読書家
松田邦夫 氏

――読書のペースと本選びのコツは…。
松田 年120~130冊くらいだろうか。2~3冊並行して読んでいるので、「3日で1冊」とかいう感じではない。ドキュメンタリーや歴史ものの比率が高く、知っている事実や登場人物が多く出てくるから、結果的に速いペースになるのだろう。座って通勤できる場所を選んで住んできたので、毎日最低1時間は読書に充てられる生活を続けてこられたことも、結果的に人生を豊かなものにしてくれた。本選びの手掛かりは、主に経済新聞や経済雑誌の書評と広告。あとは、日本橋の丸善を週2回ほど徘徊(はいかい)して気になったものを求める。手に取ってみることなしにネットで求めることはないので、幸い「はずれ」になる確率は低い。まれに「はずれ」に当たっても、並行して読んでいると、具体的に「何日損した」という不快さを感じないで済むメリットもある(笑)。多分人と変わった自分の習慣は、毎週日曜の夜に「来週何を読もうか」と30分以上かけて本選びをすること。飲み会が多い週は帰りの電車で眠くなるといけないから、堅いものや長いものは読まないとか。これは結果的に読書の質を随分高めているように思う。
――新刊が中心か…。
松田 ほぼすべて新刊本を買って読んでいる。電子書籍も図書館も全く利用しない。「知人や友人が書いた本は、真っ先に読んでコメントを送りたい」という、これもちょっと変わった欲望があるので、そうした本は歯応えがあっても優先して読む。一方、「手元に置いておきたいが、今は読み時じゃないな」と、5年も10年も本棚の背表紙を眺め続けている本もある。例えば今、『年をとって、初めてわかること』(立川昭二著)という17年前に出た本を読んでいるが、買っておいて、しかも今読み始めてよかったとしみじみ感じる。大げさかもしれないが、自分の心が熟成して、本とマッチングするタイミングというのがあると思う。本棚を見ると、その人の趣味だけでなく価値観や性格まで分かると言われる。確かに人の家に行くとつい本棚の本が気になってしまうが、心の中をのぞくような気がして、なるべく見ないようにしている。自分としても、家族が自分の本棚を見て「え、この人こんなこと考えてるんだ」と思われるのはちょっと怖い。ネットの検索履歴を人に見られるのと同じような気分だろうか。
――読書家によくある「置き場所」問題とかは…。
松田 当家の住宅事情からすると、当然ある(笑)。なので、処分する本の選び出しや置き場所作りにも結構時間をかけているが、それは全く苦痛ではない。関西に住む母が年齢的に本屋にも図書館にも行きづらくなったので時々まとめて読んだ本を送るのだが、それが脳の刺激にもなり、またこの歳になって息子と価値観を共有できる気がして喜んでくれているようだ。しかも本の一部は、自分の姉にも送っているそうなので、これだけ紙の本を有効活用している家族はあまりいないのではないか(笑)。
――読むジャンルは…。
松田 1つ目は経済・金融・国際情勢に関するもの。日銀と外国為替関係の会社と併せてこれまでの人生の3分の2に及ぶ43年間勤めたこともあり、知人などが書くこれらの分野の本は、現在の自分の生き方にも刺激になることが多い。2つ目は歴史を扱うもので、どうしても幕末から終戦までの激動期を舞台とするものの比重が高い。3つ目は信仰に根差す芸術に関するもので、具体的には宗教音楽・絵画、寺社・教会建築や庭園、仏像など。それ以外にも日本語論、刀・武道、書道、天文学など、脈絡はないが読み散らすのが楽しい。
――読書歴で印象深い本は…。
松田 『齋藤隆夫かく戦えり』(草柳大蔵著)は、戦前に勇気ある粛軍演説・反軍演説を行った同郷の政治家の伝記だ。『あなた』は歌人・河野裕子の歌集で、彼女の没後に夫の永田和宏氏(歌人・細胞学者)とその子らが選歌したもの。「家族とは何か」を問いかける。歴史物では、司馬遼太郎はほぼすべての作品を読んだが、『壬生義士伝』(浅田次郎著)、『魔群の通過』(山田風太郎著)の印象が今も鮮烈だ。特に前者は、朝の通勤電車で軽い気持ちで読み始めたところ、涙がボロボロ出てきて「これはいかん」と慌てて本を閉じたことが忘れられない。アメリカの大統領の回顧録にも参考になるものが多い。ニクソンはネガティブなイメージが強い人だが、『指導者とは』は名著として知られるし、フーバーの『裏切られた自由』は、米国がもともと自国中心の国であることを改めて認識させ、トランプが再選された背景の理解も進む。このほか、『日の名残り』(カズオ・イシグロ著)の味わいもすばらしい。
――経済関係では『ガバナンス貨幣論』を挙げた…。
松田 経済関係の本は数年経つと、どうしても内容が古くなっていく。そうしたなかで最新の議論を取り入れつつ通説にも挑んだ意欲作で今も座右に置いているのが、預金保険機構理事長を務めた田邉昌徳氏が著した『ガバナンス貨幣論』だ。アリストテレスから池上彰までカバーする著者の知識の該博さに圧倒される。今も著者と親しい関係が続けられるのも、こうした本を通じた縁のお陰だと思う。私は真っ先に読むだけだが(笑)。
――読書の意義とは…。
松田 「生きる糧」といった答えをする人が多いと思うが、私にとっては「自分あるいは今身を置いている時代が、大きな流れのなかで一体どのように位置付けられるか」を知るための「座標軸」探しだ。自分の苦しみや世界が直面する難問について、「昔の偉い人だってこういうことで悩んでいたんだ」「いや、難しそうに見えるが、似たような事例は前にもあったぞ」と分かると、気持ちが軽くなったり解決策が見つかったりする。それが、読書の最大のメリットだと考えている。
――自分を客観的に見ることができるということか…。
松田 その通り。「座右の銘」を聞かれると、ある日銀の先輩が勧めてくれた本のなかで評論家の内田樹氏が書いている言葉をアレンジしたものを答えるようにしている。それは「本当に賢い人とは、常に正しいことを言う人ではなく、何を話す時も『自分の言っていることは間違っているかもしれない』との自覚を持ちながら話せる人だ」というものだ。「座右の銘」など、探しても簡単にしっくりくるものは見つからないものだが、人の勧め(これも縁)で読んだ本のなかで自分を客観化、相対化して見れる言葉にめぐり会えたのは幸せだ。[B][L]