慶應義塾大学
教授
細谷 雄一 氏
――英国で反EU機運が強まっている…。
細谷 英国の欧州懐疑主義者は年々増加しており、現在では保守党議員の約9割が懐疑派とも言われる。約25年前のサッチャー政権時代には懐疑主義者はむしろ少数派だったが、これまで選挙のたびに懐疑主義者が増えてきた。象徴的なのは1993年に設立されたイギリス独立党(UKIP)で、保守党支持者を吸収して、勢力を拡大してきた。2010年に保守党が13年ぶりに第1党になったのも、欧州懐疑派の多くの票を得たのが背景だ。メディア王として名高いマードック氏も、英連邦を重視する一方でEUには懐疑的で、所有する英国で最も有力なタブロイド紙ザ・サンなどでEUに対するネガティブキャンペーンを行っている。現英首相のキャメロン氏も、支持基盤が弱いために党内右派の主張に迎合し、EUに批判的な立場をとっている。彼の人間的な魅力も勿論支持される理由だが、党内の支持を確保するためにも欧州懐疑派の主張に抵抗することは難しい。彼を政治家として教育したマイケル・ハワードも、党内右派の政治家で欧州懐疑派だった。
――キャメロン氏の反EU的態度は目立つ…。
細谷 キャメロン氏が、EUに批判的な態度を示すことで票を集めたのは確かだ。彼は欧州議会の多国間政党である欧州人民党からの離脱を主張したし、EUに対して英国が権限を委譲する場合には必ず国民投票を行うことを公約にした。実際にEUへの権限委譲を問う国民投票を行った場合、否決される可能性が高く、国民投票の約束はイギリスがさらなる欧州統合に反対することを意味する。つまり、EUの条約改正には全加盟国の批准が必要である以上、イギリスは常に欧州統合を進化させることへの抵抗勢力となるわけだ。更にキャメロン首相は2015年の選挙の公約として、EUへの加盟継続を問う国民投票を実施することを掲げた。ただ、彼自身は本来EU残留支持者だ。党内の突き上げを受けて国民投票を約束せざるをえなかったが、首相は本心ではEUの重要性を理解している。そのジレンマは彼の演説にも現れており、国民投票は行うが、EUは重要であり、心からEU加盟継続のためのキャンペーンをしたい、という奇妙な主張をせざるをえなくなった。
――残留と離脱、どちらがイギリスのためになるのか…。
細谷 少なくとも、経済的には残留が望ましいのは間違いない。様々な試算がなされているが、その多くは残留のメリットが大きいという結論に至っている。イギリス議会の報告書でもそのことが確認されている。しかし、離脱を巡る議論はポピュリズムの問題であり、合理的な判断が行われるとは限らない。ポピュリズム的言動が蔓延っている根本的な原因は、EU経済が構造的に行き詰っていることだ。欧州諸国は手厚い社会保障のために莫大な政府支出を行い、それが国際的な競争力を奪いつつある。かつては欧米の先進国が最先端の技術を独占していたため優位性があったが、現在ではアジア諸国の多くも高度な技術力を有しており、価格競争では先進国は不利だ。EU諸国の国際競争力を増すためにも、2000年に「リスボン戦略」が打ち出され、知識集約型の産業構造を転換する目標が掲げられたが、その十年後にはその目標が実現できなかったと総括しており、構造改革は行き詰っている。その結果として、EU各国で失業率の高止まりといった困難に直面しつつあるが、ポピュリズム的な政治指導者はその原因を自国以外の外部に求め、EUを悪者にして批判する傾向がある。
――問題はイギリスだけではない…。
細谷 その通りで、イギリスの右派がEUを非難するのと、スコットランドの独立勢力がイギリスを批判するのは同じ構造だ。彼らは経済成長率の低迷や失業率の高止まりを外部の責任だと糾弾する一方で、本当に必要な国民の負担を求める政策に目を向けない。スコットランドの場合、独立賛成派は北海油田の収益さえあれば北欧型の社会福祉を実現可能と主張していたが、実際には補助金などでイギリスからスコットランドに大きなお金が流れており、独立しても負担なき福祉拡大は困難だ。スコットランドがEU加盟国という立場を継続することも自明ではない。もしスコットランドが独立後に加盟を望むのであれば、EUに改めて加盟申請を行わなければならないであろう。しかし、カタロニア州の独立運動を抱えているスペインを始めとした各国が「独立の成功例」を許すことは容易でなく、スコットランドの加盟申請が順当に実現することは考えがたい。となれば共通通貨のユーロを使用することもできず、かといってイギリスがポンドの利用を認められることもなく、もし独立を強行していれば、スコットランドは自国通貨発行を余儀なくされていただろう。これから福祉拡大による「バラマキ」をしようという国の通貨が、安定して信頼されることも難しい。こうした非現実的な楽観的態度は、ギリシャでも見られた。チプラス政権は、「ギリシャが離脱すれば他国に波及し、EU自体が崩壊する。よってEUは必ず妥協する」と考えていたようだが、ドイツが全く譲歩しなかったことからも分かるように、その考えは余りに自分に都合のよいものだった。
――同じようにイギリスのEU離脱も現実的ではない…。
細谷 イギリスの欧州懐疑派はEUの人権・環境規制などが自国の競争力を奪っていると批判しているが、同じ状況のドイツが競争力を維持していることから分かるように、問題はEUの規制自体ではない。ドイツが現在成功しているのは構造改革を市民が冷静に受け入れ、痛みを引き受けたからだ。また、イギリスの場合、経済の基盤は環境規制などが関わる製造業よりもシティの金融業にあるが、もしEUから離脱するようなことがあれば、欧州の金融センターの地位はドイツに奪われるだろう。そうなれば、金融機関だけではなく、様々な企業がイギリス国内で経済活動を行うメリットを失う。また、製造業にしても、イギリスよりも大きな市場であるEU向けの輸出に関税が発生するようになるため、EU内に工場を移すことになるはずだ。こうした現実を無視して、「EUだけが悪い」と主張するのは、現在の保守党の病理といわざるをえない。もっとも、既に指摘しているようなギリシャも同じような非合理的なEU批判を行っているし、フランスではイスラム教徒が同じように攻撃されている。このような、経済低迷の原因となる「架空の悪役」を作り上げ、必要な改革から目を逸らすのは、近年の欧州全体に見られる病といえるだろう。