アジア開発銀行 総裁 中尾 武彦 氏
――アジア開発銀行(ADB)の現状は…。
中尾 私は2013年4月にADB総裁に就任した。就任前年のコミットメントベースでの貸付金額は120億ドル、それが2018年には220億ドルと倍近くに増えている。課題としていた民間向けの貸付も、2012年の18億ドルから現在31億ドルと着実に増えている。貸付業務が着実に伸びている理由の一つは、低所得国向けに低金利貸付やグラント(返済不要の資金)を行っていたアジア開発基金(ADF)の中から、2017年に低金利貸付を切り離して、通常の融資と統合し、低金利貸付にもレバレッジ(債券による資金調達)をかけることにしたことだ。いくら低所得国向け低金利貸付とは言え、貸し倒れは今まで政策的に債務削減を行ったアフガニスタン以外にはなく、銀行として経営していく中では、レバレッジを使わないことは考えにくい。この業務統合によりアジア開発基金の拠出金約350億ドルが通常貸付のための150億ドルの資本に統合され、この大きな資本をもとに低所得国向け、中所得国向けの貸し付け業務を行うことができる。また、現在の貸出残高に対する資本の比率は50%近くにも上るので、当面増資を加盟国に求めなくても業務を大きくしていくことが可能になっている。
――中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)とADBとの兼ね合いは…。
中尾 2015年にAIIBが正式に発足した後、インフラ資金の重要性への認識はさらに高まっており、ADBもインフラへの融資にも改めて力を入れている。しかし、昨年のAIIBの貸付額が約40億ドルであるのに対して、ADBは約220億ドルと規模にはまだ大きな差がある。また、職員の規模がADBは約3500人であるのに対しAIIBは200人強と少ない。水道や運輸、エネルギーなどのインフラ事業で高度な技術を生かしながらプロジェクトをデザインし、きちんとした調達を行い、メンテナンスまで行き届いた事業を行うには一定のスタッフの数が必要であり、そういった意味でAIIBがADBにとって代わるようなことはないと考えている。
――現在、ADBが手掛けている支援は…。
中尾 例えばフィリピンでは、マニラと近郊の新都市を結ぶ鉄道の新設や中等教育充実のための支援に力を入れている。また、エネルギー関係ではインドネシアで地熱発電を支援するなど、地球環境に資するインフラ投資も行っている。フィリピン、インドネシア、インドやベトナムにおける資金需要は非常に大きい。ADBの貸付条件はトリプルAでの債券発行による調達コストプラス手数料50ベーシスポイントなので、現地通貨建てにスワップすると、各国の国債による調達に比べてそれほど安いわけではなくなる。それでもADB から借りたいという国が多いのは、「外貨をある程度保有しておくことが安定につながる」という意識もあるからなのだろう。また、ADBでは貸付とともに技術やアイデアの提供も行っている。出来るだけ先進的な技術を使い、他の国の事業での経験を様々に生かし、環境問題にもきちんと配慮している。水温上昇などで生物の多様性を壊さないようにすることもその一つだ。公平な国際調達も助けている。これらのこともADBのサービスの一部であり、その点は高く評価されていると思う。
――中国はいまだにADBや世界銀行から随分と借りているようだが…。
中尾 すでに成長を遂げている中国への支援は減らす方向にはなってきている。ただ、中国には非常に発展している部分がある一方で、まだ遅れている部分もあり、他国から多くを学びたいという改革志向の意識を持っている人もいる。とりわけ気候変動や環境関連事業など、ADBの資金を使って中国政府主導で地方や国営企業に事業を行わせる手助けをすることは、他国にもプラスの影響があり、まだ意義があると思っている。また、中国は信用度の高い借入国であり、調達コストにスプレッドを乗せて貸すことにより、ADBの予算を賄ったり、他国を助けるための資本蓄積を助けるという面もある。
――ADBの今後の方向性は…。
中尾 気候変動やジェンダー問題、貧困対策を優先的に考慮し、運輸、エネルギー、水などのそれぞれのインフラという観点だけでなく都市の問題や地方の問題など総合的に目標を定めて進めていく方針だ。また、政府保証なしの民間向け融資も伸ばして、民間の活力をさらに生かしていきたい。公的な借入れは債務が増えていくため、財政的な問題から慎重に考える国が増えている。先述したように、技術の面では出来るだけ先進技術を使い、例えば灌漑であれば日本のJAXAからの支援を受けてサテライトイメージを使用したり、水道事業であれば、どこで水漏れが起きたかなどを瞬時に把握できるスマートメーターを使用したり、道路に関しては安全を高めるために、信号設置や路肩問題、スピード規制などソフト部分も含めて支援していく。また、エネルギー分野では太陽光発電や地熱発電など再生可能エネルギーに力を入れて民間向け貸し付けも含めて支援している。また、太陽光発電の電気を上手く取り入れるためにはそのための送配電が必要となる。高い技術が必要であり、そういった部分でもしっかりと貢献していきたい。さらに、気候変動の影響などで道路などのインフラ資産の消耗が激しくなっており、今後はメンテナンス、ライフサイクルコストなどの視点も重要になってくる。このような点は、大阪のG20サミットで各国が合意された「質の高いインフラのための原則」の中で、債務の持続可能性などと並んで強調されている。
――これからの時代、アジアでも女性の活躍が重要になってくる…。
中尾 アジアでは女性が活躍していることが経済発展にも寄与している。ADBでもジェンダー問題に力を入れている。アジアでは、かつて女子の就学年数は短かったが、今では女性の方が就学年数は長い。女性が働く場が増え、女性の教育に投資することに意味が出てきたからだ。そういった変化に対応して、女性に力点を置いた職業教育、女性創業者を助けるマイクロファイナンスを支援しているほか、例えば道路や都市インフラを作る際に女性用のトイレをきちんと整備することなどにも配慮している。また、ADBでは政策の実施を条件に予算支援型の融資をすることもあり、証券市場の発展や中央銀行制度の強化につながる政策を条件に融資をしている。また、公共政策や金融制度などの分野で能力開発の技術支援も行っている。例えば、マネーロンダリングやテロリストファイナンスの対策、税務情報の交換などは国際的な取り組みが行われているが、各国の対応を支援している。ADBの法務局は、ADBの法律問題をアドバイスするだけではなく、各国における民商法、環境法制、ジェンダー法制などの整備も助けている。
――地に足の着いた政策提供でアジアの信頼を得て、ADBがさらに大きくなっていく…。
中尾 ADBには色々な分野の専門家が集まっており、特にアジアにおいては世銀以上に専門性があり、経験が豊富な分野も多いと言える。財政や金融セクターなどの政策分野でも、アジア危機の経験を踏まえて、地に足の着いた政策提供を行うことが出来る。昔、ADBは「地域に根差したファミリードクターを目指す」と言っていたが、今では立派な「地域総合病院」だ。もちろん日本をはじめとする加盟国の支援も重要だったのだが、初代の渡辺武総裁以来、経済合理性をよく精査して「サウンドバンキング」の原則のもとに貸付を行い、堅実な組織運営をしてきたというのが大きい。いくら政府に対する貸付とは言っても、将来の成長、外貨獲得能力に資するプロジェクトでなければ貸付はしないということだ。政治的に決められた大きなプロジェクトの中には、ホワイトエレファントと呼ばれる、採算性のない、政治家の記念事業のようなものになってしまうものも出てくる。このような事業に貸付をすることは借入国の将来の負担になるし、貸し手であるADBも不良債権を抱えることになりかねない。また「上から目線にならずに、まずは相手の話をよく聞く」ということも渡辺氏の教えだ。各国の当局者も多くの知識を持っているし、問題の所在がよくわかっている。世銀も大事だが、アジア各国を訪問して首脳や大臣に会うたびに、ADBは各国から期待され、好かれていると感じる。最後に、世界的に地政学的な問題が大きくなっているが、ADBには、日本、米国、中国、インド、インドネシアなど多くの国から経営陣、スタッフや理事たちが集まってアジアの開発という共通の目標のために働いている。今後とも、貧困の削減、インフラの整備、教育や保健、ジェンダーなどへの投資、民間セクターの促進、よい政策のアドバイスなどの業務を推進していくとともに、そのような業務や高いレベルの対話を通じてアジアの友好や協力の懸け橋に少しでもなるよう努力していきたい。(了)