金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

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「第三者割当投資のリーダーに」

エボリューション・ファイナンシャル・グループ
会長
マイケル・ラーチ 氏

――エボリューションの事業とは…。

 ラーチ 私は02年にエボ・ファンドを創設し、金融取引、トレーディング、投資銀行業務を主に取り扱ってきた。12年から日本における投資銀行業務に力を入れており、現在進行中の案件は約20件。24年の案件数は過去最多の21件だったが、年間の平均案件数は約10件、累計の想定元本は2100億円を超え、累計案件数は110件超に上る。1案件当たりでは最大約1億ドルを投資している。リピート案件も多く、これまでに投資した企業数は60社超に上る。また、当社は「『友好的』投資」「経営方針の尊重」「議決権の協力」の3つを投資方針としており、経営に関与しないことが特徴だ。当社はこれまで、リスクをとり新しいチャレンジをしている企業と多く取引をしてきた。米国ではリスクマネーはエクイティで調達することが一般的だが、日本は従来、間接金融による資金調達が主流だ。例えばあるバイオテック企業が社会的意義の高い創薬事業を行っているとして、そのような事業のリスクは高く、資金調達に課題がある。そういった場合にリスクマネーを自分たちだけで供給することができるのがわれわれだ。なかにはリストラや事業再生のフェーズにいる企業もあるが、結果的にそういった企業のなかに投資対象となる企業が見つかってきた。

――日本でビジネスをするきっかけは…。

 ラーチ 米国ニュージャージー州、フィラデルフィアに近い町で生まれ育った。両親ともに教師で、父親は英語科、母親は情報科を教えていた。プリンストン大学を卒業する前年の93年1月、アメフトのチームの一員として日本に来る機会があった。東京ドームで「エプソンアイビーボウル」の試合をし、東京の観光も楽しんだ。その後、就職活動を経て卒業し、94年1月に大阪に引っ越した。仕事をする傍ら、大阪の実業団のアメフトチームで選手としてプレーした。岩谷産業や兼松、住友商事などの75人の日本人とチームメイトになった。大学時代に東京で試合をした時の相手選手もいて、友人たちと非常に楽しい時間を過ごした。大阪に来た時の契約形態は現地採用で、会社からの手厚いサポートなどはなかった。しかしその分、餃子の王将や天下一品などファストフードチェーンで食事したり、結婚式などの知人のイベントに参加したり、現地採用ならではの経験を通して直に日本人の生活を感じることができた。それが私の人生を変え、日本との関係をこの30年間続けることになった。大阪で2年過ごしたのちに、東京に引っ越し、大手外資系投資銀行で働き始めた。私はバイクを買い、週末ごとにあちこち見て回った。8年間金融の世界で働くなかで、日本にビジネスチャンスがあると確信した。01年末にリーマン・ブラザーズを退社し、02年5月に当社を興した。

――どこに商機を見いだしたのか…。

 ラーチ 02年ごろは、インターネットの登場により、それまでは大手の金融機関でしかできなかったことが小規模な組織でもできるようになった時期だった。トレーディングに関するソフトウェアが進化し、以前より使いやすく価格も安いソフトが簡単に手に入るようになっていた。8年間で培った人間関係もあり、創業する環境が整ったと感じて、自己資金と知人から出資してもらった約2百万米ドルの資金でエボ・ファンドを立ち上げた。これはファンドとしてはかなり小規模だ。創業初期の8年ほどは、資金の制約もあり、主に日経225のオプションと先物を使った裁定取引を行っていた。その後投資戦略をどんどん広げていったが、これができたのは、テクノロジーに対する投資を早くから行ってきたためだ。ソフトウェアなどをすべて内製できる体制をつくっていたことで、誰よりも早く最適なストラテジーを立てることができたことが差別化要因となり収益が積み上がっていったと思う。しかし、10年ごろからメインで投資運用をしていた裁定取引において競争が激化し、収益性が下がっていった。今振り返ると、結果的に市場の効率性が高まった時期だったのだと思う。そこで、新しい収益を求めてさらに進化していったのが12年から13年ごろで、ソフトウェア依存からリレーションシップ重視のビジネスにピボットした。

――中小型の上場企業の第三者割当を引き受ける投資スタイルだ…。

 ラーチ 約10年前に当社で運用を担当していたあるファンドマネージャーの影響を受けている。彼はもともとジャーディン・フレミング証券(現JPモルガン・アセット・マネジメント)で国内の中小型株に特化した大規模ファンドを運用しており、ボトムアップで会社訪問をしてファンダメンタルを見て投資するという手法を取っていた。彼の手法は当社のそれまでの運用スタイルとは違ってはいたが、大変興味深いと感じた。彼の知識や経験と、当時われわれが持っていたソフトウェアのテクノロジーやトレーディングのリスク管理、コンプライアンスなどの要素を融合し、現在の投資手法につながった。投資判断のうえでは自分自身が経営トップと直接会うことを重要視している。第三者割当のエクイティファイナンスは非常に複雑なプロセスを踏む。たくさんの人がかかわって案件が最終的にできるため、お互いの信頼感を育むことが大切だ。当社のチームの仕事ぶりを分かってもらい、何か問題が起きた時にトップ同士で対話しすぐ解決できるようなオープンな関係性を築いてきた。

――第三者割当のビジネスで競合となる企業はあるか…。

 ラーチ 実は特にライバルとして意識している企業というのはない。第三者割当のマーケットはグローバルな投資銀行や運用会社、プライベートエクイティファンドなど参加者が非常に多いが、それぞれアプローチが違う。たとえれば、多くのチームがプレーしているけれども、阪神タイガースと読売ジャイアンツの対戦はないということだ。つまり、われわれのように経営に関与せずに第三者割当を受けるという手法をとる会社はあまりいない。われわれが第三者割当のビジネスについて「もの言う株主」の手法でなく資金調達のみに特化してきたのは、純投資で、ある意味で「受け身」の立場でいることが最良の選択だと考えているためだ。ゲーム、不動産、バイオテクノロジー、飲食など多様な業種の個別企業と取引をするうえで、それぞれの分野のエキスパートになることは大変難しい一方、各企業にはわれわれにない特定の知識がある。加えて、個人的にアクティビスト的な立ち振る舞いは性格に合わないと感じられるという理由もある。ところで、今一緒に働いているメンバーは非常に優秀だが、時に失敗もある。以前、上場前の日本のバイオテクノロジー企業に一株200円で投資したところ、公開価格は90円、上場後も下がり続け、最終的に13.3円まで下落した。その後株価は回復したが、その前に手じまっていたため痛い思いをした。このような失敗も経験に変え、今では主に上場企業を対象に、ファンドの投資規模は順調に拡大している。今後も案件数をどんどん増やしていきたいし、集中して勝利を目指し、日本におけるこの業界のリーダーになりたい。[B][L]

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