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「デジタル人民元は通用せず」

京都大学
公共政策大学院 教授
岩下 直行 氏

――デジタル通貨の定義は…。
 岩下 広い意味で言えば電子マネーやキャッシュレス決済全体を含む概念だが、例えばビットコインはデジタル通貨のイメージに近いものだ。重要なのは、国境を跨いで取引可能という点にある。決済手段の電子化は約30年前に始まっていたが、ビットコインが出てきたのは約10年前。その後、フェイスブックがビットコインを真似て、リブラという国境を跨ぐデジタル通貨を提案した。更に、ベネズエラやエクアドル、マーシャル諸島、カンボジアといった国々で中央銀行デジタル通貨の発行や計画が相次いだ。特に自国の資金決済システムが未成熟な国の中央銀行ほどデジタル通貨に熱心なようだ。一方、先進国でも検討は行われているが、まだ研究段階としている先が多い

――中国人民銀行が発行を予定しているデジタル通貨については…。
 岩下 昨年10月のG20によるプレスリリースで、各国がリブラの発行を当面認めないという姿勢を強く示した。これに対し、フェイスブックのザッカーバーグCEOは、中国脅威論を持ち出して反論した。この結果、中国による中央銀行デジタル通貨であるDCEPへの注目が一気に高まった。DCEPについては元重慶市長による講演が行われているものの、公式には何の発表もない。確かに、中国人民銀行は約5年前にデジタル通貨の研究センターを設置しているが、その研究論文を見ても具体的な計画は書かれていない。最近の講演で言及されたのは「DCEPを発行することで、米国の通貨覇権に対抗する」といった主張であった。そもそも通貨というものは出来るだけそういった国家間の覇権争いから離れて動くべきものであって、政治的な動機でデジタル通貨を発行しても、人々にとって便利ではないだろう。中国にしてみれば、今の米ドルを基軸とする国際金融体制はあまり好ましくない制度だろうが、だからといって、中国の人民銀行が発行するデジタル通貨がドルに取って代わることが出来るとは思えない。そもそも、我々は米国がデジタル通貨を発行しているからドルを使用している訳ではないし、米国の技術が優れているからドル中心の国際金融になっている訳でもない。

――DCEPが世界に及ぼす影響は軽微ということか…。
 岩下 仮にDCEPが発行されたとして、何か劇的な変化が起こるかと言えば、それはあまり期待できない。国際金融取引で必要となるのは、皆がそれを使っているという事だ。そう考えると、DCEPを使うのは中国人民銀行と直接取引できる人に限られるだろう。中国人民銀行は全世界の金融機関と直接やり取りするようなネットワークを持っている訳ではない。各国中央銀行のネットワークは基本的にその国内に留まっており、国と国をつなぐにはスウィフト(国際銀行間金融通信協会)の仕組みが使われている。現在の状況でDCEPを国際的な貿易決済に使うことは難しい。また、講演をしたのが中国人民銀行の幹部でも中国共産党の幹部でもなかったことを考えると、DCEPに関しては、今、議論しても仕方のない話のような気がする。

――米国の基軸通貨を脅かすような事はないということか…。
 岩下 全くないと思う。ブレトン・ウッズ体制が崩壊してからも、米国の世界経済におけるプレゼンスが大きかったから、ドルは基軸通貨として利用され続けている。実際にドルは利用していて便利であり、これがそう簡単に崩れるとは思えない。例えば中国経済が拡大を続け、米国を凌駕する日が来ても、基軸通貨が簡単に入れ替わるというものではない。むしろ、今の段階で人民元が国際化して一番困るのは中国だ。中国国民は国外に投資したくて仕方がないのだが、共産党は人民元の流出を防ごうと一生懸命止めている。DCEPで人民元の国際化を目指すという流れは、今の中国の考え方とは全くの逆方向であり、中国のデジタル通貨が世界で使われるという構想は、遠い未来のことを話しているのだと思う。

――国を跨ぐようなデジタル通貨は難しいとしても、国ごとにデジタル通貨を作るような動きは今後も増えていく…。
 岩下 国ごとに新たにデジタル通貨を作る必要がある国と、そうではない国があると思う。例えば、日本や米国や欧州は既に便利な国内の決済システムが存在しているため、中央銀行が新しく作り出すデジタル通貨を必要としていないと思う。ただ、欧州でも例外があり、スウェーデンではE-クローナというデジタル通貨を発行する計画がある。スウェーデンでは、銀行券がほとんど利用されておらず、スウィッシュと呼ばれる銀行のデビットカードが主に利用されている。この結果、銀行券の流通残高はGDPに対して1.7%、日本と比較して10分の1以下しか銀行券が使われていないという現状がある。とはいえ、銀行口座を持てない人も居るため、中央銀行による銀行券の需要はあるのだが、むしろデジタル通貨の方が受け入れられやすい。また、国内の決済システムが整備されていない途上国では、銀行口座を持つ人も少なく、現金中心の決済が行われている。そんな中、一部の国では、新たに中央銀行がデジタル通貨を発行して日々の決済に利用させ、人々の利便性を高めようという動きも出ている。

――日銀がデジタル通貨を発行するような動きは…。
 岩下 日本は現在、GDPの20%、約100兆円の銀行券を日本全体で保有している。そういう状況で日銀がデジタル通貨を発行すると言っても、誰も有難いとは思わないだろう。スウェーデンなどとは全く違う状況だ。また、日本の民間金融機関による決済システムは多様で便利なので、あえて日銀がデジタル通貨を発行する必要性はない。むしろ、日銀は銀行券を発行し続ける方が今のところは良いのだと思う。同じことが米国や欧州にも言える。ただ、米国も欧州もカード社会であることは間違いなく、これがスウェーデンの様になってくれば話は変わってくるだろう。これは、それぞれの国の中でお金をどのように使うか、その時に中央銀行がどう判断し、決済政策として何を選択するかという問題だ。中国がデジタル通貨で覇権を狙う動きを見て、それと競い合うために各国がデジタル通貨に乗り出すという様な状況では全くないと思う。日銀や欧州中央銀行などによるデジタル通貨の共同研究についても、まずはそういったものの活用可能性を評価するためのグループであり、別に新たな中央銀行デジタル通貨を開発しようというものではないだろう。

――国境を跨いで通貨を使う事は難しい…。
 岩下 今のドル中心の決済体系が本当に良いのかどうかは引き続き議論の対象であり、その議論が出た時に米国以外の意見が取り入れられれば、デジタル通貨は一つの交渉材料になりうるだろう。ただ、ひとつ誤解されがちなのは、ビットコインが国境を跨いだからといって、中国や他の国が発行するデジタル通貨も簡単に国境を越えられるかというと、そうではない。ブロックチェーンさえあれば国境を越えるというのは誤解であり、ブロックチェーンは国境を越えさせる道具ではない。

――ビットコインが国境を越えた具体的な理由は…。
 岩下 中央に誰もいなかったからだ。つまり、誰も支配できなかったからこそ、皆が平等になり、誰でもどこの国でも参加することができた。同じものを中国や米国が作ろうとしても難しい。例えば、ある国が、中国が作ったブロックチェーンを使用していたとして、その国が中国と政治的に対立した時に、中国はその国との資金のやりとりを凍結するようなことが出来てしまうからだ。米国が作っても同じ事だ。リブラも結局のところ米国の企業が作っているということで、例えばトランプ大統領の一言によって資金が凍結される可能性は否定できない。ビットコインは、そういったことが出来ないという特殊な関係性から信頼されているのであり、それを一般のデジタル通貨に通用させるのは、もう少し実態を見てからにすべきだと思う。

――現在のデジタル通貨議論において、日本政府に要望することは…。
 岩下 日本はビットコインなどの取引規制についてはかなり厳格であるし、今のところ中央銀行がデジタル通貨を発行するような実現性も薄い。ただ、インターネットによる匿名取引の手法を知っていれば、匿名でビットコインを国境を跨いで移転させることが可能であり、それが資金洗浄に使われてしまう可能性もある。その部分については、警察とも協力しつつ、きちんと国境を跨いだ取引の取り締りができる流れを作ることは必要かもしれない。実際にコインチェック事件では日本円にして580億円が流出した。最近になってようやく資金洗浄の取引の相手方が国内で逮捕されたが、そこから犯人にたどり着くことは難しいだろう。同じような問題はたくさんあると思う。既にインターネットで国境を跨ぐ取引が可能になった時代に合わせた対策として、既存の国際金融制度に加えて、国際的な当局間の協調が、今後の大きな課題になっていくだろう。

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