金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

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根こそぎ国際化で日本再興

国際貿易投資研究所  理事長  湯澤 三郎 氏

――今持たれている一番の問題意識は…。
 湯澤 日本は安全で住みやすく、世界と比べても生活の満足度は高いという雰囲気があるが、そういう認識のまま、バブル崩壊後の失われた2、30年が経ってきてしまったのではないか。私自身は、日本はこのままだと今後もバブル崩壊後の失われた2、30年を繰り返す、あるいはもっと転げ落ちるかもしれない、と心配している。最近海外へ出かけた人たちから「日本の存在感の希薄」や「埋没感」を繰り返し聞かされる。国内でもここ20年で家計消費が1世帯あたり月3万円減ったとか、非正規雇用者中心に年間所得200万円以下が全体の4割近くになったとか、日本経済全体が収縮してゆく気配が濃い。地域創生についても芳しい議論が聞こえない。ふるさと納税というのも一部の自治体にはプラスに働いただろうが、所詮限られたパイを左右に動かす花見酒のやりとりで、地元のきちんとした納税者を逆なでする側面が強い。正しい納税意識から「ものもらい納税」へと市民の意識を変えていいのかという気がする。少子高齢化で否応なく国内経済が縮み指向に傾くわけだから、今は国を挙げて「根こそぎ国際化」でこれからの成長発展を目指すべきだと思う。

――大きいところから小さいところへ所得移転が起きているだけだ…。
 湯澤 これまで日本は、労働コストが安いところを狙って海外に生産拠点を移し、それで一定程度の成功を収めたが、その一方で国内の生産性を上げる設備投資が置いてきぼりになった。国際競争力が低下した。少子高齢化で人口が減っていくなかで、企業に設備投資を促すモチベーションが見当たらず躊躇した事情も分かるものの、結果的には日本の産業基盤が低下した。ただ企業は資金がないわけではなく、450兆円ともいう内部留保を有し、日本は海外純資産では7年連続世界最大の債権国だ。企業は持てる資金を海外でどう活用すべきか、世界経済のみならず社会・文化等を含め大局観と戦略を構想し、実行する内部人材の不足がネックになっているのではないか。

――本来なら日本で作り、それが利益になっていたはずだが、今は海外で作り、その利益が投資収益として上がってきている…。
 湯澤 それが日本の国際化だという雰囲気があるが、これは非常に危ない考え方だ。日本は島国のため、歴史的に見ても、良い物は海外からくるという舶来意識がある。外のものを受け入れるというのが国際化だと、そういう意識が抜けきっていない。例えば、日本の海外ミッションは概ね評判が良くない。質問に次ぐ質問で、ギブアンドテイクではなくテイクアンドテイクで日本のミッションの応対は意味がないと、受け入れる外国側は辟易としている。日本のミッションは聞くだけで、自分たちの問題意識や経験をきちんと表明して意見交換するという態度ではない。特に欧米では「ともに考え、ともに成果を共有する精神」を重視する。日本人は聞きまわるからそれで最先端の技術やシステムを開発できたかというとそうでもない。92年にロスを訪れたミッションから「もうNASA(米航空宇宙局)から学ぶことは何もないです」と聞いた時には驚いた。95年がインターネット元年といわれるが、92年には既にサンタバーバラの某私立高校ではインターネットを導入していたくらいだ。日本のICT、AI分野の立ち遅れを見るにつけ、各社が見る目を持った社内人材をどう育てるかに本腰を入れないと日本の浮揚は先送りになる可能性が高い。

――日本のグローバリズムの在り方や世界平和の考え方などに関して提案型がまったくない…。
 湯澤 提案型といえばインド太平洋戦略とTPP、戦後のヒットはこの二つだけだろう。外交的には日本が期待される役割の一端を漸く果たし始めたという観がある。今、生産性向上への圧力もあり、科学技術や企業の生産技術のイノベーションが叫ばれている。しかし、目下第4次産業革命のただ中にあって、全てが否応なしの変革途上にある。企業の意思決定はもはや下から上がる稟議ベースでは世界で勝負にならない。当研究所発行の世界経済評論8月号で川合麻由美氏は「中東のビジネス・コンタクトの成否はスマホで3分の動画を自社が提供できるかどうかだ」と書いていた。企業だけではなく、教育も外国人と共生するコミュニティーの在り方、そして政策決定も全て「世界における」という意識に裏付けされたものでないと、思いがけないところで齟齬を来して後ろ向きの仕事ばかり増えることになる。世界経済評論の10月号の特集「令和維新経済」はその意味を込めている。世界経済成長の6割は発展途上国が担っているため、こちらに目を向けるべきだ。先進国は技術があるため、その技術革新を発展途上国の経済の発展のためにどういう風に役立たせるかが重要だ。発展途上国にはニーズがごろごろ転がっているが、日本の各地域が蓄積している業際協力、ノウハウ、経験、技術、人、それらを総動員すれば、人口の3分の2といわれる膨大な途上国の方々に益するような新製品が日本からどんどん出せると考えている。待っているだけでは日本の地域は発展しない。地域には高専や大学など知の蓄えがある。この資産を共有して海外のニーズの発掘、協働開発、協働した課題解決に踏み込むビジョンと実行計画を海外に提示して行く積極性が次代の地域と日本を活性化させるだろう。

――日本の学校のように創意工夫、想像力といったことを教えず、ただ正解を暗記させるだけでは新たな政策は創れない…。
 湯澤 その通りで、これでは海外に行っても対抗できない。蓄えた知識で最初の発言はできても、議論になったときには自分の言葉で対応できなくなる。私の考える本当の国際化とは、「国際知」を錬磨して国際力を強化することだ。「国際知」とは何かと言うと、民族によって異なる世界観や人生観など、その多様性のなかに価値を見つけ、それを活用する知見と努力のことだ。知はただ知るだけではなく行動も含む語だ。知識人とは単に物知りを意味しない。知識人は発言し議論できる人を指すが、それと同じだ。知っているだけで意見表明をしないというのは国際知ではない。日本は良いものを持っているが、言語化の訓練に欠けるので損をしている。うまく意見を言えなければ「自分は賛成できない」というだけでも良い。そして国際知を錬磨したうえで国際力を強化していくべきだが、この国際力というのは、違いのなかから今度は共通部分を見つけ出すことだ。共通部分を見つけ出して、それを通じて対話をし、実りあるところまで持って行く力、それが国際力である。日本は改めて国際化のめざすところを再確認して、同時に国際力をつけるという目標を明確に持つ決意が少なくともリーダーに必要だ。曖昧な国際化で「何とかなるだろう」では「もうどうにもならない」。多様性というのはつまり、海外のさまざまな人、国、企業も含めてそれを一緒になって新しいものを作り出すことで、そこまでやらないと日本の経済は右肩上がりにならない。例えば、日本の対外投資と比べた海外の日本に対する対内投資は異常に少なくて6・9%程度と主要国間では最低だ。韓国や欧州など低いところでも30%以上はある。中国に至っては、対内投資と対外投資、どちらも同じくらいだ。国際化と言いながらテイクアンドテイクの精神が染みついており、迎え入れてともに喜ぶという気持ちがない限り、日本経済は自前では発展しない。ジェトロは海外からの投資誘致に頑張っているが、いかんせん日本のビジネス環境は外国企業の期待線を下回る。外国人が働く環境として日本は主要国のなかでほぼ最下位といわれているくらいだ。それにもかかわらず、外国企業の投資受け入れが日本の生命線だという危機感は共有されていないし、総合的なイノベーティブプランが市民レベルにまで響いて来ない。イギリス経済が下り坂になった時、サッチャー首相は一挙に門戸を広げ、海外からの投資を次々と受け入れることで建て直した。日本がこれだけ失われた20年、30年と言われているなか、イギリスの建て直し成功を見ていながら、企業環境のイノベーションが声を大に叫ばれていないのは大変気掛かりだ。

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