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「集団的自衛権は現憲法でも問題なし(上)」

西村あさひ法律事務所
顧問弁護士
元最高裁判事
元外務省条約局長
福田 博 氏

――集団的自衛権と憲法の解釈について色々な議論が行われている…。

 福田 そもそも日本国憲法9条は自衛権を制限していない。今の憲法9条は第一次世界大戦後の1928年に締結されたKellogg-Briand Pact(パリ不戦条約)を日本が守らなかったので、最高法規である憲法でそれを確実に守るため規定されたものだ。不戦条約1条は「締結国は国際紛争解決の為戦争に訴ふることを非とし且相互関係に於いて国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名に於いて厳粛に宣言す」と定めており、この条約には1933年現在で日本を含む65カ国が加入した。この条約は、「戦争」を国際法上「戦勝国が敗戦国から巨額の賠償をとる合法的な自力救済措置」から「犯罪行為」に変更するという画期的意義を持ち、その功績により、ケロッグ米国務長官とブリアン仏外相はノーベル平和賞を授与されている。そして、この不戦条約が締結されるに当たり、この条約の定める「戦争の禁止」が自衛権を侵害するのかどうかということが主にラテン・アメリカ諸国などから問題提起されて議論となったが、「戦争の禁止」は「自衛権を否定するものではない」ということで意見の一致をみている。それを受けて今の日本国憲法第9条はつくられている。このことは新憲法制定に際する帝国議会の審議における当時の金森国務大臣の不戦条約への言及ぶりからも十分に推定できる。さらに第二次世界大戦後の1945年に制定された国連憲章の第1章2条4項に定める武力による威嚇又は行使の禁止と第7章51条に定める個別的集団的自衛権についての規定(「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」と定める。)が相互に矛盾することなく併記されている。我が国は、1956年に国連に加入しているが、加入に当たり、これらの規定になんらの留保も付しておらず、たとえば国連が執るべきことある安全保障上の義務を国内法の規定を理由に拒否するといったことはできない。法体系も異なり、構成要件も異なるので単純に比較することは適切ではないかもしれないが、国内刑事法で、決闘や仇討といった自力救済は禁止されていても、正当防衛や緊急避難措置が禁止されていないことと対比すると、「戦争の禁止」と「自衛権の存在」の関係が解りやすいかもしれない。もちろん当事者が主張すれば、それがそのまま認められるものでないことは国際法の世界でも同じであって、果たして自衛権の範囲に収まるものであるか否かは国際法上の厳しい評価にさらされることは当然だ。

――憲法を改正しなくても集団的自衛権は持てると…。

 福田 日本政府は、最初から「憲法9条の基本は『パリ不戦条約』の遵守であり、自衛権を否定するものではない。これは国際法上の問題として決着している」と言うべきだった。しかし、面倒な政策論争に巻き込まれることを避けたかった政治家達が、戦争の禁止と自衛権に関する説明を内閣法制局長官などの答弁に任せてしまった。そもそもの間違いはここにある。そして、その時代背景には、東西冷戦という長い対立の時代には相互確証破壊(Mutual Assured Destruction,MAD)戦略などという理論が幅を利かせていたことがある。つまり、対立する米ソ二カ国間で一方が核攻撃を行えば、他方も核攻撃による報復を行い、双方ともに必ず破滅する可能性があるといったことが真剣に議論されていた時代だ。この時代には、集団的自衛権を憲法上行使できないという説明は、「紛争に巻き込まれたくない」という多くの国民の願望を憲法論でカモフラージュして説明できる利点があった。しかし、1990年に冷戦が終結したことで地球を締め付けていた東西冷戦という箍(たが)は消滅し、ソ連の分裂や東西ドイツの統一、中国の急発展など、世界中で色々な事が一斉に起こるようになった。その中で特筆すべきことは冷戦終結の頃にバブルに浮かれていた日本では政治システムも経済システムもすべて日本のシステムが一番優れていると信じ、それを見直すことはせず、むしろそれらを引き続き維持する努力までしたことだ。たとえば、日本の選挙制度で都道府県1人別枠制という投票価値の不平等を増長するような制度を導入してしまったのもその一例だ。これにより日本の代表民主主義制度は従前よりも一層いい加減なものになった。その後、日本の国力が見る影もなく落ちてしまったことは言うまでもない。世界の大変換の中で起こったのが1990年8月のイラクによるクウェート侵略だ。冷戦という箍が無くなったことを示す一種象徴的な出来事だった。そこで日本の集団的自衛権の議論があらためて持ち上がった。その時、なんと内閣法制局長官は冷戦前と同様に、集団的自衛権の行使は憲法上許されないという議論を引き続き用いようとしたのみならず、「武力行使一体化論」を持ち出して、飲水の提供も、医療行為も、戦闘しているような場合には許されないというような説明をするようになった。さらに「それをどうしてもやりたければ憲法を改正しなくてはならない」とまで言うようになってしまった。しかし、繰り返しになるが冷戦時代と冷戦終結後では世界情勢は大きく違ったのだ。イラクのクウェート侵略は、東西冷戦という箍が外れて起こった新しいタイプの国際武力紛争であることは、当初から明らかであったにも拘わらず、内閣法制局は、別の途、つまり国連の行う安全保障行動、それが十分に機能しない現実の中にあっては、多国籍軍の派遣といった措置が取られる中で、日本として何ができるかという議論を封じ込める法理論の構築に勤しんだのだ。本来ならば内閣法制局は、それまでの憲法解釈の限界を率直に認め、そのうえで、政策の問題として、我が国国民の支持できる協力がどのようなものであるかという国会での議論に協力すべきだった。これにより我が国は日本の安全保障はどうあるべきかという問題に正面から向き合うことが出来たはずだ。結局イラクのクウェート侵略で日本がやったことは90億ドル以上の多国籍軍の戦費支払で、助けを求めたクウェートには、その後長い間、感謝されなかった。クウェートでは地面を掘れば石油が出て金(かね)になり、命を助けてもらうことにはならないからだ。

――当時の内閣法制局が、集団的自衛権を憲法上持てないと解釈したこと自体が間違いだった…。

 福田 かつて福田赳夫元総理大臣は国会答弁(1978年)で「憲法論だけでいえば、自衛のためには核兵器も持てる」と言っている。他方、法制局長官の唱える一体化の議論になると「集団的自衛権の行使と紛らわしいような時には飲み水も供給してはならない」ことになる。違和感はないのであろうか?昨年夏までの内閣法制局長官は自分たちのことを法律の番人と言い、集団的自衛権を行使するためには憲法9条を直さなければならないと言い続けた。これはガリレオ裁判ではないが、歴代法王が天動説を唱えてきたから、地動説にしたければ聖書を書き直さなくてはいけないといっているようなものだ。そもそも法制局長官は行政の一部局であり裁判官ではない。内閣法制局は内閣が国会に提出する法案の整合性を審査するための役所だ。「憲法の番人」などということ自体が間違っている。内閣法制局の意見はあくまでも行政の意見であり、憲法に違反するかどうかを審査し判断するのは裁判所だ。違憲審査権が司法にあることは憲法に明文で書いてある。そういうところをどこかで間違えて、憲法を変更しなくてはならないといった議論にしてしまった。このようなつまらない議論で国民の不安感を助長するようなことには何の意味もない。韓国が日本の集団的自衛権行使についてけしからんと言っているのも、実は日本の内閣法制局が「戦争を放棄するという憲法9条を直さないと駄目だ」などとおかしな発言をしていたことが原因ではないだろうか?この責任は誰がいつ取るのであろうか?

(次週につづく)

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