金融ファクシミリ新聞社金融ファクシミリ新聞

金融ファクシミリ新聞は、金融・資本市場に携わるプロ向けの専門紙。 財務省・日銀情報から定評のあるファイナンス情報、IPO・PO・M&A情報、債券流通市場、投信、エクイティ、デリバティブ等の金融・資本市場に欠かせない情報を独自取材によりお届けします。

「日本の農業安保は危機的状況」

東京大学大学院
農学生命科学研究科 教授
鈴木 宣弘 氏

――日本の農業が危機的状況にあると…。

 鈴木 日本の農業は、あと10年もすれば消滅しかねない。農家関係者が高齢化し個人経営が難しくなっている中で、集落の仲間と協力し合う「集落営農」も広まっているが、そのような組織の優良事例でさえ平均年齢が70歳で後継者もほぼいない状況にある。また、外注している機械オペレーターも年間200万円程度の低い報酬であることから、仕事を引き受けてくれる人さえいなくなっている。そこに輪をかけて、ここ数年のコロナ禍による外食需要などの低下で米の在庫量は増加し、米取引価格は1俵(60kg)7000円まで暴落している。20年前の米価2万円から半分以下のレベルにまで下落しているにもかかわらず、政策として農家に差額補填を行うような動きもない。このコロナ禍において、他国では政府が農家から食料を調達し、困窮世帯に届けるような人道支援を行っているのに、日本では米の在庫増に対して生産量を減らすように指示しているだけだ。これでは生産者も困窮者も救えない。その背景には、財務省が現行の法律上で買い取り可能な備蓄米の量を、このコロナ禍にもかかわらず、一向に変えようとしないことにある。コロナ禍で職を失い、日々の食料に困っている国民がいるのであれば、国としては法律の解釈を柔軟にするなり新たな法律を作るなりして、国民を助けるために財政政策を動かすべきなのに、この有事においても何も変えようとしないとは、本当にあきれるばかりだ。昨年10月には、岸田総理大臣が米価暴落対策として「政府が米15万トンの販売支援を行うことで需給を安定化せる」と発言したが、それは「米15万トンを農協が2年間長期保管すれば、その保管料は全額国が負担し、2年後以降の古古米はこども食堂など生活弱者に提供する」という内容だ。それが現行法解釈で出る最善策という事であり、何の解決にもなっていない酷い話であきれるばかりだ。

――備蓄米を国内の支援物資として活用できない理由は、他にもあると…。

 鈴木 もう一つの理由は、米国からの圧力だ。備蓄米を国内の援助物資にすれば、それは海外への支援物資としても利用できるのではないかという声が出てくる。しかし、日本の米や乳製品の海外援助が米国にとって自国の市場を奪う脅威となれば、米国は容赦なくその政策を進める日本の担当者を攻撃するだろう。過去には故中川昭一元農水大臣が乳製品を援助として海外に出したことがあった。当時、米国からどれだけの圧力がかかっていたかは計り知れないが、実際に政治家の間では、そのようなことで自身に危険が及ぶことは避けたいと考え、国内の援助物資に関して積極的な働きかけをしない。一方で、輸出を拡大すれば日本の農業はうまくいくと考え、2030年までの農作物の輸出目標額を5兆円と設定し、国民や農家にバラ色の未来を見せようとしている、しかし実際の2021年の食品輸出額1兆円の中身は、その約90%が輸入した農産物を加工して再輸出したものであり、最初から国内で生産された農産物輸出額は約10%しかない。政府は農作物の輸出拡大や農業のデジタル化等というアドバルーンで虚構の未来を描くのではなく、食料安全保障の根幹となる農作物をもっと農家に作ってもらい、国内の困窮者や有事の食糧危機に備えるという発想が必要ではないか。残念ながら今の政府には「足りない食料はお金を出せば買える」という程度の意識しかない。

――自民党は地方にも票田があり、農家からの意見も反映されやすいと思うが…。

 鈴木 現在の政策決定においては官邸の力が強く、省庁間では経済産業省や財務省の勢力に比べて農林水産省の勢力は弱い。さらに、官邸は米国政府からの要請を強く受けて動く傾向がある。自民党の先生方の中には本音では「これではいけない」と思っていらっしゃる方も多いが、政府官邸で役職についてしまうとなかなか本音が言えなくなる。小選挙区で公認をもらうためには官邸の方針に逆らえないという実情があるからだ。とはいえ、今の高齢化した農家と、気候によって収入が変動する不安定な農家の後継者不足を根本的に変えていくためは、欧米の政府が行っているように、農家が一定の所得水準を下回った場合に、その赤字を補填する仕組みを充実させなければならない。しかし実際には、日本は輸出産業として自動車の利益を増やしたかったため、農業を開放して海外の農産物を受け入れる代わりに海外から日本の自動車を買ってもらうという政策をとった。そして、日本の農業が過保護な産業であると国民を洗脳し、農業の規制緩和を進めて貿易を自由化させた。ただ、他国の農業が競争力を駆使して頑張っているというのは間違った認識だ。米国には本来1俵1万2000円の生産コストがかかるが、1俵4000円程度という安価で農家に販売してもらい、不足分は全て政府が補償するという仕組みがあるので、農家は安心して生産に励むことができる。輸出向けの米国の補助金は、穀物だけで1兆円も支出している。それでも米国にとって食料は戦略物資であるという考えのもと、食料を輸出することで武器よりも安く他国をコントロールしやすくしている。それが政治だ。

――欧州の農業政策については…。

 鈴木 例えばフランスで小麦経営が大赤字だった場合には補助金が出る。その補助金で肥料や農薬の支払いを行い、差額分は所得になるため、所得に占める補助金の割合が235%になることもある。一方で日本では、所得に占める補助金の割合は平均でわずか30%だ。欧州が100%超の補填でそれが産業といえるのかと考える人もいるかもしれないが、欧米では食こそが国民の命、国土、環境、コミュニティ、国境を守る安全保障の要であるという意識が高い。日本は安全保障という名目でF35の購入だけでも6.6兆円を費やしているが、食料こそが防衛の基本だ。武器があっても食料がなければ戦う事はできない。しかし、日本の国会で経済安保についての議論がされる中で食料安全保障という言葉は出てこない。食料自給率も問題視されず、貿易自由化を進めれば調達先が増え、それで良いという程度の認識だ。もっと大局観をもって、安全保障として軍事力を装備するのと同じように、国内の食料体制をしっかり装備すべきではないか。そこにいくらかかっても、兵糧攻めで皆が命を失う事に比べれば安いものだ。米国からの圧力で踏み出せない面があるのかもしれないが、食料自給率が37%という史上最低の数字になり、兵糧攻めに遭えば6割以上の国民が死ぬことにもなりかねないといった今の状況で、国会で食料安保の議論がなされないのは世も末だ。米の代わりに小麦やトウモロコシ、豆、そば粉などの生産に補助金を出すという政策も4月には打ち切りとなることが発表された。振り回された農家は「もはや何も作れない」と途方に暮れ、農業自体を辞める選択をする農家も出てきている。農村現場が青息吐息となり、そこに米価が追い打ちをかければ、来年にも潰れかねない農家が続出するだろう。財務省は歳出削減ばかりを考えるのではなく、また、法律も杓子定規な解釈ばかりするのではなく、大局的に物事を考え、どのように物事を動かせば国のためになるかという事をしっかり考えてほしい。そうしなければ有事の時に国民を苦しめることになってしまう。

――日本の農作物の価格が低い理由のひとつには、日本の流通構造の問題もある…。

 鈴木 日本では小売業者の力が強い。仲卸業者は小売業者が設定した価格に合わせて買い取るため、農家は希望価格を主張することもできない。普通の製品であれば、生産コストに流通マージンを足して価格を設定するが、農業では卸売市場が形骸化しており、小売価格から逆算して農家を買い叩くという構造になっている。この構造自体、完全に独占禁止法違反だが、日本では独禁法は証拠がなければ罪に問われず、経済活動として買い叩かれているというだけでは取り締まることが出来ない。そればかりか、今、規制改革推進会議で議論されているのは、農家が農協に集結して共同販売を行う事で両者が不当な利益を得ているとし、世界的には独禁法の対象外となっている共同販売を取り締まろうとしている。本来は買い手側の小売業者が独禁法に適用されるべきなのに、買い叩かれている農家側が独禁法に抵触するかのように扱われ、さらに買い叩かれるような仕組みにしようとしている。農家としては、既存の大手流通で買い叩かれてしまうのであれば、ネット販売などで余計な流通経路を通さない販売方法を模索するのも一つの方法だろう。自分たちの食料を守りたいのであれば、直接ルートを広げて、消費者自身も農家を支えるような仕組みを作り上げればよい。生産者と消費者が支え合う事で命を守っていく、それが今後の日本の農業が目指すべき姿ではないか。この点、今の新しい形態として「自給家族」という考え方がある。農家と契約を結び、農作業を手伝う代わりに優先的に供給を受けるというものだ。企業の中にもそういったグループを作って農業支援を行い、栽培された食料を社員食堂で消費しているところもある。民間レベルでこのような動きを進めるとともに、政府には抜本的な安全保障対策としての農業政策を実施してもらいたい。

――農機具が高すぎるという問題点については…。

 鈴木 農機具は昔から高く、今も変わってはいない。しかも、そこに政府からの半額補助金が出ており、それが、農機具がなかなか安くならない理由にもなっている。多くの利益を得ているのは関連業界で、最終的に農家には借金が残るという構造だ。補助金を付けるのであれば、関連業界の利益も必要だが、もっと農家が直接助かるような工夫をすべきだ。農家がなくなってしまえば農機具ビジネスも食品流通ビジネスもなくなってしまう。日本のリーダー達には「今だけ、金だけ、自分だけ」というような、目先の事や自分だけの利益を求めるのではなく、長期的かつ大局的な視点を持った行動をしてもらいたい。日本の食料を担ってくれる人々を蔑ろにし、その人たちがこれ以上苦しくなれば、全てのビジネスも、日本の食料もなくなるということを、今こそ考えなければならない。(了)

▲TOP