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「緊張高まるリトアニアに商機」

在リトアニア日本国大使館特命全権大使
元野村証券顧問
尾崎 哲 氏

――リトアニア大使に就任された。現地の印象は…。

 尾崎 リトアニアは歴史をとても大切にする国だ。私は昨年10月にリトアニアに赴任し、その後、様々な行事に参加してきたが、追悼・追憶(Remembrance)と銘打った儀式や行事が本当に多いことに驚いた。最近編集された「リトアニアの歴史」という本には、その前書きに「A nation’s history must be every citizen’s lips, and then the nation will be immortal(英訳版から抜粋)」という昔のリトアニア人の言葉が引用してある。つまり「国民全員によりその国の歴史が語られていれば、その国家は不滅である」ということで、このような読みやすい歴史本を外務省主導で編集した背景となっている。リトアニアはこれまでの歴史の中で二度、地図上から消えてしまった事実がある。一度目は、1795年に、ポーランド王国とリトアニア大公国による同君連合として存在していた国家が、プロシア、オーストリア、ロシアによって分割され、リトアニアがロシア帝国の傘下となったときだ。その後100年以上を経て、ロシア革命後の1918年2月16日に再独立宣言が行われ復活した。二度目は、第2次世界大戦後にバルト三国がソ連領となったときで、リトアニアが二度目の独立回復宣言をおこなったのは、ソ連崩壊間近の1990年3月11日だ。リトアニアでは毎年2月16日と3月11日には厳粛な式典・イベントなどが催される。

――つい30年余り前に独立回復宣言をしたばかりだ…。

 尾崎 ソ連がまだ存続している中での独立回復宣言ということで、例えば日本と米国がリトアニアの独立を認めたのはその翌年の1991年だが、その間もリトアニアはソ連から反撃を受け続けていた。1991年1月13日にはソ連軍の侵攻によってリトアニアの民間人14人が死亡するという大惨事が起き、この日も毎年大掛かりな追悼イベントが行われる。このような歴史的経緯からリトアニアの独立後の至上命題は、EUとNATOに加盟することだった。リトアニアは相当の努力の結果、2004年にEU加盟、同年NATOにも加盟することが出来た。2回目の独立回復からまだ30年ということもあるが、国を動かしているのは若いパワーで、ナウセーダ大統領が57歳、シモニーテ首相が47歳、そして外相のランズベルギス氏は40歳だ。歴史を大事にして過去を忘れることなく、目の前の危機を若い力で前向きに乗り切ろうとする大きな力を感じる。

――「目の前の危機」とは…。

 尾崎 現在のロシアとウクライナの問題は周知のとおりだが、ロシアはウクライナの北に位置するベラルーシにも軍隊を派遣して大規模な演習を行っている。ベラルーシの国境からリトアニアの首都ビリニュスまではわずか約30㎞、リトアニアに限らず、ロシアとダイレクトに国境を接するエストニア、そしてラトビアといったバルト三国の緊張感は相当高まっており、これは独立回復後の最大の危機ともいわれている。プーチン大統領は、ソ連崩壊時に失った領土を再び取り戻したいという考えがあるとされており、何が起こっても不思議はなく、常に有事に備える日々が続いている。また、もう一つのリトアニアの危機は中国との確執だ。昨年秋、台湾はリトアニアに「台湾代表処」という出先機関を開設した。「台湾」という名称を使用した出先機関をリトアニアが認めたことに対する中国の反発は強く、リトアニアで加工・製造された製品の中国への輸出が事実上ストップするという事態が続いているようだ。しかし、リトアニアの若いリーダーたちの意識は高く、以前から望んでいたアジア・パシフィックとのサプライチェーン拡大の流れを、これを機に加速させていこうと前向きに頑張っている。

――何故、リトアニアは敢えて中国を刺激するようなことをしたのか…。

 尾崎 リトアニアと中国との外交の歴史はそれほど長くはなく、リトアニアもかつては中国の「一帯一路」に関連して中国と中東欧17カ国の経済協力枠組み「17+1」の中に名を連ねていた。しかし、この枠組みがリトアニアの経済にあまりメリットのあるものではなかったということと、中国がロシアと親密になってきていること、さらに新疆ウイグル地区や香港における中国の人権問題などが重なり、昨年5月、リトアニアは「17+1」の枠組みから脱退した。そして27カ国が加盟するEUという枠組みで対応するという姿勢を示し、さらに台湾という民主国をサポートしようと関係強化に踏み出した。リトアニアは理不尽な圧力を押し返すパワーがとても強い国だ。もちろん中国との軋轢によって被害を被っている民間企業や財界、また野党からは現政権に対する不満や反発の声もあるが、現政権と政権党の祖国同盟は、現在の毅然としたスタンスを変える事はないだろうといわれている。そして台湾や日本、韓国、シンガポール、オーストラリアといった国々と経済関係を結び、万が一、今後長期にわたって中国との貿易が思うようにいかなくとも問題のない体制を作り上げるべく、その目標に向かって突き進んでいるようだ。

――日本とリトアニアの関係については…。

 尾崎 昨年、日本の外務大臣として15年ぶりに茂木敏充外務大臣(当時)がリトアニアを訪問した。また、2018年には安倍晋三総理大臣(当時)も訪れるなど、日本もバルト三国やバルカン諸国との交流に力を入れ始めている。リトアニアに関しては杉原千畝という存在が大きく、第2次世界大戦中のホロコーストから職を賭してまでユダヤ人を救った日本の外交官杉原はイスラエルのヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)から「Righteous Among the Nations(諸国民の中の正義の人)」として認められ、リトアニアでも記念碑と桜を植樹した杉原千畝桜公園が作られるなど、大きな歴史の記憶として伝え続けられている。そして、それは日本とリトアニアの大きな絆となっている。他方で、EUにおけるバルト三国の重要性も非常に高まってきている。EUではアドリア海、黒海、バルト海で繋がる12カ国から成る三海域イニシアチブ(Three Seas Initiative)という枠組みで、加盟国の様々な問題に協力して対処する仕組みを作っており、このため、バルト三国の基幹インフラはこの5年~10年間で物凄いスピードで整備されていくことになろう。2030年までに日本がこの地で出来ることは山ほどあると思う。特にポーランドからバルト三国ライン、将来は北欧フィンランドへもつながる鉄道プロジェクトなど、重要な基幹インフラプロジェクトへの参加は日本企業にも大きな競争力があり出番があるはずだ。これらはEUの重要プロジェクトでもある。今後はそういった経済面も視野に入れて、日本とリトアニア、バルト三国の関係を積極的に強化していきたい。

――リトアニアに赴任して、海外から日本を見て気づいた事、そして今後の抱負は…。

 尾崎 今回のコロナ禍での対応として、特にオミクロン株発生以降は、日本の入国管理政策に関して厳しすぎるとの声が上がっている。一部特殊事情を配慮した外国人の入国事例はあるものの、例えば、日本に留学が決定したリトアニアの高校生が、日本に入国することが出来ずに、日本時間に行われる授業をリモートで受けざるを得ず、深夜対応が続き健康に差し障るという事態になっている。日本への留学をあきらめて泣く泣く他の国へ行くという選択をする学生もいるようだ。他の各国大使も同様の問題を抱えている。現状少しずつ改善されつつあるが、日本からは自由に渡航可能であるのに対し、それらの国からの入国は制限されているといった状況に不公平さを感じるとの声もあり、日本の皆さんにはこれら外からの声は是非認識していただきたいところだ。今後の抱負としては、私は前述のように日本とリトアニアが経済面で連携する潜在性は高いと確信しており、何とか具体的な連携に結び付けることができたらと考えている。今年は日本とリトアニアが国交関係を結んだ1922年から100年目のアニバーサリーとなる。是非次の100年のスタートに当たって長期的なビジネス関係を築いていきたい。そのために、リトアニアで展開される電力、鉄道、新エネルギーのプロジェクトが、EU、さらには西側諸国にとって安全保障上の重要なプロジェクトであるということを、日本企業の日本の本社サイドにしっかりと認識してもらえるよう、在京のリトアニア大使館とも連携しつつ活動を加速したい。そして、リトアニアに来て改めて再認識したことだが、米中、米露というビッグパワーの間で板挟みとなっている日本とリトアニア、アジアとEUという地政学上のポジションを再確認し、同じ普遍的価値を共有するアジア・パシフィックとリトアニア、EUが経済上の絆をさらに深めることが、双方の安全保障にとって極めて重要かつ有効であることを、日本企業や日本政府に対して声高に訴えかけていきたいと思う。(了)
(※このインタビュー内容は、個人の意見として述べられたものです)

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