金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

金融ファクシミリ新聞は、金融・資本市場に携わるプロ向けの専門紙。 財務省・日銀情報から定評のあるファイナンス情報、IPO・PO・M&A情報、債券流通市場、投信、エクイティ、デリバティブ等の金融・資本市場に欠かせない情報を独自取材によりお届けします。

「ASEANとの架け橋、仕分けで危機」

アスジャ・インターナショナル
議長
ベンジャミン・ラウレル 氏

 アスジャ(Asia Japan Alumni)インターナショナルは2000年に創設され、これまでアセアン諸国の若者への奨学金給付事業を行ってきた。奨学生達はプログラム修了後、IMFや政府機関など、数々の職場で活躍している。またアスジャは、元日本留学生の国際組織であるASCOJAの日本側カウンターパートでもある。そんなアスジャについて、3月に開催されたアスジャ第25回理事会に合わせて来日したベンジャミン・ラウレル・アスジャ議長(フィリピン元日本留学生連盟会長)と、グエン・ゴック・ビィンASCOJA議長(ベトナム元日本留学生協会会長)、アスジャ事務総長佐藤次郎氏、通訳を務めたアスジャ修了生の寛ボルテール氏に話を聞いた。

――アスジャとはどのような組織ですか…。

 ラウレル氏 アスジャは2000年に創設され、日本の外務省からの財政支援を受けてきたアセアン留学生を支援するための組織だ。現在のメンバーはブルネイを除くASEAN9カ国で、同国についても今年の4月に参加する予定だ。アスジャの奨学金プログラムはアセアンのリーダーを育成することを目的としており、プログラム終了後、留学生が日本と母国の友好の橋となり、両国関係強化を担うことを期待している。また、留学プログラムの内容だが、基本的に大学院レベルでの教育を行っている。現在の留学生とこれまでの修了生の数は合計92人。日本・アセアン間の友好に資するリーダーシップを養育し、また発展させるため、アスジャは留学生達の資金援助を行うだけでなく、1年間の日本語学習コースや、日本文化や日本の人々への理解を深める機会を提供している。更に、アスジャは元日本留学生卒業生の国際組織であるASCOJAのカウンターパートという重要な役割も果たしている。アスジャは最高意思決定機関である理事会と、事務局によって構成されており、理事会の外国側メンバーは皆が元留学生。理事会は1年に1回、プログラムと予算について会議するために東京で開催される。

 

アスジャ・インターナショナル
事務局 事務総長
佐藤 次郎 氏

 

――実際に卒業されてどうですか…。

 寛氏 アスジャのプログラムは有効だ。私は文部科学省の奨学金を学部の時に頂き、大学院の際にアスジャの支援を受けたが、明らかに制度の違いが存在した。例えば、アスジャのプログラムは文化の体験や、日本との関わりを重視しているのが印象的だった。アスジャのプログラムは正直に言ってあまり大きくない奨学制度だが、その分個人個人への配慮があり、よく世話してくれたのを覚えている。奨学金制度として本当によかったと思う。

――累計で何人を育てたのか…。

 佐藤氏 これまでの修了生は78名で、現在の奨学生は14名だ。通常は30名ほどいるのだが、事業仕分けにより予算が削減されたことで3年前から採用を行っていない。プログラムは4年間なので、来年度で奨学生はゼロになる。

――民主党の事業仕分けをどう思うか…。

 ラウレル氏 非常に残念だと思っており、可能ならば継続を希望している。アスジャの奨学生プログラムの大きな特徴は、それが「善意の大使」を増やすことを目的にしていたことだ。これによって日本とアセアンの相互理解が進むと私は期待していた。世界が多くの問題を抱える今、両地域が平和的な関係を発展させる意義は非常に大きい。アスジャの奨学生は全員が「善意の大使」になる資質を認められ、選抜された人材だ。彼らは個人的益のためでも、ビジネスの方法を学ぶためでも、製造技術を学ぶためでもなく、より日本を理解するためにアスジャのプログラムを受ける。そうした、単なる経済的結びつきを超えた人と人との交流は何物にも変えがたい。それはかつて福田赳夫元首相が「福田ドクトリン」で指摘した「心と心」の結びつきにも通じるものだ。ビジネスやお金だけでなく、相互発展、相互理解、相互尊敬を日本とアセアンは発展させるべきだと私は信じている。

――アセアンと日本の関係を深めることは重要だ…。

 ビィン氏 今年は日本とアセアンの友好協力40周年にあたり、世界中が日本とアセアンの今後について注目している。日本との関係は我々ベトナムにとっても非常に重要だ。ベトナムは経済、教育、その他全ての分野で日本を最も大事なパートナーだと捉えており、両国関係の更なる発展を望んでいる。我々ベトナム元日本留学生協会がASCOJAに参加したのは最近のことだ。ASCOJA自体は1977年、福田赳夫元首相の動きに感化され、我々留学生達によって設立された。設立の目的は、日本とアセアン諸国が経済など多面的な分野で有意義な協力を行うこと。我々はこうした協力を続けていかねばならないが、そのためには元留学生という架け橋が非常に重要だ。

 ASCOJAとの関わりの上でも、アスジャは重要な役割を果たしてきた。例として、アスジャは日本の外務省や、各国の日本大使館とのネットワークを持っている。そのためASCOJAも日本の最新の情勢を掴んでおり、これまで四半期ごとに発行してきたニュースレターは様々な人々に読まれた。また、ASCOJAは各国の留学生組織との合同プロジェクトに貢献してきた。加えて、さらに重要なこととして、日本語の発信をアセアン諸国間で行い、また人的交流を促進してきたこともある。こうした数々の重要性があるにも関わらず、アスジャへの支援打ち切りが決定されたのは非常に残念だ。また、アスジャはアセアン諸国における日本のイメージ改善にも貢献した。だからアスジャの予算を日本政府が打ち切ると聞いた時は、本当に驚いた。

 

ASCOJA(ASEAN元日本留学生評議会)
議長
グエン・ゴック・ビィン 氏

 

――事業仕分けされた背景は…。

 佐藤氏 09年11月の行政刷新会議で、外務省の事業が細かくチェックされた。アスジャの奨学制度は「私費留学金制度」である一方、文部科学省のものは「国費留学金制度」だが、刷新会議では両者が重複しているとの判断を受けてしまった。実際、アスジャが支給する奨学金の金額は文部科学省の奨学金を参考に算出されていたため、よく似ていたのは確かだ。

 しかし、事業の中身は全くの別物だ。それにも関わらず、事業内容は全く注目されなかった。アスジャは国費留学金制度では見られないプログラムを提供しており、例えば語学プログラムでは国費のものが半年である一方、アスジャのものは1年間集中形式をとった。更に寮での集団生活や、事務局が寮に隣接しているなど、密接な人間関係の構築を我々は重視してきた。その他にも日本の習慣や伝統文化を体験して学ぶ機会を提供し、小学生から社会人まで幅広い日本人との交流も行ったり、日本全国での生活体験研修も実施してきた。こうした取り組みは日本への留学生の理解を促進することが第一目的ではあるが、もう一つの目的として、留学生達に「横のつながり」を作ることがあった。日本には多くの留学生がいるが、彼らには「横のつながり」がない。そこで我々は彼らの絆を深めることを強く意識してきた。また、事務局も少人数であることから、「家族」のような親密な付き合いを行ってこれた。

――今後の展開は…。

 佐藤氏 これまでアスジャは外務省、日本政府の支援を受けてきた。しかし、事業仕分けが実施されるとアスジャの事業と組織は2013年度限りで廃止となる。2014年度以降のアスジャのあり方については、現在外務省を中心に検討されているところだ。2014年年度の政府予算にアスジャ予算が盛り込まれるかどうかがポイントとなる。

 ただ我々としては、これまでの事業は成功してきたという自負があり、むしろ事業を拡大すべき時期だと考えている。元々アスジャはアセアン諸国の元日本留学生の働きかけから始まり、運営も彼らが主に担ってきた。その特殊性と、これまで着実に日本・アセアン間を結ぶ人材を育成した実績は、是非ご理解頂きたいと思っている。現在も支援者の皆さんと行動しているが、今後は経済界の応援も頂き、事業継続を訴えるつもりだ。また、ASCOJAはアセアン諸国の日本通達が積極的に応援している組織。アスジャは小さな組織ながら、そんなASCOJAのカウンターパートとして、これまで着実に関係を強化してきた。この意義は是非お分かり頂きたい。

 ビィン氏 私からも一言申し上げたい。昨年と今年のASCOJAとアスジャミーティングでは、日本政府に支援継続をお願いした。その際申し上げたのは、ASCOJAを構成する我々理事が母国で相当の影響力を持っていることだ。例えば私は国立大学の学長だし、ラウレル氏も同様に重要な立場にあられる。日本政府には、そうした我々の影響力をもっと使って欲しいとお願いした。

 また、もう一点強調したいのはアスジャのコストパフォーマンスの高さだ。JICAは無論素晴らしい役割を果たしているが、アスジャも同様に非常に大きな意義を、遥かに低コストで果たしている。勿論、更なるコスト削減についても我々は検討しているが、現状で既にアスジャの効率性は高いと自負している。

 アスジャがたとえ廃止されても、我々ASCOJAは活動を続ける。しかし、アスジャがなければ、日本とアセアンの橋渡しに不都合があるのも事実だ。アスジャの理事は全員が同時に各国の元留学生組織の代表だから、存続できれば、友好事業をより効率的に進めることが可能だ。例えば、東北大震災のあと、元留学生組織は組織的に連携して、寄付などの支援活動を行った。こうした活動の実現にもアスジャは大きく貢献してきた。手短に言えば、アスジャの継続は日本の対外関係、特にASEANの国々との関係において日本を利するものであり、良い意味の反響を呼ぶものだ。どうか日本とASEANのより良い協力関係のために、決断を再考して頂きたい。

 

倫理研究所 研究センター
専門研究員 アスジャ元奨学生
寛ボルテール 氏

 

――最後にコメントを…。

 ラウレル氏 最後に、ASCOJAとアスジャの歴史をもう一度ご説明したい。そもそもASCOJAは、福田元首相が主導した「集い」で日本に招待された元留学生達が自発的に創設したものだ。彼らは元々、戦時中に日本政府が東南アジアから招聘した「南方特別留学生」だった。私の父もそうした動きに賛同した1人で、自らフィリピン元日本留学生連盟を創設した。その後父達は横のつながりを活用し、1977年に国際組織であるASCOJAを結成するに至った。

 ASCOJA創設後、アセアン地域での反日デモは縮小した。そもそもデモは第二次世界大戦の記憶や他の問題から生まれたが、これに対し、我々は「相互理解」と「相互調和」をそれぞれの国で広げることで、それを乗り越えようと努力してきた。そんなASCOJAのカウンターパートがアスジャだ。そのアスジャを日本政府が不要と判断したことを、私達はただ悲しく思っている。我々の父達はASCOJAを政府の支援なしに、自らの手で作った。彼らは福田元首相の理念に共感し、自ら行動を起こしたのだ。今や彼らの時代はもう終わり、第二世代、第三世代が活動を担っているが、その移行は極めてスムーズに進んでいる。父達の理念は我々や、次の世代に受け継がれている。この良い流れを、是非次の世代に続けていきたい。

 前回日本を訪問した際、私は4人のフィリピン官僚を連れてきた。彼らの目的は日本で投資を協議することだ。逆のことも起きており、ベトナムやタイでも、日本人ビジネスマンはビジネスマン同士だけでなく、我々元留学生とも接触した。これは我々が、我々の文化や考え方を日本の方々に伝えることも、逆にフィリピン人に日本の文化や考え方を説明することもできるからだ。このような人間と人間の付き合いを促進し、結びつきを強化するために、アスジャは非常に重要だと私は確信している。

▲TOP