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「スイス、国民投票で健全財政」

国際連合日本政府代表部
次席大使
梅本 和義 氏(前 駐スイス特命全権大使)

――日本の大使としてスイスに駐在した中で感じた、スイスの特徴は…。

 梅本 私がスイスに滞在したのは2011年から2012年までのわずか1年間だったが、実際にスイスに住んでみると、スイスについては知っているようで、実は知らないことが多いということが分かった。歴史的事実としてスイスが建国されたのは1291年8月1日で、スイス中部のウーリ、シュヴィーツ、ニトヴァルデンという3州が、この地方を支配していたハプスブルグ家に対抗して自由と自治を守るために「永久同盟」を結び、相互援助を誓い合った時に始まる。その後も順次多くの州が参加し、自治のための戦いを繰り返しつつ、現在のスイス連邦を築き上げた。各州は元来が独立国で、それぞれ独自の歴史や言語や宗教がある。例えば、政治的伝統を見ると、首都ベルンのあるベルン州は、かつては少数の貴族的な豪族が州を支配していたし、また、チューリッヒ州は商人のギルドが中心勢力だった。さらに、ベルン州の隣にあるフリブール州はカトリック教会が強い力を持っていた。スイスは、いわば主権国家のような多様な州の連合体というイメージだ。

――そうでありながら、スイス連邦はひとつの国としてまとまっている…。

 梅本 そのような成立の沿革から、スイス連邦憲法の下で州にはかなり多くの権限が認められており、例えば、教育は基本的に地方の権限となっている。そのため連邦には教育省も教育大臣も存在しない。また、税金についても相当部分が地方税となっており、州の税率は各州政府が定めている。このように、各州がそれぞれに独自の権限を持ちながらも、国の仕組みによって連邦国家として強力なまとまりを持っているのがスイスであり、その根幹にあるのは、「自分たちのことは、自分たちで決める」 という強い意識だと思う。自分たちのことを遠くにいる支配者が決めるのではなく、自分たちで決める。「自治」プラス「民主主義」を最重要視するこの伝統は何百年も続いている。大きさこそ違え、「国のかたち」は米国によく似ていると思う。

――中央政府の政治体制は…。

 梅本 連邦の政治体制は、立法、行政、司法からなり、他の国の制度と一見すると同じように見えるが、実態はかなり異なっている。近現代のスイスの形を決めている1848年発効のスイス連邦憲法は、米国憲法の影響を受けており、連邦議会は国民議会(下院)と全州議会(上院)の二院から成り立つ。下院は比例代表制で200名が、上院は各州から2名、準州から1名の計46名が、それぞれ有権者の直接国民投票によって選ばれる。他の国と大きく異なるのは、日本の大臣に当たる連邦閣僚7名を、1名ずつ国会が選出することだ。この結果、政策の異なる複数政党から連邦閣僚が選ばれ、この7名の閣僚が連邦内閣を構成し、基本的にはコンセンサスで、稀に多数決で意思決定する。そして、この7名の連邦閣僚の内1名が、一年ずつ輪番制で連邦大統領の責務を担当する。同様に、州レベルでも州議会議員の中から州政府閣僚が5人選ばれ、その中から州政府首相を持ち回りで任務する。さらにその下にある市町村レベルのコミュニティーでも一部の例外を除くと同様の仕組みとなっている。

――スイスには国家元首が存在しない。それで問題などは起きないのか…。

 梅本 大統領は輪番制だが、集合体としての連邦内閣が国家元首という位置づけとなっている。スイスには数多くの政党が国会に議席を有するが、過半数を持つような政党はなく、連邦内閣は複数の政党からの閣僚が構成する。ちなみに現在は5政党から閣僚が出ている。そのため与党・野党という概念がなく、7名の連邦閣僚が立場の共通点を見出しながら内閣としての意思決定を行っている。これは、政局より政策が、対立より妥協が重視されるシステムと言えよう。また、連邦、州、市町村レベルで、重要な法案が年4回行われる国民・住民投票にかけられ、さらに、一定期間内に住民10万人分の署名を集めれば、国民の側から一定の事柄を国民投票にかけることもできるため、連邦内閣も国会も、最後は国民投票にかけられるということを意識しながら、妥協を重ねて、異なる意見の中から共通点を見出すようにしている。このような直接民主制は、状況の大きな変化に応じて物事を迅速に変革していくような場合には不向きと言われているが、世の中において政府の決定がすべて正しいという訳ではなく、民意の方が正しい場合も少なくない。国民投票にするとポピュリスト的な流れが強くなるといった意見もあるが、年4回規則的に投票が行われるスイスのように徹底してしまえば、結果としては、かなり常識的な判断が下されていることがわかる。

――国民投票の議案には具体的にどういったものがあったのか…。

 梅本 つい最近では、企業の高額報酬についての国民投票が行われた。これは、スイス大手の製薬会社ノバルティスが前会長のダニエル・ヴァセラ氏に対して同業他社への移籍を数年間防ぐために高額報酬を支払ったことが発端となった問題であり、「高額報酬制度反対イニシアチブ」として賛成68%で可決された。ここで決定されたのは、高額報酬の限度額を決めるのではなく、高額報酬を支給する手続き上の仕組みを整えることだった。また、例えば僻地を通るバスが少ないためもう少し本数を増やしたいが、その分コストはかかる、それをどうするか?といった問題や、学校をもう少し増やしたいが、そうすると住民税を増やさなくてはならない、どうするか?といったようなことが市町村レベルでの投票にかけられている。その他にも、非常にセンシティブな問題もあり、過去に行われたスイスの国連加盟についての国民投票は、一度目は否決となったが、それから何年か経って後に2度目の投票で可決となり、2002年にスイスは晴れて国連に加盟することになった。国民投票を行う際には、政府は、複数の公用語で、各々の議案についての判断材料となる十分な情報と、政府の意見である「投票指針」を提示することになっている。仮におかしな決定をしてしまっても、それは自分たちで決めたことであるため、誰も文句は言えない。その決定をただす決定を行えばよい。

――きちんとコスト意識を持って自分達で決めるのは、大変合理的だ。財政の無駄を削減するためにも、スイスのような直接選挙が注目される…。

 梅本 スイス人はもともとコスト意識が非常に高く、何かをやろうとすれば、それにお金がかかるということを常に意識しており、それが一種の財政的節度につながっていると思う。そういう意味では、スイスの財政は大変健全だ。付加価値税も8%にとどまっており、他の欧州諸国に比べて非常に低い。かつて、スイスの法定年次最低有給休暇日数を増やそうという案があったが、結局、休暇を増やすことで国家の支出増加が大きくなり、生産コストが高まることで商品の競争力が低下するというような理由で国民投票によって否決された。すべての投票の前提にあるのは、「自分たちで集めたお金を、自分たちの考えのもとに使う」ということだ。政府の決定がどこか遠いところで行われるような印象があると、色々な給付を強く求める一方で、その財源については政府がどこかから何とか見つければよい、ということとなってしまうようだ。また、地方へは中央政府から地方交付税という形でお金が回されると、本来、そのお金は住民である自分たちが払った税金であるはずなのに、そのような意識が希薄化してしまう。スイスのような直接民主制は、国民・住民に対する給付は、国民・住民自らの負担によって初めて可能となるということをたえず意識させる結果となっているような気がする。(了)

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