日本画家
宮下真理子 氏

――画家を目指したきっかけは…。
宮下 中学校の頃、授業で描いた絵を見た美術の先生から「宮下さんは絵に向いている」と言われたのがきっかけだったと思う。技術的なものではなく、気質が向いていると言われたのだが、そこに両親が何かを感じたようだ。普通のサラリーマン家庭で育ち、それまで絵の教室に通ったりしたこともなかった私に絵の才能を見出してくれた先生は、「将来絵書きになるのであれば、色々なものを見て、様々な経験をして、沢山の感情を身につけるべきだ。長く続けていくため、探求心の炎を燃やし続けるためには、早熟になってはいけない」と助言してくださり、高校も芸術系の専科があるところは勧めなかった。結局、東京藝術大学に入学するのには高校卒業から3年掛かったが、それまでの間に本当に色々な経験をした。途中、絵を描くことに疲れて、半年間全く違うアルバイトに没頭するという期間もあったが、それも大変貴重な体験だったと思う。
――作品で特徴的なのは「ミヤマリブルー」と呼ばれる青…。
宮下 日本画の代表的な天然岩絵具に藍銅鉱(アズライト)を原料とする群青があるが、私はそういった青色にとても惹かれている。日本画は自然界にある色を使って、その色を組み合わせながら描いていくため、岩絵具の材質や特徴を良く知らなければ絵に活かすことができないし、既にある色をどのように組み合わせて自分の求めるものに近付けていくかが勝負になる。なかでも群青は日本画を象徴する、1300年前から使われてきた伝統的な色だ。最近では私のすべての作品のどこかしらに青色を使用するようにしている。物心ついた頃から青色が好きだった。特に空の青色は気象条件や時間や場所によって変わる。その色を如何に自分の作品の中に表現できるのかをずっと考えている。
――最近のモチーフは「馬」…。
宮下 私の絵は、一つ一つ構図を決め、下図を描き、写すという昔ながらの手法なので、1枚を仕上げるのに非常に時間が掛かる。1年に30数枚程度のペースだ。作品のモチーフは、コロナ禍になる前までは海外の風景が多かったのだが、コロナ禍で海外に行けなくなったことで、新たな題材を求めて近くの上野動物園に行き、動物を描き始めた。鶏、フラミンゴ、孔雀と小さめの動物から始めて、次の題材として思い付いたのが馬だった。とはいえ、動物園にいる馬にはあまり魅力を感じなかったので、競走馬の「サラブレッド」を見に行った。実は私はそれまで競馬などやったことがなかったのだが、色々な御縁をいただき、なんと競馬場のパドックで歩いている馬を描かせてもらえるようになった。そればかりか、今ではJRAの運営審議会委員まで務めさせていただき、馬についての知識もかなり増えた。「サラブレッド」と名乗れるのは、「サラブレッド」としてブリードされた血統種の馬だけだということも初めて知った。馬の形を描きたいという思いから入り、「サラブレッド」と呼ばれる背景や歴史を知り、実際に「サラブレッド」が走る姿を見て、その美しさに感動し、さらに奥深いところの魅力を表現していきたいという想いで、今も馬を描き続けている。
――6月25日から日本橋三越で個展が開催される。今回の個展の「雲外蒼天(うんがいそうてん)」というテーマに込めた想いとは…。
宮下 私は好きな青色の「青空」を求めてフランスをよく訪れていたのだが、実はこの1年、取材先のフランスでは天候や体調に恵まれず、アクシデントが非常に多かった。「なぜ、こんなにうまくいかないのだろう?」と、雨ばかりのフランスの空を見上げながらふさぎ込みがちになっていたところに、ふと、「私は何か完璧なものを見て、その上辺だけを描こうと思っていたから、そう考えるのではないか」という思いが浮かんできた。そして、実際に嵐が治まった時々に外に出てみると、そこには必ず、雲の切れ間から美しい蒼空が見えた。今回のテーマ「雲の外は蒼い天」だ。困難を乗り越えた先には必ず明るい未来がある。6月25日から始まる日本橋三越本店本館特選画廊での個展は約30点を出展する予定だ。
――今後の目標は…。
宮下 目指すものはどんどん変わっていくと思うが、今の時点で私が考えていることは、「人の癒しになったり、人の心に寄り添うようなものを作っていきたい」ということだ。根本的には「人が喜ぶ姿を見たい」ということが一番なのだと思う。絵に関してだけでなく、人に寄り添いながら、私がこれまで培ってきたアートの力を、色々な方面で役立てていきたい。例えば、今はコラボレーション企画として浴衣のデザインをしている。芸術的な浴衣を纏うことで元気になってくれる人や前向きになってくれる人がいて、そこに私のアートが少しでも役に立っているのであれば、こんなに嬉しいことはない。アート作品というものは、食べることもできず、薬にもならず、災害にも弱く、戦争などが起これば一番不要とされるものかもしれないが、そういった時にこそ人の心の支えになりうるもの、必要とされるものを作り続けていきたい。私が生み出す作品によって「こういったものがあるからこそ活気が溢れてくる、生きる気力が生まれてくる」というような「心の薬」になれば良い。そして、人々が芸術全般に対してそういう思いを持ってくれるようになれば、日々の生活や人々の心が、もっと豊かになるのではないかと思っている。
――芸術活動を続けていくに当たっては、資金繰りも大変だと思うが、投資等の経験は…。
宮下 私は、大学時代から画家のプロとして活動し、親とは生計を別にしていた。その頃から「稼いだお金の何割かは社会に貢献しておくとよい」という父のアドバイスに従い、証券口座を作って投資もしていた。今でこそ新NISAなどで子ども用の証券口座を作ることもできるが、当時はそのようなものもない時代で、私は投資というものに関する知識もほとんどなかったのだが、とりあえず、自分が知っていたアパレルブランドや化粧品会社の株式を、株主優待券のメリットを考えて細々と投資していた。それらの株式は基本的に優待券目当てだったので、余り動かすことなく、ただ持ち続けているだけのものだった。また、コロナ禍になって株式市場が全般的に値を下げた時には、夫から「こういう時こそ日本を支えている企業を応援すべきだ」との一言がきっかけとなり、全日本空輸とみずほ銀行にすべての貯金をつぎ込んだ。コロナ禍で世界中が本当に大変な状況で、私自身「これからどうなるんだろう」と不安だらけだった時に、「おまえの小遣いがなくなるよりも、日本がなくなる方が困るだろう」と言い切った夫に対して「スパルタだなぁ」と思いつつも、やはりそれは正しいことだと同意している。日本画を描いている日本大好きな私にとって、日本の根幹を動かしている企業を応援することは至極当たり前のことだ。実は東京メトロが上場した時も初日に購入した。「日本の国を良くしよう」と思って頑張っている企業は大好きだし、そういった会社をこれからも応援していきたい。そして、私自身も皆様からそのように応援してもらえるように、頑張って作品を作り続けていきたいと考えている。[B]
≪みやした・まりこ≫
2001年東京藝術大学日本画専攻卒業。
03年同大学院文化財保存学専攻保全修復日本画研究領域修了。
06年同博士課程修了・博士号取得。その後、数々の賞を受賞。
23年日本美術院特待推挙。JRA運営審議会委員を務める。