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「中国の触手ミャンマーに拡大」

アジア母子福祉協会
理事長
寺井融 氏

――ミャンマーの現状について…。

 寺井 私は1982年頃からコロナ前まで30回程ミャンマーを訪れているが、本当のミャンマーの姿は、実際にミャンマーに住んでいる人たちでさえわかっていないと思う。それは、国の力の中心がどこにあるのかがはっきりしていないからだ。政治を動かしている人やそれに反対している人達がいるのは他の国でもあたりまえにある事だが、ミャンマーにはそういった人達をしっかりと抑え込んでいる中心人物がいない。1962年のネ・ウィン氏による軍事クーデターから1988年の大規模民主化運動鎮圧を経て、ミャンマーは軍事政権が益々力を持つようになり、その後のタン・シュエ議長やキン・ニュン首相のもとでは軍部独裁だと批判されながらもしっかりとした政治運営を行っていた。しかし今は、その頃のようなセンターがいない。

――ミャンマーが民主化したのはどのタイミングなのか…。

 寺井 ミャンマーは2010年の総選挙をきっかけに2011年から民主政権になった。新政権のテイン・セイン大統領は民主化に力を尽くした人で、その頃から経済活動の自由や労働組合の結成、そして、言論や政治活動の自由が認められるようになった。その後を継いだアウンサン・スー・チー政権でも経済はそれなりに発展していくのだが、2021年、再び軍のクーデターで軍事政権が復活し、現在に至る。とはいえ、今の軍総司令官ミン・アウン・フライン大統領代行には、かつてのネ・ウィン氏やタン・シュエ氏のようなカリスマ性が無い。そういった人物が政治を動かそうとすると、色々な問題が噴出してきて、経済的にも上手くいかなくなる。その大きな理由は、ミャンマーはかつて英国植民地だったという歴史があり、その政策によって民族間対立の根が深くなっているからだ。

――ミャンマーは多民族国家であるため、統制するのが難しい…。

 寺井 ミャンマーでは基本的に原理原則論を唱える人が好まれるのだが、それは現実とは乖離している。アウンサン・スー・チー氏も民主主義の総論では真っ当と見えるのだが、経済政策において現実が見えていない。1988年民主化クーデター鎮圧の時にはまだ軍部に対する信頼があり、英国植民地時代には戻らないという共通認識の下、一定のまとまりがあったのだが、ミャンマー135民族のうち20近くもの武装組織が現在も武装闘争をしているし、いわゆる反政府民主派も戦っている状況だ。それは、センターがしっかりしていない事と、2011年に民主主義政権が実現した際に、他の国と比較して自国がどれほど遅れているのかを知ったからだ。特に、隣国タイとの差を目の当たりにして多くの国民は驚愕する。バングラデシュでさえ経済力が増しているのに対し、自国は一向に発展しないという現実に若者たちは失望し、そこで自分たちの手でどうにかミャンマーを立て直そうと考えるのではなく、海外に出て行くという選択をしてしまった。

――ミャンマーの若者たちが海外に出た後は…。

  中国では海外で活躍していた華僑が、鄧小平の改革開放に一旗あげようという人たちが国に戻って協力した。ベトナムでも海外で様々な事を学んできた人たちや越僑が母国の経済発展に寄与している。日本も戦後の貧しかった時代に海外にいた人たちが戻ってきて頑張ったからこそ高度経済発展を遂げることが出来て、今がある。ところがミャンマーでは海外に出て経済的に成功している人たちはあまり多くなく、国のアイデンティティーを強く主張する人たちも少ない。母国をよくしようという気風もない。例えば2010年の民主化総選挙後、ティワラ経済特別地区へ日本企業が進出する際にタイにいるミャンマー人に母国で経済開発に協力するよう呼びかけたが、拒否されたそうだ。せっかくミャンマーが民主化してタイで楽しく働けるようになったのだから、ミャンマーには年に数回、沢山のお土産を持って帰る程度が良いと考えるミャンマー人が殆どだったという。何故、娯楽も何もないミャンマーに戻り、国のために働かなくてはならないのかと考える人たちが多いということは、非常に大きな問題だと思う。

――ミャンマー国内ではクーデターが頻発し、多数の死傷者が出ている…。

 寺井 クーデターが怖いからミャンマーには戻りたくないという人たちも沢山いる。今回のクーデターで多数の死者が出ているのは、取り締まり能力が欠けているからだ。1962年や1988年のクーデターの時は、軍情報局が中心となって暴動を取り締まることが出来たのだが、その情報局は2004年にトップのキン・ニュン氏が失脚し、解体することになった。そのため、今は統治ノウハウや情報収集能力を持たない軍政が、規律もお構いなしに銃を乱射しており、そのために犠牲者が増えてしまった。ネット社会の今の世の中で、事前にきちんと情報を把握し、事前に対応を策していれば、あれほど多くの犠牲者は出なかったはずだ。例えば中国では天安門事件の経験から取り締まりのノウハウを蓄積した。だからこそ香港などでも、そこまで多くの死者を出すことなく”騒動”を治める事が出来た訳だ。かつて、ミャンマーの軍に従事するのはエリートの務めだったが、今は募集をしても行きたがる人はおらず、大学入学資格試験を受ける人たちも少なくなっているという。皆、軍も大学も信用していないため、エリートと呼ばれる人たちはあらゆる手を使って海外に出ようとしている。

――日本が懸念すべき事は、ミャンマーに対する中国の影響だ…。

 寺井 ミャンマーの人たちが皆親日であるというイメージは、なくした方が良い。日本で教育を受けたミャンマーの人たちが活躍し、日本からのODAが効果的に使われていた時代は終わり、今では中国が取って代わっている。ミャンマーの人たちは決して親中ではないが、背に腹は代えられないという事で、制約がなく利害関係だけで進められる経済開発のために、政権側も反政権側も中国と手を結んでいるというのが現状だ。既にミャンマー北部では中国の影響が非常に強くなっている。南部では何とか日本がそれを阻止しようして、ヤンゴン近くにティワラ経済特区を作り、また、インド太平洋構想でもミャンマーはキーパーソンとなりうると考えられていたのだが、もはや何が起こるかわからないミャンマーに進出して経済発展させようと考える日本人はいなくなっている状況にある。

――中国とミャンマーは国境を接している。両国の現在の関係は…。

 寺井 ミャンマーと雲南省には同じ民族が住んでいたりするので、ミャンマーと中国の2つの国籍を持っている人たちもいて、彼らの親せきは両国を行き来しているという。また、ヤンゴンなどに住むいわゆる広東人や福建人は、中国にルーツがあるという事で三代目までミャンマーの選挙権はなく、それでも税金はしっかり取られるそうだ。さらに学校の医学部には入れないといった制約もあるという話を中国系の人から聞いた。他にも、ミャンマーの北部では中国人の不法滞在者がいたり、密輸入に携わっているような人たちも多く住んでいて、死亡した人の戸籍を中国人に売るような事も起きていると聞く。目的は、ミャンマーや中国で商いをする際にその死亡した人の戸籍を利用して、何かあった時にはその戸籍を捨てていつでも中国に戻れるようにしておくためだ。そういった勝手なふるまいをする中国人に対して怒りをあらわにするミャンマー人は少なくなく、東南アジアでも権力を持つような中国系の人たちに対する排除感情は強い。他のアジアの国のように、中国系の人が現地に溶け込んで実力を発揮できるような国でもないとも言える。[B]

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