金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

金融ファクシミリ新聞は、金融・資本市場に携わるプロ向けの専門紙。 財務省・日銀情報から定評のあるファイナンス情報、IPO・PO・M&A情報、債券流通市場、投信、エクイティ、デリバティブ等の金融・資本市場に欠かせない情報を独自取材によりお届けします。

Information

――電力業界の抜本改革についての議論が進んでいる…。

 大久保 経済産業省がまとめた「電気事業法の一部を改正する法律案」をもとに、今回の法律で電力システム改革の第1段階が実施されることになる。これは、今年4月に閣議決定された「電力システムに関する改革方針」に基づくプログラム立法で、第2段階、第3段階の改革案まで法律に盛り込まれているものだ。具体的には、第1段階で2015年を目処に広域系統運用機関(仮称)を設立し、第2段階で2016年までに電気小売業の参入を自由化する。そして第3段階で2018年から2020年を目処に既存の電力会社を発電会社、送配電会社、小売会社に3分割し、料金規制を撤廃する。最終的に2020年に電力市場を完全自由化し、電力会社は法的に分離されることになる。

――この法律が金融界へもたらす影響は…。

 大久保 電力の自由化が金融市場に与える影響は大きい。例えば2020年までに電力会社を3分割する過程で、その電力債の信用力が、発電会社の発行か、配送電会社の発行か、あるいは小売会社の発行かによって違ってくる。これについて経済産業省は、2020年以前に発行された電力債に関しては、電力債を継承するのが仮に発電会社だったとしても、その債務は発送電会社と小売会社が連帯して3つの会社で保証すると決定した。その決定を受けて、市場では長期の電力債の発行が増えている。同時に、投資家のリスク認識も、これまで同様に電力債が安全な債券として見られるようになってきているようだ。

――7年後に電力会社を3分割した後、それぞれの会社の信用力はどうなっていくのか…。

 大久保 新規参入にはソーラーパネルの会社や鉄鋼会社、化学会社など主に発電する会社が予想されるが、どの会社も社債を発行することが可能で、信用力についてはすべてイコールフィッティングだ。2020年以前に出された債券については連帯保証が付き、2020年以降に出される新規の社債については一般担保がなくなる可能性が高いが、一般担保がなくなるための条件は、既存の電力会社の資金繰りが安定しており、電力の安定供給が担保出来るということが前提となる。もちろん、自由競争になれば電力債も一般の会社と同じでデフォルトの可能性が出て来る。今回の改正は、現在の電力体制が出来てから60年ぶりの大改革となる、いわば電力ビッグバンだ。そして、ビッグバンによる自由化が消費者にとって良くない面もある。

――電力の自由化がもたらす良くない面とは…。

 大久保 例えば市場が自由化されて、会社が利益追求を最重視し、設備投資を抑えて古い設備のままで少しでも利益を上げようと考えれば、供給能力が足りなくなり、広域で停電が発生するリスクが出て来る。また、最終的に会社が3分割されることで、原発を持っている電力会社が原発の再稼動を出来ずに廃炉にせざるを得なくなる場合は、その会社が廃炉にするための十分な引当金をもたなければ、債務超過となり、その会社は事実上破綻することもあり得る。そこで今回の審議では、廃炉になる可能性のある会社には十分な引当金を積ませておくこと、そして、その引当金は電気料金に加算すべきというような議論が進められている。廃炉すべき原発を持ちながら引当金がなく、債務超過のまま自由化に突入すれば、既存の原発を保有する電力会社はその競争において絶対的に不利になる。そして既存の電力会社が潰れてしまった時に、その原発を廃炉にもできなければ、そこには社会的コストが発生してくる。原発の廃炉の問題や、公正な競争については、十分な議論が必要だ。さらに、電力料金の自由化が進めば、離島や山間、僻地の電力料金が上がる可能性も否定できない。その地域間格差におけるコストを、利用者が負担するのか、税金を投入するのか、その辺りは日本郵政の民営化や金融ビッグバンでの議論を踏まえて進めていかなくてはならない。

――第1段階で設立を予定している「広域系統運用機関(仮称)」とは…。

 大久保 金融界で言えば東証のようなイメージだ。既存の電力会社および新規参入の電力会社の全員が運用機関の会員となり、その会員が出資して作る機関で、ここが日本全体の電力需給をコントロールすることになる。例えば、現行制度で50ヘルツと60ヘルツに分断されている周波数を、変換装置を増強して周波数の違う電力会社間での融通を行ったり、地域間での系統線を強くして、九州、四国、中国などすべてを連結させるようなことを行う。自由化をしようと思っても既存の各電力会社が送電網の使用を許さず、新しく参入した電力会社の送電料金が高いままでは意味がない。そこで、配送電に関しては全国にたったひとつの公益的な企業を置き、ここが自由化の中心的な役割を担うということだ。民間でありながらも準国営の独占送電会社が、公のためにしっかりと電力の需要と供給を行う。あとは、発電会社はこの機関に供給し、小売業社は色々なところで販売するというシステムだ。現在のような地域独占・総括原価方式のままでは、電力料金は原価プラス利潤で決まるため、コストを下げようというインセンティブが働かない。電力会社が調達コストを下げることで利益が出るような制度にしなければ、電力料金はいつまで経っても高いままだ。

――電力を自由化するにあたって、金融界が考えなくてはならないことは…。

 大久保 電力会社に対する金融界のエクスポージャーだ。電力債および電力会社への融資金額は約25兆円あるため、自由化によって電力会社の資金繰りがおかしくなれば、金融界に不良債権の山ができるし、電力会社の資金調達コストが高くなれば、電力料金も高くなるという悪循環に陥る。最終的に電力会社が破綻すれば大手金融機関も破綻するかもしれない。裏を返せば、今までのように電力債が安心であれば、電力料金も低く保たれるということだ。現状を無視した急激な改革は、消費者にとって高い電力料金になって返ってくる恐れがあることを認識しておかなければならない。

――東京電力の行方は…。

 大久保 東京電力は国が1兆円を出資している準国営企業だ。自由化することで東京電力が破綻するようなことにでもなれば国民の資産がなくなる。そういう意味では、国民の立場と東京電力の立場をしっかりと維持する必要がある。東電の最大の課題は、福島原発をはじめ、原発の廃炉をどのように賄っていくのかということであり、そのためには安全な原発を速やかに再稼動して、色々なコストを下げていくしかない。もちろん、原発による安全の確保については、第3者機関が世界で最も厳しい安全基準で精査している。それで安全が確認されれば速やかに再稼動するということだが、今回の電力システム改革も、原発再稼動を前提にするのかしないかによって全く方向性が違ってくる。原発の再稼動は、金融機関が東電へ融資する際の必要最低限の条件であり、投資家である金融機関にとって最悪なのは、原発は一切再稼動しないまま法的分離を強行し、電力を自由化することだ。つまり、東電の将来を見る上で一番大きな問題は、原発を再稼動出来るかどうかということになる。再稼動により利益が上がってくれば、流動性も良くなり、かつ、現在の総括原価方式のもと、かかった費用に対しては規制部門の電力料金に上乗せすることも出来る。ただ、原発の廃炉コストを回収していないうちに自由化になれば、既存の電力会社はそれがハンディになる。このため、今回の電力システム改革については、廃炉コストの問題や停電の問題、そして電力料金の問題などを十分に検証しながら、自由化へのスピードを遅くするというような柔軟性も必要だと考えている。(了)

――世界の農業の現状は…。

 柴田 世界の農業の在り方は、いわゆるアメリカ型の先進国農業になってきている。それは、自然の領域であるはずの農業を脱自然化させ、工業的な論理で商品化・化学化させるというやり方だ。南米、豪州に続き、今や中国までもそういった工業化された農業を目指している。言わば、農業の普遍化だ。確かにその結果、生産量はこの10年で飛躍的に伸び、今後もいくらでも生産量を伸ばすことは可能になってきた。生産量を増やすことが出来れば人口増加による食料不足問題も解決され、あとは飢餓で苦しむ人達への食料の分配方法や、製造方法についてだけが問題とされていくだろう。しかし、毎年の生産量を過去最高にするために、密植し、大量の肥料や農薬を与え、自然に逆らった農法で果たして安全性や持続性は保てるのだろうか。私は農業問題の本質はもっと違うところにあると考えている。

――農業問題の本質とは…。

 柴田 例えば日本は今、アフリカモザンビークで同国政府、ブラジル政府との協力で、1970年代末にブラジルで大成功を収めたセラード開発と同じ手法を使って約1300万ヘクタールの熱帯サバンナを対象に、プロサバンナプロジェクトという大規模農業開発を進めているが、その裏では、もともとその地域で小農家として暮らしている人々が自分たちの土地を奪われてしまうことに不安を覚えている。彼らは開発自体に反対している訳ではないが、開発の在り方に反対しているのだ。地元の小農家は自分たちの好きな作物を多種類作付けしたいと考えている。多種類作付けするのは、天候変化にも対応できる安定的で持続的な自然の理に適った農法だ。一方で、生産性を重視する大規模農業開発では基本的に大豆やコメなどの換金作物を単作で大量栽培するため、小農家が望むような農業の在り方にはならない。グローバル化という名のもとに、脱自然化・工業化といった大規模農業が、昔ながらの伝統的な農業を飲み込み、そこに住む人達の生活や生態系すべてを変えつつあるということだ。一体、誰のための開発かという疑念がそこにはある。

――ミャンマーやラオスでも現在伝統的な農業が行われているが、農業が国際化していく中で日本が主張すべきことは…。

 柴田 海のないラオスでは現在、山間地域毎に独立した農業が行われており、例えば水田は稲だけを栽培する場ではなく、水田で採れる雑草、魚、蛙、カニ、蛇といった蛋白源を一緒に育てるような農法もある。これは地域を丸ごと保全するような農法だ。私は、日本の農業にも地域資源を丸ごと保全するという意識が必要だと考えている。それは、皆がそれぞれに持つ田舎の地域経済を衰退させないための考え方だ。ミャンマーやラオスなどで行われている伝統的な農法も、グローバル化の波に飲まれれば急速に変わっていくだろう。もちろん労働力軽減のために機械化を利用するのは良いことだ。ただ、農薬・肥料・化学化といった生態系を乱すような農法は慎重に考えるべきだ。この点、日本の水田は、自然の能力を最大限発揮させるもので、長い時間軸で生産量を最大化するための継続性のある農業を行ってきた。日本の水田のあり方や昔の複合経営は、今後のミャンマーやラオスが学ぶべき知恵がつまっている。日本はその農法をしっかりと主張し、ミャンマーやラオスと一緒に守っていくべきだと思う。

――TPPについては…。

 柴田 たとえ日本がTPPに参加したとしても、土地も限られている中で、いきなり規模を拡大して生産性だけを求めた農業への変更は難しい。大規模農業を行うにも日本全土でせいぜい100万ヘクタールが限度だ。今、TPP問題では推進派と反対派で意見は二つに分かれている。どちらも「農業は国の礎」と言いながら、競争力ある大規模農業の必要性を説き、株式会社の農地保有や権利を認める推進派と、ある程度のグローバル化の必要性は認めつつも、農業は単なる食料生産の場ではなく、人びとがそこで暮らし、働いて、生きていく生業として役割を重視するのが反対派だ。TPP反対派はコミュニティを維持し、生態系を大切にしていく必要性を説いているのだが、残念ながらそういった「農業の多面的機能」は現在の財務省、農水省、環境省に分かれた縦割り行政によって機能しておらず、この言葉はもはや自由化を阻止するための方便に過ぎない。「農業の多面的機能」をきちんと機能させるためには水、土地、人、さらに森林を含めた地域資源を丸ごと保全していくという方向で見直す必要がある。そして、そのためには非農業分野から人材を投入して、放作・放棄地をすべてなくさなくてはならない。

――米や小麦の政府買取制度にも問題があるのではないか…。

 柴田 自由化が進む1961年、日本は農業基本法を作り、将来の農業の在り方についての方針を決めた。同時期に、高度経済成長とともに広がった農工間の所得格差や都市部への人口移動を是正するために米農家への所得補償を行うようになった。工業の場合、規模を拡大して生産性が上がれば、企業の利益も増えて賃金に還元されるが、農業は生産性が上がれば上がるほど農産物価格が下がるという根本的な違いがあるからだ。しかし、食の欧米化に伴い米の需要は減少し、麦や外食産業の需要が高まってきた。政府は小麦も国家貿易品目として価格調整を行い、国が買い取る海外小麦価格と国内製粉メーカーに売る価格の差額をマークアップとして徴収し、国内の麦生産農家への補助金に回しているが、国際市場で小麦価格の変動リスクが高まるようになってきた今、農水省も出来ればこのやり方を変えたいと考えているようだ。しかし、小麦輸入を自由化すれば、現在100社近くある製粉メーカーで生き残れるのは大手数社に絞り込まれるのが目に見えているため、業界はそれを嫌がっている。それは70年代の構造不況時の精糖メーカーと同じような状況で、ご存知の通り現在残っている精糖メーカーは今は安泰だ。しかし今後のTPP参加によってどうなるかは注視されるところだろう。

――ブランド表示等をしっかりと義務付けることも必要だと思うが…。

 柴田 例えば米でも、今は各県で2~3つのブランドを持ち競争しているが、国内の限られた市場で同じような競争をしていては差別化など出来ず、結局は価格に遡及されるかたちになる。その中で力を持つのはやはり大手流通が持っているプライベートブランド商品になってくる。結局、消費者は安いものばかりに手が伸びていき、価格競争に陥り、脱デフレも出来ないということだ。そういう意味ではTPPによって市場の舞台を外に向けて競争力のある企業が海外に打って出ることも必要だと思う。そして、大規模農業ではなく、日本の農学の思想に基づいた中小規模農業で持続的な農業モデルを世界に示し、それを、今後開発が進むであろうミャンマーやラオスなどに適用していって欲しい。大規模・脱自然といった先進型農業ではなく、自然の能力を最大限に発揮させた持続可能な農業の在り方を主張していくこと。それがアジアで同じ米生産農業を行う日本の役割であり責務なのではないか。(了)

――理事長になられて早や9年目。あっという間だ…。

 渡邉 公営企業金融公庫時代から通算して、正確には8年8カ月。その間、国の機関だった公営企業金融公庫が地方共同法人になり、国の資金供給を補助するという役割から、地方の共同資金調達機関となった。ガバナンスや機構の性格そのものが変わっていく中で一番問題だったのは、それまで政府保証債で調達していた資金を、信用力を維持しながら自前で調達しなくてはならないことだった。設立当初はリーマンショック直後で若干の問題はあったものの、金利の低下と質への逃避が我々に幸いし、債券市場は基本的にフォローに作用してきた。「地方の、地方による、地方のための機関」として色々な事を行い、順調にここまできたのは、やや自画自賛かもしれないが、政府系金融機関の制度改革の成功例と言って良いと思う。

――設立当初はスプレッドも随分拡大していたようだが…。

 渡邉 リーマンショック直後のスプレッドは30bp近くで地方債とは10bp程度の開きがあったが、それも間もなく縮小し、2年程前にはついに地方債と同等のスプレッドになった。ここ半年間は地方債がさらにタイト化したため0.5bpの差になっているが、実質的な信用力は全く同じだ。一方で、リスクウェイトに関しては地方債がゼロなのに対して我々は10%となっている。信用力や債券の償還能力に限定すれば、貸付先は全て地方公共団体であり、かつ、最終弁済については地方公共団体が責任を持つことになっているため、純粋にリスク面だけを考えれば実態的には地方債と変わりはなく、それは金融庁にも申し上げているのだが、課税権の有無や法的な位置づけなど、形式的な要件の違いが反映されているということのようだ。

――資金調達手段の多様化も進んでいる…。

 渡邉 当機構の債券発行額は国内では国債に次ぐ規模であり、市場で認知いただいていることから、債券市場の環境が良好な時期は苦労なく調達できる。しかし私は金融業界での長い経験から、現在のように良い状況が永続的とは言えないことも知っている。だからこそ厳しい環境に備えて、環境が良い間に出来る限り発行形態を多様化させ調達ツールを増やし、投資家層を拡大して、どのような状況になろうともきちんと調達できる状態にしておきたいと考えている。まずは市場環境に関らず10年債と20年債を毎月コンスタントに発行し、さらに状況を見ながら5年債や15年債を、そして、未だ発行歴の無い30年債もある程度出していけたらと考えている。また、機構独自の仕組みであるFLIP(Flexible Issuance Program)にも取り組んでいる。これはある種テーラーメードのようなもので、非常に信用力が高く発行量が多い発行体でなければ出来ないのだが、3年程前から始めたこの商品は大ヒットとなっている。さらに2年前からはユーロMTNのプログラムを設定して私募債のような外債を発行した。昨年9月と今年2月にベンチマークサイズの非政府保証外債を、そして今年3月は1億豪ドルのユーロMTN個人向け豪ドル建て5年債を発行した。当機構はこれまで政府保証債をコンスタントに出していたこともあり、日本の公的機関としてはかなり認知度が高いほうだと思うが、PRも兼ねて、今後個人向けについて可能な限りコンスタントに発行していきたい。また、ベンチマークサイズの外貨建て公募債についても少なくとも年1回、可能であれば年2回のペースで定期的に発行して海外投資家の皆様にもきちんとアピールしていきたいと考えている。国内外、政府保証有り無し、ベンチマークサイズの公募債、私募債、FLIPと、これだけ多様なものを取り揃えてコンスタントに発行しているところは政府系機関に限らず民間でもあまり無いと思う。そういう意味で、ようやくストレートボンドの分野では最先端を走れるようになってきたと感じている。これらを引き続きコンスタントに発行すること、そして、ユーロMTNの米国市場での募集などが今後の課題となろう。

――CPについては?また、金利リスクへの対応は…。

 渡邉 我々に必要な資金は基本的には長期資金であるため、今の状況であればCPなど短期債の必要は無いと考えている。ただ、シンジケートローンについては債券と同等条件で調達できるのであれば考えても良い。当機構の基本的モデルは10年調達で、最長30年の貸付であるため、現在のような超低金利時には10年後の借り換え時の金利がどうなるかが一番気になるところだ。もちろん、機構には公庫から引き継いだ十分な金利変動準備金が有り、金利変動リスクへの備えは万全と考えるが、それだけに頼るのではなく、金利リスクコントロールのためのALMが重要な課題と考えている。この点については、地方の機関になってすぐに金融工学のプロフェッショナルなどに協力を求めて10年調達・30年貸付という機構のモデルに合ったALMについて検討を重ねてきた。現在は長期債券市場も拡大し、FLIPでは期間のコントロールも可能なため、デュレーションギャップを上手くコントロールしてリスク管理を行うことが出来るようになり、それはかなり厳しい金利上昇のストレステストを行っても耐えうるものだ。もう一つ申し上げたいのは、当機構の経営の効率性だ。貸出残高22兆6000億円に対して、当機構の従業員はわずか90人。総資産経費率は1bpにも届かない。これは、民間銀行や他の政府系金融機関と比べても1ケタ以上違う驚異的な数字だ。

――今後の抱負は…。

 渡邉 当機構は、「地方の、地方による、地方のための機関」として努力し、地方に多額の融資を行っているが、残念ながら我々の存在はあまり知られていない。各団体はもっと財政状況の健全化や効率化を真剣に考え、地方債についても実はそれが借金であり減らす方向に努めなければいけないという意識を高める必要があると思う。そういった部分で我々が出来ることは何かと考え、3年前から、ファイナンスに関する研修やアドバイス、情報提供などを行う地方支援業務を始めた。要請があれば地方に出向き、市町村の担当者を集めてファイナンスの初歩について講習をしたり、個別にアドバイスをしたりしている。この業務に対する地方のニーズは、年々高まっている。地方公共団体の財政健全化に対する意識が高まる中で、この数年、地方債市場に限らず色々なところで自由化が進んできた。そのため、資金調達だけでなく運用面でのリスク問題も含めて、こういった知識の必要性を皆さんが感じていらっしゃるのだと思う。今年度はこの地方支援業務を1つの「部」にしたところであり、活動をさらに活発化していく予定だ。今後の抱負としては、本当の意味で地方の役に立つということしかない。人の役に立ち、利用されて、それが評価される。これは官民問わず、組織の基本だと思う。(了)

――憲法改正について色々な議論がなされている…。

 近藤 戦後日本は経済的発展を遂げ、G7やサミットへも加入した。戦後約70年経ち、日本国民の大半が坂の上の雲を極めたという感じを持っていると思う。そして今は、閉塞感に溢れているのだが、国の軸となる国家感を持っていない我々日本人には、この先の日本をどうしたいのか、どのような国に住みたいのかといった意識すら欠乏している。そこで我々は、最高法規である憲法を改正することで、日本という国の在り方を見つめ直すべきだと考えた。先祖から受け継いできた領土やこの国の安定した形を今後も繋いでいくという強いマインドを持たなければ、この先の日本はどうなるかわからない。この国がより良く発展し、国際社会における名誉ある地位を維持するためには、国民皆で憲法についてきちんと考え、議論する必要がある。憲法を通じて国民的議論を巻き起こすことで、国の在り方や行く末を真剣に考えていかなければならない。

――憲法のどういった部分を直すべきと考えているのか…。

 近藤 GHQによってわずか一週間で作られた今の日本国憲法は、即席で、前文は米国の独立宣言などの部分的つなぎ合わせが多い。非常に米国的でリベラル性が高く、いわゆる戦争を起こしたことに対する詫び証文という発想で作られた今の憲法を、70年間そのまま1度も変えずにいるとはGHQでさえ思わなかったろう。その理由は、戦後の朝鮮戦争特需や東西冷戦の過熱によって日本が順調に経済的発展を遂げ、これまで国防や国柄、安全保障問題など考える必要もなかったからだ。しかし、国柄や国益を考えなければ、色々なものが立ち行かなくなる。実際に今の日本で行き詰まりを見せているのもその辺りに原因があると思う。そこで、我々が考える「国民の憲法」要綱には、日本には憲法があり、天皇をいただく君主国であるという「国柄」を明記している。そして、それを踏まえて安全保障や統治機構、国会のあり方、緊急事態条項などを新しく加えていく。今の日本は、北朝鮮のミサイルや核、中国覇権主義による尖閣諸島への威嚇、韓国との竹島問題、そしてロシアは東日本大震災の日本が未曾有の国難にあった時に偵察機を飛ばして上空から様子をうかがっていた事実など、安全保障の脅威に晒されている。もはや平和、平和と念仏的に唱えているだけで平和が獲得出来る時代ではない。平和は努力して勝ち取るものであり、平和と言う最大の福祉を確保するために、きちんと軍事力をもつ必要がある。

――今の憲法は軍事力拡大の抑止力になっている。しかも、いざ戦争となれば法律よりもコモンセンスが重視されるだろう。そうであれば、敢えて憲法を変える必要はないのではないか…。

 近藤 日本は成文法の国だ。独も伊も軍隊を持っているのに、何故、日本だけが自衛隊という形のままでなければいけないのか。私はそれが非常に疑問だ。日本でこの70年間まったく戦争がなかったのは、平和憲法で守られていたからではなく、単なる偶然だと思う。守ってくれるはずの米国も弱体化してきており、偶然にもラッキーだったこれまでの70年間が、今後10年も20年も同じであるという保証はどこにもない。経済界には「戦争が起ころうものなら、国債の1千兆円は紙くずになる」というような意見もあるようだが、戦争をおこさないために、そういう状況にならないために軍事力を用意しておくということだ。無防備なままでどこからでも攻めてくださいなどと日本が言おうものなら、それだけで東証の株価は下がるだろう。円相場はさらに下落し、価値がないほどの通貨になる可能性もある。きちんと世界で伍していける国になった方が、日本の経済的にも繁栄があるのではないか。

――第9条以外に変えるべき点は…。

 近藤 「国民の憲法」要綱には、「国家の緊急事態条項を新設する」と明記する。これは、例えば東日本大震災のような大規模災害や、最近現実味を帯びているサイバー攻撃などにより国家が大混乱に陥った時に、秩序を取り戻すため一時的に部分的な国家権力を強化して主権を制限する条項で、世界の大半の国の憲法に存在する。また、「家族の尊重規定を新設する」と明記する。憲法が目指す国の形は、個人の上に家族、家族の上に地域社会、その上に地方自治体、そして一番上に国がある。過去の歴史によって育まれた文化・伝統・アイデンティティーを土台にして国と個人を一体化させ、そこから未来の歴史を作っていくという考えがあれば、そこには自ずと統合・共生・躍動という意識が生まれてくる。しかし、戦後の日本は家族というものがあまりにもないがしろにされてきた。そういう意味で家族の尊重規定が必要だ。さらに「国民は国を守る義務を負う」という文言を入れているが、これは、この国の領海領土領空を守る気構えを持つということだ。例えば日本の貴重な水源地を平気で他国民に売り渡したり、沖縄の米軍基地周辺の土地を平気で外国に売り渡したり、あるいは日本が誇る高度な技術力を近隣諸国に明け渡すといったことを防ぐために、広い意味で国益や国を守るという意識をきちんと国民に持たせる必要がある。その他にも、衆議院のカーボンコピーのような参議院にはきちんと人事権専決権などを与えて、大所高所から安全保障を長いスパンで考えられる人々の集まりにしたほうがよいという案や、地方の暴走や独走を防ぐために地方自治体と国が常に協力すること、そして、憲法裁判における判断を迅速化、統一化させるために最高裁判所に憲法裁判部を作るというような案がある。

――まずは96条を変えて、その後じっくり抜本的な改正を考えるという案については…。

 近藤 今の憲法を改正するには、両院それぞれ3分の2以上の賛成と、その後の国民投票で有効投票数の過半の支持が必要だ。つまり、今の憲法は両院それぞれの3分の1の反対で常に何も変えられない状態にある。これは相当厳しいハードルだ。そこで、若干の緩和策として96条の改正の必要性が出てきている訳だが、確かに3分の2を2分の1にしてしまうと、別の考え方の政権が現れたときにすぐに再び憲法が変えられてしまうという恐れもあり、改憲派の中にも慎重論がある。例えば2分の1ではなく5分の3にするなど、この辺りはまだまだ議論が必要だ。いずれにしても、世論調査では96条の改正に対しては反対派が多い。しかし9条の改正に対する賛成派は案外多く、全体の改正については変えた方が良いという意見が殆どだ。戦後70年間1度も変わっていない世界最古の成文法である今の日本の憲法がそろそろ行き詰まりを覚える中で、変えた方が良いというコンセンサスは皆共有しているようだ。個人的には、96条を変えるよりも、誰もがそのままではいけないと考えている9条を先行的に変えたり、環境権やプライバシー権といった新しい条項を加えるようなことの方が、コンセンサスが得られるのではないかと思っている。

――憲法自体を変えなくても、解釈の方法を変えたり、その下にある法律を変えることで今までどおりやっていけるのではないかという意見もあるが…。

 近藤 確かに9条については、これまでにも特措法を作ってイラクで米軍の給油をするなど色々なことをやってきた。しかし、それでは絆創膏をぺたぺた張るようなものであり、根幹が変わらない限り色々なところで問題が生じてくる。自衛隊は警察予備隊の延長線上にあり、敵から危害を加えられて初めて正当防衛の行為が行える。つまり、それまでは何も手出しできないということだ。それでは実際に暴動が起きた時にどうするのだ。そもそも私は、今の憲法9条をどう解釈しても日本に自衛隊を持てるとは思えない。尖閣諸島に中国が降り立っても、今の憲法ではここに如何なる実力組織も持っていくことは出来ない。今までの日本は、9条だけでなく、すでに空洞化している憲法を「解釈」という言葉ですべて曖昧にしたまま神棚に奉るようにして扱い、問題がある毎に特措法を作って誤魔化してきた。しかし、そろそろ頓服薬も効かなくなってきた。もはや抜本的に外科手術をして直したほうが色々なことがスムーズに行くと思う。何よりも、建前と実際が違うように解釈されて運営されているという状況は、子ども達への教育にも良くないことだ。大人の世界には建前と本音があるということ、決まり事を必ずしも守らなくていいとうこと。今の憲法が子ども達にそう思わせている元凶になっているのではないか。戦争はしない、軍隊は持たないことになっていても、実際には自衛隊があり、何かあればミサイル破壊命令などを出して防御する。日本人の本音と建前による空虚な議論の源泉がこの憲法9条の条文にあると私は思う。(了)

――富山市でコンパクトシティの取り組みが進んでいる…。

  私は平成14年1月に富山市長に就任した。そして若い職員らと議論する中で、人口減少時代に突入することが確実な今の時代に、これまで地方都市が進めてきた拡散型の街づくりを続けていては、将来市民の行政維持管理コストが増すばかりだという話になった。拡散型の街づくりでは除雪エリアもごみ収集エリアも広がり続け、そういった行政負担は若者が負担することになる。そんな不安が潜在している場所に若い人達を呼び込むことは出来ない。そこで平成15年に本格的にコンパクトシティへの取り組みを始めた。富山市のコンパクトシティへの取り組みは、高齢者のためというより、若い人達の将来の安心のためともいえよう。日本の自治体で最初にコンパクトシティの概念を取り入れたのは青森市で、富山市は2番目だと認識しているが、青森市のように郊外開発を規制するやり方ではなく、我々は富山駅に集結する公共交通の利便性をさらに向上させて中心市街地を活性化させることに注力した。

――具体的には…。

  中心市街や駅・電停から500メートル、或いは1日60本以上走るバス停から300メートル以内を居住推奨エリアと位置づけ、その地域内に住む人達に補助金を出している。例えば中心商店街や中心市街地に質の良い集合住宅を建てた建築業者には上限5000万円で一戸当たり100万円。住宅を購入した市民には、住宅ローン利用者に限り一戸当たり50万円という具合だ。結果、推奨エリアの居住率は平成17年の28%から、現在では31%に増加した。目標は20年後に42%にすることであり、これは決して郊外居住を否定するものではない。目標数字の達成によって将来の行政運用管理コストの増加を抑えることが目的だ。また、富山市在住の65歳以上の方が公共交通機関を利用して市内各地から中心市街地まで移動する際には、市が1枚1000円で発行する年間会員制ICカード「お出かけ定期券」を使えば1乗車100円で乗車が出来るシステムを作った。岐阜県との県境ほどの遠いところから乗車しても降車するのが中心市街地であれば100円、帰りも中心市街地から乗ればどんなに遠くまででも100円だ。利用時間は9時から17時までに限られるが、日中の地方都市のバスなどほとんどが空気を運んでいるようなものであり、その間に高齢者が街に足を運び、お金を使ってもらえば、経済の活性化にも繋がってくる。

――「お出かけ定期券」の効果は…。

  「おでかけ定期券」を提示すると、市の文化施設や体育施設を半額で利用出来たり、商品が割引になるというような特典もある。現在、要介護認定を受けていない高齢者の約25%、約2万3千人が入会しており、1日平均2700人が利用している。単純計算すれば毎日2700人の利用で民間の交通機関には年約8千万円強が入り、さらに市から交通機関への補助金約5千万円を合わせれば1億3千万円の収入となる。市には年間ICカードの売上金が年2300万円入ってくるため、交通機関への補助金5000万円は実際には2800万円で済む。また、中心市街地の活性化と回遊性向上を目的とし、既存の市内電車の一部を延伸して都心部に路面電車のサークルをつくりだしたことで、中心市街地に買い物に来る人は飛躍的に増えた。平成18年度まで減少傾向が続いていた市内電車の利用者数も増加に転じ、特に高齢者の女性を中心に環状線が日常の移動手段となってきている。目的はほとんどが買い物であるため平成22年度に比べて環状線利用者の消費金額は2割近く伸びた。また、車ではないため滞在時間も伸び、さらに飲食店でのアルコール販売額も伸びている。高齢者の財布が緩むということは、今の日本経済にはとても重要だ。

――市民の反応は…。

  もちろん、さまざまな反対意見はある。だからこそ、最初にその妥当性について熱心に説明会を行い、しっかりとした議論を行った。その結果、「しかたない」という消極的支持も含めて、今では8割くらいが賛成してくれている。将来増税されるより良いという御理解なのだろう。実際に、もともとはJRが保有していた線路をブラッシュアップして敷設したLRT(次世代型路面電車システム)は、エリア周辺に住む人達の生活を格段に便利なものにした。65歳以上は100円という安価で乗車できるため、老人の昼間の外出が増え消費にもつながった。なにより、家に閉じこもりがちな老人に外出機会を作ったことは、将来の医療費にも影響してくると思う。中心市街地の真ん中にはガラスの天蓋で覆われた広場を作って魅力的な都市景観を演出し、その中にオープンカフェや子どもたちが自由に絵を描ける場所や音楽を奏でる場所などを作り、毎週様々なイベントを催している。

――パリのヴェリブのような自転車貸出しや、花束を買って電車に乗ると無料になるようなお洒落なシステムもある…。

  富山には製造業や薬業を中心にしっかりとした産業基盤がある。その企業や工場、研究所などに勤める会社員の奥様方にも喜んで住んでもらえるような、お洒落な街にしたいという考えがベースにある。また、その他にも高齢者の運転事故防止のために65歳以上の高齢者で運転免許書証を返納した人には2万円の公共交通の利用券を発行するなど、様々な取り組みを行い、車依存の生活から歩いて暮らせる街への変革を進めた結果、中心部と公共交通の沿線に高齢者が集まってくる現象が出てきた。中心市街地の歩行者数は劇的に増え、民間企業が投資した中心部のマンションは完成前に全て完売状態となり、その結果、中心部の地価が上昇してきた。これは非常に重要なことだ。金沢と福井の北陸3県で比較しても、昨年の地価調査で上昇ポイントが4ポイントもあったのは富山市だけで、他県は1ポイントもない。リーマンショック以降、市民税収入が減少傾向にある中で、反射的に固定資産税と都市計画税は増えており、しかもその22.3%は面積比0.4%の中心市街地が負担している。つまり、固定資産税を増やすためにも中心市街地への投資が効果的だったということだ。

――最初から、地価が上昇することを見込んでいたのか…。

  中心部ばかりに集中投資することへの批判はあるが、中山間地域の林道を市街地並みに舗装したところで一円も生み出さない。林業は産業として必要な範囲での投資を行えば良く、集中投資は地価の一番高いところにすべきというのが私の考えだ。実際に、投資した中心部にはマンションが続々と出来て、長らく転出超過だった住民数が転入超過になった。富山市全体の小学生数が減少していても中心地域の2校に限っては増加している。そこで昨年から、市の負担でこの2校にだけネイティブ・スピーカーの英語教師を加配することにした。そうすると、親はますますその学校に子どもを通わせたいと思うようになるだろう。私たちが行っていることは、見方によればかなり不公平なことだが、それくらい思い切ったことをやって中心部が活性化され、経済が動き、税収がそこから反射してくれば、その税収で中山間地域の特別な補助事業も出来る。公平感だけにとらわれて平準平均的に予算を使っても、砂漠に水を撒くようなものだ。

――昨年6月、富山市はOECD本部によるコンパクトシティ戦略の世界5都市のうちの1都市に選ばれた。どういったことが評価されたのか…。

  富山市は今後の東アジアが直面する人口減少・高齢化という街のモデルになり得るという評価をいただいた。人口減少が止められないのであれば、少しでもその速度を遅くしたり、税収を減少させないような工夫が必要だ。私は、しっかりとした産業基盤がある中で、きちんとした志を持って生活している人達が集まる街を作っていくことが、人口減少時代の地方都市の目指す方向だと思っている。富山は26年度末に北陸新幹線が開通し、その数年後に北陸本線等が高架化される。我々はその時に合わせて新幹線と南北のLRTを駅内で接続させ、すべて地上の交通網で富山市内隅々まで移動出来る都市にしたいと考えている。利益重視の民間交通機関は利用者の少ない場所に駅は作らない。そうすると最後には路線が廃止され、高齢者にとって住みにくい環境になる。だから思い切って公費を投入する。そして、固定資産税も減価償却も金利負担もない市保有の設備を民間が借りて運行し、利益の出た範囲で市に賃料を払い、その賃料で市が修繕などを行う。こういったスキームを実施するための公費投入は生活者のために妥当なことなのだという議論をこれからもしっかりと行い、住民の皆様にご理解をいただきながら、富山コンパクトシティ戦略をさらに進めていきたいと考えている。(了)

――レアアースについて…。

 加藤 レアアースとは17元素の総称を指し、その中でも最も重要な元素はDy(ジスプロシウム)、Tb(テルビウム)、Y(イットリウム)という重レアアースだ。これらはハイブリッドカーやLED電球、液晶テレビ、そして風力発電のモーターなどに使われている。特に風力発電機一基には45Kg~160Kgという量でプリウス2000台分ものDyが使われており、今後グリーンエネルギーを進めていくにあたっては重レアアースがますます必要となってくる。また、最新の軍事機器などにも利用されているため、米国国防総省などは国家の安全保障上の最重要マテリアルである重レアアースを絶対に中国に牛耳られたくないと考えている。

――これまで中国がレアアース市場を独占してきた理由は…。

 加藤 実はレアアース鉱床は世界中にたくさんある。しかし、その殆どは軽レアアース鉱床だ。さらに、陸上のレアアース鉱床はトリウムやウランといった放射性元素を含むため、精錬後に出た放射性元素の残渣物処理問題を考えると、環境基準が厳しい国ではなかなか採掘に取り組めない。この点、環境規制が緩い中国では、精錬後の放射性元素の残渣物もこれまで内モンゴル自治区などではそのまま放置していた。中国南部の採掘方法はレアアース鉱床に酸をかけて資源を回収するという荒っぽいやり方で、しかも不法採掘が横行している。これが、中国が世界のレアアース市場を独占している本当の理由だ。そして、そういった資源を中国から輸入して稼いでいる日本人がいるのも事実だ。中国は2005年から国内環境の悪化を理由にレアアースの輸出制限をしているが、それは半分当たっていて半分は国家戦略だ。日本政府はその辺りをきちんと理解して対応する必要がある。

――そんな中で、今年3月、南鳥島周辺に超高濃度のレアアース泥を発見した…。

 加藤 今回、我々が南鳥島で発見したレアアース泥は、大変良質のものだ。一つ目に、重レアアースの含有量が非常に高い。中国の鉱床では重レアアースの割合が全体の25%であるのに対して、南鳥島の泥は50%が重レアアースだ。これほど重レアアースに富んだ資源はレアアース泥以外に地球には存在しない。二つ目に、プレートの移動により、南鳥島の地層は良質なレアアースが存在する太平洋タヒチ沖やハワイ周辺海域を通ってきたため、膨大な量のレアアースが溜まっているはずだ。三つ目に、遠洋海域の安定した地層に溜まっている泥であるため、資源探査が極めて簡単に安価に出来る。四つ目に、放射性元素であるトリウムなどをほとんど含まない。これは、マグマの活動で出来る陸上のレアアース資源と海水中で色々な物質を介してレアアースを濃集する海の底のレアアースとでは、根本的に出来方が違うからだ。そして五つ目に、泥からレアアースを抽出する作業が極めて容易ということだ。このように何拍子も揃った夢のようなレアアース泥だが、唯一の欠点が水深4000mを超える深海にしか存在しないことだ。しかも南鳥島周辺海域は5600mを超えてしまう。

――水深5600mの海底からレアアースを汲み上げる方法があるのか…。

 加藤 我々は随分前から浮体式原油生産貯蔵設備を運行する三井海洋開発株式会社と協同で研究を進めている。同社によると、石油の技術を応用してエアリフトを使い、管の先に圧縮空気を送り込んで吸い込めば、1日あたり約1万トンのレアアース泥を引き上げることが出来る。採掘船1隻で年間300日操業すれば、300万トンの泥を揚げる事が可能だ。1月下旬の海洋研究開発機構(JAMSTEC)と東大の調査航海で見つかった高濃度層であれば、100万トンも引き揚げれば日本が必要とするレアアースの10%以上回収でき、Dyは20%もまかなうことができる。日本の排他的経済水域でそれだけのレアアースが採れれば、中国は必ずレアアースの価格を下げてくる。そうすると、残りの90%は中国から安く買いたたく事が出来るという訳だ。レアアースのマーケットは銅の50分の1と非常に小さく、さらに中国の政策によって価格もコントロールされているため、変動が激しくリスクも高い。これでは大手商社などは敬遠して当然だ。しかし、ここに日本が国として関ってくればマーケットも変わってくる。日本がほんの少しの資源を採掘することで逆に中国に揺さぶりをかけることができる。これが、日本が執るべき資源戦略だ。つまり、南鳥島のレアアースの開発計画を進めることで、今まで中国が握っていた価格の調整弁を日本が握ることが出来て、米国に対しては軍事協力としての外交カードを持つことが出来る。さらに何よりも大事なのは、ハイテク産業の要の元素である重レアアースを使って、日本がもう一度、物づくりの中心として世界に返り咲くことではないか。私はそれを願っている。

――南鳥島のレアアース泥を開発するのに必要な資金は…。

 加藤 我々の計画では、資源量評価にかかる探査期間は約2年で費用は約10億円、三井海洋開発が実施する揚泥技術の実証試験には約80億円、トータルでも100億円はかからない。経済産業省がこれまでに費やしてきたお金に比べればわずかなものだ。経済産業省はレアアースの国内採掘は経済性がないと言い続けているが、レアアースの価格動向次第では案外うまくいくかも知れない。そもそもレアアース資源の確保は、国家としての資源セキュリティーの問題であり、経済性だけの問題では済まない。レアアースを抽出した後の残った泥は、南鳥島の領海の港湾整備にそのまま使えば、一石二鳥の有効活用ができる。港湾整備を含めて泥はすべての建築資材になるため、こういったアイデアに賛同してくれた建設工業会社やセメント会社とはすでに協同研究を進めている。

――こういったことは、本来、国がやるべきことだ…。

 加藤 安倍総理を含め自民党の方々には大いに賛同いただき、経済産業省に対しては予算もついているのだが、我々の取り組みに対して経産省から補助金が出されたことはない。重要なことは、三井海洋開発の揚泥実証試験を国が早急にサポートすることだ。もたもたしていると、タヒチ沖にある重レアアースが世界一の海洋資源開発技術をもつフランスに先にとられてしまうかもしれない。その開発にあたってフランスと中国が手を結べば、それは最悪のシナリオだ。日本はもはや財政が潤沢にあって何でも出来るという時代ではない。一刻も早くこの夢のような南鳥島のレアアース泥の開発に注力し、日本のレアアースハイテク産業の活性化に役立ててもらいたいと願う。(了)

――株式相場の環境が上向いている…。

 岩崎 今のような金融相場では、不確実な期待値が高まることで上昇しやすい株が増えてくる。今後それらの企業業績がどのように変化するかわかりにくい中で、我々のアクティブ運用は其々のベンチマークを上回るという目標があるため、そのような上昇にもしっかりと対応していかなくてはならない。市況が改善し、お客様のポートフォリオが改善していることはプラス材料だが、我々は下げ相場と同様に上昇相場においても常に緊張して良いパフォーマンスを目指さなくてはならない。

――運用が大変だと…。

 岩崎 資産運用業務で最も重要なことの一つは、高いパフォーマンスを継続的に提供させていただくことだ。換言すると、優秀で多様なポートフォリオマネージャーを揃えることだ。優秀なポートフォリオマネージャーを外部から雇ったり、内部で育成したりして、実現させている。例えば、ヘッジファンドの運用戦略を増やすことを考えた場合、米国で債券のヘッジファンドをやろうと思えば現地で経験を積んだ人を雇ったり、日本株のヘッジファンドをやろうと思えば社内でポートフォリオマネージャーを育てるなど、個々の得意な能力を多面的に取り込むため様々なやり方をしている。大事なことは、我々が優秀なポートフォリオマネージャーにとって魅力的な組織であり続けるということだろう。

――商品で力を入れていくところは…。

 岩崎 良い商品があれば世界中の顧客から受け入れられる。高いパフォーマンスの商品を、どのように作っていくかを常に考えていかなくてはならない。例えば、年金の運用では3年超のトラックレコードからパフォーマンスの優劣を判断されることが多いが、高いパフォーマンスを出し続けることは非常に難しく、こうすれば出来るという秘訣のようなものはない。また、一過性の人気と継続的なパフォーマンスは違うものだ。例えば、株式が上場する時に大変な人気だった銘柄であっても、必ずしもそれが何年も長続きする訳ではない。如何に様々な特性のある株式を組み合わせて継続的な良いパフォーマンスに繋げるかが大事なのであり、それには経験と優れた分析が必要だ。そこで、我々はパイロットファンドを組成し、社内で実績を積んでいる。その中で自信を持ってお薦めできる運用戦略マネージャーを残していく仕組みを取り入れている。それぞれのポートフォリオマネージャーの得意分野を十分に活かし、色々なアイデアを出して試行錯誤しながら、良いものを残していく。このようにして、常に高いパフォーマンスを実現する仕組みを作り、お客様にご満足いただくことを目指している。

――日本はもちろん、シンガポールでアジア株を中心とした運用体制を整備している…。

 岩崎 シンガポールには様々な国籍の人がいて、かつ、ビジネスは英語で行われているため、情報を収集するのに圧倒的に有利な環境だ。国の政策として金融市場の発展に力を入れているため、運用会社や金融機関にとって恵まれた環境が整っている。弁護士や会計士も高いレベルで揃っているのは、アジアでは日本かシンガポールだろう。我々の海外展開について言えば、すでに米国、英国、ドイツ、シンガポール、マレーシア、インド、香港、中国、UAEに現地法人や調査拠点を設立している。現在の我々の運用資産額はリテール、機関投資家を合わせて約30兆円。機関投資家の約4割は海外だ。今まで海外で基本的に機関投資家向けの運用サービスを行っているが、徐々に海外でのリテールビジネス拡大の必要性も感じており、そのための準備も進めている。例えば、海外で広く我々の商品を提供していくために、既にアジア内でも残高が積みあがってきているUCITS(欧州域内で投資信託を流通させるための統一規格)は我々も更に仕掛けることが出来ないか、というようなことも考えている。

――日本の投資信託の運用残高は欧米などに比べて著しく少ないが…。

 岩崎 日本の投資信託残高が約70兆円であるのに対して、米国は約1100兆円と、この20年で大きな差になっている。投資信託の残高が大きく伸びている国々の多くは様々な制度を工夫しており、例えば、英国のISAや米国の401(k)、豪州のスーパーアニュエーションなどがある。これらを参考に、日本独自の制度を拡充したり、新たに作ったりしていく必要があるのではないか。人口1億2600万人、GDP世界第3位、個人金融資産第2位の日本の投資信託残高が、人口や個人金融資産が少ない国々の投資信託残高よりも少ないのは、制度の影響があると思う。その意味で来年から始まる新制度、少額投資非課税制度NISAには期待している。個人のお金が「貯蓄から投資」へと動き、産業資金として供給されれば、その企業は活性化し、利益を増やすことで株価が上昇し、結果的に投資家としての個人に還元され喜ぶという好循環が中長期に起こりやすい。実際に米国では401(k)、豪州ではスーパーアニュエーション、英国ではISAで好循環が起こったと言われている。NISAの導入で顧客からはさらなる満足度が要求されると思うが、お客様が望む商品はどういったものなのか、販売会社とも意見を交換し合いながら作り上げていく。一方で、NISAの成功のために、個人投資家に幅広く制度が利用され、日本においても「投資」が根付いていくように、運用会社の立場から貢献していきたい。

――日本では、株よりも国債に資金が回っていく仕組みになっている…。

 岩崎 金融機関は国内の融資が伸び難い昨今、世界的にバーゼル規制・ボルカールール等の金融規制も強化されてきていることもあり、預金が増えるとリスクウエイト等を鑑み、国債で運用をしてきた。つまり、預金が伸びると国債を購入する構造になってきていた。しかし、資金の流れを預金ではなく投資信託に向ければ、国債を購入する必要性は低下するということになる。多くの金融機関が取り扱うNISAや確定拠出年金は、投資信託への資金移動という流れを生み出すことが期待され、その流れは金融機関の資金運用の行動を変える可能性があるだろう。個人金融資産における「貯蓄から投資」の流れを期待したい。また、金融審議会で提案され、今国会で審議されている投信法改正を含む「金融商品取引法等の一部を改正する法律案」についても、それによって個人のお客様に有価証券投資の理解を深めていただけるものだと我々は積極的に捉えており、これまで同様にしっかりと対応していきたいと考えている。

――最後に、CEOとしての抱負を…。

 岩崎 まず、お客様のためにパフォーマンスを継続的に良くする、同時に様々な金融制度などの変化に対応していく、といった基本的な部分が一番大事だと考えている。もちろん非オーガニックな成長も視野にあり、我々は常にオープンマインドで様々な準備はしている。しかし、それにかまけて足元のことが疎かになるようなことはしない。アセットマネジメントビジネスは基本的には残高を積み重ねていく非常に地味なものだ。市場のボラティリティが高まると、証券会社の損益の変化幅は運用会社の何倍もあるというイメージだ。我々の今行っている運用や施策の結果が出てくるのは未来だ。その時のために、今後ともお客様、運用に対して忠実であり続けるとともに、様々な変化を感じて先取りしていきたいと考えている。(了)

――4月から財務官に就任された…。

 古澤 失われた20年と言われる時を経て、これから日本経済が上向くであろう時に財務官に就任できたのは光栄なことだ。我々が取り扱う問題はボーダレスであり、もはや日本だけで完結する問題ではない。絶えず世界経済全体のことを考えながら、色々な政策を作っていかなくてはならない。厳しい時代も、明るい時代も、状況を理解していただくための説明、説得に努めることに変わりはないが、そういう意味では、今の明るい雰囲気の中で仕事に取り組めるのはラッキーだったと思う。

――黒田日銀総裁とは、仕事上で28年前からの付き合いということだが…。

 古澤 私は黒田日銀総裁が大蔵省国際金融局国際機構課長だった頃に国際機構課補佐を務め、総裁が財務官だった時に財務官室長や国際機構課長を務めるなど、非常に近い場所で一緒に仕事をしており、よく存じ上げている。よく、インタビューで「手の内がわかりすぎて、やりにくくないですか?」と聞かれることがあるが、そういったことは全くない。もちろん、私がそう思っているだけで、黒田さんはそうではないかもしれないが(笑)。

――黒田緩和といわれる大胆緩和で円安・株高になり、国民は喜んでいるようだが…。

 古澤 金融の大胆緩和については長い間IMFや国際社会から提言されていたことであり、それにより日本経済がきちんと立ち直ってくれることが、世界経済の利益になる。それをマーケットも好感しているということだろう。

――一方で、円安になりすぎるのを不安視して、「やりすぎだ」というような声もあるが…。

 古澤 日銀の金融緩和は日本国内の目的のためにやっているのであり、為替を目的にしている訳ではない。これはG7、G20の合意にも沿ったものだ。為替はマーケットがそう反応しているだけであり、介入しているわけでもない。その辺りは既に国際社会からも理解していただけていると思う。日本がすべきこと、すべきと言われ続けてきたことを、ようやくだが実行していることを受けて、株にしろ、為替にしろ、マーケットが反応しているということだ。

――これ以上の円安方向になってくると、100兆円もの外貨資産が積み上がっている外国為替資金特別会計の使い方を市場は先読みしてくるが…。

 古澤 基本的に外為特会は為替の安定のために保有している訳であり、例えば産油国のように、石油収入が潤沢であるからというような理由で使用できるようなお金ではない。政府短期証券を発行して市場からお金を調達し、それがドルなどに変わっているというだけのものだ。それは市場でもご理解いただいていると思う。また、現自民党政権の考え方は、そのうえで、例えば海外展開支援融資ファシリティなど、為替の安定に資する施策に利用していくということであり、決して、今ある資金をむやみやたらに大きな投資などに使って、その結果、たくさん稼ごうというような考えではないと思う。石油収入などが豊富にあるような国とは違い、我々は市場から借金をして、外貨建て資産を持っているというだけの話であり、その目的は限られている。

――4月下旬のG20前に米国で発表された為替報告書では、日本の一段の円安進行をけん制する内容が記されていたが…。

 古澤 個々の記述についてコメントすることはない。繰り返しになるが、日本はG7、G20の合意に沿って国内政策を行っている訳であり、為替を目的にしているわけではない。それはこれまでもずっと言ってきており、これからも言い続ける。米国が主要通貨である円の動向を注視するというのはある意味では当然のことであり、それだけのことだ。もちろん、それは人のことを全く考えずに独自の政策を貫くということではない。現在のボーダレスな環境において、GDP世界第3位の国である日本の色々な政策が、諸外国や世界経済に対して影響を与えうることは当然であり、その辺りについてはきちんと認識し、必要があれば他国に理解を求め、意見交換をしながら進めていくべきだと考えている。それはどの国の政策についても同じであり、実際に私がIMF(国際通貨基金)の理事だった頃は、当時のFRBの政策をめぐって常に色々な議論が行われていた。各国の政策や経済状況については、IMFの場であれ、G20の場であれ、常に議論が行われている。

――BRICS開発銀行の創設について各国間交渉が進んでいるようだが、実際に設立された場合、IFMやG7との関係は…。

 古澤 BRICS開発銀行創設の全体の仕組みや資金規模が不明なため、今の段階では何ともいえない。何を目的に、どれくらいの資金規模で、どういったところに資金を提供していくのかといった具体的な形がはっきりしていなければ、それが与える影響についてもわからない。例えば、IMFは地域の仕組みと協調していく方針だ。欧州危機における救済状況を見ても、資金援助の大部分はEUが出し、残りをIMFが出すという割合になっている。もちろんIMFの中立的な分析は非常に役立つもので、だからこそEUもIMFとの協調体制を求めている。また、アジアにおいてはチェンマイ・イニシアティブが、多国間通貨スワップ制度としてIMFと協調している。さらに、アジア開発銀行についても、この地域における重要性は非常に高く、引き続き必要なものだと考えている。BRICS開発銀行が設立された場合、他の機関とどのような関係になっていくかは、すべてその仕組み次第だ。

――ASEANは急成長している。これがさらに発展し、例えばEUのような巨大組織となり、ユーロのような単一通貨が出来るような可能性は…。

 古澤 ご承知の通り、ユーロは長い歴史を経てようやく実現された。しかし、今でも、ユーロが出来たことによる新たな問題や軋みが出てきている。アジアが将来的にEUのような組織になるかどうかはわからないが、日本としては、チェンマイ・イニシアティブ等のセーフティネットの仕組みを整えたり、アジアにおける債券市場発展のための取り組みを進めるなど、世界経済の成長の一翼を担うアジアの成長と安定のため貢献していきたいと考えている。(了)

――原発による放射性物質の海洋への放出、拡散に対する研究を続けておられる…。

 神田 地球上のあらゆる物質は海に向かって動いており、最終的には海を経由して海底の堆積物として溜まっていく。つまり、海洋は終着点の手前で必ず通過する重要な点ということだ。2011年3月の福島原発事故によって大気へ放出された放射性物質は、その7~8割が海洋に沈着し、残りの2~3割は陸上に沈着した。これに加えて、海洋に直接流された汚染水の分がある。陸上に沈着した分についても、雨などのはたらきで長い時間スケールでみれば最終的に海へ向かって移動していくと考えられる。日本のような湿潤な気候の場所でこのような大きな放射能事故がおこるのは初めてのことで、チェルノブイリなどの経験が役に立たない部分も多い。環境や健康への影響、さらに有効な除染方法を探るためにも放射性物質の輸送や拡がりについての科学的な追跡は必要だ。具体的に、事故後の海水の放射能濃度の変化を見てみると、事故当初、発電所周辺の海水中のセシウム137の濃度は一時的に非常に高くなったが、拡散や海水の流動によって1~3カ月後には急速に低下した。しかし、その後の減少速度は明らかに遅くなっている。汚染水の放出が一度だけで、その後は止まったのであれば、海水中の放射能はその後ずっと同じ割合で減少していくはずなのに、減り方が遅くなったということは、汚染水の放出が少しずつ続いているからだとしか説明がつかない。

――しかし東京電力(9501)は、2011年6月以降、大規模な汚染水の流出はないと発表し続けた…。

 神田 東電は先日、保管されている120トンものセシウム除去後の汚染水が地下に漏出したものの、海洋への漏出の可能性はないと発表した。しかし、今回のセシウムを含まない汚染水の漏出とは全く別の話として、原発事故後も継続して原子力発電所の周辺からセシウム137が海洋に流れ続けているというのは我々海洋の研究者の間では半ば常識になっている。私はその放出され続けている放射性物質の量をセシウム137について試算し、このほど発表した。具体的な数字は私の論文を見てもらえればわかるが、2012年4~9月の間では、合計1兆4800億ベクレル、1日平均81億ベクレルのセシウム137が放出されていたと考えられる。事故のあった2011年3月や4月の放出量に比べればずっと少ないとはいえ、2011年の夏は1日平均930億ベクレル、そして昨年の夏が1日平均81億ベクレル、最近ではさらにその半分以下程度と減ってきてはいるものの、数字を見る限り、延々と放射性物質が放出され続けているとしか考えられない。

――原子炉の建屋の中に溜まっていた高濃度汚染水については…。

 神田 原子炉を冷やすために注入していた水が、溶けた燃料棒と接触して中の放射性物質を溶かし出し、原子炉の建屋の地下に溜まっていた。その汚染水の放射能が量として最大だったのは2011年5~7月だ。建屋の地下にあったセシウム137の量はおよそ160ペタベクレルと計算され、これはチェルノブイリ事故で放出された85ペタベクレルの約2倍、第二次世界大戦で広島に投下された原爆で放出されたとされる89テラベクレルのセシウム137と比較すると、およそ1800倍にものぼる量だ。この時の高濃度汚染水が漏れ出していたら史上最悪の原子力事故になることは間違いなかったが、それは東電が頑張って回避した。東電は最終的に汚染水を再利用したいと考え、各社の様々な技術を駆使して、汚染水のセシウムだけはなんとか取り除くことができるようにしたのだが、汚染水からすべての放射性物質を取り除くことは出来ていない。建屋の地下の汚染水を汲み上げてセシウムを取り除いただけでストロンチウムなど他の放射性物質を含む汚染水は今なおタンクの中にある。それが漏れたのが先日の事故だ。しかし建屋の地下では、汚染水を汲み上げて処理しても地下水が流れ込んで来てしまい、放射能は薄まっても汚染水の水量は一向に減らない。だからタンクに保管する必要のある処理済み汚染水は増え続けている。現段階では漏洩地点から800メートル離れた海までは届かないとしても、この先さらに漏出事故が繰り返されたり、かつ、今準備しているストロンチウムなどセシウム以外の核種を除去する装置が安定的に動かなかったりすると、事態は大変なことになる。鋼鉄のタンクはいずれ錆びる。プラスチック容器も劣化すればひびが入る。汚染水の問題は今回の事故の最終的な後始末をしていく上で、一番厄介な問題といえるだろう。

――我々の食卓にのぼる魚などへの影響は…。

 神田 現在も続いている放射性物質の海洋への放出は、量としては事故当初の放出に比べればはるかに少なく、現在の放出によって2011年のような深刻な汚染が広い範囲で新たに発生するとは考えにくい。もちろん港湾周辺などでは、それなりに注視していく必要はある。水産物の放射性セシウムについては農林水産省のホームページに掲載されている通り、表層の魚の放射能は概ね大丈夫なレベルに低下してきているが、底魚や岩礁性の一部の魚種についてはセシウム放射能の減少速度が遅く、いまだに基準値の100ベクレル/kgを超えるものもある。今、福島周辺の海洋環境中で一番放射性物質が残っているのが海底の堆積物であり、海底で獲れる魚に放射能が基準値以下に下がっていないものがあるということは、そのことと関係があるように思われる。今回の事故による海洋生物の汚染は、高濃度の汚染水の影響を受けた沿岸海域の限られた範囲が中心になっている。広い範囲を回遊するサンマやマグロなどにはそれほど高い放射能値は出ていない。昨年、青森で基準値を上回るマダラが発見されるという例もあったが、それはもともと福島にいたマダラが青森まで泳いだのではないかと考えられている。また、生物濃縮については、農薬や重金属であれば大きな魚で海水の重量あたりの数万倍になると言われているが、セシウムに関しては、大きな魚でも約100倍、プランクトンでは10倍程度と、それほど極端な濃縮にはならないとされている。セシウムは比較的濃縮の少ない放射性核種であるといえよう。

――海底に生息する魚への影響が高いということは、東京湾への影響は…。

 神田 放射性物質が海底の堆積物に残っていると言っても、陸上の土に沈着しているセシウムの量に比べれば、面積あたりで2桁、3桁違うほど低いものだ。原子力発電所周辺の5~10km圏内を見ても、陸上では立ち入りを阻まれるようなレベルでも、海の中では、むしろ関東近辺のホットスポットと言われるような場所の方が、放射能レベルが高い場合もある。東京湾の海底堆積物からは確かに高い、場合によっては福島沿岸に匹敵するレベルの放射性セシウムが検出されているが、東京湾の魚介類のデータで規制値に届きそうな値は今のところ出ていない。今までのところは、事故による放射能物質の影響が出ているということではなさそうだ。

――そう考える科学的な理由は…。

 神田 福島の場合は、先ず水が汚染された。3月末から4月上旬にかけて原子炉から高濃度汚染水が直接流れ出て海水が汚染され、次に堆積物に移行していった。それに対して東京湾は、大気経由で陸上に運ばれた放射性セシウムのうち、土壌粒子に結合したものが、水の流れとともに川を伝って東京湾に流れてきたという経緯がある。つまり、同じ海底の堆積物にある放射性セシウムでも、入ってきたルートが違う。陸上の環境では、土壌粒子と放射性セシウムはかなり固く結合する。そのため、例えば生き物が泥を飲み込んでも、体内に放射性セシウムが吸収されることなく排出される。そういう傾向が東京湾では強いのではないか。一方で、福島沿岸では高濃度の汚染水が直接海に入り、海水経由でプランクトンや魚などの生物体内に入ってしまった。海洋生物の体内のセシウムは、体外の海水中のセシウムと割りに早く置き換わっていく。生物体内に比較的速やかに放射性セシウムが入ったのはこのためだが、逆に事故の初期に激しく汚染された生物も、きれいな海水の中で生き続けていれば体の放射能は比較的早く低下したはずだ。しかし、汚染された時期の海洋生物の排泄物や死骸には、有機物として海底に沈んだものがある。そこで再び食物連鎖に入っていく可能性があり、これが繰り返されているのかも知れない。このように、福島沿岸域では海底堆積物の一部に、生物に移行しやすい形の放射性セシウムがあるのではないかと推察している。今後も気をつけて見ていく必要はあるが、私は東京湾の生物については、今後、極端に高い放射能値が出てくる可能性は低いと考えている。

――海中にいる魚よりも、地上の作物などへの影響が強いということか…。

 神田 もちろん、陸上では人の立ち入りが制限されているようなところでは作物は作っていない。鍵はセシウムが一体どこに付着しているのかということだ。陸上でも、土壌粒子や鉱物粒子に固く結合してしまえば、植物の根からセシウムが吸い上げられることはあまりない。時間が経てば経つほどそういう状態になる。最近、規制値を超えた野菜がほとんど出なくなったのは、そういうことだろうと考える。ただ、海と同じで、生物や生物の死骸・排泄物などの有機物に含まれる放射性物質は、量としては少なくても、食物連鎖や生態系の物質循環によって動きやすい。例えば土から植物の根に伝わり、葉に伝わり、その葉が枯れて土に戻るというようなことが繰り返される。こうした移動を量的にきちんと評価していくことが重要だろう。陸上の生態系ではキノコ類やひまわりが一番地表の汚染物質をかき集めてくれるという話もあり、それを利用して除染をしようというアイデアもあったようだが、果たして汚染物質を集めたキノコやひまわりを一体どこに棄てるのか。汚染水の問題も同様に、原子力発電所の敷地内から溢れざるを得ない量になった時に、最終的にどこに持っていくのか。放射能で汚染された様々な物質は、除染作業などを通してさらに増えていくと予想される。こうした汚染物質の適切な管理が一番重要な問題だ。(了)

――突然の社長就任だった…。

 髙村 社長に任命されたことは私としても意外な出来事で、全く準備もなく突然だったのでびっくりした。ただ、マーケット環境が非常に良かったことは好材料だった。私はこれまで法人ビジネスを中心に担当していたため、ネット証券の根幹のところにはあまり関与出来ておらず、そういう意味では、専門的になりすぎずに物事を俯瞰してみることが出来ていたことも任命された理由だと思っている。法人ビジネスにはそういう要素が必要だ。いずれにしても、これまで管掌外だったシステムやウェブサービスなどについては現在、猛勉強中だ。システムに関しては、大枠は理解出来ても、細かいところまで理解することは非常に難しい。しかし、システムこそネット証券の根幹だ。複数のプロジェクトが走る中でプライオリティを決める際にも、何からどう手を付けていくか、そこでいかに効率的なシステムを立ち上げるかによって経営のスピードは全く違ってくる。しっかり勉強をして、最適なシステム構築を常に追及していきたい。

――これまでの経験を活かして、今後、法人部門を強化していくのか…。

 髙村 環境的には1~2年前に比べて法人ビジネスはかなりやり易くなってきている。今回トップが交代したからという訳ではなく、去年より今年、今年より来年と、法人ビジネスを強化させていく目論見はもともとあり、すでに法人に関る各部門の人材投下に注力している。特にIPOの主幹事は以前に比べてプレーヤーが限定的になってきており、中小型案件に関してはプレーヤーの数が足りていない部分もある。一方で、このような環境下で上場を試みる会社は増えているため、そのあたりのミスマッチを我々のような小回りの利く証券会社が吸収しており、今ではIPO部門での主幹事案件も複数こなせるようになってきている。この辺りについては有利な立場にあると言えるだろう。

――IPOが増えることで主幹事銘柄が増えれば、長い目で見てもプラスになる…。

 髙村 IPOの実績が増えたことでお客様の方からお問い合わせいただくようなケースも増え、IPOに関してはより自信を持って取り組めるようになってきた。法人ビジネスでは、IPO後、その会社の次なる成長戦略に如何に関与していくかという、さらに難易度が高いビジネス展開が求められるが、この点についても昨年はマザーズから1部市場への変更案件も初めて手がけることが出来た。発行会社に対しては、我々がIPO後の様々なケアまできちんと主幹事としてリードしていく力があるという認識を植えつけることが出来たのではないかと思う。IPOの主幹事案件を積み重ねていけば、POなど大手証券と同様の業務もこれまで以上に強化可能となる。これに向けて、IPOを核に着実に今後も前進していきたい。

――IPOで実績を重ねることが出来たのは、ネット証券の力が世間的に認められてきたという背景がある…。

 髙村 ネット証券はこの4~5年、個人取引におけるシェアを大幅に伸ばしてきており、ほぼ寡占状態となってきている。このため、その実力が上場企業はもとより新興企業にも認められてきている一方で、昨年の春先頃から、個人の投資対象としてIPOの需要が高まってきた。理由は、お客様のキャッシュ比率が非常に高い状態にあるということと、現時点の株価上昇局面で、塩漬けにしていたものをある程度売却できる状況になったからだ。そこで再投資する対象としてIPOを連想する人が多くなっている。特に昨年末の選挙後から月を追うごとにブックビルディング件数が飛躍的に伸びてきており、昨年春先と比べて今では約4倍にも増えている。しかもその金額は、多い銘柄だと我々一社で2000億円もの需要が積まれる。ネット証券を利用されるお客様は基本的に資金拘束を嫌がる傾向が強いのだが、現在はキャッシュが潤沢にあることも相俟ってか、あまりそういったことも構わない様子だ。需給のミスマッチで、需要側は件数、金額とも非常に高まってきており、そのため初値が跳ね上がってしまうようなケースもある。ブック段階での需給のミスマッチが、セカンダリーで反映される格好になっているのかもしれない。このように、IPOは弊社にとってすでにプレミア商品になっている。お客様に喜んでいただける、きちんとした仕入れが出来れば、良い循環がうまれてくる。特に仕入れの部分は、私がこれまで管掌していた分野でもあり、良い商品供給が出来ていることは間違いない。引き続き力を入れていくつもりだ。

――ネット証券の今後の展開は…。

 髙村 ネット証券業界の歴史をみると、これまでの第1ラウンドは手数料や金利といった経済条件の引き下げ競争だった。今後、第2ラウンドの差別ポイントとなるのは、「ユーザビリティ」の部分だろう。操作画面にしても、今はパソコンのみならずモバイルがあり、モバイルの中でもスマホがあったりタブレットがあったりと、取引チャネルは拡大している。それに対して如何に分かりやすく、操作性の良いもの提供していくかというソフト面での競争がすでに始まっている。いみじくも来年1月からは日本版ISA(少額投資非課税制度)が開始され、対象となる新規のお客様を取り込むチャンスも出てきた。すでに各証券会社が色々と知恵を絞り口座目標なども設定してきているようだ。我々のお客様からも相当の反響があると予想している。今回の商品が影響を及ぼすのは比較的若い層の30~40代であり、その辺りの層は今の我々の顧客年齢と重なる。顧客層を広げるためのせっかくのチャンスを、きっかけとなる操作性の部分で他社に流れてしまわないよう、最適の取引環境を準備しておきたい。

――グループ力があることも御社の強みだ…。

 髙村 まさに、我々が他社と差別化を図る最大のポイントはグループ力だと思っている。これまでも住信SBIネット銀行との連携は大変上手くいっており、新規で証券口座を開設する人の4割近くがネット銀行からのお客様だ。親和性が高く、銀行預金を証券の資金余力とみなせるハイブリッド預金もあるため、証券の口座と銀行の口座を同時にご利用になられるお客様も相当数いらっしゃる。また、昨年6月には対面チャネルとなる「SBIマネープラザ」を新たに立ち上げ、当社の支店もそちらに統合している。今後、全国でさらなるショップ展開を予定している。このようなSBIグループ各分野との連携をより強化していくことで、更なるシナジー効果を高めていきたい。

――外国株については…。

 髙村 今年一月にシンガポール、タイ、マレーシアというASEAN3カ国が加わり、現在は9カ国の外国株の売買が可能になっている。新たな3カ国はこれからトランザクションを盛り上げていく段階だが、トランザクションの大きさを見てみると、米国、中国に次いで三番目にトランザクションが大きいのは昨年リリースしたインドネシアとなっている。こういった国の銘柄情報を、リサーチ機能をきちんと備えてお客様に関心を持っていただけるよう誘導していくことも必要だと考えている。

――ネット証券ならではのサービスは…。

 髙村 特に発行会社から高い関心をいただいているのは、様々な会社の売買手口がわかるデータの提供だ。どのような属性の方がどのような形で売買しているのか、さらに投資家がどのようなポートフォリオを組んでいるのかといったデータの提供が発行会社に大変感謝されている。これはネットだからこそ瞬時にわかる我々の強みといえる。IPOして間もない会社にとって、個人投資家周りのデータをふんだんに持っていることは非常に有用性がある。さらにそれをきちんと分析して提供することなど、どこの証券会社もやっていない。それをやることによって、発行会社がIRを行う際にやるべきことを、グループ会社のモーニングスターと連携して考えたりすることも出来る。市場の変更を行う際に、株主作りのための様々なメニューの提案も出来るだろう。データのカバー率は、月々の商いの2~3割で相当大きい。この辺りを活かした提案営業は我々の強みだ。

――最後に、社長としての抱負を…。

 髙村 これまでのトップは証券会社経験者だったが、私は実はもともと銀行出身で証券会社は当社が初めてだ。そういう意味では、今後、証券会社ではない視点で私なりに気づいたことなどをアイデアとして出していったり、また、同業他社の社長と比べて随分と若返ったので、その若さの象徴である「自由奔放さ」を存分に活かし、色々な人に相談はしつつも、先入観を持つことなく何にでもトライしていきたい。弊社の主な顧客である30~40代の年齢層とも近いため、我々のモットーである「顧客中心主義」を貫くべく、常にお客様目線で色々なことにチャレンジしていきたいと考えている。(了)

 アスジャ(Asia Japan Alumni)インターナショナルは2000年に創設され、これまでアセアン諸国の若者への奨学金給付事業を行ってきた。奨学生達はプログラム修了後、IMFや政府機関など、数々の職場で活躍している。またアスジャは、元日本留学生の国際組織であるASCOJAの日本側カウンターパートでもある。そんなアスジャについて、3月に開催されたアスジャ第25回理事会に合わせて来日したベンジャミン・ラウレル・アスジャ議長(フィリピン元日本留学生連盟会長)と、グエン・ゴック・ビィンASCOJA議長(ベトナム元日本留学生協会会長)、アスジャ事務総長佐藤次郎氏、通訳を務めたアスジャ修了生の寛ボルテール氏に話を聞いた。

――アスジャとはどのような組織ですか…。

 ラウレル氏 アスジャは2000年に創設され、日本の外務省からの財政支援を受けてきたアセアン留学生を支援するための組織だ。現在のメンバーはブルネイを除くASEAN9カ国で、同国についても今年の4月に参加する予定だ。アスジャの奨学金プログラムはアセアンのリーダーを育成することを目的としており、プログラム終了後、留学生が日本と母国の友好の橋となり、両国関係強化を担うことを期待している。また、留学プログラムの内容だが、基本的に大学院レベルでの教育を行っている。現在の留学生とこれまでの修了生の数は合計92人。日本・アセアン間の友好に資するリーダーシップを養育し、また発展させるため、アスジャは留学生達の資金援助を行うだけでなく、1年間の日本語学習コースや、日本文化や日本の人々への理解を深める機会を提供している。更に、アスジャは元日本留学生卒業生の国際組織であるASCOJAのカウンターパートという重要な役割も果たしている。アスジャは最高意思決定機関である理事会と、事務局によって構成されており、理事会の外国側メンバーは皆が元留学生。理事会は1年に1回、プログラムと予算について会議するために東京で開催される。

 

アスジャ・インターナショナル
事務局 事務総長
佐藤 次郎 氏

 

――実際に卒業されてどうですか…。

 寛氏 アスジャのプログラムは有効だ。私は文部科学省の奨学金を学部の時に頂き、大学院の際にアスジャの支援を受けたが、明らかに制度の違いが存在した。例えば、アスジャのプログラムは文化の体験や、日本との関わりを重視しているのが印象的だった。アスジャのプログラムは正直に言ってあまり大きくない奨学制度だが、その分個人個人への配慮があり、よく世話してくれたのを覚えている。奨学金制度として本当によかったと思う。

――累計で何人を育てたのか…。

 佐藤氏 これまでの修了生は78名で、現在の奨学生は14名だ。通常は30名ほどいるのだが、事業仕分けにより予算が削減されたことで3年前から採用を行っていない。プログラムは4年間なので、来年度で奨学生はゼロになる。

――民主党の事業仕分けをどう思うか…。

 ラウレル氏 非常に残念だと思っており、可能ならば継続を希望している。アスジャの奨学生プログラムの大きな特徴は、それが「善意の大使」を増やすことを目的にしていたことだ。これによって日本とアセアンの相互理解が進むと私は期待していた。世界が多くの問題を抱える今、両地域が平和的な関係を発展させる意義は非常に大きい。アスジャの奨学生は全員が「善意の大使」になる資質を認められ、選抜された人材だ。彼らは個人的益のためでも、ビジネスの方法を学ぶためでも、製造技術を学ぶためでもなく、より日本を理解するためにアスジャのプログラムを受ける。そうした、単なる経済的結びつきを超えた人と人との交流は何物にも変えがたい。それはかつて福田赳夫元首相が「福田ドクトリン」で指摘した「心と心」の結びつきにも通じるものだ。ビジネスやお金だけでなく、相互発展、相互理解、相互尊敬を日本とアセアンは発展させるべきだと私は信じている。

――アセアンと日本の関係を深めることは重要だ…。

 ビィン氏 今年は日本とアセアンの友好協力40周年にあたり、世界中が日本とアセアンの今後について注目している。日本との関係は我々ベトナムにとっても非常に重要だ。ベトナムは経済、教育、その他全ての分野で日本を最も大事なパートナーだと捉えており、両国関係の更なる発展を望んでいる。我々ベトナム元日本留学生協会がASCOJAに参加したのは最近のことだ。ASCOJA自体は1977年、福田赳夫元首相の動きに感化され、我々留学生達によって設立された。設立の目的は、日本とアセアン諸国が経済など多面的な分野で有意義な協力を行うこと。我々はこうした協力を続けていかねばならないが、そのためには元留学生という架け橋が非常に重要だ。

 ASCOJAとの関わりの上でも、アスジャは重要な役割を果たしてきた。例として、アスジャは日本の外務省や、各国の日本大使館とのネットワークを持っている。そのためASCOJAも日本の最新の情勢を掴んでおり、これまで四半期ごとに発行してきたニュースレターは様々な人々に読まれた。また、ASCOJAは各国の留学生組織との合同プロジェクトに貢献してきた。加えて、さらに重要なこととして、日本語の発信をアセアン諸国間で行い、また人的交流を促進してきたこともある。こうした数々の重要性があるにも関わらず、アスジャへの支援打ち切りが決定されたのは非常に残念だ。また、アスジャはアセアン諸国における日本のイメージ改善にも貢献した。だからアスジャの予算を日本政府が打ち切ると聞いた時は、本当に驚いた。

 

ASCOJA(ASEAN元日本留学生評議会)
議長
グエン・ゴック・ビィン 氏

 

――事業仕分けされた背景は…。

 佐藤氏 09年11月の行政刷新会議で、外務省の事業が細かくチェックされた。アスジャの奨学制度は「私費留学金制度」である一方、文部科学省のものは「国費留学金制度」だが、刷新会議では両者が重複しているとの判断を受けてしまった。実際、アスジャが支給する奨学金の金額は文部科学省の奨学金を参考に算出されていたため、よく似ていたのは確かだ。

 しかし、事業の中身は全くの別物だ。それにも関わらず、事業内容は全く注目されなかった。アスジャは国費留学金制度では見られないプログラムを提供しており、例えば語学プログラムでは国費のものが半年である一方、アスジャのものは1年間集中形式をとった。更に寮での集団生活や、事務局が寮に隣接しているなど、密接な人間関係の構築を我々は重視してきた。その他にも日本の習慣や伝統文化を体験して学ぶ機会を提供し、小学生から社会人まで幅広い日本人との交流も行ったり、日本全国での生活体験研修も実施してきた。こうした取り組みは日本への留学生の理解を促進することが第一目的ではあるが、もう一つの目的として、留学生達に「横のつながり」を作ることがあった。日本には多くの留学生がいるが、彼らには「横のつながり」がない。そこで我々は彼らの絆を深めることを強く意識してきた。また、事務局も少人数であることから、「家族」のような親密な付き合いを行ってこれた。

――今後の展開は…。

 佐藤氏 これまでアスジャは外務省、日本政府の支援を受けてきた。しかし、事業仕分けが実施されるとアスジャの事業と組織は2013年度限りで廃止となる。2014年度以降のアスジャのあり方については、現在外務省を中心に検討されているところだ。2014年年度の政府予算にアスジャ予算が盛り込まれるかどうかがポイントとなる。

 ただ我々としては、これまでの事業は成功してきたという自負があり、むしろ事業を拡大すべき時期だと考えている。元々アスジャはアセアン諸国の元日本留学生の働きかけから始まり、運営も彼らが主に担ってきた。その特殊性と、これまで着実に日本・アセアン間を結ぶ人材を育成した実績は、是非ご理解頂きたいと思っている。現在も支援者の皆さんと行動しているが、今後は経済界の応援も頂き、事業継続を訴えるつもりだ。また、ASCOJAはアセアン諸国の日本通達が積極的に応援している組織。アスジャは小さな組織ながら、そんなASCOJAのカウンターパートとして、これまで着実に関係を強化してきた。この意義は是非お分かり頂きたい。

 ビィン氏 私からも一言申し上げたい。昨年と今年のASCOJAとアスジャミーティングでは、日本政府に支援継続をお願いした。その際申し上げたのは、ASCOJAを構成する我々理事が母国で相当の影響力を持っていることだ。例えば私は国立大学の学長だし、ラウレル氏も同様に重要な立場にあられる。日本政府には、そうした我々の影響力をもっと使って欲しいとお願いした。

 また、もう一点強調したいのはアスジャのコストパフォーマンスの高さだ。JICAは無論素晴らしい役割を果たしているが、アスジャも同様に非常に大きな意義を、遥かに低コストで果たしている。勿論、更なるコスト削減についても我々は検討しているが、現状で既にアスジャの効率性は高いと自負している。

 アスジャがたとえ廃止されても、我々ASCOJAは活動を続ける。しかし、アスジャがなければ、日本とアセアンの橋渡しに不都合があるのも事実だ。アスジャの理事は全員が同時に各国の元留学生組織の代表だから、存続できれば、友好事業をより効率的に進めることが可能だ。例えば、東北大震災のあと、元留学生組織は組織的に連携して、寄付などの支援活動を行った。こうした活動の実現にもアスジャは大きく貢献してきた。手短に言えば、アスジャの継続は日本の対外関係、特にASEANの国々との関係において日本を利するものであり、良い意味の反響を呼ぶものだ。どうか日本とASEANのより良い協力関係のために、決断を再考して頂きたい。

 

倫理研究所 研究センター
専門研究員 アスジャ元奨学生
寛ボルテール 氏

 

――最後にコメントを…。

 ラウレル氏 最後に、ASCOJAとアスジャの歴史をもう一度ご説明したい。そもそもASCOJAは、福田元首相が主導した「集い」で日本に招待された元留学生達が自発的に創設したものだ。彼らは元々、戦時中に日本政府が東南アジアから招聘した「南方特別留学生」だった。私の父もそうした動きに賛同した1人で、自らフィリピン元日本留学生連盟を創設した。その後父達は横のつながりを活用し、1977年に国際組織であるASCOJAを結成するに至った。

 ASCOJA創設後、アセアン地域での反日デモは縮小した。そもそもデモは第二次世界大戦の記憶や他の問題から生まれたが、これに対し、我々は「相互理解」と「相互調和」をそれぞれの国で広げることで、それを乗り越えようと努力してきた。そんなASCOJAのカウンターパートがアスジャだ。そのアスジャを日本政府が不要と判断したことを、私達はただ悲しく思っている。我々の父達はASCOJAを政府の支援なしに、自らの手で作った。彼らは福田元首相の理念に共感し、自ら行動を起こしたのだ。今や彼らの時代はもう終わり、第二世代、第三世代が活動を担っているが、その移行は極めてスムーズに進んでいる。父達の理念は我々や、次の世代に受け継がれている。この良い流れを、是非次の世代に続けていきたい。

 前回日本を訪問した際、私は4人のフィリピン官僚を連れてきた。彼らの目的は日本で投資を協議することだ。逆のことも起きており、ベトナムやタイでも、日本人ビジネスマンはビジネスマン同士だけでなく、我々元留学生とも接触した。これは我々が、我々の文化や考え方を日本の方々に伝えることも、逆にフィリピン人に日本の文化や考え方を説明することもできるからだ。このような人間と人間の付き合いを促進し、結びつきを強化するために、アスジャは非常に重要だと私は確信している。

――日本の大使としてスイスに駐在した中で感じた、スイスの特徴は…。

 梅本 私がスイスに滞在したのは2011年から2012年までのわずか1年間だったが、実際にスイスに住んでみると、スイスについては知っているようで、実は知らないことが多いということが分かった。歴史的事実としてスイスが建国されたのは1291年8月1日で、スイス中部のウーリ、シュヴィーツ、ニトヴァルデンという3州が、この地方を支配していたハプスブルグ家に対抗して自由と自治を守るために「永久同盟」を結び、相互援助を誓い合った時に始まる。その後も順次多くの州が参加し、自治のための戦いを繰り返しつつ、現在のスイス連邦を築き上げた。各州は元来が独立国で、それぞれ独自の歴史や言語や宗教がある。例えば、政治的伝統を見ると、首都ベルンのあるベルン州は、かつては少数の貴族的な豪族が州を支配していたし、また、チューリッヒ州は商人のギルドが中心勢力だった。さらに、ベルン州の隣にあるフリブール州はカトリック教会が強い力を持っていた。スイスは、いわば主権国家のような多様な州の連合体というイメージだ。

――そうでありながら、スイス連邦はひとつの国としてまとまっている…。

 梅本 そのような成立の沿革から、スイス連邦憲法の下で州にはかなり多くの権限が認められており、例えば、教育は基本的に地方の権限となっている。そのため連邦には教育省も教育大臣も存在しない。また、税金についても相当部分が地方税となっており、州の税率は各州政府が定めている。このように、各州がそれぞれに独自の権限を持ちながらも、国の仕組みによって連邦国家として強力なまとまりを持っているのがスイスであり、その根幹にあるのは、「自分たちのことは、自分たちで決める」 という強い意識だと思う。自分たちのことを遠くにいる支配者が決めるのではなく、自分たちで決める。「自治」プラス「民主主義」を最重要視するこの伝統は何百年も続いている。大きさこそ違え、「国のかたち」は米国によく似ていると思う。

――中央政府の政治体制は…。

 梅本 連邦の政治体制は、立法、行政、司法からなり、他の国の制度と一見すると同じように見えるが、実態はかなり異なっている。近現代のスイスの形を決めている1848年発効のスイス連邦憲法は、米国憲法の影響を受けており、連邦議会は国民議会(下院)と全州議会(上院)の二院から成り立つ。下院は比例代表制で200名が、上院は各州から2名、準州から1名の計46名が、それぞれ有権者の直接国民投票によって選ばれる。他の国と大きく異なるのは、日本の大臣に当たる連邦閣僚7名を、1名ずつ国会が選出することだ。この結果、政策の異なる複数政党から連邦閣僚が選ばれ、この7名の閣僚が連邦内閣を構成し、基本的にはコンセンサスで、稀に多数決で意思決定する。そして、この7名の連邦閣僚の内1名が、一年ずつ輪番制で連邦大統領の責務を担当する。同様に、州レベルでも州議会議員の中から州政府閣僚が5人選ばれ、その中から州政府首相を持ち回りで任務する。さらにその下にある市町村レベルのコミュニティーでも一部の例外を除くと同様の仕組みとなっている。

――スイスには国家元首が存在しない。それで問題などは起きないのか…。

 梅本 大統領は輪番制だが、集合体としての連邦内閣が国家元首という位置づけとなっている。スイスには数多くの政党が国会に議席を有するが、過半数を持つような政党はなく、連邦内閣は複数の政党からの閣僚が構成する。ちなみに現在は5政党から閣僚が出ている。そのため与党・野党という概念がなく、7名の連邦閣僚が立場の共通点を見出しながら内閣としての意思決定を行っている。これは、政局より政策が、対立より妥協が重視されるシステムと言えよう。また、連邦、州、市町村レベルで、重要な法案が年4回行われる国民・住民投票にかけられ、さらに、一定期間内に住民10万人分の署名を集めれば、国民の側から一定の事柄を国民投票にかけることもできるため、連邦内閣も国会も、最後は国民投票にかけられるということを意識しながら、妥協を重ねて、異なる意見の中から共通点を見出すようにしている。このような直接民主制は、状況の大きな変化に応じて物事を迅速に変革していくような場合には不向きと言われているが、世の中において政府の決定がすべて正しいという訳ではなく、民意の方が正しい場合も少なくない。国民投票にするとポピュリスト的な流れが強くなるといった意見もあるが、年4回規則的に投票が行われるスイスのように徹底してしまえば、結果としては、かなり常識的な判断が下されていることがわかる。

――国民投票の議案には具体的にどういったものがあったのか…。

 梅本 つい最近では、企業の高額報酬についての国民投票が行われた。これは、スイス大手の製薬会社ノバルティスが前会長のダニエル・ヴァセラ氏に対して同業他社への移籍を数年間防ぐために高額報酬を支払ったことが発端となった問題であり、「高額報酬制度反対イニシアチブ」として賛成68%で可決された。ここで決定されたのは、高額報酬の限度額を決めるのではなく、高額報酬を支給する手続き上の仕組みを整えることだった。また、例えば僻地を通るバスが少ないためもう少し本数を増やしたいが、その分コストはかかる、それをどうするか?といった問題や、学校をもう少し増やしたいが、そうすると住民税を増やさなくてはならない、どうするか?といったようなことが市町村レベルでの投票にかけられている。その他にも、非常にセンシティブな問題もあり、過去に行われたスイスの国連加盟についての国民投票は、一度目は否決となったが、それから何年か経って後に2度目の投票で可決となり、2002年にスイスは晴れて国連に加盟することになった。国民投票を行う際には、政府は、複数の公用語で、各々の議案についての判断材料となる十分な情報と、政府の意見である「投票指針」を提示することになっている。仮におかしな決定をしてしまっても、それは自分たちで決めたことであるため、誰も文句は言えない。その決定をただす決定を行えばよい。

――きちんとコスト意識を持って自分達で決めるのは、大変合理的だ。財政の無駄を削減するためにも、スイスのような直接選挙が注目される…。

 梅本 スイス人はもともとコスト意識が非常に高く、何かをやろうとすれば、それにお金がかかるということを常に意識しており、それが一種の財政的節度につながっていると思う。そういう意味では、スイスの財政は大変健全だ。付加価値税も8%にとどまっており、他の欧州諸国に比べて非常に低い。かつて、スイスの法定年次最低有給休暇日数を増やそうという案があったが、結局、休暇を増やすことで国家の支出増加が大きくなり、生産コストが高まることで商品の競争力が低下するというような理由で国民投票によって否決された。すべての投票の前提にあるのは、「自分たちで集めたお金を、自分たちの考えのもとに使う」ということだ。政府の決定がどこか遠いところで行われるような印象があると、色々な給付を強く求める一方で、その財源については政府がどこかから何とか見つければよい、ということとなってしまうようだ。また、地方へは中央政府から地方交付税という形でお金が回されると、本来、そのお金は住民である自分たちが払った税金であるはずなのに、そのような意識が希薄化してしまう。スイスのような直接民主制は、国民・住民に対する給付は、国民・住民自らの負担によって初めて可能となるということをたえず意識させる結果となっているような気がする。(了)

――中央集権システムの解体を唱えていらっしゃる…。

 穂坂 私は数年前から、官僚や全国の都道府県職員・市町村職員に声をかけ、その呼びかけに応じて集まった延べ約90名の有志たちと一緒に、公共事業における国と都道府県と市町村の役割分担を明確にするための研究をしてきた。市長をした経験から、国と都道府県と市町村の役割分担が非常に不明確であり、それが日本式の中央集権システムを温存させ、大きな無駄を生んでいると考えたからだ。政党のマニフェストなどには「国と地方は対等でなくてはいけない」と書かれ、地方の自立を促すような政策が提案されているが、現実には、役割分担を不明確にすることによって、国が全権を握る中央集権システムを存続させる仕組みが戦後一貫して続いている。国の役割、都道府県の役割、市町村の役割を明確にすれば、地方交付税制度や補助金による国の支配、法令や行政指導などで国が地方に対して口出しすることは出来なくなる。その結果は、財政の大きな無駄を省くことに繋がる。この辺りをはっきりとした数字に表そうと試みたのが「実務的役割分担明確化研究会」であり、その経緯や結果を一般向けにわかりやすく小説化したのが「Xノートを追え~中央集権システムを解体せよ~(朝日新聞出版)」だ。

――財政の無駄を省くためにも、役割分担を明確化することが必要だと…。

 穂坂 外国では役割分担がはっきりしており、地方に出来ない仕事だけを国がやるようになっている。行政における補完性の原則だ。そのため国が地方に口出しすることはない。一方、日本では役割分担が曖昧で責任の所在が明らかでないため、様々な弊害が起きている。二重行政や三重行政の無駄もその一つだ。さらに、埼玉県久喜市で起きたように急病人が救急車で36回も受け入れを断られて亡くなっても、誰も責任をとらないといった痛ましい事故も起きてしまう。そうしたことが起こらぬようにするために、役割分担を明らかにして、責任の所在を明確にするとともに、行政連絡の重複をなくし、効率化を図らなくてはならない。

――役割分担を明確にするためには…。

 穂坂 先ず、官と民の仕事をきちんと分けることだ。さらに、官の仕事でも民に委託した方が効率的な場合もある。例えば役所や公的機関の受付だったり、郷土資料館での仕事だったりと色々あるが、特に受付に関しては、座り仕事が基本の公務員は受付に立ち続けることも出来ないし、気の利いた受け答えやサービス精神は、民間できちんと訓練を受けたスペシャリストには敵わない。また、郷土資料館などの仕事も、民間で郷土に大変興味を持っている人達は沢山いて、そういった人達に資料館の展示内容などを頼むと、とてもわかりやすく楽しい資料館となる。実は、私が志木市長だった頃、職員に「行政のプロでなくても出来る仕事は今の仕事の何%くらいか」という質問をし、実際にひとつひとつ調べ上げてもらった。志木市では漁業などは扱っていないため、それほど規模は大きくないが、それでも1000近い事業があり、そのうち、本当に行政のプロフェッショナルでなければ出来ない仕事は約25%という答えが返ってきた。さらに法律の枠を取り除けば10~15%程度ということだった。

――本当に行政のプロでなければ出来ない仕事は、全事業のわずか10~15%…。

 穂坂 言うまでもなく、個人情報の取り扱いなどは厳重に注意しなくてはならないが、実際には今は情報関連事業についても外部委託している場合が多い。むしろ役所で管理するよりも、信用問題を何よりも重視する民間の方が情報管理はしっかりしているという考えもあるため、行政のプロでなければ出来ない仕事はかなり限られる。例えば私が志木市長だった頃は、市民の皆さんの公募による志木市民委員会と志木市が中心となって有償ボランティアを募り、定年退職した方々を最低賃金よりも多少多い賃金で雇用し、志木市の様々な公共サービスのために活動してもらっていた。このように、民間の力を活用することで行政のコストは削減できる。市民との協働を20年間続けていけば、志木市の一般会計約180億円は、約半分の90億円になると試算された。もちろん、こういった市民参加による市政運営には、特権を失うことを嫌がる議会からの反対もある。そもそも不平等の温床である議員の特権などなくしてしまったほうがよいと私は思うのだが、幸い私の場合は同志の議員が多かったため、新たな施策や、不要と思われる前例を廃止することに対して、議会側からの苦情はあまりなく、スムーズに進めることが出来た。しかし、私が辞任した後の市長には、今はあまり無理をしないようにとアドバイスした。

――役割分担を明確化して、市町村・都道府県・国の事業を整理し、移管するような場合に特に気をつけることは…。

 穂坂 役割を明確に分担するためには、理念や概念で分類するのではなく、国と都道府県と市町村が実際に今行っている7000~8000事業のすべてを一つのテーブルの上に乗せ、ひとつひとつ本当に必要なのか、どこが担当するのがふさわしいのかを調べていくことだ。そうすることで事業の重複をなくして効率化させ、最後に補助金の無駄を洗い出していく。さらに、政治的な配慮が働く可能性のある政治家や現場を知らない有識者ではなく、現場の実務家たちの目線で仕分けてもらうのがポイントだ。民主党の事業仕分けのおかげで、今は国の全事業の資料が簡単に手に入るようになったが、我々が延べ3年間を掛けて役割分担明確化委員会で行った作業量は膨大なもので、有志で集まってくれた実務者の皆さんは、ボランティアながら2度にわたってそれぞれ約6カ月を掛けて検証作業を行ってくれた。連休には合宿まで行った。そうして調査結果として出てきた行政経費の無駄遣いは、年間18兆4000億円という驚くべき数字だった。 

――具体的に、どういったところから無駄が出てきたのか…。

 穂坂 例えば今の都道府県の業務に関して言えば、基本的に国と市町村では出来ない補完機能を担っているにも拘らず国が内政的業務を手放さないため、自分たちでわざと仕事を増やしてしまっている。しかし、仮に国の内政事業を都道府県にすべて任せようと思っても、今の都道府県の規模では無理がある。全都道府県の一般会計の総額は、国や市町村と同じ約50兆円であり、極論して言えば、都道府県をなくしてしまえば50兆円が削減出来るということになる。ここで、都道府県をなくす代わりに道州制という案が出てくるのだが、最初から道州制ありきでは無駄を省くことは出来ない。

――行政経費の無駄削減、財政再建のために行うべきことは…。

 穂坂 我々は、(仮称)地方広域センターといったものを置いて、そこに、国から地方に移管すべき内政的業務を移管する方法で分類作業を進めたが、国の内政的業務の受け皿として道州制は必要不可欠だという結論になった。市町村や都道府県の総務費に占める人件費の割合は非常に高い。しかも、その高い人件費で重複した事業を行っている。これではとても効率的、機能的とはいえない。理念や感覚で仕事を分けるのではなく、いまの仕事をしっかりと検証して役割をきちんと分担することが、今、日本が急務としている行政経費の無駄削減、そして財政再建につながっていくことになる。(了)

――中国をどのように見ているのか…。

 徳川 一番重要なことは「中国」と「中国人」は違うということだ。中国人の大多数は、貧しく、教育も乏しい。昨年、中国では反日暴動が相次いだが、暴動を起こした中国人の中には日本がどこにあるのかも知らない人もいただろう。格差が拡大していく中で、貧しかったり、失業状態にあったりする数多くの不平分子が、不満の表現方法として暴動に走ったというだけのことだ。そのような暴動でも、反日と謳っている以上、テレビなどで報道されれば、日本人が不愉快に感じるのは当然だ。だが、そもそも怒ってもしょうがない相手だ。いっぽう、中国国家となると、デモクラシーでないということもあって、話が全然違って来る。中国は非常に現実的で慎重な国であり、日本と良好な関係を持つことが有利だと理解している。ただし、向こうから頭を下げるわけにもいかない。国民の目に、中国政府、共産党が弱いと映ってしまうからだ。私自身は、中国という隣国とは仲良くした方が良いと確信している。大気汚染などは典型的だが、中国は自力では解決できない様々な問題を抱えており、それらに関して協力を拒み続ければ、結局、被害は日本にまで及んでくる。

――中国経済についての考えは…。

 徳川 一人当たりGDPは、どんなに頑張っても日本の3分の1くらいが関の山ではないか。官僚の腐敗がひどく、国民の騙し合いが当たり前になっている中国では、知的財産権も必然的に脆弱だ。だから、技術開発をじっくり進めることは難しく、仮に新技術の開発に成功したところで、その特許がきちんと守られるかどうかも怪しい。そうなると、特許を取れるような最優秀の人材は、中国で頑張って特許を取るよりも、米国や日本に行った方が良いということになる。この技術革新力の「天井」が、中国の経済成長の最大の障害だと思う。日本企業がASEANへの進出を拡大している今、製造拠点としての中国の重要性も低下している。一人頭の購買力が中進国レベルで頭打ちで、人件費が割高となると、少なくとも経済面では、中国は日本にとって、それほど重要ではない。一方、中国としては日本の技術や信頼性の高い日本製品を必要としている。こうした現実を踏まえて、企業は中国との関係では、相手を助けようとか友好のためにとか余計なことを考えず、儲かる案件は続けて、儲からない物は切るという、現実的なスタンスで臨むべきだ。友好は政府にまかせておけばよい。

――「政冷経熱」ではなく、「政熱経冷」だと…。

 徳川 中国は一昨年、胡錦濤前政権が最低賃金を倍以上に上げて、外資にそれを被せてしまった。それでも日本がその後2年ほど中国に踏みとどまっていた理由は、そもそも最初に中国に進出した際に、日中友好のお題目を信じていたり、あるいは日本政府、政治家、省庁からそんなことを吹き込まれていたりしたからだろう。だからこそ、中国に裏切られたという思いも強くなる。日本企業はもっとクールにビジネスをすべきだと思う。第二次世界大戦の埋め合わせもあって中国のために何かをしてあげたいと考える日本人はかつて多かったし、今でも本当のところは少なくないと思うが、ビジネスに関してはその気持ちを脇に置いておいたほうが、日中双方のためだ。歴史認識問題は重要だが、それはまずもって、第二次大戦における日本国家と日本人の間の問題であって、内政問題だと思う。日本が中国に何をしたかはもちろん重要だが、その前に日本国家が日本人をどれだけ無駄に死なせたかを見つめなくてはならない。

――尖閣諸島問題もなかなか落ち着かないが、日本の安全保障は大丈夫なのか…。

 徳川 中国としては、人口の大半が生活に不満を抱え、内陸部には分離独立の動きがあるとあって、海を越えた敵との戦争はあまりにコストが高い。いや戦争どころか、軍事的緊張の高まりからインフレになることでさえも、中国にとっては耐えられない。そう考えると、中国が日本に対して攻撃してくることは考えられない。仮に攻撃してくるとすれば、それは日米が中国を攻撃すると、中国側が確信した時だけだ。日本としては、中国側が日米同盟を恐れているという事実を理解しなくてはならない。中国に対する否定的な世論が日本で沸騰していたとしても、少なくとも政治家、特に閣僚の方々は冷静な対応をしなくてはならない。安全保障面から見た日中関係で大切なのは、軍事衝突ではなしに、公害や感染症の問題、そして国境を越えた犯罪問題など、むしろ両国が協力し合える問題点だ。これらについて、緊密な情報交換と協力が出来るような協力体制を日中間で築くことだ。

――日・米・中の貿易関係については…。

 徳川 日本は一貫して対中で貿易黒字を出している。つまり、日本人は安いだけの中国製品をあまり必要としていないということだ。一方で、米国では貧困層の増加により安価な中国製品が飛ぶように売れており、そのため中国には巨額のドル建て外貨準備が生じてしまった。そして、ドルが価値の高い国際通貨だと信じている日本は、ドルを豊富に保有する中国をビジネス相手として重要だと考えている。つまり、ドルの循環の中に日本と中国の経済関係はあるということだ。しかし、私はここに大きな疑問を持つ。米国経済はボロボロだ。特に財政問題は深刻で、政治的な分裂がそれに拍車をかけている。しかも貿易赤字はものすごく大きい。そうした米国の現状を考えると、ドルはいつ価値がなくなってもおかしくない。いや、ある朝、新聞を開いたら「アメリカ消滅」と大きく出ているかもしれないほどだ。そんなアメリカの通貨ドルを「買い支え」しているのが日本の現状だ。

――日本は敗戦後、米国の軍事政権下に置かれて高度成長期を迎えた。そういった経験から、米国の言うことは正しいという観念から抜け出せない日本人が、特に年配者に多い…。

 徳川 確かに、日本人がアメリカを仰ぎ見る感覚は、敗戦からオイルショックまでの期間で、日本人の心身に刷り込まれてしまった。その結果というわけか、日本の政治家が米国に気に入られようとして言いたいことを言わないため、米国側としては日本人の本心がわからずに困惑しているという話はよく耳にする。また、マスメディアが米国の悪いことを言わないというのも大きな問題だ。アメリカが強いという思い込みから、日銀のドル過大評価政策が変わらず、さらにいえばドルを稼ぐ能力だけが高い輸出企業の発言力が過大になってしまう。今の日本では、円高によって家電会社が1~2社潰れたとしても、国難というわけではない。もともと工業製品の国内での供給は過剰なのだ。だから無理をして輸出しなければならず、そのために日銀がドルを高値で引き受ける。アメリカの貿易収支については、シェールガス、シェールオイルが希望の星だという議論はあるが、これもどこまで信じてよいのか……。

――安倍新政権についての感想は…。

 徳川 長老も重鎮もいない、軽量内閣。ただし、菅官房長官が極めて有能なので、ミスはない。だが、それも株高で世論が好意的だからこそだ。内閣の本当の目玉は麻生財務大臣兼金融大臣だと思う。財政と金融が一元的に監督される、かつての大蔵省への回帰ではないのか。だとすれば、金融規制も成長重視すなわち政府歳入重視という視点から緩くなって、銀行の貸し出しも増えていくだろう。これが日銀の金融緩和と合わされば、確かに景気は上向く。だが、それは結局バブルにしかならず、国民全体の生活水準が上昇する本当の経済成長には繋がらない。

――その点で、日本の政府がやるべきことは…。

 徳川 最大の経済問題は、これは日本に限らず世界中が同時に直面している問題だが、雇用の確保だ。果たして今のGDPを実現するのに、国民全員がきちんと雇用されている必要があるのか。私はないと思う。機械があり、ITがある。ITが普及するとともに、ホワイトカラーの仕事がどんどん必要なくなっていく。また、今では細かな手作業まで再現可能なロボットが出て来た。そこまでIT技術は進歩してしまった。同じGDPを生み出すのに必要な労働者が減り続けているのであれば、企業が製品を売りさばくためにも、ワークシェアリングやベーシックインカムといった話が現実味を帯びてくる。そういったことを言うのは今の日本では異端中の異端かもしれない。だが、思い切った再分配を考えないことでは、日本が今後、再び高度成長に戻ることはもちろん、低成長も覚束ないであろう。政策的にすぐに出来ることは、将来のない輸出企業の救済ではなく、福祉と再分配を充実させることだ。しかも選挙の票を気にして高齢者にお金を注ぐのではなく、未来を支える若者やシングルマザーへの支援をもっと手厚くする。企業救済に5000億円もの資金を投入する余裕があるのならば、生活保護を増やす。内需を大切にして、購買力を支えるためにも、福祉の充実が重要だと私は考える。(了)

――福島で、また小児甲状腺がんが見つかった…。

 菅谷 福島県が行っている子どもの甲状腺検査ではすでに3人が甲状腺がんと診断され、残り7人も高い確率で甲状腺がんだと疑われている。しかし、こういった話が新聞やテレビなどでは大きく報道されておらず、マスコミの原発被害問題に対する扱いは非常に軽い。私はチェルノブイリにいた頃、よく「日本人はとても大らかで寛容だが、熱しやすく醒めやすい民族だ」というようなことを思っていたが、それは、事が起きるとすぐに騒ぐが、暫くするとすぐに忘れてしまうという意味だ。私はこのような症状に対して「悪性反復性健忘症」と診断名を付けていたが、今回の福島の事故については、その健忘症から脱却して欲しいとずっと伝え続けてきた。しかし、結局脱却はできていないようだ。これはもう、「難治性」とつけざるを得ない。

――先日は静岡県の袋井市で講演をなさったそうだが、反応は…。

 菅谷 浜岡原発が近くにあるため、市民の心配は絶えないようだ。講演後の質疑応答では、私に「国政に出てください」と発言した若者がいて、「このような話をする人がいない。そういう人がいなければ国は変わらない」という危機感を強く抱いているようだった。私自身に出馬する気は全くないのだが、実は前回の衆議院選挙の時にも、あちこちから私に出馬の要請があった。市民の動きとしては、「何とかしなくてはいけない」と思っている人がたくさんいるのだが、実際に何とかしてくれそうな人は国会議員の中におらず、結局、東日本大震災から2年たっても政府が何もやっていないため、私のような人間のところに要請が来たと言うわけだ。これはある意味、とても悲しいことだ。

――政府は被害の実態を全く理解していない。現場の人に話を聞かず、現場を知らない学者の机上の空論に則って動いているからという印象が強い…。

 菅谷 私は事故発生当時から、早くヨウ素剤を飲ませるようにと言ってきたが、国は甲状腺被曝線量が国際基準値の50ミリシーベルト以下だから大丈夫といって飲ませなかった。しかし、甲状腺がん患者が3人も出てきている。形だけの知識に頼った机上の空論は信用できないということだ。例えばこれが欧米のような訴訟大国だったら、基準値を測る前にヨウ素剤を飲ませていただろう。その大きな理由は、飲ませなかったためにがんになったと訴えられたくないからだ。「ニコニコ笑えば放射能は来ない」と発言していた福島医大の山下俊一副学長も、今後また発症例が増えれば、どう責任を取るのか。もうひとつ、私は先日、福島に夫を残して母子二人で松本市に避難してきた母親と話をしたが、今の福島では、特に大人の間で原発の話がタブーになっている雰囲気があるそうだ。そういう中で中学生や高校生は友達同士で「もう、私たちは国から棄てられちゃったんだよね」というような会話をしているという。これは本当に大変なことだ。私は「汚染地域に住む」ということに対するメンタル面でのケアも早くすべきだと唱えてきたが、残念ながら、そういった動きも十分ではない。そして、子どもたちは「国から棄てられた」というような意識を持っている。こういった現状を、果たして安倍総理は知っているのだろうか。国民の命を守るという、国家の最も大切な視点が抜け落ちていないか。

――何故、子どもたちは「国に棄てられた」と感じているのか…。

 菅谷 被災地における健康診断の体制はまだまだ不十分で、迅速な検査が受けられない。もっと検診の回数を増やしたりすべきなのだが、これまでの行政対応はあまり良いものとは言えないと聞く。そういった中で、新たに2人に甲状腺がんが見つかった。同地域に住む方々の心配は大変なものに違いない。一方で、地域の長は市町村の存続を優先し、出来れば地域から出て行って欲しくない、一時的に避難しても何とか住民に戻ってきて欲しいと考えている。それは、汚染された地域に住む人、それぞれのことを本当に心配してのことなのか、そういった色々な事情をある程度判断できる中学生や高校生等が「国に棄てられた」という意識を持つのだろう。しかも、そういった話を家庭ではお互いに遠慮して出来ないという。子どもたちにとって、それはストレスだ。ベラルーシでは現在でも汚染地域に住む6~17歳の子どもたちに年2回、18歳以上の大人に年1回の無料健康診断を行っている。そして毎年1カ月は国の費用負担で保養に出かけることが出来る。日本の復興庁も、原子力発電所の処理ばかりに目を向けるのではなく、現地に住む人達の現状をしっかりと理解して、健康面を含めた色々なケアに取り組んでもらいたい。

――今後、さらに甲状腺がんが発症してくる可能性は高い…。

 菅谷 事故後、最初に甲状腺がんが見つかった時、福島医科大学の鈴木真一教授は「チェルノブイリでは4年後に発症したから今回の発症は原発と関係ない」とはっきり言われたが、それは間違っている。チェルノブイリでも事故後1~2年での発症例がある。さらに新たに2人が甲状腺がんと診断された時も鈴木教授は「検査の性能が良くなったため、元々あったものが見つかったのであり、事故とは関係ない」と言っている。しかし、それではこれまで100万人に1人~2人といわれていた、小児甲状腺がんの国際的発症率の通説自体が崩れてきてしまう。福島で検診したのは約4万人で、そのうち既に3人が発見され、かなり疑わしいとされている7人のうち1人でもがんと診断されれば、発症率は1万人に1人だ。100万人に1人だった通説が一気に1万人に1人になることなど、まず有り得ない。今後5~10年後にさらに何らかの影響が出た場合に、国内で大きな問題になることは言うまでもなく、海外からは確実に馬鹿にされるだろう。

――政府が隠蔽に隠蔽を重ね、結局何十年か経って非を認め、最後には莫大な損害賠償問題に発展していった水俣病の問題と似ている…。

 菅谷 事故後、小児甲状腺がんが3人も発症しているということは、大局的に見れば、放射性ヨウ素だけの問題ではなく、セシウムやストロンチウムなどの心配もしなくてはならないということだ。様々な放射性物質は混合してあちこちに飛散している。その影響が出てくるのが10年後、20年後であれば、それはまさに水俣病の問題と同じだ。しかも、放射性物質の場合は目に見えず、匂いもしない。知らないうちに浴びてしまうため、水俣病よりももっと大変だ。今でも汚染地域に住む人達は、毎日のように放射線を浴びている環境にある。甲状腺がんの疑いのある残り7人についても早急に治療をして、その結果によって再度、低・中度汚染地域にいる人達をどうするか、併せて除染の問題をどうするかを考え直していくべきだ。やや大袈裟かもしれないが、それくらいの危機意識を持って対応すべきではないか。

――放射能の高濃度地域の除染作業は実現不可能であり、税金の無駄遣いと思うが…。

 菅谷 特に高度に汚染されている地域での除染は難しい。チェルノブイリでも費用対効果を考えて除染作業をやめてしまった。日本政府は「26年前のチェルノブイリと違って除染方法は進化している」と言って除染を進めているが、果たしてその方法できちんと除染されるかどうかを証明する手立ては何もない。むしろ除染作業をやめて、例えばそこに放射能の研究センターなどを設置するなどしたほうが良いのではないか。すでに福島復興のための研究開発にはかなりの資金が投じられているが、川べり、林、草むらなどを除染するのは結局手作業であり、しかも、作業を行っている人達は少なからず「こんなことをやっても意味がない」と考えている。こういった状況を政府はどのように考えているのか。言葉は悪いが、除染特需のような部分があるのではないのかと思ってしまう。これだけ言ってもやめられないのは、国の体制の問題もある。ベラルーシでは事故後すぐに国家非常事態省を設置して窓口を一本化し、そこに事故対策における多大な権限を持たせたが、日本では復興庁を設置したものの、結局、厚生労働省や経済産業省、環境省などすべてが縦割りになっているため全く前に進まない。前に進まないから福島の人達は政府に不信感を持ってしまう。

――最後に、原子力行政についてのお考えは…。

 菅谷 今、原発は一基しか動いておらず、今年の冬も非常に寒かったが、特に大きな問題など生じていない。昨夏は非常に暑かったが、原発ゼロでもなんとか大丈夫だった。やろうと思えば原発がなくても生活できるということだ。痛みを伴うかもしれないが、本当に国民が原発を続けることに対して心配しているのであれば、とりあえず一回原発なしでやってみて、駄目だったらまたそこから考えればよいというのが私の考えだ。安倍現政権は原発推進の方向に舵を切っているようだが、私は全国各地から原発に対する心配のお電話をいただく。原発そのものに対して大方の日本人がやめた方が良いと考えているのであれば、その意思を尊重すべきだ。日本人の優れた開発能力や高い技術力があれば、代替エネルギーをみつけることはそう難しくないはずだ。除染や原発よりも、むしろそういった技術開発にお金をかけた方がよいのではないか。(了)

――今回の来日の目的は…。

 ディワン インド政府観光省では、日本の皆様にインドに関する意識をもっと高めてもらいたいと考えている。それが今回の来日の目的だ。そこで今回は4つのテーマに絞って話をしたい。一つ目は、「ブッダ」について。二つ目は、「インドが一年を通して観光に適した素晴らしい土地である」ということについて。三つ目は、「インドのゴルフコース」について。そして4つ目は、「インドのメディカルツーリズム」についてだ。インドが医療とコラボレーションした観光に取り組んでいることもしっかりとアピールしていきたい。

――日本人がインド観光と聞いてまずイメージするのは、仏跡巡礼だ…。

 ディワン 日本人がインドに対して持っているイメージは、まず「ブッダ」だと思う。日本人にもなじみの深い仏教を広めたのはブッダであり、インドの仏跡を巡る旅は日本人にも良く知られていると思うが、その奥は深い。例えば、ブッダが菩提樹の下で最初に悟りを開いたブッダガヤ(ビハール州)と、ブッダが悟りを開いた後に初めて法を説いたサルナート(ウッタルプラデシュ州)は、ブッダを象徴する観光地としてすでに大変有名だが、その他にも、ブッダが最後に沐浴し、入滅したといわれるクシナガラや、ブッダの高弟であるシャーリプトラの生地で5世紀から12世紀まで仏教研究の中心地となったナーランダなど、訪れるべき素晴らしい場所はたくさんある。こういったさまざまな地方の聖地を紹介することで、日本人の皆様にもっと仏教世界の魅力を感じてもらいたい。

――インドは暑いというイメージがあるが…。

 ディワン インドを何度も訪れる日本人の方ならば、インドが一年を通して観光に適している国ということはご存知だと思うが、多くの人は、インドは非常に暑い国というイメージを持っている。しかし、インドの北部にはヒマラヤ山脈があり、地球上でもっとも標高の高いエベレスト峰をはじめ、7000メートル級の山々が100以上も存在する。ブータン、中国、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタンと6つの国にまたがり、延長2400キロメートルにもわたるヒマラヤ山脈周辺の温度はマイナス45度まで下がることもあり、ここは人が住む地域のなかでシベリアに次いで世界で2番目に寒い地域と言われている。そういった場所は夏場の避暑地として最適だ。また、チェンナイの東側ベンガル湾に沿って延びるマリーナ・ビーチは、世界で2番目に長い海岸として有名な観光スポットとなっている。

――インドにはハイレベルなゴルフコースもあるそうだが…。

 ディワン インドにおけるゴルフの歴史は古い。カルカッタにはイギリスを除いて世界最古といわれる伝統的なゴルフコース「ロイヤルカルカッタ ゴルフクラブ」があり、また、デリーには都市中心部に「デリーゴルフクラブ」という、世界的な大会も開催されるゴルフコースがある。価格も日本でプレーするよりもかなり安く、日本人の皆様に必ずや喜んでいただけるだろう。もちろん、多くのゴルフクラブが富裕層者向けに営業をしているため、会員の紹介がなければ利用できなかったり、見ず知らずの人が来ることを拒むようなところもあるが、例えば観光で行く場合は、パッケージツアーなどで短期会員になれば利用が可能で、日本とは違ったゴルフコースを思う存分楽しむことが出来る。

――メディカルツーリズムにも力を入れている…。

 ディワン 英国で活躍する医者はインド人が多いのをご存知だろうか?実際に英国のNHS(国民保健サービス)にはたくさんのインド人医師が働いている。それほどインド人の医療技術が高いレベルにあるということだ。インド国内にはハイテクノロジーを駆使した最先端の設備が整い、医療従事者の質は非常に高い。その医療技術をどこよりも安い価格で提供するのがメディカルツーリズムだ。外国で医療を受けることに対しては言葉の不安もあるだろう。そういったことを考慮して、すでに主要な医療施設には通訳者を備えているが、今後、さらに日本とインド間でのビジネス関係が確立されれば、日本語の通訳者も常駐させていくつもりだ。

――インド国内では女性暴行事件が多発しており、治安を心配する声もあるが…。

 ディワン 確かにインドでは毎日のように強姦事件が発生しているが、これはインド特有の問題ではない。むしろ強姦事件のランキングではインドは63位でそれほど高くはない。ただ、昨年12月に起きた事件はとても酷いものであり、我々としても非常に残念な出来事だった。これに対してはきちんとした措置が執られており、政府として二度とこのような事件が起きないように、警察と協力してきちんとした活動の展開に努めている。インド人女性による抗議の声も高まっており、今後こういった事件や行動に対しては、より厳しい処罰がなされるようになるだろう。

――インド政府観光省の今後の取り組みは…。

 ディワン 観光省としては、今後一年間で世界各国の主要な言語に対するヘルプラインを作りたいと考えている。例えば日本人がインドを訪れ、何か困ったことがあっても、指定されたフリーダイヤルに電話をかければ日本語で対応してくれるシステムだ。そこには、インド人の日本語通訳者ではなく、日本人で日本語を話す人を常駐させる。そうすることで、よりスムーズに情報を提供することが出来て、インドを訪れる日本人女性も安心して頼ることが出来る。同時に、今はネット上での情報も重要なので、そのあたりも早急に日本語での対応を整備していきたい。

――日本の政府に要望することは…。

 ディワン 日本政府の皆さんは大変協力的で、色々な対応をしてくださっている。今後、日本からの金銭的な支援は特に必要としていないが、技術的なサポートはこれからも是非お願いしたい。観光面では、JICA(国際協力機構)から、アジャンタ・エローラ遺跡保護やウッタルプラデシュ州仏跡の観光基盤整備事業などで協力していただき、これに関しては本当に感謝している。インドには世界第6位となる26カ所の世界遺産がある。我々はインドを訪れた日本人の皆さんに、インドは素敵な国であり、安全であるということを実感してもらうために、これからも一生懸命PR活動をしていきたい。(了)

――横浜市ではスマートシティの構築が進んでいるが、スマートシティの概念とは…。

 信時 スマートシティとは、都市の中にIT技術が実装され、張り巡らされて、住んでいる人々が楽しみながら、低炭素で便利な生活が出来るような都市だと理解している。 横浜市では、省エネルギーや低炭素といった問題をクリアするための新しいインフラストラクチャーとして、家庭内のエネルギー管理システム(HEMS)、ビル内のエネルギー管理システム(BEMS)、工場内のエネルギー管理システム(FEMS)、そして、それらをまとめた地域内のエネルギー管理システム(CEMS)の実証実験を行っている。例えば、不安定な再生可能エネルギーを蓄電池等と組み合わせて安定的な電源として利用できるようにしたり、エネルギーが余っている方から自動的に足りない方へ流したり、或いは、発電量と比較して電気を使いすぎている場合は自動的に節電するというようなことを、ネット上で行う仕組みだ。そうすることで、都市全体の電力を節約することが出来るようになる。

――市全体でエネルギーを管理することで、エネルギーが効率的に使われる…。

 信時 例えば、太陽光発電や風力発電のような再生可能エネルギーの電力を、効率的に安定的に地域として利用する場合には、蓄電池を利用して電力を平準化させる必要がある。そのためには、スマートグリッドという技術が必要だ。つまり再生可能エネルギーを導入したとしても、その技術がないと、個別のエネルギー供給にしかならない。蓄電池は価格の面から考えてみても、例えば家電量販店で1キロワットの蓄電池を購入すれば100万円程度かかるが、電気自動車なら16キロワットから24キロワットの蓄電池が内蔵されており、値段は約300万円で、普通に蓄電池を買うよりも遥かにコストパフォーマンスがよい。さらに横浜市は低炭素社会の構築に向けた取組に力を入れているため、補助金も付き、今、電気自動車を非常に安く購入することが出来る。24キロワットあれば一般家庭で約2日間分の電力を賄える。万が一、電気の供給がなくなった場合でも、電気自動車に満タンに蓄電されていれば2日間は大丈夫ということだ。みなとみらいの商業施設でBEMSの実証実験を行っているが、そこでは電気自動車10台分の蓄電池からの電力を建物に流して実証実験を実施している。スマートシティが実現すれば、CEMS(地域エネルギー管理システム)により、電気が足りなくなりそうな時には自動的に地域全体の電力使用量を下げるため計画停電をする必要もない。これは家庭にとっても企業にとっても大変喜ばれることだと思う。

――横浜市がスマートシティの取り組みを始めたきっかけは…。

 信時 もともと横浜市は、温暖化対策のために太陽光パネルに補助金をつけるなど色々な取り組みを行っていたのだが、その中でスマートグリッドの技術を実証実験している海外都市の事例を知った。そこで企業にも声を掛けて勉強を進めようとしていたところ、丁度、国がスマートシティ実証実験の地域公募を始めたため、その機を捉えて応募したという訳だ。もちろん低炭素化は必要だが、それだけではコストが掛かるばかりだ。我々がスマートシティ化を進めている理由は、横浜市の都市としての価値を上げるためでもある。実は、日本は世界の中でも地震リスクの高い地域という認識が世界でされている。その中で企業誘致を叫ぶならば、災害時にもビジネスが中断しないようなBCP(事業継続計画)対策を万全にしておく必要がある。東日本大震災の時に六本木ヒルズの建物が停電しなかったのは個別の発電機を備えていたからであり、その結果、震災後は六本木ヒルズが脚光を浴びた。このように、BCP対策はいまや日本の都市には不可欠だ。そういった意味でもスマートグリッドは必須のものだと考えている。

――スマートシティを構築するにあたって、都市のあり方や市民生活が大きく変わってくるのではないか…。

 信時 生活していればエネルギーを全く使わないということはない。電力の利用がなければ何かしらの異常状態にあるということだ。スマートグリッドで各家庭のエネルギー使用状況がわかるようになれば、例えば高齢者の単身世帯の様子をチェックし、万が一の時はすみやかに対応することが出来るようになるだろう。一方でそれは、いつ家に戻ってきて、いつお風呂に入って、いつ就寝したかというプライバシーや個人情報が、高齢者の単身世帯だけでなくどの世帯でも明らかになってしまうという問題があるため、個人情報の取扱や運用方法等にも視野を置かねばならないといけないと思っている。

――実用化されるまでには、あとどのくらいかかるのか…。

 信時 実証実験はあと2年で終わり、その後は実践段階に入っていく。すでに都市部ではBEMSを導入しているビルがどんどん増えており、HEMSを導入している住宅メーカーもある。ただ、その先のCEMSについては、今のところ積極的な事業者がいないことが問題だ。CEMS業者を捜すことが我々の今後の大きな課題といえよう。今後、電力自由化が進むとするならば、地域ごとに節電を競争するというようなことにもなってくるはずだ。そうならなければ再生可能エネルギーも伸びない。日本の空洞化が進む中で、地域としてのきちんとしたエネルギー戦略と、その核となる会社が必要だと考えている。

――現在、エネルギーは有効活用されているのか…。

 信時 現在、特に熱エネルギーは余っている。これをいかに活用するかが都市にとっての大きな課題でもある。例えば京浜工業地帯の製鉄所やその他の工場や、ごみ焼却炉の熱もれっきとしたエネルギーなのだが、これらの熱の大半は利用されずに捨てられている。例えばパリでは、ごみ焼却炉3つの熱を管路にて配送し、ダウンタウンの熱をすべて賄っている。横浜にはゴミ焼却炉が4つ稼働中のため、その気になれば横浜市にとって非常に魅力的な熱源になる熱量はあるはずだ。しかし、その管路の資金を誰がもつのかというところに大きな課題がある。他にも下水熱の有効利用も生態系保持のためには必要だ。東京湾の温度上昇を防ぐ意味からも検討しないといけない。海水温が1度上がると、魚にとっては、人間に例えると体感温度が10度上がったのと同じという話もあり、そこに住む生態系はかなり変化すると言われている。下水の熱を如何に取り出して行くのかという事の検討が急がれる。横浜市では、日産スタジアムの冷暖房の一部には処理した下水の熱を使っている。これは日本最先端の技術であり、まさにこういった技術開発に日本は取り組むべきではないか。

――スマートシティの構築には市民の賛同が欠かせない…。

 信時 スマートグリッドはハイテクノロジーを駆使したものだが、基本は市民だ。太陽光パネル、電気自動車、そしてスマートハウスを作るためのHEMSの導入も、最終的にお金を払うのは市民だ。そのため、市民の方に必要性を説明して納得した上で自分の懐からお金を出してくれる気になるかどうかが最終的な課題になる。スマートグリッドを地域に根付かせ、市場原理に則って継続していける事業にしていくために、国や他の都市との連携やメーカー側との協力も合わせて考えていく必要があると思っている。(了)

――単身世帯が急増しているというが、その実態はどうなっているのか…。

 藤森 総務省『国勢調査』によると、総人口に占める単身世帯(ひとり暮らし)の割合は、1985年は6.5%だったが、2010年は13.1%となり25年間で2倍となった。さらに国立社会保障・人口問題研究所の将来推計では2035年には16.5%と、6人に1人が単身世帯になると予想している。1985年と2005年で年齢階層別に単身世帯の増加状況を比べると、70歳以上の高齢者で単身世帯が大きく増加している。また、50代や60代の中高年男性でも単身世帯の増加が著しい。

――なぜ単身世帯は増加しているのか…。

 藤森 70歳以上で単身世帯が増えたのは、高齢者人口が増えたことと、成人した子どもと老親が同居しなくなったことがあげられる。一方、50代と60代男性で単身世帯が増加する最大の要因は、未婚化の進展だ。例えば、50歳時点で一度も結婚をしたことのない人の割合を「生涯未婚率」と呼ぶが、男性の生涯未婚率は1985年まで1~3%台で推移した後、1990年以降急激に上昇し、2010年には20%となった。つまり、2010年現在、50歳男性の5人に1人が未婚者となっている。しかも2030年になると、男性の生涯未婚率は30%程度まで上昇すると予想されている。90年代以降、私たちの想像以上に結婚や世帯形成の面で大きな変化が進んでおり、その傾向は今後も続くとみられている。

――単身世帯の増加にはどのような問題があるのか…。

 藤森 一人暮らしは、いざというときに支えてくれる家族などの同居人がいない点で、リスクが高い。具体的には、(1)貧困のリスク、(2)要介護になった場合のリスク、(3)社会的に孤立するリスクが、二人以上世帯よりも高い。生涯単身で生きていくことを選択した人は、そのリスクを認識して、現役時代からこうしたリスクに備えることが望ましいと思う。一方、単身世帯は、本人の意思とは関係なく、配偶者と死別したり、子供と別居することなどによっても生じうる。今家族と暮らしていたとしても、将来一人暮らしになる可能性は誰にとってもある。単身世帯が増加する中で、社会としてもその対応をしていく必要があると思う。

――なぜ単身世帯では、貧困のリスクが高まるのか…。

 藤森 病気や失業のため長期間働けなくなっても、親や配偶者といった同居人がいれば、同居人が働くことなどで何とかやりくりできる。しかし、一人暮らしでは支援してくれる同居人がいないので、貧困に陥りやすい。実際、単身世帯の貧困率は、二人以上世帯よりも高くなっている。貧困率とは、全世帯の可処分所得を世帯員数で調整した一人当たり可処分所得(等価可処分所得)中央値の半分以下で生活する人々の割合をいう。2007年の政府統計では年間の等価可処分所得が124万円未満で生活する人の割合だ。例えば、日本全体の貧困率(2007年)は16%なのに対して、単身男性では29%、単身女性では46%と、単身世帯の貧困率は高い水準にある。

――高齢者の単身世帯が増えると、介護の問題が大きくなっていく…。

 藤森 要介護者のいる世帯に「主な介護者は誰ですか」とたずねると、三世代世帯または夫婦のみ世帯では9割以上が「家族」と応える。介護保険ができたとはいえ、家族は依然として大きな役割を果たしている。しかし、一人暮らしの場合、少なくとも同居家族はいない。では、誰が一人暮らしの要介護者の「主たる介護者」となっているかといえば、「事業者」と回答する人が5割、「別居の家族」は5割だった。今後、単身世帯が増えれば、事業者による介護サービス需要が高まっていくだろう。

――介護財政も厳しいので、高齢者を抱える子ども夫婦に税制優遇などを施して、家族の中のセーフティネットを育てることも必要ではないか…。

 藤森 労働力人口が減少していく日本において、親の介護のために働き盛りの子どもが仕事を辞めることが良いのかという問題もある。それぞれが得意な分野でプロフェッショナルとして活躍して、介護もプロに任せた方が、要介護高齢者にとっても、日本の経済にとっても良いのではないか。もちろん、家族としての精神的な支えまで業者に任せましょうと言っている訳ではない。家族には家族の役割はあると思う。また、ライフスタイルが大きく変化する中で、税制優遇などの措置によって、老親との同居を促進できるのかといえば、かなり難しいだろう。しかも今後は、未婚の高齢者が急増していく。例えば、未婚の高齢男性は、2005年現在26万人しかいないが、2030年には168万人と6.5倍になると推計されている。この多くは一人暮らしの可能性がある。未婚の一人暮らし高齢者は、配偶者と死別した単身高齢者と異なり、その多くは子どもがいないことが考えられる。そのため、老後を家族に頼ることが一層難しくなるだろう。こうした将来の状況を考えても、「介護の社会化」は進めていくべきだ。

――単身世帯が抱える「社会的に孤立するリスク」とは…。

 藤森 総務省の『社会生活基本調査』によると、高齢単身者の約8割は「家族と過ごす時間を全く持たない」と回答している。子どもが近所に居住していても、高齢単身者の約7割が家族と過ごしていない。また、高齢単身男性の近隣との関係についても、「心配ごとを相談する相手がいない」「近所付き合いがない」と答えた人の割合が、他の世帯類型と比べて高くなっている。おそらく、健康で働いているうちは一人暮らしでもあまり不自由はないと思われる。問題は会社を辞めた後だ。現役時代は、会社の人間関係があるが、引退を機に、会社での人間関係は乏しくなりがちだ。一方、退職後に地域に目を向けてもすぐに人間関係を構築できるわけではない。その意味では、現役時代からワークライフバランスを重視して、地域の人間関係を作る必要があると思う。特に懸念されるのは、今後、都市部で中高年の単身男性が増えていくことだ。例えば、2030年に東京と大阪に住む50~60歳代の男性の3人に1人が一人暮らしになると予想されている。中高年の単身男性には未婚者が多く、子供がいないことが考えられる。このため、子どもの活動を通じて地域で人間関係を形成することが行いにくい。都市部で一人暮らしをする中高年男性が地域で人間関係を構築することは容易ではなく、今後大きな課題となっていく可能性がある。

――では、単身世帯の増加に対して、どのような対応をすべきか…。 

 藤森 まずは、社会保障制度の強化だ。現行の社会保障制度は、家族の助け合いを前提に構築されてきたため、単身世帯の抱えるリスクに十分な対応ができていない。また、地域コミュニティーのつながりの強化も重要である。退職をした多くの高齢単身者にとって、今後、地域コミュニティーが「社会とつながる場」になりうる。退職後に、まずは「支える側」として地域のNPO活動などに参加して、地域の人々と交流する。そして、いずれ「支える側」から「支えられる側」になっていく。こうした循環を地域で作ることが必要であり、行政にはこれを支援してほしい。結婚をして同居家族がいることが当たり前であった日本社会にとって、単身世帯の急増は確かに衝撃であると思う。しかし、うまく対応できれば、社会を良い方向にもっていく力になりうる。バリアフリーの街が、障がいのない人にも住みやすいように、一人暮らしの人が住みやすい社会は誰にとっても暮らしやすい社会であるはずだ。血縁を超えて、公的にも地域としても支え合っていけるような社会の再構築が求められている。(了)

――日本が中国に対抗するには、中国を取り巻く諸国と友好関係を結ぶことが重要だ…。

 木村 中国は自国民をどんどん国外に出して、そこで労働力を提供し、最終的に移住させている。これはチベットやウイグルで行われてきた漢民族の人海戦術の混合政策と同じ手法だ。覇権国家内での冊封体制をミャンマーやロシアなどでも行なっている。特にミャンマーでは経済制裁が解かれる以前から中国の進出が続いているが、それはミャンマーが欧米から経済制裁を受けてしまったために、国際的な資本を中国に頼らざるを得なくなったという背景がある。しかし、実際に中国がミャンマーで行っていることは、パイプライン建設とはいうものの、土の中に埋まっている金を取り出すなど、とんでもないことばかりだ。こういったこともあり、現在では中国資本企業を追い出そうという流れになってきている。一方、日本国内における対ミャンマー認識は依然としてよくないが、それは日本のマスコミが西洋諸国の受け売り報道しかしていないからであり、竹山道雄も「ビルマの竪琴」で表現しているように、ビルマ人達は本当に親日だ。それは、日本の軍人で陸軍大将だった今村均のお陰でもある。そのミャンマーが、今後日本にとって重要な国になっていくことは間違いないだろう。

――中国の周辺諸国がどれだけ深刻な悩みを抱えているかということを、日本人は理解しなくてはいけない…。

 木村 ベトナムではかつて「越南」と表記されて中国の属国扱いをされていたが、彼らは民族としてのプライドや文化を守るためにベトナム語を作った。チベットも自治区を守るために仏教を保っている。インドはもともと中国と緊張関係にあり、特にインド北部では中国に対する抵抗が強い。日本における尖閣諸島問題については、今回中国は「核心的利益」という言葉を用いてきた。これに対して、我々は危惧し、警戒しなければならない。中国はすべて長期的視点で計画している。例えば20年後、中国が日本の2倍のGDPとなった時に一体どうするのか。その時のために、戦略的思考から中国周辺諸国と手を結び、中国を押し戻していく作業を進めていく。そうすれば、中国国内においてチベットやウイグルで弾圧された人達にも目が届くようになるだろう。そうして、共産党一党独裁に基づいた覇権的利益主義が間違っているという判断を促さなくてはならない。

――中国国内の週刊誌「南方週末」が、当局の圧力によって自分たちの主張を改ざんさせられるという事件があった…。

 木村 これは、中国国内で共産党を批判し、チェックする機能が少しずつ出てきたという証であり、良い兆候だと思う。実は以前、私は南京虐殺問題について南方週末の記者から取材を受けた事がある。実際、彼らはマスメディアとして事実をきちんと追及しており、決して共産党のプロパガンダとして日本の過去をあげつらい、コントロールしようというような考えではなかった。偶然その記者だけがそういう体質だったのかもしれないが、しかし、その様な体質が許容されているのが南方週末という会社だ。そして案の定、共産党に対する徹底的な批判を当局によって封印された。彼らは弾圧されているということだ。「南方週末」のようなマスメディアの出現と、こういった事件が明らかになることで、中国国民の政治に対する意識も高まり、国の実態がわかってくるだろう。

――ロシアも中国との間で悩みを抱えている…。

 木村 率直に言えば、ロシアでも中国人は恐れられている。中には「日米露の同盟を結びたい」と公言するロシアの学者もいるほどだ。ただ、シベリアにおいては寒さから誰も進出したがらないため、結局中国人を受け入れているというだけの話だ。事実、シベリアは寒くて技術が通用しないという声もあるが、そういったことをカバーするために、それぞれの都市間の幹線整備を実施するなど、流通路の確保を築いていくべきだろう。天然ガスや地下資源のポテンシャリティが大きいシベリアに、きちんとした技術を持った日本が進出していけば、恐らく中国人よりも重宝されることになる。私は中国を牽制するという意味では、ロシア、インド、ミャンマー、ベトナム、日本という包囲網を構築することが望ましいと思うが、日本の外務省は米国の要人から中国と適度に良好な関係を保つように釘を刺されているようで、そのために領土問題を棚上げしたり、中国をけん制し過ぎないように控えている。それは致し方ないとしても、例えば中国が尖閣諸島を「核心的利益」と言っていることに対して日本の国家的戦略を考えれば、日本はアジア共通の「平和的利益」を守るために中国隣国との良好な関係を構築することがより重要であるということだ。特にロシアに関しては、プーチン大統領が返り咲いている今、北方領土の問題をある程度まで解決させておくべきだろう。

――北方領土問題の打開策については…。

 木村 北方領土問題では、1956年の日ソ国交回復時の宣言に基づき、1993年の東京宣言、1997年のクラスノヤルスク合意、1998年の川奈会談など色々な歴史を経て、現在は色丹島、歯舞群島の2島返還で引き分け論ということになっているが、色丹島と歯舞群島の2島合計面積と、択捉島、国後島の2島合計面積の比はおよそ1:13で、正確には7%にもならない。面積を均衡に分けるとなれば、色丹島、歯舞群島に国後島を加えて3島とすることで、ようやく択捉1島と匹敵する大きさになる。一方で、外務省は一貫して4島一括の返還請求を主張しているが、対中国戦略から早期決着が求められるこの問題においては、とりあえず面積が均等となる3島の返還を求め、いずれ択捉島も返還してもらうというような流れがベストだと考えている。今後、日本とロシアにおいてはシベリアにおけるガスパイプラインなど、経済活動面において協力をしていかなくてはならない。これは親日のプーチン政権だからこそ出来ることだ。今のうちにロシアとのパイプを大きくして作業を進めていくべきだろう。

――そのようなアイデアで具体的に動いている政治家はいるのか…。

 木村 森喜郎元総理が2月下旬にロシアを訪問する予定だが、彼は面積等分論から「3島返還」に言及していると報道された。今回のロシア訪問でも柔軟な意見を伝えてくるのではないか。とにかく戦後67年たっても全く進展のないこの状況を打破しなくてはならない。北方領土問題において日本が色々な解決案を出し、領土保全を実行していく姿勢を見せれば、竹島や尖閣諸島問題についても波及していき領土に対して本気だということを示すことになる。そうすれば相手国も自ずと慎重になり、イ・ミョンバクのようにいたずらに竹島に行くようなことなど出来なくなるはずだ。今、日本に必要なのは、目的に向かって、具体的にひとつひとつのアイデアを積み上げていく実行力や突破力だ。そのためにも、国際的なネットワークを形成して、現地からの的確な情報を入手しなければならない。だが、最も重要なことは、責任主体を明確にして、政治を動かせる決定力を強化しない限り、何も出来ない。これが戦後の一番の問題だと思う。(了)

――官から民に移って、感じることは…。

 外山 世界が広がった。霞が関から外に出て、色々な方が、それぞれの立場で活躍しておられるということが、実感としてよく分かり、新鮮な感じがしている。

――財務省や内閣法制局で務められたこれまでを振り返って…。

 外山 財務省(旧大蔵省)入省以来、昨年退官するまで37年あまり、財政金融を中心に様々な仕事をしてきたが、常に「全体の奉仕者」として職務に邁進してきたつもりだ。その中で、内閣法制局には通算14年間在籍し、法令の解釈・立案審査という大変重要な意義深い仕事をさせてもらった。特に退官直前の7年間は、毎年、担当の各省庁が提出する多数の法案を審査する仕事だったが、法案の内容の妥当性と表記の正確性を丹念にチェックし、法に対する国民の信頼を確保することに努めてきた。その意味で、非常にやり甲斐のある仕事だった。

――審査した中で一番思い出のある法案は…。

 外山 審査した法案は年平均で約30本と記憶しているので、7年間でざっと200本あまりになる。それぞれに全霊を傾けたつもりであり、率直なところ、どれが一番と言うのは難しい。敢えて言えば、在任中、何度か課徴金の制度に関する法改正を経験し、大変印象に残っている。代表的なのは、平成20年の金融商品取引法改正による課徴金の大幅な拡充だが、その前年にいわゆる会計不祥事への対応の一環として公認会計士法に課徴金の制度が初めて導入されたことも鮮明に記憶に残っている。課徴金については、二重処罰の禁止という憲法規定との関係やこの点に関する最高裁判例を踏まえ、行政処分としての趣旨・目的の範囲内で、算定方法などの点で、適切な制度設計となるよう、十分に意を用いて審査を行ってきた。

――法制局時代に培った遵法精神について、今、思うことは…。

 外山 個人、法人を問わず、社会を構成している全ての者にとって遵法精神が必要不可欠なものであることは言うまでもない。例えば、会社のコンプライアンスは会社が社会的責任を果たしていくための最低限の条件だと思う。さらに言えば、国家が立法によって政策を遂行することと個々の企業がCSRを推進することは、ともに社会全体の利益の実現を目指し公共の福祉の向上を図るという点で、ベクトルが共通するのではないかと感じている。いずれにせよ、遵法精神の根底には「基本的人権の尊重」という価値観を踏まえた「公共の福祉」への配慮があるべきだ。政策遂行や企業経営に携わっておられる方々には是非こうした意味で遵法精神を遺憾なく発揮していただくことを期待しているし、そのような方向で努力されれば国民や顧客からの信頼と支持が得られるのではないかと考えている。

――安倍政権では、規制を緩和することで経済活動を活発化させる方針のようだが…。

 外山 今後の経済政策の重要課題は有効な需要や雇用の創出であり、そのために規制緩和は有力な手段となるのではないか。例えば、医療・介護や農業などの分野には、まとまった需要が潜在すると思われるので、規制緩和をして民の活力を導入し、供給力と雇用を増大していく余地があるのではないか。そのためには既得権益を持っている者との調整も必要となるかも知れないが、社会全体の利益を実現する方向で、何らかの改革が実施されることを純粋に一個人の立場から願っている。

――法律がありすぎるような気がするが、もっと簡素化すべきではないか…。

 外山 我が国には約1800本の法律があると記憶しているが、基本的には権利の調整、社会正義の維持等、何らかの重要な公益を実現するために必要なものとして存在しているはずであり、一概に多過ぎるとはいえないと思う。ただ、規定の対象が事実上消滅するなどの理由によって実効性が喪失したというような法律があれば整理されてしかるべきだとは思う。問題は本数というよりも中味であって、例えば、何らかの行為に対して新たに規制を課すことを内容とする立法がなされる際には法の施行後適当な時期に当該規制を存続する必要があるかどうかを見直すべきであるし、現に規制立法にはそうした趣旨の見直し条項を設けることが慣例となっている。これは、表現の自由や営業の自由が保障され、その制限は公共の福祉のためにやむを得ない場合に限って許されるという憲法の原則に由来するものであり、重要なルールだと思う。

――法案を審査する際に特に気をつけてきたことは…。

 外山 法案の審査は、内容と形式の両面にわたってあらゆる角度から細心の注意を払って行われるものであり、留意点は多岐の事項に及ぶが、審査の観点を簡潔に表すとすれば、内容の妥当性と表記の正確性だ。前者について最も重要なのは、いうまでもなく憲法適合性の確保であり、例えば規制を新設する際にはその必要性や合理性を十分に吟味し、目的に照らして過剰な規制になっていないかどうかといった点を入念にチェックした。また、規制の対象範囲や解除の要件といった法規範の根幹をなす事項について、政省令などの下位の法令に委任することは立法権の侵害になるので立案段階で厳に慎むよう担当省庁への指導を徹底した。また、法令の表記について最も重要なことは立案の意図を正確に表現するということだが、法令が適用される全ての者にとって分かりやすく表現されているということも大切であり、この点において、あくまで正確性を損なわない範囲ではあるが条文の平易化に向けて努力したつもりだ。

――米国には、法律を策定した人の名前を明らかにして、その責任をとらせるようなシステムもあるが…。

 外山 米国と日本では事情が違うのではないか。我が国の場合には、様々な利害の調整や議論の集約を経て内容が固まり立案作業が開始されるのが通例であり、米国のように一握りの関係者のみが立法に関与するといった仕組みにはなっていないので、米国方式はなじまないのではないか。

――法制局に民間の弁護士が出入りするような試みは…。

 外山 法制局での審査には、どうしても対象法案に関する相当な土地勘が必要であり、相応の行政経験を持っている参事官が審査を担当するという現在の方式が最も理に叶っているので、そのような試みは必要ないと思う。また、各参事官は技術面で研鑽を積むと同時に、自己の役割を十分認識して公正中立な立場から国民目線で厳しく審査するという伝統も定着しており、こういった現状をみても今の仕組みを変える必要はないと考えている。(了)

――ミャンマーがここ半年~1年で急速に変化してきている…。

 田島 ミャンマーは今、本当に素晴らしい発展を遂げている。軍事政権からいきなり民主化という形になったが、押し付けられてそうなった訳ではない。イニシアチブを取る現政権は、「自分たちが民主化を望み、計画して、それが予定通り進んできた。だから後戻りは有り得ないし、前進あるのみだ」と宣言している。そして、その言葉どおり彼らは熱心に仕事をしており、だからこそ進むスピードも速い。

――民主化までの道のりは…。

 田島 もともとミャンマーは英国から独立した時から民主主義だったが、独立後に民族間での争いが起こったために、軍事政権で国を治めようという流れになった。ミャンマーには135もの少数民族が存在し、その中で主となる民族は8つだ。一番大きな民族はミャンマー国民の約7割を占めるビルマ族で、残りの7つの民族もそれぞれ武装組織を持っている。そして、その8つの民族は英国から独立する際に各々独自の国をもちたがった。それを、アウンサン将軍が1947年2月のパンロン会議でひとつにまとめあげ、ビルマ全域を連邦制国家として英国から独立させたという経緯がある。しかし1947年憲法には「独立後10年経ったら、もう一度少数民族の独立について再検討する」という条項が入っており、そのため、10年間の議会制民主主義政治を経て、再びそれぞれの民族が独立を求める動きが出てきてしまったという訳だ。

――民族独立運動を押さえることが出来なかったために、軍事政権が始まった…。

 田島 当時の首相だったウーヌーはネーウィン国防大臣にその収拾を任せたが、それがなかなか上手くいかなかったため、ネーウィンは1962年にクーデターを起こして独裁政権を敷いた。それが長い間続いたのだが、結局、一国社会主義・閉鎖主義で国内経済が疲弊していく中で、今度は民主化勢力による反対運動が起こり、1988年のクーデターで新しい軍事政権が生まれた。優秀な軍人である彼らはエリートでプライドも非常に高く、国の統一を求めていた。常に念頭には、少数民族との戦いを押さえて、安定した国を作りたいと考えていた。そして何よりも、安定した民主主義のミャンマーに戻ることを心から願っていた訳だ。

――そして2003年に民主化へのロードマップが発表された…。

 田島 「民主化のためのロードマップ」は7段階となっており、その終着駅が2011年3月に実現された。アウンサンスーチー女史もその際に釈放された。彼女が解放された当時は、軍事政権に対する不信感で再びデモなどが起こることも心配されたが、そのようなこともなく、アウンサンスーチー女史は公の席で初めてテイン・セイン大統領への信頼を語った。それを機に政府は政治犯の釈放に踏み切り、欧米からの経済制裁も解かれた。そして、欧米や韓国、とりわけ日本では本格的なミャンマーへの援助を開始したという訳だ。

――ミャンマーに対する日本政府の支援活動について…。

 田島 点数をつけるならば100点以上で、日本政府はよくやっていると思う。通常であれば日本の省庁間の調整や政治家の思惑で時間がかかりそうな問題も、ミャンマーに関しては、全く意見対立なく皆が一丸となって助けようとする体制があり、スピード感もある。過去一年は特にそうだ。ただ、これからの支援については難しい部分もあるかもしれない。今後のミャンマーには基礎インフラの導入や、教育など人材育成といった部分での支援が必要だ。特に人材を育てるという部分においては、長年の独裁体制の中で一般の国民は権力者の言うことに素直に従っているだけの状態が半世紀近く続いてきた。民主主義社会になったからといっても、しっかり自分自身の意見を持ち、判断して、積極的に発言し、動くようになるまでには暫く時間がかかるだろう。また、お互いの意見の違いを認め合いつつ調整をするというようなことも教えていかなくてはいけない。

――人材育成については、日本から現地に赴き、教育するようなことも必要ではないか…。

 田島 ミャンマー人は誇りが高く、押し付けを嫌う民族だ。「Aをやれ」といわれると、わざとBをやるというようなところがある。そのため、何かを教えようとする際には、押し付けるのではなく、友情を持っておだやかに見本を示してあげるということが重要だと思う。そういった関係をじっくりと築き上げていくために、ミャンマー国内で日本語を広めていくような活動も必要ではないかと考えている。日本人が失ったような、遠慮深さや、つつましやかさ、しとやかさや穏やかさをもっているのがミャンマー人だ。現代社会の中で随分とドライになってきた日本人が、「SLOW BUT STEADY」という意識をもって、今後ミャンマーの人達との関係を大事に築いていってほしい。

――2015年、ASEANの貿易経済が一つになるが、そういったこともミャンマーが急発展を遂げている理由のひとつにあるのか…。

 田島 そうだと思う。ミャンマー大統領の任期は一期5年で、テイン・セイン政権の今任期は2015年までだ。彼は少し健康面での心配もあるようで、一期中にミャンマーがASEAN経済共同体に加入出来るような経済的成果をあげ、現政権に対する国民の信頼を得たいと考えている。懸念される国内紛争については、現在はミャンマー北部に住むカチン族と国軍の紛争以外は臨時停戦協定が成立している。カチン族との紛争についても、彼らの権利を認め、生活水準などが上がってくれば治まる問題だと言われている。しかし、南西部のバングラデシュとの国境付近ではイスラム教徒による新たな紛争もあり、この解決については宗教的な問題もあってなかなか難しいようだ。

――日本政府はティラワ経済特別区に工業団地を作りミャンマーの開発に全面協力しているが、日本企業のミャンマー進出については…。

 田島 ヤンゴン郊外にあるティラワ経済特別地区は日本に特別に与えられた非常に広大な土地であり、それをきちんと形にしていく責務がある。ただ、人材不足やインフラ不足という問題でなかなか進んでいないようだ。ティラワ港には2万トン足らずの船がインドやバングラデシュ、中国、ロシアなどから来ているというが、是非そこに日本の船も来るようになってほしいと現地の人々は言っている。まずは鉄道や道路、電気、水などインフラを導入することから始めていくのだろう。日本企業の多くはトップダウンで決定するようなことがないため、スピードという面では他の外国の動きにどうしても劣ってしまい、その辺りをもっと改善しなければ、中国だけでなく、欧米や韓国、さらにはタイなどにもどんどん追い越されてしまうという懸念がある。しかし、助走段階で目に見える成果がすこしずつだとしても、日本とミャンマー間の信頼関係を大切にしながら、しっかりとした協力体制を築き、最後には立派な結果を実らせてほしいと願っている。(了)

――昨年末の選挙では、みんなの党が大躍進した…。

 渡辺 昨年末の選挙で投票率が低下したのは、民主党への失望に加えて、「誰と組むか」が横行する政治に国民が嫌気をさした結果だと思う。そんな中で我々は「誰と組むか」ではなく、政治理念と基本政策が大事だと言い続けてきた。「何をやるか」が政党の命であり、魂だ。それによって組む相手を考える。目指すところが違っていれば一緒になれないのは当然だ。維新の会との連携も昨年7月頃には無理だと思った。原発問題でも我々は一貫して電力自由化・原発ゼロという自民党とは真逆の政策を掲げている。そして、そのためには送発電の分離を徹底する必要があり、小売の新規参入も可能にすべきだと考えている。東京電力は破たん処理して送配電網を売却すれば5兆円程度にはなるとも言われている。それを損害賠償の原資にすればよいのではないか。電力自由化が上手く進めば、現在3%程度に過ぎない特定規模電気事業者(PPS)も一気に増えるはずだ。原発を続行するということは、1941年に完成した9電力による供給システムを温存するということに他ならない。

――自民党の原発政策は知恵がない…。

 渡辺 私の地元は山の傾斜が急で農業用水の流れが速いため、これを利用して発電機を回している。ただ、計画停電になると止められてしまうというとんでもない電力システムによって、結局、社会主義、中央司令塔で電力が供給されている。小水力発電をきちんと活用できる分散型電力供給にするためには、スマートグリッド、スマートメーターといったものを活用して賢い送電線を作る必要がある。このような考えを、安定供給の邪魔になるとしてやらせてこなかったのがこれまでの日本だが、すでにスマートグリッドに関する素晴らしい日本の技術は海外で活躍している。実際にスマートグリッド体制を導入すると、家庭や工場で1日毎の電力の契約が可能になる。例えば電力需要が一番大きい夏の甲子園の時に、会社を臨時休業にして余った電力を高く売り戻す。市場メカニズムが通用すればこのようなことが可能になる。そして原発優遇政策をやめれば、原発による電気料金がいかに高い買い物なのかが一目瞭然になるだろう。そういう形で2020年代には原発ゼロになり、経済が成長し、新産業も創出される。原発ゼロと経済成長は両立させることが出来る、これがみんなの党の政策だ。

――安倍政権の財政金融一体政策については…。

 渡辺 安倍政権の財政金融一体政策はもともと我々が唱えていたことであり、その範囲では自民党と協力していくことも可能だ。財政政策だけでは円高になる可能性もあるため、財政政策を飲み込んで余りある金融緩和をやらなくてはいけない。ただ、この内閣は安倍麻生内閣であり、人事も麻生さんの意向が反映されている部分がある。そして、財務省にとって麻生さんは、財務省主計局の権限を尊重してくれる格好の人物と見られており、増税させるためにたくさんお金を配るように仕向けられている。それが少々心配だ。最悪なのは口先だけのインフレターゲットを掲げ、財務次官OBが日銀総裁に天下り、日銀法改正が行われないことだ。また、どこの国の中央銀行も金融政策で雇用の最大化を図っているのに、日本にはそういう感覚が全くなく、厚生労働省が集めた雇用保険料を補助金や小手先の雇用対策のためにばら撒いているシステムも変える必要がある。私は常々、中央銀行総裁にはマクロ経済の博士号Ph.D(Doctor of Philosophy)と英語能力、そしてマネジメント能力が必要だと言っている。そういう人材が日銀総裁として自民党側から提案されなければ、我々が安倍総裁に人材を推薦することも考えている。

――中国との関係について、みんなの党の考えは…。

 渡辺 尖閣諸島については、「現状維持で、変更は認めない」という強いメッセージを出すことだ。それは同時に自己抑制も必要とするが、これが戦略的リアリズムだ。民主党は「東京都が尖閣諸島を購入するよりも国が購入した方が安定的に管理できると」思い込んでしまったようだが、中国側はそれを「日本は尖閣諸島を国有化する」というメッセージとして捉えた。それは現状変更であり、これこそ今日の騒動の発端だ。民主党の外交ではことごとく失敗を重ねてきたが、それは裏ルートを上手く使えないからだ。相手国の指導者と腹を割って話が出来るような特使や密使を送り込めない、或いはそういう裏ルートをもった政治家がいたとしても活用出来ないというところに最大の問題があったのではないか。

――自民党政権で復活した公共事業に関して、みんなの党の考えは…。

 渡辺 今の震災復興予算をみると、すべてを霞が関が決定して補助金交付金と一緒に一斉発注している。これでは無駄なものや足りないものがあとからあとから出てきて、人材・資材不足に陥るのは目に見えている。本来、公共事業というものは、権限・財源・人間を地方に委譲して、地方に優先順位を決めて進めるほうが遥かに効率的なのに、自民党は国土強靭化計画と称して相変わらず縄張り意識が強い。公共事業の内容としても、例えば、老朽化したトンネルの補修や耐震化、配電線の地中化や農業用水のふた掛けなど、今は土地を使わずに地域の人々の安心につながるようなものに注力することのほうが重要なはずだが、霞が関にそういったことはわからないし、自民党にもそういう発想はない。成長に継続性がない理由も、補助金などを霞が関が決定して全国一律にばら撒いているからだ。どのような投資がその地域のためになるのかという発想は、実際にそこに住む人達にしかわからない。そういう発想がない人達がお金だけを配っても、そこに成長の継続性はない。

――では、成長戦略として国が考えるべきことは…。

 渡辺 国の仕事はマクロ政策と規制緩和だけでよい。すでにガチガチに固められた規制を緩和することだ。そして、どういう産業を育てるかについては地方が決めればよい。これまで自民党が成長産業と着目して保護してきた農業・医療・電力エネルギー業界が成長産業になっていないのは、既得権益でがんじがらめになってしまったからだ。農業の世界には農協という日本最大の拒否権行使集団、圧力団体があり、医療の世界には日本医師会、電力の世界には強烈な既得権益を持つ9電力体制がある。特に農業については産業政策ではなく農協のための社会政策のようなものになっており、儲からない農家がたくさんあるほど農協は儲かる仕組みになっている。私は地元の那須野ヶ原土地改良区連合の理事長を務めており、自分自身でお米も作っているため、農業については最前線を知っている。結局、農業・医療・電力エネルギー業界は既得権益によって戦う覚悟をなくしてしまい、補助金漬けと規制によって伸びるべき新産業が成長できずに埋もれてしまっているということだ。(了)

――民主党代表となられて…。 

海江田 昨年末の選挙では、国民の皆様の民主党に対する怒りを肌で感じた。まずは昨年末の選挙で民主党が大敗した理由をきちんと分析することが、今の民主党には一番大事なことだと思う。また、選挙結果だけに限らず、与党民主党としての3年3カ月間にそれぞれの局面で行ってきたひとつひとつの判断が、果たして全体として適切だったのか、きちんと振り返り評価する必要がある。党首就任当初、私は1月の通常国会が始まる前に党大会を開き総括を出そうと考えていたが、それは時期尚早だと考え直し、3月に党大会を開くことを決めた。その時に、この3年3カ月間の総括を述べたい。

――民主党の大きな軸は「社会的公正を目指す」ことと、「日本を改革する」ことではないか…。

海江田 「社会的公正」については、子ども手当てや高校授業料の無償化など、いくつかのことを成し遂げることが出来たと思う。一方で、与党として行政の指揮を執っていく中で、官僚の厚い壁もあって、「日本を改革する」という、改革政党としてのイメージはあまりなくなってしまった。この部分について、もう一度野党に戻った今、何を改革すべきなのかしっかりと考えていきたい。公正性だけを唱えるのではなく、同時にもっと既得権益に切り込み、規制緩和に注力していくのが本来の民主党だ。

――与党になると、官僚と一緒に作業をする過程で国民の声が聞こえなくなってしまうということか…。

海江田 そうかもしれない。我々は「政治主導」という言葉を盛んに使っていたが、その言葉にはそれぞれの受け取り方があり、個別具体的な問題の中で言葉だけが空回りして、結局、実を挙げられなかった。私は経済産業大臣にも就任し、多くの重大事に直面した時にはっきりと感じたのだが、例えば、特別会計に切り込もうとしても、実際に話を聞いてみると実現不可能なことが多かった。可能性があっても原発対応に追われて実現させるまでの時間的余裕がなかったというのが事実だ。また、大臣を沢山作りすぎたことも反省すべき点だと言えよう。政権与党になれば、4年間は内閣を変えずに腰を据えて取り組むべきだったのに、総理は度々代わり、内閣改造はそれ以上に頻繁に行われた。それは4年間がっちり固めていくという気構えがなかったということであり、大いに反省すべきことだ。

――日本のトップに立つ人間はマクロ経済の知識が必要だ…。

海江田 米国発のリーマンショック、欧州の経済危機など世界情勢が常に変化している中で、日本は今回の金融緩和で世界に随分と遅れを取ってしまった。これは与党民主党としての反省材料の一つでもあるが、だからこそ私は、この問題の今後にしっかりと注意を払っていきたい。そういう意味では、安倍首相が舵を切り、金融政策面で日銀との協力体制を強化していくことはとても良いことだと思う。もちろん金融政策だけでデフレが解決するということはなく、そういう変化に対していたずらに円安方向にもっていっても良い効果ばかりをもたらすとは限らない。原子力発電所事故があったことで、日本には、これまで以上に大量の天然ガスや石油エネルギーの輸入が必要になっているため、いたずらな円高はむしろ問題になる。その半面、中国を始めとして新興国のエンジンがおかしくなり始めたこともあり、日本製品を世界のどの市場で拡大させていくかもしっかりと考えておく必要がある。このように、世界経済が立ち直っていくスピードと状況をしっかりと見据えた適切な判断が政府や政界トップには求められている。

――尖閣諸島問題を抱える中国との関係について…。

海江田 小泉政権時代に中国経済が発展段階にある時、日中関係は「政冷経熱」と言われていたが、現在では「政冷経冷」になってしまっている。これでは駄目だ。お互いに譲れないものがあっても、せめて「経温」くらいにはならないと。中国自身、周辺国がどんどん中国から離れており舵取りは非常に難しい。そこで日本としては、インド、オーストラリア、ニュージーランドを含めたASEANプラス6を上手く機能させていく必要がある。中国は昔から一対一の外交は得意だが、多くの国とマルチな関係を築くのは苦手としている。その中国を敢えてマルチな関係に巻き込んでいくことが日本の外交上で重要ではないか。

――野党の役割で大切なことは…。

海江田 副作用や落とし穴を的確に指摘していくことだ。金融緩和にしても、例えば米国では金融機関を救うために金融緩和を行ったが、今の日本で金融機関を救う必要性はない。むしろ緩和したお金をどのように実体経済に流していくのか、その仕組みがきちんと整っていなければ日本で金融緩和をしても意味が無い。そういった部分をしっかりと指摘していきたい。失われた10年、20年といわれ続け、富は減り、借金は積みあがり、国民所得も減っている日本経済を立て直すための最後のチャンスだ。もはや実験としてチャレンジして、そして失敗するようなことは許されない。そういう意味でも、落とし穴に対してきちんと注意を喚起しておくことが重要だと考えている。

――米国と日本の関係について…。

海江田 この3年3カ月で米国との関係が損なわれたとは思っていないが、総理大臣が頻繁に変わっていては、信頼以前の問題として信用されなくなるのは当然だろう。まずは信用を取り戻すことだ。また、「中国との尖閣問題が悪化しているのは日米関係が希薄になったからだ」という意見があり、中国親日派の中には「尖閣諸島問題は米国が仕掛けた罠であり、そうすることによって中国資本と日本資本を米国に呼び込もうとしている」という説があることも聞いたが、彼らの意図するところは「だからこそ中国と日本が協力することが重要だ」ということだ。また、民主党の基本的な精神は、どこの国とも争いのないことが一番ということであり、1996年に作った民主党綱領の中にもはっきりと「友愛精神に基づいた世界の平和外交」と記して、新たな日米関係、日中関係の構築を目指している。

――今回の選挙で離党議員も多く出たようだが、今後の党内融和策についての考えは…。

海江田 中道リベラル、民主リベラルなど、民主党を表す言葉は色々あり、確かに民主党内には色々な考えの人達がいる。しかし、そういう言葉で分け隔てを作るのではなく、「社会的公正を目指す」、「日本を改革する」という民主党の2つの大きな柱を軸に、今後も改革を進める党であるというところに寄って立ち、もう一度皆で再結集したいと考えている。よく「解党的出直し」と言うが、もう解党は済んでいる。3月までに基本綱領をまとめて、離党した議員との融和を含め、党を再結成させていきたい。(了)

――積年のインフレターゲット導入がようやく実現されつつある…。

 山本 日本で最初にインフレターゲットを唱え始めたのは伊藤隆俊さんだと思うが、私も95年頃に伊藤さんからインフレターゲットという言葉を聞いて以来、これは絶対に導入すべきだと思い、国会では毎回のように日銀への追求を重ねてきた。最初は孤軍奮闘で、唯一賛同してくれていたのは、当時は自民党で今はみんなの党の党首である、渡辺喜美さんくらいだった。金融庁の中にも一人や二人はこの考えを面白いと思ってくれる人がいて、細々と日銀法改正を目指して活動していた。かれこれ15年になる。それが、一昨年の東日本大震災の後に、私が日銀の国債引受けで20兆円規模の財源を作り出し、それを復興財源にあてるような提案をしたことがきっかけとなり、増税することなく、迅速に、さらにデフレ対策にもなる「日銀の国債引受」という財源確保の考え方があるということが、ようやく議員の間にも広まってきた。

――一時は官邸でも日銀の国債引受を検討したこともあったようだが…。

 山本 当時の財務大臣は野田佳彦前総理だったが、彼は日銀に国債を引き受けさせるなど乱暴すぎると言うような発言をして承認しなかった。私はその後行われた財務金融委員会で野田さんを追及したのだが、彼は特別会計で毎年行われている日銀の国債引受の存在すら知らなかったようだ。一方で、安倍総理は06~07年に総理大臣を経験し、金融政策の重要性をよくご存知だ。総理の資質として、教育や防衛だけでなく経済の知識が大切だという問題意識を持ち、私とともに1年半前くらいからインフレターゲットの勉強会を重ね、彼の中にあった色々な疑問が解消されるにつれて、これは日銀を変えなければいけないと考え始めたようだ。

――米FRBがインフレターゲットの導入に踏み切る姿勢に変えたことも、追い風になっている…。

 山本 FRBのバーナンキ議長はインフレターゲット論の第一人者だ。緊急時には金融緩和でお金を出さなくては駄目だという考えが基本にあり、日銀の失敗も批判している。FRBのそういう姿勢に対して日銀がお金を出さなければ円が高くなるのは当然だろう。それなのに、日銀は、デフレでも何でも構わず、金融システムさえ安定していれば良いと考え、自分たちの権限を守ることだけに必死になっている。マクロ経済のことなど全く気にしていないという極めておかしな状況が長く続いてきた。

――バブル時の国の借金は300兆円で税収が60兆円。それが今では借金1000兆円で税収は40兆円。企業の経営者であればとっくに辞めさせられている…。

 山本 日銀の問題点は責任を取るシステムがないことだ。例えばインフレターゲットにしても、期限を決めずに「中長期の目標」という言い方をしていては何の意味もなく、責任感もまったくない。このため、期限は最大1年半と決めることが政策の実現性にとっては重要だ。また、それにはグロスの数字だけでなく、ネットでバランスシートがどれだけ増えるのかをきちんと証明させることも必要だ。期限を決め、責任の所在を明らかにすることによって初めて政策に透明性が出てくる。さらに、例えば党の総裁が代わったり、日銀総裁が代わったりした場合にこういった決め事が再びあやふやになるような事態を避けるために、きちんと日銀法を改正して、法律上のシステムとして作り上げることが大切だ。

――自民党はインフレ目標値の公約を2%としたが、この数字の妥当性については…。

 山本 インフレ目標値は、理論的には雇用の最大化と矛盾しない数字が最適とされている。ここで、過去の消費者物価と失業率のトレードオフ関係を示す日本のフィリップス曲線を見ると、日本ではインフレ率が2.5%を下回ると失業率が急激に上がっており、この理論では2.5%以上のインフレ率が必要ということになる。個人的にはデフレが長く続いたため当面3~4%でも良いと思うが、諸外国は大体2%程度を目指しており、それに合わせれば最低2%ということになろう。学習院大学教授で経済学者の岩田規久男さんが作ったシュミレーションによると、リーマンショック以降ではインフレ率が2%になれば株価は11300円、為替は1ドル98円になるという。そうなると日本経済は随分楽になる。日銀はよく、バブル時のインフレ率は平均1.3%だったというデータを持ち出して議論を始めるが、1%という数字は有り得ない。バブル最後の89~91年のインフレ率は2~3%あったはずだ。この3年間を無視して平均数字を出して低めに見せるところはいかにも日銀らしい誤魔化し方だ。このため、インフレターゲットに上限と下限を決めるとすれば、2~4%程度が一番良いのではないか。

――失業率に関しても、日銀の目標数値として盛り込むべきではないか…。

 山本 日銀はこれまで実体経済のことには何も配慮してこなかったが、フィリップス曲線を見れば物価上昇率と雇用が直接的に関係していることは明らかだ。FRBのように、物価の安定と雇用の最大化という二つを日銀が手がけることは現実問題として直ぐにはなかなか難しいが、雇用に配慮することは必要だろう。このため、日銀法改正をする段階で、日銀の金融政策の目的の中に、雇用に関する一言を加えて「物価の安定を図ることを通じて(雇用を含む)国民経済の健全な発展に資すること」という文言にすれば、自ら雇用についても配慮するようになるだろう。

――日銀の中にもインフレターゲット論者はいる。そういった人達と連携して変えていかなければ…。

 山本 ただ、日銀の中で若い時はそう考えていても、段々と宗旨替えせざるをえなくなるというのが現実だ。白川総裁自身、もともとはマネタリーアプローチを唱えており、為替もお金の量で決まると言っていたのに、今では180度変わってしまった。上司と同じ考えにしなければ外部に出されてしまうというおかしな組織が日銀というところだ。

――日銀の一番の問題点は、昔の理論で頭が凝り固まり、現場を見ていないことだ…。

 山本 政治家である我々は、様々なところから色々な相談を受け、個人の家も一軒一軒訪ねて歩くことで、実際に何に困っているのかを痛切に感じることが出来るが、日銀の幹部役員などは、何ひとつ不自由のないところに住み、良い給料をもらって、年金もしっかりして心配事などない。また、相手にしているのは資本金2000万円以上の企業ばかりで、デフレになっても誰も困らない。むしろデフレ下で現金の価値が増え、得をしているかもしれない。そういった環境にいるのが日銀の人達だ。そういう現実を考えると、もっと日銀の中に、きちんと現場を知っていて、日銀の組織を壊すことが出来る人間を増やしていかなくてはならない。例えば日銀総裁・副総裁にはプロパーを入れないというようなことも必要であろうし、インフレターゲッティングを確実なものとするように日銀審議委員にも同じ考えを持った人を送り込む必要がある。

――2%の物価上昇が公約倒れになったら、自民党が民主党の二の舞になる恐れがある…。

 山本 そうならないように、日銀法改正を始め、様々なことをしていかなければならないと考えている。例えば、市場から批判されている、無記名、無責任な物価見通しや、「ある審義委員」という表現が使われている議事録の審議委員名を開示するなどの工夫も必要だろう。頭脳明晰かつ自分の島しか守らず、責任逃れの上手な日銀を相手にして金融政策を大きく変えていくには、それなりの戦略や工夫が不可欠だと考えている。(了)

▲TOP