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「現憲法でも国土防衛は完璧」

法学館館長
伊藤塾塾長
伊藤 真 氏

――「立憲」とは独裁者や支配者と国民が対峙する大切な言葉だ。しかし、日本では立憲主義とは何なのかを知らない人も多い…。

 伊藤 残念ながら日本では「憲法とは何のためにあるのか」というような立憲教育が皆無に等しい。立憲主義とは、憲法で国家権力を規制し、それによって国民の権利を保障するというものだ。つまり、憲法は国家権力を縛るためにある。現日本国憲法は連合国軍の指令下で押付けられたものだから改憲すべきと言う人もいるが、私は、第二次世界大戦という酷い戦争を経て勝ち取った憲法という意味で、日本人が作った憲法といって良いと思う。最初のたたき台をマッカーサーが作り、それをもとに日本の内閣が色々と修正し、衆参議院で修正し、日本の国民の代表者が議決して作った。その中にはイギリス革命、アメリカ独立宣言、フランス革命といった人類の英知が詰まっている。それを引き継いでいるといっても良いだろう。押付けられたと思っているのは、戦争を主導した旧体制を維持したかった人達だけではないか。国民はむしろこの憲法の制定によって旧体制の日本政府から解放されて有難いと感じたと思う。自民党はその現行憲法に対して改憲草案を作成したが、それについて、「国民が不自由になる自主憲法よりも、国民が自由になれる押付け憲法のほうがましだ」という人もいる。押し付けであろうがなかろうが、最終的には中身ということだ。

――自民党の改憲草案では「国防軍の保持」を主張している。これについては…。

 伊藤 これまでの憲法9条の議論は、平和国家を築いていくために軍隊を持たないという非武装中立論と、国防のためには軍隊がどうしても必要であり、軍隊ではなくとも自衛隊という実力部隊は最低限必要という専守防衛論の争いだった。政府見解は国土防衛のためには戦力ではない自衛隊という実力部隊が必要不可欠とする一方で、護憲派は自衛隊すら解消していく方向にすべきだという議論がなされていた。ところが、今回の自民党の改憲案では専守防衛に徹するのか、あるいはそれを越えて国土防衛・専守防衛とは関係ない軍事行動までとれるようにするのか、という議論になっている。集団的自衛権と国際協力の名の下での武力行使は、現行憲法やこれまでの政府見解では絶対に出来なかったことであり、今回、自民党がこのような改憲草案を出してきたことに対して、国民は特に注意しなくてはならない。

――非武装中立か専守防衛かというこれまでの9条の論点が、今では専守防衛を超えて世界で軍事行動をとるための改正案になっていると…。

 伊藤 自民党案の一番のポイントは、9条2項にある交戦権の否認を削除したことだ。交戦権とは、交戦当事国に何かトラブルがあった時に国際法上認められる様々な権限の事であり、具体的には交戦相手の敵国兵士を殺傷したり、敵の軍事施設を破壊したりすることを言う。現行憲法ではこれを否認しているため、日本の自衛隊は原則人殺しが出来ない。例外的に自分の身が危ない時には正当防衛で撃つことが出来るが、いわゆる国内の警察官や一般市民と同じような立場で出かけている訳だ。しかし、交戦権の否認を削除すれば、原則、敵国兵士を殺すことが許されるようになる。それは、日本の自衛隊の性質を大きく変えるものだ。

――自国を守ることとは関係なく、同盟国を守るためにも戦える「国防軍」を保持するということか…。

 伊藤 尖閣諸島問題や北朝鮮のミサイルから日本を守ってもらうためには国防軍くらい必要だという人がいるが、少なくとも現行憲法と政府見解のもとでの自衛隊と安全保障条約があれば国土防衛は十分完璧と私は考えている。これまでの政府見解では、国土防衛のためであれば小型核兵器すら保有出来る。若干自衛隊法改正の必要はあるかもしれないが、自衛のための必要最小限度の実力といえるのであれば何でも出来る。例えば中国が尖閣諸島に攻めてきた時に中国と日本が戦って相手を殺してしまったとしても、それはあくまでも自衛権の実力行使であり、今の政府見解でも全く問題なく認めると言っているし、防衛白書の中にも、それが集団的自衛権や国際協力の交戦権とは別物だということをはっきりと記してある。さらに、国土防衛のために5兆円近い防衛省予算に加え、在日米軍駐留経費予算を国民は容認している。ところが、今の憲法のままでは出来ないのが集団的自衛権と国際協力のための武力行使であり、これをやりたいというのが今回の自民党による9条改憲草案のポイントだ。

――自衛を目的にした行為であれば、現行憲法とこれまでの政府見解で十分であり、憲法を改正する必要は無いと…。

 伊藤 そういうことだ。また、北朝鮮が米国に向けてミサイルを飛ばしたときに、日本がそれを打ち落とさなければ日米同盟にひびが入るといった議論から集団的自衛権の必要性を説く人もいるが、例えば北朝鮮が米国に対して撃ったミサイルを日本が打ち落とせば、その時点で日本が北朝鮮に対して宣戦布告をしたということになる。そうすると、北朝鮮のミサイルはすべて日本に向かってくるだろう。日本が抱える原発約50基にテポドンやノドンが真上から落ちてきたら、それはSM-3では防げない。それだけでなく、日本が攻撃の標的になれば日本に潜伏している北朝鮮工作員が一気に動き出すかもしれないし、或いはサイバーテロが仕掛けられるかもしれない。米国を守るために、日本国民の生命や財産が危険に晒されるということだ。国際社会は極めて冷徹だ。どの国も自国の国益が一番大事であり、自国民の生命・財産を守ることが第一の任務だ。それが確保されて初めてようやく同盟国を守ることが出来る。同盟国を守るがゆえに日本の国民の生命や財産を危険に晒すといったお人よしの国は世界中どこを見てもない。日本国民はそんなリスクを抱えてまで米国を助ける覚悟はあるのだろうか。そこはきちんと認識しなくてはならない。

――今の日本は戦争など出来る状態ではない。だからこそ、戦争にならないように他国と仲良くしておくというのが、国民の生命・財産を守る最も現実的な方法だ…。

 伊藤 軍隊を持たずに国が守れるのかと言う人もいるが、国民の生命・財産を守るのは軍隊ではない。警察の仕事だ。軍隊は国家の独立と安全を守るものであり、そのためには国民を犠牲にしても構わない。沖縄戦が良い例だ。国民の生命や財産を犠牲にしてまで国や体勢を守るのが軍隊の仕事であり、軍隊を持ったからといって我々国民の生活や財産が守られるものではない。どの国でも、戦争というのはそういうものだ。そして、集団的自衛権を作る目的は米国の要請と、軍需産業の要請という部分が大きく、国民のことを考えている訳では無いということも認識しておくべきだろう。そもそも集団的自衛権というのは第二次世界大戦後、国連憲章を作る際に米国が無理やり作ったものだ。当時、ソ連による南米侵略をなんとしても防ぎたかった米国が、例え安全保障理事会でソ連の拒否権が行使されても軍事行動がとれるように集団的自衛権という概念を押し込んだ。そして米国は、集団的自衛権という名の下に、これまでベトナム戦争、ニカアグラ侵攻、アフガニスタン戦争といった色々な戦争を続けている。集団的自衛権を認めるということは、そういったことに巻き込まれるリスクを我々日本人が抱えるということだ。自国の防衛ならまだしも、無用な他国の戦争に行き、多くの日本人が殺され、新たな敵から日本が攻撃されるようなことがあっても良いのか。日本国民は改憲がもたらすことを十分に考える必要がある。(了)

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