西村あさひ法律事務所
弁護士
栗原 脩 氏
――コーポレートガバナンス・コードを巡る動きが慌ただしくなってきたが…。
栗原 今回の「コーポレートガバナンス・コードの策定に関する有識者会議」は、金融庁と東証が共同事務局となってスタートした。政府の成長戦略に対応した動きといえる。企業の稼ぐ力を回復するためにコーポレートガバナンスの見直しが必要というものであり、審議の過程では「攻めのガバナンス」という表現も登場する。また、OECDのガバナンス原則が改訂の時期を迎えているというタイミングでもあるので、国際的にみても良いタイミングなのではないか。ただ、問題意識があまりにも明確であるため、それに合わせた議論になりすぎる懸念がある。ガバナンス機構を整備したからといって、そのこと自体によって企業の推進力が増加するというわけではない。企業は、技術開発力や販売力、経営者の創造性や事業意欲などによって前進するものである。ガバナンスの仕組みを整えるのは、行き過ぎを是正し、思い違いを軌道修正するためだ。経営者がアクセルで、社外取締役がブレーキというたとえもよく使われるが、これは少しミスリーディングだ。確かにそういう場面があるかもしれないが、それはむしろ例外であり、社外取締役の本来の姿は、バックミラーやサイドミラーのようにドライバーの視野を補うものである。取締役に就任する以上は、内部取締役であるか社外取締役であるかを問わず、その会社が健全に発展していくことに寄与することが基本だ。
――具体的な社外取締役の必要性は…。
栗原 1つは、株式会社の重要な事項は、取締役会において情報を集めた上で審議して意思決定する、すなわちインフォームト・ディシジョンでなければならないという会社法上の要請がある。取締役会の実効性をあげるために社外取締役の存在が有効であるということだ。会社法では、取締役会が公式な会議体であり、その下の経営会議や常務会などは公式なものではないという位置づけだ。ところが、内部取締役だけだと、こういった非公式な会議と取締役会のメンバーが重なることになる。取締役会で議論しても繰り返しとなるため形骸化してしまう。取締役会に社外のメンバーが加われば、いろいろな角度からの質疑や意見が出され議論がきちんと行われるようになる。もう1つは、内部の人間だけで議論してそのまま社外に打ち出した場合には、思ってもいなかったような反応が待ち構えている可能性がある。内輪の発想だけで決めてしまうことのリスクだ。取締役会の場で社外の見識がある者によるチェックが入れば、こうしたリスクはかなり軽減される。経営トップにとって「転ばぬ先の杖」になるわけだ。このような検証の過程を経ておけば、経営者としても自らの施策を打ち出すときに自信をもって行えるようになるのではないか。
――日本ではこれまで社外取締役がなかなか定着していない…。
栗原 日本の労働市場は縦割りになっており、特に経営幹部の市場が発達していない。だが、社外取締役がこうしたガバナンス・コードの策定もあってある程度増加していけば、これまで特定の企業のなかでしか活用されなかった知見やノウハウが他の企業でも活かされることになる。人材の交流によって、ある種の刺激が企業活動に与えられるという効果は結構期待できるのではないか。
――ガバナンスの議論はもともとどこに端を発するのか…。
栗原 国際的にみてコーポレートガバナンス・コードの議論では、イギリスで1992年に公表されたキャドベリー委員会の報告書が広く参考にされている。この委員会が設置されたきっかけは、大企業の不祥事が続発し、このままではシティの地盤沈下が避けられないという危機感だった。キャドベリー委員会の問題意識は、企業不祥事の発端となった経営トップの独走・暴走を防ぐメカニズムをどうしたらボードのなかに構築できるのかということにある。社外取締役の機能強化が必要、CEOと取締役会議長を分離すべきというのは、この問題意識のあらわれだ。牽制メカニズムとしてコーポレートガバナンスをとらえている。これは一例だが、もともとどのような問題意識だったのかという確認が必要であり、単に海外ではこうなっているからというのでは問題の性格を見誤るおそれがある。
――自国の状況にあったコーポレートガバナンスが必要だと…。
栗原 海外では、国によっては独立取締役が過半数というボード構成が上場会社の標準型になっている。様々な問題の発生を経て現在ではそうなっているわけである。歴史的な産物であり、どの国にも通用する最善の姿といえるかどうかは誰にもわからない。日本では日本なりの慣行に合わせて企業が動いており、社内運営のスタイルも会社によって違う。企業の個性を消すようなガバナンスのルールは逆効果になるおそれがある。ガバナンス・コードは法律のような強制力はないが、実際問題として現在行われているような議論を経てでき上がれば、それがあるべき姿であり、それに合わせなければならないと受け止められる可能性が高い。一律にある型をきめて、どの企業もこうすべきだという方向づけをするのは企業活力を抑制し、マクロ政策的にみてもリスクがあるのではないか。ディスクロージャーの手法を活用しつつ、過度に誘導的にならないような工夫をして、個別企業の裁量を確保したコードをめざすべきだ。アメリカのサーベインス=オクスレー法の制定に対しては、実務サイドだけでなく学者からの批判も少なくない。大企業の不祥事の続発と中間選挙を控えた政治状況のなかで、十分な議論のないまま過剰な規制を導入してしまったというわけだ。法律や規制というものは、いったん決まった後は、世論からみて「後退」と受け止められるような修正は実際問題としてなかなかしにくい。いわゆるラチェット効果という問題だ。
――日本にとって望ましいガバナンス・コードは…。
栗原 日本の企業の良さを活かしながら、企業活動に市場からのフィードバックを取り入れることができるような形にすることが大切だ。市場とは第一義的には株主・投資家であり、アナリストなども含まれる。さらに証券市場以外の市場も含めてとらえるべきだ。市場からのフィードバックを企業が受けとめ、それに対する対策を自ら考えられるようになれば、これはコーポレートガバナンスの本来のあり方となる。そのためには、コスト・パフォーマンスに配慮しつつディスクロージャーを充実させることも大切だ。経営者が市場の声を受け止める姿勢を持ち、社外取締役が貢献するという姿が望ましい。また、ガバナンス・コードは対外的に日本のガバナンスの仕組みを説明するものでもある。監査役の役割などを積極的に説明する必要がある。日本は、明治初期に近代株式会社の制度を導入して以来、100年あまりの間に国際的な大企業を輩出してきた。日本流のやり方という色彩もあるが、これだけ株式会社の仕組みを活用してきたわけであり、この成果には自信をもってよいと思う。
――市場の声には様々なものがある…。
栗原 今回の有識者会議のメンバーは、機関投資家や産業界、学者、研究所、法律・会計の実務家などから構成されている。ただ、機関投資家ではない一般株主の声が反映されるようになっているのかはよくわからない。一般株主は、会社に対して意見を言うことはあまりないから、そもそも一般株主がコーポレートガバナンスの議論をどう考えているのかはなかなか見えづらいものがある。一般株主の意向がはっきりしないまま議論を進めなくてはいけない点に難しさがあるが、学者など中立的なメンバーに一般株主の視点からの議論を補ってもらう必要があると思う。
――コスト負担も考える必要がある…。
栗原 今回のガバナンス・コードの問題に限らないが、コーポレートガバナンスの議論をするときには、長期的な投資対象としての株式の価値を上げるという観点が大切だ。一般的にいって、規制の強化への対応、たとえば義務的な開示項目を増やせば、それだけ企業の管理コストがかかり、結局は株主の負担になる。ガバナンス機構を立派なものにするのは良いが、これによる追加コストがかかった場合、誰のためにやっているのかという疑問が生じる。結局は投資家である株主自身の問題となってはねかえってくるにもかかわらず、一般株主の本音の部分はなかなか見えてこない。一般株主にとっては、いろいろ工夫をするのもよいが、1円でも多く配当が増えた方がありがたいということなのかもしれない。
――企業が株主の声を拾うのは難しい…。
栗原 1つの例をあげると、自社株買いか配当かというテーマがある。この2つの方法は、株主還元あるいは株主配分として同列に位置付けられることが多い。確かに株主にお金が払い戻されるという点では同じだが、個々の株主にとって評価が異なるのではないか。つまり、配当はどの株主にも一律に支払われるが、自社株買いの場合には、それに応じるかどうかは株主次第である。理論的な株式の価値はともかく、株式保有の時間軸は個々の株主によって異なり、一般株主は配当が増える方がよいという人が多いのではないか。株主は多様であり、いわゆるモノ言う株主と一般株主の利害は必ずしも一致しない。もっと分析し、議論すべきであり、これもコーポレートガバナンスに関連するテーマだ。