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「世界に通用する日本人画家の輩出願う」

日動画廊
社長
長谷川 徳七 氏

――日本国内の洋画商として最も長い歴史をもつ日動画廊。現在に至るまでの経緯は…。

 長谷川 私は長谷川家七代目にあたる。一代目は茨城県笠間城主の御殿医だったが、五代目の祖先が体の医者より精神の医者になりたいと牧師の道を選び、各地を転々として布教活動を行い、有り金も使い果たしてしまった。お金もない中で、六代目の私の父も一旦は牧師の道を選んだそうだが、結局2年ほどで嫌になって牧師を辞めることを決めた。そんな時に、丁度、父の親友から「弟が芸大で洋画を学んでいる。これからは洋画の時代が来るだろう。洋画を売る仕事をやらないか」と言われたのが、父がこの仕事を始めるきっかけだったそうだ。父は、ほぼ無一文の状態で親友の弟仲間の絵を持ち歩き、牧師時代に布教活動をしていた横浜海岸教会に行ったり、そこで知り合った人に紹介してもらって、昔あった田園調布の遊園地・多摩川園で展覧会を開いたりした。そうするうちにたくさんの資産家達と知り合い、銀座の画廊を持つまでになった。創業して88年。銀座に来て86年だ。

――その間、戦争もあったと思うが、絵画は大丈夫だったのか…。

 長谷川 当時使われていた焼夷弾は木造の日本家屋を焼くためのものだったため、鉄筋コンクリートで出来ていた銀座のビルの1階には何も被害がなかった。ただ、本郷曙町の自宅にあった絵は残念ながら全滅してしまった。戦争時、私は6歳で長野県野尻湖辺りに疎開し、終戦してすぐの8月17日に父と一緒に東京に戻った。銀座は焼け野原で店も何もない状態だったが、この画廊はかろうじて無事で、しかも、向かいの旧銀座東芝ビルを宿舎としていた連合軍の将校たちが、宿舎用や個人宅用にと、たくさんの絵をこの画廊から買っていってくれた。その数も、静物画100枚、人物画100枚というように大量の注文で、私たちは野尻湖に避難させていた絵画を集めたり、画家に大号令をかけて新たに描いてもらうなどして、何とかその大量注文をこなした。食べるものにも困っていた画家にとっても、当時のこの注文は有り難かったと思う。その後、代替わりが進む中で、いわゆる新興成金と呼ばれる人達が増え、そういった人達が美術品を買い求めた。そして、高度成長期に日本は本当の洋画時代となっていった。

――絵画の値段はどのように推移しているのか…。

 長谷川 バブルというのは世界中必ずどこかで起きているため、外国の絵画の値段はどんどん上がっている。日本のバブル時代と比べて一桁増えている作品もあるくらいだ。日本の絵画についても実力のある作家のものは根強い人気があるのだが、良い作家の作品は美術館などに納まっていることが多く、なかなか世の中には出回らないというのが実情だ。ひとつ確実に言えるのは、良いものさえ持っていれば大丈夫ということだ。若手作家の作品に関しては、その作家を応援するため、或いは純粋にその作品が好きだからといった理由から買う人が多いが、絵画には株や不動産と並ぶ資産運用の手段のひとつとする面もある。絵があることによって空間に広がりが出たり、気持ちに余裕が生まれるといった効果は言うまでもないが、動産である絵画は時価がないため課税もされず、売る時になって初めて値段がつくものだ。そして、良いものさえ持っていれば値段が下がる事もない。ここ最近、当画廊で扱った中で一番高額だった作品は1億円超程度と日本のバブルの時に比べて10分の1ほどに下がっているが、一番良く動く価格帯は700~800万円と、昔の300~400万円だった頃に比べてかなり上がっている。それは、景気が良くなっているというよりも、きちんとした良いものを欲しいと考える人が多くなっていることの表れだと思う。

――日本の絵画マーケットが一番大きかったのはバブル期だと思うが、当時に比べて今の日本のマーケットは…。

 長谷川 バブル期を100とすると、今のマーケットは30~40といったところか。バブル当時の日本では10億円や20億円といった絵画が簡単に売れていて、今とは比べ物にならないというのが正直なところだ。そして、当時10億円や20億円だった作品は今、日本以外の国で倍以上の値段がつけられて売買されている。当時10億円程度だったモネの睡蓮の絵は今では60億円。それが世界の市場だ。今の日本人に簡単に手が出せる値段ではない。しかし、700~800万円程度の絵でしっかりとした良品を持っておけば、それは後に世界のマーケットがきちんと評価してくれる。

――御社は洋画専門だが、日本画との違いや、現代の芸術界の問題点について…。

 長谷川 日本画は保管が大変難しく、その方法を間違えれば一気に値打ちが下がってしまう。その点において洋画の保存方法はそこまで神経質になる必要はない。また、いわゆる伝統絵画である日本画に比べて、洋画には個々様々な画風があり、奇想天外な作品があって面白いと思う。現代の芸術界の問題点としては、インスタレーションのような現代美術の流行によって平面技術が低下していくことを懸念している。一般的には男子学生などがインスタレーションにのめり込む傾向が有り、女性はまじめに頑張っているように感じる。私が社長に就任した時に作った新人コンクール「昭和会」の入選者も、ここ3~4年は女性が多い。女性が力をつけているのは、世界中どの業界も同じのようだ。

――最後に、日本の洋画界についての抱負を…。

 長谷川 画商には、作品を売るという仕事と、次の時代の作家を育てるという使命がある。これは車の両輪のようなものだ。そこで私は若手画家の登竜門となる「昭和会」を50年前に創設し、良い作家を発掘して、その作家の能力を最大限に伸ばすため当社のパリのアトリエに短期滞在させて、そこで完成した作品をパリ画廊で展覧・販売するというシステムも整えた。梅原龍三郎や安井曾太郎のような作家が出てくることを待ち望んでいる。また、鴨居怜は没後5年毎に展覧会を開いているが、没後30年となる来年は東京ステーションギャラリーを皮切りに全国4カ所で展覧会を開く予定だ。すでに没後35年後の話まで出ている。世界的にも有名な藤田嗣治(レオナール・フジタ)や荻須高徳といったレベルの画家をもっと日本から輩出するには、日本政府の後押しも必要だ。各国の日本大使館に日本人が描いた洋画を飾るなど、そういったところから日本の洋画を世界中にアピールしてもらいたい。石造りの建物には日本画よりも洋画が合うことは言うまでもない。かつて日本洋画商協同組合がパリで展覧会を行ったことがあるが、その時の外国からの評価も大変高く、日本の洋画は単なる欧米の物まねではないという評価がほとんどだった。そのような実力を持つ日本の洋画を政府にしっかりと宣伝してもらって、世界に通用する日本人洋画家がたくさん育っていくことを願っている。(了)

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