総本山仁和寺門跡
真言宗御室派管長
瀬川大秀 氏
――京都や奈良には沢山の寺院があるが、中でも仁和寺は特別な歴史を持つ…。
瀬川 真言宗御室派総本山の仁和寺は886年に光孝天皇の勅願で建て始められ、888年にその遺志を継いだ宇多天皇によって落成された。その後、出家した宇多法皇が仁和寺第1世となり、以降、30世までの約1000年間、仁和寺の門跡(住職)は皇子皇孫が務めている。そういった歴史から、仁和寺は平安時代に創建された門跡寺院として最高の格式を持つとされ、同時に芸術文化が花開く場所となった。京焼の最高峰とされる仁清も、もともとは仁和寺の門前に窯を開いて茶碗などを作っており、「仁清」という名前は仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」から送られている。また、仁清の跡を継いだ尾形乾山は、のちに兄の尾形光琳とともに『芸術』をつくり上げたが、その尾形光琳・乾山兄弟が住んでいたとされるお屋敷は、現在、仁和寺に移築され、茶室として使用されている。それが重要文化財に指定されている「遼廓亭」だ。このようにして、仁和寺には次第と芸術家が集まるようになり、今なお芸術家たちの拠り所となっている。
――総本山仁和寺の門跡となられて、想う事は…。
瀬川 私は愛媛県西条市の王至森寺で生まれ育ち、高野山で修業をして仁和寺に入った。仁和寺では宗務総長を2期8年務めた。その8年目が終わる時に、丁度修復していた観音堂が完成期を迎え、その落慶のタイミングで第51世の門跡に就任した。門跡では、今年で6年目となり、仁和寺の1000年の歴史と、それを後世まで伝えていくという責任の重さを日々感じている。また、日本の伝統を守る職人たちを後世に継ぎ、新鋭の芸術家たちを育てていくことも、世界遺産にも登録されている仁和寺の大きな役割だと考えている。そういった思いから、仁和寺では芸術家達のサポートを行うための活動も行っている。
――仁和寺の教えの特徴は…。
瀬川 仁和寺の教えは弘法大師空海の真言密教であり、その教えは、「我々は大日如来の子であり、菩提心を持って生まれている」というものだ。仏から尊い命をいただいて生き、そのまま仏となる、という即身成仏が基本となっている。今の時代においては、普通の人が日常生活を送る中でそういった事を考える事は少ないかもしれない。しかし、経済が発達し、お金や資源を巡って争いが起こり、それが世界戦争を巻き起こしかねないというような世界情勢の中で、どこかに心の拠り所を探し求めている人も多いのではないだろうか。このような世界において、弘法大師空海の教えを広めていく事は大変に重要な役割だと考えている。
――世界では宗教の違いによる争いが後を絶たないが、仏教は世界平和を求めている…。
瀬川 仏教は和を尊ぶものだ。宇多天皇も、出家されて法皇となり、仁和寺の中に最初に建立されたお堂は人々の幸せと世の平和を願う八角円堂であり、願文の最後の部分には「我、仏子となり、善を修し、利他を行ず」と記されているように、宇多法皇が開山して最も重んじられたのは、「人々の幸せ」と「世界が平和である事」だった。さらに先の帝の供養と国家安泰、人々の幸せを祈るために仁和寺は建立されたのであり、それは今でも脈々と受け継がれている。仁和寺を訪れて境内を歩く人々が、なんとなく落ち着くなぁ、なんとなく優しいなぁ、と感じてくださる事があれば、それは平安時代から約1000年続くこの環境が生み出す雰囲気が、自然と伝わっているのだと思う。同時に、この環境を次の世代へしっかりと繋いでいくために、私はこれからも「利他」の心を大切していきたい。
――今、かなり多くの日本人が、そういった本来の人間のあるべき姿を追い求めているのではないか…。
瀬川 コロナ禍において、人々は未曽有の体験をした。そこで学んだ事は、普通の日々の有難さだったと思う。人と会ってとりとめのない話をする事。電話や画面越しではなく、実際に人と触れ合う事。そういった何気ない日常が、コロナ禍で断絶されたことによって改めて大切な事だと気づかされたのではないだろうか。そして、生きるという事はどういうことなのかという意識が芽生えてきたのでないか。すべては御縁の中で生かされている。その御縁に感謝し、そうして生きてきた結果として、現在の自分があり、その先に成仏の世界がある。それが本来の人間のあるべき姿だと思う。
――奈良時代、平安時代、鎌倉時代では政治と宗教はかなり密接な関係にあったと聞く。現代の日本における政治と宗教の関係は…。
瀬川 現代においては、政治と仏教の関係性はなくなっていると思う。基本的には利他を願うのが仏教であり、祈りの世界である。過去の時代では、近づきすぎて問題が起きたという事は在るかもしれない。しかし、今ではそういったこともなく、只々、私たちは心を豊かにするために説教を施している。
――今後の抱負は…。
瀬川 「朝靄に、利他の御心仰ぎつつ、仁和の祈り永遠に伝えんと」。これは私が作った歌だ。毎日、朝もやの中で読経をしながら、他人の事を最優先させるという仏様の教えを心に刻み人々の幸せを祈り、世界の平和を願うために建立された仁和寺の想いを脈々と繋いでいけるように、後世にしっかりと伝えようと誓っている。今の日本は天変地異による災害が相次いでおり、そういった中で不安な日々を送られている方が大勢いらっしゃる。そういった不安を取り除けるように、手を合わせて皆の安全と安心をお祈りしたい。そして、心豊かに日々を過ごすことが出来るよう、弘法大師空海の教えを一人でも多くの方に語り掛けていきたい。人間の根幹とも言えるこの教えは、出来れば家庭教育でも取り入れて、もう少し各々に掘り下げてもらいたい。例えば、今の世の中では古いものは直ぐに捨てるが、古いものを大切にする心「温故知新」について、小さな頃から考えて、家族皆で実践していく。そうして、折に触れて古を振り返り、「昔の人だったらどうしただろう」と考えてみる。そういったところに、世界が平和になるヒントが隠されているように思う。お互いが仲良くいたわりあい生きていくところに原点があるのではないでしょうか。[B]