一水会
代表
木村 三浩 氏
――ロシア経済の現状は…。
木村 シェールガスの開発などを背景とした原油安によるダメージに加え、クリミア問題を受けた経済制裁が追い打ちをかけている。そんなロシアが現在目指している三つの最重要目標は、クリミアの安定化、2018年のサッカーワールドカップの成功、軍備の拡充だ。豊かになったクリミアを世界に示すと同時にワールドカップを無事に開催することで国際社会の一員との印象を強める一方で、経済制裁で痛んだ経済を軍需産業の活性化と、それによる兵器輸出で補おうとしている。
――クリミア問題に関するロシアの立場は…。
木村 欧米諸国はロシアが武力によって既存の秩序を乱したと主張しているが、ロシア側からすれば、クリミアの併合は現地住民の投票結果を受け入れ、自決権の行使を尊重したという立場だ。自決権はコソボ紛争でも見られたように国際的に認められた権利であり、ウクライナ憲法でも認められているほか、歴史的にみてもクリミアはロシアの一部だったと同国は主張している。実際、クリミアにはヤルタ会談の舞台となった、ニコライ2世の別荘として建造されたリヴァティア宮殿があり、またクリミア戦争でロシアの軍港として激戦地となったセヴァストポリ要塞があるなど、ロシアとの歴史的結びつきは深い。また、ロシアは逆に最終的にヤヌコーヴィチ元大統領が首都キエフ脱出にまで追い込まれたウクライナの反政府デモこそ暴力革命で、その混乱がクリミアに波及することをクリミアのロシア系住民が恐れたからこそ、併合が必要になったという主張をしている。ロシア系住民が多いルガンスクやドネツクのウクライナからの分離独立運動もクリミアと同じ事情によるものだが、流石にクリミアとは事情が異なるということでロシアもこれらの地域は併合せず、現在もこう着状態が続いている。
――ロシアに更なる野心はないのか…。
木村 実際にロシア人と話した印象や、ロシアの置かれた事情を踏まえれば、その可能性は低いだろう。今年4月にロシアの副首相と会談する機会があったが、同氏によれば、現在のロシアは既に多くの紛争を抱えており、これ以上拡大していく余力は乏しい。更にロシアは2018年のワールドカップを成功させることに本気になっており、これ以上揉め事を起こしたくないのが本音だという。流石に開催地をクリミアにする可能性は低いが、モスクワやサンクトペテルブルグに各国の代表が集まるだけで、ロシアが国際社会に復帰したとの印象は強まる。更に原油安が進展していることもあって、ワールドカップによる観光客招致は切実な問題だ。クリミアはロシアにとって非常に特別な場所だっただけに介入せざるをえなかった面もあるが、その他の地域にリスクを冒してまで関わるとは考えづらい。ジョージアから独立したアブハジアや南オセチアなどについても、民族自決を求めているだけで、更なる周辺諸国の領土獲得を狙っているわけではなく、紛争が起きたとしても、ロシア人居住地を防衛する立場からによるものといえるだろう。
――実際にクリミアを訪問した感想は…。
木村 私はこの2年で6回訪問したが、少なくとも民情は落ち着いている。ただ、経済制裁などの影響で物価が上昇傾向にあるほか、アブハジアなど別の安価な観光地との競争もあり、観光客数は紛争前の水準まで回復していないようだ。クリミアは昔からリゾート地で、裕福なロシア人やウクライナ人を中心に年間650万人の観光客が訪れていたが、一時期は300万まで減少した。昨年にはロシア人を中心に500万人程度まで回復したが、現地では700万人程度に増加させたいと考えているようだ。
――北方領土問題は…。
木村 ロシアの立場からすれば、北方領土を日本に返還する際の最大の懸念は、返還した後に米軍の影響力が北方領土に及ぶ可能性だ。日本側は理解できていないが、これはロシア側にとっては切実な問題で、日本側が米軍に利用させないと確約しない限り、ロシアが北方領土を返還することはないだろう。日本のマスコミは日露首脳会談のたびに北方領土で進展があるかないかと騒ぎ立てるが、こうしたロシア側の事情を踏まえれば突発的に返還交渉が進むわけがないことは明確なはずで、マスコミ報道は無責任に期待感を煽っているだけだ。
――日本は対ロ関係をどうすればいいのか…。
木村 まずは経済関係を強化するべきだ。例えばパイプラインを作って、積極的にエネルギーを購入すればいい。相互的なビザ免除も有意義で、双方への観光客が増加することで、両国経済活性化に寄与するだけでなく、経済の活性化にも繋がる。現在、両国への訪問客数はどちらも4万人程度と、極めて少ないが、ビザ免除によってこの数値は大きく増加していくだろう。いずれ北方領土にも日本人がビザなしで訪問できるようになれば、両国関係の強化に大きく資する。これまで日本は米国との関係や、治安・警備上への懸念からビザ緩和に及び腰だったが、日本は独立国として自主的に対外関係を決定するべきだし、今の時代に共産主義思想の煽動に懸念する必要性は乏しい。
――日露関係の強化は、中国を意識する意味でも有意義だ…。
木村 ロシアもやはり中国とのパワーバランス維持に苦慮しているようだ。確かに露中関係は良好だが、中国に近寄りすぎるのは好ましくないとロシア政府は考えているようだ。例えば中国と国境を接するシベリアでは、かつて1000万人いたロシア人が500万人程度にまで減少した一方で、中国人は急速に増加しており、中国による乗っ取りが懸念されつつある。そこでロシアとしては、例えばシベリアを日本が開発することで、日本の存在感が高まることを期待している。外交面以外でも、例えばロシアはごみ問題や交通問題に悩まされており、日本の技術が問題解決に寄与できる余地がある、日本としても国策のインフラ輸出に繋がるため、ウィンウィンといえるだろう。
――国際秩序を維持する上でもロシアの協力は重要だ…。
木村 経済力に劣るロシアが2014年までG8の一員だったのは、ロシアにテロを抑える力があり、国際秩序の維持に欠かせないプレイヤーだったからだ。ロシアにはテロ活動に関する情報ネットワークや鎮圧のノウハウがあり、実際シリアで停戦合意が実現したのもロシアの介入があったからこそだ。同じ空爆でも、ロシアは、やや強引であったとはいえ、米国のものよりもはるかに大きな戦果を挙げており、アサド政権やアラブ諸国から高い評価を受けた。そうしたロシアを排除するよりは、融和していく方が世界平和にとっても好ましいのは間違いない。
――問題は米国だ…。
木村 ドイツやフランスが比較的ロシアに友好的であることもあり、米国が主要国のロシア接近を好ましく思っていないのは確かだ。ロシア側もそのことは理解しており、4月20日に安倍首相がロシアを訪問するとプーチン大統領が明らかにした際は、米国のけん制にも関わらず日本が訪問を決意したことに感謝すると語った。ただ、日本もむやみにロシアの善意を信じるのではなく、いかに賢くロシアと付き合うかは考えなければならない。ロシアでは法律が恒常性を維持しておらず、変化することが多く、利権の争奪も散見される。この点で、日本と同じ常識が通じるわけではなく、実際サハリン州での石油・天然ガス計画でも、日本企業は憂うることが多かった。その轍を踏まないような取り組みが必要だ。(2016年4月25日収録)