金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

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「コロナ補正は無駄の山」

財政評論家
米澤 潤一 氏

――日本の財政がどうなるのか心配だ…。
 米澤 ただでさえ日本の財政は破綻に瀕しているのに、今年度の3次にわたる補正では、当初予算の年間新規国債発行額の3.5倍を1年で発行することになった。まるでメーターの針が振り切れて飛んだような状態だ。新型コロナウィルスの世界的大流行という100年に1度の異常事態に対処するためやむを得ないという事だろうが、本当にこれが賢い政策なのか検証が必要だ。新型コロナ対策として何より優先されるべきものは感染拡大防止と医療体制の確保・充実だ。そこにはワクチンや特効薬の開発、医療従事者の処遇改善も含まれるが、第3次にわたる補正予算での歳出追加73兆円の内、これらに該当するものは約13%の9.2兆円に過ぎない。こうした中で、昨年末にかけて医療体制にしわ寄せがきて、ここに最も深刻な危機がきている。また、残りの60兆円余は、影響を受ける事業従事者や雇用者への対策、経済全体の落ち込みを緩和するための需要喚起策、将来に向けての経済構造転換・インフラ整備等、色々な名目を付けて多岐にわたっている。これらは緊急性や費用対効果に濃淡があり、本来ならばその濃淡に応じて優先順位をつけ、悪用・乱用防止の制度設計をきめ細かに工夫すべきだ。しかし、残念ながら一連の対策にはそうした吟味がなく、バラマキと声の大きいところを宥めるための安易な支出が多いという感が否めない。

――PCR検査体制が他の先進国に比べて極めて脆弱であるにも関わらず、政府はGoToキャンペーンを実施し、国民の警戒心を緩めて感染を広めるという政策を行った…。
 米澤 今のような状況下での経済対策は、最大の目的である感染拡大の防止に資するか、せめて逆行しないことが求められるのに、医療支援を上回るような規模で計上されたGoToトラベルやGoToイートなどは、感染拡大期にその主要原因である人の移動や集合と会食を補助金付きで奨励するものに他ならず、無駄を通り越して有害なものとなってしまった。また、1次補正での10万円一律給付金は費用対効果の面で拙劣で、故大平正芳総理風に言うならば「イージーゴーイング」な政策だった。さらに、3次補正での「ポストコロナに向けた経済政策の転換・好循環の実現」と「国土強靭化」に至っては、コロナ対策へ便乗した財政法29条(補正予算)違反の駆け込みとしか思えない。73兆円の内、少なく見積もっても半分はこうした有害、無駄、或いは便乗で占められている様に感じられる。

――政府債務残高が1000兆円を超え、GDPの2倍となっているこの状況下で、先行きの国家財政の見通しは暗い…。
 米澤 ただそうは言っても100年に一度の緊急異常事態に対処するためには、本年度採られた予算措置の少なくとも何割かの追加財政出動は不可避だった。まさにこうした時こそ財政出動が必要であり、本来はそれに備えて平時の財政にゆとりを持たせておく必要がある。にもかかわらず、我が国の財政は散々言い尽くされていることながら、令和2年当初の段階ですでに国債残高のGDP比は160%とG7諸国中飛びぬけて最悪になっていた。自著「国債が映す日本経済史」等でも私は再三警鐘を鳴らしてきたが、国民の間に一向に危機感が深刻化しないまま今日に至ってしまっている。財政再建など夢のまた夢だ。ただ、日本はこれだけ財政赤字を垂れ流していながら、アルゼンチンやギリシャのような経済危機にはまだ陥ってはいない。その理由は、一つに国際収支の経常収支が黒字で、国債が日本国内の貯蓄で賄われているからだ。だからと言って財政赤字がいくら大きくても大丈夫という訳ではなく、日本国債の信用が失われ、投資家が国債を買わなくなれば直ちにデフォルトとなるだろう。それは国債の消化が国内だろうが国外だろうが同様であり、現に昭和50年代後半には国債が発行できず休債となったことが8回もあった。新規国債に加えて年間100兆円を超す借換債を発行しなければならない現状は「板子一枚下は地獄」だ。

――地獄はいつ来るかわからない…。
 米澤 さらにもう少し視野を広げると、財政赤字が増え続けていることによる日本経済への悪影響は既に現れている。例えば、若い世代の財布の紐が固く消費が振るわないのは、「年金が貰えなくなる」など国の財政の将来への不安や不信が影響している。また、資金循環の面から見ると、世界に冠たる日本国民の貯蓄は、もしこれが財政赤字に向かわずに国内外の投資に向かっていたならばそれだけ果実を生み、日本国民の富が増えていたはずなのに、果実を生まない財政赤字のファイナンスという不毛な使途に向かっていたためにその機会が失われてしまった。目先の需要喚起のための財政出動を無反省に重ねた結果、中長期的な競争力は失われ、1990年の日本のGDPは米国の2分の1強、中国の8倍だったものが、2018年には米国の4分の1、中国の4割弱にまで低迷してしまった。これが「失われた30年」の真実だ。その意味で財政再建こそが最大の成長戦略であったのに、その成果の出ないうちにコロナに見舞われてしまった。

――今後の起死回生の策は…。
 米澤 プライマリーバランスの均衡化を目指して地道な努力を長く積み重ねていくより他はないだろう。99年小渕内閣の時に08年度とされたプライマリーバランス均衡化目標の達成時期はその後4回先送りされ、18年には25年度とされてはきたものの、この数年、赤字の水準自体は減ってきていた。残念ながら今回それが一気に消し飛ばされてしまったが、コロナ終息後の長期的視野に立って、国民の理解と協力を得て再びその努力を再開し持続するしかない。国民の側からいえば受益と負担の均衡を図るという事になり、歳出削減と国民の負担増をどう組み合わせるかは国民の選択だ。個人的には歳出削減の余地は限られており、抜本対策としては緩やかな負担増しかないと思う。平成元年から33年間の当初予算での歳出増加の内訳を見ると、歳出全体がコロナ予備費を除き44.9兆円増えている中で、社会保障、国債費、交付税が42.7兆円と殆どを占め、その他の経費は防衛費が1.6兆円増えているだけだ。民主党政権時代に鳴り物入りで行った仕分けでもネズミ一匹程度しか出てこなかったことを振り返ると、兆円単位での削減余地は乏しい。そう考えると、やはり大きく切るには社会保障しかないが、その手段は年金国庫負担の引き下げや医療自己負担の引き上げといった負担増に属する方法だろう。国際的にみても日本は大きな政府とは言えない。ただしもちろん、この時期に教育の無償化拡大や35人学級を導入するなど後年度負担の大きい施策は論外だ。一点、消費税に関して付言すると、これまで4次の消費税導入・増税を行ったが、結局見返りの減税や支出が大きく、累計で見れば目に見える寄与はしていない。消費税導入の検討を始めた昭和40年代の税制当局は、日本人の消費税アレルギーが非常に強いという事を想定していなかったのだろう。このため、消費増税一本槍ではなく、そういった国民感情や国情に合わせた負担増の組み合わせを工夫すべきなのではないか。

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