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「山一証券破たんの真相(上)」

元大蔵省証券局審議官(東証監理官)
河上 信彦 氏

*【注】組織名、肩書き等はいずれも当時のものです。

――山一証券の自主廃業から今年で20年が経つ…。

 河上 1997年の11月24日月曜日の開業時間前に山一証券は取締役会を開催し、自主廃業を決定した。その後、当時の三塚蔵相が同日午前10時半に記者会見を行い、世間的にはそこから大騒ぎとなった。私は東京証券取引所監理官として山一証券の自主廃業に関与したが、状況はその以前から混乱しており、その前段となる同年11月3日月曜日の三洋証券の破たんが大きく影響している。

――三洋証券の破たんはどのように影響したのか…。

 河上 三洋証券は生命保険会社の劣後ローンをロールオーバーすることができず破たんに陥った。ただ、その直前に無担保コールを借り入れていたため、三洋証券の破たん後に短期金融市場はマヒ状態に陥ってしまった。無担保コール・ローンの出し手は当然相手が破たんすることはないという前提で資金を貸すわけだが、三洋証券のケースでは10億円の無担保コール・ローンを供与していた群馬中央信用金庫が回収不能となり、それまで安全に取引を行えると思っていたコール市場の資金の出し手は激減してしまった。その悪影響は当時不良債権で苦しみつつあった銀行へと波及していき、同年11月17日月曜日の北海道拓殖銀行の破たんを招くことになる。こうしたなか、山一証券の資金繰りもかなり厳しくなっていることが週刊誌などで報道されていたが、私にとって山一証券問題が顕在化するきっかけとなったのが11月14日金曜日にロンドンからもたらされた連絡だ。

――ロンドンからの連絡とは…。

 河上 私が山一証券の問題に関わりを持ったきっかけも、この11月14日金曜日だ。私はこの当日、東証監理官として当時の長野証券局長に代わり大阪証券取引所主催のセミナーでスピーチをしていた。午後1時頃にセミナーが終了し、私が会場のドアを出ようとしたところでBridge Newsという東京に拠点を置く外国通信社の記者が接触してきて、市場では山一証券破たんの噂があると取材をしてきた。私は「担当者ではないので知らない」と返答し、逆にその噂について話を聞こうとしたが、周囲にいた大証の方々がその記者を引き離したので情報は得られなかった。その後、新幹線で帰京するために新大阪駅に向かい、駅の公衆電話で証券局の柏木証券市場課長に電話を掛けた。当時は株式市場が午後3時に終了すると証券市場課長が当日の市況について証券局長に報告することを知っていたので、私は「東京の外国通信社の記者がわざわざ大阪まで来て私に接触してきた。記者が確認を取りたかったのは『山一証券破たんの噂があるがどうか』ということであった」と伝えた。私は平成4年夏から平成6年夏まで大蔵省で為替資金課長を務めており、外国の通信社や国内報道機関の記者とのやり取りも経験していたが、記者が局長に接触して破たんの噂について聞こうとすることは大変なことであり、すでに何らかのニュース源を持っているということをすぐに察知した。そこで柏木証券市場課長には、夕方に証券局長へ市況報告をする際に、私に通信社の記者が接触してきたこと、山一証券が破たんする可能性があるかもしれないことを伝えてほしいと依頼した。

――大変に緊迫感のある状況だった…。

 河上 11月16日日曜日に柏木証券市場課長から私の自宅に電話があり、月曜日に日銀が北海道拓殖銀行に特別融資を実施すると伝えてきた。その電話で、11月14日金曜日に長野証券局長に市況を報告する際に私が依頼した事項は伝えたこと、そして当日に山一証券の野澤社長が証券局長を訪問するもようであったとの報告を受けた。さらに、11月14日金曜日の夜に、在ロンドン日本大使館の浦西参事官から山一証券に関する連絡があり、担当の小手川証券業務課長が不在であったため、柏木証券市場課長が代わりに対応したことも教えられた。浦西参事官の報告によるとイングランド銀行(BOE)から連絡があり、山一証券はロンドンに現地法人としてYamaichi Bank UKという銀行を持っており、どうもその銀行が山一証券グループに資金を回しているということのようだった。BOEとしては日本に対してYamaichi Bank UKを破たんさせないよう要請するとともに、同社がこれ以上山一証券グループに資金を回せないように対応したと報告してきたという。BOEがなぜ山一証券の状況を把握していたかというと、Yamaichi Bank UKに現地採用の幹部がおり、この幹部がかつて勤務していた国際商業信用銀行(BCCI)が破たんする際に系列子会社から本体に資金を回していた状況にどうも似ているということで個人の資格で情報を提供したことが発端のようだ。

――ロンドンからの報告を受けた証券局の対応は…。

 河上 週明け11月17日月曜日の昼ごろには証券局の局議が開かれ、山一証券の「飛ばし」による含み損が国内案件で約1500億円、海外案件で約1000億円に及ぶとの報告が行われたほか、同社の経営再建策や問題点の検討が行われた。東証監理官の私は山一証券の担当ではなかったものの局議への出席要請があり、一方で担当の山本審議官は証券局長の代理として大阪での貨幣大試験に向かっていた。私からすると、長野証券局長は自らが出席するはずだった貨幣大試験にナンバーツーの審議官も出席しないと記者が何らかの異変に気付く可能性があるということを理由に、山本審議官を貨幣大試験に代理出席させたのだろうと見ている。役人の世界の通例としては、担当審議官が不在の状況で山一証券の経営問題の局議を行うことは本来あり得ないことだ。

――その後、証券局ではどのように対応が進んだのか…。

 河上 私が見聞きしたことからすると、11月18日火曜日には長野証券局長が三塚蔵相に山一証券の状況を報告したもようだ。11月19日水曜日の朝には長野証券局長と山本審議官、私、証券局総務課長、証券局総務課企画官の5人が集まり、その場で長野証券局長は「山一証券は自主廃業しかない」と述べ、私は賛成した。これには伏線があり、その前の三洋証券の破たんの時にも同様に証券局の担当課長、室長らが集まって会議が開かれたが、私はその会議では三洋証券が破たんすれば短期金融市場がマヒ状態に陥ってしまうため非常に問題があると主張した。会議では三洋証券が借りている無担保コール・ローンの出し手は農協だと報告されており、かつて住専問題で多額の財政資金を注入したことに世間や国会から強い批判を浴びたにも関わらず、三洋証券の破たんにより農協に損失を与えることは果たして適当なのかとの疑問もあったからだ。会議では証券局として無担保コール取引に関し何が出来るのかという検討が行われたが、コール市場を運営する短資会社は貸金業者として位置づけられており、銀行局が規制を行っていたため、会議では最終的には証券局として出来る措置は何もないという結論に達した。つまり、三洋証券の場合には証券局長に反論し、山一の場合には長野証券局長の判断に私は賛成したわけだ。長野証券局長はその後、山一証券の野澤社長とも面会し、会社更生法による破たん処理を止めようとは考えていないが、結局自主廃業の道しかないのではないかということを伝えたようだ。こうして自主廃業の方針が固まったことを受け、11月20日木曜日には、長野証券局長は当時の橋本総理に本件の報告を行っている。新聞各紙の首相動静欄には長野証券局長との面会は載っていないが、総理に報告せずにこのような重要案件が処理できるはずがない。長野証券局長はかつて大蔵大臣秘書官も務めており、番記者に見つからないように総理に面会する手口をいくつか知っていたようだ。

――そこから自主廃業に向けた動きが具体化していく…。

 河上 山一証券には280万を超える証券口座があり、損失の「飛ばし」があったにせよ、顧客からの預かり資産は分別管理していたと考えられる。ただ、いくら分別管理をしていたにせよ、ある程度以上の規模の法人の倒産処理を円滑に進めるとなれば当然つなぎの金融が必要になる。日銀も山一証券からの報告で事情を把握しており、そこで証券局として日銀と様々なやり取りをしたと思う。日銀としては「飛ばし」で2500億円も損失を出した証券会社になぜ日銀特融が実施できるのかと当初は否定的な反応だったが、証券局長の粘り強い説得の結果11月21日金曜日には日銀事務方が最終的に山一証券への日銀特融の実施を了承したとの話があった。翌日の11月22日土曜日の日経新聞の朝刊で山一証券の自主廃業が報じられたことを受け、同日午前10時には長野証券局長が記者会見を行い、世の中に山一証券の問題が明るみにでた。その後、証券局内の検討会で山一証券が自主廃業に至るまでの過程とその後の対応についての議論が始まり、11月23日日曜日にも再び証券局の検討会を開いたうえ、同日夕方に三塚蔵相に対して具体的な説明を行った。三塚蔵相は山一証券の自主廃業には一定の理解を示しつつも、大蔵大臣として金融システムの安定化等にきちんと対応することを表明したいとの考えだった。ただ、大臣官房からは三塚蔵相に対し、自民党の加藤紘一幹事長から当時の大蔵省官房長に対して「大蔵省は前に出るな」との電話があったこと、そしてかつての住専問題では世間や国会が厳しい反応を示したことを伝えた。その結果、11月24日月曜日の山一証券の自主廃業決定では山一証券への対応に限定した大臣談話を出すにとどまった。(つづく)

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