合意があったか否かという問題は、レトリックの問題であり、真の問題ではなく、双方が友好協力関係を進展させるために、尖閣を巡り、どのような行動を採ってきたかが、真に重要な問題であると思う。日本はこれまで、尖閣諸島を安定的に、平穏に管理し、中国側を刺激しないように努めてきた。しかし、中国は1992年に領海法を制定し、そこで最初に現状維持を破壊した。さらに2008年には中国の公船が日本の領海に侵入し、2010年には漁船衝突事件も起こした。2012年には日本が事を荒立てないように尖閣を購入しようとしたが、中国はそれに反発し、中国国内にある日本企業への暴力行為を許した。こういった中国側の行動は、両国間の友好関係を保つための行為とはいえない。「海洋権益」を誇大に主張したり、「偉大なる中華民族の復興」を唱えたりと、ナショナリズムを高揚させており、まるで帝国主義時代の国の発言のようであり、国際協調時代に生きる大国の発言としてふさわしいものとは思えない。不満が有るのならば、中国側が知恵を出して話し合いを提案すべきなのに、そういったことをせず、威圧や挑発ばかりを行うのはおかしなことだ。ただ、中国側のそういう態度を忍耐強く聞きおいて、成熟国としての日本側が、話し合いの提案をしても良いのではないかと思う。鄧小平副総理が述べたように、日中間には、アジア及び世界の安定と発展にために協力すべき共通課題が山ほどある。すべてにおいて日本が受身になっているというのは問題だ。日本国民が、一丸となり、知恵と能力を絞って、隣国に、世界に対して、積極的に働きかける行動を起してもよいのではないかと思う。(了)

※肩書きはすべて当時のもの。

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