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「平和を勝ち取るため憲法改正を」

産経新聞
編集局 編集長
近藤 豊和 氏

――憲法改正について色々な議論がなされている…。

 近藤 戦後日本は経済的発展を遂げ、G7やサミットへも加入した。戦後約70年経ち、日本国民の大半が坂の上の雲を極めたという感じを持っていると思う。そして今は、閉塞感に溢れているのだが、国の軸となる国家感を持っていない我々日本人には、この先の日本をどうしたいのか、どのような国に住みたいのかといった意識すら欠乏している。そこで我々は、最高法規である憲法を改正することで、日本という国の在り方を見つめ直すべきだと考えた。先祖から受け継いできた領土やこの国の安定した形を今後も繋いでいくという強いマインドを持たなければ、この先の日本はどうなるかわからない。この国がより良く発展し、国際社会における名誉ある地位を維持するためには、国民皆で憲法についてきちんと考え、議論する必要がある。憲法を通じて国民的議論を巻き起こすことで、国の在り方や行く末を真剣に考えていかなければならない。

――憲法のどういった部分を直すべきと考えているのか…。

 近藤 GHQによってわずか一週間で作られた今の日本国憲法は、即席で、前文は米国の独立宣言などの部分的つなぎ合わせが多い。非常に米国的でリベラル性が高く、いわゆる戦争を起こしたことに対する詫び証文という発想で作られた今の憲法を、70年間そのまま1度も変えずにいるとはGHQでさえ思わなかったろう。その理由は、戦後の朝鮮戦争特需や東西冷戦の過熱によって日本が順調に経済的発展を遂げ、これまで国防や国柄、安全保障問題など考える必要もなかったからだ。しかし、国柄や国益を考えなければ、色々なものが立ち行かなくなる。実際に今の日本で行き詰まりを見せているのもその辺りに原因があると思う。そこで、我々が考える「国民の憲法」要綱には、日本には憲法があり、天皇をいただく君主国であるという「国柄」を明記している。そして、それを踏まえて安全保障や統治機構、国会のあり方、緊急事態条項などを新しく加えていく。今の日本は、北朝鮮のミサイルや核、中国覇権主義による尖閣諸島への威嚇、韓国との竹島問題、そしてロシアは東日本大震災の日本が未曾有の国難にあった時に偵察機を飛ばして上空から様子をうかがっていた事実など、安全保障の脅威に晒されている。もはや平和、平和と念仏的に唱えているだけで平和が獲得出来る時代ではない。平和は努力して勝ち取るものであり、平和と言う最大の福祉を確保するために、きちんと軍事力をもつ必要がある。

――今の憲法は軍事力拡大の抑止力になっている。しかも、いざ戦争となれば法律よりもコモンセンスが重視されるだろう。そうであれば、敢えて憲法を変える必要はないのではないか…。

 近藤 日本は成文法の国だ。独も伊も軍隊を持っているのに、何故、日本だけが自衛隊という形のままでなければいけないのか。私はそれが非常に疑問だ。日本でこの70年間まったく戦争がなかったのは、平和憲法で守られていたからではなく、単なる偶然だと思う。守ってくれるはずの米国も弱体化してきており、偶然にもラッキーだったこれまでの70年間が、今後10年も20年も同じであるという保証はどこにもない。経済界には「戦争が起ころうものなら、国債の1千兆円は紙くずになる」というような意見もあるようだが、戦争をおこさないために、そういう状況にならないために軍事力を用意しておくということだ。無防備なままでどこからでも攻めてくださいなどと日本が言おうものなら、それだけで東証の株価は下がるだろう。円相場はさらに下落し、価値がないほどの通貨になる可能性もある。きちんと世界で伍していける国になった方が、日本の経済的にも繁栄があるのではないか。

――第9条以外に変えるべき点は…。

 近藤 「国民の憲法」要綱には、「国家の緊急事態条項を新設する」と明記する。これは、例えば東日本大震災のような大規模災害や、最近現実味を帯びているサイバー攻撃などにより国家が大混乱に陥った時に、秩序を取り戻すため一時的に部分的な国家権力を強化して主権を制限する条項で、世界の大半の国の憲法に存在する。また、「家族の尊重規定を新設する」と明記する。憲法が目指す国の形は、個人の上に家族、家族の上に地域社会、その上に地方自治体、そして一番上に国がある。過去の歴史によって育まれた文化・伝統・アイデンティティーを土台にして国と個人を一体化させ、そこから未来の歴史を作っていくという考えがあれば、そこには自ずと統合・共生・躍動という意識が生まれてくる。しかし、戦後の日本は家族というものがあまりにもないがしろにされてきた。そういう意味で家族の尊重規定が必要だ。さらに「国民は国を守る義務を負う」という文言を入れているが、これは、この国の領海領土領空を守る気構えを持つということだ。例えば日本の貴重な水源地を平気で他国民に売り渡したり、沖縄の米軍基地周辺の土地を平気で外国に売り渡したり、あるいは日本が誇る高度な技術力を近隣諸国に明け渡すといったことを防ぐために、広い意味で国益や国を守るという意識をきちんと国民に持たせる必要がある。その他にも、衆議院のカーボンコピーのような参議院にはきちんと人事権専決権などを与えて、大所高所から安全保障を長いスパンで考えられる人々の集まりにしたほうがよいという案や、地方の暴走や独走を防ぐために地方自治体と国が常に協力すること、そして、憲法裁判における判断を迅速化、統一化させるために最高裁判所に憲法裁判部を作るというような案がある。

――まずは96条を変えて、その後じっくり抜本的な改正を考えるという案については…。

 近藤 今の憲法を改正するには、両院それぞれ3分の2以上の賛成と、その後の国民投票で有効投票数の過半の支持が必要だ。つまり、今の憲法は両院それぞれの3分の1の反対で常に何も変えられない状態にある。これは相当厳しいハードルだ。そこで、若干の緩和策として96条の改正の必要性が出てきている訳だが、確かに3分の2を2分の1にしてしまうと、別の考え方の政権が現れたときにすぐに再び憲法が変えられてしまうという恐れもあり、改憲派の中にも慎重論がある。例えば2分の1ではなく5分の3にするなど、この辺りはまだまだ議論が必要だ。いずれにしても、世論調査では96条の改正に対しては反対派が多い。しかし9条の改正に対する賛成派は案外多く、全体の改正については変えた方が良いという意見が殆どだ。戦後70年間1度も変わっていない世界最古の成文法である今の日本の憲法がそろそろ行き詰まりを覚える中で、変えた方が良いというコンセンサスは皆共有しているようだ。個人的には、96条を変えるよりも、誰もがそのままではいけないと考えている9条を先行的に変えたり、環境権やプライバシー権といった新しい条項を加えるようなことの方が、コンセンサスが得られるのではないかと思っている。

――憲法自体を変えなくても、解釈の方法を変えたり、その下にある法律を変えることで今までどおりやっていけるのではないかという意見もあるが…。

 近藤 確かに9条については、これまでにも特措法を作ってイラクで米軍の給油をするなど色々なことをやってきた。しかし、それでは絆創膏をぺたぺた張るようなものであり、根幹が変わらない限り色々なところで問題が生じてくる。自衛隊は警察予備隊の延長線上にあり、敵から危害を加えられて初めて正当防衛の行為が行える。つまり、それまでは何も手出しできないということだ。それでは実際に暴動が起きた時にどうするのだ。そもそも私は、今の憲法9条をどう解釈しても日本に自衛隊を持てるとは思えない。尖閣諸島に中国が降り立っても、今の憲法ではここに如何なる実力組織も持っていくことは出来ない。今までの日本は、9条だけでなく、すでに空洞化している憲法を「解釈」という言葉ですべて曖昧にしたまま神棚に奉るようにして扱い、問題がある毎に特措法を作って誤魔化してきた。しかし、そろそろ頓服薬も効かなくなってきた。もはや抜本的に外科手術をして直したほうが色々なことがスムーズに行くと思う。何よりも、建前と実際が違うように解釈されて運営されているという状況は、子ども達への教育にも良くないことだ。大人の世界には建前と本音があるということ、決まり事を必ずしも守らなくていいとうこと。今の憲法が子ども達にそう思わせている元凶になっているのではないか。戦争はしない、軍隊は持たないことになっていても、実際には自衛隊があり、何かあればミサイル破壊命令などを出して防御する。日本人の本音と建前による空虚な議論の源泉がこの憲法9条の条文にあると私は思う。(了)

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