金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

金融ファクシミリ新聞は、金融・資本市場に携わるプロ向けの専門紙。 財務省・日銀情報から定評のあるファイナンス情報、IPO・PO・M&A情報、債券流通市場、投信、エクイティ、デリバティブ等の金融・資本市場に欠かせない情報を独自取材によりお届けします。

「日本の通商戦略は2正面作戦」

杏林大学
名誉教授
国際貿易投資研究所理事
馬田 啓一 氏

――世界がコロナ禍に包まれて、貿易や通商に多大な影響が出てきている…。
 馬田 米中貿易戦争に新型コロナの問題が加わり、世界経済の様子が変わってきた。企業としてはサプライチェーン(供給網)の再構築が喫緊の課題となっている。ここでのポイントは「チャイナリスク」だ。中国に依存しすぎたサプライチェーンが大きなリスクに晒されている。中国の武漢で発生した新型コロナの影響で、中国から輸入される部品や原材料が不足し、日本国内の製品の生産が支障をきたした。また、コロナへの対応をめぐり米中対立が再燃しており、米国が中国に対して制裁関税を新たに課せば、日本企業は中国で現地生産した製品を米国へ輸出できなくなり、輸出基地としての中国の役割は終わってしまう。このため、すでに生産拠点をASEANなどに移す動きが見られる。米中対立の狭間でグローバルに展開する日本企業がとばっちりを受けることのないよう、生き残りをかけた戦略を展開していく必要がある。

――新型コロナと米中対立で、貿易が制限される状況が続くと…。
 馬田 各国は内向きになり、輸入が制限され、サプライチェーンも寸断されている。もちろん、新型コロナウィルスの感染拡大はワクチンと治療薬が開発されれば収まるだろう。しかし、今後、また新たな感染症によるパンデミックが起こる可能性が高い。サプライチェーンの再構築は、貿易、安全保障、パンデミックへの対応という3つの視点が重要だ。激しい競争の中で日本企業が的確に再構築を進められるよう、政府は方向付けだけでなく、企業への支援策を打ち出すべきだ。医療機器や医薬品等に関しては、ある程度、国内自給が出来るような体制が必要であり、生産の国内回帰に対して企業が安心して取り組めるよう財政支援を政府はしっかりと打ち出さなくてはならない。これまでも「笛吹けど踊らず」という状態は幾度もあった。今回も、日本企業は中国から完全撤退すべきか、中国に踏み止まるべきかの選択を迫られている。

――となると、日本の通商戦略はどうあるべきか…。
 馬田 完全に中国を見限るわけにはいかないというのが、企業の本音だ。現実的な対応としては、中国に片足を残したまま、中国以外のところでも生産する「チャイナ・プラス・ワン」と呼ばれる2正面作戦を考えている。米国は中国を締め出すために、関税をかけるだけでなく、中国からの対米投資を規制し、米国のハイテク技術を使って生産した製品を、米国企業だけでなく日本や他国の企業が中国に輸出することも規制している。さらに、中国での現地生産も規制して、米国のハイテク技術の流出を阻止しようとしている。日本としては単独で動くのではなく、各国との国際協調の枠組みの中で米中対立がエスカレートしないようにするのが、日本の通商戦略の課題だ。米国は11月に大統領選挙を控えている。米国経済を持ち直すことが出来なければ、トランプ大統領が再選する可能性はなくなる。現在の支持率は民主党バイデン氏が50%、共和党トランプ大統領が40%程度で、過去にこれほど差がついた大統領選ではすべて現職の大統領が負けている。もちろん、バイデン氏が大統領になったとして、今までの米国の対中戦略がガラッと変わることはない。「このまま中国を好き放題にさせると足をすくわれる」というのが米国のコンセンサスだ。親中派のレッテルがついているが、したたかなバイデン氏は国内の世論を反映して、米中デカップリング(分断)の姿勢を示していくだろう。

――かつての米ソ関係の様に、西側と東側にデカップリングしていくことは、21世紀において考えられるのか…。
 馬田 米中のデカップリングは、過去の米ソ対立の時代のような包括的なものではなく、中国の覇権を許さないための重要な分野に限定した「部分的なデカップリング」ということだ。特に日本は安全保障面で米国に依存しているが、経済面では中国との密接な関係は避けられない。だからこそデカップリングの範囲をきちんと決めて、米中両国と上手に付き合っていかなくてはならない。今年5月に施行された改正外為法で絞り込んだコア12業種は、こうしたことを踏まえた日本の方針を表したものだ。何が何でも中国を完全に締め出そうという米国に追随するのではなく、部分的な米中デカップリングに重点を置いた日本独自の対中政策を進め、同時に米中対立の先鋭化を抑えることが求められている。

――仮に米大統領選挙でバイデン氏が当選すると…。
 馬田 新型コロナと人種差別の問題で米大統領選の風向きが一変し、トランプ再選が怪しくなってきた。日本は今、トランプ氏とバイデン氏のどちらが当選しても対応可能な対米外交を進めなければならない。バイデン氏が当選すれば国際協調路線に戻り、G7の立て直しも始まる。新型コロナ収束に向けたワクチン開発での国際協力も強化されるだろう。一方、トランプ氏が再選したとして、2期目に政策が変わるのは望み薄で、「米国第一主義」を掲げた一期目の政策を正当化させるため行動はさらにエスカレートするだろう。そうなれば、世界経済の秩序はさらに混迷の度を深めるかもしれない。日本は、かつてない程の密な首脳関係を安倍総理とトランプ大統領で築いてきたが、トランプ氏の暴走に振り回され続けるのはもううんざりしている。

 

――日本は米国抜きのTPP11協定の締結やEUとの経済連携協定に成功し、今は英国との通商交渉を進めている。これらの戦略と米国一国主義や米中貿易対立との絡みは…。
 馬田 日本としては、米中対立も出来れば緩和させたい。トランプ大統領は多国間主義を嫌い、二国間主義に固執している。その方が「脅しとディール(取引)」による強引な通商政策が可能だと信じ込んでいるからだ。だが、中国を追加関税で脅したが、中国は譲歩するどころか逆に報復に出たため、泥沼の米中貿易戦争に陥った。米中対立を鎮めるには、米国だけが矢面に立つような二国間主義の限界に気づくことが大事だ。多国間主義による対中包囲網の構築に向けた取り組みに米国を引きずり込むのが、日本の役割だと思う。ようやく発効に至ったTPP11(11カ国による環太平洋経済連携協定)を拡大させていくことで、米国を焦らせてTPPに復帰させようというのが日本のシナリオだ。TPP11に続き、日EU・EPA(経済連携協定)の発効を目指したのも、米国をけん制するのが狙いだ。第一段階の日米貿易協定が今年発効したが、米国はTPPや日EU・EPAに負けないような包括的内容のFTAを日米で結びたいと思っている。一方、日本としては、第一段階では物品の関税撤廃でお茶を濁し、第二段階のサービスや投資分野の交渉で議論をすり替え、米国に対し「TPPに戻った方が手っ取り早い」と説得する構えだ。包括的な日米FTAの締結か、それとも米国のTPP復帰か、日米は同床異夢、コロナの影響で延期されている日米貿易交渉の第2ラウンドの行方は予断を許さない。

――RCEP(東アジア地域包括的経済連携)の交渉では、インドが離脱したが…。
 馬田 中国とインドが加盟することがRCEPの価値を高めていたのだが、2013年のRCEP交渉開始当初から、極めて保護主義的なインドの加盟については心配する声があった。しかも、RCEPではインドの得意分野であるITやサービスは蚊帳の外で、インドが得意としない物品の関税撤廃に力を入れていたため、インド国内企業の反発は大きかった。それでもモディ首相はインドの将来を考えてRCEPへの加盟に前向きだったが、その後、中国からの安い製品が大量に輸入されたり、インドの国内景気が悪化してくると、モディ首相も国内の反対を抑えきれなくなり、昨年、ついに離脱を表明した。日本としては、中国がRCEPで力を持ちすぎるのを抑えるため、インドを何としてでも入れたいと考えているが、コロナ禍で未曽有の打撃を受けているインドの現状では、見通しは厳しい。インドとの協議は別途継続することにして、遅くとも年内にはRCEP15カ国で署名を行うことで、米国を焦らせてTPPに復帰させる戦略を優先すべきだろう。

――トランプ大統領は昨年一月に、条件付きでのTPP復帰を示唆した…。
 馬田 ダボス会議でのこの発言は、日本にとってチャンスだ。日本は、「再交渉はしない。現行のTPPに米国が戻ってほしい」とコメントしたが、内々では、トランプ大統領の立場に配慮し、「TPP協定は良くなった」と支持者に言えるように、厚化粧をしてもいいと考えていたと思う。もちろん、11月の米大統領選でバイデン氏が当選すれば米国のTPP復帰はもっと容易になろう。オバマ政権の副大統領として、TPP交渉の合意に携わった人物だからだ。しかし、米国がもたもたしていると、そのすきに中国が米国抜きのTPPに参加するかもしれない。いずれにせよ、コロナ禍と米中対立で、反グローバル化や保護主義がますます高まれば、世界経済は落ち込んでしまう。WTOが4月に発表した貿易見通しによれば、楽観シナリオで13%、悲観的シナリオは32%の落ち込みを試算している。日本は出来るだけ楽観的シナリオの数値に近づけるように、コロナ後の世界を見据えたグローバルな通商戦略の一環として、TPPや日EU・EPA、RCEPを通じて米国をけん制しつつ、米国を多国間の枠組みに取り込んでいく外交努力を続けていかなくてはならない。

▲TOP