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「田んぼダムの全国展開目指す」

新潟大学
農学部准教授
吉川 夏樹 氏

――「田んぼダム」とは…。

 吉川 「田んぼダム」は「水田を使った水害対策」だ。新潟県村上市で地域の取り組みとして始まった。水田には基本的に畦があり、水が溜められるようになっている。一方、日本の減反政策の影響から1970年代以降は米の生産量を調整するため、水田では大豆など基本的に水に弱いとされる畑作物も栽培できるよう、水田の排水口の径を大きくして迅速に排水できるようにしている。そのため、大雨が降ると水田の水は速やかに排水される。つまり、大規模な洪水時に水田の貯水機能を利用して洪水被害を抑制できると考える事は、このような排水の仕組みでは難しい。一方で、水稲栽培を行っている水田では、大洪水の時にその貯水機能を高めて、河川が溢れないように調整することが可能だ。現在の気候変動による一極集中豪雨や、担い手不足等による水田面積の減少は、洪水被害を拡大させる要因となっているが、「田んぼダム」では雨水を一時的に水田に貯留しゆっくりと排水することによって、排水路や河川のピークをカットすることができる。

――治水ダムと違って、長期間の大規模工事も必要ない…。

 吉川 「田んぼダム」は水田に簡単な装置をつけるだけだ。整備された水田には直径15センチの排水口が設けられているが、その直径を5センチ程度に縮小する。我々のシミュレーションでは、これによって30年に一度の大雨に対して70%の流水ピークをカットすることができるようになる。費用も、断面積のある場所に穴の開いた板を取り付けるだけなので、一ヵ所あたり安ければ300円、高くても7~8千円でつけられる。治水ダム一基に平均400億円ほどかかるとして、300円で田んぼダムを1万カ所作ったとしても300万円だ。もちろん、厳密には治水ダムと田んぼダムの役割は違うため、この二つを比較して述べることはできない。治水ダムは河川の流量を抑えるとともに、ダムよりも上流の森林地帯などから流れてきた雨水も貯留できるが、田んぼダムは内水氾濫に対応するためのものだ。ただ、国土交通省は昨年7月、防災・減災対策総合政策として、政府がこれまで行ってきた河川整備やダム建設などによる川中心の洪水対策から、今後は流域全体で取り組む治水対策へ転換していく方針を発表した。その中でもこの「田んぼダム」は注目されている。

――昨年、愛媛県で建設された治水ダムを大雨によって壊されないよう水を一気に抜いたところ、川下で大災害を引き起こしたという事件が起きてしまった…。

 吉川 ダムの操作は非常に難しい。洪水を抑えるためにはできるだけダムを空っぽにしておくことが望ましいのだが、水を溜めるタイミングを決めるのも人間だ。最近の降雨予想精度はかなり上がってきているとはいえ予想が必ず当たるわけではない。予想した雨量のピークに合わせて水を溜め始めても、それがいっぱいになった後に、別のもう一つのピークが発生すれば、ダム内の水を放流しなくてはならず、さらなる大洪水が引き起こされる。ダムの崩壊を引き起こさないように色々な工夫や予想を行って操作しても、予想が外れればどうしようもない。この点、田んぼダムは排水しながら溜めるので基本的に崩壊することはなく、仮に過剰な湛水によって水田が崩壊したところで,一枚に貯められる水量はたかが知れているので大きな人的被害が起こることは無い。ただ、現在日本にある250万ヘクタールの水田すべてが田んぼダムに適した地ではない。田んぼダムの重要な役割はどれくらい水を溜められるかではなく、どれくらい河川量のピークをカットできるかであり、流域面積に占める水田の面積割合が大きいほど効果は出やすい。その適地を見極めながら実施していく必要がある。

――「田んぼダム」の取り組みに協力してくれた農家に補助金が支給されるような仕組みになれば、農業振興策や地域振興策にもつながる…。

 吉川 「田んぼダム」は、もともと農家のボランティアで始まったが、長期間に渡る活動の継続は難しかった。私は農家にとって何かしらのインセンティブが必要だと考え、以前から国に訴え続けていた。そして今、農林水産省から多面的機能支払交付金を受けられるようになり、その制度を活用して「田んぼダム」の取り組みを進めている。地域ごとに見れば、とても上手く機能しているところもあれば、そうでもないところもある。多面的機能支払交付金は全国的な制度だが、集落単位での活動組織に支払われるため、高齢化がかなり進んでいる地域では、煩雑な作業を強いられる行政の申請書に対応できずに申請できないという集落もあるからだ。そんな中、新潟県見附市は市の65集落全てを一つの組織として、多面的機能支払交付金における「広域協定」を結んで大きな組織で活動を行っている。まとめ役となる事務局の人件費や家賃にも対価を払えるような仕組みを作り、農家の方々が煩雑な作業で頭を煩わすこともない。65の集落の中には高齢化が進み、田んぼの刈払いや畦塗りといった肉体労働作業が難しいという理由で農地を手放す人もいるが、そういったことも事務局に連絡すれば、組織内で調整して助け合うような仕組みを作っている。

――そもそも「田んぼ」は個人の所有物だ。民有地の整備に対して公的なお金を入れることに対して納税者の理解は…。

 吉川 新潟県見附市では、雑草などの刈払い作業が「田んぼダム」の機能を維持するために絶対に必要なことだと考えている。例えば農家が畦の除草のために雑草に市販の除草剤を使って根こそぎ除去すれば、畦の強度が失われる。一方で、刈払い機で草を刈り、畦塗り機で漏水を防ぐための作業を施せば、しっかりとした畦によって水田の貯水機能も高まる。つまり、畦をきちんと維持・管理することは、田んぼダムを維持するための共同作業と見附市は位置づけている。「田んぼダム」の取り組みは今では北海道から九州まで広がっている。新潟県だけで1万5千ヘクタールの「田んぼダム」があるが、新潟県の水田に占める割合は10%程度でまだまだ広がる余地はある。どういった方法でで始めればよいのか、取組みを長期間継続させるためのインセンティブとして、どのように交付金が利用できるのか、様々な組織からサポートを求められている。私たちは「田んぼダム」の全国展開を目指して、普及に向けた活動を行っているところだ。 

――その他、政府への要望などは…。

 吉川 「田んぼダム」は20年に1度あるかないかの大洪水のために維持・管理していくものだ。交付金が出るようになったのはありがたいが、それだけでは普及は難しく、市町村自治体が積極的にその取り組みに関与して維持管理する仕組みの構築が必要であり、その保守点検等の作業にも何かしらのインセンティブがなければ「田んぼダム」は続かない。建設ダムの場合は一度作ってしまえば構造物として比較的維持管理は簡単だが、「田んぼダム」は何千人という農家の方々全員が一致団結して取り組み続けなければならず、そのための合意形成や動機付けをどのようにするかが鍵となる。田んぼダムの先進地である見附市で本格的に取り組みが始まったのは2011年に発生した新潟福島豪雨災害だが、それ以降の10年間に新潟では、それほどの大雨は降っておらず、「田んぼダム」の水害抑制効果を農家や市民が実感する機会はない。だからと言って、この取り組みが投げ出されないように、政府や自治体からは継続的なインセンティブと動機づけの仕組みを維持し、豪雨災害の予防的措置をしっかりと考えてもらいたい。

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