北総鉄道
代表取締役社長
室谷 正裕 氏
――北総鉄道のこれまでの歩みと、現状について…。
室谷 北総鉄道は千葉ニュータウンと都心を結ぶ通勤通学路線だ。そのため定期券購入のお客様が太宗を占めている。昭和40年代当初に計画された千葉ニュータウンの入居人口は34万人で、その足を担うべく設立されたのが当社だ。しかし、ニュータウン事業は10年経っても20年経っても上手くいかず、40年経ってようやく入居者が10万人と、我々の事業計画は最初から需要面での目論見が大きく外れてしまっていた。同時に当時のバブルによる不動産価格の高騰で、鉄道建設コストは予定を大幅に上回り、公的資金の注入もない中でそれらの費用を運賃に反映させて借金を返済しなくてはならなかった。そういった背景から、北総鉄道は日本一高い運賃だと言われ続けてきた。振り返ると、建設コストとして必要となった有利子負債額は約1500億円。当時は7~8%という高金利だったため、例えば40億円の収入で60億円の利払いが迫られるというような状態だった。それらの赤字額が累積して450億円となった2000年に、ようやく単年度での黒字化が実現した。そこから22年間、毎年少しずつ過去の累損を返済し続け、ようやく今年度、累積赤字解消の目途が立った。それでもまだ612億円という通常の有利子負債は残っているが、設立50周年を迎える今年に累積赤字をゼロに出来るのは喜ばしいことだと思っている。
――空港へのアクセスなど、いわば国家的機能を担っているにもかかわらず公的資金も入らず、行政から放置されていた理由は…。
室谷 私は元々、国土交通省に勤務していたため分かるが、例えば道路への予算は以前は、ガソリン税や重量税など特定財源として潤沢にあり、全国津々浦々、立派な道路が整備できたし、受益者負担の面でも受け入れられやすかった。一方で鉄道は独立採算が基本で、予算は、ゼロサムゲームの中で新幹線に費用が掛かれば他のところは削らなくてはならず、とてもではないが当社の様な鉄道には予算は回ってこない。高齢化が進む中でテレワークも増え、我々のような専業の鉄道会社は本当に大変だ。先日発表した当社の決算では、売上げが前年度比5%増となり利益も増えたが、これはコロナ禍の影響が大きく出た昨年度との比較であり、コロナ以前と比べると未だ鉄道収入は全然回復していない。4~6月の第1四半期の定期券収入はコロナ以前よりも20%程度落ち込んだままの状態で、これはコロナ禍によって相当程度が在宅勤務のままだということを表している。コロナ禍によってテレワークが一定程度浸透することは予想していが、2割という数字は我々の予想を上回るものであり、それが鉄道事業の経営に大きな影響を及ぼしている。
――そんな状況の中で、今年10月から運賃値下げを決定した…。
室谷 運賃を下げることによって当然収入は減るだろう。債権回収会社や株主など色々な関係者からは、何故この時期に運賃値下げを行うのかというような批判や心配の声もいただいた。特に当社の一番大きな債権回収会社であるJRTT(鉄道建設・運輸施設整備支援機構)には「正気の沙汰とは思えない」とまで言われた。国に運賃改定の相談に行った時は「また値上げですか?」と言われる程、周りからは予想外のことだったと思う。そんな声がある中で値下げを決断した理由は二つある。一つは、運賃が高いことが積年の大きな課題だったことだ。ようやく累損がゼロに近づくなかで、利用者の身になって、長年の高運賃問題にどのように対応するかということ。もう一つは、単なる宿題返しにとどまらず、会社にとって将来を見据えた経営戦略にまで昇華(アウフヘーベン)したいと考えたからだ。沿線は何もしなければ高齢化が進んでいく。千葉ニュータウンも、多摩ニュータウンと同様に高齢者の1人住まいや2人住まいが増え、そういった方々の外出機会が少なくなれば、鉄道等も使ってくれなくなるだろう。沿線はどんどん先細っていく。そうなる前に、若い人たちに北総沿線に移り住んでもらうというのが我々の事業戦略だ。北総沿線地域は開発があまり進まなかった事もあり、緑が多く地盤は安定している。羽田空港と成田空港までともに直通もあり、かつ居住環境は良い。コロナによるテレワークの浸透は一時打撃となったが、むしろ毎日会社に通う必要がなければ都内に住む必要もなくなるだろう。そうであれば物件の安いこの辺りに住み、子どもは都内の学校に通わせるという考えもあってよいのではないか。そういった戦略から通学定期券をこれまでの約3分の1に引き下げた。100%家計の負担となる通学定期券の値下げを決定した効果は既に現れており、運賃改定が10月からにもかかわらず、既に通学定期券の購入数がコロナ前よりも増えてきている。4月からの新学期にあわせて引っ越しを済ませた人もいるのだろう。印西や白井市など沿線は自治体が子育て支援に力を入れていることもあり、我々の通学定期料金の大幅な引き下げはそういった自治体の施策にも沿っている。
――市と連携して、子育て世帯を北総エリアに呼び込む事業戦略を遂行していく…。
室谷 コロナ以降、沿線の物件は確実に売れている。そこに、これまで「高い運賃」というイメージだった北総線の運賃を下げることで、北総エリアに居住を考えている人たちの後押しになれば良いと思う。ローカル線は負の連鎖だ。赤字になれば本数を減らしたり値上げしたりする。そうすると不便になり、ますます人は利用しなくなる。特に今はコロナのこともあり、他社鉄道会社では本数を減らす方向に動いている。しかし、我々はもっと路線を利用していただくために運賃を下げると同時に、運行本数を増やすことを決めた。これは一種の賭けだが、放っておけば減少の一途しかない。利用者に便利だと思っていただけるように、通学定期ほどではないが通勤定期や普通運賃も下げている。こうしたこともあって、まだ完成前の沿線のマンションが予約の段階で完売といった嬉しい話も聞いている。
――「小林一三モデル」については…。
室谷 伝統的な鉄道会社のビジネスモデルは、沿線の土地を買い取って鉄道を通し、沿線周辺の不動産価値を上げて、そこにマンションやデパートを建築する「小林一三モデル」だったが、我々の現在の収入源は鉄道収入だけだ。もともと脆弱な経営基盤の上に開発可能性の乏しい鉄道だけをつくった。設立当初から資金面で苦しい状況が続き、ようやく累損をゼロに出来るという今のような段階で、沿線開発を主体的に進めていけるような見通しも体力もまだない。開発利益の還元方法については今後視野に入れていくべき事だとは思うが、今のところは沿線の自治体と一緒になって沿線の魅力の発信や駅前のにぎわい創りを進めていくことや、駅中の店舗や駅高架下の資産活用に注力し、駅周辺の不動産活用や開発事業などに取り掛かるのはもう少し後になりそうだ。
――上場についての考えは…。
室谷 ようやく450億円の累損を解消する目途が立った中で、今、上場を考えるのは余りにも気の早いことだ。先ずは運賃を値下げした分、お客様を増やしていくことが重要だと考えている。そのために、現在、親子での車両基地体験や、各駅を巡りながらの謎解きラリーイベント、また夜中に行うレール交換の一般公開など、色々なイベントで北総の露出を増やし、存在を大きくアピールしているところだ。将来的には大学や魅力的な集客施設が沿線にあればよいとも考えているが、今は、そのための準備段階として、自治体や色々な方々にご協力を頂きながら沿線のPRや活性化をすすめていく。先ずは地域のインフラとしてのプレゼンスを向上させ地域の人たちに最大限の還元をしていきたい。
――社長としての抱負は…。
室谷 会社創設から50年、鉄道が始動してから43年。「安全・安心の北総」「サービスの北総」をモットーに、長期にわたり維持していくべき地域の公共インフラとして、メンテナンスコストやリュニューアルコストも考えながら、これまで職員300名、総動員体制で取り組んできた。社員達には創設から長い間、赤字経営状態で色々なコスト制限が敷かれていることも理解してもらって、ここまでやってきた。ようやく累積赤字がなくなる中で、先ずは地域の皆様に還元するということで今回値下げを決定したが、次こそは、これまで一緒に頑張ってきてくれた社員の方々にも還元できればと考えている。そのためにもトップラインをさらに上げていく精一杯の努力を続けていきたい。(了)